小浜島と竹富島
沖縄旅行記の続き。 7月24日(木)、旅行の三日目ですな。 ・・・それにしても、ペースが遅い。 週に一回しか更新しないのに、一回に一日分では、10日間の旅行記を公開するのに、10週もかかってしまいます。 まあ、いいか。 どうせ、旅行記を書き終ってしまったら、その後は、記事のネタがなくなる事だし。
≪ホテルの朝≫
6時に起きました。 家の自室では、扇風機オンリーで夏を乗り切っているのですが、ホテルは、エアコン・オンリーとなり、「冷房」で夜通し点けておくと、明け方、冷え過ぎて、風邪を引いてしまいます。 そこで、「除湿 弱」にしたのですが、それでも冷えるので、リモコンをベッドの近くに置いて、夜中に切ったり点けたりしていました。
それにつけても、浴衣は、始末が悪い。 寝返りを打つたびに、ベッドの中で裾が捲れ上がり、程なくして、下半身は、パンツ一枚になってしまいます。 夜中に尿意で目覚めた時にも、トイレで裾を捲るのが面倒で、一旦、浴衣を脱いでから、行っていました。 鞄の大きさにゆとりがある人は、薄手のパジャマを持って行った方が、断然、快適に過ごせると思います。 どうせ、ホテルの場合、浴衣のまま、部屋から出るという事はできないのですから。
朝食に関しては、前日と同じバイキングで、特に変わった事はありませんでした。 コツが分かって来たので、一度に、トレイに、全部載せようとせず、メインの料理と、ご飯、味噌汁だけ取って、一旦、席に置いてから、飲み物やデザートを取りに行くようにしました。 食べる前に、複数回、取りに行くのは、OKでしょう。 問題は、食べた後で、また取りに行くという行為でして、別に咎められるわけではありませんが、「食事中」の札がない所では、再度取りに行っている間に、箸やおしぼりなどを、片付けられてしまう恐れがあります。
離島ツアーは、船会社が運営していて、送迎バスが、予約者が泊まっているホテルまで、迎えに来てくれます。 9時50分に来るとの事。 それまでの時間に、荷物を片付けて、旅行鞄の中に入れました。 とはいえ、離島ツアーに旅行鞄を持って行くわけではなく、この日は、部屋の掃除に入ってもらわなければならなかったので、荷物を展開したままだと、都合が悪いと思ったからです。
このホテル、部屋に金庫は無く、「貴重品は、フロントに預けて下さい」との事でしたが、私の場合、貴重品というと、現金、カード、免許証、健康保険証、チケット・クーポンの類だけで、ナップ・ザックに、余裕で収まったので、預けるほどの事はありませんでした。 そもそも、清掃係が信用できないのなら、フロント係だって、同じホテル側の人間ですから、信用できる保証はないのであって、あまり意味が無い話。 金庫があっても同じ事で、金庫の開け方をホテル側が知っているのなら、やはり、意味はありません。
残していく荷物の中で、最も高価そうなものというと、電気髭剃り機ですが、それでも、1000円に過ぎず、盗まれても、すぐに買い替えが利きます。 それ以外は、着替えとか、日記ノートとか、39年前の≪ブルー・ガイド・ブックス 沖縄≫とか、他人にとっては、何の価値もないような物ばかりですから、まあ、大丈夫でしょう。
≪送迎バス≫
9時40分に、一階に下りて、フロントにキーを預け、外へ。 大きな観光バスが待っていて、「こんなに大勢、行くのか!」と驚いたのは一瞬の事。 そのバスとは限らない可能性がある事に気づき、運転手に訊ねる事もせず、しばらく待っていたら、やがて、ワン・ボックス・カーがやって来ました。 船会社の名前をつけているので、間違いなく、そちらです。 やっぱり、そんなものか。
乗ったのは、私一人だけ。 やっぱり、そんなものなんですな。 それにしても、100室近くあるホテルで、石垣島を拠点にして行ける観光地には限りがあるというのに、≪小浜島・竹富島ツアー≫の参加者が、たった一人とは、少なからず、不思議な気がします。 他の連中、一体、何しに来とんの? ただ、海やプールで遊ぶだけなら、家の近所で済ました方がええんとちゃうんかい? 費用対効果を考えて、金使っとかんと、老後はホームレス直行やで。
≪石垣港≫
次のホテルで、親子連れ一組を拾い、あとは、石垣港へ直行。 ≪離島ターミナル≫という大きな建物の前で下ろされました。 どうなる事かと思ったら、運転手さんも一緒に下りて、建物の中にある、船会社の受付まで、案内してくれました。 ここで、クーポンを渡すと、引き換えに、もぎり式のツアー券をくれました。 「小浜島への乗船券」、「小浜島のバス観光券」、「昼食券」、「竹富島への乗船券」、「竹富島の水牛車観光券」、「石垣島への乗船券」が、くっついたもので、各所で、一枚ずつ、もぎって行ってもらう方式です。 「ツアーと言っても、参加者が一団になって、一日、行動を共にするというわけではないらしいぞ・・・」という事に、ここで初めて、気づきます。
船着場の方に出ると、具志堅用高さんの銅像がありました。 チャンピオン・ベルトを巻いて、両腕をまっすぐ上に挙げたポーズ。 うーむ、確かに、英雄じゃのう。 40歳以下の人は、ピンと来ないと思いますが、私は、具志堅さんの輝かしい現役時代を、リアルタイムで見ていた世代なので、当時、石垣島の人々が、どれだけ熱狂したかを、容易に想像できます。
≪小浜島行きの船≫
小浜島まで乗る船は、≪ちゅらさん2≫。 結構大きな船で、冷房されたデッキが、前後に二つあります。 屋外デッキはありませんでした。 私は、船があまり好きではなく、やむなく乗る時には、すぐに逃げられるように、極力、屋外デッキに出ているようにしているのですが、そもそも、屋外デッキがないのでは、是非もなし。 出港し、外海に出ると、その理由が分かりました。 高速船で、ムチャクチャ速いのです。 凄まじい波しぶきで、瞬く間に、窓ガラスがビシャビシャに。 水滴だらけで、写真一枚撮れたもんじゃありません。 いくらなんでも、こんなに速くなくてもいいんですがね。 南国の、ゆったりした雰囲気に合わんではないですか。
デッキには、大型液晶テレビがあって、テレビ放送を流していましたが、私は、窓際に座ったので、外に気をとられて、ほとんど見ていませんでした。 まして、やっていたのが、テレビ・ショッピングでは・・・。 大体、走り出すと、エンジン音と波が砕ける音以外、何も聞こえなくなり、テレビどころではありません。 字幕オンにしておけば、窓際以外の席の人は、見るかもしれませんな。 もっとも、ここまで来て、テレビ放送を見たい客もいないと思うので、観光ビデオでも流した方が、受けがいいと思います。
この付近、海が浅いので、航路を示す標柱が、海底地盤に直截立てられていて、それを目安に進んで行きます。 不思議な事に、磯臭さが、全く感じられません。 船旅というと、磯の臭いと、塗り重ねられた船のペンキの臭いで、動き出す前から、酔ってしまうものですが、この航海では、どちらも、一切感じませんでした。 船酔い対策に、飴を持って来ていたのですが、一応、なめてはいたものの、たぶん、使わなくても、酔わなかったと思います。 高速のおかげで、たった30分の航海でしたし。
≪小浜島バス観光≫
小浜島に上陸すると、船着場に、小浜島の観光バスの運転手さんが、案内札を持って立っていました。 そこで、券をもぎってもらい、指示されたバスへ向かいます。 マイクロバスで、20人乗りくらい。 正直な観察、かなりくたびれていて、外観も内装も、ボロボロとは言わないものの、確実にボロでした。 やはり、潮風が厳しい土地だと、車のもちが悪い様子。 ほぼ、満席で出発。
お客は、全組、寄せ集めで、このバスに乗っている間だけ、道連れになる関係です。 つまり、≪小浜島・竹富島ツアー≫という、一つのツアーがあるわけではなく、≪小浜島 バス観光ツアー≫とか、≪竹富島 水牛車観光ツアー≫とかが、個別にあって、それらを船会社が纏めて、一日分にしているだけなんですな。 分かった分かった。 2時間サスペンスで、名取裕子さんが添乗員をやるようなツアーとは、全く違うシステムなわけだ。
バスの運転手さんが、運転しながら、観光案内をするという、ちょっと安全面で不安を感じる方式。 しかし、走り出してみると、他に走っている車が、ほとんどがないので、さほど、危険ではない事が分かりました。 小浜島は、私は、この旅行に来るまで、名前を知らなかったのですが、NHKの2001年の朝ドラ、≪ちゅらさん≫の舞台になった島だとの事。 道理で、船の名前も、≪ちゅらさん2≫だったわけだ。 運転手さんの観光案内の内容も、全体の3分の1くらいが、≪ちゅらさん≫関連の話でした。 テレビの影響力は大きい。 一本、全国区で受けると、撮影地は、とてつもない観光資源を得る事になるわけだ。 ≪ちゅらさん≫は、好評を得た作品で、続編が≪4≫まで作られたそうですから、尚の事です。
私は、≪ちゅらさん≫の放送当時、勤め人でしたから、NHKの朝ドラは見ていなかったのですが、主演の国仲涼子さんは好きな女優さんなので、全く興味がない作品というわけではありません。 その後、再放送もされているようですが、惜しむらく、朝ドラは回数が多過ぎて、一気に見るという事ができません。 総集編を作ってくれれば、腰を据えて、じっくりと見るんですがね。
ところで、「ちゅらさん」というのは、「美しい人」という意味ですが、運転手さんの話では、「ちゅらさん」は、沖縄本島の言葉であって、小浜島では、「○・・・○」と言うとの事。 ○・・・○の部分は、私が覚えられませんでした。 知らなかった・・・。 私は、昔、言語学を趣味にしていたのですが、その頃に得た知識によると、沖縄の言葉は、島ごとの違いが甚だしく、互いに通じないので、方言というより、それぞれ、別言語と見た方が良いとの事。 「方言」と「言語」の違いは、互いに通じるか通じないかで決まるわけですな。
つまりその、小浜島の話なのに、本島語で、「ちゅらさん」という題名をつけたという事は、例えて言うなら、ドイツの話なのに、フランス語で題名をつけたのと同じなわけです。 「どっちも西洋だから、大して変わらんだろう」、「どっちも沖縄県だから、大して変わらんだろう」というノリで・・・。 NHKよ、いいのか、それで? もし、自分の故郷だったら、そういういい加減な事を、笑って許しますかね。 あー、断っておきますが、これは、私個人の意見でして、運転手さんが、そういう批判をしたわけではありません。
つっこみはその程度にして・・・、バスは、≪ちゅらさん≫で出て来たという、「シュガー・ロード」という畑の中の道を通りました。 撮影当時は、サトウキビ畑だったらしいのですが、サトウキビは利益が出ないそうで、その後、牧草地に転換した畑が多く、もはや、シュガー・ロードではなくなりつつあるとの事。
牧草は儲かるのかというと、意外にも、サトウキビよりは、高く売れるらしいのです。 その理由は、牧草のラッピング技術が普及して、サイロがなくても、牧草を保存できるようになったからだと言ってました。 なるほど、そういう変化があったんですな。 私が初めて、ラッピングされた牧草を見たのは、2010年に、岩手に応援に行った時ですが、あれは、そんなに昔からあった物ではなく、少なくとも、≪ちゅらさん≫の放送より後に、普及したわけだ。
その後、村の中に入り、主人公の家として、ロケに使われた家の前を通りました。 普通の家で、人が住んでいます。 いやー、毎日毎日、観光客がバスで押しかけて来て、家の中を覗き込まれるというのは、敵わんでしょうなあ。 そう言うこちらは、覗き込んでいる方の一人なわけで、冷や汗が出て来ます。 観光会社は、いくらかのお礼をしているんでしょうねえ。
ちゅらさんの家。
バスは、島の西の方へ向かい、≪細崎≫へ。 「くばざき」と読むそうです。 ここからは、西表島が、すぐ向かいに見えます。 恨めしや、西表ツアーを中止にした船会社・・・。 ちなみに、この日のツアーの船会社は、別の会社です。 でなきゃー、心穏やかに観光なんてできるものですか。 そういや、運転手さんが、何気なく言ったところでは、「昨日も、船は出ましたけどね」との事。 ますます、恨めしい。 一生に一度しか来れないというのに、西表に行かずじまいだったとは・・・。
それはさておき、小浜島と西表島の間の海を、≪ヨナラ水道≫と言いますが、その中程に、色が濃くなった部分があります。 そこだけ深くなっていて、マンタが通る道になっているのたそうです。 マンタというのは、巨大なエイ。 最大で、横幅8メートル。 は、は、はちめえとる? 何喰ったら、そんなに大きくなるとですか?
少し移動して、細崎港へ。 そこそこ大きな、漁港です。 ≪ちゅらさん≫では、この細崎港の突堤を、小浜港の突堤に見立てて、主人公が走る場面を撮影したとの事。 つくづく、テキトーじゃのう、NHKよ。 宮城県籍の小型漁船が引き揚げられていて、東日本大震災の後、太平洋をぐるっと回って、流れ着いたのではないかと言っていました。
いやあ、それにしても、あの運転手さん、喋り詰めに喋っていたなあ。 知識欲が旺盛で、自分でどんどん調べて、案内の内容を充実させて来たという感じでした。 そういえば、この辺の海に、磯臭さがない理由も、話してくれました。 磯臭さの元は海藻らしいのですが、この付近の海では寒暖差がないせいで、海藻が育たないから、臭くないのだとか。 なるほど、それで納得。
その後、引き返して、小浜島で最も高い、≪大岳≫へ。 「うふだき」と読みます。 標高99メートル。 いかに私でも、「最大級のマンタが、13匹並べば、この山より高くなるわけだな」などと、比較する意味のない事を考えたりはしません。 中腹まで、車で行き、そこからは、徒歩で登山。 しかし、いくらも歩かない内に、頂上に着きました。 あずまやがあります。 眺望は見事の一語。 ここからは、与那国島を除く、八重山諸島の全ての島が見えるとの事。 しかし、島の位置関係が頭に入っていない私には、どれが何島なのか、分かりませんでした。 与那国島が見えないのは、西表島の山陰に入ってしまうからです。
大岳から見た西表島。
ところで、この大岳ですが、島の中で最も高い所であるはずなのに、頂上に立つと、東の方にある山の方が、もっと高いように見えます。 地図を見ると、大岳の横に、≪西大岳≫というのがあり、どうも、私達が登ったのは、そちらの方だと思われるのです。 東の方に見えた山が、本物の大岳だったわけだ。 そちらに登れない理由でもあったんでしょうか。 眺めの良さは、どちらも同じだと思いますが。
バス観光は、ここでおしまい。 この後、バスは、島の南東部にある、リゾート施設に向かいました。 そこで、私と、もう一組、若い女性の二人連れだけが下ろされました。 この施設、メインはホテルなのですが、私らは、そこに泊まるわけではなく、ホテル内にあるレストランで、昼食だけ取る予定になっていたのです。 とことん、入り組んだツアーだ。 昼食後、同じバス会社の、別のバスが、別の運転手で、迎えに来るとの事。 ややこしいなあ。
≪昼食と昼休み≫
ホテル一階にあるレストランに入ると、ちゃんと予約は入っていて、昼食券をもぎられました。 昼食は、塗り箱に入った、高級そうな、お弁当で、飲み物と汁物だけ、自分で取って来る方式でした。 私は、コップに冷水二杯と、味噌汁の代わりに、白っぽい麺が入った汁を取って来ました。 その時は知らなかったのですが、これが、「八重山そば」だったんですな。 お弁当も、八重山そばも、おいしかったです。 というか、この旅に出て以来、食べる物がおいし過ぎて、腹が出る一方・・・。 ズボンのウエストがきつくなり始めたのが、この昼食辺りからでした。
高級弁当。
食事の後、迎えのバスが来るまで、一時間くらいあったので、ホテル内の売店を見て回りました。 シーサーのお土産がたくさんあります。 私は、基本、食べて、あとを残さない物以外、土産を買わない主義なのですが、シーサーは、実に魅力的な品で、思わず買いたくなりました。 単なる置物ではなく、魔除けになるというのが、お買い得感を、弥が上にも盛り上げるではありませんか。 しかし、まだ、旅行3日目で、先は長い事とて、荷物になるようなものは、なるべく増やしたくありません。 シーサーなら、沖縄のどこででも売っているだろうと思って、ここでは諦めました。
ホテルの庭に、大きな池あり。 蓮のような植物が水面を覆っていて、岸近くに、一頭の水牛が、浮きながら昼寝していました。 この水牛、私が、池の周辺にいた30分ほどの間、口元をもごもご蠢かす以外、全く姿勢を変えませんでした。 石の上にも三年、水の中にも30分・・・、いや、3時間くらい、同じ姿勢でいるのかもしれません。 確かに、浮いたまま眠るのは、快楽の至る所でしょうなあ。
不動水牛。
池の畔には、他に、ヤギ一頭、カラス、バン、顔が赤くて、体が白黒のカモなどが、うろついていました。 ヤギは、紐で繋がれていましたが、動ける範囲内にある草を食べ放題。 つくづく思うに、草食動物というのは、幸せものですなあ。 食べ物が、地面から生えてるんだから。
ちょっと奥の方に、フェンスで囲まれたケージがあり、ヤギ数頭と、黒ウサギがいました。 このヤギ達、所在なさそうにしていましたが、順番で、池の畔に繋いで貰えるんでしょうかね? 刑務所に於ける、「映画鑑賞の日」みたいに、「草食べ放題の日」があるのだとしたら、さぞや、指折り数えて、その日を待っている事でしょう。 指、二本しかないですが・・・。 黒ウサギの名前は、「ラッキー」。 「暑くて敵わんわー」という感じで寝ており、あまり、幸運そうには見えませんでしたが・・・。
リゾート内マップを見たら、昆虫博物館があるようです。 「よし、そこで、時間を潰せば、冷房が利いているに違いない」と思って、行ってみたら、まさかの土禁! なんで、昆虫を見るのに、靴を脱がなければならんのよ? やむなく、入口から、写真だけ撮って、引き揚げました。 土禁にすると、何か、得があるんですかね? 結局、定期的に、掃除はするわけですから、管理側の負担に変わりはないと思うんですがねえ。 解せんなあ。
もう、見る所もないので、ホテルの入口前で待っていたら、ホテルの係員と思しき若い女性が、ニコニコ笑いながら近づいて来ました。 迎えのバスまでには、まだ時間があるから、ホテルのロビーで座って待っていれば、呼びに行くと言うので、それに従いました。 サービス、または、親切で言ってくれたのか、入口前で、うろうろされると、ホテルのイメージが悪いから、追っ払うつもりだったのか、それは、さておくとして・・・。
程なくして、ロビーに、バス会社の案内札を持った男性が入って来て、昼食前に、私と一緒に、ここで下りた若い女性二人連れを連れて、出て行きました。 私は、ホテルの係員が呼びに来るものだとばかり思って、おっとり構えていたのですが、三人が出て行ってしまってから、「もしや!」と気づいて、慌てて追いかけました。 外へ出ると、先程のホテルの係員がいたので、「あのバスじゃないんですか?」と言ったら、「ああ、そうですね」という、呑気な返事。 だったら、呼びに来いよ! 洒落にならんわ! 私が、自分で気づかなかったら、置いて行かれるところでした。 これだから、他人は信用できない。 ニコニコ笑って、悪意がなければ、仕事をいい加減にやってもいいってもんじゃないよ、あなた。
しかし、こういう事は、これが初めてではありません。 全国津々浦々、特定の土地に限らず、特定の世代に限らず、いい加減な仕事をしているのに、何の後ろめたさも感じていない人間というのは、うじゃうじゃいます。 一昔前と比べると、そういう職業意識の希薄な人が、次第に増える傾向にあるのは確か。 個人主義全盛の時代に、職業意識だけで、他人への責任感を持てという方が、無理な相談なのかもしれません。 とにかく、置いて行かれずに済んだのだから、それで良しとしました。
≪小浜港へのバス≫
午前中に乗ったのより、少し状態がいいバスに乗って、小浜港へ向かいます。 運転手さんの話では、このリゾート施設の池にいる水牛は、西表島で水牛車を引いていたのが、引退して、余生を送っているのだとか。 なるほど、道理で、寝てばかりいるわけだ。 水牛は、元々、沖縄にいたわけではなく、台湾から来た人達が、連れて来たのだそうです。 それは意外。 しかし、よく考えてみると、台湾も島なのであって、元からいたわけではありますまい。 大元は、どこだったんでしょうねえ。 また、沖縄では、普通の牛も育つわけで、特に、水牛でなければならないわけではなかったと思うのですが、なぜ、水牛が普及したのかも不明。 水牛の方が、飼い易かったんですかね?
≪竹富島行きの船≫
小浜港で、竹富島へ向かう船に乗ります。 ≪サザン・コーラル≫という、≪ちゅらさん2≫より、一回りか二回り、小さい船でした。 デッキは二つありますが、冷房されているのは、前側だけで、私が乗り込んだ時、そちらはもう、満員に近かったので、後ろの、開け放しのデッキの方に座りました。 開け放しと言っても、側面は閉じられて、波しぶきが入ってこないようになっています。 船体も、座席も、かなり、年季が入っていて、「この船なら、ゆったりした航海になるだろう」などと思った私が愚か。 走り出したら、速い速い! どんだけ、馬力あるエンジン、載せとんのよ? またまた、窓は、水滴で埋め尽くされ、何も見えません。
余談中の余談ですが・・・、私の目の前にあった、トイレのドアが、船の揺れで開いてしまって、戻りそうで戻らないのが、終始気になりました。 ようやく、閉まったと思ったら、船が反対側に傾くと、また開いてしまいます。 ストッパーが壊れているのかもしれませんな。 自分で閉めに行こうかとも思いましたが、船が速過ぎて、立ち上がるのが怖い。 どうせ、すぐに着くと思って、そのままにしておきました。
≪竹富島水牛車観光≫
25分で、竹富島に到着。 今度は、観光水牛車の会社が出しているマイクロ・バスで、西集落の水牛車乗り場へ向かいました。 10分くらいでしたか。 竹富島では、バスに乗る前ではなく、この水牛車乗り場の受付で、券をもぎられました。 その時、絵葉書を一枚くれました。 一人一人、名前をチェックして、どの水牛車に乗るか、割り振っています。 個人で船に乗って来た人が、ちゃっかり、紛れ込んでしまうのを避けるためだと思いますが、見るからに、手間のかかる作業です。
水牛車は、20人乗りくらいで、マイクロ・バスくらいの大きさがあります。 基本部分は鉄の骨組みで、その上に、木材で、長椅子と屋根を作りつけ、屋根の上には、トタンを葺いてあります。 椅子は、通勤電車方式で、左右に一列ずつ、内側に向かって座るようになっているのに対し、見る対象は、外側にあるわけで、常に片側の人は、体を捩って、外を見る格好になります。 まあ、仕方がないか。
私が乗った車を牽いていた水牛は、「ピー助」という名前で、確か、3歳のオスだと言っていました。 オス・メスに関係なく、片方の角に、花をつけていて、大変、可愛らしいです。 御者兼ガイドさんが、名調子で説明しながら、西集落の中を見せて回ります。 出だしは、水牛の扱い方の説明から始まり、ここで、かなりの笑いを取ります。 水牛は、もともと、水の中を好むので、暑さが苦手。 そこで、コースの途中に、数箇所、給水ポイントが設けてあり、ホースで、水をかけてやるのだとか。 これは、説明された後、すぐに、実演されました。 水をかけてやらないと、立ち止まってしまうのです。
他に、水牛が立ち止まる理由は、大と小で、大の方は、やはり、実演されました。 いや、別に演じていたわけではないから、実演というのも、おかしいか。 何て言ったらいいのか、分かりません。 つまり、実際に、排便したわけです。 御者兼ガイドさんが、すかさず、バケツを取り出し、キャッチしたのは、鮮やか過ぎるお手並み。 いくら何でも、反射が速過ぎるので、少しは、地面に落ちたのかもしれませんが、私は、一番後ろに乗っていたので、細かい所まで観察する事ができませんでした。
水牛車を牽く、ピー助。
村の道は狭いので、角を曲がる時、長い水牛車を方向転換するには、石垣に擦れないギリギリを大回りしなければならないのですが、水牛達は、歩く軌跡を覚えていて、何も言わなくても、大回りして行くのだそうです。 それでも、うっかり、水牛車を石垣に当てて、崩してしまった時には、御者兼ガイドさんが、仕事が終わった後で、積み直しに来るのだとか。 石垣は、セメントなどで固めずに、ただ積んであるだけ。 隙間があるがゆえに、台風でも崩れず、強い風を和らげて、屋敷の中に柔らかい風を通す効果があるとの事。
他に、御者兼ガイドさんから説明された事というと、竹富島では、集落全体が、伝統的な建築様式を残すように取り決められていて、平屋以外の建物が建てられないため、民宿はあるが、ホテルはないという事。 各家の屋根に乗っているシーサーの位置は、家の中の神棚の位置と同一線上にあるという事。 井戸は、13メートル掘って、水が出れば良いが、14メートルまで行くと、海水になってしまうという事。 水がないから、米が作れず、他の島へ米を作りに行っていたという事。 竹富町の役場は、元は、竹富島にあったが、他の島との交通が不便だったせいで、船便のハブになっている石垣島に移転し、今、役場に勤務している人達は、石垣市に住んでいるので、みんな石垣市民だという事。 他にも、いろいろ聞いたと思うのですが、覚えているのは、そんなところです。
この水牛車ツアーの、一番の見所は、≪安里屋クヤマ≫という人の、「生誕の地」前を通る事です。 「あさとや くやま」と読みます。 18世紀に生きた絶世の美女で、琉球王府から派遣された役人に、妻になるよう請われたにも拘らず、きっぱり断った事で、名を残した人。 当時は、役人の妻になれば、左団扇で暮らせたらしいのですが、それを、嫌なものは嫌と断ったのだから、天晴れと讃えられたのだそうです。
あくまで、生誕の地であって、生家ではないので 18世紀の建物そのものではないと思いますが、住んでいるのは、子孫の方で、やはり、美人なのだそうです。 その時の経緯を謡った、≪安里屋ユンタ≫という民謡があり、御者兼ガイドさんが、三線を奏でながら、謡い始めたのですが、客の大半が、沖縄県民ではないものだから、手拍子のリズムが、うまく合いません。 せっかくの歌をぶち壊している感が、甚だ濃厚。 聞いていて、冷や汗ぞ下る。
その内、客の中の小学5・6年生くらいの女の子が、何か言ったらしく、御者兼ガイドさんが、謡うのをやめて、「じゃ、あなた、謡って」と、その子供に三線を渡そうとして、すったもんだしている内に、歌は、それっきりになってしまいました。 大方、「弾ける」とか何とか、言ったんじゃないかと思いますが、礼儀を知らない馬鹿ガキが、余計な事を言いおって・・・。 聞けるものまで聞きそびれてしまったではないか。 これだから、他人の子供など、有害でしかないというのです。
もう一人、困った客に、本島から来たという中年男性がいたのですが、この人が、御者兼ガイドさんが説明した事に、いちいち、何か一言、付け加えたがる。 当人は、家族の前で、ガイドさんと掛け合いをして、おどけているだけのつもりだったのだと思うのですが、ガイドさんの説明を、100パーセント聞きたい私としては、この人がつっこみを入れるたびに、話が本道からずれてしまうので、鬱陶しいったらなかったです。 知ってても、黙っていればいいんですよ。 さもなきゃ、ガイド付きの水牛車なんか乗らずに、自分で家族を案内して回ればいいのに。
思い起こすに、私が中学3年生の時、京都に修学旅行に行ったのですが、同級生の一人に、以前、家族で京都旅行に来た経験がある奴がいて、バス・ガイドさんの先を越して、ああだこうだと知ったかぶるので、クラス中から、馬鹿扱いのブーイングを浴びて、それ以降、黙り込むという事件がありました。 私も、小学生の頃に、親と一緒に、京都に行った事はあったのですが、もちろん、そんな事は口にしません。 他の者も同じだったでしょう。 ガイドの前で知ったかぶるというのは、営業妨害以外のなにものでもないのです。
≪フリー・タイム≫
水牛車観光が終わった後は、石垣島へ戻る最終の船便まで、フリー・タイムになりました。 どうして、ここだけ、フリーが利くかというと、石垣島へ帰れば、もう、次の予定がないからでして、同じ船会社ですから、どの便で帰ってもいいというわけなんですな。 レンタ・サイクルがあり、村の大きさに比して、ちょっと異常なくらい多くの自転車が走り回っていましたが、私は、借りませんでした。 お金が惜しいというのが第一の理由。 水牛車に乗っている間に、村の大きさが大体分ったので、徒歩でも充分、見て回れると踏んだのが、第二の理由です。
≪なごみの塔≫
鉄筋コンクリートの展望台です。 水牛車のガイドさんが、「島で一番高い所で、村が一望できる」と言っていたので、登ってみました。 高いといっても、塔自体の高さは、5メートルくらいで、≪あか山≫という小山の上に建てる事で、高さを稼いでいる格好です。 塔というより、火の見櫓みたいなイメージでして、異様に急な傾斜で、一人通るのがやっとという、幅の狭い階段があり、しかも、最上部の平面が狭く、最多で二人しか立てません。
あか山に立つ、なごみの塔。
二人連れなら、一人ずつ上って、上で記念写真を撮り、一人ずつ下りるというパターン。 一人なら、一人で上がって、写真だけ撮って、さっさと下りて来るというパターン。 三人以上の場合、二組に分けるしかありませんな。 小さい子供は、最初から、やめた方が無難。 上がるだけ上がっても、上で、びびって、泣き出されると、大人が何人いようが、もはや、下ろす方法がありません。 階段の傾斜がきつ過ぎて、負ぶって下ろすなど、とてもとても・・・。
人の回転が悪いので、行列が出来ています。 とりあえず、並んでいる人間の面子を観察し、上で泣き出しそうな子供とか、ヒールがついたサンダルを履いた女とかがいない事を確認してから、列に並びました。 私の前にいたのは、3組ほどでしたが、それでも、10分以上待ったと思います。 階段の下に、注意書きがあり、「怪我は自己責任です」とあります。
私の番が来て、急いで上がりましたが、特段、高所恐怖症というわけではない私も、この、「狭くて高い」場所には、頭がくらくらして、手すりで体を支えなければ、立っていられない有様でした。 急いで、写真だけ撮り、下り始めましたが、それがまた怖い。 一度、経験すると、大きな事が言えなくなるスポットですな。
なごみの塔から見下ろした家並み。
≪西桟橋≫
集落の西の方へ行くと、すぐに、海に出ます。 西桟橋は、その名の通り、西の端から、西の方へ向かって、ドーンと突き出している桟橋です。 桟橋以外には、エメラルド・グリーンの海しか見えないので、開放感が半端ではありません。 桟橋の先の方に、二人連れがいたので、「邪魔するのも、無粋かな」と思って、立ち止まったのですが、よく見たら、若い女性の二人連れだったので、「そんじゃ、いいか」と思い、真ん中くらいまで行ってみました。 写真だけ撮って、さっさと引き返したので、邪魔にはならなかったでしょう。
西桟橋で盛り上がる女性二人。
観光客を観察していて思うのは、観光地を最も満喫しているのは、女性の二人連れなのではないかという事です。 これは、はしゃぎ具合を見れば、一目瞭然で分かります。 一方、男というのは、友人二人で行動を共にする事はあっても、せいぜい、近場に遊びに繰り出すくらいで、泊まりで観光旅行というのは、まずやりません。 「野郎同士で旅行に行っても、侘しいだけ」とか言うわけです。 その点、女は、同性の友人同士というのが、最も気楽な組み合わせでして、泊まりでも、海外旅行でも、ホイホイ出かけて行きます。
異性同士で二人というのは、イメージほどは、盛り上がりません。 性別が違うと、同じ物を見ても、抱く興味の程度がまるで違うわけで、そんな者同士で、会話が弾むわけがないんですな。 互いに一言も喋らず、ニコリともしない異性二人連れを、割とよく見かけますが、恐らく、交際を始めて久しく、相手への興味は、すっかり尽きてしまって、それでも、結婚を打算しているために、別れる理由もなく、交際の体裁を保つために、観光地を回っているだけなんでしょう。 交際初期で、ベタベタしている頃なら、どこへ行っても楽しいと感じるかもしれませんが、そういう人達は、何も、高い旅費を払って、遠くへ出かけて来る必要はありますまい。 どこでもいいなら、近場の遊園地にでも行くのが適当。
家族連れも同じ。 子供は、はしゃぎますが、それは、その観光地へ来ているからはしゃいでいるのではなく、単に、普段とは違う状況に置かれて、興奮している上、旅行中は、普段より厚い親の庇護が受けられるので、調子に乗っているだけです。 子供を喜ばせたかったら、今まで行った事がない所へ連れて行けば、それで充分なのであって、遠くである必要もなければ、観光地である必要もありません。 家族連れの大人の方は、尚の事で、子供の事が気になって、観光を楽しむどころではありますまい。
最後に、一人で来ている人間。 これは、言うまでもなく、はしゃぎようがないです。 地味~な所を、地味~に、見て回るだけ。 しかし、前回も書いたように、「見る・学ぶ」系の観光地巡りなら、自分の見たいものだけを見れるので、一人の方が、ずっと効率がよいです。 それに、腹が減っていなければ、昼食を抜くというような事も、自由にできますから、同じ一日でも、見て回れる所が、複数人の場合より、遥かに多くなります。
これは、ブログの旅行記を見ると、よく分かります。 たとえば、私のこの、異様に細部に拘る旅行記は、典型的に、一人で行った者の産物ですが、複数人で行った人のそれは、同じ所を巡ったとしても、この10分の1の量にもならないでしょう。 極端なケース、予定表に、写真を貼って、一言コメントを付けただけ、みたいな旅行記も珍しくないです。 同行者に気を使わなければならない分、肝心の観光が疎かになってしまうんですな。
≪皆治浜(かいじはま)≫
西桟橋から、海岸線に沿った外周道路を南下していくと、島の南西部に、この浜があります。 かの有名な、「星砂(ほしずな)」の浜です。 星の形に見える有孔虫の死骸で、砂浜が出来ているという所。 39年前、母が海洋博に来た時、星砂が入った小壜をつけたキーホルダーを、土産に買って来ましたが、それは、本島で買ったもので、母自身は、竹富島には来ていません。 私は、その現物がある浜まで来たわけですから、旅行キャリアとして、母に勝ったわけですな。 あまり、意味のない勝利ですが・・・。
ところが、手で砂を掬って、見てみても、星の形をしていません。 どーゆーこっちゃねん? 浜の入り口に、板屋根とビニール壁だけの土産物店があり、そこの品を除いてみたら、ちゃんと、星砂が入っています。 もう一度、浜へ出て、今度は、少し離れた所で掬ってみましたが、やはり、一つも見つけられません。 どーなっとんの、マジで? 台風の後だから? それとも、大量の砂の中から、選び出して、土産物を作っているんでしょうか?
皆治浜(左)/ 星砂はどこだ?(右)
とにかく、一個も見つけられないまま、探し疲れて、撤退する事になりました。 母に勝ったとばかり思っていたのに・・・。 こういうのを、「虚しい勝利」と言うのでしょうか・・・。 もちろん、私は、自分で見つけられなかったからと言って、土産物を買って帰るような財布の紐の緩い男ではありません。 星砂そのものだったら、39年前の土産が、家にありますからのう。 ちなみに、星砂でも、珊瑚でも、観光客が、直截、現地から持ち帰るのは、たぶん、アウトだと思います。 沖縄のように、毎年、こらしょと観光客が押し寄せる所では、それを許していると、浜の真砂も尽きてしまいますから。
≪蔵元跡≫
八重山の中心地が竹富島だった頃に、役所が置かれた場所。 皆治浜のすぐ陸側にあります。 しかし、まだ未整備のようで、説明板の図にある蔵元跡の辺りは、現状、ほぼ、密林でした。 竹富島には、ハブがいるらしいので、その中へ踏み込んでいくほど、無謀ではありません。 説明板によると、蔵元があった頃には、皆治浜が船着場になっていたのだそうです。 今は、ただの浜で、船を着けられそうな所は、全く見当たらないのですが、思うに、基本的に遠浅だから、桟橋を作れば、どこでも、港に出来たのかも知れませんな。
≪徒歩で西集落へ≫
皆治浜で、星砂を見れなかった私は、地図に、もう一ヵ所、星砂の浜が載っていた事を思い出し、そちらへ行って、星砂を探したい欲望に駆り立てられました。 場所は、島の南東部です。 このまま、海岸線に沿って歩いていけば、着くに違いない。 あわよくば、海岸線の道路で、港まで歩いてしまおうとまで、目論んでいました。
ところが、歩けば歩くほど、周囲は藪だらけになって、海から離れているような気がします。 改めて、地図を出して、見直したところ、もう一ヵ所の星砂の浜、≪アイヤル浜≫というのは、確かに南東部にありますが、そこへ行ける海岸線沿いの道は存在せず、一度、集落へ戻らなければならないのです。 また、アイヤル浜から、港へ海岸線を通って行ける道もありません。 結局、集落へ戻るしかないわけだ。 そして、一度、戻って、そこから、アイヤル浜まで往復するとなると、船の最終便までに、時間が足りません。 結局、星砂を見るのは、諦めるしかありませんでした。
アイヤル浜どころか、皆治浜から、集落に戻るだけでも、えらい距離がありました。 日差しが強くて、もう大変。 歩いているのは私くらいで、他の観光客は、みな自転車です。 ここで、また、ちょっとした事件が起こりました。 私の後ろからやって来た、自転車の親子三人連れの内、小学3・4年生くらいの少年が、目にゴミが入ったらしく、自転車に乗ったまま、私の方へ突っ込んで来たのです。 まったく、犬も歩けば棒に当たる。 こんなんばっかし、起こるな。
私は、子供の声が近付くと、警戒する癖がついているので、未然に気づいて、間一髪のところで避ける事ができました。 少年は、私を抜いて、2メートルばかり行った所で、ブレーキをかけて停まりました。 慌てたのは、父親と母親で、私に向かっては、「すいません」を繰り返し、息子に向かっては、「なんで、人のいる方へ行くんだよ」と、問い質していました。
少年は、答えませんでしたが、私には、この小僧の考えの軌跡が、簡単に読めます。 目にゴミが入って、前がはっきり見えなくなってしまったが、急ブレーキをかけたら、倒れてしまいそうで、怖い。 しかし、このまま進むと、藪の中へ突っ込んでしまい、ハブに咬まれるかもしれない。 ブレーキはかけたくない、藪には突っ込みたくない。 どうしようかと迷っている内に、第三の道である、「歩行者に突っ込む」へ追い込まれていったのでしょう。 刑法上の「緊急避難」に該当する? しませんよ!
子供というのは、無責任の権化であり、大人がどうにかしてくれると、虫のいい事を考えている上に、他人なんか、どうなってもいいと思っているものです。 私は、親になった事がない分、自分が子供の頃の事を、よく覚えているので、そういう考え方が手に取るように分かります。 しかし、親は、「とりあえず、いい子」だと思っていた自分の子供が、こういう事をやるのを目の当たりにしたら、仰天するでしょうな。 私が避けなかったら、たぶん、病院行きの怪我になっていたでしょうから、尚の事。
でも、この件に関しては、怒りは、全くと言っていいほど感じませんでした。 私が、「子供なんか、そういうものだ」と思っていた事と、この両親が、すぐに謝った事で、怒る理由がなくなってしまったわけです。 ちなみに、子供本人は、謝りませんでした。 子供というのは、結果的に悪事をしても、悪意がなければ、罪にはならないと思っているのだから、無理もない。 親が子供に、形だけでも謝らせれば、親の対応としては、完璧だったわけですが、それもありませんでした。 だけど、今時の親子に、そこまで期待するのは、そもそも酷というものでしょう。
≪竹富港へ≫
西集落に戻り、北の方にある御嶽を二つ見てから、水牛車乗り場へ行ったら、ちょうど、港へ向かうバスが、出る寸前でした。 今、このバスに乗れば、最終の船便の、一つ前の便に間に合います。 最終となると、石垣港へ戻ってからが、ちと不安なので、ゆとりを持って、一つ前の便に乗って帰りたいところです。
このバスには、予約がいると聞いていたので、駄目元で、受付に行き、「あれに乗れますか?」と訊いたら、乗れるとの返事。 喜んで乗ろうとしたら、「名前、名前!」と呼び戻されました。 そうでした。 ツアーに参加した客以外は、バスに乗れないのです。 戻って、名前を言い、名簿にチェックを入れてもらって、ようやく乗れたのですが、いざ、出発という時になって、乗り込んで来た運転手さんは、その名簿をチェックしていた人でした。 うーむ、全国的に人手不足な御時世じゃのう。
満席で、助手席まで使って、出発。 「ばす、いや~っ! そとにいるの~っ!」と、引っ切りなしに金切り声を上げる幼女に悩まされながら、港まで、10分。 運転手さんの話では、この時間帯の船が、一番混むのだとの事。 なるほど、みんな、考える事は同じか。 ターミナルの待合室は、かなり広いのですが、エアコンがぬるく感じられるほど、人が大勢、集まっていました。
≪石垣港へ≫
15分ほど待って、港に入って来た、≪ちゅらさん2≫に乗りました。 朝、石垣港から、小浜港へ行く時に乗ったのと、同じ船です。 船も、満席。 相変わらずの超高速で、波を蹴立てて、ぶっ飛ばし、25分ほどで、石垣港に着きました。 すでに、5時を過ぎています。
ちゅらさん2(上)/ サザン・コーラル(下)
≪ホテルへ≫
離島ターミナルで、船会社の受付へ行き、ホテルに戻る送迎バスが出るか訊いたら、出るとの事。 しばらく待つように言われましたが、5分もしない内に、呼ばれて、客三組でマイクロ・バスに乗り込みました。 たぶん、客がある程度溜まるのを待って、不定期で走らせているのでしょう。 各ホテルを回って、私が最後に、一人で下りました。
≪ホテルの夜≫
フロントで、キーを受け取り、ついでに、夕食の時間を予約しました。 夕食は、客が集中すると困るので、予約がいるのです。 すでに、5時半でしたが、早目に食べてしまいたくて、6時に予約しました。 部屋に戻ると、中は掃除されて、タオルや浴衣も、新しいのに取り替えられていました。 やはり、新しい方が、気分は良いです。 もっとも、このホテルにいるのも、この夜限りなのですが。
クローゼットにしまっておいた旅行鞄を出し、一晩過ごすのに必要なだけの荷物を展開し直します。 これが面倒臭い。 途中で、時間になったので、レストランへ、最後の晩餐に出かけました。 細々とは書きませんが、二日目の晩と同じ、和洋会席を頼み、肉の焼き方だけ、ミディアムにしてもらいました。 前日のウェルダンが、少し硬く感じられたからですが、ミディアムでも、そんなに変わらなかったです。 デザートに、さとうきびアイスを頼みましたが、素朴な甘さで、独特な味わいがありました。
部屋に戻って、テレビをつけたら、なんと、電波状態が悪いとかで、BSプレミアムが映りません。 ≪こころ旅≫が見れませんがな。 難視聴対策電波チャンネルというのに切り替えたら、画質極悪なものの、一応映ったので、それで、何とか見ました。
それから、洗濯。 この日の昼間、気づいたのですが、前日、雨に濡れて、ズボンの裾だけ洗ったのが、洗った所と洗わない所に、塩が白く浮き出たような、境目が出来ていて、「げっ・・・」と絶句。 こんな状態で、翌日の貸切タクシーに乗るわけには行かないので、全部水に浸けて、洗う事にしました。 バスタブに浅く湯を張って、ズボンを浸け、石鹸で、少しずつ洗って行きます。 シャツくらいなら、何とかなりますが、ズボンを手だけで洗うのは、非常につらい事なのだと、初めて知りました。 洗い終わったら、シャワーで流し、これまた少しずつ、絞って行きます。 これがまた、きつい。
ハンガーにかけ、しばらく、ユニット・バスのカーテン・レールに吊るしておいて、水滴が落ちなくなってから、部屋に移しました。 エアコンの風が当たる、ベッド脇の電気スタンドの笠に、ハンガーを引っ掛けましたが、笠が丈夫で良かった。 他の場所では、翌日の朝までに乾かなかったでしょう。 洗濯が終わった後で、シャワーで風呂。 日記を書き、10時頃、就寝。
≪三日目、まとめ≫
この日は、概ね、人任せで、あちこち見て回ったわけですが、自分で調べるのと比べると、やはり、地元のガイドさんの話の方が、情報量が段違いに多い事を、思い知りました。 ただ、もちろん、お金もかかるわけで、私は今回、ポイント消化だったから、遠慮なくツアーを使いましたが、もし自腹で、他へ行って、同じようなツアーに参加するかというと、まず、しないと思います。 しかし、お金にゆとりがある人なら、自力で回るより、ツアーに加わってしまった方が、より、見聞は広まるでしょう。
他人と一緒に行動すると、嫌な事も増えるわけで、特に、子供や、子連れの家族には、迷惑をかけられないように、神経を使いました。 一人で行動する時には、最初から、そういう危険な連中に近付かないようにするのですがね。 お金を使って、楽しい思いをするために、旅行に来ているのに、嫌な思いをさせられたのでは、あまりにも割に合わない。
行った先自体は、小浜島も、竹富島も、大変、良かったです。 どちらも、他の土地とは、家並みも、風景も、全く違う点が、素晴らしい。 やはり、観光は、こういう所へ来なくては、醍醐味がありません。 他の観光客がいなければ、もっと良かったと思いますが、季節柄、それは、無理な相談というものですな。
≪ホテルの朝≫
6時に起きました。 家の自室では、扇風機オンリーで夏を乗り切っているのですが、ホテルは、エアコン・オンリーとなり、「冷房」で夜通し点けておくと、明け方、冷え過ぎて、風邪を引いてしまいます。 そこで、「除湿 弱」にしたのですが、それでも冷えるので、リモコンをベッドの近くに置いて、夜中に切ったり点けたりしていました。
それにつけても、浴衣は、始末が悪い。 寝返りを打つたびに、ベッドの中で裾が捲れ上がり、程なくして、下半身は、パンツ一枚になってしまいます。 夜中に尿意で目覚めた時にも、トイレで裾を捲るのが面倒で、一旦、浴衣を脱いでから、行っていました。 鞄の大きさにゆとりがある人は、薄手のパジャマを持って行った方が、断然、快適に過ごせると思います。 どうせ、ホテルの場合、浴衣のまま、部屋から出るという事はできないのですから。
朝食に関しては、前日と同じバイキングで、特に変わった事はありませんでした。 コツが分かって来たので、一度に、トレイに、全部載せようとせず、メインの料理と、ご飯、味噌汁だけ取って、一旦、席に置いてから、飲み物やデザートを取りに行くようにしました。 食べる前に、複数回、取りに行くのは、OKでしょう。 問題は、食べた後で、また取りに行くという行為でして、別に咎められるわけではありませんが、「食事中」の札がない所では、再度取りに行っている間に、箸やおしぼりなどを、片付けられてしまう恐れがあります。
離島ツアーは、船会社が運営していて、送迎バスが、予約者が泊まっているホテルまで、迎えに来てくれます。 9時50分に来るとの事。 それまでの時間に、荷物を片付けて、旅行鞄の中に入れました。 とはいえ、離島ツアーに旅行鞄を持って行くわけではなく、この日は、部屋の掃除に入ってもらわなければならなかったので、荷物を展開したままだと、都合が悪いと思ったからです。
このホテル、部屋に金庫は無く、「貴重品は、フロントに預けて下さい」との事でしたが、私の場合、貴重品というと、現金、カード、免許証、健康保険証、チケット・クーポンの類だけで、ナップ・ザックに、余裕で収まったので、預けるほどの事はありませんでした。 そもそも、清掃係が信用できないのなら、フロント係だって、同じホテル側の人間ですから、信用できる保証はないのであって、あまり意味が無い話。 金庫があっても同じ事で、金庫の開け方をホテル側が知っているのなら、やはり、意味はありません。
残していく荷物の中で、最も高価そうなものというと、電気髭剃り機ですが、それでも、1000円に過ぎず、盗まれても、すぐに買い替えが利きます。 それ以外は、着替えとか、日記ノートとか、39年前の≪ブルー・ガイド・ブックス 沖縄≫とか、他人にとっては、何の価値もないような物ばかりですから、まあ、大丈夫でしょう。
≪送迎バス≫
9時40分に、一階に下りて、フロントにキーを預け、外へ。 大きな観光バスが待っていて、「こんなに大勢、行くのか!」と驚いたのは一瞬の事。 そのバスとは限らない可能性がある事に気づき、運転手に訊ねる事もせず、しばらく待っていたら、やがて、ワン・ボックス・カーがやって来ました。 船会社の名前をつけているので、間違いなく、そちらです。 やっぱり、そんなものか。
乗ったのは、私一人だけ。 やっぱり、そんなものなんですな。 それにしても、100室近くあるホテルで、石垣島を拠点にして行ける観光地には限りがあるというのに、≪小浜島・竹富島ツアー≫の参加者が、たった一人とは、少なからず、不思議な気がします。 他の連中、一体、何しに来とんの? ただ、海やプールで遊ぶだけなら、家の近所で済ました方がええんとちゃうんかい? 費用対効果を考えて、金使っとかんと、老後はホームレス直行やで。
≪石垣港≫
次のホテルで、親子連れ一組を拾い、あとは、石垣港へ直行。 ≪離島ターミナル≫という大きな建物の前で下ろされました。 どうなる事かと思ったら、運転手さんも一緒に下りて、建物の中にある、船会社の受付まで、案内してくれました。 ここで、クーポンを渡すと、引き換えに、もぎり式のツアー券をくれました。 「小浜島への乗船券」、「小浜島のバス観光券」、「昼食券」、「竹富島への乗船券」、「竹富島の水牛車観光券」、「石垣島への乗船券」が、くっついたもので、各所で、一枚ずつ、もぎって行ってもらう方式です。 「ツアーと言っても、参加者が一団になって、一日、行動を共にするというわけではないらしいぞ・・・」という事に、ここで初めて、気づきます。
船着場の方に出ると、具志堅用高さんの銅像がありました。 チャンピオン・ベルトを巻いて、両腕をまっすぐ上に挙げたポーズ。 うーむ、確かに、英雄じゃのう。 40歳以下の人は、ピンと来ないと思いますが、私は、具志堅さんの輝かしい現役時代を、リアルタイムで見ていた世代なので、当時、石垣島の人々が、どれだけ熱狂したかを、容易に想像できます。
≪小浜島行きの船≫
小浜島まで乗る船は、≪ちゅらさん2≫。 結構大きな船で、冷房されたデッキが、前後に二つあります。 屋外デッキはありませんでした。 私は、船があまり好きではなく、やむなく乗る時には、すぐに逃げられるように、極力、屋外デッキに出ているようにしているのですが、そもそも、屋外デッキがないのでは、是非もなし。 出港し、外海に出ると、その理由が分かりました。 高速船で、ムチャクチャ速いのです。 凄まじい波しぶきで、瞬く間に、窓ガラスがビシャビシャに。 水滴だらけで、写真一枚撮れたもんじゃありません。 いくらなんでも、こんなに速くなくてもいいんですがね。 南国の、ゆったりした雰囲気に合わんではないですか。
デッキには、大型液晶テレビがあって、テレビ放送を流していましたが、私は、窓際に座ったので、外に気をとられて、ほとんど見ていませんでした。 まして、やっていたのが、テレビ・ショッピングでは・・・。 大体、走り出すと、エンジン音と波が砕ける音以外、何も聞こえなくなり、テレビどころではありません。 字幕オンにしておけば、窓際以外の席の人は、見るかもしれませんな。 もっとも、ここまで来て、テレビ放送を見たい客もいないと思うので、観光ビデオでも流した方が、受けがいいと思います。
この付近、海が浅いので、航路を示す標柱が、海底地盤に直截立てられていて、それを目安に進んで行きます。 不思議な事に、磯臭さが、全く感じられません。 船旅というと、磯の臭いと、塗り重ねられた船のペンキの臭いで、動き出す前から、酔ってしまうものですが、この航海では、どちらも、一切感じませんでした。 船酔い対策に、飴を持って来ていたのですが、一応、なめてはいたものの、たぶん、使わなくても、酔わなかったと思います。 高速のおかげで、たった30分の航海でしたし。
≪小浜島バス観光≫
小浜島に上陸すると、船着場に、小浜島の観光バスの運転手さんが、案内札を持って立っていました。 そこで、券をもぎってもらい、指示されたバスへ向かいます。 マイクロバスで、20人乗りくらい。 正直な観察、かなりくたびれていて、外観も内装も、ボロボロとは言わないものの、確実にボロでした。 やはり、潮風が厳しい土地だと、車のもちが悪い様子。 ほぼ、満席で出発。
お客は、全組、寄せ集めで、このバスに乗っている間だけ、道連れになる関係です。 つまり、≪小浜島・竹富島ツアー≫という、一つのツアーがあるわけではなく、≪小浜島 バス観光ツアー≫とか、≪竹富島 水牛車観光ツアー≫とかが、個別にあって、それらを船会社が纏めて、一日分にしているだけなんですな。 分かった分かった。 2時間サスペンスで、名取裕子さんが添乗員をやるようなツアーとは、全く違うシステムなわけだ。
バスの運転手さんが、運転しながら、観光案内をするという、ちょっと安全面で不安を感じる方式。 しかし、走り出してみると、他に走っている車が、ほとんどがないので、さほど、危険ではない事が分かりました。 小浜島は、私は、この旅行に来るまで、名前を知らなかったのですが、NHKの2001年の朝ドラ、≪ちゅらさん≫の舞台になった島だとの事。 道理で、船の名前も、≪ちゅらさん2≫だったわけだ。 運転手さんの観光案内の内容も、全体の3分の1くらいが、≪ちゅらさん≫関連の話でした。 テレビの影響力は大きい。 一本、全国区で受けると、撮影地は、とてつもない観光資源を得る事になるわけだ。 ≪ちゅらさん≫は、好評を得た作品で、続編が≪4≫まで作られたそうですから、尚の事です。
私は、≪ちゅらさん≫の放送当時、勤め人でしたから、NHKの朝ドラは見ていなかったのですが、主演の国仲涼子さんは好きな女優さんなので、全く興味がない作品というわけではありません。 その後、再放送もされているようですが、惜しむらく、朝ドラは回数が多過ぎて、一気に見るという事ができません。 総集編を作ってくれれば、腰を据えて、じっくりと見るんですがね。
ところで、「ちゅらさん」というのは、「美しい人」という意味ですが、運転手さんの話では、「ちゅらさん」は、沖縄本島の言葉であって、小浜島では、「○・・・○」と言うとの事。 ○・・・○の部分は、私が覚えられませんでした。 知らなかった・・・。 私は、昔、言語学を趣味にしていたのですが、その頃に得た知識によると、沖縄の言葉は、島ごとの違いが甚だしく、互いに通じないので、方言というより、それぞれ、別言語と見た方が良いとの事。 「方言」と「言語」の違いは、互いに通じるか通じないかで決まるわけですな。
つまりその、小浜島の話なのに、本島語で、「ちゅらさん」という題名をつけたという事は、例えて言うなら、ドイツの話なのに、フランス語で題名をつけたのと同じなわけです。 「どっちも西洋だから、大して変わらんだろう」、「どっちも沖縄県だから、大して変わらんだろう」というノリで・・・。 NHKよ、いいのか、それで? もし、自分の故郷だったら、そういういい加減な事を、笑って許しますかね。 あー、断っておきますが、これは、私個人の意見でして、運転手さんが、そういう批判をしたわけではありません。
つっこみはその程度にして・・・、バスは、≪ちゅらさん≫で出て来たという、「シュガー・ロード」という畑の中の道を通りました。 撮影当時は、サトウキビ畑だったらしいのですが、サトウキビは利益が出ないそうで、その後、牧草地に転換した畑が多く、もはや、シュガー・ロードではなくなりつつあるとの事。
牧草は儲かるのかというと、意外にも、サトウキビよりは、高く売れるらしいのです。 その理由は、牧草のラッピング技術が普及して、サイロがなくても、牧草を保存できるようになったからだと言ってました。 なるほど、そういう変化があったんですな。 私が初めて、ラッピングされた牧草を見たのは、2010年に、岩手に応援に行った時ですが、あれは、そんなに昔からあった物ではなく、少なくとも、≪ちゅらさん≫の放送より後に、普及したわけだ。
その後、村の中に入り、主人公の家として、ロケに使われた家の前を通りました。 普通の家で、人が住んでいます。 いやー、毎日毎日、観光客がバスで押しかけて来て、家の中を覗き込まれるというのは、敵わんでしょうなあ。 そう言うこちらは、覗き込んでいる方の一人なわけで、冷や汗が出て来ます。 観光会社は、いくらかのお礼をしているんでしょうねえ。
バスは、島の西の方へ向かい、≪細崎≫へ。 「くばざき」と読むそうです。 ここからは、西表島が、すぐ向かいに見えます。 恨めしや、西表ツアーを中止にした船会社・・・。 ちなみに、この日のツアーの船会社は、別の会社です。 でなきゃー、心穏やかに観光なんてできるものですか。 そういや、運転手さんが、何気なく言ったところでは、「昨日も、船は出ましたけどね」との事。 ますます、恨めしい。 一生に一度しか来れないというのに、西表に行かずじまいだったとは・・・。
それはさておき、小浜島と西表島の間の海を、≪ヨナラ水道≫と言いますが、その中程に、色が濃くなった部分があります。 そこだけ深くなっていて、マンタが通る道になっているのたそうです。 マンタというのは、巨大なエイ。 最大で、横幅8メートル。 は、は、はちめえとる? 何喰ったら、そんなに大きくなるとですか?
少し移動して、細崎港へ。 そこそこ大きな、漁港です。 ≪ちゅらさん≫では、この細崎港の突堤を、小浜港の突堤に見立てて、主人公が走る場面を撮影したとの事。 つくづく、テキトーじゃのう、NHKよ。 宮城県籍の小型漁船が引き揚げられていて、東日本大震災の後、太平洋をぐるっと回って、流れ着いたのではないかと言っていました。
いやあ、それにしても、あの運転手さん、喋り詰めに喋っていたなあ。 知識欲が旺盛で、自分でどんどん調べて、案内の内容を充実させて来たという感じでした。 そういえば、この辺の海に、磯臭さがない理由も、話してくれました。 磯臭さの元は海藻らしいのですが、この付近の海では寒暖差がないせいで、海藻が育たないから、臭くないのだとか。 なるほど、それで納得。
その後、引き返して、小浜島で最も高い、≪大岳≫へ。 「うふだき」と読みます。 標高99メートル。 いかに私でも、「最大級のマンタが、13匹並べば、この山より高くなるわけだな」などと、比較する意味のない事を考えたりはしません。 中腹まで、車で行き、そこからは、徒歩で登山。 しかし、いくらも歩かない内に、頂上に着きました。 あずまやがあります。 眺望は見事の一語。 ここからは、与那国島を除く、八重山諸島の全ての島が見えるとの事。 しかし、島の位置関係が頭に入っていない私には、どれが何島なのか、分かりませんでした。 与那国島が見えないのは、西表島の山陰に入ってしまうからです。
ところで、この大岳ですが、島の中で最も高い所であるはずなのに、頂上に立つと、東の方にある山の方が、もっと高いように見えます。 地図を見ると、大岳の横に、≪西大岳≫というのがあり、どうも、私達が登ったのは、そちらの方だと思われるのです。 東の方に見えた山が、本物の大岳だったわけだ。 そちらに登れない理由でもあったんでしょうか。 眺めの良さは、どちらも同じだと思いますが。
バス観光は、ここでおしまい。 この後、バスは、島の南東部にある、リゾート施設に向かいました。 そこで、私と、もう一組、若い女性の二人連れだけが下ろされました。 この施設、メインはホテルなのですが、私らは、そこに泊まるわけではなく、ホテル内にあるレストランで、昼食だけ取る予定になっていたのです。 とことん、入り組んだツアーだ。 昼食後、同じバス会社の、別のバスが、別の運転手で、迎えに来るとの事。 ややこしいなあ。
≪昼食と昼休み≫
ホテル一階にあるレストランに入ると、ちゃんと予約は入っていて、昼食券をもぎられました。 昼食は、塗り箱に入った、高級そうな、お弁当で、飲み物と汁物だけ、自分で取って来る方式でした。 私は、コップに冷水二杯と、味噌汁の代わりに、白っぽい麺が入った汁を取って来ました。 その時は知らなかったのですが、これが、「八重山そば」だったんですな。 お弁当も、八重山そばも、おいしかったです。 というか、この旅に出て以来、食べる物がおいし過ぎて、腹が出る一方・・・。 ズボンのウエストがきつくなり始めたのが、この昼食辺りからでした。
食事の後、迎えのバスが来るまで、一時間くらいあったので、ホテル内の売店を見て回りました。 シーサーのお土産がたくさんあります。 私は、基本、食べて、あとを残さない物以外、土産を買わない主義なのですが、シーサーは、実に魅力的な品で、思わず買いたくなりました。 単なる置物ではなく、魔除けになるというのが、お買い得感を、弥が上にも盛り上げるではありませんか。 しかし、まだ、旅行3日目で、先は長い事とて、荷物になるようなものは、なるべく増やしたくありません。 シーサーなら、沖縄のどこででも売っているだろうと思って、ここでは諦めました。
ホテルの庭に、大きな池あり。 蓮のような植物が水面を覆っていて、岸近くに、一頭の水牛が、浮きながら昼寝していました。 この水牛、私が、池の周辺にいた30分ほどの間、口元をもごもご蠢かす以外、全く姿勢を変えませんでした。 石の上にも三年、水の中にも30分・・・、いや、3時間くらい、同じ姿勢でいるのかもしれません。 確かに、浮いたまま眠るのは、快楽の至る所でしょうなあ。
池の畔には、他に、ヤギ一頭、カラス、バン、顔が赤くて、体が白黒のカモなどが、うろついていました。 ヤギは、紐で繋がれていましたが、動ける範囲内にある草を食べ放題。 つくづく思うに、草食動物というのは、幸せものですなあ。 食べ物が、地面から生えてるんだから。
ちょっと奥の方に、フェンスで囲まれたケージがあり、ヤギ数頭と、黒ウサギがいました。 このヤギ達、所在なさそうにしていましたが、順番で、池の畔に繋いで貰えるんでしょうかね? 刑務所に於ける、「映画鑑賞の日」みたいに、「草食べ放題の日」があるのだとしたら、さぞや、指折り数えて、その日を待っている事でしょう。 指、二本しかないですが・・・。 黒ウサギの名前は、「ラッキー」。 「暑くて敵わんわー」という感じで寝ており、あまり、幸運そうには見えませんでしたが・・・。
リゾート内マップを見たら、昆虫博物館があるようです。 「よし、そこで、時間を潰せば、冷房が利いているに違いない」と思って、行ってみたら、まさかの土禁! なんで、昆虫を見るのに、靴を脱がなければならんのよ? やむなく、入口から、写真だけ撮って、引き揚げました。 土禁にすると、何か、得があるんですかね? 結局、定期的に、掃除はするわけですから、管理側の負担に変わりはないと思うんですがねえ。 解せんなあ。
もう、見る所もないので、ホテルの入口前で待っていたら、ホテルの係員と思しき若い女性が、ニコニコ笑いながら近づいて来ました。 迎えのバスまでには、まだ時間があるから、ホテルのロビーで座って待っていれば、呼びに行くと言うので、それに従いました。 サービス、または、親切で言ってくれたのか、入口前で、うろうろされると、ホテルのイメージが悪いから、追っ払うつもりだったのか、それは、さておくとして・・・。
程なくして、ロビーに、バス会社の案内札を持った男性が入って来て、昼食前に、私と一緒に、ここで下りた若い女性二人連れを連れて、出て行きました。 私は、ホテルの係員が呼びに来るものだとばかり思って、おっとり構えていたのですが、三人が出て行ってしまってから、「もしや!」と気づいて、慌てて追いかけました。 外へ出ると、先程のホテルの係員がいたので、「あのバスじゃないんですか?」と言ったら、「ああ、そうですね」という、呑気な返事。 だったら、呼びに来いよ! 洒落にならんわ! 私が、自分で気づかなかったら、置いて行かれるところでした。 これだから、他人は信用できない。 ニコニコ笑って、悪意がなければ、仕事をいい加減にやってもいいってもんじゃないよ、あなた。
しかし、こういう事は、これが初めてではありません。 全国津々浦々、特定の土地に限らず、特定の世代に限らず、いい加減な仕事をしているのに、何の後ろめたさも感じていない人間というのは、うじゃうじゃいます。 一昔前と比べると、そういう職業意識の希薄な人が、次第に増える傾向にあるのは確か。 個人主義全盛の時代に、職業意識だけで、他人への責任感を持てという方が、無理な相談なのかもしれません。 とにかく、置いて行かれずに済んだのだから、それで良しとしました。
≪小浜港へのバス≫
午前中に乗ったのより、少し状態がいいバスに乗って、小浜港へ向かいます。 運転手さんの話では、このリゾート施設の池にいる水牛は、西表島で水牛車を引いていたのが、引退して、余生を送っているのだとか。 なるほど、道理で、寝てばかりいるわけだ。 水牛は、元々、沖縄にいたわけではなく、台湾から来た人達が、連れて来たのだそうです。 それは意外。 しかし、よく考えてみると、台湾も島なのであって、元からいたわけではありますまい。 大元は、どこだったんでしょうねえ。 また、沖縄では、普通の牛も育つわけで、特に、水牛でなければならないわけではなかったと思うのですが、なぜ、水牛が普及したのかも不明。 水牛の方が、飼い易かったんですかね?
≪竹富島行きの船≫
小浜港で、竹富島へ向かう船に乗ります。 ≪サザン・コーラル≫という、≪ちゅらさん2≫より、一回りか二回り、小さい船でした。 デッキは二つありますが、冷房されているのは、前側だけで、私が乗り込んだ時、そちらはもう、満員に近かったので、後ろの、開け放しのデッキの方に座りました。 開け放しと言っても、側面は閉じられて、波しぶきが入ってこないようになっています。 船体も、座席も、かなり、年季が入っていて、「この船なら、ゆったりした航海になるだろう」などと思った私が愚か。 走り出したら、速い速い! どんだけ、馬力あるエンジン、載せとんのよ? またまた、窓は、水滴で埋め尽くされ、何も見えません。
余談中の余談ですが・・・、私の目の前にあった、トイレのドアが、船の揺れで開いてしまって、戻りそうで戻らないのが、終始気になりました。 ようやく、閉まったと思ったら、船が反対側に傾くと、また開いてしまいます。 ストッパーが壊れているのかもしれませんな。 自分で閉めに行こうかとも思いましたが、船が速過ぎて、立ち上がるのが怖い。 どうせ、すぐに着くと思って、そのままにしておきました。
≪竹富島水牛車観光≫
25分で、竹富島に到着。 今度は、観光水牛車の会社が出しているマイクロ・バスで、西集落の水牛車乗り場へ向かいました。 10分くらいでしたか。 竹富島では、バスに乗る前ではなく、この水牛車乗り場の受付で、券をもぎられました。 その時、絵葉書を一枚くれました。 一人一人、名前をチェックして、どの水牛車に乗るか、割り振っています。 個人で船に乗って来た人が、ちゃっかり、紛れ込んでしまうのを避けるためだと思いますが、見るからに、手間のかかる作業です。
水牛車は、20人乗りくらいで、マイクロ・バスくらいの大きさがあります。 基本部分は鉄の骨組みで、その上に、木材で、長椅子と屋根を作りつけ、屋根の上には、トタンを葺いてあります。 椅子は、通勤電車方式で、左右に一列ずつ、内側に向かって座るようになっているのに対し、見る対象は、外側にあるわけで、常に片側の人は、体を捩って、外を見る格好になります。 まあ、仕方がないか。
私が乗った車を牽いていた水牛は、「ピー助」という名前で、確か、3歳のオスだと言っていました。 オス・メスに関係なく、片方の角に、花をつけていて、大変、可愛らしいです。 御者兼ガイドさんが、名調子で説明しながら、西集落の中を見せて回ります。 出だしは、水牛の扱い方の説明から始まり、ここで、かなりの笑いを取ります。 水牛は、もともと、水の中を好むので、暑さが苦手。 そこで、コースの途中に、数箇所、給水ポイントが設けてあり、ホースで、水をかけてやるのだとか。 これは、説明された後、すぐに、実演されました。 水をかけてやらないと、立ち止まってしまうのです。
他に、水牛が立ち止まる理由は、大と小で、大の方は、やはり、実演されました。 いや、別に演じていたわけではないから、実演というのも、おかしいか。 何て言ったらいいのか、分かりません。 つまり、実際に、排便したわけです。 御者兼ガイドさんが、すかさず、バケツを取り出し、キャッチしたのは、鮮やか過ぎるお手並み。 いくら何でも、反射が速過ぎるので、少しは、地面に落ちたのかもしれませんが、私は、一番後ろに乗っていたので、細かい所まで観察する事ができませんでした。
村の道は狭いので、角を曲がる時、長い水牛車を方向転換するには、石垣に擦れないギリギリを大回りしなければならないのですが、水牛達は、歩く軌跡を覚えていて、何も言わなくても、大回りして行くのだそうです。 それでも、うっかり、水牛車を石垣に当てて、崩してしまった時には、御者兼ガイドさんが、仕事が終わった後で、積み直しに来るのだとか。 石垣は、セメントなどで固めずに、ただ積んであるだけ。 隙間があるがゆえに、台風でも崩れず、強い風を和らげて、屋敷の中に柔らかい風を通す効果があるとの事。
他に、御者兼ガイドさんから説明された事というと、竹富島では、集落全体が、伝統的な建築様式を残すように取り決められていて、平屋以外の建物が建てられないため、民宿はあるが、ホテルはないという事。 各家の屋根に乗っているシーサーの位置は、家の中の神棚の位置と同一線上にあるという事。 井戸は、13メートル掘って、水が出れば良いが、14メートルまで行くと、海水になってしまうという事。 水がないから、米が作れず、他の島へ米を作りに行っていたという事。 竹富町の役場は、元は、竹富島にあったが、他の島との交通が不便だったせいで、船便のハブになっている石垣島に移転し、今、役場に勤務している人達は、石垣市に住んでいるので、みんな石垣市民だという事。 他にも、いろいろ聞いたと思うのですが、覚えているのは、そんなところです。
この水牛車ツアーの、一番の見所は、≪安里屋クヤマ≫という人の、「生誕の地」前を通る事です。 「あさとや くやま」と読みます。 18世紀に生きた絶世の美女で、琉球王府から派遣された役人に、妻になるよう請われたにも拘らず、きっぱり断った事で、名を残した人。 当時は、役人の妻になれば、左団扇で暮らせたらしいのですが、それを、嫌なものは嫌と断ったのだから、天晴れと讃えられたのだそうです。
あくまで、生誕の地であって、生家ではないので 18世紀の建物そのものではないと思いますが、住んでいるのは、子孫の方で、やはり、美人なのだそうです。 その時の経緯を謡った、≪安里屋ユンタ≫という民謡があり、御者兼ガイドさんが、三線を奏でながら、謡い始めたのですが、客の大半が、沖縄県民ではないものだから、手拍子のリズムが、うまく合いません。 せっかくの歌をぶち壊している感が、甚だ濃厚。 聞いていて、冷や汗ぞ下る。
その内、客の中の小学5・6年生くらいの女の子が、何か言ったらしく、御者兼ガイドさんが、謡うのをやめて、「じゃ、あなた、謡って」と、その子供に三線を渡そうとして、すったもんだしている内に、歌は、それっきりになってしまいました。 大方、「弾ける」とか何とか、言ったんじゃないかと思いますが、礼儀を知らない馬鹿ガキが、余計な事を言いおって・・・。 聞けるものまで聞きそびれてしまったではないか。 これだから、他人の子供など、有害でしかないというのです。
もう一人、困った客に、本島から来たという中年男性がいたのですが、この人が、御者兼ガイドさんが説明した事に、いちいち、何か一言、付け加えたがる。 当人は、家族の前で、ガイドさんと掛け合いをして、おどけているだけのつもりだったのだと思うのですが、ガイドさんの説明を、100パーセント聞きたい私としては、この人がつっこみを入れるたびに、話が本道からずれてしまうので、鬱陶しいったらなかったです。 知ってても、黙っていればいいんですよ。 さもなきゃ、ガイド付きの水牛車なんか乗らずに、自分で家族を案内して回ればいいのに。
思い起こすに、私が中学3年生の時、京都に修学旅行に行ったのですが、同級生の一人に、以前、家族で京都旅行に来た経験がある奴がいて、バス・ガイドさんの先を越して、ああだこうだと知ったかぶるので、クラス中から、馬鹿扱いのブーイングを浴びて、それ以降、黙り込むという事件がありました。 私も、小学生の頃に、親と一緒に、京都に行った事はあったのですが、もちろん、そんな事は口にしません。 他の者も同じだったでしょう。 ガイドの前で知ったかぶるというのは、営業妨害以外のなにものでもないのです。
≪フリー・タイム≫
水牛車観光が終わった後は、石垣島へ戻る最終の船便まで、フリー・タイムになりました。 どうして、ここだけ、フリーが利くかというと、石垣島へ帰れば、もう、次の予定がないからでして、同じ船会社ですから、どの便で帰ってもいいというわけなんですな。 レンタ・サイクルがあり、村の大きさに比して、ちょっと異常なくらい多くの自転車が走り回っていましたが、私は、借りませんでした。 お金が惜しいというのが第一の理由。 水牛車に乗っている間に、村の大きさが大体分ったので、徒歩でも充分、見て回れると踏んだのが、第二の理由です。
≪なごみの塔≫
鉄筋コンクリートの展望台です。 水牛車のガイドさんが、「島で一番高い所で、村が一望できる」と言っていたので、登ってみました。 高いといっても、塔自体の高さは、5メートルくらいで、≪あか山≫という小山の上に建てる事で、高さを稼いでいる格好です。 塔というより、火の見櫓みたいなイメージでして、異様に急な傾斜で、一人通るのがやっとという、幅の狭い階段があり、しかも、最上部の平面が狭く、最多で二人しか立てません。
二人連れなら、一人ずつ上って、上で記念写真を撮り、一人ずつ下りるというパターン。 一人なら、一人で上がって、写真だけ撮って、さっさと下りて来るというパターン。 三人以上の場合、二組に分けるしかありませんな。 小さい子供は、最初から、やめた方が無難。 上がるだけ上がっても、上で、びびって、泣き出されると、大人が何人いようが、もはや、下ろす方法がありません。 階段の傾斜がきつ過ぎて、負ぶって下ろすなど、とてもとても・・・。
人の回転が悪いので、行列が出来ています。 とりあえず、並んでいる人間の面子を観察し、上で泣き出しそうな子供とか、ヒールがついたサンダルを履いた女とかがいない事を確認してから、列に並びました。 私の前にいたのは、3組ほどでしたが、それでも、10分以上待ったと思います。 階段の下に、注意書きがあり、「怪我は自己責任です」とあります。
私の番が来て、急いで上がりましたが、特段、高所恐怖症というわけではない私も、この、「狭くて高い」場所には、頭がくらくらして、手すりで体を支えなければ、立っていられない有様でした。 急いで、写真だけ撮り、下り始めましたが、それがまた怖い。 一度、経験すると、大きな事が言えなくなるスポットですな。
≪西桟橋≫
集落の西の方へ行くと、すぐに、海に出ます。 西桟橋は、その名の通り、西の端から、西の方へ向かって、ドーンと突き出している桟橋です。 桟橋以外には、エメラルド・グリーンの海しか見えないので、開放感が半端ではありません。 桟橋の先の方に、二人連れがいたので、「邪魔するのも、無粋かな」と思って、立ち止まったのですが、よく見たら、若い女性の二人連れだったので、「そんじゃ、いいか」と思い、真ん中くらいまで行ってみました。 写真だけ撮って、さっさと引き返したので、邪魔にはならなかったでしょう。
観光客を観察していて思うのは、観光地を最も満喫しているのは、女性の二人連れなのではないかという事です。 これは、はしゃぎ具合を見れば、一目瞭然で分かります。 一方、男というのは、友人二人で行動を共にする事はあっても、せいぜい、近場に遊びに繰り出すくらいで、泊まりで観光旅行というのは、まずやりません。 「野郎同士で旅行に行っても、侘しいだけ」とか言うわけです。 その点、女は、同性の友人同士というのが、最も気楽な組み合わせでして、泊まりでも、海外旅行でも、ホイホイ出かけて行きます。
異性同士で二人というのは、イメージほどは、盛り上がりません。 性別が違うと、同じ物を見ても、抱く興味の程度がまるで違うわけで、そんな者同士で、会話が弾むわけがないんですな。 互いに一言も喋らず、ニコリともしない異性二人連れを、割とよく見かけますが、恐らく、交際を始めて久しく、相手への興味は、すっかり尽きてしまって、それでも、結婚を打算しているために、別れる理由もなく、交際の体裁を保つために、観光地を回っているだけなんでしょう。 交際初期で、ベタベタしている頃なら、どこへ行っても楽しいと感じるかもしれませんが、そういう人達は、何も、高い旅費を払って、遠くへ出かけて来る必要はありますまい。 どこでもいいなら、近場の遊園地にでも行くのが適当。
家族連れも同じ。 子供は、はしゃぎますが、それは、その観光地へ来ているからはしゃいでいるのではなく、単に、普段とは違う状況に置かれて、興奮している上、旅行中は、普段より厚い親の庇護が受けられるので、調子に乗っているだけです。 子供を喜ばせたかったら、今まで行った事がない所へ連れて行けば、それで充分なのであって、遠くである必要もなければ、観光地である必要もありません。 家族連れの大人の方は、尚の事で、子供の事が気になって、観光を楽しむどころではありますまい。
最後に、一人で来ている人間。 これは、言うまでもなく、はしゃぎようがないです。 地味~な所を、地味~に、見て回るだけ。 しかし、前回も書いたように、「見る・学ぶ」系の観光地巡りなら、自分の見たいものだけを見れるので、一人の方が、ずっと効率がよいです。 それに、腹が減っていなければ、昼食を抜くというような事も、自由にできますから、同じ一日でも、見て回れる所が、複数人の場合より、遥かに多くなります。
これは、ブログの旅行記を見ると、よく分かります。 たとえば、私のこの、異様に細部に拘る旅行記は、典型的に、一人で行った者の産物ですが、複数人で行った人のそれは、同じ所を巡ったとしても、この10分の1の量にもならないでしょう。 極端なケース、予定表に、写真を貼って、一言コメントを付けただけ、みたいな旅行記も珍しくないです。 同行者に気を使わなければならない分、肝心の観光が疎かになってしまうんですな。
≪皆治浜(かいじはま)≫
西桟橋から、海岸線に沿った外周道路を南下していくと、島の南西部に、この浜があります。 かの有名な、「星砂(ほしずな)」の浜です。 星の形に見える有孔虫の死骸で、砂浜が出来ているという所。 39年前、母が海洋博に来た時、星砂が入った小壜をつけたキーホルダーを、土産に買って来ましたが、それは、本島で買ったもので、母自身は、竹富島には来ていません。 私は、その現物がある浜まで来たわけですから、旅行キャリアとして、母に勝ったわけですな。 あまり、意味のない勝利ですが・・・。
ところが、手で砂を掬って、見てみても、星の形をしていません。 どーゆーこっちゃねん? 浜の入り口に、板屋根とビニール壁だけの土産物店があり、そこの品を除いてみたら、ちゃんと、星砂が入っています。 もう一度、浜へ出て、今度は、少し離れた所で掬ってみましたが、やはり、一つも見つけられません。 どーなっとんの、マジで? 台風の後だから? それとも、大量の砂の中から、選び出して、土産物を作っているんでしょうか?
とにかく、一個も見つけられないまま、探し疲れて、撤退する事になりました。 母に勝ったとばかり思っていたのに・・・。 こういうのを、「虚しい勝利」と言うのでしょうか・・・。 もちろん、私は、自分で見つけられなかったからと言って、土産物を買って帰るような財布の紐の緩い男ではありません。 星砂そのものだったら、39年前の土産が、家にありますからのう。 ちなみに、星砂でも、珊瑚でも、観光客が、直截、現地から持ち帰るのは、たぶん、アウトだと思います。 沖縄のように、毎年、こらしょと観光客が押し寄せる所では、それを許していると、浜の真砂も尽きてしまいますから。
≪蔵元跡≫
八重山の中心地が竹富島だった頃に、役所が置かれた場所。 皆治浜のすぐ陸側にあります。 しかし、まだ未整備のようで、説明板の図にある蔵元跡の辺りは、現状、ほぼ、密林でした。 竹富島には、ハブがいるらしいので、その中へ踏み込んでいくほど、無謀ではありません。 説明板によると、蔵元があった頃には、皆治浜が船着場になっていたのだそうです。 今は、ただの浜で、船を着けられそうな所は、全く見当たらないのですが、思うに、基本的に遠浅だから、桟橋を作れば、どこでも、港に出来たのかも知れませんな。
≪徒歩で西集落へ≫
皆治浜で、星砂を見れなかった私は、地図に、もう一ヵ所、星砂の浜が載っていた事を思い出し、そちらへ行って、星砂を探したい欲望に駆り立てられました。 場所は、島の南東部です。 このまま、海岸線に沿って歩いていけば、着くに違いない。 あわよくば、海岸線の道路で、港まで歩いてしまおうとまで、目論んでいました。
ところが、歩けば歩くほど、周囲は藪だらけになって、海から離れているような気がします。 改めて、地図を出して、見直したところ、もう一ヵ所の星砂の浜、≪アイヤル浜≫というのは、確かに南東部にありますが、そこへ行ける海岸線沿いの道は存在せず、一度、集落へ戻らなければならないのです。 また、アイヤル浜から、港へ海岸線を通って行ける道もありません。 結局、集落へ戻るしかないわけだ。 そして、一度、戻って、そこから、アイヤル浜まで往復するとなると、船の最終便までに、時間が足りません。 結局、星砂を見るのは、諦めるしかありませんでした。
アイヤル浜どころか、皆治浜から、集落に戻るだけでも、えらい距離がありました。 日差しが強くて、もう大変。 歩いているのは私くらいで、他の観光客は、みな自転車です。 ここで、また、ちょっとした事件が起こりました。 私の後ろからやって来た、自転車の親子三人連れの内、小学3・4年生くらいの少年が、目にゴミが入ったらしく、自転車に乗ったまま、私の方へ突っ込んで来たのです。 まったく、犬も歩けば棒に当たる。 こんなんばっかし、起こるな。
私は、子供の声が近付くと、警戒する癖がついているので、未然に気づいて、間一髪のところで避ける事ができました。 少年は、私を抜いて、2メートルばかり行った所で、ブレーキをかけて停まりました。 慌てたのは、父親と母親で、私に向かっては、「すいません」を繰り返し、息子に向かっては、「なんで、人のいる方へ行くんだよ」と、問い質していました。
少年は、答えませんでしたが、私には、この小僧の考えの軌跡が、簡単に読めます。 目にゴミが入って、前がはっきり見えなくなってしまったが、急ブレーキをかけたら、倒れてしまいそうで、怖い。 しかし、このまま進むと、藪の中へ突っ込んでしまい、ハブに咬まれるかもしれない。 ブレーキはかけたくない、藪には突っ込みたくない。 どうしようかと迷っている内に、第三の道である、「歩行者に突っ込む」へ追い込まれていったのでしょう。 刑法上の「緊急避難」に該当する? しませんよ!
子供というのは、無責任の権化であり、大人がどうにかしてくれると、虫のいい事を考えている上に、他人なんか、どうなってもいいと思っているものです。 私は、親になった事がない分、自分が子供の頃の事を、よく覚えているので、そういう考え方が手に取るように分かります。 しかし、親は、「とりあえず、いい子」だと思っていた自分の子供が、こういう事をやるのを目の当たりにしたら、仰天するでしょうな。 私が避けなかったら、たぶん、病院行きの怪我になっていたでしょうから、尚の事。
でも、この件に関しては、怒りは、全くと言っていいほど感じませんでした。 私が、「子供なんか、そういうものだ」と思っていた事と、この両親が、すぐに謝った事で、怒る理由がなくなってしまったわけです。 ちなみに、子供本人は、謝りませんでした。 子供というのは、結果的に悪事をしても、悪意がなければ、罪にはならないと思っているのだから、無理もない。 親が子供に、形だけでも謝らせれば、親の対応としては、完璧だったわけですが、それもありませんでした。 だけど、今時の親子に、そこまで期待するのは、そもそも酷というものでしょう。
≪竹富港へ≫
西集落に戻り、北の方にある御嶽を二つ見てから、水牛車乗り場へ行ったら、ちょうど、港へ向かうバスが、出る寸前でした。 今、このバスに乗れば、最終の船便の、一つ前の便に間に合います。 最終となると、石垣港へ戻ってからが、ちと不安なので、ゆとりを持って、一つ前の便に乗って帰りたいところです。
このバスには、予約がいると聞いていたので、駄目元で、受付に行き、「あれに乗れますか?」と訊いたら、乗れるとの返事。 喜んで乗ろうとしたら、「名前、名前!」と呼び戻されました。 そうでした。 ツアーに参加した客以外は、バスに乗れないのです。 戻って、名前を言い、名簿にチェックを入れてもらって、ようやく乗れたのですが、いざ、出発という時になって、乗り込んで来た運転手さんは、その名簿をチェックしていた人でした。 うーむ、全国的に人手不足な御時世じゃのう。
満席で、助手席まで使って、出発。 「ばす、いや~っ! そとにいるの~っ!」と、引っ切りなしに金切り声を上げる幼女に悩まされながら、港まで、10分。 運転手さんの話では、この時間帯の船が、一番混むのだとの事。 なるほど、みんな、考える事は同じか。 ターミナルの待合室は、かなり広いのですが、エアコンがぬるく感じられるほど、人が大勢、集まっていました。
≪石垣港へ≫
15分ほど待って、港に入って来た、≪ちゅらさん2≫に乗りました。 朝、石垣港から、小浜港へ行く時に乗ったのと、同じ船です。 船も、満席。 相変わらずの超高速で、波を蹴立てて、ぶっ飛ばし、25分ほどで、石垣港に着きました。 すでに、5時を過ぎています。
≪ホテルへ≫
離島ターミナルで、船会社の受付へ行き、ホテルに戻る送迎バスが出るか訊いたら、出るとの事。 しばらく待つように言われましたが、5分もしない内に、呼ばれて、客三組でマイクロ・バスに乗り込みました。 たぶん、客がある程度溜まるのを待って、不定期で走らせているのでしょう。 各ホテルを回って、私が最後に、一人で下りました。
≪ホテルの夜≫
フロントで、キーを受け取り、ついでに、夕食の時間を予約しました。 夕食は、客が集中すると困るので、予約がいるのです。 すでに、5時半でしたが、早目に食べてしまいたくて、6時に予約しました。 部屋に戻ると、中は掃除されて、タオルや浴衣も、新しいのに取り替えられていました。 やはり、新しい方が、気分は良いです。 もっとも、このホテルにいるのも、この夜限りなのですが。
クローゼットにしまっておいた旅行鞄を出し、一晩過ごすのに必要なだけの荷物を展開し直します。 これが面倒臭い。 途中で、時間になったので、レストランへ、最後の晩餐に出かけました。 細々とは書きませんが、二日目の晩と同じ、和洋会席を頼み、肉の焼き方だけ、ミディアムにしてもらいました。 前日のウェルダンが、少し硬く感じられたからですが、ミディアムでも、そんなに変わらなかったです。 デザートに、さとうきびアイスを頼みましたが、素朴な甘さで、独特な味わいがありました。
部屋に戻って、テレビをつけたら、なんと、電波状態が悪いとかで、BSプレミアムが映りません。 ≪こころ旅≫が見れませんがな。 難視聴対策電波チャンネルというのに切り替えたら、画質極悪なものの、一応映ったので、それで、何とか見ました。
それから、洗濯。 この日の昼間、気づいたのですが、前日、雨に濡れて、ズボンの裾だけ洗ったのが、洗った所と洗わない所に、塩が白く浮き出たような、境目が出来ていて、「げっ・・・」と絶句。 こんな状態で、翌日の貸切タクシーに乗るわけには行かないので、全部水に浸けて、洗う事にしました。 バスタブに浅く湯を張って、ズボンを浸け、石鹸で、少しずつ洗って行きます。 シャツくらいなら、何とかなりますが、ズボンを手だけで洗うのは、非常につらい事なのだと、初めて知りました。 洗い終わったら、シャワーで流し、これまた少しずつ、絞って行きます。 これがまた、きつい。
ハンガーにかけ、しばらく、ユニット・バスのカーテン・レールに吊るしておいて、水滴が落ちなくなってから、部屋に移しました。 エアコンの風が当たる、ベッド脇の電気スタンドの笠に、ハンガーを引っ掛けましたが、笠が丈夫で良かった。 他の場所では、翌日の朝までに乾かなかったでしょう。 洗濯が終わった後で、シャワーで風呂。 日記を書き、10時頃、就寝。
≪三日目、まとめ≫
この日は、概ね、人任せで、あちこち見て回ったわけですが、自分で調べるのと比べると、やはり、地元のガイドさんの話の方が、情報量が段違いに多い事を、思い知りました。 ただ、もちろん、お金もかかるわけで、私は今回、ポイント消化だったから、遠慮なくツアーを使いましたが、もし自腹で、他へ行って、同じようなツアーに参加するかというと、まず、しないと思います。 しかし、お金にゆとりがある人なら、自力で回るより、ツアーに加わってしまった方が、より、見聞は広まるでしょう。
他人と一緒に行動すると、嫌な事も増えるわけで、特に、子供や、子連れの家族には、迷惑をかけられないように、神経を使いました。 一人で行動する時には、最初から、そういう危険な連中に近付かないようにするのですがね。 お金を使って、楽しい思いをするために、旅行に来ているのに、嫌な思いをさせられたのでは、あまりにも割に合わない。
行った先自体は、小浜島も、竹富島も、大変、良かったです。 どちらも、他の土地とは、家並みも、風景も、全く違う点が、素晴らしい。 やはり、観光は、こういう所へ来なくては、醍醐味がありません。 他の観光客がいなければ、もっと良かったと思いますが、季節柄、それは、無理な相談というものですな。
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