使う派
会社で同僚と話をしていると、ある条件の下でのみ、ごくたまーに、「貯金が、いくらあるか」という話題になる事があります。 ある条件とは、その場にいる面子のほとんどが30歳以下である事。 それ以上の年齢の人間しかいない場合、普通、その種の話題は取り上げられません。
この話題を持ち出す目的は、「周りの連中は、一体、幾らくらい、金を貯め込んでいるのだろう?」と、探りを入れる事だと、断言しても構わないと思います。 言いだしっぺは、大抵、そこそこ金を貯めている奴か、ギャンブルなどで俄かに大金が転がり込んだ野郎のどちらかで、自分が他人より金持ちである事を確認して、満足感に浸ろうという魂胆なのです。
なぜ、30歳以下に限るかというと、20代の頃は、≪貯める派≫と、≪使う派≫がはっきり分かれておらず、平均値が推測し難いからです。 一方、30歳を過ぎると、その人物が結婚しているかしていないか、子供がいるかいないか、持ち家が賃貸か、趣味は何か、といった情報から、大体の推測がつきますし、金がある者は、貯め込んでいる事を他人に知られたくないから、金が無い者は、他人が貯め込んでいる事実を知らされて不安になりたくないから、互いに、貯金の話は避けようとします。
で、30歳以下の連中が行なう、この種の話題の会話ですが、観察していると、お決まりのパターンが見て取れます。 20代後半で、ちょっとした兄貴分の格にある者が、まだ社会人になって1・2年の若い者に向かって、さも偉そうに言うのです。
「なに言ってんだ、おまえ。 正社員で勤めていて、貯金が100万円以下なんて、普通いねえぞ」
ふむふむ、つまり、この兄貴分の男は、100万円以上は持っているわけだな。 そして、100万円以上持っている事を、自慢しているのです。 だけど、彼本人が言っているように、20代後半で貯金が100万円を超えているのは普通だと思うので、そんな事が、果たして、自慢になるものなのかどうか・・・。
以前、20代半ばで、会社を辞める事になった男が、退職金が振り込まれた直後、同僚達の前で、「普通預金の残高が、100万円を超えたよ」と、いかにも満足気に話していました。 私は最初、どうして、そんなに勿体つけて話すのか分からなかったのですが、やがて、ピンと来ました。 その男は、それまで、貯金が100万円を超えた事が一度もなかったのです。 退職金が入って、初めて、ミリオンの大台に乗ったので、感動していたんですな。
微笑ましいと言うべきか、信じられんと言うべきか…。 そやつは、高卒の正規採用組ですから、その時点で、入社してから7年くらい経っていたわけですが、貰った給料を、みーんな使ってしまっていたんですねえ。 そちらの方に驚いて、「へーっ!」と、目を丸くした次第。 もちろん、いい気分になっている相手に向かって、「貯金が100万円以上あるのは当然だろう」などという不粋な指摘はしません。
給料は、仕事によっても、会社によっても、随分開きがありますが、まあ、特殊な能力を必要とされない、普通の勤め人なら、手取りで、月20万円を基準にしてみておけばいいでしょう。 新卒でも、その程度は貰えます。 月20万円なら、年に240万円。 ボーナスもあれば、大体300万円くらい。 そこから、使う分を引いても、一年で100万円くらいは残りそうなものですが、それができる人間が少ないのは、不思議な事です。
改めて首を傾げるのですが、そういう人達は、お金を、一体、何に使っているんでしょう?
根本的なところで、お金に対する考え方の違いがあって、≪使う派≫と≪貯める派≫の間に、大きな溝が出来ているように思われます。 ≪使う派≫は、「基本的に、手に入ったお金は、使うものである」と考えていて、貯めるという行為を、例外扱いにしているように見受けられます。
ちなみに、私の兄が、こういうタイプで、社会に出て働き始めるや、入った金を片っ端から使いまくっていました。 クレジット・カードは、何枚持っているか分からないわ、しょっちゅう、車を買い替えるわ、世間で流行る遊びには全て手を出すわ、毎年、京都や北海道に旅行に行くわと、浪費の限りを尽くし、30歳を過ぎるまで、≪定期預金≫というシステムがある事を知らないほどでした。 今はもう40代後半ですが、未だに借家住まいです。 しかし、結婚はしていますが、子供がいないので、お金に困っているという事は無い様子。
身近なサンプルが、兄一人だけなので、断言はできませんが、こういうタイプの人というのは、かなり早い時期、具体的に言うと、中学生の頃から、アルバイトを経験しているのではありますまいか。 「買いたい物があったら、自分で金を稼いで買う」という考え方が、社会経験の基礎部分で、刷り込まれてしまっているのではと思うのです。 それだけなら問題無いのですが、人生訓の論理には、逆転がよく起こります。
「買いたい物があったら、自分で金を稼いで買う」
が、逆転されて、
「自分で稼いだ金は、買いたい物を買うのに使う」
と、読み替えられてしまっている可能性があります。 学生時代は、それでも良かったのが、社会人になって、給料を貰うようになっても、その考え方が変わらず、貰った給料は使い切らなければいけないと思い込んでいるのではないかと思うのです。 こういう人達の頭の中には、「貯める」という概念そのものが存在しないのかもしれません。
「何か高い物を買いたい時には、貯めるよ。 だけど、普段は、そんな事しない」
「若い内から、金を貯めるなんて、おかしい。 老後の心配なんて、50歳を過ぎてからでいい」
「明日死ぬかも知れないのに、貯金なんかしている奴の気が知れない」
これらの言葉は、私が若い頃に、実際に耳にしたものですが、はたして、そう言っていた連中が、歳を取った今でも、それを正しいと思っているかどうか。 いいや、思ってはいないでしょう。 金が無ければ、人生計画どころか、明日の予定も立てられない事を思い知って、後悔先に立たず、若気の至りに地団駄踏んでいるんじゃないかと思います。
自らを反面教師に仕立て、若い人間を捕まえて、「金は貯めておいた方がいいぞ」と説教でも垂れていれば、まだ可愛いんですが、自分が信じて歩んで来た生き方を、いい歳こいてから否定するのも癪なので、「なーに、貯金なんて無くたって、働き続けていれば、どうにかなるもんだよ」などと、強がりを言っているんじゃないかと思うのです。
ただ単に貯金が無いというのは、まだマシな方で、車や家のローンを抱えて、二進も三進も行かなくなっている40代50代の人間は、うじゃうじゃいます。 こういう人達に言わせると、
「高い物は、ローンで買うのが、当たり前」
「ローンの方が、現金で買うより、得」
なのだそうですが、もし、若い内から貯金をしていれば、
「現金があるのに、ローンを組むなど、狂気の沙汰」
と思った事でしょう。 高い物を買う時、「ローンの方が、得」という言葉は、よく聞きますが、それは、税金の事を言っているんですかね? しかし、何十年も掛かる借金を抱え込むより、最初に税金を払って、自分の物にしてしまった方が、精神的に遥かに楽だと思うのですが。 大体、ローンは、利息を取られるわけで、利息が税金より安いとも思えません。
「家のローンをン十年で組んだ」という人達は、途中で失職する可能性について、全く考えた事が無いのではありますまいか。 よく言われるように、日本社会では、ローンが払い切れなくなった時、家を売っても、ローンだけは残るので、すでに持っていない家のために返済を続けるという、理不尽この下無い情況に追い込まれる事になります。 馬鹿馬鹿しいにも程がありますが、現にそうなのだからどうしようもありません。 そして、リストラされたり、会社が潰れたり、という事は、現にいくらでも起こっているのであって、「自分は、そうならない」と信じ込むのは、あまりに無防備と言うものです。
貯金が全く無い相手と、結婚する人間の気持ちも分かりません。 交際していれば、相手が、≪貯める派≫なのか、≪使う派≫なのか、すぐに分かりそうなものですがねえ。 ちなみに、≪使う派≫の方が、モテはいいです。 どこへ遊びに行くにしても、気前よく払ってくれるので、連れられている方は、楽ですな。 しかし、相手がどんな仕事に就いているかが分かっていれば、金遣いの激しさから、どの程度の蓄えがあるかは、見当がつきそうなもの。 結婚した後、スカンピーでは、話になりますまい。
いざ、結婚する段になって、相手が、貯金どころか、車のローンしか持ってない事が分かっても、情況がそこまで進んでいたのでは、もはや、「別れます」とは、言えませんぜ。 で、「結婚したら、小遣い制にするから、今までみたいには使えないよ」とか言う女性が多いわけですが、独身時代、稼いだ金を片っ端から使っていた男に、その数分の一の小遣いを与えて、平和に済むと思う方が間違いです。
サルに餌をやるのに、それまで、20個やっていたのが、ある日から突然、5個とか3個に減らしたら、そりゃ怒るわなあ。 かくして、DV亭主の一類型が誕生するわけです。 ≪使う派≫の人間というのは、金を使い続ける事によって、精神状態の安寧を維持しているのであって、使えなくなったが最後、狂気への扉が開かずにはいられません。 狂った亭主に、ボコボコにされたくなかったら、好きなように使わせるしかないのですよ。 結果、極貧に喘ぐ事になると思いますが、しょうがないねえ、結婚前に、相手の正体を見極められなかった方も悪い。
浪費家の女というのも、恐ろしいですねえ。 ブランド物など、病的に買いまくるわけですが、そういうのも、交際している時点で分かると思うので、「俺の彼女、おしゃれだよ。 センスもいいし」などと呑気な寸評などしていないで、「こやつ、この金を、どこから工面しているんだ?」と、疑ってみるべきでしょう。 外見が洒落ていればいるほど、危険度は高いです。
何か、特殊な職業にでも就いていない限り、ブランド物で完全武装などできるものではないのであって、他に貢がせている男が何人もいる可能性、大。 いや、男が何人もいるなど、まだいい方で、買い物依存症で、カード・ローン地獄の亡者だったりしたら、結婚した後で、それを全部払わされる事になります。
「金が無くなっても、生活レベルを落とせない」というのは、落ちぶれた芸能人がよく口にするセリフですが、芸能人でなくても、一度、ブランド物に囲まれた生活をした人間というのは、一回、自己破産したくらいでは、生き方を変えられません。 結婚の際、配偶者に借金を全部払ってもらっても、またぞろ、あれやこれやと買い込む始める恐れは十二分にあります。
「借金を肩代わりしてやれば、感謝して、その後一生、尽くしてくれるだろう」などとは、期待するも愚か。 金を使わなければ生きて行けない人間なのですから、尽くすは尽くすでも、あなたの金を使い尽くす事しかしてくれないでしょう。 だからねえ、交際している間に、そういう所を観察しなければいかんのですよ。 相手の金遣いが荒いと分かったら、惚れたも腫れたもありゃしない。 火の粉を被らない内に、縁を切るしかないのです。
性別に関係なく、金のかかる趣味を持っている相手というのも、要警戒です。 ≪なんでも鑑定団≫に、よく出て来るでしょう、そういう病膏肓に入ったジジイどもが。 あれは、テレビ番組だから、家族も笑っていますが、家に帰れば、「この馬鹿、早く死んでくれないか」と、本気で呪ってるんですぜ。 当たり前でしょう。 稼いで来る端から、みんなガラクタに変えられてしまうのですから。 当人が死んだ後、全部売り払っても、注ぎ込んだ金の十分の一も回収できないのではないでしょうか。
物の蒐集だけでなく、車やバイクに嵌っている連中も要注意。 若い頃は、「カッコいい」などと言って、一緒に乗って、自分もいい気になっていますが、結婚してからも、全く金遣いが改まらないのを見て、眉間の皺の数がどんどん増えて行く事になります。 レースに出るようなレベルになると、それが人生目標になってしまっていて、子供の学費をチューン代に使ってしまうなどという呆れた輩まで出て来ます。 馬鹿か?
ギャンブル・・・・、いや、これは、言うまでもありませんな。 節度を守って楽しんでいる人もいますが、そんなのは、ほんの例外で、ほとんどは、金をドブに捨てています。 ギャンブルが原因で、生活困窮者になった場合、自己破産や生活保護を認めないようにした方がいいと思います。 冗談じゃないよ。 なんで、遊びで金を捨てた連中を、真面目に貯めている人間が、税金で助けてやらなければならんの?
で、今年から社会人になったとか、もう何年か経っているけど、まだお金に対する考え方が固まっていない、という若い人達に忠告ですが、職場に、≪使う派≫の先輩がいたら、くれぐれも警戒しておいた方がいいです。 「奢ってやるから、一緒に遊びに行こうぜ」とか言われると、ついふらふらと、ついて行ってしまいがちですが、本当に奢って貰えるとしても、それが得になるとは限りません。
恐ろしいのは、≪使う派≫の生活パターンに慣らされてしまう事です。 たとえば、釣りやゴルフなど、金のかかる趣味に誘われたとして、始めの内は奢って貰えても、いつまでも、他人の好意に甘えるわけには行きませんから、その内、自分で払うようになります。 そうなってから、お金がどんどん出て行く事に震え上がっても、付き合いも出来てしまっている事ですし、おいそれとはやめられません。
≪使う派≫の人達は、自分の生き方が間違っているとは思ってませんから、全く悪気無しに、楽しむための仲間を増やそうと誘って来るので、気の弱い人間だと、断り難いのです。 「あいつは、付き合いが悪い」などと陰口叩かれるのも怖い。 しかし、その後の自分の人生全体に関わって来る事ですから、断るべき時には、断らなければなりません。 なーに、「仕事の疲れがひどいので、休みは寝ています」とか、「家の用事があって、時間が空かないので」とか言って、やんわり断っていれば、その内、誘って来なくなりますから、大丈夫。
危険極まりないのは、悪意があるタイプの先輩ですな。 たかりが目的なんですよ。 金が無くて、年中ぶつくさ零している奴など、人間としての評価が、ゼロどころか、マイナスになってしまい、周りの人間が避けるようになります。 「一緒に遊びに行こうぜ」などと誘われても、たかられるに決まってますから、そりゃ誰も乗ってこんわなあ。 また、そういうオッサンに限って、新入社員の面倒を見たがるんだわ。 右も左も分からないから、簡単に騙せると思ってるんでしょう。 まあ、そういう奴は、ボロクソに陰口を叩かれているので、すぐに分かりますが。
「せっかく生まれて来たのだから、幸福な人生にしなければ」と思うのは当然ですが、金を使う事が、イコール、幸福とは限りません。 子供の頃に、「金を使わなかったから、楽しい思いができなかった」という経験は誰でもあると思いますが、その時の悔しさが強過ぎて、≪金を使う=幸福≫の関係が常に成り立つと思い込んでしまうのだと思います。
しかし、よく考えると、確実に成立する関係式は、≪金が無い=不幸≫なのであって、別に、金を使ったからといって、幸福になるわけではありません。 むしろ、金は使えば無くなるわけですから、≪金を使う=金が無い=不幸≫という事になり、金を使う事で、自ら不幸を呼び寄せているとも言えます。
勤め人の場合、一人の人間が一生の内に稼げる金額というのは、限度があります。 極端な話、勤め始めて、最初の給料とボーナスを貰ったら、すぐに、一生で幾ら稼げるか、電卓を叩いてみた方がいいです。 そこから、一生分の生活費を引き、家や車を買う費用を引き、結婚や子育てに掛かる費用を引けば、いくらも残らない事が分かるはず。 一度でも、そういう計算を試していれば、考え無しに、≪使う派≫に走るような事もなくなるでしょう。
この話題を持ち出す目的は、「周りの連中は、一体、幾らくらい、金を貯め込んでいるのだろう?」と、探りを入れる事だと、断言しても構わないと思います。 言いだしっぺは、大抵、そこそこ金を貯めている奴か、ギャンブルなどで俄かに大金が転がり込んだ野郎のどちらかで、自分が他人より金持ちである事を確認して、満足感に浸ろうという魂胆なのです。
なぜ、30歳以下に限るかというと、20代の頃は、≪貯める派≫と、≪使う派≫がはっきり分かれておらず、平均値が推測し難いからです。 一方、30歳を過ぎると、その人物が結婚しているかしていないか、子供がいるかいないか、持ち家が賃貸か、趣味は何か、といった情報から、大体の推測がつきますし、金がある者は、貯め込んでいる事を他人に知られたくないから、金が無い者は、他人が貯め込んでいる事実を知らされて不安になりたくないから、互いに、貯金の話は避けようとします。
で、30歳以下の連中が行なう、この種の話題の会話ですが、観察していると、お決まりのパターンが見て取れます。 20代後半で、ちょっとした兄貴分の格にある者が、まだ社会人になって1・2年の若い者に向かって、さも偉そうに言うのです。
「なに言ってんだ、おまえ。 正社員で勤めていて、貯金が100万円以下なんて、普通いねえぞ」
ふむふむ、つまり、この兄貴分の男は、100万円以上は持っているわけだな。 そして、100万円以上持っている事を、自慢しているのです。 だけど、彼本人が言っているように、20代後半で貯金が100万円を超えているのは普通だと思うので、そんな事が、果たして、自慢になるものなのかどうか・・・。
以前、20代半ばで、会社を辞める事になった男が、退職金が振り込まれた直後、同僚達の前で、「普通預金の残高が、100万円を超えたよ」と、いかにも満足気に話していました。 私は最初、どうして、そんなに勿体つけて話すのか分からなかったのですが、やがて、ピンと来ました。 その男は、それまで、貯金が100万円を超えた事が一度もなかったのです。 退職金が入って、初めて、ミリオンの大台に乗ったので、感動していたんですな。
微笑ましいと言うべきか、信じられんと言うべきか…。 そやつは、高卒の正規採用組ですから、その時点で、入社してから7年くらい経っていたわけですが、貰った給料を、みーんな使ってしまっていたんですねえ。 そちらの方に驚いて、「へーっ!」と、目を丸くした次第。 もちろん、いい気分になっている相手に向かって、「貯金が100万円以上あるのは当然だろう」などという不粋な指摘はしません。
給料は、仕事によっても、会社によっても、随分開きがありますが、まあ、特殊な能力を必要とされない、普通の勤め人なら、手取りで、月20万円を基準にしてみておけばいいでしょう。 新卒でも、その程度は貰えます。 月20万円なら、年に240万円。 ボーナスもあれば、大体300万円くらい。 そこから、使う分を引いても、一年で100万円くらいは残りそうなものですが、それができる人間が少ないのは、不思議な事です。
改めて首を傾げるのですが、そういう人達は、お金を、一体、何に使っているんでしょう?
根本的なところで、お金に対する考え方の違いがあって、≪使う派≫と≪貯める派≫の間に、大きな溝が出来ているように思われます。 ≪使う派≫は、「基本的に、手に入ったお金は、使うものである」と考えていて、貯めるという行為を、例外扱いにしているように見受けられます。
ちなみに、私の兄が、こういうタイプで、社会に出て働き始めるや、入った金を片っ端から使いまくっていました。 クレジット・カードは、何枚持っているか分からないわ、しょっちゅう、車を買い替えるわ、世間で流行る遊びには全て手を出すわ、毎年、京都や北海道に旅行に行くわと、浪費の限りを尽くし、30歳を過ぎるまで、≪定期預金≫というシステムがある事を知らないほどでした。 今はもう40代後半ですが、未だに借家住まいです。 しかし、結婚はしていますが、子供がいないので、お金に困っているという事は無い様子。
身近なサンプルが、兄一人だけなので、断言はできませんが、こういうタイプの人というのは、かなり早い時期、具体的に言うと、中学生の頃から、アルバイトを経験しているのではありますまいか。 「買いたい物があったら、自分で金を稼いで買う」という考え方が、社会経験の基礎部分で、刷り込まれてしまっているのではと思うのです。 それだけなら問題無いのですが、人生訓の論理には、逆転がよく起こります。
「買いたい物があったら、自分で金を稼いで買う」
が、逆転されて、
「自分で稼いだ金は、買いたい物を買うのに使う」
と、読み替えられてしまっている可能性があります。 学生時代は、それでも良かったのが、社会人になって、給料を貰うようになっても、その考え方が変わらず、貰った給料は使い切らなければいけないと思い込んでいるのではないかと思うのです。 こういう人達の頭の中には、「貯める」という概念そのものが存在しないのかもしれません。
「何か高い物を買いたい時には、貯めるよ。 だけど、普段は、そんな事しない」
「若い内から、金を貯めるなんて、おかしい。 老後の心配なんて、50歳を過ぎてからでいい」
「明日死ぬかも知れないのに、貯金なんかしている奴の気が知れない」
これらの言葉は、私が若い頃に、実際に耳にしたものですが、はたして、そう言っていた連中が、歳を取った今でも、それを正しいと思っているかどうか。 いいや、思ってはいないでしょう。 金が無ければ、人生計画どころか、明日の予定も立てられない事を思い知って、後悔先に立たず、若気の至りに地団駄踏んでいるんじゃないかと思います。
自らを反面教師に仕立て、若い人間を捕まえて、「金は貯めておいた方がいいぞ」と説教でも垂れていれば、まだ可愛いんですが、自分が信じて歩んで来た生き方を、いい歳こいてから否定するのも癪なので、「なーに、貯金なんて無くたって、働き続けていれば、どうにかなるもんだよ」などと、強がりを言っているんじゃないかと思うのです。
ただ単に貯金が無いというのは、まだマシな方で、車や家のローンを抱えて、二進も三進も行かなくなっている40代50代の人間は、うじゃうじゃいます。 こういう人達に言わせると、
「高い物は、ローンで買うのが、当たり前」
「ローンの方が、現金で買うより、得」
なのだそうですが、もし、若い内から貯金をしていれば、
「現金があるのに、ローンを組むなど、狂気の沙汰」
と思った事でしょう。 高い物を買う時、「ローンの方が、得」という言葉は、よく聞きますが、それは、税金の事を言っているんですかね? しかし、何十年も掛かる借金を抱え込むより、最初に税金を払って、自分の物にしてしまった方が、精神的に遥かに楽だと思うのですが。 大体、ローンは、利息を取られるわけで、利息が税金より安いとも思えません。
「家のローンをン十年で組んだ」という人達は、途中で失職する可能性について、全く考えた事が無いのではありますまいか。 よく言われるように、日本社会では、ローンが払い切れなくなった時、家を売っても、ローンだけは残るので、すでに持っていない家のために返済を続けるという、理不尽この下無い情況に追い込まれる事になります。 馬鹿馬鹿しいにも程がありますが、現にそうなのだからどうしようもありません。 そして、リストラされたり、会社が潰れたり、という事は、現にいくらでも起こっているのであって、「自分は、そうならない」と信じ込むのは、あまりに無防備と言うものです。
貯金が全く無い相手と、結婚する人間の気持ちも分かりません。 交際していれば、相手が、≪貯める派≫なのか、≪使う派≫なのか、すぐに分かりそうなものですがねえ。 ちなみに、≪使う派≫の方が、モテはいいです。 どこへ遊びに行くにしても、気前よく払ってくれるので、連れられている方は、楽ですな。 しかし、相手がどんな仕事に就いているかが分かっていれば、金遣いの激しさから、どの程度の蓄えがあるかは、見当がつきそうなもの。 結婚した後、スカンピーでは、話になりますまい。
いざ、結婚する段になって、相手が、貯金どころか、車のローンしか持ってない事が分かっても、情況がそこまで進んでいたのでは、もはや、「別れます」とは、言えませんぜ。 で、「結婚したら、小遣い制にするから、今までみたいには使えないよ」とか言う女性が多いわけですが、独身時代、稼いだ金を片っ端から使っていた男に、その数分の一の小遣いを与えて、平和に済むと思う方が間違いです。
サルに餌をやるのに、それまで、20個やっていたのが、ある日から突然、5個とか3個に減らしたら、そりゃ怒るわなあ。 かくして、DV亭主の一類型が誕生するわけです。 ≪使う派≫の人間というのは、金を使い続ける事によって、精神状態の安寧を維持しているのであって、使えなくなったが最後、狂気への扉が開かずにはいられません。 狂った亭主に、ボコボコにされたくなかったら、好きなように使わせるしかないのですよ。 結果、極貧に喘ぐ事になると思いますが、しょうがないねえ、結婚前に、相手の正体を見極められなかった方も悪い。
浪費家の女というのも、恐ろしいですねえ。 ブランド物など、病的に買いまくるわけですが、そういうのも、交際している時点で分かると思うので、「俺の彼女、おしゃれだよ。 センスもいいし」などと呑気な寸評などしていないで、「こやつ、この金を、どこから工面しているんだ?」と、疑ってみるべきでしょう。 外見が洒落ていればいるほど、危険度は高いです。
何か、特殊な職業にでも就いていない限り、ブランド物で完全武装などできるものではないのであって、他に貢がせている男が何人もいる可能性、大。 いや、男が何人もいるなど、まだいい方で、買い物依存症で、カード・ローン地獄の亡者だったりしたら、結婚した後で、それを全部払わされる事になります。
「金が無くなっても、生活レベルを落とせない」というのは、落ちぶれた芸能人がよく口にするセリフですが、芸能人でなくても、一度、ブランド物に囲まれた生活をした人間というのは、一回、自己破産したくらいでは、生き方を変えられません。 結婚の際、配偶者に借金を全部払ってもらっても、またぞろ、あれやこれやと買い込む始める恐れは十二分にあります。
「借金を肩代わりしてやれば、感謝して、その後一生、尽くしてくれるだろう」などとは、期待するも愚か。 金を使わなければ生きて行けない人間なのですから、尽くすは尽くすでも、あなたの金を使い尽くす事しかしてくれないでしょう。 だからねえ、交際している間に、そういう所を観察しなければいかんのですよ。 相手の金遣いが荒いと分かったら、惚れたも腫れたもありゃしない。 火の粉を被らない内に、縁を切るしかないのです。
性別に関係なく、金のかかる趣味を持っている相手というのも、要警戒です。 ≪なんでも鑑定団≫に、よく出て来るでしょう、そういう病膏肓に入ったジジイどもが。 あれは、テレビ番組だから、家族も笑っていますが、家に帰れば、「この馬鹿、早く死んでくれないか」と、本気で呪ってるんですぜ。 当たり前でしょう。 稼いで来る端から、みんなガラクタに変えられてしまうのですから。 当人が死んだ後、全部売り払っても、注ぎ込んだ金の十分の一も回収できないのではないでしょうか。
物の蒐集だけでなく、車やバイクに嵌っている連中も要注意。 若い頃は、「カッコいい」などと言って、一緒に乗って、自分もいい気になっていますが、結婚してからも、全く金遣いが改まらないのを見て、眉間の皺の数がどんどん増えて行く事になります。 レースに出るようなレベルになると、それが人生目標になってしまっていて、子供の学費をチューン代に使ってしまうなどという呆れた輩まで出て来ます。 馬鹿か?
ギャンブル・・・・、いや、これは、言うまでもありませんな。 節度を守って楽しんでいる人もいますが、そんなのは、ほんの例外で、ほとんどは、金をドブに捨てています。 ギャンブルが原因で、生活困窮者になった場合、自己破産や生活保護を認めないようにした方がいいと思います。 冗談じゃないよ。 なんで、遊びで金を捨てた連中を、真面目に貯めている人間が、税金で助けてやらなければならんの?
で、今年から社会人になったとか、もう何年か経っているけど、まだお金に対する考え方が固まっていない、という若い人達に忠告ですが、職場に、≪使う派≫の先輩がいたら、くれぐれも警戒しておいた方がいいです。 「奢ってやるから、一緒に遊びに行こうぜ」とか言われると、ついふらふらと、ついて行ってしまいがちですが、本当に奢って貰えるとしても、それが得になるとは限りません。
恐ろしいのは、≪使う派≫の生活パターンに慣らされてしまう事です。 たとえば、釣りやゴルフなど、金のかかる趣味に誘われたとして、始めの内は奢って貰えても、いつまでも、他人の好意に甘えるわけには行きませんから、その内、自分で払うようになります。 そうなってから、お金がどんどん出て行く事に震え上がっても、付き合いも出来てしまっている事ですし、おいそれとはやめられません。
≪使う派≫の人達は、自分の生き方が間違っているとは思ってませんから、全く悪気無しに、楽しむための仲間を増やそうと誘って来るので、気の弱い人間だと、断り難いのです。 「あいつは、付き合いが悪い」などと陰口叩かれるのも怖い。 しかし、その後の自分の人生全体に関わって来る事ですから、断るべき時には、断らなければなりません。 なーに、「仕事の疲れがひどいので、休みは寝ています」とか、「家の用事があって、時間が空かないので」とか言って、やんわり断っていれば、その内、誘って来なくなりますから、大丈夫。
危険極まりないのは、悪意があるタイプの先輩ですな。 たかりが目的なんですよ。 金が無くて、年中ぶつくさ零している奴など、人間としての評価が、ゼロどころか、マイナスになってしまい、周りの人間が避けるようになります。 「一緒に遊びに行こうぜ」などと誘われても、たかられるに決まってますから、そりゃ誰も乗ってこんわなあ。 また、そういうオッサンに限って、新入社員の面倒を見たがるんだわ。 右も左も分からないから、簡単に騙せると思ってるんでしょう。 まあ、そういう奴は、ボロクソに陰口を叩かれているので、すぐに分かりますが。
「せっかく生まれて来たのだから、幸福な人生にしなければ」と思うのは当然ですが、金を使う事が、イコール、幸福とは限りません。 子供の頃に、「金を使わなかったから、楽しい思いができなかった」という経験は誰でもあると思いますが、その時の悔しさが強過ぎて、≪金を使う=幸福≫の関係が常に成り立つと思い込んでしまうのだと思います。
しかし、よく考えると、確実に成立する関係式は、≪金が無い=不幸≫なのであって、別に、金を使ったからといって、幸福になるわけではありません。 むしろ、金は使えば無くなるわけですから、≪金を使う=金が無い=不幸≫という事になり、金を使う事で、自ら不幸を呼び寄せているとも言えます。
勤め人の場合、一人の人間が一生の内に稼げる金額というのは、限度があります。 極端な話、勤め始めて、最初の給料とボーナスを貰ったら、すぐに、一生で幾ら稼げるか、電卓を叩いてみた方がいいです。 そこから、一生分の生活費を引き、家や車を買う費用を引き、結婚や子育てに掛かる費用を引けば、いくらも残らない事が分かるはず。 一度でも、そういう計算を試していれば、考え無しに、≪使う派≫に走るような事もなくなるでしょう。
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