万城目学作品①
森見登美彦さんの本を一通り読み終えた後、ごく僅かな関連で、万城目学(まきめ・まなぶ)さんの本へ、読み移りました。 で、岩手へ行く直前まで、万城目さんの本を読んでいて、読み終わる毎に感想も書いていたのですが、それを、二回に分けて、出します。
関連というのは、森見さんのエッセイの中に、万城目さんの名前が出て来て、ちょっと調べてみたら、数年前にテレビ・ドラマ化された、≪鹿男あをによし≫の作者である事が分かったからです。 同じ頃、映画化された、≪鴨川ホルモー≫の方も、名前は聞いていましたが、そちらは未見。 今、≪プリンセス・トヨトミ≫が映画化されて、劇場公開中ですが、それも見に行く予定はありません。 いや、単に私が、映画館に行かないドケチだからで、中身がどうこうという話ではありませんが。
ちなみに、森見さんと万城目さんは、ともに、京都大学の卒業生という共通点があります。 同年ではなく、森見さんの方が、何歳か若い様子。 森見さんは奈良出身ですが、万城目さんは大阪で、気質も作風も、全く違います。 どちらも、京大生を主人公にした小説で世に出て来たので、一時期、同じカテゴリーに括られてしまったようですが、とんだ勘違いというもの。
≪鴨川ホルモー≫
万城目学さんのデビュー作。 ≪ボイルドエッグス新人賞≫の受賞作との事ですが、この賞自体が初耳で、詳しい事は分かりません。 万城目さんの作品というと、数年前、テレビで連続ドラマ化された、≪鹿男あをによし≫の方が有名でしょうか。 この≪鴨川ホルモー≫も、映画化されているのですが、映画だとどうしても、知名度に限界があります。
京都にある四つの大学に、小さな鬼を戦わせる≪ホルモー≫と呼ばれるサークルがあり、京大のそれにスカウトされてしまった一回生達が、二年の間に、世にも奇怪な体験をする話。 オニ達は、普通の人間には見えず、オニ語を覚えて、儀式を済ませた者に対してのみ、姿を顕わにします。 学生達は、十人で一チーム、一人当たり百匹のオニを使い、他の大学とオニ同士を戦わせます。 「ホルモー」というのは、手持ちのオニを全滅させられてしまった時に、使い手の口から発せられる叫び声の事ですが、この言葉の役割が、ラストで大きな意味を持つように仕掛けられています。
と、こんな風に書いて来ると、アニメっぽい異界物のようですが、実際には、ベタベタの恋愛青春小説でして、ホルモーは薬味みたいなものです。 しかも、文体が、ライト・ノベルズ風でして、時折出て来る知性的な形容句がなければ、「読むのをやめようか…」 と悩んでしまうほど、軽いです。 この作品は、読書界でかなり話題になったらしいのですが、だとすると、今の読書界のレベルは、私が思っていた以上に、軽い方向へ流れているようですな。
人間がオニを操って戦わせるというアイデアは、≪ポケモン≫の亜流でして、さしてオリジナリティーはありません。 そして、そこを除外してしまうと、本当にただの恋愛青春小説なのです。 誰と誰がつきあってるとか、誰が誰に片思いとか、いい歳こいた大人である私としては、赤面せずには読み進められないような内容。 だけど、10代20代の読者で、頭の中が異性の事で埋まっているような年頃なら、充分楽しいと思います。
主人公の青年の一人称で書かれているのですが、この青年がパッとしないキャラでして、その考え方や行動様式に、なかなか共感する事ができません。 道化というのも誉めすぎで、これでは、単なるアホでしょう。 終盤、サークルの内紛で、恋敵と対決する事になるのですが、善玉であるはずの主人公が中途半端なので、悪玉の方も中途半端で、対立の構図が成り立ちません。 もしかしたら、続編を書くつもりで、キャラの特徴を際立たせるのをためらったのかもしれませんな。 実際、≪ホルモー六景≫というスピン・オフ的な短編集があるのです。
ただ、万城目さんは、その後、このデビュー作からは想像できないほど、作風が変化して行ってしまいます。 もし今から、この小説の本格的な続編を書くように求められたら、きっと、大変困ると思います。
≪ホルモー六景≫
万城目学さんの短編集。 書名の通り、≪鴨川ホルモー≫に関連する物語が、六編収められてます。 いずれも、続編ではなく、時間的に、≪鴨ホル≫と同時期のエピソードが多いです。 ≪鴨ホル≫では書ききれなかったサブ・ストーリーを、肉付けして、独立させたとでも言いましょうか。 スピン・オフと言ってもいいのですが、≪鴨ホル≫の脇役を主役に据えているわけではなく、≪鴨ホル≫の登場人物が出て来るにしても、やはり脇役です。 主役は、全く別の人。
【鴨川(小)ホルモー】
京産大学ホルモーの紅二点、互いに男運の無い二人の女子学生の、友情と裏切りの経緯を描いた話。 コメディーとして読むなら、「そこまでやるか・・・」 という感じで、楽しいです。
【ローマ風の休日】
≪鴨ホル≫の実質ヒロイン、楠木ふみの、バイト先でのエピソードを取り上げた話。 バイト仲間の高校生に頼まれて、数学の問題を解いてやる件りなど、いかにも青春小説という感じがします。 図入りで解説するほどの問題ではないような気もしますが。 割と、さらっとした雰囲気の話です。
【もっちゃん】
これは秀逸。 ショートショート的な切れ味で、読者を鮮やかに騙してくれます。 ネタバレすると台無しになるので、ここでは多くを語りません。 一読の価値あり。
【同志社大学黄竜陣】
この作品が、最もボリュームがあります。 ≪鴨ホル≫で、ホルモーに参加する大学は四つで、同志社は含まれていないのですが、実は、伝統が断絶していただけで、本来は参加資格があり、ある女子学生が、それと知らずに封印を解いてしまうという話。 ≪鴨ホル≫で敵役になった芦屋が絡んでおり、その点、あまり爽やかな雰囲気とはいえませんが、「そうか、この後は、五校の対決になるのか」 と、その期待だけで、ワクワクさせてくれます。
【丸の内サミット】
京都の別々の大学を出て、東京で就職したホルモー学生二人が、たまたま合コンで出会って驚き、東京でもオニが見えてしまって、ますます驚く話。 これも、ネタバレ注意なので、詳しく書けませんが、ま、そんなに意外な展開ではありません。
【長持ちの恋】
≪鴨ホル≫に於ける、好感度ナンバー1キャラ、高村君が出て来ます。 脇役というか、ちょい役ですけど。 主人公は、高村君とは別の大学の女子学生。 バイト先の料理屋で、蔵の長持ちの中に、不思議な板を見つけ、織田信長の家来と、時間を超えた文通をする話。 ≪イルマーレ≫や、≪リメンバー・ミー≫と同じアイデアですな。 クライマックスの盛り上げ方も、ほぼ同じ。
余談ですが、万城目さんの単行本では、表紙絵やイラストを、石居麻耶さんという画家が一手に描いています。 この方、本業の絵の方は個性的で良いと思うんですが、イラストになると、いかにも漫画然としてしまい、はっきり言って、下手。 とても玄人の仕事とは思えず、私はまた、万城目さん自身が、別名で描いているのかと思いました。 構図が・・・、いや、デッサンが・・・、いや、遠近感が・・・、とにかく、何か変な絵なのです。
≪鹿男あをによし≫
これは、数年前、テレビの連続ドラマになった作品。 私も毎週楽しみに見ていて、今でもはっきり覚えています。 話が複雑なので、ドラマを見ていない場合、どういう物語かを説明するのは、かなり難しいですな。 現代縁起物ファンタジーとでも分類しましょうか。
関東の大学で研究に行き詰った20代後半の青年が、奈良の私立女子高に期間限定の教師として赴任するのですが、奈良公園で喋る鹿に取り付かれてしまい、鹿の姿に変えられた自分の頭を元に戻すために、「目」と呼ばれる、大地震を鎮める道具を追い求める話。 実際は、もっと複雑で、とても短文では書ききれません。
≪鴨ホル≫と明らかに異なる点は、この作品が、行き当たりばったりではなく、構成を事前に計算して作られている事です。 おそらく、ストーリーの進行表のような物を作って、綿密に伏線を張りつつ、細部を肉付けするという手法を取ったのでしょう。 全く、よく出来ています。 こういうアイデアを思いつくのも大したものですが、それを辻褄が合うように配慮しつつ、読み応えのある物語に組み上げる技量には、感嘆せざるを得ません。
ストーリーは、ドラマとほとんど同じです。 セリフも、原作の物をそのまま採用したものが多かったようですな。 原作が、よく出来すぎているために、脚本家も弄りようがなかったのでしょう。 際立った違いというと、主人公の同僚教師になる藤原先生が、原作では妻子持ちの男なのに、ドラマでは、独身の女になっていた点でしょうか。 原作では、主人公本人は恋愛に無縁なので、ドラマでは、色を付けるために、藤原先生を女に変えたものと思われます。 好人物なせいか、男でも女でも違和感を覚えないのは不思議なところ。
ドラマでもそうでしたが、原作でも、圧巻になっているのは、≪大和杯≫争奪戦の剣道部の試合場面です。 かなりのページ数を割いてあるのですが、思わず本に目が近づくほどに面白いので、長さを全く感じさせません。 少年漫画のアクション物で使われる技法をうまく取り込んでいるんですな。 原作を読んでから、ドラマを思い返すと、「見事に映像化したものだなあ」 と、つくづく感服します。
剣道部の試合場面があまりにも盛り上がるために、本当のクライマックスが些か霞んでしまうのが、欠点といえば欠点でしょうか。 原作では、藤原先生との色恋沙汰が無い上に、マドンナ長岡先生に憧れるという図式も無く、ヒロインは、謎の生徒、堀田イト、オンリーになっています。 ラストは、ドラマにもあった、駅のホームでの別れのシーンですが、堀田がヒロインであればこそ、あの場面が生きてくるわけですな。 納得しました。
万城目さん、この作品辺りから、長編小説の書き方を自家薬籠中の物としたように見受けられます。 この作品なら、大人の読書家の鑑賞に充分に耐えられます。 釣りが大量に来るくらい。 逆に、≪鴨ホル≫を読んで、万城目さんの事をライトノベルズ作家と見做していた低レベルの読者達は、あまり面白さを感じなかったんじゃないでしょうか。 何と言っても、恋愛がテーマではないし、20代前後のピチピチした若い男も出て来ないからです。
先々の事を考えれば、作者が歳を取るにつれて、青春物は書けなくなるわけですから、そんな物ばかり期待している連中に媚を売り続けるのは自殺行為というもの。 多少ファンの数が減ったとしても、こちらの方向性で、絶対正しいと思います。
今回は、以上、三冊まで。 森見さんに比べて、万城目さんの本は数が少ないので、三冊ずつでも、来週で終わってしまいます。 例によって、図書館で借りて読んだわけですが、書架にあるのを見つけて借りたのは、≪ホルモー六景≫一冊だけで、他は全て、予約を入れて順番待ちをしなければ、手に入りませんでした。 この引っ張り凧ぶりは、森見さんの本の比ではありません。
なんで、こんなに人気があるのかと言えば、恐らく、ライト・ノベルズと一般読書人の両方に読者を持っているからだと思います。 読書人の世界は、典型的なピラミッド構造ですから、数を売ろうと思ったら、「軽いものしか読まない」という階層を取り込むのが一番。 もっとも、万城目さんは、もう、ライトを書けなくなっていると思うので、今後、そちらの読者は減って行くと思うのですが。
関連というのは、森見さんのエッセイの中に、万城目さんの名前が出て来て、ちょっと調べてみたら、数年前にテレビ・ドラマ化された、≪鹿男あをによし≫の作者である事が分かったからです。 同じ頃、映画化された、≪鴨川ホルモー≫の方も、名前は聞いていましたが、そちらは未見。 今、≪プリンセス・トヨトミ≫が映画化されて、劇場公開中ですが、それも見に行く予定はありません。 いや、単に私が、映画館に行かないドケチだからで、中身がどうこうという話ではありませんが。
ちなみに、森見さんと万城目さんは、ともに、京都大学の卒業生という共通点があります。 同年ではなく、森見さんの方が、何歳か若い様子。 森見さんは奈良出身ですが、万城目さんは大阪で、気質も作風も、全く違います。 どちらも、京大生を主人公にした小説で世に出て来たので、一時期、同じカテゴリーに括られてしまったようですが、とんだ勘違いというもの。
≪鴨川ホルモー≫
万城目学さんのデビュー作。 ≪ボイルドエッグス新人賞≫の受賞作との事ですが、この賞自体が初耳で、詳しい事は分かりません。 万城目さんの作品というと、数年前、テレビで連続ドラマ化された、≪鹿男あをによし≫の方が有名でしょうか。 この≪鴨川ホルモー≫も、映画化されているのですが、映画だとどうしても、知名度に限界があります。
京都にある四つの大学に、小さな鬼を戦わせる≪ホルモー≫と呼ばれるサークルがあり、京大のそれにスカウトされてしまった一回生達が、二年の間に、世にも奇怪な体験をする話。 オニ達は、普通の人間には見えず、オニ語を覚えて、儀式を済ませた者に対してのみ、姿を顕わにします。 学生達は、十人で一チーム、一人当たり百匹のオニを使い、他の大学とオニ同士を戦わせます。 「ホルモー」というのは、手持ちのオニを全滅させられてしまった時に、使い手の口から発せられる叫び声の事ですが、この言葉の役割が、ラストで大きな意味を持つように仕掛けられています。
と、こんな風に書いて来ると、アニメっぽい異界物のようですが、実際には、ベタベタの恋愛青春小説でして、ホルモーは薬味みたいなものです。 しかも、文体が、ライト・ノベルズ風でして、時折出て来る知性的な形容句がなければ、「読むのをやめようか…」 と悩んでしまうほど、軽いです。 この作品は、読書界でかなり話題になったらしいのですが、だとすると、今の読書界のレベルは、私が思っていた以上に、軽い方向へ流れているようですな。
人間がオニを操って戦わせるというアイデアは、≪ポケモン≫の亜流でして、さしてオリジナリティーはありません。 そして、そこを除外してしまうと、本当にただの恋愛青春小説なのです。 誰と誰がつきあってるとか、誰が誰に片思いとか、いい歳こいた大人である私としては、赤面せずには読み進められないような内容。 だけど、10代20代の読者で、頭の中が異性の事で埋まっているような年頃なら、充分楽しいと思います。
主人公の青年の一人称で書かれているのですが、この青年がパッとしないキャラでして、その考え方や行動様式に、なかなか共感する事ができません。 道化というのも誉めすぎで、これでは、単なるアホでしょう。 終盤、サークルの内紛で、恋敵と対決する事になるのですが、善玉であるはずの主人公が中途半端なので、悪玉の方も中途半端で、対立の構図が成り立ちません。 もしかしたら、続編を書くつもりで、キャラの特徴を際立たせるのをためらったのかもしれませんな。 実際、≪ホルモー六景≫というスピン・オフ的な短編集があるのです。
ただ、万城目さんは、その後、このデビュー作からは想像できないほど、作風が変化して行ってしまいます。 もし今から、この小説の本格的な続編を書くように求められたら、きっと、大変困ると思います。
≪ホルモー六景≫
万城目学さんの短編集。 書名の通り、≪鴨川ホルモー≫に関連する物語が、六編収められてます。 いずれも、続編ではなく、時間的に、≪鴨ホル≫と同時期のエピソードが多いです。 ≪鴨ホル≫では書ききれなかったサブ・ストーリーを、肉付けして、独立させたとでも言いましょうか。 スピン・オフと言ってもいいのですが、≪鴨ホル≫の脇役を主役に据えているわけではなく、≪鴨ホル≫の登場人物が出て来るにしても、やはり脇役です。 主役は、全く別の人。
【鴨川(小)ホルモー】
京産大学ホルモーの紅二点、互いに男運の無い二人の女子学生の、友情と裏切りの経緯を描いた話。 コメディーとして読むなら、「そこまでやるか・・・」 という感じで、楽しいです。
【ローマ風の休日】
≪鴨ホル≫の実質ヒロイン、楠木ふみの、バイト先でのエピソードを取り上げた話。 バイト仲間の高校生に頼まれて、数学の問題を解いてやる件りなど、いかにも青春小説という感じがします。 図入りで解説するほどの問題ではないような気もしますが。 割と、さらっとした雰囲気の話です。
【もっちゃん】
これは秀逸。 ショートショート的な切れ味で、読者を鮮やかに騙してくれます。 ネタバレすると台無しになるので、ここでは多くを語りません。 一読の価値あり。
【同志社大学黄竜陣】
この作品が、最もボリュームがあります。 ≪鴨ホル≫で、ホルモーに参加する大学は四つで、同志社は含まれていないのですが、実は、伝統が断絶していただけで、本来は参加資格があり、ある女子学生が、それと知らずに封印を解いてしまうという話。 ≪鴨ホル≫で敵役になった芦屋が絡んでおり、その点、あまり爽やかな雰囲気とはいえませんが、「そうか、この後は、五校の対決になるのか」 と、その期待だけで、ワクワクさせてくれます。
【丸の内サミット】
京都の別々の大学を出て、東京で就職したホルモー学生二人が、たまたま合コンで出会って驚き、東京でもオニが見えてしまって、ますます驚く話。 これも、ネタバレ注意なので、詳しく書けませんが、ま、そんなに意外な展開ではありません。
【長持ちの恋】
≪鴨ホル≫に於ける、好感度ナンバー1キャラ、高村君が出て来ます。 脇役というか、ちょい役ですけど。 主人公は、高村君とは別の大学の女子学生。 バイト先の料理屋で、蔵の長持ちの中に、不思議な板を見つけ、織田信長の家来と、時間を超えた文通をする話。 ≪イルマーレ≫や、≪リメンバー・ミー≫と同じアイデアですな。 クライマックスの盛り上げ方も、ほぼ同じ。
余談ですが、万城目さんの単行本では、表紙絵やイラストを、石居麻耶さんという画家が一手に描いています。 この方、本業の絵の方は個性的で良いと思うんですが、イラストになると、いかにも漫画然としてしまい、はっきり言って、下手。 とても玄人の仕事とは思えず、私はまた、万城目さん自身が、別名で描いているのかと思いました。 構図が・・・、いや、デッサンが・・・、いや、遠近感が・・・、とにかく、何か変な絵なのです。
≪鹿男あをによし≫
これは、数年前、テレビの連続ドラマになった作品。 私も毎週楽しみに見ていて、今でもはっきり覚えています。 話が複雑なので、ドラマを見ていない場合、どういう物語かを説明するのは、かなり難しいですな。 現代縁起物ファンタジーとでも分類しましょうか。
関東の大学で研究に行き詰った20代後半の青年が、奈良の私立女子高に期間限定の教師として赴任するのですが、奈良公園で喋る鹿に取り付かれてしまい、鹿の姿に変えられた自分の頭を元に戻すために、「目」と呼ばれる、大地震を鎮める道具を追い求める話。 実際は、もっと複雑で、とても短文では書ききれません。
≪鴨ホル≫と明らかに異なる点は、この作品が、行き当たりばったりではなく、構成を事前に計算して作られている事です。 おそらく、ストーリーの進行表のような物を作って、綿密に伏線を張りつつ、細部を肉付けするという手法を取ったのでしょう。 全く、よく出来ています。 こういうアイデアを思いつくのも大したものですが、それを辻褄が合うように配慮しつつ、読み応えのある物語に組み上げる技量には、感嘆せざるを得ません。
ストーリーは、ドラマとほとんど同じです。 セリフも、原作の物をそのまま採用したものが多かったようですな。 原作が、よく出来すぎているために、脚本家も弄りようがなかったのでしょう。 際立った違いというと、主人公の同僚教師になる藤原先生が、原作では妻子持ちの男なのに、ドラマでは、独身の女になっていた点でしょうか。 原作では、主人公本人は恋愛に無縁なので、ドラマでは、色を付けるために、藤原先生を女に変えたものと思われます。 好人物なせいか、男でも女でも違和感を覚えないのは不思議なところ。
ドラマでもそうでしたが、原作でも、圧巻になっているのは、≪大和杯≫争奪戦の剣道部の試合場面です。 かなりのページ数を割いてあるのですが、思わず本に目が近づくほどに面白いので、長さを全く感じさせません。 少年漫画のアクション物で使われる技法をうまく取り込んでいるんですな。 原作を読んでから、ドラマを思い返すと、「見事に映像化したものだなあ」 と、つくづく感服します。
剣道部の試合場面があまりにも盛り上がるために、本当のクライマックスが些か霞んでしまうのが、欠点といえば欠点でしょうか。 原作では、藤原先生との色恋沙汰が無い上に、マドンナ長岡先生に憧れるという図式も無く、ヒロインは、謎の生徒、堀田イト、オンリーになっています。 ラストは、ドラマにもあった、駅のホームでの別れのシーンですが、堀田がヒロインであればこそ、あの場面が生きてくるわけですな。 納得しました。
万城目さん、この作品辺りから、長編小説の書き方を自家薬籠中の物としたように見受けられます。 この作品なら、大人の読書家の鑑賞に充分に耐えられます。 釣りが大量に来るくらい。 逆に、≪鴨ホル≫を読んで、万城目さんの事をライトノベルズ作家と見做していた低レベルの読者達は、あまり面白さを感じなかったんじゃないでしょうか。 何と言っても、恋愛がテーマではないし、20代前後のピチピチした若い男も出て来ないからです。
先々の事を考えれば、作者が歳を取るにつれて、青春物は書けなくなるわけですから、そんな物ばかり期待している連中に媚を売り続けるのは自殺行為というもの。 多少ファンの数が減ったとしても、こちらの方向性で、絶対正しいと思います。
今回は、以上、三冊まで。 森見さんに比べて、万城目さんの本は数が少ないので、三冊ずつでも、来週で終わってしまいます。 例によって、図書館で借りて読んだわけですが、書架にあるのを見つけて借りたのは、≪ホルモー六景≫一冊だけで、他は全て、予約を入れて順番待ちをしなければ、手に入りませんでした。 この引っ張り凧ぶりは、森見さんの本の比ではありません。
なんで、こんなに人気があるのかと言えば、恐らく、ライト・ノベルズと一般読書人の両方に読者を持っているからだと思います。 読書人の世界は、典型的なピラミッド構造ですから、数を売ろうと思ったら、「軽いものしか読まない」という階層を取り込むのが一番。 もっとも、万城目さんは、もう、ライトを書けなくなっていると思うので、今後、そちらの読者は減って行くと思うのですが。
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