2014/09/07

宮古島周遊

  沖縄旅行記の五日目です。 その前に、これを書いている時点の事を書いておきますと、北海道旅行から帰って来て、ちょうど一週間経った日です。 沖縄の旅行記に手こずって、さんざんな目に遭った、というか、今現在も遭っているわけですが、その反省を活かし、この一週間で、先に北海道旅行記の方を、書き進めていました。 そのせいで、頭の中が混乱気味ですが、沖縄旅行記の途中で、先に北海道旅行記の方を出してしまうと、読んでくれる方々にまで、混乱を及ぼす恐れがあるので、ここはやはり、頭をスイッチして、沖縄旅行記を先に完成させる事にします。


≪ホテルの朝≫
  持って行った目覚まし時計で、6時に目覚めたのですが、まだ早過ぎると思い、6時半にセットし直して、二度寝したものの、結局、眠れず、6時15分には、起きてしまいました。 カーテンを開けると、ホテルの隣にある≪ドイツ村≫の、お城の背後から、朝日が昇るところでした。 景色は、文句なしですな。 実に、リゾート・ホテルらしい。

  髭剃り・洗面して、6時45分に、朝食に出かけました。 隣のホテルにあるレストランまで、歩いて行きます。 前回書いたように、シャトル・バスは、7時55分始発なので、7時の開店に合わせるためには、歩くしかないわけです。 ドイツ村の入口前を通るのですが、こんなに朝早いのに、もう開いていました。 中を覗くと、誰も歩いていません。 どうも、この施設は、普通の観光地とは、ちと違う原理で運営されているようですな。 ちなみに、入園だけなら、無料です。

  隣のホテルに着き、前の夜と同じ、バイキング専門のレストランへ。 「シャトル・バスより、一時間も早く、開店時間きっちりに来たのだから、すいているだろう」と思っていたら、すでに、芋を洗うような混雑となっていました。 なぜなのか、考えるに、シャトル・バスに乗らなければならないのは、他のホテルに泊まっている客だけで、この、レストランがあるホテルに泊まっている客は、一階に下りてくるだけで、レストランに入れるのです。 そして、「混まない内に、早く行って、食べてしまおう」というのは、誰もが考える事。 かくして、かくの如き、生き馬の目を抜くような、バイキング会場の光景が生まれるわけですな。 迂闊にも、そこまで、想像が及びませんでした。

  恐らく、無数の埃が漂っているであろうと思われる、喧騒甚だしい空間で、手早く、食事。 何を食べたかは思い出せません。 バイキングだと、自分の好きな物しか取りませんから、まずいという物はなかったです。 バイキングの料理に、肉類が少ないのは、予算の関係でしょうか。 これは、どこへ行っても同じで、あっても、ベーコン、ハム、ソーセージくらいでした。 面白いもので、ハムやベーコンがあると、私も他の人も、必ず、2枚ずつ取ります。 腹の内では、もっと欲しいと思っていても、4枚だと多過ぎるし、3枚だと、半端な感じがして、結局、2枚になってしまうのです。 1枚というのは、最も取り難い。 人から、「セコい」と思われるからというより、公衆の秩序を乱す大罪のように感じられるのです。 下らねー話ですが。

  帰りも、歩き。 律儀に道路の歩道を歩いて行くと、8分かかるので、「どうせ、同じ、リゾート施設の敷地なのだから、ショート・カットできないものか?」と思うんですが、もし、近道がなかったら、また、引き返す事になり、却って、時間がかかってしまいます。 腹が膨れた後で、動きが鈍くなっており、少しでも早く、ホテルに戻りたいと思っていた私には、そんな冒険ができませんでした。 人間、飲み食いした後に運動すると、汗を掻くものらしく、ホテルの部屋に帰った時には、じっとりと、下着シャツが濡れていました。 しかし、朝から洗濯するわけにも行かず、そのまま、乾くのを待つしかありません。


≪貸切タクシー≫
  この日は、宮古島を、貸切タクシーで回ります。 前の日の午後に着いたばかりで、空港とホテル以外、どこも見ていないので、全て、運転手さんに任せられるのが、却って、気楽。 9時からの契約なので、8時45分頃、下に下りて、ホテルの入口外で待っていると、2分ほどで、タクシーが来ました。 まだ、10分前でしたが、私の方が先に待っていたのを見て、恐縮したようで、すぐに、乗せてくれました。

  運転手さんは、年齢は、60歳前後。 もちろん、私より年上ですが、一見して、腰の低そうな人で、「今日一日、頑張りますから、宜しくお願いします」と、丁寧に挨拶され、こちらも、丁寧に挨拶し返しました。 丁寧なのはいいんですが、ちょっと嫌な予感もしました。 丁寧には丁寧で返さねばならないわけで、この日の契約は、7時間もあるので、疲れてしまう恐れがあります。

  走り出す前に、車内に掲示してある、運転者の名札を指して、「私の苗字、何と読むか、分りますか?」と訊かれました。 つまり、沖縄県民以外だと、普通、正しく読めないわけですな。 ところが、全くの偶然ですが、私が、30年前に読んだ沖縄関係の本の著者が、同じ苗字だったので、その通りに読むと、「なんで、読めるんですか!」と感激し、握手を求めて来ました。 「大工と鬼六」か。 人様の苗字を正しく読んで、喜ばれたのは、この時が初めてです。 読み間違えて、不興を買った事なら、幾度となくありますが。

  「どういう所へ行きたいか?」と、訊かれたので、間髪入れず、「史跡か、景色のいい所」と答えました。 石垣島の運転手さんと話した経験から、貸切タクシーの利用客には、いろいなタイプがいて、さすがに、パチンコ屋や風俗店に行けという客はいないものの、別料金が発生する観光施設ばかり行きたがる者もいるようなので、早めに、こちらの趣味と意向を伝えておこうと思ったのです。 これは、図に当たり、運転手さんは、すぐに私を、「歴史好き・文化好き」のカテゴリーに分類してくれました。


≪御嶽≫
  で、最初に行ったのが、ホテルのすぐ近くにある、御嶽です。 八重山では、「おん」と言っていましたが、宮古島では、本島と同じように、「うたき」と言うそうです。 前にも書きましたが、沖縄の神社ですな。 別に、観光名所でも何でもない、土地の御嶽だったのですが、ここで、御嶽に関する、基礎知識を説明してくれました。 記紀神話のような、名前がついた神を祀っているわけではない事。 鳥居は、明治以降に付けたものである事。 神聖な場所であり、子供でも、御嶽の敷地に入ったら、悪さはしないといった事。 また、敷地内では、虫や鳥などの殺生もしないのだそうです。

  日本の、土着信仰の神社と重なるところもありますが、日本の場合、神社の神聖度は、世代や個人によって異なり、殺生戒は、寺ではともかく、神社では聞いた事がありませんし、賽銭泥棒や賽銭箱ごと泥棒なども、よく起こる事を考えると、御嶽の方が、より深く信じられているように思えます。 御嶽に祀られている神と、あの、各家の大きな墓に祀られている祖先崇拝の関係がどうなっているのか、疑問はつきないのですが、あまり、突っ込んだ事を訊いて、運転手さんの機嫌を損ねるのも憚られ、そのくらいでやめておきました。

  こういう事は、沖縄の宗教について書かれた、民俗学の本を読めば、ある程度、分かるわけですが、私が知りたいのは、そういう学問的なレベルの事ではなく、現代の、その土地に、普通に暮らしている、普通の人達の宗教観でして、これは、人によっても、だいぶ、ズレがあるに違いなく、一人の人から説明を受けただけでは、全体像が見えないのも無理からぬ事なのかも知れません。


≪来間大橋≫
  宮古島の南西沖に浮かんでいる小島が、来間島です。 「くりまじま」と読みます。 宮古島から、来間島へ架かっている橋が、来間大橋。 全長1690メートルで、1995年に出来た時には、「日本最長の農道橋にして、沖縄県最長の橋」だったそうですが、今は、農道でなくなってしまい、2005年には、本島に出来た≪古宇利大橋≫に、長さでも抜かれてしまったのだとか。 しかし、そういうランク付けと、この橋の価値は、あまり関係がないですな。 途轍もなく綺麗な海に架かった、途轍もなく長い橋である事に変わりはありません。

  まず、来間大橋を渡って、来間島に入り、島を一周しました。 しかし、来間島そのものに関しては、写真を撮っていない上に、記憶まで残っていません。 その日の内に書いた日記にも、一切触れられていないので、よほど、記憶に残り難い所だったのでしょう。 一日に、見て回った所が多いと、しばしば、こういう事が起こります。 脳の一時記憶の容量をオーバーしてしまうんでしょうねえ。

  大橋側に戻って、展望台に上がりました。 クモの巣が張っていて、クモが何匹もいるのですが、それが、異様に大きい。 色柄的、雰囲気的に、ジョロウグモに似ていますが、大きさは、5倍くらいあります。 運転手さんに、その事を言うと、「そう?」と笑うだけで、これといった説明はなし。 帰ってから、調べたら、ジョロウグモと同属の、オオジョロウグモという種類だとの事。 なるほど、分かり易い名前だ。

  運転手さんは、若い頃に、14年間、大阪に住んでいたとの事なので、本州のジョロウグモも見ているはずなのですが、なぜ、反応が薄かったかを考えるに・・・、元々、小さな物を見慣れている人間が、大きな物を見ると、ビックリして、印象に残るのに対し、元々、大きな物を見慣れている人間が、小さな物を見ても、あまり驚きがないので、気に留めなかったのかもしれません。

  この展望台は、橋から少し離れていて、必ずしも、橋を見るために作られた物ではないように感じられました。 そういや、結構、年季が入った建造物だったので、もしかしたら、橋が出来る1995年より前に、もうあったのかもしれません。 橋も見えますが、海の方が、圧倒的に綺麗です。


≪前浜ビーチ≫
  また、橋を渡り、宮古島側へ戻りました。 橋の西側の前浜ビーチに出ます。 エメラルド・グリーンとコバルト・ブルーの海に、ゴミ一つ落ちていない白い砂浜、左手に来間大橋の優美な曲線と、まるで、CMのような景色です。 運転手さんに勧められるまま、裸足になり、砂の上を歩きました。 海の中にも、少し入ってみましたが、裸足で、海水に浸かったのは、何十年ぶりでしょうか。 こういう体験自体が、私にとっては、この上なく、シュールです。

前浜ビーチから、来間大橋と来間島


  海の家のような店があり、その前を通ったのですが、そこで飼われているダックスフントが、私の足元に寄って来て、なかなか離れませんでした。 家で犬を飼っているせいか、いつの間にか、犬に好かれる体質になっていた模様。 「嫌われるよりはいい」と言えないのが、犬の困ったところでして、好きな人間には、前脚を上げて、飛びついて来るので、ズボンを汚されてしまう事が、しばしばあります。 ここでは、警戒していたので、そういう事はありませんでしたが。

  海に入った後、砂の上を歩いたので、足に砂がついてしまったのですが、運転手さんが、車のトランクから、「しまぞうり」というのを出して来て、「これを履いていればいい」と渡してくれました。 漢字で書けば、「島草履」なんでしょうが、どう見ても、ビーチ・サンダルです。 沖縄で通用している、異名なんでしょうか? 新品ではなく、運転手さんが使っている物だとの事。 「私は、水虫はありませんから」と言い添えていましたが、客の方に水虫がある場合は、どうするんでしょう? 私は、違いますがね。 もっとも、これだけ、日差しが強い土地だと、白癬菌が附着したとしても、すぐに死んでしまいそうですな。

  車に乗り、すぐ隣にある、≪東急リゾート≫へ。 別に用はありませんが、運転手さんが、「庭が綺麗なので、入ってみましょう」と言って、どんどん入って行ったのです。 確かに、庭も建物も、綺麗に整備されたリゾートでした。 比較すると、私が泊まっているホテルが、どうにも、見劣りします。 運転手さんも、私が泊まっているホテルが、レストランがある隣のホテルの、オマケなのだという事を、知っているようでした。


≪漲水御嶽≫
  北の方へ上がって、平良市街地に入ります。 平良は、「ひらら」と読みます。 宮古島で最も大きな街。 ちょっと、ややこしいのですが、現在、宮古島は、島全体が「宮古島市」なので、厳密に言うと、「平良市街地」という言い方はおかしいのです。 しかし、「宮古島市街地」と言うと、島のどこの事を指しているのか、分からなくなってしまうので、やむなく、平良市街地と書いた次第。 ちなみに、平成の大合併以前は、平良市だったそうです。 実際、大きな街なので、市街地としか、表現のしようがありません。

  漲水御嶽は、「ハリミズウタキ」と読むそうです。 ここは、宮古島で、最も有名な御嶽で、神話が残っており、名前のついた神を祀っています。 市街地の、ちょっと入り組んだ所にあるので、自力で行った人は、なかなか、見つけられないかもしれません。 大きさは、普通の御嶽より、むしろ小さいくらいなので、尚の事です。 拝殿の屋根は、凝った形ですが、建物の本体は鉄筋コンクリートのように見えました。 そんなに古い物ではないのでしょう。

  私達が行った時、ちょうど、拝殿におばあさん達が集まり、持ち寄った供え物を準備しているところでした。 まるで、ガイド・ブックの写真か、文化人類学の資料映像でも見ているような光景。 運転手さんに、「写真は、撮ってもいいんですか?」と訊いたら、ちょっと考えてから、「大丈夫です」と言われたので、撮って来ましたが、その、ちょっとの間が気にかかるので、出すのはやめておきます。 竹富島では、「御嶽で、写真撮影はできません」という注意書きを見たような気がします。 場所によって、許容範囲に違いがある様子。

  そういや、私が持っている昔の本には、「御嶽は、男子禁制である」と書かれていました。 今は、そういう事はないようですが、本来なら、罰当たりものの行為をやらかしているわけですな。 ちなみに、沖縄は、伝統的に女系社会で、一族の中で、おばあさんが、一番偉いらしいです。 日本では、おばあさんは、社会的にも、家庭内でも、弱者であって、庇護すべき対象ではありますが、尊敬はされていません。 日本的な感覚のまま、沖縄へ行くと、おばあさんに対する態度を誤る恐れがあります。 同じ大事にするのでも、哀れんでするのと、尊んでするのとでは、大違い。 表面的には分かり難いですが、おばあさんの側は、相手がどちらのつもりなのか、分かると思います。

  漲水御嶽の、すぐ近くに、≪宮古神社≫という、日本式の神社がありましたが、そっちは、本当に日本式だというので、わざわざ、見るまでもないと思い、パスしました。 罰が当たる? いやあ、「さわらぬ神に祟りなし」は、こういう場合でも、有効だと思いますよ。 んな事言い出しゃ、近くまで行ったけど、寄らなかった神社なんて、これまでの人生で、何万ヵ所あったか知れません。 


≪仲宗根豊見親の墓≫
  海岸線の道路に出て、少し北に行くと、≪仲宗根豊見親の墓≫、≪アトンマ墓≫、≪知利真良豊見親の墓≫が同じ所にあります。 「仲宗根豊見親」は、「なかそね、とぅゆみゃ」、「知利真良豊見親」は、「ちりまら とぅゆみゃ」と読みます。 発音できない? 私もできません。 たぶん、本来の宮古語での発音は、仮名文字では、書き表せないのだと思います。 この二人は、親子で、「豊見親」というのは、古代宮古島の、首長の称号らしいです。 「アトンマ」というのは、後妻の事で、誰か分からないけれど、一族の後妻を葬ってある墓なので、そういう名前で呼ばれている模様。

  いずれも、西暦1500年前後に生きた人達。 仲宗根豊見親は、八重山の、≪オヤケアカハチの乱≫の時に、琉球王府側について、派兵しており、勝利した後、八重山諸島を勢力下に置いた人物です。 宮古島の方が、石垣島より、面積は小さいのですが、政治的・軍事的な力は、勝っていたようですな。 位置的に、琉球王府がある本島に近かった事や、ほぼ全島が平地で、農産物の生産力が大きかった事が、背景にあるのではないかと思います。

  海に向かって作られた、石造りの、大きな墓です。 墓が作られたのは、墓の主が生きた時代より、かなり後で、18世紀中頃だったのだとか。 ≪仲宗根豊見親の墓≫は、前面が段々になっており、マヤのピラミッドを彷彿とさせます。 写真では、何回も見た事がありますが、現物は、やはり、迫力が違います。 これを見るために、宮古島へ来たと言っても、過言ではない。 逆に言うと、宮古島まで来て、ここを見ずに帰る連中の気が知れない。

仲宗根豊見親の墓



≪人頭税石≫
  仲宗根豊見親の墓から、更に北に行くと、道路脇に、この石が立っています。 「にんとうぜいせき」と読みます。 私は、現地に行って、説明板を読むまで、「じんとうぜいいし」だとばかり思っていたのですが、だいぶ違ってましたな。 薩摩が琉球を侵略し、支配を始めた後、薩摩の要求に応えるために、琉球王府が、宮古・八重山地域に、重税を課すのですが、子供が成長して、背丈が、この石の高さになったら、課税が始まったのだそうです。 高さは、143センチ。 昔の人は、体格が小さかったとはいえ、143では、まだ、子供ですな。 この、ただ過酷なだけの悪税のせいで、どれだけの人間が死んだか分からないらしいです。 廃止されたのが、1903年(明治36年)だというから、驚き。


≪大和井≫
  少し内陸に入った所にあります。 「ヤマトガー」と読みます。 石垣で周囲を囲ってある、大きな井戸。 「ガー」は、宮古語で井戸の事。 「ヤマト」は、作ったのが日本人だったからとか、薩摩藩の役人専用だったからとか、諸説あって、分からないそうです。 いずれにせよ、上流階級専用の井戸で、庶民は、近くにある別の井戸を使っていたのだとか。

  1720年に作られたと推測されているとの事。 石積み自体も見事ですが、この状態で保存しているというのが、また、感服します。 石造文化は、いいなあ。 歳月が、経てば経つほど、味が出ます。 周囲は、森になっていて、ガジュマルの気根が無数に垂れ下がり、市街地なのに、ここだけ、熱帯密林のような趣きです。

人頭税石(左)/ 大和井(右)



≪砂山ビーチ≫
  平良の市街地から離れ、宮古島の北西部へ。 ≪砂山ビーチ≫は、名前は知らなくても、景色を見れば、大抵の人が、「ああ、ここの事か」と分かるくらい、よく知られている所です。 かくいう私も、行って初めて、「ああ、ここの事か!」と思いました。 運転手さんは、駐車場までで、そこからは、私一人で歩きました。

  まず、砂山に登り、峠を越えて、下って行った所が、ビーチになっているとの事。 島草履を履いていましたが、地面が砂になった所から、裸足になり、島草履は手に持って、歩いて行きました。 日差しが厳しいので、暑くて、砂山を登るのは、かなり、きつかったです。 砂山と言っても、道があり、両脇は、背が低い植物の群落になっているので、照り返しは、そんなにありません。

  峠を越え、下って行くと、そんなに広くはないものの、数十人が遊ぶには充分と思われる、白い砂浜がありました。 左右は、岩で囲まれていますが、左側の岩に海食で出来た大穴が開いて、向こうの海が見えており、その辺りの景色が、「どこかで見た事がある」と思わせるのです。 実際に、ここで撮影された写真や映像を、過去に見ているんでしょうな。

  んまー、海の水が綺麗だわ! ゴミがあるとかないとか、そんな次元の話ではないのであって、「飲めるんじゃないの?」と思うくらい、透き通っています。 いや、海水である事は分かっていますから、本当に飲んだりはしませんがね。 ここの海を見てしまうと、本州のどこの海水浴場でも、「水質には自信がある」とは言えなくなると思います。 比べる方が、酷か。

砂山ビーチ


  惜しむらく、海食洞の天井部分に、落石防止の金網が張ってあるのが、自然の造形美を損なっています。 また、洞窟の一つを利用して、ドリンクを売っている店があり、これまた、自然ではないわけですが、この店が貸し出しているパラソル・セットが砂浜に並んでいる景色も、写真で見た事があり、すでに、景観の一部になってしまっていると、言えないでもなし。 評価の難しいところですな。


≪宮古馬≫
  北上して、宮古島の最北端の岬へ向かいます。 その途中、牧場があり、≪宮古馬≫がいました。 宮古島の固有種の馬。 小柄で、ロバくらいの大きさしかありません。 5・6頭、いましたかね。 人懐っこくて、車を停めて、運転手さんが近付いていくと、わらわらと寄って来ました。 草をやると、手から食べています。 私も、馬の体に触ってみましたが、硬く締まった感触でした。 以前、柵から出てしまっていた馬を、運転手さんが、連れ戻した事もあるのだとか。

宮古馬



≪西平安名崎≫
  「にし へんなざき」と読みます。 位置は、島の北端なんですが、なぜ、西なのか? 沖縄の言葉では、方角を表す単語が、日本語とズレていて、北の事を「にし」と言うので、そうなっているのかな? と、思っていたのですが、ネットで調べると、そんな単純な話ではなく、場所が北西端なのだから、意味的には、西でもいいのであって、西の事は、「いり」と言うので、「いりへんなざき」というのが正しいとか、いや、いそもそも、宮古語では、「へんなざき」などとは言わず、「びゃうなざき」と言うとか、もう、何がなにやら、分かりません。

  どうも、沖縄の地名・人名には、仮名で書き表される「公称」と、実際の発音の、二つがあるようで、よそ者は、公称の方で我慢して、実際の発音に首を突っ込まない方が、混乱を避けるのには都合が良さそうです。 一つ一つ、調べていたら、たった一日分の紀行を書くのに、一週間かかってしまいそうです。

  展望台があり、宮古島の北にある≪池間島≫と、池間島との間に架かる、≪池間大橋≫が見えます。 西平安名崎は、元々は、宮古島の北端だったのですが、池間大橋が架かった事により、池間島と地続きになって、地図で見ると、池間島が、宮古島の北端のように見えます。 そのせいか、西平安名崎は、あまり、印象が残ってません。 風力発電の、巨大な風車が、数基ありました。 運転手さんが、その辺りの海で釣れる魚について、説明してくれたのですが、私は、釣りに興味がないので、頭に入りませんでした。 申し訳ない。


≪池間島 ハート岩≫
  ここも、来間島同様、島に渡って、一周回りました。 2012年の、NHKの連続テレビ小説、≪純と愛≫で有名になった、≪ハート岩≫というのがあり、新観光名所になっていました。 運転手さんは、宮古島の事について、熟知しているつもりだったのが、このドラマの放送後、「ハート岩」という言葉を初めて聞いて、「え! そんなの、どこにあるの?」と慌てたのだとか。 で、一時は、観光客が押し寄せたものの、今は、少し下火になって来たのだそうです。

  ハート岩と言っても、岩がハート形なのではなく、岩に出来た海食の穴が、ハート形なのです。 ≪ナニコレ珍百景≫で、一時、流行った、各地のハート形と比べると、まあまあ、上出来なハートと言えます。 もっとも、私は、≪純と愛≫を見ていなかったので、ナニコレ的な感動しか得られなかったのですが・・・。

  この島を出る前に、とあるカフェに入りました。 運転手さんが、熱心に勧めるので、「ははーん、ここが、運転手さんの、馴染みの店なのだな」と察知して、素直に従った次第。 今にして思うと、走り出す前に、「福利ポイントの消化で、旅行に来ているので、なるべく、自腹を切りたくない」と言ってしまえば、こういう所へ寄らなくても済んだと思うのですが、この頃には、まだ、貸切タクシー利用のコツが飲みこめていなかったんですな。

  何とも、手造り感溢れる店構えで、雑然とした雰囲気。 メニューと睨めっこした末に、500円のグァバ・ジュースを頼みましたが、味はおいしかったものの、氷が多くて、ジュースの正味量が少なかったのには、ショックを受けました。 吝嗇家には厳しい現実だな。 ゆとりがあれば、氷が融けるのを待ってから飲むという手があったんですが、あいにく、時間契約の貸切タクシーなので、のんびりとしていられません。 グラスに残った氷を見る私の恨めしい眼差しに、誰か気づいた人がいたでしょうか・・・。 ただし、氷が多いのは、この店だけではなかった事が、後日、本島で判明します。


≪池間大橋≫
  来間大橋よりも早く、1992年に、宮古島で最初に出来た、離島との間を結ぶ橋。 全長、1425メートル。 尚、宮古島では、≪伊良部島≫との間を結ぶ、≪伊良部大橋≫を建設中で、そちらは、全長、3540メートル。 2015年、完成予定だそうです。 なんで、こんなに長い橋を、何本も架けられるかといえば、遠浅なので、橋脚が立て易いからでしょうな、やはり。 橋脚間のスパンが長くならなければ、特殊な構造は不要ですから、少ない予算でも、長い橋が架けられます。

  宮古島側の、橋の袂に、車を停められる所があり、そこで、運転手さんに、記念写真を撮ってもらいました。 ちなみに、石垣島の運転手さんは、一枚も撮ってくれませんでした。 人によって、撮るのが好きな人と、そうでない人がいるんですな。 私としては、ナルシシストではないので、自分の写真は、別に要らないんですが、撮って貰ったという事自体が記念になるので、喜んで、カメラを渡します。 どうせ、メモリーにはゆとりがありますし、毎晩ホテルで充電するから、バッテリーの心配もありません。

池間大橋と池間島



≪宮古やきそば≫
  午後1時過ぎ、平良市街地に戻り、遅い昼飯です。 運転手さんが、「宮古のやきそばは、ケチャップ味で、変わっている」というので、それを食べてみたくなり、店選びを任せました。 ところが、時間が遅かったせいで、一軒目は、「やきそばは、もう出来ない」との事。 材料を使い切ってしまったのでしょう。 二軒目は、混んでいて、座る席がなくて、断念。 三度目の正直で、ようやく、座れる店に入れました。

  私は、やきそば。 運転手さんは、野菜炒めを頼みました。 他の客もいたので、20分くらい待ちました。 ファースト・フードではないから、致し方なし。 やがて、宮古やきそばが出て来ましたが、なるほど、ケチャップで炒められていて、見た目は、ナポリタンのようです。 具に、キャベツ、ピーマン、ニンジンが入っています。 味は、ケチャップ味なので、ナポリタンに近いですが、麺が、宮古そばですから、スパゲティーとは、歯ざわりが、かなり違います。 うまい、うまい。 味噌汁付きで、600円という安さも、ありがたいです。

宮古やきそば


  運転手さんの野菜炒めを見ると、野菜炒めだけでなく、御飯と味噌汁が付いていました。 運転手さんの話によると、宮古島の店では、「○○セット」とか、「○○定食」とか書いてなくても、御飯と味噌汁は、付いてくるのだそうです。 味噌汁を別に頼んだりすると、大きなお椀で、ドンと出て来る上、メイン料理にも味噌汁が付くので、味噌汁だらけになってしまうのだとか。


≪かたあきの里≫
  昼食の後、島の東の方へ、向かいました。 ≪宮古島市 熱帯植物園≫があり、「見たいですか?」と訊かれたので、「いや、別に・・・」と答えたら、「じゃ、よしましょう」という事で、パスになりました。 その代わりと言ってはなんですが、すぐ近くにある、≪かたあきの里≫という所へ寄りました。 古民家を模して新築した家が、集落風に、7軒集まっていて、家ごと借りて、宿泊できるという施設です。 この内の一軒に上がらせてもらい、運転手さんから伝統建築の説明を受けました。

  いろいろ聞いたのですが、専門用語が含まれていた部分は、みんな忘れてしまいました。 覚えているのは、「この建物は新築したから、トイレが中にあるが、昔は、家の外にあった」という件りだけです。 その点は、昔の日本と同じですな。 ここの建物は、真新しくて、まだ、出来たばかりという感じでした。 運転手さんの話では、これらの家は、立派過ぎで、庶民は、もっと粗末な家に住んでいたとの事。

  これは、移動中に聞いた話ですが、運転手さんが子供の頃には、ほとんどの家が伝統建築で、台風に弱かったので、大型台風が近付くと、親戚の鉄筋コンクリートの家に避難したのだとか。 子供達が集まって、大勢で遊べるので、楽しかったと言っていました。 地震国でありながら、日本の伝統建築が、地震に全然強くないのと同様に、台風銀座に位置していても、沖縄の伝統建築が、台風に強いわけではないんですな。


≪夢来人跡≫
  暴力団との交際の件で引退したカリスマ芸人の冠番組が、宮古島で運営していた民宿があったらしいのですが、その跡が近くにあるという事で、横を通りました。 野中の一軒家という感じ。 宿泊者の心を癒す事が目的だったので、動物を飼ったりしていたとの事。 今は、閉鎖されていますが、番組が打ち切りになった後も、見たいという客が、結構いたらしいです。 私は、番組自体を見ていなかったので、ピンと来ませんでした。 宮古島の東の方は、ほとんど農地のようです。


≪吉野海岸≫
  旧城辺(ぐすくべ)町の北側にある海岸です。 崖の上から、海辺に下って行く坂の途中に、湧き水を溜めたプールがあり、家族連れで賑わっていました。 子供が、長時間、入っていられるという事は、そんなに冷たくないんでしょうな。 崖の下へ下りていくと、海岸に、巨大な岩が、ゴロゴロしていました。 海岸沿いの崖の上にゴルフ場あり。 この辺りからは、≪東平安名崎≫が、よく見えます。

北側から、東平安名崎



≪東平安名崎≫
  よそ者の手には余るので、名前の件については、もう触れない事にします。 島の南東端の岬で、尻尾のように細くなって、太平洋へ突き出しています。 駐車場までタクシーで行き、そこからは、灯台がある岬の突端まで、私一人で歩きました。 島草履は、長距離を歩くのには、不向きだと、痛感。

  途中、≪マムヤの墓≫という、巨石があります。 墓石にしては、異様に大きい。 説明板を読むと、昔、マムヤという絶世の美女がいて、妻子ある男と恋に落ちたが、男が、妻の方を選んだため、マムヤは断崖から身を投げたとの事。 なるほど、納得。 別に、この石の下に、亡骸が埋まっているわけではないわけだ。 マムヤの母親は、悲嘆にくれて、「再び、この村に美人が生まれないように」と祈ったというのですが、その後に生まれた、村の娘達は、いい迷惑ですな。 ブスなら、必ず、幸せになれるわけでもあるまいに。

  岬の突端に到着。 真っ白で、スマートな灯台があります。 輪切りにした時の断面が、円ではなく、多角形なのですが、外壁が平面で構成されているため、すらっとして見えるのかもしれません。 基本的には晴れていたのですが、雲が多くて、明るさが足りず、海の色は今一つでした。 この岬は、突端で見るより、ずっと手前から見た方が、景観がよろしいようですな。 ガイド・ブックや、観光パンフの写真も、そうなっていますし。

マムヤの墓(上)/ 東平安名崎灯台(下)


  タクシーに戻り、島の南岸に回ります。 ≪保良川ビーチ≫の横に、≪宮古島海宝館≫という土産物を売る店があります。 ここは、○△商事の日程表に名前が出ていたので、来る前にネットで調べたんですが、サイトに辿り着けず、やっているのかいないのか、分からずじまいでした。 で、現地へ行ったら、なんと、やっていたんですな。 奇妙な感動あり。 しかし、何も買う予定がなかったので、入りませんでした。


≪ムイガー断崖≫
  ここは、東平安名岬と、私が泊まっているホテルの中間地点にあります。 運転手さんが、是非見せたいというので、ついて行きました。 藪に覆われた階段を、草を掻き分け掻き分け登って行ったら、やがて、断崖の上に出ました。 東平安名岬へ続く、海岸線のダイナミックな景観が、一目で見渡せます。 明らかに、穴場スポットで、ここの存在を知らなければ、素通りしてしまうでしょうし、絶景が見られる事が分かっていなければ、藪を掻き分けてまで、階段を登るつもりにならないでしょう。 こういう所へ来れるのは、貸切タクシーならではの醍醐味です。

東平安名崎へ至る、宮古島の南海岸


  これで、貸切タクシーによる、宮古島周遊は、終了し、そのまま南岸の道路を走って、午後4時前には、ホテルに送ってもらいました。 篤く、お礼を言って別れます。 「今度来る時には、彼女と一緒に」と言われましたが、「いやあ、それは、もう、手遅れでしょう」と、笑っておきました。


≪ホテルの夜≫
  いや、もう、随分、長くなってしまったので、夜の事は、細々とは書きません。 夕食の様子も、チゲ・スープをトレイの上に零してしまった事を除けば、前夜と同じです。 他には、隣のホテルへ向かう時、≪ドイツ村≫の敷地を横切る形で、ちょっと、近道をしたのと、帰りは、もっと近道しようとして、≪ドイツ村≫の中で迷い、結局、同じ道に出てしまったという、そんな事件しかありませんでした。

  この日も、家に電話はできずじまい。 貸切タクシーに乗っている間に、公衆電話がある所に寄ってもらう事もできたのですが、運転手さんは、コースと時間を計算しながら走っているわけで、つまらん雑音を入れてはいけないと思い、控えた次第。 なーに、一晩連絡しないで済ましてしまったのだから、それが、二晩になっても、大差ありますまい。



≪五日目、まとめ≫
  宮古島の運転手さんがありがたかったのは、細かい行き先を指定しなかったにも拘らず、私が見たいと思っていた史跡を、全て回ってくれた事です。 宮古島の海岸線を、ほぼ一周できたのも、私好みのコースでした。 7時間というのは、貸切タクシーとしては、大変な長さなのですが、別料金が必要になる観光施設に一つも入らなかったにも拘らず、ちゃんと、時間を調整して、余らないようしてくれたのは、さすが、プロだと、感服しました。

  腰が低いのに、気さくな人で、朝感じた、「丁寧過ぎて 疲れてしまうのでは?」という心配は、全くの杞憂に終わりました。 この後、本島に行ってから、そちらの運転手さんに、「宮古島の人は、郷土愛が強い」と聞いたのですが、思い返すと、確かに、宮古島の運転手さんは、自分の島に、並々ならぬ、愛着と誇りを抱いているようでした。 そういう気にさせるだけの、魅力がある島なのだと思います。