2014/08/31

さよなら、石垣島

  沖縄旅行記の四日目です。 あ~、もう、一日分が長過ぎちゃって、書き始めるまでが、気が重いっす。 実は私、今、落ち着いて、旅行記をしたためているような状況じゃないんですよ。 これを書いているのは、8月23日(土)なんですが、25日(月)には、北海道旅行に出発しなければならない身でして、できる事なら、そちらの準備に全力を傾けたいところなのです。 しかし、帰って来るのが、30日(土)なので、それから書いたんじゃ、日曜の更新に間に合いません。

  それ以前の問題として、長い旅行から帰って来たら、その晩は、ゆっくり眠りたいもの。 翌日も、面倒臭い事はしたくないもの。 こんな大長文なんて、書いてられますかってんだ。 というわけで、やむなく、出発前に、書いているわけです。 幸い、今日は雨で、どこへも行けないので、時間は確保できるのですがね。

  ちなみに、8月の中旬から下旬にかけて、全国的に天気が不安定で、豪雨災害も頻発しましたが、私が住んでいる静岡県東部では、今日23日になるまで、一滴も雨が降りませんでした。 その代わり、凄まじい猛暑で、午前10時過ぎたら、日が沈むまで、外に出られないという有様でした。 ほんの数分、太陽の下にいただけで、頭がくらくらして来ますし、無理して、外出などすると、すぐさま熱中症の症状が出て、丸一日、寝込む事になります。 確かに、日本の夏は、一昔前とは、変わったんですな。 「Stop the season in the sun」なんて、もはや、性質の悪い冗談にしか聞こえなくなってしまいました。

  おおっと、こんな事に行数を費やしている場合ではないですな。 早く、書いてしまわねば。 考えてみれば、沖縄旅行から帰ってから、かれこれ、ひと月近くになるわけですが、その間、何をして過ごしていたのか、俄かには思い出せません。 旅行記だけ、さっさと書いてしまえば、土壇場になって、こんなに苦労せずに済んだものを・・・。 夏休みの宿題に追い込まれる小学生か?


≪ホテルの朝≫
  7月25日(金)です。 5時頃、起きました。 目覚まし時計は、一応、かけて眠るのですが、眠りが浅いせいで、鳴る前に目が覚めてしまうのが、普通でした。 前の晩、洗ったズボンが、穿ける程度に乾いている事を確認し、ほっとしました。 使いたい放題のエアコンと、ハンガーを掛けても、びくともしなかった、丈夫なランプ・シェードのおかげですな。

  この日は、貸切タクシーに、初めて乗ります。 予定表に挙げてあった石垣市街地の観光地は、前々日に、徒歩で見て回ってしまいましたから、それ以外の所へ行って貰わなければならないのですが、こちらの頭に、観光地の名前が馴染んでいないので、スイスイ、口から出て来ない事が予想されます。 で、部屋にあったメモ用紙に、石垣島北部の観光地名を、ざっと、書き出しました。

・ バンナ岳
・ 御神崎灯台
・ 川平湾
・ 米原ヤエヤマヤシ林
・ 吹通川のマングローブ林
・ 平久保崎灯台
・ 玉取崎展望台

  といった所。 これらの観光地を巡ると、石垣島の北半分の海岸線を、ほぼ、回れる事になります。 断っておきますと、あくまで、とりあえず書き出しただけであって、これらの場所について、私が何か詳しい事を知っていたわけではありません。 書いておいた方が、運転手さんに、説明し易いだろうと思っていただけです。

  7時に朝食に下りましたが、朝は必ず、バイキング。 この日は、一際、混んでいました。 バイキングは、気楽ですが、この人混みだけは、慣れませんなあ。 見えないけれど、埃もたくさん、舞っている事でしょう。 このホテルでの、最後の食事という事になりますが、感慨はほとんどなし。 とにかく、早く食べて、この雑踏から脱出する事しか頭にありませんでした。 料理は、うまかったですけど。

  昨夜から、映らなかったBSプレミアムですが、一晩経っても、回復せず。 ≪こころ旅 朝版≫が、2014年春の旅の最終日なんですがねえ。 さりとて、電波状態が悪いというのでは、フロントに言っても、改善しますまい。 まして、あと、1時間くらいで出て行く身では、そんな事を頼めはしません。 やむなく、また、難視聴対策電波チャンネルの、画質極悪映像で見て、よしとしました。

  荷物を纏めます。 洗面台付近、クローゼット内、応接セット付近など、何回も見直して、忘れ物がないか、チェックします。 ホテルの部屋には、机や鏡台に、引き出しがついている所がありますが、引き揚げる時に、忘れ物を避けるためには、極力使わないのが無難です。 どこに引き出しがあったかを忘れるという危険性もあるわけで、そうなると、チェックのしようがありません。 見た目、だらしないようでも、鞄から出す荷物は、全て、見える所に置くべきでしょうな。

  貸切タクシーは、9時からなので、8時40分には、部屋を出て、一階へ下りました。 フロントで、チェック・アウトを頼むと、「外線電話をかけましたか?」と訊かれたので、「かけません」と答えたら、「追加料金はありません」と言われて、それで、放免されました。 なるほど、ホテルのチェック・アウトというのは、こういう、簡潔にして、素っ気無いものなのだな。


≪貸切タクシー≫
  外に出ると、ホテルの駐車場に、すでに、タクシーが来ていました。 持っているクーポン券に、タクシー会社の名前が入っているので、それと分かる次第。 運転手さんに声をかけ、こちらの名前を言って、間違いない事を確認したのですが、まだ、8時45分で、早過ぎるので、海岸の方で、待つ事にしました。 こちらは遊びですが、向こうは仕事ですから、時間通りに出発しなければ、まずかろうと思ったのです。

  海岸で、所在なく待つこと数分、8時55分を過ぎた頃に、運転手さんが呼びに来たので、乗車しました。 旅行鞄は、トランクに入れるのが普通らしいですが、私は一人客ですし、チケット・クーポン類を入れた封筒が、旅行鞄のポケットに入っていたので、後席右側に置かせてもらう事にしました。 私は、後席左側。 貸切タクシーのクーポン券を、運転手さんに渡しましたが、領収書のようなものはありませんでした。

  この運転手さんは、50代後半くらいだったでしょうか。 私より歳上なのは、確かだったと思います。 早速、どこへ行くかという話になったので、「市街地の観光地は、一昨日、徒歩で回ってしまったので、北の方へ行って欲しいんですが・・・」と言って、朝書き出したメモを見せたのですが、見るなりいきなり、「時間的に、平久保崎は行けない。 玉取崎も無理」と、半分、切り落とされてしまいました。 石垣島半周計画は、早くも挫折・・・。

  で、とりあえず、バンナ岳へ向かう事になり、走り始めたのですが、その間、≪石垣やいま村≫へ行くように、しきりに勧められました。 石垣やいま村というのは、古民家を集めた、民俗村のような施設です。 私は、そこのクーポンを持っていないので、入るとなったら、自腹になります。 それが嫌で、最初は、適当に、はぐらかしていたのですが、あまり熱心に勧めるので、「ああ、貸切タクシーというのは、こういうものなんだな」と、こちらが考えを改め、勧めに従う事にしました。 この運転手さんとは、この後、三時間半、行動を共にするわけで、ここで気分を害しては、まずいと判断した次第。


≪バンナ岳≫
  そんなやりとりをしている内に、バンナ岳の展望台に着きました。 なに、石垣市街地から、見えるくらいの距離にある山ですから、すぐなのです。 車で、展望台の、すぐ下まで行けます。 標高、230メートル。 ちなみに、石垣島の最高峰は、≪於茂登岳(おもとだけ)≫で、標高525.5メートル。 石垣島は、南半分が平地と傾斜地で、北半分が山地なのですが、バンナ岳は、南半分の方に、ちょこんと独立している山です。

  展望台は、≪エメラルドの海を見る展望台≫と、≪渡り鳥観察所≫の、二ヵ所に行ったのですが、どちらも、眺めは良かったです。 逆に言うと、どちらも同じくらいの眺めなのだから、二ヵ所行く必要はなかったとも言えますが、なにせ、運転手さん任せなので、致し方なし。 あれこれ注文をつけるほど、こちらに、石垣島についての知識がないですし、是が非でも行きたいという所もなかったので、全面的に任せるのが無難だと思うようになっていました。 私が、心配していたのは、自腹金額の事だけです。

  この時、運転手さんの頭の中では、3時間半をどうやって潰すか、計算中だったと思われます。 平久保崎の方に行く必要はなくなり、その代わりに、石垣やいま村が入って、運転手さん的に、スタンダードなコースに近付いたものの、私が、「川平湾で、グラス・ボートに乗るつもりはない」などと言ったものだから、時間の調整が難しくなったのでしょう。 時間が余っても困るので、バンナ岳で、もう一ヵ所、展望台に寄っておこうと考えたんじゃないでしょうか。

  まだ、台風の影響が残っていて、空の半分は雲が覆っていたものの、厚い雲ではなく、日が射している方は、沖縄の海独特の、エメラルド・グリーンとコバルト・ブルーのグラデーションが、はっきり見えます。 島の南の方に、石垣市街地が白っぽく見えて、それ以外の平地・傾斜地は、サトウキビ畑の緑か、さもなけば、赤茶けた土で覆われています。 残りは、緑の色が濃い、山ですな。 運転手さんに、「米は作っていないんですか?」と訊いたら、作っていないどころか、年に三回か四回作っているとの答え。 言われて、よく見ると、バンナ岳の北側の方の平地に、田んぼの水面が反射するのが見えました。 しかし、畑に比べると、ほんのちょっとです。

バンナ岳からの眺め。



≪石垣やいま村≫
  島の西の方の、海岸沿いにあります。 バンナ岳からは、15分くらいだったでしょうか。 入村料は、本来、大人840円ですが、観光タクシーで来ると、運転手さんの顔で、団体料金の、650円になるとの事。 それは助かる。 とにかく、私の頭の中は、自腹金額を低く抑える事でいっぱいだったのです。 運転手さんは、顔を見せるために、入村券売り場まで案内してくれましたが、様子を見るに、係の人とは、ツーカーの関係にある様子。 つまり、客を連れて来るから、その代わりに安く入れてくれるよう、取り決めが出来ているんでしょう。

  最初から、ここへ来るつもりでいた客には、ありがたい取り決めですが、私の場合、そうではなかったので、安くはなったものの、何となく、釈然としないものが残りました。 しかし、入ると決まったからには、払った分だけ、見尽くさねばなりません。 運転手さんと話して、滞在時間は、一時間という事になったのですが、今までの経験から考えて、こういう施設は、二時間くらいかけて見るのが普通ですから、一時間では、かなり駆け足で回る事になります。 蒸し暑い中、駆け足は敵わんなあ。

  中は、想像した通りの、民俗村でした。 ただし、本州・四国・九州のそれとは、趣きがだいぶ違っていて、さすが、琉球文化圏、独自文化の香りが濃厚です。 民俗村をテーマ・パーク化したら、こんな風になるんじゃないでしょうか。 古民家が6軒、移築されていて、その建物の中を利用して、「家あそび体験」、「サーターアンダギー作り」、「漆喰シーサー色付け」、「島ぞうりアート」、「貝のお守り作り」、「琉球衣装体験」など、各種体験コースを楽しめるという形。 ただし、私は、土禁が嫌いなのと、時間がなかったのが理由で、体験は全て、パスしました。

  私が、石垣やいま村を、当初の目的地から外していたのには、自腹以外にも、わけがあります。 旅の後半で回る沖縄本島で、≪琉球村≫に、≪おきなわワールド≫と、同類の施設に、二ヵ所も行く事になっていたからです。 それは、私が決めたのではなく、○△商事の担当者が決めたのですがね。 で、石垣やいま村まで行くと、同類施設、三ヵ所になってしまうわけで、「カブり過ぎにも程がある」というわけだったんですな。

  入ったのは、9時45分くらいでした。 10時から、中心的な家屋で、民謡の演奏があるというので、15分間で、古民家を三軒見ました。 10時に、民謡演奏を聴きに行きましたが、演奏者の方は揃っているものの、客が誰もいません。 さすがに、一人で聴く勇気がなく、もう一軒、古民家を見に行き、戻って来たら、座敷に上がっている客が一組いて、もう演奏が始まっていました。 これなら、何とか、いられます。 しかし、何せ、土禁嫌いなので、縁側に座り、体を捩って、中を見る格好になりました。

  一人よりはマシですが、私も含めて、四名ですから、客としては、少な過ぎます。 そして、ここでも、「手拍子問題」が、発生すべくして発生しました。 つまり、沖縄県民以外には、琉球音楽のリズムが分からなくて、曲と手拍子が合わないのですよ。 何せ、客数が少ないので、私も叩いていましたが、どうにも合わせられない。 合わせられないくせに、合っていない事だけは分かるから、冷や汗たらったらです。 蒸し暑かったので、尚更たらたら・・・。

  琉球音楽の魅力は、十二分に理解できるので、演奏と歌だけ聴ければ、どれだけ良かったかと思うのですが、またまた、困った事に、琉球音楽というのは、その場にいる全員で、歌って踊って盛り上がるのが、本来の楽しみ方で、静かに耳を傾けるという作法ではないのです。 演奏の前に、「手拍子が合わせにくかったら、ただ聴いていただくだけでも結構ですよ」と言ってくれれば、実にありがたいのですが、そうもいかんか・・・。

民謡の演奏。


  その内、もう二組、客が増えたので、時間がない私は、三曲聴いたところで、失礼しました。 すでに、10時15分を回っていて、残りは、30分しかありません。 やはり、この規模の施設を、一時間では厳しい。 一番見たかった、マングローブ林に行きます。 石垣やいま村は、西側が海に面しているので、マングローブ林も、施設内に含んでいるのです。 潮の干満によって、海水と淡水が入り混じる所を、「汽水域」というのですが、マングローブというのは、そこに生える木本の植物の総称です。 個別の種類としては、オヒルギとか、ヤエヤマヒルギなど。 テレビでは、西表島のマングローブ林が、よく出ます。

  マングローブ林の中を、幅の広い木道が通っており、どんな靴でも、問題なく行けます。 私が行った時には、引き潮で、泥の海底が露出しており、木々の根の様子が、よく分かりました。 仔細に観察すれば、カニやハゼなど、小動物も見れたと思うのですが、時間がないので、粘るのはやめ、次へ。

マングローブ林。


  カンムリワシのケージあり。 カンムリワシは、石垣市の市の鳥で、具志堅用高さんの異名でもあります。 中を見ると、一羽、カラスくらいの大きさの個体が、止まり木に止まっていました。 さすがに、猛禽だけあって、眼光は鋭かったですが、左の羽根を怪我していて、治療中との事。 また、飛べるようになればいいですな。 近くに、水牛池あり。 水の中に、一頭いましたが、前日、小浜島のリゾート施設で見たのと同じく、微動だにしませんでした。 どうも、水牛というのは、水の中に入ると、動く気をなくすようですな。

  村の海よりにある林の一部が、フェンスで仕切られていて、「リスザルの森」という名前が付いています。 リスザルは、沖縄とも石垣島とも、何のゆかりもなく、「南米原産 ボリビアリスザル」と書いてあります。 ただ、気候が近いというだけの理由で、飼っているようですが、子供客を呼ぶために、多大な期待をかけているのは、村のキャラクターが、「やいまるくん」というリスザルである事からも窺い知れます。

  動物園のバード・ケージのように、出入り口にフェンス・ドアが設けてあります。 中に入ると、うじゃうじゃというほどではありませんが、一目十匹くらいの密度で、あちこちで、ちょこちょこと動き回っていました。 「鞄を開けたままにしない」、「ポケットに物を入れない」、「肩の上に乗ってくる事がある」、「服が汚れても補償しない」といった注意書きがありましたが、私が入った時には、どいつもこいつも、エサに夢中で、人に悪さをするゆとりなどない様子でした。

  子供を負ぶった母猿どもが、数匹固まっていると、もはや、猿だか毛玉の塊だか、形が判然としません。 自販機でエサを売っていましたが、子供の頃、西伊豆の波勝崎で、エテ公に食べ物を取られて以来、筋金入りの猿嫌いを貫いている私は、もちろん、サルモンキーにエサなどやったりしません。 サルが! サルのくせに! サルの分際で! リスザルではなく、サルリスだったら、また、話は別ですが・・・、そんなの、存在しないか。

カンムリワシ(左)/リスザルの塊(右)


  ここで、10時40分。 ひえ~、厳しい観覧だった。 早く、戻らねば。 タクシーに乗ると、エアコンが利いているので、しばらく、極楽気分になります。 ちなみに、客が施設に入っている間、運転手さんが何をやっているかというと、車の中で昼寝したり、タクシー運転手の詰所があれば、そこで、同業者と話をしたりしているようです。 これまた、貸切タクシーに乗ってみて初めて分かった事ですが、運転手さん側にしてみると、客が、一つでも多く、観光施設に入ってくれる方が、ありがたいのです。 その間、休んでいられるわけですから。 気づかなかったなあ。


≪御神崎(おがんざき)≫
  朝書いたメモでは、≪御神崎灯台≫になっていましたが、灯台には近付かなかったので、御神崎とした方が、妥当ですな。 石垣島の北西部に、≪屋良部半島≫というのが突き出しているのですが、その更に北西の突端にある岬。 ここが、凄かった。 予備知識ゼロで、運転手さんも、何も言わずに、さりげなく走っていたので、こんなに凄い所だとは思わず、完全に虚を突かれた格好になりました。 今回の沖縄旅行、全部を通しても、自然風景としては、トップに挙げないわけには行きません。

  一口で言えば、海に突き出た岩山なのですが、そのスケールが半端ではありません。 こんな巨大な岩山は、日本全国探しても、滅多にお目にかかれるものではないと思います。 比較物がないので、写真では、大きさが伝わらない。 行って、肉眼で見るしかありません。 行くと、岩山の圧倒的な存在感に、魂が消し飛んで、灯台なんか、どうでもよくなってしまいます。 鬱病患者でも、テンションが上がる。 死人でも、目が覚める。

御神崎。


  もっとも、運転手さんは、何度も来て、見慣れているせいか、私の感動が、大袈裟に見えているようでした。 岩山の上は、本来、立ち入り禁止らしいのですが、その立て札がなくなってしまって、観光客が、攀じ登っていました。 ゆったりしたワンピースを着た女性が、登ったはいいが、下りる途中で、下から風に煽られて、スカートが広がるのを抑えるのに、大わらわ。 下りるに下りられずにいる様子を見て、運転手さんが、思いっきり、馬鹿にしてました。 「なんで、あんな格好で、あんな所に登るかねえ・・・」

  そういえば、この岩山が見える場所まで行く小径が、腰くらいの背丈で、葉に棘のある植物の群落を貫いたのですが、そこを通る前に、運転手さんから、両手を上げて歩くように言われました。 服を介して当たる分には、痛くないのです。 半ズボンやスカートで行った人は、たまらなかったでしょうな。 こういう時、地元の人がガイドについていると、危険を未然に避けられます。 そういえば、石垣島には、ハブがいるから、藪には入らないようにと、藪のそばを歩くたびに言われました。


≪川平湾≫
  ここは、石垣島で、最も景色が良い事で有名。 39年前のガイド・ブックにも書いてありました。 名だたる名所というわけ。 行ってみると、確かに、素晴らしい。 絶景とは、この事ですな。 多島海で、湾内に小島がたくさんあるのですが、潮の干満の分、波に浸食されて、島の裾周りが抉られています。 それが、単なる多島海以上の奇観を作っているんですな。 ここに関しては、私が勧めなくても、石垣島に来た観光客は、みんな見に来るでしょう。

川平湾。


  グラス・ボートが、何隻も、砂浜に前端だけ乗り上げる格好で、着けられています。 岸壁も、桟橋もないので、「着岸」とは言えないし、「着けられている」としか表現のしようがありません。 お客は、船首から、梯子を使って、乗り降りしている模様。 グラス・ボートというのは、珊瑚礁を見るために、船底にガラスを張った船の事です。 川平湾の名物で、ここに来る観光客は、ほとんどが乗るのだとか。 しかし、運転手さんが、くどくは勧めなかったので、自腹を恐れる私は、やはり、乗りませんでした。


≪八重山そば≫
  グラス・ポートに乗らなくて良かったと思う出来事が、その直後ありました。 朝、出発前に、「空港に着く時間が、13時なので、昼食は抜きにしたいんですが」と言って、一応、了解を得ておいたにも拘らず、運転手さんが、昼食を勧めて来たのです。 話の持ちかけ方からして、「これは、本気だぞ。 たぶん、グラス・ボートを飛ばした分、昼食で、時間調整をしたいのだな」と見た私は、「安い店があれば・・・。 予算は、千円です」と断った上で、承知しました。 この時点で、私は、貸切タクシーの利用方法について、大体のコツを会得しており、「運転手さんが強く勧める所には、素直に行った方がいい」と考えるようになっていました。

  で、連れて行かれたのが、「八重山そば」の店。 今、地図を見ながら、位置を特定すると、川平湾から、米原ヤシ林までの間で、県道79号線から、ちょっと山側に入った、小高い所にある店でした。 八重山そば自体は、前日に、小浜島のリゾート施設のレストランで、ちょっとだけ食べていたのですが、その時は、八重山そばというのが、何なのか、よく分かっていませんでした。 この店に来て、ようやく、本格的なものを食べられた次第。 750円のセットを頼んだので、御飯、味噌汁付きでしたが、たぶん、八重山そばだけでも、一食に充分だったと思います。

  で、「八重山そば」とは何かというと、蕎麦粉を使う蕎麦ではなく、小麦粉を使う、ラーメンの麺に近い麺なのですが、断面が丸くて、ラーメンより太く、歯応えがあります。 スープは、薄く黄色みがかっていますが、塩ラーメンのようなしょっぱさはありませんし、豚骨スープのようにこってりもしておらず、あっさり味です。

  この時点では、知らなかったのですが、沖縄本島の「沖縄そば」、宮古島の「宮古そば」も、ほぼ似たような製法で作られる、地域バリエーションだとの事。 まあ、一番、簡単な説明としては、「中華そば」の沖縄版があり、その中の、八重山諸島のバリエーションを、「八重山そば」と呼ぶ、といったところでしょうか。

  これら、御当地そばが、普及しているせいか、沖縄県では、どこへ行っても、ラーメン屋が見当たりません。 実際、御当地そばを食べてみれば分かりますが、これに慣れてしまうと、ラーメンは、麺は粘り過ぎ、スープはくど過ぎで、食べられないと思います。 逆に、ラーメンを食べ慣れている人間は、沖縄の御当地そばを、抵抗なく食べられます。 そして、たぶん、大多数の人が、素直な感想として、「ラーメンより、うまい」と感じると思います。 麺の食感だけだったら、こんなに誉めませんし、スープのあっさり度だけでも、こんなに誉めませんが、両方併せ持つとなると、その旨さを、称えないわけには行きませんな。

  食事の後、運転手さんに、「あんなに旨いのなら、全国に広まりそうなものだ」と言ったら、「パックになった製品が売っているのではないか」との返事でした。 「探してみる」と言っておきましたが、帰って来てから、見て回ったところでは、やはり、普通のスーパーでは置いてなかったです。 ただ、ネットでなら、買えるようですな。


≪米原キャンプ場≫
  予定にはない所でしたが、運転手さんが寄ったので、素直に従いました。 キャンプ場といっても、海水浴場です。 「ビキニ観賞でもして来て」と言われて、一人で、砂浜まで歩きましたが、女性はみんな、黒い長袖の水着を着ていました。 日焼け対策なんでしょうな。 時代は変わった、というか、19世紀末に戻ったような感じです。 長居しても、暑いだけなので、トイレで小用を済ませ、タクシーに戻りました。


≪米原ヤエヤマヤシ林≫
  ヤエヤマヤシというヤシが、自然林を作っている所。 山裾にあり、県道79号線から、ちょっと入るだけで、到着します。 駐車場あり、入林無料。 山道を上へ登って行きますが、距離が短いですし、傾斜も大した事はないので、脚に自信がなくても、気軽に入って行けます。

  ヤエヤマヤシは、石垣島と、西表島にしか自生していない固有種で、近縁種が他にないとの事。 25メートルまで育つと倒れてしまうとか、大きくなると、根元に、腰蓑のような、細かい根がたくさん生えて来るとか、いろいろ聞きました。 タクシーの運転手さんも、植物の事まで知っていなければならないのは、大変ですなあ。 ここでも、藪を指して、「その辺に入っていくと、ハブがいるかもしれない」と、注意を受けました。

米原ヤエヤマヤシ林。



≪石垣空港へ≫
  米原ヤエヤマヤシ林で、予定されていた観光地は、全部見終わりました。 あとは、空港まで送ってもらえば、石垣島での貸切タクシーの旅行は終わりです。 県道87号線で、山地へ入り、≪底原ダム≫の横を通って、南下。 運転手さんの話では、バブルの頃、ちょうど、このダムの建設工事が行われていて、工事関係者が、夜になると、石垣市街へ、飲みに繰り出すため、その送迎で、タクシー業界が、大いに潤ったのだとか。 「その日の稼ぎを、全部飲んでしまっていたんでしょうねえ」と言うと、「そういう時代だったからねえ」と、しばし、バブル時代に、思いを馳せている様子でした。 確かに、そんな時代でしたが。

  ちなみに、観光地から観光地へ移動する間、車内では、ほぼ途切れる事なく、会話が続いていました。 観光ガイドはもちろんの事ですが、世間話、思い出話、何でもあり。 どうやら、貸切タクシーというのは、そういうものらしいのです。 私は、どちらかというと、孤独を好む性格ですが、長年の会社勤めで、一応、会話のコツも心得ているので、運転手さんが歳上であるのをいい事に、会社の先輩と話をするような調子で、受け答えをしていました。

  この運転手さんは、観光客が増え過ぎるのを嘆いていて、レンタ・カーが我が物顔に走り回ったり、あちこちに土産物屋が出来たり、砂浜にダイバー相手の業者が車を乗り入れたりと、次第に俗化していく故郷の様子を憂えていました。 また、ニヒリストでもあり、市街地から、遥か遠く離れた所に作られたリゾート・ホテルを指して、「ああいう所は、長期滞在で、のんびり過ごす分にはいいけれど、普通のお客じゃ、周りに、店一軒ないのを見て、ビックリするだろうね」と、語っていました。

  他に記憶に残っている事というと、八重山そばの店に行く時、県道から、右折して、交差道路に入ろうとしたら、交差道路を走って来た車が、右折する為に、道路の右端に一旦停止し、こちらの入る先を塞いでしまいました。 まるで、右側通行です。 運転手さん、唖然・・・。 その車が右折して、行ってしまってから、「なんだろね、ありゃあ。 人が増えると、あんなのも出て来るのか」と、呆れていました。 「ああいう人は、教習所に行き直した方がいいんじゃないですかね」「いや、そもそも、免許なんか持ってないのかもしれない」「ああ、そりゃあ、もう、こっちの負けですな。 お見逸れしましたと、頭を下げるしかないですわ」

  そういえば、空港に向かう道に入ってから、朝、私に、「時間がないから、行けない」と言った、平久保崎方面の事について、運転手さんの方から、話し始めました。 「あっちの方に行ってたら、走り詰めに走っているだけで、じっくり見れる所がなくなってしまうからね」と言うので、「そりゃ、そうですね」と相槌を打っておいたのですが、なぜ、そんな事を言い出したのか、推測するに、つまりその、運転手さん、私と会話を続ける内に、結構、話し相手になる人間である事が分かり、私に対する評価点を、少し上げてくれたのでしょう。 で、朝、「行けない」と言って、断ってしまったコースについて、「実は、行くだけなら行けたんだが・・・」と、正直なところを、それとなく漏らしたんじゃないかと思います。

  私も、内心、そう思っていたので、それを聞いて、すっきりしました。 たぶん、石垣やいま村、昼食、米原キャンプ場などを抜けば、回れたはずです。 ただし、その場合、本当に走り詰めになるから、燃料代は、3倍くらいかかったんじゃないかと思います。 時間契約なので、タクシー会社側としては、走行距離が短いほど、得になるわけで、この点に関しては、運転手さんが私に、圧勝した事になりますな。 しかも、最終的に、正直なところを話して、客に不快感を残さない手並みも、鮮やか。 さすが、プロだ。 こうでなければ、客商売はできんな。

  石垣空港に着いたのは、予定通り、きっちり、午後1時30分でした。 お礼を言って、別れました。 たぶん、もう、会う事はないでしょう。 観光貸切タクシーだったせいか、車内に名札が出ていなかったので、名前も知らずじまいでした。 そもそも、私は、石垣島にも、もう来れないと思います。


≪石垣空港≫
  三日前、下り立った時には、路線バスの乗り場が気になって、空港を見て回るゆとりがありませんでしたが、この時は、着いたのが、1時30分で、宮古島行きの飛行機が、2時40分発だったので、1時間10分も、時間がありました。 とりあえず、搭乗手続きだけしてしまおうと思い、RACのカウンターに行きました。 RACというのは、「琉球エア・コミューター」の略で、日本航空のグループ企業です。 チェック・イン・マシンを探しましたが、見当たらないので、係員に訊いたら、とりあえず、手荷物預かり所へ行けば、そこで、搭乗手続きをするというので、それに従いました。

  タクシーの運転手さんから、「宮古島行きの飛行機は、以前はジェットだったが、客が減ったせいで、今はプロペラ機になってしまった」と聞かされていたので、乗る飛行機が小さい事は分かっていたのですが、ここへ来たら、機内持ち込み荷物に、機体別に、サイズの上限がある事が分かりました。 荷物を載せて、大きさを計る器具が置いてあります。 私の旅行鞄を載せてみたら、乗る飛行機の規定サイズ、ギリギリでした。 手荷物預かり所の人に、現物を見せて、訊いてみたところ、「大丈夫だと思います」というので、持ち込む事にしました。

  運転手さんから、「待ち時間があるようだったら、展望デッキに上がってみるといい」と、アドバイスされていたので、その入口を探したのですが、見つかりません。 構内マップを見ると、待ち合い場の奥にあるように見えたので、保安検査場を通って、待ち合い場に入ったのですが、ここでもやはり、展望デッキに繋がる通路は見当たりません。 もう一度、マップを見直したら、どうも、他の階から、エスカレーターで上がるようになっている様子。 しかし、確かめようにも、一度、保安検査場を通ってしまったら、戻れません。 やむなく、展望デッキは諦めて、待ち合い場で、一時間待つ事にしました。

  そういえば、この空港の保安検査場は、各社共用で、搭乗券を発行する機械が、会社ごとに別になっているのですが、間違えて、全日空の機械に、航空券のQRコードをかざし、エラーを出してしまいました。 うろたえていると、係の人が代わりにやり直してくれました。 なるほど、こういう所もあるわけだ。 以後、気をつけねば。

  待っている間に、沖縄県の職員らしき女性がやって来て、「空港を利用する、他都道府県の観光客に、アンケートをお願いしている」と言われました。 その場で書かせて集めるのではなく、返信用封筒で、郵送して欲しいとの事。 断る理由もないので、受け取っておきましたが、すっかり忘れていて、一ヵ月も経つのに、まだ出していません。 まあ、出さなくても、罰は受けないと思いますが。

  一時間、ぼーっと待ちます。 不思議と、空港の待ち合い場は、待つのが苦痛になりません。 それなりのお金を払わなければ、入れない場所にいるからでしょうか。 待ち合い場にテレビがあり、やっていたワイド・ショーを、ぼんやり見ていたのですが、タレントの誰それに、浮気の疑いがあるとか、下らない事ばかりで、熱が出て来ました。 そんなの知らんがな。 他人事でんがな。 ええ加減しときー。


≪石垣島から、宮古島へ≫
  やがて、搭乗ゲートが開きました。 ボーディング・ブリッジはなくて、一旦、屋外に出て、駐機場に停まっている飛行機まで、歩いて行きます。 うーむ、確かに、プロペラ機だ。 双発で、上翼。 水平尾翼が、垂直尾翼の上に着いています。 タラップもなくて、飛行機のドアが、下向きに開いて、そのドアの内側が、階段になっています。

  中は、左右2席ずつの、4席が、10列あって、40人乗り。 機種名は、≪DHC8-Q100≫。 家に帰ってから調べたら、カナダのボンバルディア社の製品でした。 客室乗務員は、一人です。 機内に、モニターやプロジェクター・スクリーンはなくて、離陸前の救命器具の説明は、実演で行なわれました。 実演の方が、分かり易いですな。

  私が乗った席は、「9K」で、後ろから二番目の列の、右の窓側でした。 窓側は、私が搭乗手続きの時に選んだのですが、不思議な事に、またしても、私の隣の席は、空席でした。 ついてるな。 この席の窓からは、右のエンジンの後ろ半分が見えます。 エンジンの下から、脚が出ているので、それも見えます。 エンジン・カバーを見ると、そこそこ、くたびれている感じ。 いや、それ以前に、外板の切り方や、リベットの打ち方に、手作り感がありありと窺えました。 不安は高まる一方です。 最初に小さい飛行機に乗って、少しずつ、大きいのに移って行けば、なんでもないのでしょうが、私の場合、その逆だから、不安になるなという方が、無理ですな。

  ところが、離陸してみると、振動も騒音も、大型ジェット旅客機と、ほとんど変わらないではありませんか。 これは、意外でした。 むしろ、軽々と飛び立つ様子は、ジェット・エンジンの力で、強引に機体を持ち上げる大型機より、安心感を覚えるほどです。 「ガコン!」という感じで、脚を引き込み、高度を上げて行きます。 このクラスの飛行機は、大型機より、飛ぶ高度が低く、5000メートルくらいを飛んでいると、機長が機内放送で、言っていました。 それでも、雲の上ですが、海の波がはっきり見えます。

  飛行時間、僅か、25分。 もちろん、ドリンク・サービスはなし。 その代わり、飴を配っていました。 水分は、自分の唾液で賄えという事ですな。 二種類あって、一つ取ったら、もう一つも勧められたので、結局、二種類取りました。 ポスト・カードもくれるようでしたが、そちらは、遠慮しておきました。 今頃になって、「荷物になるようなものでもないし、貰っておけばよかったかな~」と思うのですが、後の祭り。

  宮古島に近付きますが、先に、目に入って来るのは、宮古島の北東にある、伊良部島です。 伊良部島にも空港があるので、紛らわしいです。 通り過ぎてしまって、ようやく、違う事に気づく次第。 宮古空港は、島の西側の、少し内陸に入った所にあります。 やがて、着陸。 すぐそこに、脚が見えるので、タイヤが接地する瞬間が怖かったです。 しかし、台風の真っ最中に、≪B767-300≫で石垣島に下りた時よりは、ずっと安定した着陸でした。 当たり前か。

RACの、ボンバルディア≪DHC8-Q100≫。



≪宮古空港≫
  宮古空港でも、ボーディング・ブリッジはなし。 ターミナルまで、歩きました。 そもそも、≪DHC8-Q100≫は、背丈が低いので、ボーディング・ブリッジもタラップも、着けようがないんですな。 宮古空港は、大きな空港で、赤瓦を葺いた屋根が、複雑に組み合わさっています。 このデザインは、おそらく、文句なしで決まったのではありますまいか。 厳密に言えば、琉球建築の様式ではないわけですが、充分に、それらしく見えますし、何より、巨大建築に不可欠の、威厳があります。

宮古空港。


  私が空港に下り立ったのが、3時15分。 ホテルの送迎バスが、空港を出たのが、3時ちょうど。 間に合わなかったか・・・。 というか、間に合わない事は、予定段階で分かっていたんですがね。 次の送迎バスは、なんと、5時15分です。 2時間待ちだ~・・・。 一応、路線バスを探してみましたが、見つかりませんでした。 もっとも、無料の送迎バスがあるのに、路線バスに乗るほど、私の吝嗇度数は低くありません。 時間があったから、一応、探してみただけです。

  送迎バスは、待てば来るから、まだいいのであって、当初、○△商事の日程表では、宮古空港から、ホテルまでは、タクシーで行く事になっていたのです。 もちろん、自腹。 冗談じゃないよ。 いくらかかると思っているんだ。 そこで、自分で調べたら、ホテルの送迎バスがあるじゃありませんか。 まったく、人任せにはできません。 バス乗り場の地図と、時刻表をプリントして来て良かった。 かなり、大雑把な地図でしたが・・・。

  外で待っていても、暑いので、ターミナルの中に入り、到着ロビーの椅子に陣取って、5時頃まで、日記を書いていました。 この日は、石垣島の分だけでも、ごちゃまんと、いろんな事がありましたから、日記も膨大な文章量になってしまいます。 ここで、ここまでの事を書いてしまえば、ホテルに着いてから、夜の日記書きが、ぐっと楽になるのです。


≪ホテルへ≫
  やがて、5時になったので、外に出て、バス乗り場へ行きました。 私の他に、家族連れが一組、待っていました。 子供に、迷惑をかけられないように、距離を置いて、待ちます。 そこへ、ホテルの送迎バスがやって来ましたが、どうも、ホテルの名前が違うような気がします。 運転手さんに確かめると、私が泊まるホテルにも行くとの事。 バスに名前が書いてあるホテルと、私が泊まるホテルは、同じ会社が経営していて、互いに近くにあるようです。

  5時15分に出発。 何せ、西に来ているので、日暮れまでの時間は、まだ、充分にあります。 バスは、サトウキビ畑の中を通って行きます。 ホテルは、宮古島の南岸にあるので、空港からだと、まっすぐ南下する形になりますが、宮古島の中心市街地は、北東の方にありますから、バスの窓からは、農地しか見えませんでした。 宮古島は、平らな事で有名で、山の緑も見えません。


≪ホテル≫
  5時40分に、ホテルに到着。 下りたのは、私だけ。 多いな、このパターン。 ホテルの外観を撮影してから、中に入ったのですが、ロビーは狭く、フロントは小さくて、正直な感想、「ボロい」とか、「しょぼい」とか、そんな言葉しか浮かんで来ません。 また、フロントの係員が、一人しかいないので、お客が、ちっとも捌けません。 これは、イライラするわ。

  ようやく、私の番が来ました。 チェック・インの手続きは、すんなり行きましたが、その後の、食事の方式が、さっばり、理解できませんでした。 フロント係の話を要約すると、

・ このホテルは、大きなリゾート施設の一部である。
・ このホテルは、長期滞在者向けの、宿泊専用なので、レストランはない。
・ 夕食・朝食を予約してある人は、リゾート内にあるレストランに行ってもらう。
・ レストランの幾つかは、隣のホテルの中にある。
・ 隣のホテルや他のレストランに行くには、シャトル・バスが出ている。
・ 夕食は、レストランの予約が要る。
・ 朝食は、バスの予約が要る。

  なんじゃ、そりゃ? 理解できるか、そんな複雑なシステム! もう、真っ青ですな。 えらい所に来てしまった・・・。 とりあえず、4階の部屋に行きました。 エレベーターはありますが、どうも、全体的に、ボロいです。 廊下は、片側に壁が無くて、なんだか、アパートみたいな作りです。 日記には、「収容所のようだ」と書いてありますが、後になって考えると、それほど、ひどくはなかったです。

  部屋の中に入ると、一転、広々していて、「さすが、長期滞在者向けだ」と思うような設備が整っていました。 キッチンが付いていて、2ドア冷蔵庫と電子レンジ、電気ポットが置いてある他、電熱ヒーター用に薬缶もありました。 トイレは独立していて、浴室には、バスタブとは別に、洗い場があり、洗面所も別。 水回りだけ見ると、夫婦者向けの、小ぶりなマンションという感じです。

  寝室はツイン。 鏡台と机が兼用。 応接セットは、テーブルと、椅子が一脚しかないですが、その代わり、昼寝専用みたいな、ソファともベッドともつかない家具が置いてありました。 他に、テレビ台の上に、液晶テレビ。 ケーブル・テレビを入れているらしく、テレビの下にセット・トップ・ボックスがあり、リモコンは、そちら用しか置いてありません。 地デジとBSが映ります。 そんなところですか。

ホテルの部屋。


  窓からは、海と、すぐ隣にある、≪ドイツ村≫という観光地の、お城が見えます。 この点は、石垣島のホテルより、格段に上。 概ね、部屋は、宜しいわけですな。 もっとも、それは、しばらく経ってから、思い始めた事で、入った直後は、とにかく、食事の方式が理解できず、ストレス死するんじゃないかと思うほど、不安でした。

  食事そのものを、パスしてしまうという手もあるのですが、今回の旅では、食事代に、一食3000円以上使っている事を知っていたので、吝嗇家としては、その権利を捨てる事など、できたものではありません。 とりあえず、隣のホテルにあるという、バイキング専門のレストランに目星を着け、このホテルにいる2泊3日分の全食事を、そこで済ます事にしました。 食券が無駄にならなければいいわけで、この際、食べ物など、何でも宜しい。

  朝食の時間を調べたら、レストランが開くのは、7時。 それなのに、バスの始発は、7時55分になっています。 その事について、フロントに下りて、訊いてみたら、「必要なら、特別に、バスを出します」と言われました。 いやいやいや、そうまでしてもらう程の事でもありません。 「歩いたら、どのくらいかかりますか?」と訊いたら、「10分くらいです」との事。 それなら、朝だけ、歩いてもいいでしょう。

  一度、部屋に戻り、荷物を展開しました。 その後で、夕食の予約をしようと、フロントに内線をかけたら、レストランに繋ぐとの事。 ところが、繋がった先は、隣のホテルで、そこから更に転送されて、レストランへ繋ぐという煩雑さ。 しかも、途中で切れてしまいました。 フロントにかけ直したら、今度は、フロントが出ません。 四回くらいかけ直して、ようやく、フロントに繋がり、レストランまで、話が通りました。 どんどん、憔悴します。 えらい所に来てしまった・・・。

  レストランの予約は、7時40分にしました。 半端な時間なのは、バスに合わせたからです。 バスが来るのは、7時35分。 ≪こころ旅 とうちゃこ版≫、2014年春の旅・最終日が、7時から7時30分までですが、全部見ていたら、バスに遅れるので、5分早く切り上げて、下に下ります。 下りるなり、バスがやって来ました。 慌てて、乗ります。 ところが、それは、東回りのバスで、下ろされてしまいました。 リゾート内バスには、西回りと東回りがあり、隣のホテルに行くには、西回りに乗らなければならないのです。 どこまで、ややこしいのか・・・。 西回りのバスは、ほぼ、時間通りに来ました。

  隣のホテルまでは、5分です。 レストランの場所は、一階の奥で、直ぐに分かりました。 すでに、大混雑しています。 係の人に、夕食券を渡すと、席まで案内してくれました。 二人掛けの席に、「食事中」と書いた札を置いてから、料理を取りに行きます。 予約しているのに、なぜか、伝票も置いて行かれました。 料理は、バイキングですから、石垣島のホテルの朝食と似たり寄ったり。 頭が混乱していても、腹の方は食べたいらしく、満腹してしまいました。 食べ終わったら、「食事中」の札と、伝票を持って、受付に返して、おしまいです。

  家に電話をする為に、隣のホテルで、公衆電話を探したのですが、見つけられず、フロントで訊いたら、苦笑いと共に、「公衆電話は、ちょっと・・・」と言われてしまいました。 ないんですな、つまり。 バスを待つのが馬鹿馬鹿しくなり、暗い夜道を歩いて、自分のホテルまで帰りました。 所要時間は、8分くらいでした。 自分のホテルのフロントでも、公衆電話について訊ねましたが、やはり、ないとの返事。 これは困った。 しかし、子供じゃないんだから、一日くらい、電話を入れなくても、大丈夫でしょう。 後で、気づいたんですが、公衆電話がない代わり、部屋の電話で、外線にかけられるのです。 ただし、それは、チェック・アウトの時、別料金を取られます。

  部屋に戻って、洗濯。 もう、へとへとですが、やる事はやらなければ、眠れません。 その後、シャワーで風呂。 そうそう、このホテルで分かったのですが、石垣島のホテルで、バスタブにかけてあったタオルは、タオルではなく、足拭きマットだったのです。 タオルそっくりの布だったから、分からなかったのです。 このホテルでは、いかにも足拭きマットらしいのが掛かっていたので、すぐに、それと分かった次第。 いやあ、足拭きマットで、体を拭いたりしなくて、良かったですわ。 知らないというのは、恐ろしい事です。

  浴室の洗い場には、「ボディー・ソープ」、「シャンプー」、「コンディショナー」のボトルが並んでいましたが、慣れない事とて、シャンプーで体を洗ってしまい、いつまで流しても、ぬるぬるして、気持ち悪いったらありません。 結局、ボディー・ソープで、洗い直しました。 ああ、疲れてるってーのになー。 いや、疲れているからこそ、こういう、ミスをするのでしょうか。

  このホテル、つくづく、良し悪しです。 少なくとも、2泊3日くらいの短期滞在者は、予約して来た段階で、ホテル側で、断った方がいいんじゃないでしょうか。 最短でも、一週間はいないと、あの複雑な食事システムを、使いこなせますまい。 キッチンで、自炊するにしても、近くにスーパーはないのであって、どこで食材を買ってくるのか、首を捻ってしまいます。 車がなければ、お手上げですな。



≪四日目、まとめ≫
  この日は、めくるめく、いろいろな事が起こりました。 貸切タクシーは初めてでしたし、プロペラ機も初めて。 とどめに、ホテルが、こんな感じで、とてもじゃないが、一日で処理するには、脳のメモリーが足りません。 日記を空港で書いておいて良かったです。 ホテルに着いた後の分だけでも、相当なページ数になってしまいましたから。 この日の朝、まだ、石垣島のホテルにいたというのが、信じられませんでした。