万座毛から首里城へ
沖縄旅行記の九日目です。 7月30日(水)。 いよいよ、残り二日。 この日は、丸一日沖縄にいる、最後の日になります。 本島に於ける、貸切タクシーの第二日目。 出発前、「旅行中最大のイベント」と位置づけていた、≪首里城≫の見学があり、この旅行も、いよいよ佳境なわけですが、前日の、「辺戸岬徒歩行」で、脚と足を潰してしまったせいで、浮いた気分は、全くありませんでした。
≪ホテルの朝≫
前の晩に洗濯したズボンは、辛うじて乾きました。 ズボンが乾くくらいですから、他のシャツ・下着類も、もちろん、乾いたわけですが、沖縄旅行では、着替えを、3着でローテーションしていたので、残り二日となると、そちらの方は、もう、出番がありません。 それが分かっていても、一応洗ったのは、第一には、旅行中、ホテルに戻って来たら洗濯するのが習慣になってしまっていたから。 第二には、汚れ物を入れる大きな袋が確保できなかったからです。 コンビニのレジ袋では、シャツまで入れるのはきつい。 もちろん、これらは、家に帰ったら、洗濯機で洗濯し直します。
バイキングも、同じホテルで、6回目となると、もはや、何の感動もなし。 ただし、量だけは、相変わらず、食べられる限界まで取ってしまいます。 この朝も、満腹。 結局、最後の最後まで、デザートのアイス・クリームは食べられませんでした。 毎回、満腹しているのですから、太るわけで、この旅行中に、自分でも怖くなるくらい、腹が突き出て来ました。 人間、腹八分目と適度な運動が、いかに大切かが分かり始めたのは、この頃です。
○△商事が送って来た書類の中に、各ホテルのパンフがあり、それも、旅行に持って来ていたのですが、この朝、少し時間があったので、見てみたところ、どのホテルも、相当な羊頭狗肉をかましている事が分かって、思わず、こめかみに汗が流れました。 このホテルも、パンフに、「スタンダード・ツイン」の写真が載っていたのですが、私が泊まっていたツインと比べると、ずっと、高級なのです。 つまり、「標準」より低い部屋が存在するという事ですな。 乗り物の席では、「一般」や「普通」が最低クラスですが、ホテルの「標準」というのは、言葉通りの意味で、標準なわけだ。
≪貸切タクシー≫
契約は、午前9時からなので、荷造りして、忘れ物がないかチェックし、8時45分には、ロビーへ下りました。 ケヅメリクガメの「のんちゃん」は、この朝も起きていました。 ケージの底に敷いてあった砂が取り除かれ、ガラスの底の上に直截乗っています。 たぶん、砂を洗っているんでしょうなあ。 写真を撮ってから、フロントへ。 チェック・アウトは何の問題もなし。
外に出ると、もう、タクシーが待っていました。 前々日に乗ったのと、同じタクシー、同じ運転手さんです。 すぐに乗って、出発。 「昨日は、何をしていたのか?」と訊かれたので、辺戸岬へ行き、辺土名から、20キロ歩いたと言うと、呆れ返ったような口調で、「呼んでくれれば良かったのに」と言われました。 いやあ、私も、そうは思ったんですがね。 だけど、○万円でしょう? 自腹で、そんなに使えませんよ。
この運転手さんとは、前々日に、さんざん話をしたので、もはや、話題が尽きたかと心配していたのですが、そこそこなお歳のせいか、一度喋った事を、程よく忘れていて、同じ話を繰り返してくれたので、大いに助かりました。 もちろん、「それは、もう聞きました」などという、失礼且つ余計な合いの手は入れません。 もっとも、私の方も、若くはないのであって、一度喋った事を忘れて、リピートをかけていた可能性があり、どっちもどっちだったのかも知れませんが。
≪万座毛≫
58号線を南下。 運転手さん、話に夢中で、忘れてしまうのではないかと恐れていたのですが、ちゃんと、≪万座毛≫へ行ってくれました。 ここは、恩納村で、もはや、本島の中部に入ります。 ホテルがあった幸喜が、名護市の南端に近かったので、万座毛は、すぐ近くです。 駐車場を挟むようにして、大きな売店あり。 まだ、朝だというのに、結構な賑わいでした。 運転手さんが、知り合いのタクシー運転手に会って、笑いながら、
「久しぶりー。 なーに、タクシー、やめたって聞いたよー」
「いやー。 なかなかやめられないよー」
という会話を交わしていました。 ところが、後で聞いたら、この会話、冗談だったそうで、沖縄本島のタクシー運転手の間で、久しぶりに会った時に使う、「決まり文句のようなもの」なのだそうです。 これには、「はっ!」としました。 つまり、沖縄には、「ジョークの文化」があるわけですな。 ジョークの文化がない地域の人間が聞くと、真面目な話としか思えないわけで、少なからぬカルチャー・ショックを受けました。
それはさておき、万座毛です。 「まんざもう」と読みます。 運転手さんの説明では、「毛」というのは、「平らで広い土地の事」で、昔、琉球王がここに来て、「一万人が座れるくらい広い」というので、この名を付けたのだとか。 万座毛と聞くと、断崖の、象の鼻のように見える海食洞穴を連想しますが、この名前が指しているのは、岩ではなく、その上に広がる平地の事だったんですな。 知らなかった。
万座毛
平地は、一面、芝生で覆われており、木がないので、確かに広々しています。 ただ、それだけでは、ただの芝生広場なので、景勝地として見る場合、やはり、象の鼻の岩へ目が行ってしまいます。 正直な感想、宮古島の「砂山ビーチ」と比べると、岩の下に砂浜がない分、こちらの方が、少し趣きに欠けます。 「万座ビーチ」という名の砂浜がありますが、あれは、湾を挟んだ対岸にある、全く別の場所でして、万座毛から見える事は見えるものの、かなり遠いです。 映画でよく見る、≪万座ビーチ・リゾート・ホテル≫の、特徴的な姿も望めます。
ここでも、運転手さんが、写真を撮ってくれましたが、帰って来てから、大きくしてみてみたら、変な顔ばかりで、参りました。 写真はうまく撮れているのですが、私の顔が変なのです。 前日の辺戸岬徒歩行で、炎天下を歩いたせいで、ぎんがり日焼けして、帽子のアジャスター穴の痕やら、眼鏡の蔓の痕やら、変な線が顔中に入っています。 やはり、夏場、外を歩く時は、全周に庇がある帽子でなければ、駄目だな。
運転手さん、写真を撮るのが大好きらしく、私の写真だけでは飽き足らず、他の観光客の写真まで、撮ってやっていました。 私が払った金で、時間契約している事など、打ち忘れている様子。 私は、まあ、いいんですがね。 しかし、貸切タクシーは、安くないですから、中には、契約外の事に時間を使うと、怒る客もいるでしょうな。 というか、私が、いかにも、怒りそうにない客だったから、そのくらいは、許容範囲と考えたのかもしれません。
この運転手さん、「ほんと、デジカメは便利」と繰り返していました。 おそらく、フィルム・カメラの頃から、お客の写真を撮ってやっていたのだと思いますが、フィルムだと、失敗した時、恨まれますから、デジカメ時代になって、気軽に撮れるようになったのは、ありがたかったのでしょう。 「後で、気に入ったのだけ、残せばいいですよ」と言っていましたが、なにせ、運転手さん、撮影がうまいので、写っている私の顔が気に入らなくても、消す気になりません。
それにしても、デジカメに慣れてしまうと、よくもまあ、フィルムなんて、不便な物を使っていたなと、そちらの方に驚いてしまいます。 その頃は、写真と言ったら、旅行か、イベント、冠婚葬祭の記念写真に決まっていて、必ず、家族や友人・知人の誰かが写っていなければならず、風景だけの写真なんか撮った日には、「金をドブに捨てた」となじられたものです。 そんな昔の話じゃないですよ。 デジカメが普及し始めてから、まだ、15年くらいしか経ってませんから。
≪ビオスの丘≫
本島中部の、うるま市にある、自然植物園です。 うるま市というのは、沖縄本島の一番くびれた所にある自治体で、太平洋側に開けているのですが、ビオスの丘は、山の中にあり、どちら側の海からも遠いです。 運転手さんの話では、ゆったりとした時間が過ごせるので、最近、人気が出て来て、お客が増えているとの事。
「ビオス」の意味ですが、ローマ字では、「BIOS」と書くものの、もちろん、「バイオス」と読むコンピューター用語ではないのであって、パンフによると、ギリシャ語で、「生命」や「命」の意味だそうです。 「生命と命は、同じではないか?」などというツッコミは、この際、どうでも宜しい。 話が先に進みませんからのう。
ここは、○△商事から送られて来た、クーポンがありました。 「入園料・湖水観賞舟セット」で、1230円。 先に言ってしまいますと、植物や昆虫に興味がなく、小さい子供がいるのでもなく、水牛車は他で乗った事があるというなら、あまり、お勧めではありません。 植物園というのは、動物園や水族館とは、はっきり違った施設でして、本質的に一般向けとは言えないのです。 ここの場合、何とか、一般の客に受けるために、工夫を凝らしていますが、工夫すればするほど、植物園の本分から離れてしまうジレンマが感じられます。
駐車場は一段高い所にあるので、入り口を入ってから、外が見えるエレベーターで、下へ下ります。 通路の至る所に、胡蝶蘭が花を咲かせています。 相当には手がかかっていると思うのですが、ちょっと多過ぎるのではないかと、感じないでもなし。 もっと、安い花でも、ウェルカム効果は、さほど変わりますまい。 本体部分は、基本的に森林でして、その中に、通路と池、芝生広場などを作ってあるという形。
一番の呼び物は、「湖水観賞舟」です。 艀みたいな本体の上に、ベンチを並べ、屋根をかけた、40人くらい乗れる舟で、川を堰き止めて作った池を巡り、船頭さんが、操船しながら、周囲の森の植物や、飛び交うトンボの種類を解説してくれます。 この船頭さん、大変な名調子なのですが、客の方に子供が多くて、勝手に騒ぎまくり、話の笑い所が伝わりません。 大人だけなら、大受けしたんですがね。 まったく、ガキというのは、どこへ行っても、迷惑で邪魔なだけです。
上流の端の広くなった所に、舟形の舞台があり、紅型に花笠の女性が現れて、琉球舞踊が披露されました。 これは、優雅な趣向ですな。 39年前、母が買って来た琉球人形そのものの世界。 さすが、本島と言うべきか。 この池では、NHKのドラマ、≪テンペスト≫の撮影も行なわれたのだとか。 現代的なものが映らないから、都合がよかったんでしょうな。
湖水観賞舟(上)/ 琉球舞踊(下)
肝心の、植物の説明ですが、かなりのボリュームだった記憶はあるのですが、私の方に、沖縄の植物の基本知識が欠如しているせいで、右の耳から左の耳に通り抜ける格好で、綺麗さっぱり、忘れてしまいました。 忘れたというより、記憶できなかったと言った方が、正しいか。 貰って来たパンフを見ると、様々な植物の写真が載っているのですが、一つも覚えていないから、怖くなるほどです。 やっぱり、植物園というのは、動物園や水族館とは違うのです。
琉球舞踊を見終わるなり、バラバラと雨が降り出しました。 みるみる強くなって、舟の客席に吹っかけて来ます。 船頭さんが、適当な場所で舟を止めて、長い棒の付いたハンドルを回し、舟の左右側面に、透明ビニールのカバーを下ろしました。 一人で全部やるのは、大変ですな。 しかし、こういう時は、いい子ぶって、手伝おうなどと考えず、任せておくのが一番。 使った事もない機械に、下手に手を出して、壊しでもしたら、却って迷惑というものです。
後は、船着場に戻って、終了。 乗船時間は、25分でした。 タクシーの運転手さんに訊いておいたところでは、ここの滞在時間は、大体、1時間くらいだとの事なので、園内の他の所を急いで見ようと焦りましたが、前日の徒歩行で痛めた右足の裏と左膝が邪魔をして、早く歩けません。 その上、雨が、なかなか、やまず、傘を借りて来なかったせいで、建物の軒下から出られないと来たもんだ。 自分の折り畳み傘も、旅行鞄に入れたまま、タクシーのトランクの中。 参ったな、こりゃ。
雨宿りしながら、パンフを詳細に見てみたところ、幸い、ここには、湖水観賞舟の他に、それほど見所がなさそうだという事が分かりました。 他に、一般受けするものというと、水牛車体験がありますが、私の場合、水牛車は、竹富島で乗ったから、もういいです。 それに、別料金だし。 ちなみに、780円。 安いのか高いのか分かりません。 水牛車は、乗るよりも、外から見た方が面白いという見解もあり。
その内、雨が上がったので、脚を引きずり引きずり、園内をざーっと見て回りました。 様々な形に刈り込まれた植木が、たくさんありました。 この園が、植物の維持に、大変な手間をかけているのは確かです。 水牛が二頭、柱と屋根だけの小屋の下で、蹲って休んでいました。 もう一頭いて、それは水牛車を牽いて、勤務中。 角が長いのと短いのがいますが、それが、年齢の差なのか、性別の違いなのかは分かりませんでした。
このビオスの丘、私的には、いまいちでしたが、もし、天気が良ければ、また少し、違った印象になったかもしれません。 小さな子供を含む家族連れで来て、半日くらい、のんびり過ごすのなら、自由に使えるスペースも多いので、いい所だと思います。 ただし、同じ子供連れでも、10歳を過ぎるくらいの年齢になってしまうと、芝生の上で遊ばせておけば済むというわけにもいかず、カヌーやら、オモチャ作りやら、いろんな体験コースをやりたがる恐れがあり、それぞれ別料金ですから、お金がいくらいあっても足りなくなってしまいそうです。
10時50分に、外へ。 その頃には、雨は、すっかり上がっていました。 タクシーに乗り、≪琉球村≫へ向かいます。 再び、恩納村に入り、国道58号線に出て、南下。 写真のデータを見ると、ビオスの丘から、琉球村まで、15分しかかかっていません。 すぐそこ、っちゅー距離ですな。
≪琉球村≫
本島中部の代表的な、民俗村です。 民俗村は、沖縄県全体だと、相当な数があるんじゃないでしょうか。 ここが予定に入っていたので、石垣島では、≪石垣やいま村≫を避けたかったのですが、まあ、行ってしまったものは、致し方ありませんな。 「では、タクシーの運転手さんと交渉して、こちらを外してもらえば?」と思うでしょうが、それは駄目なのです。 なぜなら、○△商事から送られて来た、クーポン券があるから。 しかも、1200円だっせ。 外せまっかいな。
基本的には、古民家を移築して、村のような形にし、それらの建物を利用して、各種体験や、アトラクションを行なっている所。 ≪石垣やいま村≫と比べると、コンテンツは、ダブっていますが、こちらの方が、規模が大きいです。 より、テーマ・バークっぽいというべきか。 やいま村で、随所に見られた、「素朴さ」は、こちらでは、全く感じられません。 それどころか、おそらく、沖縄県のみならず、日本全国の民俗村型テーマ・パークの中で、最も、観光地的純化が進んでいるのではないかと思われました。
運転手さんが、中までついて来てくれて、もはや、恒例となった写真撮影をしてくれた上に、見る順番について、簡単に説明してくれました。 これが、結構、重要な情報でして、滞在時間が限られている場合、効率的に見ないと、全部回れない事が、ままあります。 ところが、私は、「石垣やいま村と、似たようなものだろう」と、高を括っていたせいで、その説明を真剣に聞いておらず、後で、大幅な時間ロスをやらかす事になります。
運転手さんは、引き揚げる前に、「是非見せたい」と言って、「フール」の所へ連れて行ってくれました。 昔、屋敷内にあった、豚の飼育場の事で、石組みで区画されており、その中に、刈り落としたサトウキビの葉を入れておくと、豚の糞と混ざって、肥料になったのだそうです。 独特の匂いがして、今でも、中国からの輸入野菜に、同じ匂いがするものがあり、「中国では、今でも、同じ方式を使っている所があるのだろう」と言っていました。
運転手さんが引き揚げた後は、私一人で、あちこち、見て回ったのですが、考えなしに、テキトーに歩いたせいで、どんどん、先へ行ってしまい、気づいたら、出口の近くまで来ていました。 どこからでも戻れると思っていたら、順路が決まっていて、すぐそこに見えていても、さっき通った場所には、ショート・カットできないようになっているのです。 しまった・・・、ぬかったぜ。 まだ、「ハブ・ショー」も見ていないというのに!
健康な時なら、小走りに戻ればいいのですが、この時は、前日の、20キロ徒歩行のせいで、足を引きずっている有様でしたから、アップ・ダウンがある園内を戻るのが、きついきつい。 つくづく、地元の人のアドバイスは、真剣に聞いておくものだと思いました。 まして、相手は、観光地を知り尽くしたプロですから、意味もなく、説明などしないのですよ。 何か、説明されたら、必ず、それに従うようにした方が宜しい。
何とか、元の場所へ戻って、ハブ・ショーを行なう、ハブ・センターへ行きました。 これは、運転手さんが押していましたから、見ないわけにはいきません。 ちなみに、私は、蛇は、好きでも嫌いでもないです。 山を登っていて、蛇に遭遇した事が数回ありますが、大抵、蛇の方から逃げて行くので、感覚的に怖いと思った事はありません。 ただ、知識上、毒蛇に咬まれると、非常に面倒な事になると知っているので、警戒はしています。
ハブ・センターは、園内の山の上の方にあります。 センターと言っても、そんなに大きな建物ではなく、観客席は、20人くらいで満席になる規模。 立ち見を入れても、40人くらいが限界でしょうか。 特殊な琉装をした、そこそこ高齢の係の人が、お客の案内から、座り方の指示、ショーの進行まで、一人でこなしています。 「横からだと見え難いので、なるべく、正面に座ってください」と、何度も繰り返していましたが、そう言われても、観客席は横に広がっているわけで、立ち見してまで、正面には行き難いもの。 私が見た時には、ほぼ満席で、立ち見も何人かいました。
舞台の上には、最初から、ガラス・ケースに入った、ハブとマングースがいるのですが、今は、両者の決闘は、やっていないとの事。 そればかりか、ハブもマングースも、法律上、人前でケージから出してはいけない動物に指定されているらしく、ガラス・ケースから出される事は、一度もありませんでした。 その代わりに、他の蛇を使って、蛇の攻撃の仕方を実演していました。 つまりその、「ハブ・ショー」と言いながら、ハブは、名前を貸しているに過ぎず、出演しないのです。 楽だな、ハブ・・・。 マングースは、もっと楽そうで、ショーの間、丸くなって、寝ていました。
出演した蛇の種名を忘れてしまいましたが、舞台の隅に無造作に置かれた木箱に入っていて、係の人が棒で引っ掛けて、取り出し、床に下ろして、棒で刺激し、攻撃行動を引き出していました。 蛇は、動く物に反応するので、たとえ、睨み合いになっても、こちらが動きさえしなければ、大丈夫だとの話。 しかし、距離が近い場合、怖さで、耐えられなくなりそうな気がせんでもなし。
もう一匹、別の種類の蛇が取り出され、そちらは、棒に引っ掛けて、振り回されたり、お客に触られたり、お客の肩に載せて、記念写真を撮られたりと、かなり、ハードな任務をこなしていました。 これだけ働いても、自分の名前が、ショーに冠されないのですから、報われませんな。 また、お客が、蛇に、よく触りたがるんだわ。 物好きな。 無闇に怖がるのも愚かですが、毒がある動物に親しみ過ぎるのも、どうかと思います。 蛇の方も、あまり馴染まれても、迷惑でしょう。
フール(上)/ ハブ・ショー(下)
ショーの間、壁を挟んだ隣から、悲鳴が聞こえて来るので、何かと思っていたら、「隣が、お化け屋敷になっています」との説明がありました。 蛇より、人の悲鳴の方が、怖いわ。 今考えると、沖縄のお化け屋敷というのがどういうものなのか、ちょっと覗いてみれば良かったです。 文化が違えば、当然、お化けも違うに違いない。 でも、いい年した大人が、お化け屋敷というのは、ちと、無理か。 驚かす方も、どうしていいか、困るでしょうな。
ハブ・ショーは、15分で終了。 突然、便意に襲われ、トイレに入りましたが、お世辞にも広いトイレではなかったものの、和式だったので、手っ取り早く済ませられて、助かりました。 大急ぎで、見残した所を見て回り、運転手さんから勧められた、「サーター・アンダギー」を食べました。 小麦粉を練り、黒糖をまぶして揚げた菓子で、ドーナツみたいな歯応えです。 一つ、100円と、嬉しい値段。 しかも、お茶が付きます。 「ちんすこう」も、そうですが、沖縄には、飲み物がないと、口の中の水分が全て奪われてしまう菓子が多いようですな。
サーター・アンダギー(上)/ 民謡の演奏(下)
そうそう、お茶と言っても、沖縄で普通に飲まれているのは、「さんぴん茶」でして、これは、「ジャスミン・ティー」です。 ジャスミン・ティーは、「茉莉花茶」という名前で、中国で全国的に最も普及しているお茶ですが、別名、「香片茶」とも言い、その発音が、「シャンピエンチャー」なので、それが、「さんぴんちゃ」になったと思われます。 恐らく、沖縄にお茶が入った経路が、中国から直だったのでしょう。 そういや、本島のタクシーの運転手さんは、毎日、さんぴん茶の500ccペット・ボトルを買って来て、サービスしてくれました。
サーター・アンダギーをクリアして、民謡の演奏をしている、古民家へ。 石垣やいま村では、お客が少なくて、居心地がいまいちでしたが、ここでは、古民家に入りきれないくらい、お客がいました。 これだけ多ければ、手拍子のズレも、ごまかせるというもの。 私は、途中から来たので、三曲くらいしか聞けませんでしたが、最後の一曲は、「ハイサイおじさん」でした。 演奏と謡い手は、若い男性二人。 踊り手が、微妙な年齢の女性二人。 お客の人数が多いと、異様に盛り上がります。
演奏の合間の語りで、聞いたのですが、「めんそーれ」という言葉は、今では、まったく使わないようですな。 基本的に、こういう施設では、沖縄県外から来た人達を、お客に想定して、話をするわけですが、「めんそーれ」は、「こんにちは」ではなく、「ようこそ」という意味なので、「めんそーれ」と言われても、「めんそーれ」と返さないように、という話をした後、「今は、日常的には使いませんから」と付け足していました。
見終わったので、出口へ向かいます。 先に、間違えて、一度通っているので、もう間違えようがない。 途中、大きな建物の中にある、シーサーの工房を通りました。 そこは、シーサー作り体験ができる以外に、プロが作ったシーサーも売っていて、高いのは、一万円を超すような、立派な物もありました。 立派過ぎて、シーサーというより、唐獅子の置物ですな。 やはり、シーサーは、素朴でなければいけません。 270円くらいの。 もちろん、私が、宮古空港で、それを買ったから言うわけですが。
そうそう、琉球村には、水牛が二頭いました。 一頭は、サトウキビを搾る「砂糖車」を回し、もう一頭は、小屋で休んでいました。 これで、沖縄に来てから、水牛を見たのは、合計11頭になります。 どこかで、「沖縄には、今、水牛は、10頭しかいないらしい」という話を小耳に挟んだのですが、ありゃ、ガセ情報だったのかも知れませんな。 西表島にも、水牛車があるはずですが、私は行っておらず、そこの水牛を見ていないのに、すでに、11頭を数えているのですから。
外に出ると、運転手さんは、タクシー運転手用の休憩所で、仲間と話をしていました。 琉球村くらい大きい観光地になると、こういう休憩所も必要性が出てくるわけだ。 琉球村の中には、一時間以上いて、この時、すでに、12時半でした。 「昼食はどうしますか?」と訊かれたので、「一昨日食べたソーキそば以外で、何か、地元独特の食べ物はないですか?」と、訊いたら、「フー・チャンプルーは、どうですか?」との返事。 麩が入っている野菜炒めの事らしいです。 面白そうなので、それに決定し、お勧めの店へ行ってもらいました。 昼からは、≪首里城≫へ行くので、タクシーは、那覇方面へ向かいます。
≪フー・チャンプルー≫
運転手さんが連れて行ってくれたのは、北谷町にある、「美浜タウンリゾート アメリカン・ビレッジ」という所。 リゾートと言っても、意味が広いですが、ショッピング・モールを中心に、ボウリング場、シネコンなど、レジャー施設を集めた所です。 巨大な観覧車あり。 名前の通り、アメリカンなイメージの街並みになっていますが、これは、元、米軍基地があった場所だったから。
アメリカン・ビレッジ
アメリカンな所ではありますが、中に、沖縄料理店があり、そこへ、一人で入りました。 例によって、運転手さんは、弁当持ちなので、タクシーの中で食べます。 先に食券を買って、それを店員さんに渡す事で、注文した事になります。 この方式は、食べた後、店員さんがレジに来なくて済む点で、優れています。 配膳と片付けを一人で受け持っている場合、レジの応対があるとないとでは、大違いでしょう。 お金に触らなくて済むので、店員さんが手を清潔に保てて、お客にもメリットがあります。
店の中は、先客が数人程度で、空いていました。 すでに、午後1時を過ぎていたからでしょうな。 この店にも、カウンターがありましたが、そこは、いろいろな物が置かれて埋まっており、椅子は置かれていませんでした。 一見、カウンター席の方が回転が良さそうですが、一人客よりも、家族連れが多い店では、テーブル席の方が、使い易いのかもしれません。 空いていたので、四人掛けの席に座りました。 麺類なら、すぐに来るんですが、炒め物は、時間がかかるようで、5分以上待ったと思います。
具体的に、何という品目を頼んだのか忘れてしまいましたが、撮って来た写真を見ると、フー・チャンプルーの他に、御飯、味噌汁、おしんこがついているので、たぶん、セットか、定食だったのでしょう。 750円。 写真があるのに、出せないのは、食べる前に撮影するのを忘れていて、八割方食べてしまってから、撮った写真だからです。 しかも、室内撮影で暗い上に、焦りが出て、ボケボケ。 こんなの見せられませんわ。
フー・チャンプルー自体は、野菜炒めとは思えぬほど、ふわふわに柔らかくて、大変おいしかったです。 大衆向け料理店で、メイン・メニューになっている料理ですから、味に外れがないのは当然なのかもしれません。 直径20センチくらいの皿に、山盛りされていて、食べ応えも充分。 これで、御飯その他が付いて、750円は、安いですな。 かくして、また、満腹してしまい、私の腹は、出る一方なわけです。
≪沖縄出身芸能人の話≫
タクシーに戻って、首里城を目指します。 私は、この昼飯を食べた所を、那覇の近くだとばかり思っていたんですが、帰ってから調べてみたら、北谷町で、そこから那覇市までは、間に、宜野湾市と浦添市が挟まっており、遥かに離れていました。 街がくっついているから、分からんのですよ。
タクシーの中で、話を聞いたんですが、仲間由紀恵さんの出身地は、浦添市なのだそうです。 お父さんは、宮古島の漁師だったとの事。 運転手さん、バラエティー番組が好きで、ドラマをほとんど見ないので、≪テンペスト≫も、見ていなかったのだとか。 お客との共通の話題になるのに、全国放送した琉球物のドラマを見ていなかったというのは、ちと、勿体ない気もしますが、考えてみると、ドラマを見慣れていない人には、歴史物は、苦痛かも知れませんなあ。
仲間さんについて、「色気があまりないから、人気が持続しているのだ」という説を述べていましたが、そう言われてみれば、「なるほど」と思われました。 例として、吉永小百合さんを挙げられて、ますます、「なるほど」と思いましたっけ。 女優さんは、なまじ、色気があり過ぎると、歳が行った時、崩れた感じになってしまうのですが、清純な雰囲気なら、それを避けられるから、人気が長続きするというわけですな。 理に適っている。
宜野湾市で、さりげなく、「沖縄アクターズ・スクール」の前を通り、「あれがそうですよ」と言われて、「ああ、かの有名な・・・」と思いながら見ました。 まあ、外観は、普通のビルなんですがね。 運転手さん、バラエティー番組が好きなだけでなく、歌手系の芸能人にも興味があるようで、錚々たる名前が、ポンポン出て来ます。 「安室奈美恵、MAX、SPEED・・・」、そう言われてみれば、みんな沖縄県なんですねえ。
運転手さんの話では、とりわけ、安室奈美恵さんの功績は大きいそうで、あの人が、ブレークして以降、沖縄出身の歌手やアイドルが、続々と全国区へ売り出して行ったのだそうです。 私も、あまり、音楽には興味がないものの、いい歳ですから、一応、その流れは記憶に残っていて、「なるほど、なるほど」と、相槌を打ち捲りました。 そういや、「アムラー」という流行語までありましたなあ。 今でも、地元では、厳然とした人気を保っているのだそうです。
そうそう、ロックの話も出ました。 ロックも、米軍基地の影響で、沖縄の方が、日本より早く浸透し、日本でグループ・サウンズが持て囃されていた頃、本格的なロック・バンドが存在したのは、沖縄だけだったとの事。 基地の街で、アメリカ兵相手に演奏するので、下手だと、物が飛んできたりして、否が応でも実力が磨かれたのだそうです。
他にも、お笑い芸人の話とか、スポーツ選手の話とか、いろいろ出ましたが、私の方が、そちらの世界に疎いので、ごくごく一般的レベルで、相槌を打つに留まりました。 タクシーの運転手さんというのは、何でも知っていないと、勤まらないんですねえ。 客と長時間付き合わなければならない、貸切観光タクシーでは、尚の事。
≪首里城≫
午後2時10分頃、首里城に到着。 自治体は那覇市ですが、あるのは、山の方です。 巨大な駐車場あり。 地下一階と地下二階の、立体式のようでしたが、初めて行った私には、どこがどこやら、分かりませんでした。 首里城のクーポンは持っていたのですが、駐車場は、別料金だそうで、「出る時に、320円払う事になります」と、運転手さんに念を押されました。 最初、ピンと来ませんでしたが、こういう場合、駐車場料金は、客が払うんですな。
駐車場から、入って行くと、最初にぶつかるのが、「守礼門」です。 私の母が39年前に来た時には、すでに復元されて、存在していましたが、母は、「守礼門は見た。 でも、首里城には行かなかった」などと、わけの分からん事を言っています。 「守礼門は、首里城内にあるんだ」と言ったら、目を丸くして驚いていましたっけ。 守礼門まで来て、首里城を見ていないわけがないのですが、当時はまだ、正殿が復元されていなかったので、崩れた城壁しかなくて、記憶に残っていないのでしょう。
で、守礼門ですが、意外なくらい、綺麗でした。 綺麗すぎると言っても、過言ではない。 戦災で焼けて、復元されたのは、1958年だそうですが、沖縄海洋博の時の写真では、もっと、古色が出ていたような記憶があります。 その後、定期的に塗り直しをするようにしたのかもしれませんな。 琉装をした女性がいて、有料で記念撮影ができるようになっていますが、ケチな私は、当然、パス。 運転手さんに、私だけが入った写真を撮ってもらって、済ませました。 39年前にも、この琉装の記念撮影はやっていたらしく、母は、その事だけ、ぎんがり覚えていました。
守礼門
近くに、「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」あり。 運転手さんが、「世界遺産ですよ」というので、わけも分からぬまま、写真を撮ってもらいましたが、帰って来てから調べたところでは、門の形をした礼拝所だそうです。 この時の写真、運転手さんには珍しく、失敗していて、門の屋根が切れてしまっています。 自分では撮らなかったので、その一枚しかないのですが、世界遺産に限って、失敗とは、皮肉な話。
「歓会門」を潜って、城壁の中へ。 城壁は、表面が平らな石を隙間なく積んだ、見事なもので、優美な曲線を描いています。 戦う為の城ではなく、王朝の中心としての象徴的な意味が表現されているのでしょう。 「石垣」というより、「城壁」と言った方が、ぴったり来ます。 ただし、この城壁は、かなりの部分が、戦災で破壊されてしまい、今見られるのは、近年になって、復元されたものです。 城壁を、よく見ると、下の方と、上の方で、石の色や形が違うのが分かります。 元の城壁は、主要部分を除いて、今ほど、綺麗な積み方をしていたわけではない様子。 この、「遺構石積み」と「復元石積み」の境目は、城壁の随所に、小さなプレートで、標示してありました。
優美な城壁(上)/ 遺構石積みと復元石積みの境界(下)
竜宮城風の門を、いくつか潜り、正殿の方へ。 「龍樋(りゅうひ)」とか、「首里森御嶽(すいむいうたき)」とかも、写真を撮って来ていますが、細かい事を書き出すときりがないので、詳しい事を知りたい方は、首里城のサイトを見て下さい。 もっとも、現地に行かないと、ピンと来ない事は、極めて多いのですが・・・。 歴史的遺構というのは、行く前に予習し、実際に行き、帰って来てから復習するくらいでないと、真価が分かりませんな。
首里城には、有料区画と無料区画があるのですが、どこで、クーポンをチケットに換えてもらったのか、忘れてしまいました。 写真を見ると、正殿に至る途中で、すでに、チケットを手に持っているので、駐車場を出た後、すぐの所に、切符売り場があったのかもしれません。 ちなみに、払うのは、正殿の内部と、南殿・北殿の中の資料館を見るための、入館料でして、820円です。 チケットをもぎられた場所も失念。 名目が、「入館料」なので、たぶん、南殿の資料館に入る所で、もぎられたのだと思います。
正殿前の広場を、「御庭(うなー)」と言いますが、ここに一歩入り込むと、別世界が広がっています。 赤と白のファンタジック・ワールドですな。 これは、凄い。 テレビで見ても、凄いですが、現地で、中に立ってみると、より凄い。 これが、王朝の華やかさなんですねえ。 実質的な「砦」である日本の城とは全く違っていて、「首里城」とはいうものの、ここは、王の居館であり、政庁なんですな。
首里城正殿
城を復元すると、郷土意識が高まると言いますが、その点、首里城の復元は、日本の城の比ではなかったでしょうなあ。 世界遺産の箔がつけば、尚の事。 もし、私が、琉球王国民の子孫だったとして、復元された首里城を見たら、胸がいっぱいになって、言葉にならなかったでしょう。 ここの華麗さには、そのくらい、強烈なインパクトがあります。 この城自体が、琉球文化を具現していると言ってもいいでしょう。
運転手さんは、ここまで案内して、写真を撮ってくれて、南殿から資料館に入る事を説明して、引き揚げていきました。 ちなみに、タクシーの運転手さん達は、観光地は、顔パス、無料で入って来れます。 その点は、どこでも、例外がありませんでした。 そりゃそうだわな。 運転手さんから、金取ってたら、お客を連れて来てくれなくなっちゃうものねえ。
ところで、私が、首里城で感動したのは、ここまでです。 この後、急転直下、印象が悪くなります。 なんと、南殿資料館、及び、正殿内部が、土禁だったんですな。 ここへ来て、まさかの土禁! 南殿の入り口で、袋を配っていて、靴を脱いで、その中に入れて、出口まで持って行けと、そういう無体な事を言うのですよ。 いや、靴を持って歩くのが嫌なのではなく、誰が歩いたか分からん所を、靴下で歩くのが嫌なのです。 まったく、不思議でならないのですが、水虫をうつされるのが、怖くないんですかね?
また、入場者がうじゃうじゃと、いるんだわ。 一日に、何千人入っているか分からない。 掃除はしていても、除菌はしていないでしょうし、次から次に、客が来るのでは、除菌なんか、いくらしたって追いつきません。 靴を脱げというなら、靴を入れる袋だけでなく、警察の鑑識が屋内の現場で履くような、ビニールの足袋も配って欲しいものです。
それだけでも不快なのに、南殿資料館内と正殿内部は、区画によって、撮影可と撮影禁止の所が交互に存在し、いちいち確認せねばならず、面倒臭い事この上なかったです。 いっそ、全面撮影禁止にしてくれた方が、気を使わなくて済むから、ずーっと、ありがたいです。 撮影禁止の展示品は、資料館の方に集め、正殿内部には、レプリカを置いて、撮影可にすればいいんじゃないですか? こんなに複雑にしている理由が分からん。
一般論ですが、観光地で、何が腹が立つといって、撮影した後で、係員に、それを咎められるのが、一番、癇に触ります。 どこかに注意書きがあるのかと思ったら、部屋の出口近くに貼ってあったりします。 そんな所、部屋を出る時にしか見ないわ! 自分達は、毎日そこにいるから、注意書きがある事を承知しているんでしょうが、客の方に、それを察しろというのは、無茶というものでしょう。 部屋の入口か、建物の入口に、等身大くらいの看板を立てて、デカデカ、「撮影禁止!」と標示しておけば、誰も撮りませんよ。
そもそも、そんなに撮られるのが嫌なら、観光施設など、やめてしまえばいいのです。 光が差し込まない倉庫でも作って、厳重に保管し、誰も近づけないようにすれば、心安く、枕を高くして眠れるというもの。 博物館や資料館で、「紙の資料が傷むから、撮影禁止」というのは、一見、理屈が通っているように見えますが、それなら、「フラッシュ禁止」にすればいいのであって、デジカメは、フラッシュなしでも撮れますから、問題ないはず。 頭ん中が、フィルム時代で停まってんのよ。 話にならん。
首里城の話に戻りますが、係員が多過ぎるのも、どうかと思います。 琉球王府の役人の姿をした係員が、あちこちに立っていて、本物の役人以上に、役人的オーラを発散しているのです。 店員が多過ぎる家電量販店は、遠からず潰れると相場が決まっていますが、係員が多いのも、それと似た異様な雰囲気があります。 なんだろねえ? 窃盗や、器物損壊を見張っているつもりなんですかね? お金を払って入場しているのに、監視されているのは、気分がいいもんじゃありませんな。 自分達が、他の観光地へ行って、同じような扱いをされてみればいいのです。 どれだけ、不快なものか、分かるから。
せっかく、復元したのだから、大事に保存しようという気持ちは分かりますが、それならば、マジな話、内部を見せるのは、やめた方がいいと思います。 内部が見れないからといって、怒る客はいません。 古寺名刹の秘仏や、正倉院の中が見れないといって、怒る人間がいないのと同じ事です。 「そういうものか」と思って、外だけ見て、満足して帰ります。 中に入れてから、不快な思いをさせるより、入れないで、いい印象のまま帰らせる方が、ずっといいです。
で、中ですが、南殿資料館の方は、ほとんど、記憶に残っていません。 なにせ、撮影禁止なので、写真がなく、記憶の復元ができんのですな。 何があったか、綺麗さっぱり忘れてしまいました。 南殿は、外見は木造建築ですが、中身は、もろ、現代建築でして、「往時の姿を忠実に復元してある」と思って中に入ると、幻滅します。 それにつけても、資料館の中を、靴下で歩く奇妙さよ。
一方、本殿の方は、純木造でして、これは、大変なものです。 どれだけ、お金がかかったか、想像もつかない。 三階建てで、正面側の一階に、玉座があります。 この辺は、中国風で、北京の紫禁城をシンプルにしたような感じ。 奥の方も入れますが、そちらは畳敷きで、日本建築と同じような雰囲気です。 庭園あり。 石組みと蘇鉄の枯山水で、松もありますが、大きくはありません。 あまりにもシンプル過ぎるので、昔は、もっと大きな樹木があったのではないかと思われます。
一階の床にガラスが嵌まっていて、地下が見れますが、そこに、元々あった、正殿の基礎部分の石垣が保存されていて、それが、世界遺産になっているとの事。 正殿そのものは、復元なので、世界遺産ではないです。 基礎が見えるという事は、この復元された正殿は、元々の基礎の上に載っているのではないという事でして、説明板によると、70センチ嵩上げされているのだそうです。 柱の配置なども、変えてあるんですかね?
なんだか、どんどん、ロマンが壊れて行くようですが、復元した建物が、元の建物と、そっくり同じでないのは、首里城に限った事ではなく、防火対策だけとって見てみても、昔と同じ物を作る事はできません。 大抵の復元木造家屋は、「似せ物」なのです。 それでも、鉄筋コンクリート、エレベーター付きの、「ビル城」よりは、千倍マシというもの。 ビル城がある町の人には、酷な言い方ですが、ビル城は、城ではありません。 あれは、ビルです。 歴史的遺構としての価値は、ゼロ。 いや、むしろ、城跡を汚す、マイナス価値があると見るべきでしょう。 あんなもの、時代劇の撮影にすら使えないのですから、撤去しておしまいなさい。
また、首里城に話を戻しますが、元々あった首里城が戦災で焼けたのは、日本軍が、地下壕を掘って、総司令部を置いていたからです。 馬鹿な事をしやがって。 どうせ地下に作るなら、司令部なんて、どこだってよかったものを。 なんで、攻撃目標になると分かっていて、国宝の下に作るかな? 元々の建物が残っていれば、もっと素晴らしかったのに。
正殿から出ると、土禁は終わりますが、どういうわけか、出口で、靴を入れていたビニール袋を、回収していました。 どうせ、使い回せないのに、なぜ回収するのか、理由が分かりません。 その場で捨てる奴がいて、正殿前の広場に舞ったりすると、美観を損なうからでしょうか。 袋に龍の絵がプリントしてあったので、記念に写真を撮っていたら、係のおばさんに、ふんだくるように取り上げられました。 一体、なんなんだ? 客を憎んでいるのか?
北殿は、靴で入れます。 南殿同様、外観は木造ですが、中は、やはり、現代建築で、首里城の歴史や構造、往時の生活などを説明するパネルが、展示されています。 時間があれば、全部読みたかったのですが、タクシーが待っているので、写真だけ撮って来ました。 城壁の外に出ると、那覇の街並みが、よく見えます。 海まで見える。 王城を構えるには、絶好のポイントですな。 入る時に通ったのとは別の門をいくつか潜り、駐車場の方に下って行きます。
駐車場の入り方が分からなくなり、少し、ロストしましたが、何とか、タクシーに辿り着きました。 ここで、2時45分。 この後、ホテルまで送ってもらわなければならないというのに、タクシーの契約は、3時までで、青くなりました。 しかし、この運転手さんは、個人タクシーだったせいか、時間には、融通が利くようで、何も言わず、送ってくれました。 それどころか、次の日は、30分くらい早く出発してもいいと言います。 宜野湾市に住んでいるのですが、那覇に向かう場合、渋滞を見越して、一時間くらい、ゆとりをもって出て来るから、早い分には構わないとの事。 うーむ、この人、大物だな。
3時15分くらいに、那覇市街のど真ん中、「国際通り」に面したホテルに到着。 運転手さんは、翌朝迎えに来る場所を教え、暗くなる前に、国際通りを見て来るように勧めて、帰って行きました。 国際通りと交差している市場についても、曲がる場所を説明してくれましたが、それは、後々、役に立つ知識でした。 「地元の人が教えてくれる事は、細大漏らさず、覚えておいた方が、得になる」という事を、遅れ馳せながら、学んだ次第。
このホテルは、街の中心部にあるので、リゾート・ホテルではないのですが、さりとて、ビジネス・ホテルというわけでもなく、宿泊客は、ほとんどが、観光客でした。 朝夕のエレベーターが、旅行トランクを持った人間で満杯になってしまうから、それと分かります。 今まで泊まったホテルの中では、最もロビーが広く、フロントの雰囲気も、高級ホテルのようでした。 本当に、高級ホテルだったのかもしれません。 部屋は、4階で、やはり、ツイン。 部屋も、新しい上に、高級感あり。 しかし、エアコンが、配管式で、冷えが悪く、22℃まで設定を落とさなければなりませんでした。 除湿機能は、なし。
≪国際通り≫
運転手さんの勧めに従い、部屋に荷物を置くと、すぐに、外出しました。 本来なら、キーをフロントに預けるところですが、チェック・インしたばかりなので、面倒になり、キーが小さかったのをいい事に、ウエスト・バックの中に入れて、出てしまいました。 ちなみに、このホテルの部屋は、ドアを入った所に、キーを挿す器具がついていて、それを抜くと、部屋の電気が停まるシステムでした。 夜は真っ暗になってしまうので、ちと、不便。 何でも、電子化すれば便利になる、というわけでもないんですな。
タクシーに乗っている時、私が、「那覇は、凄い都会で、びっくりしました」と言ったら、「国際通りは、もっと凄いですよ」と言われ、どんだけ凄いのかと思っていたら、本当に凄かったです。 何と言いますか、一口で言うと、土産物街なんですが、それが、延々と続いているのですよ。 約1マイル、1.6キロも。 道の両側に並んでいる店が、ほぼ全て、土産物店か、飲食店のどちらか。
国際通り
蔡温橋を渡り、モノレールの下を潜り、運転手さんに教えられた通り、ドン・キホーテまで行って、そこから、交差している市場の通りに入りましたが、そこも、ずーーーーっと、土産物店ばかり。 帰りは、もう一本の市場を通って、国際通りに戻ったのですが、そちらも、ずーーーーーっと、土産物店でした。 これだけ、同業者が軒を並べていて、共倒れしないという事は、つまり、それだけの数、観光客が来るという事なのでしょう。 こんな所は、他にはないのでは?
市場
土産物店ばかりで、普通の商店街にあるような、普通の店はありません。 百円ショップとか、ファースト・フード店とかも、ないようです。 そうか、ドンキはあったな。 いや、ドンキは普通の店ではないか。 市場の奥の方に、唯一、ドラッグ・ストアがあったので、除菌ティッシュを買いました。 我ながら、「名立たる土産物街で、なぜ、こんな物を買わねばならんのか」と思わんでもなし。 でも、必要なのです。
一度、ホテルの前まで、戻ったのですが、「やはり、ここで何か、土産を買っておいた方がいいな」と思い直し、一番近い店まで戻って、「沖縄そば」を買いました。 四人分、スープ付きの半生タイプで、1080円。 店で食べたのが、おいしかったので、両親にも食べさせてやろうという魂胆。
ホテルに戻って、まだ、5時くらい。 除菌ティッシュで、靴の中を浄化しました。 首里城の土禁の後始末です。 冗談じゃないです。 楽しみに来ているはずの旅行先で、水虫をうつされたりした日には、洒落になりません。 ティッシュだけでは心許ないので、ホテルのエレベーターの前に、除菌アルコールのボトルがあったのを思い出し、タオルにたっぷり湿して来て、もう一度、拭きました。 靴下と足は、洗ってしまうから、問題なし。
そういう事を気にしない人には、異様な光景に見えるでしょうが、私に言わせれば、努力すれば防げる感染なのに、努力を怠るのは、救いようもなく愚かに見えます。 うつされてから、毎日毎日、薬を塗り続ける手間に比べたら、この程度の防御努力など、なにほどのものか。
幸喜のホテルには、フロントの横に、公衆電話があったのですが、このホテルにはなくて、また、探し回る事になりました。 フロントで訊けば、あったのかもしれませんが、何となく気後れして、訊けませんでした。 外まで出て、国際通りをうろつきましたが、結局、見つけられず、「明日、那覇空港へ行ってから、かければいい」と思って、諦めました。 ホテルに戻って、夕食へ。
≪四川料理≫
このホテルの夕食は、和・洋・中のレストランが、ホテル内にあり、そのどれかを選んで、自分で行く方式でした。 和食は、どこへ行っても同じですし、洋食は、テーブル・マナーに不安があります。 というわけで、一番、無難な、中華の、四川料理の店へ行きました。 名前は、「四川飯店」・・・。 だからよー、「飯店」というのは、「ホテル」の事なんだよ。 ホテルの中に、「四川ホテル」があったら、おかしいだろ? ・・・などというツッコミは、この際どうでも宜しいのであって、沖縄旅行最後の夕食を、何とか、乗り切らなければなりません。
夕食券を見せると、すぐに、席に案内されました。 メニューは、もう決まっているようです。 ドリンクが選べたので、コーラにしました。 料理は、コース式で、少しずつ出て来ました。 前菜が、辛い野菜とアサリの蒸し物。 続いて、白身魚の揚げ物。 蒸篭に入ったシューマイ。 鶏の唐揚げ。 コーン入りのスープ。 デザートが杏仁豆腐。 コーラはすぐに飲んでしまったので、お茶を勧められ、それも貰いました。
正直な感想、この料理は、私には、うま過ぎでした。 舌に毒です。 コーン入りのスープですが、ああいうのを、本物のスープと言うんですねえ。 トロ味があって、実にうまい。 シューマイのタレも、恐ろしく繊細な味で、文字通り、舌を巻きました。 シューマイは、大き目のが、たった一個だったのですが、それで充分と思わせる、見事な味でした。 もしかしたら、私が一生に間に食べた、最もうまい料理になるかもしれません。 ああ、退職して、沖縄旅行に来れて、良かったなあ。
ただ、コース式だったので、食べ始めの頃、次の料理が来るまでに、時間がかかったのには、参りました。 どうせ、一人客で、連れと会話を楽しんでいるわけでもないのだから、出来た端から持って来てくれればいいのに。 途中からは、それが分かったのか、どんどん来るようになりましたが。
≪ホテルの夜≫
洗濯は、夕食前に済ませてしまったので、この夜は、ゆとりがありました。 テレビは、BSも含めて、全チャンネル映りましたが、見たくなるような番組はありませんでした。 御当地CMの方が面白いくらい。 沖縄県は、御当地CMが、結構あって、琉球文化を前面に出した、特徴的なものが多かったです。 本当の意味での、文化遺産とは、こういうのを指すのではありますまいか。
このホテルの寝巻きは、浴衣ではなく、膝上くらいの丈で、前をボタンで留める方式の物でした。 そういや、宮古島のホテルも、同じタイプでした。 帯を使わないで済む分、こちらの方が、浴衣より優れていると思います。 しかし、このタイプであっても、トイレに行く時には、裾の扱いに苦労します。 面倒なので、脱いでから、行くようにしていました。 さりとて、パジャマにすると、ズボンの方が、衛生上、問題が出そうだし、痛し痒しですな。
沖縄旅行、最後の夜ですが、旅行中、いい事も悪い事もあったので、さしたる感慨はありませんでした。 天気予報によると、次の台風が近づいています。 台風と共に来て、台風と共に去る事になるのか・・・。 翌日の帰りの飛行機が、飛ぶのかどうか心配になりました。 まあ、航空会社が、宿泊代を出してくれるのなら、一日くらい、帰りが遅くなってもいいんですがね。
≪九日目、まとめ≫
またまた、長くなりましたなあ。 たった一日で、こんなに、いろいろな事が、起こるものですかね? 今現在、私は、何もせずに、暮らしていますが、一日なんて、寝ているだけで過ぎてしまいます。 同じ人間の同じ一日とは、とても思えない。 この落差は、なんなんすかね?
この日、一番印象に残ったのは、良くも悪くも、首里城です。 確かに、沖縄旅行中、最大のイベントになったのは事実。 一級の観光地だとは思いますが、潔癖症の方は、土禁対策をして行った方がいいです。 あまり期待していなかったのに、結果、良かったのは、琉球村ですな。 時間があれば、もっと楽しめた事でしょう。 ビオスの丘と、万座毛は、私には、いまいちと言う感じでした。 文句なしに驚いたのは、国際通り。 食べ物は、みんな、おいしくて、サーター・アンダギー、フー・チャンプルー、四川料理と、ヒットが連発しました。
いよいよ、残りは一日です。 私としては、とにかく、この長過ぎる旅行記が、あと一回で書き終わるというのが、嬉しいです。 ・・・でも、旅行記を書き終えたら、沖縄旅行の事を、どんどん忘れて行ってしまうのだろうなあ・・・。
≪ホテルの朝≫
前の晩に洗濯したズボンは、辛うじて乾きました。 ズボンが乾くくらいですから、他のシャツ・下着類も、もちろん、乾いたわけですが、沖縄旅行では、着替えを、3着でローテーションしていたので、残り二日となると、そちらの方は、もう、出番がありません。 それが分かっていても、一応洗ったのは、第一には、旅行中、ホテルに戻って来たら洗濯するのが習慣になってしまっていたから。 第二には、汚れ物を入れる大きな袋が確保できなかったからです。 コンビニのレジ袋では、シャツまで入れるのはきつい。 もちろん、これらは、家に帰ったら、洗濯機で洗濯し直します。
バイキングも、同じホテルで、6回目となると、もはや、何の感動もなし。 ただし、量だけは、相変わらず、食べられる限界まで取ってしまいます。 この朝も、満腹。 結局、最後の最後まで、デザートのアイス・クリームは食べられませんでした。 毎回、満腹しているのですから、太るわけで、この旅行中に、自分でも怖くなるくらい、腹が突き出て来ました。 人間、腹八分目と適度な運動が、いかに大切かが分かり始めたのは、この頃です。
○△商事が送って来た書類の中に、各ホテルのパンフがあり、それも、旅行に持って来ていたのですが、この朝、少し時間があったので、見てみたところ、どのホテルも、相当な羊頭狗肉をかましている事が分かって、思わず、こめかみに汗が流れました。 このホテルも、パンフに、「スタンダード・ツイン」の写真が載っていたのですが、私が泊まっていたツインと比べると、ずっと、高級なのです。 つまり、「標準」より低い部屋が存在するという事ですな。 乗り物の席では、「一般」や「普通」が最低クラスですが、ホテルの「標準」というのは、言葉通りの意味で、標準なわけだ。
≪貸切タクシー≫
契約は、午前9時からなので、荷造りして、忘れ物がないかチェックし、8時45分には、ロビーへ下りました。 ケヅメリクガメの「のんちゃん」は、この朝も起きていました。 ケージの底に敷いてあった砂が取り除かれ、ガラスの底の上に直截乗っています。 たぶん、砂を洗っているんでしょうなあ。 写真を撮ってから、フロントへ。 チェック・アウトは何の問題もなし。
外に出ると、もう、タクシーが待っていました。 前々日に乗ったのと、同じタクシー、同じ運転手さんです。 すぐに乗って、出発。 「昨日は、何をしていたのか?」と訊かれたので、辺戸岬へ行き、辺土名から、20キロ歩いたと言うと、呆れ返ったような口調で、「呼んでくれれば良かったのに」と言われました。 いやあ、私も、そうは思ったんですがね。 だけど、○万円でしょう? 自腹で、そんなに使えませんよ。
この運転手さんとは、前々日に、さんざん話をしたので、もはや、話題が尽きたかと心配していたのですが、そこそこなお歳のせいか、一度喋った事を、程よく忘れていて、同じ話を繰り返してくれたので、大いに助かりました。 もちろん、「それは、もう聞きました」などという、失礼且つ余計な合いの手は入れません。 もっとも、私の方も、若くはないのであって、一度喋った事を忘れて、リピートをかけていた可能性があり、どっちもどっちだったのかも知れませんが。
≪万座毛≫
58号線を南下。 運転手さん、話に夢中で、忘れてしまうのではないかと恐れていたのですが、ちゃんと、≪万座毛≫へ行ってくれました。 ここは、恩納村で、もはや、本島の中部に入ります。 ホテルがあった幸喜が、名護市の南端に近かったので、万座毛は、すぐ近くです。 駐車場を挟むようにして、大きな売店あり。 まだ、朝だというのに、結構な賑わいでした。 運転手さんが、知り合いのタクシー運転手に会って、笑いながら、
「久しぶりー。 なーに、タクシー、やめたって聞いたよー」
「いやー。 なかなかやめられないよー」
という会話を交わしていました。 ところが、後で聞いたら、この会話、冗談だったそうで、沖縄本島のタクシー運転手の間で、久しぶりに会った時に使う、「決まり文句のようなもの」なのだそうです。 これには、「はっ!」としました。 つまり、沖縄には、「ジョークの文化」があるわけですな。 ジョークの文化がない地域の人間が聞くと、真面目な話としか思えないわけで、少なからぬカルチャー・ショックを受けました。
それはさておき、万座毛です。 「まんざもう」と読みます。 運転手さんの説明では、「毛」というのは、「平らで広い土地の事」で、昔、琉球王がここに来て、「一万人が座れるくらい広い」というので、この名を付けたのだとか。 万座毛と聞くと、断崖の、象の鼻のように見える海食洞穴を連想しますが、この名前が指しているのは、岩ではなく、その上に広がる平地の事だったんですな。 知らなかった。
平地は、一面、芝生で覆われており、木がないので、確かに広々しています。 ただ、それだけでは、ただの芝生広場なので、景勝地として見る場合、やはり、象の鼻の岩へ目が行ってしまいます。 正直な感想、宮古島の「砂山ビーチ」と比べると、岩の下に砂浜がない分、こちらの方が、少し趣きに欠けます。 「万座ビーチ」という名の砂浜がありますが、あれは、湾を挟んだ対岸にある、全く別の場所でして、万座毛から見える事は見えるものの、かなり遠いです。 映画でよく見る、≪万座ビーチ・リゾート・ホテル≫の、特徴的な姿も望めます。
ここでも、運転手さんが、写真を撮ってくれましたが、帰って来てから、大きくしてみてみたら、変な顔ばかりで、参りました。 写真はうまく撮れているのですが、私の顔が変なのです。 前日の辺戸岬徒歩行で、炎天下を歩いたせいで、ぎんがり日焼けして、帽子のアジャスター穴の痕やら、眼鏡の蔓の痕やら、変な線が顔中に入っています。 やはり、夏場、外を歩く時は、全周に庇がある帽子でなければ、駄目だな。
運転手さん、写真を撮るのが大好きらしく、私の写真だけでは飽き足らず、他の観光客の写真まで、撮ってやっていました。 私が払った金で、時間契約している事など、打ち忘れている様子。 私は、まあ、いいんですがね。 しかし、貸切タクシーは、安くないですから、中には、契約外の事に時間を使うと、怒る客もいるでしょうな。 というか、私が、いかにも、怒りそうにない客だったから、そのくらいは、許容範囲と考えたのかもしれません。
この運転手さん、「ほんと、デジカメは便利」と繰り返していました。 おそらく、フィルム・カメラの頃から、お客の写真を撮ってやっていたのだと思いますが、フィルムだと、失敗した時、恨まれますから、デジカメ時代になって、気軽に撮れるようになったのは、ありがたかったのでしょう。 「後で、気に入ったのだけ、残せばいいですよ」と言っていましたが、なにせ、運転手さん、撮影がうまいので、写っている私の顔が気に入らなくても、消す気になりません。
それにしても、デジカメに慣れてしまうと、よくもまあ、フィルムなんて、不便な物を使っていたなと、そちらの方に驚いてしまいます。 その頃は、写真と言ったら、旅行か、イベント、冠婚葬祭の記念写真に決まっていて、必ず、家族や友人・知人の誰かが写っていなければならず、風景だけの写真なんか撮った日には、「金をドブに捨てた」となじられたものです。 そんな昔の話じゃないですよ。 デジカメが普及し始めてから、まだ、15年くらいしか経ってませんから。
≪ビオスの丘≫
本島中部の、うるま市にある、自然植物園です。 うるま市というのは、沖縄本島の一番くびれた所にある自治体で、太平洋側に開けているのですが、ビオスの丘は、山の中にあり、どちら側の海からも遠いです。 運転手さんの話では、ゆったりとした時間が過ごせるので、最近、人気が出て来て、お客が増えているとの事。
「ビオス」の意味ですが、ローマ字では、「BIOS」と書くものの、もちろん、「バイオス」と読むコンピューター用語ではないのであって、パンフによると、ギリシャ語で、「生命」や「命」の意味だそうです。 「生命と命は、同じではないか?」などというツッコミは、この際、どうでも宜しい。 話が先に進みませんからのう。
ここは、○△商事から送られて来た、クーポンがありました。 「入園料・湖水観賞舟セット」で、1230円。 先に言ってしまいますと、植物や昆虫に興味がなく、小さい子供がいるのでもなく、水牛車は他で乗った事があるというなら、あまり、お勧めではありません。 植物園というのは、動物園や水族館とは、はっきり違った施設でして、本質的に一般向けとは言えないのです。 ここの場合、何とか、一般の客に受けるために、工夫を凝らしていますが、工夫すればするほど、植物園の本分から離れてしまうジレンマが感じられます。
駐車場は一段高い所にあるので、入り口を入ってから、外が見えるエレベーターで、下へ下ります。 通路の至る所に、胡蝶蘭が花を咲かせています。 相当には手がかかっていると思うのですが、ちょっと多過ぎるのではないかと、感じないでもなし。 もっと、安い花でも、ウェルカム効果は、さほど変わりますまい。 本体部分は、基本的に森林でして、その中に、通路と池、芝生広場などを作ってあるという形。
一番の呼び物は、「湖水観賞舟」です。 艀みたいな本体の上に、ベンチを並べ、屋根をかけた、40人くらい乗れる舟で、川を堰き止めて作った池を巡り、船頭さんが、操船しながら、周囲の森の植物や、飛び交うトンボの種類を解説してくれます。 この船頭さん、大変な名調子なのですが、客の方に子供が多くて、勝手に騒ぎまくり、話の笑い所が伝わりません。 大人だけなら、大受けしたんですがね。 まったく、ガキというのは、どこへ行っても、迷惑で邪魔なだけです。
上流の端の広くなった所に、舟形の舞台があり、紅型に花笠の女性が現れて、琉球舞踊が披露されました。 これは、優雅な趣向ですな。 39年前、母が買って来た琉球人形そのものの世界。 さすが、本島と言うべきか。 この池では、NHKのドラマ、≪テンペスト≫の撮影も行なわれたのだとか。 現代的なものが映らないから、都合がよかったんでしょうな。
肝心の、植物の説明ですが、かなりのボリュームだった記憶はあるのですが、私の方に、沖縄の植物の基本知識が欠如しているせいで、右の耳から左の耳に通り抜ける格好で、綺麗さっぱり、忘れてしまいました。 忘れたというより、記憶できなかったと言った方が、正しいか。 貰って来たパンフを見ると、様々な植物の写真が載っているのですが、一つも覚えていないから、怖くなるほどです。 やっぱり、植物園というのは、動物園や水族館とは違うのです。
琉球舞踊を見終わるなり、バラバラと雨が降り出しました。 みるみる強くなって、舟の客席に吹っかけて来ます。 船頭さんが、適当な場所で舟を止めて、長い棒の付いたハンドルを回し、舟の左右側面に、透明ビニールのカバーを下ろしました。 一人で全部やるのは、大変ですな。 しかし、こういう時は、いい子ぶって、手伝おうなどと考えず、任せておくのが一番。 使った事もない機械に、下手に手を出して、壊しでもしたら、却って迷惑というものです。
後は、船着場に戻って、終了。 乗船時間は、25分でした。 タクシーの運転手さんに訊いておいたところでは、ここの滞在時間は、大体、1時間くらいだとの事なので、園内の他の所を急いで見ようと焦りましたが、前日の徒歩行で痛めた右足の裏と左膝が邪魔をして、早く歩けません。 その上、雨が、なかなか、やまず、傘を借りて来なかったせいで、建物の軒下から出られないと来たもんだ。 自分の折り畳み傘も、旅行鞄に入れたまま、タクシーのトランクの中。 参ったな、こりゃ。
雨宿りしながら、パンフを詳細に見てみたところ、幸い、ここには、湖水観賞舟の他に、それほど見所がなさそうだという事が分かりました。 他に、一般受けするものというと、水牛車体験がありますが、私の場合、水牛車は、竹富島で乗ったから、もういいです。 それに、別料金だし。 ちなみに、780円。 安いのか高いのか分かりません。 水牛車は、乗るよりも、外から見た方が面白いという見解もあり。
その内、雨が上がったので、脚を引きずり引きずり、園内をざーっと見て回りました。 様々な形に刈り込まれた植木が、たくさんありました。 この園が、植物の維持に、大変な手間をかけているのは確かです。 水牛が二頭、柱と屋根だけの小屋の下で、蹲って休んでいました。 もう一頭いて、それは水牛車を牽いて、勤務中。 角が長いのと短いのがいますが、それが、年齢の差なのか、性別の違いなのかは分かりませんでした。
このビオスの丘、私的には、いまいちでしたが、もし、天気が良ければ、また少し、違った印象になったかもしれません。 小さな子供を含む家族連れで来て、半日くらい、のんびり過ごすのなら、自由に使えるスペースも多いので、いい所だと思います。 ただし、同じ子供連れでも、10歳を過ぎるくらいの年齢になってしまうと、芝生の上で遊ばせておけば済むというわけにもいかず、カヌーやら、オモチャ作りやら、いろんな体験コースをやりたがる恐れがあり、それぞれ別料金ですから、お金がいくらいあっても足りなくなってしまいそうです。
10時50分に、外へ。 その頃には、雨は、すっかり上がっていました。 タクシーに乗り、≪琉球村≫へ向かいます。 再び、恩納村に入り、国道58号線に出て、南下。 写真のデータを見ると、ビオスの丘から、琉球村まで、15分しかかかっていません。 すぐそこ、っちゅー距離ですな。
≪琉球村≫
本島中部の代表的な、民俗村です。 民俗村は、沖縄県全体だと、相当な数があるんじゃないでしょうか。 ここが予定に入っていたので、石垣島では、≪石垣やいま村≫を避けたかったのですが、まあ、行ってしまったものは、致し方ありませんな。 「では、タクシーの運転手さんと交渉して、こちらを外してもらえば?」と思うでしょうが、それは駄目なのです。 なぜなら、○△商事から送られて来た、クーポン券があるから。 しかも、1200円だっせ。 外せまっかいな。
基本的には、古民家を移築して、村のような形にし、それらの建物を利用して、各種体験や、アトラクションを行なっている所。 ≪石垣やいま村≫と比べると、コンテンツは、ダブっていますが、こちらの方が、規模が大きいです。 より、テーマ・バークっぽいというべきか。 やいま村で、随所に見られた、「素朴さ」は、こちらでは、全く感じられません。 それどころか、おそらく、沖縄県のみならず、日本全国の民俗村型テーマ・パークの中で、最も、観光地的純化が進んでいるのではないかと思われました。
運転手さんが、中までついて来てくれて、もはや、恒例となった写真撮影をしてくれた上に、見る順番について、簡単に説明してくれました。 これが、結構、重要な情報でして、滞在時間が限られている場合、効率的に見ないと、全部回れない事が、ままあります。 ところが、私は、「石垣やいま村と、似たようなものだろう」と、高を括っていたせいで、その説明を真剣に聞いておらず、後で、大幅な時間ロスをやらかす事になります。
運転手さんは、引き揚げる前に、「是非見せたい」と言って、「フール」の所へ連れて行ってくれました。 昔、屋敷内にあった、豚の飼育場の事で、石組みで区画されており、その中に、刈り落としたサトウキビの葉を入れておくと、豚の糞と混ざって、肥料になったのだそうです。 独特の匂いがして、今でも、中国からの輸入野菜に、同じ匂いがするものがあり、「中国では、今でも、同じ方式を使っている所があるのだろう」と言っていました。
運転手さんが引き揚げた後は、私一人で、あちこち、見て回ったのですが、考えなしに、テキトーに歩いたせいで、どんどん、先へ行ってしまい、気づいたら、出口の近くまで来ていました。 どこからでも戻れると思っていたら、順路が決まっていて、すぐそこに見えていても、さっき通った場所には、ショート・カットできないようになっているのです。 しまった・・・、ぬかったぜ。 まだ、「ハブ・ショー」も見ていないというのに!
健康な時なら、小走りに戻ればいいのですが、この時は、前日の、20キロ徒歩行のせいで、足を引きずっている有様でしたから、アップ・ダウンがある園内を戻るのが、きついきつい。 つくづく、地元の人のアドバイスは、真剣に聞いておくものだと思いました。 まして、相手は、観光地を知り尽くしたプロですから、意味もなく、説明などしないのですよ。 何か、説明されたら、必ず、それに従うようにした方が宜しい。
何とか、元の場所へ戻って、ハブ・ショーを行なう、ハブ・センターへ行きました。 これは、運転手さんが押していましたから、見ないわけにはいきません。 ちなみに、私は、蛇は、好きでも嫌いでもないです。 山を登っていて、蛇に遭遇した事が数回ありますが、大抵、蛇の方から逃げて行くので、感覚的に怖いと思った事はありません。 ただ、知識上、毒蛇に咬まれると、非常に面倒な事になると知っているので、警戒はしています。
ハブ・センターは、園内の山の上の方にあります。 センターと言っても、そんなに大きな建物ではなく、観客席は、20人くらいで満席になる規模。 立ち見を入れても、40人くらいが限界でしょうか。 特殊な琉装をした、そこそこ高齢の係の人が、お客の案内から、座り方の指示、ショーの進行まで、一人でこなしています。 「横からだと見え難いので、なるべく、正面に座ってください」と、何度も繰り返していましたが、そう言われても、観客席は横に広がっているわけで、立ち見してまで、正面には行き難いもの。 私が見た時には、ほぼ満席で、立ち見も何人かいました。
舞台の上には、最初から、ガラス・ケースに入った、ハブとマングースがいるのですが、今は、両者の決闘は、やっていないとの事。 そればかりか、ハブもマングースも、法律上、人前でケージから出してはいけない動物に指定されているらしく、ガラス・ケースから出される事は、一度もありませんでした。 その代わりに、他の蛇を使って、蛇の攻撃の仕方を実演していました。 つまりその、「ハブ・ショー」と言いながら、ハブは、名前を貸しているに過ぎず、出演しないのです。 楽だな、ハブ・・・。 マングースは、もっと楽そうで、ショーの間、丸くなって、寝ていました。
出演した蛇の種名を忘れてしまいましたが、舞台の隅に無造作に置かれた木箱に入っていて、係の人が棒で引っ掛けて、取り出し、床に下ろして、棒で刺激し、攻撃行動を引き出していました。 蛇は、動く物に反応するので、たとえ、睨み合いになっても、こちらが動きさえしなければ、大丈夫だとの話。 しかし、距離が近い場合、怖さで、耐えられなくなりそうな気がせんでもなし。
もう一匹、別の種類の蛇が取り出され、そちらは、棒に引っ掛けて、振り回されたり、お客に触られたり、お客の肩に載せて、記念写真を撮られたりと、かなり、ハードな任務をこなしていました。 これだけ働いても、自分の名前が、ショーに冠されないのですから、報われませんな。 また、お客が、蛇に、よく触りたがるんだわ。 物好きな。 無闇に怖がるのも愚かですが、毒がある動物に親しみ過ぎるのも、どうかと思います。 蛇の方も、あまり馴染まれても、迷惑でしょう。
ショーの間、壁を挟んだ隣から、悲鳴が聞こえて来るので、何かと思っていたら、「隣が、お化け屋敷になっています」との説明がありました。 蛇より、人の悲鳴の方が、怖いわ。 今考えると、沖縄のお化け屋敷というのがどういうものなのか、ちょっと覗いてみれば良かったです。 文化が違えば、当然、お化けも違うに違いない。 でも、いい年した大人が、お化け屋敷というのは、ちと、無理か。 驚かす方も、どうしていいか、困るでしょうな。
ハブ・ショーは、15分で終了。 突然、便意に襲われ、トイレに入りましたが、お世辞にも広いトイレではなかったものの、和式だったので、手っ取り早く済ませられて、助かりました。 大急ぎで、見残した所を見て回り、運転手さんから勧められた、「サーター・アンダギー」を食べました。 小麦粉を練り、黒糖をまぶして揚げた菓子で、ドーナツみたいな歯応えです。 一つ、100円と、嬉しい値段。 しかも、お茶が付きます。 「ちんすこう」も、そうですが、沖縄には、飲み物がないと、口の中の水分が全て奪われてしまう菓子が多いようですな。
そうそう、お茶と言っても、沖縄で普通に飲まれているのは、「さんぴん茶」でして、これは、「ジャスミン・ティー」です。 ジャスミン・ティーは、「茉莉花茶」という名前で、中国で全国的に最も普及しているお茶ですが、別名、「香片茶」とも言い、その発音が、「シャンピエンチャー」なので、それが、「さんぴんちゃ」になったと思われます。 恐らく、沖縄にお茶が入った経路が、中国から直だったのでしょう。 そういや、本島のタクシーの運転手さんは、毎日、さんぴん茶の500ccペット・ボトルを買って来て、サービスしてくれました。
サーター・アンダギーをクリアして、民謡の演奏をしている、古民家へ。 石垣やいま村では、お客が少なくて、居心地がいまいちでしたが、ここでは、古民家に入りきれないくらい、お客がいました。 これだけ多ければ、手拍子のズレも、ごまかせるというもの。 私は、途中から来たので、三曲くらいしか聞けませんでしたが、最後の一曲は、「ハイサイおじさん」でした。 演奏と謡い手は、若い男性二人。 踊り手が、微妙な年齢の女性二人。 お客の人数が多いと、異様に盛り上がります。
演奏の合間の語りで、聞いたのですが、「めんそーれ」という言葉は、今では、まったく使わないようですな。 基本的に、こういう施設では、沖縄県外から来た人達を、お客に想定して、話をするわけですが、「めんそーれ」は、「こんにちは」ではなく、「ようこそ」という意味なので、「めんそーれ」と言われても、「めんそーれ」と返さないように、という話をした後、「今は、日常的には使いませんから」と付け足していました。
見終わったので、出口へ向かいます。 先に、間違えて、一度通っているので、もう間違えようがない。 途中、大きな建物の中にある、シーサーの工房を通りました。 そこは、シーサー作り体験ができる以外に、プロが作ったシーサーも売っていて、高いのは、一万円を超すような、立派な物もありました。 立派過ぎて、シーサーというより、唐獅子の置物ですな。 やはり、シーサーは、素朴でなければいけません。 270円くらいの。 もちろん、私が、宮古空港で、それを買ったから言うわけですが。
そうそう、琉球村には、水牛が二頭いました。 一頭は、サトウキビを搾る「砂糖車」を回し、もう一頭は、小屋で休んでいました。 これで、沖縄に来てから、水牛を見たのは、合計11頭になります。 どこかで、「沖縄には、今、水牛は、10頭しかいないらしい」という話を小耳に挟んだのですが、ありゃ、ガセ情報だったのかも知れませんな。 西表島にも、水牛車があるはずですが、私は行っておらず、そこの水牛を見ていないのに、すでに、11頭を数えているのですから。
外に出ると、運転手さんは、タクシー運転手用の休憩所で、仲間と話をしていました。 琉球村くらい大きい観光地になると、こういう休憩所も必要性が出てくるわけだ。 琉球村の中には、一時間以上いて、この時、すでに、12時半でした。 「昼食はどうしますか?」と訊かれたので、「一昨日食べたソーキそば以外で、何か、地元独特の食べ物はないですか?」と、訊いたら、「フー・チャンプルーは、どうですか?」との返事。 麩が入っている野菜炒めの事らしいです。 面白そうなので、それに決定し、お勧めの店へ行ってもらいました。 昼からは、≪首里城≫へ行くので、タクシーは、那覇方面へ向かいます。
≪フー・チャンプルー≫
運転手さんが連れて行ってくれたのは、北谷町にある、「美浜タウンリゾート アメリカン・ビレッジ」という所。 リゾートと言っても、意味が広いですが、ショッピング・モールを中心に、ボウリング場、シネコンなど、レジャー施設を集めた所です。 巨大な観覧車あり。 名前の通り、アメリカンなイメージの街並みになっていますが、これは、元、米軍基地があった場所だったから。
アメリカンな所ではありますが、中に、沖縄料理店があり、そこへ、一人で入りました。 例によって、運転手さんは、弁当持ちなので、タクシーの中で食べます。 先に食券を買って、それを店員さんに渡す事で、注文した事になります。 この方式は、食べた後、店員さんがレジに来なくて済む点で、優れています。 配膳と片付けを一人で受け持っている場合、レジの応対があるとないとでは、大違いでしょう。 お金に触らなくて済むので、店員さんが手を清潔に保てて、お客にもメリットがあります。
店の中は、先客が数人程度で、空いていました。 すでに、午後1時を過ぎていたからでしょうな。 この店にも、カウンターがありましたが、そこは、いろいろな物が置かれて埋まっており、椅子は置かれていませんでした。 一見、カウンター席の方が回転が良さそうですが、一人客よりも、家族連れが多い店では、テーブル席の方が、使い易いのかもしれません。 空いていたので、四人掛けの席に座りました。 麺類なら、すぐに来るんですが、炒め物は、時間がかかるようで、5分以上待ったと思います。
具体的に、何という品目を頼んだのか忘れてしまいましたが、撮って来た写真を見ると、フー・チャンプルーの他に、御飯、味噌汁、おしんこがついているので、たぶん、セットか、定食だったのでしょう。 750円。 写真があるのに、出せないのは、食べる前に撮影するのを忘れていて、八割方食べてしまってから、撮った写真だからです。 しかも、室内撮影で暗い上に、焦りが出て、ボケボケ。 こんなの見せられませんわ。
フー・チャンプルー自体は、野菜炒めとは思えぬほど、ふわふわに柔らかくて、大変おいしかったです。 大衆向け料理店で、メイン・メニューになっている料理ですから、味に外れがないのは当然なのかもしれません。 直径20センチくらいの皿に、山盛りされていて、食べ応えも充分。 これで、御飯その他が付いて、750円は、安いですな。 かくして、また、満腹してしまい、私の腹は、出る一方なわけです。
≪沖縄出身芸能人の話≫
タクシーに戻って、首里城を目指します。 私は、この昼飯を食べた所を、那覇の近くだとばかり思っていたんですが、帰ってから調べてみたら、北谷町で、そこから那覇市までは、間に、宜野湾市と浦添市が挟まっており、遥かに離れていました。 街がくっついているから、分からんのですよ。
タクシーの中で、話を聞いたんですが、仲間由紀恵さんの出身地は、浦添市なのだそうです。 お父さんは、宮古島の漁師だったとの事。 運転手さん、バラエティー番組が好きで、ドラマをほとんど見ないので、≪テンペスト≫も、見ていなかったのだとか。 お客との共通の話題になるのに、全国放送した琉球物のドラマを見ていなかったというのは、ちと、勿体ない気もしますが、考えてみると、ドラマを見慣れていない人には、歴史物は、苦痛かも知れませんなあ。
仲間さんについて、「色気があまりないから、人気が持続しているのだ」という説を述べていましたが、そう言われてみれば、「なるほど」と思われました。 例として、吉永小百合さんを挙げられて、ますます、「なるほど」と思いましたっけ。 女優さんは、なまじ、色気があり過ぎると、歳が行った時、崩れた感じになってしまうのですが、清純な雰囲気なら、それを避けられるから、人気が長続きするというわけですな。 理に適っている。
宜野湾市で、さりげなく、「沖縄アクターズ・スクール」の前を通り、「あれがそうですよ」と言われて、「ああ、かの有名な・・・」と思いながら見ました。 まあ、外観は、普通のビルなんですがね。 運転手さん、バラエティー番組が好きなだけでなく、歌手系の芸能人にも興味があるようで、錚々たる名前が、ポンポン出て来ます。 「安室奈美恵、MAX、SPEED・・・」、そう言われてみれば、みんな沖縄県なんですねえ。
運転手さんの話では、とりわけ、安室奈美恵さんの功績は大きいそうで、あの人が、ブレークして以降、沖縄出身の歌手やアイドルが、続々と全国区へ売り出して行ったのだそうです。 私も、あまり、音楽には興味がないものの、いい歳ですから、一応、その流れは記憶に残っていて、「なるほど、なるほど」と、相槌を打ち捲りました。 そういや、「アムラー」という流行語までありましたなあ。 今でも、地元では、厳然とした人気を保っているのだそうです。
そうそう、ロックの話も出ました。 ロックも、米軍基地の影響で、沖縄の方が、日本より早く浸透し、日本でグループ・サウンズが持て囃されていた頃、本格的なロック・バンドが存在したのは、沖縄だけだったとの事。 基地の街で、アメリカ兵相手に演奏するので、下手だと、物が飛んできたりして、否が応でも実力が磨かれたのだそうです。
他にも、お笑い芸人の話とか、スポーツ選手の話とか、いろいろ出ましたが、私の方が、そちらの世界に疎いので、ごくごく一般的レベルで、相槌を打つに留まりました。 タクシーの運転手さんというのは、何でも知っていないと、勤まらないんですねえ。 客と長時間付き合わなければならない、貸切観光タクシーでは、尚の事。
≪首里城≫
午後2時10分頃、首里城に到着。 自治体は那覇市ですが、あるのは、山の方です。 巨大な駐車場あり。 地下一階と地下二階の、立体式のようでしたが、初めて行った私には、どこがどこやら、分かりませんでした。 首里城のクーポンは持っていたのですが、駐車場は、別料金だそうで、「出る時に、320円払う事になります」と、運転手さんに念を押されました。 最初、ピンと来ませんでしたが、こういう場合、駐車場料金は、客が払うんですな。
駐車場から、入って行くと、最初にぶつかるのが、「守礼門」です。 私の母が39年前に来た時には、すでに復元されて、存在していましたが、母は、「守礼門は見た。 でも、首里城には行かなかった」などと、わけの分からん事を言っています。 「守礼門は、首里城内にあるんだ」と言ったら、目を丸くして驚いていましたっけ。 守礼門まで来て、首里城を見ていないわけがないのですが、当時はまだ、正殿が復元されていなかったので、崩れた城壁しかなくて、記憶に残っていないのでしょう。
で、守礼門ですが、意外なくらい、綺麗でした。 綺麗すぎると言っても、過言ではない。 戦災で焼けて、復元されたのは、1958年だそうですが、沖縄海洋博の時の写真では、もっと、古色が出ていたような記憶があります。 その後、定期的に塗り直しをするようにしたのかもしれませんな。 琉装をした女性がいて、有料で記念撮影ができるようになっていますが、ケチな私は、当然、パス。 運転手さんに、私だけが入った写真を撮ってもらって、済ませました。 39年前にも、この琉装の記念撮影はやっていたらしく、母は、その事だけ、ぎんがり覚えていました。
近くに、「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」あり。 運転手さんが、「世界遺産ですよ」というので、わけも分からぬまま、写真を撮ってもらいましたが、帰って来てから調べたところでは、門の形をした礼拝所だそうです。 この時の写真、運転手さんには珍しく、失敗していて、門の屋根が切れてしまっています。 自分では撮らなかったので、その一枚しかないのですが、世界遺産に限って、失敗とは、皮肉な話。
「歓会門」を潜って、城壁の中へ。 城壁は、表面が平らな石を隙間なく積んだ、見事なもので、優美な曲線を描いています。 戦う為の城ではなく、王朝の中心としての象徴的な意味が表現されているのでしょう。 「石垣」というより、「城壁」と言った方が、ぴったり来ます。 ただし、この城壁は、かなりの部分が、戦災で破壊されてしまい、今見られるのは、近年になって、復元されたものです。 城壁を、よく見ると、下の方と、上の方で、石の色や形が違うのが分かります。 元の城壁は、主要部分を除いて、今ほど、綺麗な積み方をしていたわけではない様子。 この、「遺構石積み」と「復元石積み」の境目は、城壁の随所に、小さなプレートで、標示してありました。
竜宮城風の門を、いくつか潜り、正殿の方へ。 「龍樋(りゅうひ)」とか、「首里森御嶽(すいむいうたき)」とかも、写真を撮って来ていますが、細かい事を書き出すときりがないので、詳しい事を知りたい方は、首里城のサイトを見て下さい。 もっとも、現地に行かないと、ピンと来ない事は、極めて多いのですが・・・。 歴史的遺構というのは、行く前に予習し、実際に行き、帰って来てから復習するくらいでないと、真価が分かりませんな。
首里城には、有料区画と無料区画があるのですが、どこで、クーポンをチケットに換えてもらったのか、忘れてしまいました。 写真を見ると、正殿に至る途中で、すでに、チケットを手に持っているので、駐車場を出た後、すぐの所に、切符売り場があったのかもしれません。 ちなみに、払うのは、正殿の内部と、南殿・北殿の中の資料館を見るための、入館料でして、820円です。 チケットをもぎられた場所も失念。 名目が、「入館料」なので、たぶん、南殿の資料館に入る所で、もぎられたのだと思います。
正殿前の広場を、「御庭(うなー)」と言いますが、ここに一歩入り込むと、別世界が広がっています。 赤と白のファンタジック・ワールドですな。 これは、凄い。 テレビで見ても、凄いですが、現地で、中に立ってみると、より凄い。 これが、王朝の華やかさなんですねえ。 実質的な「砦」である日本の城とは全く違っていて、「首里城」とはいうものの、ここは、王の居館であり、政庁なんですな。
城を復元すると、郷土意識が高まると言いますが、その点、首里城の復元は、日本の城の比ではなかったでしょうなあ。 世界遺産の箔がつけば、尚の事。 もし、私が、琉球王国民の子孫だったとして、復元された首里城を見たら、胸がいっぱいになって、言葉にならなかったでしょう。 ここの華麗さには、そのくらい、強烈なインパクトがあります。 この城自体が、琉球文化を具現していると言ってもいいでしょう。
運転手さんは、ここまで案内して、写真を撮ってくれて、南殿から資料館に入る事を説明して、引き揚げていきました。 ちなみに、タクシーの運転手さん達は、観光地は、顔パス、無料で入って来れます。 その点は、どこでも、例外がありませんでした。 そりゃそうだわな。 運転手さんから、金取ってたら、お客を連れて来てくれなくなっちゃうものねえ。
ところで、私が、首里城で感動したのは、ここまでです。 この後、急転直下、印象が悪くなります。 なんと、南殿資料館、及び、正殿内部が、土禁だったんですな。 ここへ来て、まさかの土禁! 南殿の入り口で、袋を配っていて、靴を脱いで、その中に入れて、出口まで持って行けと、そういう無体な事を言うのですよ。 いや、靴を持って歩くのが嫌なのではなく、誰が歩いたか分からん所を、靴下で歩くのが嫌なのです。 まったく、不思議でならないのですが、水虫をうつされるのが、怖くないんですかね?
また、入場者がうじゃうじゃと、いるんだわ。 一日に、何千人入っているか分からない。 掃除はしていても、除菌はしていないでしょうし、次から次に、客が来るのでは、除菌なんか、いくらしたって追いつきません。 靴を脱げというなら、靴を入れる袋だけでなく、警察の鑑識が屋内の現場で履くような、ビニールの足袋も配って欲しいものです。
それだけでも不快なのに、南殿資料館内と正殿内部は、区画によって、撮影可と撮影禁止の所が交互に存在し、いちいち確認せねばならず、面倒臭い事この上なかったです。 いっそ、全面撮影禁止にしてくれた方が、気を使わなくて済むから、ずーっと、ありがたいです。 撮影禁止の展示品は、資料館の方に集め、正殿内部には、レプリカを置いて、撮影可にすればいいんじゃないですか? こんなに複雑にしている理由が分からん。
一般論ですが、観光地で、何が腹が立つといって、撮影した後で、係員に、それを咎められるのが、一番、癇に触ります。 どこかに注意書きがあるのかと思ったら、部屋の出口近くに貼ってあったりします。 そんな所、部屋を出る時にしか見ないわ! 自分達は、毎日そこにいるから、注意書きがある事を承知しているんでしょうが、客の方に、それを察しろというのは、無茶というものでしょう。 部屋の入口か、建物の入口に、等身大くらいの看板を立てて、デカデカ、「撮影禁止!」と標示しておけば、誰も撮りませんよ。
そもそも、そんなに撮られるのが嫌なら、観光施設など、やめてしまえばいいのです。 光が差し込まない倉庫でも作って、厳重に保管し、誰も近づけないようにすれば、心安く、枕を高くして眠れるというもの。 博物館や資料館で、「紙の資料が傷むから、撮影禁止」というのは、一見、理屈が通っているように見えますが、それなら、「フラッシュ禁止」にすればいいのであって、デジカメは、フラッシュなしでも撮れますから、問題ないはず。 頭ん中が、フィルム時代で停まってんのよ。 話にならん。
首里城の話に戻りますが、係員が多過ぎるのも、どうかと思います。 琉球王府の役人の姿をした係員が、あちこちに立っていて、本物の役人以上に、役人的オーラを発散しているのです。 店員が多過ぎる家電量販店は、遠からず潰れると相場が決まっていますが、係員が多いのも、それと似た異様な雰囲気があります。 なんだろねえ? 窃盗や、器物損壊を見張っているつもりなんですかね? お金を払って入場しているのに、監視されているのは、気分がいいもんじゃありませんな。 自分達が、他の観光地へ行って、同じような扱いをされてみればいいのです。 どれだけ、不快なものか、分かるから。
せっかく、復元したのだから、大事に保存しようという気持ちは分かりますが、それならば、マジな話、内部を見せるのは、やめた方がいいと思います。 内部が見れないからといって、怒る客はいません。 古寺名刹の秘仏や、正倉院の中が見れないといって、怒る人間がいないのと同じ事です。 「そういうものか」と思って、外だけ見て、満足して帰ります。 中に入れてから、不快な思いをさせるより、入れないで、いい印象のまま帰らせる方が、ずっといいです。
で、中ですが、南殿資料館の方は、ほとんど、記憶に残っていません。 なにせ、撮影禁止なので、写真がなく、記憶の復元ができんのですな。 何があったか、綺麗さっぱり忘れてしまいました。 南殿は、外見は木造建築ですが、中身は、もろ、現代建築でして、「往時の姿を忠実に復元してある」と思って中に入ると、幻滅します。 それにつけても、資料館の中を、靴下で歩く奇妙さよ。
一方、本殿の方は、純木造でして、これは、大変なものです。 どれだけ、お金がかかったか、想像もつかない。 三階建てで、正面側の一階に、玉座があります。 この辺は、中国風で、北京の紫禁城をシンプルにしたような感じ。 奥の方も入れますが、そちらは畳敷きで、日本建築と同じような雰囲気です。 庭園あり。 石組みと蘇鉄の枯山水で、松もありますが、大きくはありません。 あまりにもシンプル過ぎるので、昔は、もっと大きな樹木があったのではないかと思われます。
一階の床にガラスが嵌まっていて、地下が見れますが、そこに、元々あった、正殿の基礎部分の石垣が保存されていて、それが、世界遺産になっているとの事。 正殿そのものは、復元なので、世界遺産ではないです。 基礎が見えるという事は、この復元された正殿は、元々の基礎の上に載っているのではないという事でして、説明板によると、70センチ嵩上げされているのだそうです。 柱の配置なども、変えてあるんですかね?
なんだか、どんどん、ロマンが壊れて行くようですが、復元した建物が、元の建物と、そっくり同じでないのは、首里城に限った事ではなく、防火対策だけとって見てみても、昔と同じ物を作る事はできません。 大抵の復元木造家屋は、「似せ物」なのです。 それでも、鉄筋コンクリート、エレベーター付きの、「ビル城」よりは、千倍マシというもの。 ビル城がある町の人には、酷な言い方ですが、ビル城は、城ではありません。 あれは、ビルです。 歴史的遺構としての価値は、ゼロ。 いや、むしろ、城跡を汚す、マイナス価値があると見るべきでしょう。 あんなもの、時代劇の撮影にすら使えないのですから、撤去しておしまいなさい。
また、首里城に話を戻しますが、元々あった首里城が戦災で焼けたのは、日本軍が、地下壕を掘って、総司令部を置いていたからです。 馬鹿な事をしやがって。 どうせ地下に作るなら、司令部なんて、どこだってよかったものを。 なんで、攻撃目標になると分かっていて、国宝の下に作るかな? 元々の建物が残っていれば、もっと素晴らしかったのに。
正殿から出ると、土禁は終わりますが、どういうわけか、出口で、靴を入れていたビニール袋を、回収していました。 どうせ、使い回せないのに、なぜ回収するのか、理由が分かりません。 その場で捨てる奴がいて、正殿前の広場に舞ったりすると、美観を損なうからでしょうか。 袋に龍の絵がプリントしてあったので、記念に写真を撮っていたら、係のおばさんに、ふんだくるように取り上げられました。 一体、なんなんだ? 客を憎んでいるのか?
北殿は、靴で入れます。 南殿同様、外観は木造ですが、中は、やはり、現代建築で、首里城の歴史や構造、往時の生活などを説明するパネルが、展示されています。 時間があれば、全部読みたかったのですが、タクシーが待っているので、写真だけ撮って来ました。 城壁の外に出ると、那覇の街並みが、よく見えます。 海まで見える。 王城を構えるには、絶好のポイントですな。 入る時に通ったのとは別の門をいくつか潜り、駐車場の方に下って行きます。
駐車場の入り方が分からなくなり、少し、ロストしましたが、何とか、タクシーに辿り着きました。 ここで、2時45分。 この後、ホテルまで送ってもらわなければならないというのに、タクシーの契約は、3時までで、青くなりました。 しかし、この運転手さんは、個人タクシーだったせいか、時間には、融通が利くようで、何も言わず、送ってくれました。 それどころか、次の日は、30分くらい早く出発してもいいと言います。 宜野湾市に住んでいるのですが、那覇に向かう場合、渋滞を見越して、一時間くらい、ゆとりをもって出て来るから、早い分には構わないとの事。 うーむ、この人、大物だな。
3時15分くらいに、那覇市街のど真ん中、「国際通り」に面したホテルに到着。 運転手さんは、翌朝迎えに来る場所を教え、暗くなる前に、国際通りを見て来るように勧めて、帰って行きました。 国際通りと交差している市場についても、曲がる場所を説明してくれましたが、それは、後々、役に立つ知識でした。 「地元の人が教えてくれる事は、細大漏らさず、覚えておいた方が、得になる」という事を、遅れ馳せながら、学んだ次第。
このホテルは、街の中心部にあるので、リゾート・ホテルではないのですが、さりとて、ビジネス・ホテルというわけでもなく、宿泊客は、ほとんどが、観光客でした。 朝夕のエレベーターが、旅行トランクを持った人間で満杯になってしまうから、それと分かります。 今まで泊まったホテルの中では、最もロビーが広く、フロントの雰囲気も、高級ホテルのようでした。 本当に、高級ホテルだったのかもしれません。 部屋は、4階で、やはり、ツイン。 部屋も、新しい上に、高級感あり。 しかし、エアコンが、配管式で、冷えが悪く、22℃まで設定を落とさなければなりませんでした。 除湿機能は、なし。
≪国際通り≫
運転手さんの勧めに従い、部屋に荷物を置くと、すぐに、外出しました。 本来なら、キーをフロントに預けるところですが、チェック・インしたばかりなので、面倒になり、キーが小さかったのをいい事に、ウエスト・バックの中に入れて、出てしまいました。 ちなみに、このホテルの部屋は、ドアを入った所に、キーを挿す器具がついていて、それを抜くと、部屋の電気が停まるシステムでした。 夜は真っ暗になってしまうので、ちと、不便。 何でも、電子化すれば便利になる、というわけでもないんですな。
タクシーに乗っている時、私が、「那覇は、凄い都会で、びっくりしました」と言ったら、「国際通りは、もっと凄いですよ」と言われ、どんだけ凄いのかと思っていたら、本当に凄かったです。 何と言いますか、一口で言うと、土産物街なんですが、それが、延々と続いているのですよ。 約1マイル、1.6キロも。 道の両側に並んでいる店が、ほぼ全て、土産物店か、飲食店のどちらか。
蔡温橋を渡り、モノレールの下を潜り、運転手さんに教えられた通り、ドン・キホーテまで行って、そこから、交差している市場の通りに入りましたが、そこも、ずーーーーっと、土産物店ばかり。 帰りは、もう一本の市場を通って、国際通りに戻ったのですが、そちらも、ずーーーーーっと、土産物店でした。 これだけ、同業者が軒を並べていて、共倒れしないという事は、つまり、それだけの数、観光客が来るという事なのでしょう。 こんな所は、他にはないのでは?
土産物店ばかりで、普通の商店街にあるような、普通の店はありません。 百円ショップとか、ファースト・フード店とかも、ないようです。 そうか、ドンキはあったな。 いや、ドンキは普通の店ではないか。 市場の奥の方に、唯一、ドラッグ・ストアがあったので、除菌ティッシュを買いました。 我ながら、「名立たる土産物街で、なぜ、こんな物を買わねばならんのか」と思わんでもなし。 でも、必要なのです。
一度、ホテルの前まで、戻ったのですが、「やはり、ここで何か、土産を買っておいた方がいいな」と思い直し、一番近い店まで戻って、「沖縄そば」を買いました。 四人分、スープ付きの半生タイプで、1080円。 店で食べたのが、おいしかったので、両親にも食べさせてやろうという魂胆。
ホテルに戻って、まだ、5時くらい。 除菌ティッシュで、靴の中を浄化しました。 首里城の土禁の後始末です。 冗談じゃないです。 楽しみに来ているはずの旅行先で、水虫をうつされたりした日には、洒落になりません。 ティッシュだけでは心許ないので、ホテルのエレベーターの前に、除菌アルコールのボトルがあったのを思い出し、タオルにたっぷり湿して来て、もう一度、拭きました。 靴下と足は、洗ってしまうから、問題なし。
そういう事を気にしない人には、異様な光景に見えるでしょうが、私に言わせれば、努力すれば防げる感染なのに、努力を怠るのは、救いようもなく愚かに見えます。 うつされてから、毎日毎日、薬を塗り続ける手間に比べたら、この程度の防御努力など、なにほどのものか。
幸喜のホテルには、フロントの横に、公衆電話があったのですが、このホテルにはなくて、また、探し回る事になりました。 フロントで訊けば、あったのかもしれませんが、何となく気後れして、訊けませんでした。 外まで出て、国際通りをうろつきましたが、結局、見つけられず、「明日、那覇空港へ行ってから、かければいい」と思って、諦めました。 ホテルに戻って、夕食へ。
≪四川料理≫
このホテルの夕食は、和・洋・中のレストランが、ホテル内にあり、そのどれかを選んで、自分で行く方式でした。 和食は、どこへ行っても同じですし、洋食は、テーブル・マナーに不安があります。 というわけで、一番、無難な、中華の、四川料理の店へ行きました。 名前は、「四川飯店」・・・。 だからよー、「飯店」というのは、「ホテル」の事なんだよ。 ホテルの中に、「四川ホテル」があったら、おかしいだろ? ・・・などというツッコミは、この際どうでも宜しいのであって、沖縄旅行最後の夕食を、何とか、乗り切らなければなりません。
夕食券を見せると、すぐに、席に案内されました。 メニューは、もう決まっているようです。 ドリンクが選べたので、コーラにしました。 料理は、コース式で、少しずつ出て来ました。 前菜が、辛い野菜とアサリの蒸し物。 続いて、白身魚の揚げ物。 蒸篭に入ったシューマイ。 鶏の唐揚げ。 コーン入りのスープ。 デザートが杏仁豆腐。 コーラはすぐに飲んでしまったので、お茶を勧められ、それも貰いました。
正直な感想、この料理は、私には、うま過ぎでした。 舌に毒です。 コーン入りのスープですが、ああいうのを、本物のスープと言うんですねえ。 トロ味があって、実にうまい。 シューマイのタレも、恐ろしく繊細な味で、文字通り、舌を巻きました。 シューマイは、大き目のが、たった一個だったのですが、それで充分と思わせる、見事な味でした。 もしかしたら、私が一生に間に食べた、最もうまい料理になるかもしれません。 ああ、退職して、沖縄旅行に来れて、良かったなあ。
ただ、コース式だったので、食べ始めの頃、次の料理が来るまでに、時間がかかったのには、参りました。 どうせ、一人客で、連れと会話を楽しんでいるわけでもないのだから、出来た端から持って来てくれればいいのに。 途中からは、それが分かったのか、どんどん来るようになりましたが。
≪ホテルの夜≫
洗濯は、夕食前に済ませてしまったので、この夜は、ゆとりがありました。 テレビは、BSも含めて、全チャンネル映りましたが、見たくなるような番組はありませんでした。 御当地CMの方が面白いくらい。 沖縄県は、御当地CMが、結構あって、琉球文化を前面に出した、特徴的なものが多かったです。 本当の意味での、文化遺産とは、こういうのを指すのではありますまいか。
このホテルの寝巻きは、浴衣ではなく、膝上くらいの丈で、前をボタンで留める方式の物でした。 そういや、宮古島のホテルも、同じタイプでした。 帯を使わないで済む分、こちらの方が、浴衣より優れていると思います。 しかし、このタイプであっても、トイレに行く時には、裾の扱いに苦労します。 面倒なので、脱いでから、行くようにしていました。 さりとて、パジャマにすると、ズボンの方が、衛生上、問題が出そうだし、痛し痒しですな。
沖縄旅行、最後の夜ですが、旅行中、いい事も悪い事もあったので、さしたる感慨はありませんでした。 天気予報によると、次の台風が近づいています。 台風と共に来て、台風と共に去る事になるのか・・・。 翌日の帰りの飛行機が、飛ぶのかどうか心配になりました。 まあ、航空会社が、宿泊代を出してくれるのなら、一日くらい、帰りが遅くなってもいいんですがね。
≪九日目、まとめ≫
またまた、長くなりましたなあ。 たった一日で、こんなに、いろいろな事が、起こるものですかね? 今現在、私は、何もせずに、暮らしていますが、一日なんて、寝ているだけで過ぎてしまいます。 同じ人間の同じ一日とは、とても思えない。 この落差は、なんなんすかね?
この日、一番印象に残ったのは、良くも悪くも、首里城です。 確かに、沖縄旅行中、最大のイベントになったのは事実。 一級の観光地だとは思いますが、潔癖症の方は、土禁対策をして行った方がいいです。 あまり期待していなかったのに、結果、良かったのは、琉球村ですな。 時間があれば、もっと楽しめた事でしょう。 ビオスの丘と、万座毛は、私には、いまいちと言う感じでした。 文句なしに驚いたのは、国際通り。 食べ物は、みんな、おいしくて、サーター・アンダギー、フー・チャンプルー、四川料理と、ヒットが連発しました。
いよいよ、残りは一日です。 私としては、とにかく、この長過ぎる旅行記が、あと一回で書き終わるというのが、嬉しいです。 ・・・でも、旅行記を書き終えたら、沖縄旅行の事を、どんどん忘れて行ってしまうのだろうなあ・・・。
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