2014/09/21

本部半島を巡る

  沖縄旅行記の七日目です。 7月28日(月)の予定は、○△商事の日程表では、「北部観光」となっていました。 「北部」というと、イメージ的に、北端の「やんばる地域」が含まれるような気がするのですが、どうも、沖縄旅行に於いては、「北部観光 ≒ 本部半島観光」になっているようで、この日、貸切タクシーで回ったのは、本部半島オンリーでした。 「本部」は、「ほんぶ」ではなく、「もとぶ」と読みます。


≪ホテルの朝≫
  5時頃、目覚めました。 外が明るいようなので、カーテンを開けたら、明るかったのは、向かいのホテルの灯りで、空はまだ暗いのでした。 静岡では、7月下旬で朝5時というと、とっくに明るいのですが、沖縄は、ずっと西にあるので、日の出が遅いわけですな。 この、時刻と明るさのズレは、案外、軽視できず、静岡にいるつもりで、早々と起きてしまうと、なかなか、暗くならないので、夕方まで、エネルギーが持たなくなる事があります。

  洗濯物を乾かす為に、エアコンを夜半から、除湿にして点けっ放しにしていたのですが、朝になったら、寒くなってしまい、一旦切って、ポットで湯を沸かし、部屋にあった緑茶のティー・パックで、お茶を入れました。 お茶受けに、前日の夕方買ったビスケットを食べましたが、お茶を飲むと、今度は暑くなって来て、またエアコンの除湿を入れました。 家の自室では、扇風機とクール・スカーフで、夏を乗り切っているので、エアコンで室温調節するのは、苦手なのです。

  8時から、朝食。 ここの泊り客は、のんびりしているのか、この時も、私が一番乗りでした。 どうも、私は、バイキングが大好きらしく、いつも、取り過ぎて、満腹してしまいます。 朝っぱらから、腹がパンパンになるほど喰って、なんとする? 喰い意地が張っているというより、貧乏性で、取る権利があるのに、取らないで済ますという事ができないのです。

  次第に、客が増えて来ると、ゲホゲホ咳をしながら、洟まで啜っている奴が入って来て、ぞーっと戦慄しました。 大方、前日に、海で遊び過ぎた上に、夜通し、エアコンをかけて寝て、まんまと風邪を引き込んだ、国士無双の愚か者なのでしょう。 大枚はたいて、沖縄まで遊びに来ているのに、風邪を引いてちゃ、楽しむどころではあるまいに。 なぜ、注意せんかなあ。

  こういう奴が恐ろしいのは、自分だけ風邪を引いたのが悔しくて、他の人間にうつそうとする事です。 バイキング会場に、素のままでやって来ているのが、その証拠。 すぐ向かいに、コンビニがあるのですから、マスクでも買ってくればいいものを、そもそも、「うつしてやれ」と思っているのですから、そんな配慮など、するわけがありません。 観察していると、よく分かりますが、ゲホゲホやっている奴ほど、よく喋ります。 とことん、うつしたいんですなあ。 まだ、四日もあるのに、うつされたは敵わんので、さっさと食べて、さっさと撤退しました。

  ロビーの隅のケージの中にいる、ケヅメリクガメの「のんちゃん」は、前日には、眠っていましたが、この朝は起きていました。 腹が減っているのか、水槽のガラスに前足をかけて、覗き込む人間に、頻りに自己の存在をアピールします。 水棲の亀は、「エサくれダンス」というのを踊りますが、リクガメも、似たような事をするんですな。


  この日は、部屋の掃除をパスしようと思っていたのですが、入口脇の戸棚の中に、ドア・ノブにかける札が入っていて、一面に「起こさないで下さい」、もう一面に「掃除をお願いします」と書いてあります。 たぶん、「起こさないで下さい」の側を表にして掛けておけば、掃除をパスできるのだと思いましたが、この札を見たのは、初めてだったので、自信がありません。 それで、フロントに電話して訊いてみたところ、札は、どうでもいいらしく、フロントから清掃係に伝えておくとの事。 ふむ、それか確実ってもんですな。

  悪い癖で、ここでも、「手のかからない、好ましい客」を演じようとして、フロントに何かを頼むのを、遠慮する気持ちが出たのですが、それは、完全な思い違いであって、そもそも、向こうは、好意で客の相手をしているわけではなく、仕事でやっているのですから、ホテルのシステムに関する質問のような、向こうの職務内に当然入るような事なら、訊ねるのをためらう必要など、全くないのです。 むしろ、訊かれずに、勝手な思い込みで、勝手な事をやられて、後で、クレームなんぞ持ち込まれる方が、よっぽど迷惑なんですな。

  逆に、ホテルの従業員が、礼儀正しく接客しているのに対して、まるで、召し使いでも雇ったような気分になっているのか、ふんぞり返って、ぞんざいな口を利いている客がいますが、あんなのは、とんでもない態度なのであって、思い違いも甚だしいです。 相手が敬語を使ってきたら、敬語で返すのが当たり前。 「命令」など、言語道断! 「要求」ですら、図々しいのであって、「依頼」が基本、何か不満がある時でも、「要請」が限界でしょう。

  「金を払っているのだから、客の方が偉い」などというのは、100%、下司の発想です。 客とホテルは、お金とサービスの取引をしているだけであって、どちらが偉いなどという事はありません。 「下手に出ると、なめられる」などと考える事自体が、人間の小ささを証明しています。 自分がホテルに勤めた場合の事を考えてみれば、従業員が客の事を、どう思っているかは、容易に想像がつくでしょうに。 「お客様は神様です」という言葉がありますが、あれは、あくまで、店側(ホテル側)の心得であって、客の方に言っているのではない。 自分の事を神だと思っていたら、精神異常者の誇大妄想そのものではありませんか。


≪貸切タクシー≫
  この日の、貸切タクシーの契約時間は、午前9時から、午後3時までの、6時間です。 8時40分頃、フロントから電話があり、タクシーから外線がかかって来たので、繋ぐとの事。 タクシーの運転手さんが出て、「これから行きますが、いいですか?」と言うので、「分かりました」と答えて、急いで下に下りました。

  フロントにキーを預けて、外に出ると、すでに、タクシーが来ていました。 たぶん、ホテルに着いてから、携帯で電話したんでしょうな。 石垣島と宮古島では、タクシー会社の所属タクシーでしたが、ここでは、個人タクシーでした。 運転手さんは、今までで、最高齢で、60代半ばくらいの人。 本島での、三日間のタクシー観光は、この方が担当するとの事。

  まだ、時間前でしたが、すぐに出発。 そりゃそうか。 自分の方から、呼び出したんだものね。 石垣島では後席、宮古島では助手席、本島では、また、後席に座りました。 宮古島の運転手さんが、変わっていたんですな。 話をするなら、助手席の方が都合がいいわけですが、助手席に乗ると、シート・ベルトが必要になるので、下りるたびに外さねばならず、ちと、面倒です。 その点、後席は、楽。 この日は、また、同じホテルに戻って来るので、荷物は、ナップ・ザックと、ウエスト・バッグだけでした。

  幸喜から北上し、本部半島へ向かいます。 車は、トヨタのタクシー専用車である、≪コンフォート≫でしたが、個人タクシーであるせいか、高級グレードで、アーム・レストのスイッチ・ベースが、木目調になっていました。 貸切タクシーの運転手さん、三人目にして、初めて、私の個人的情報を訊いて来たので、心臓を悪くして、退職し、余った福利ポイントで、旅行に来る事になった経緯を話しました。 ついでに、コンフォートを作っていた事を話すと、そこから、タクシー用車両の話になり、本部半島に至るまでの40分ほどの間、ずっと、その話が続きました。

  タクシー仲間に、新車のコンフォートで走行中、タイヤのハブ・ナットが外れた人がいて、その原因を、「機械で締めているから、締め付け具合が分からないのだろう」と推測していましたが、それは、運転手さんの思い違いでして、確かに機械で締めてはいるものの、締め付けトルクを調整する機能がついているので、タイヤ取付工程を過ぎた時点で、締め付けが弱いとか、緩んでいるという事は、まず、ありません。 ただ、その後、手直しで、タイヤを外す事があった場合、再取り付けは、手締めになるので、その際に、トルク不足が発生する事はありえます。 しかし、「人間の方が信用できない」とは、一概に言えず、まあ、ケース・バイ・ケースですな。

  タクシー専用車両は、日産の、≪クルー≫の方が、先に出たのですが、後出しが好きなトヨタが、クルーの問題点を全てカバーした、コンフォートを出し、みんな、コンフォートに切り替わってしまったのだとか。 ただし、登り坂に関しては、クルーの方が力があり、コンフォートは、クラッチが滑っているように感じるのだそうです。 最初、乗り換えた時、「クラッチを壊したか」と思って、交換費用の高さを想像して、真っ青になったけれど、仲間に訊いたら、「コンフォートは、そんな感じだよ」というので、安心したのだとか。

  タクシー専用車への注文として、グローブ・ボックスの蓋に、錠が欲しいと言っていました。 観光客を乗せる時、案内のために、車を離れる事があるのですが、いちいち、ドアをロックするのでは、手間がかかる。 売り上げ金を保管するのに、グローブ・ボックスに錠があれば、便利だ、との話。 普通の車でも、グローブ・ボックスをロックできれば、車上狙いは、減るでしょうな。 窓ガラスさえ割れば、後は、取り放題と思うから、狙われるわけでして。

  ハイブリッド車をタクシーに使っている人もいるが、この運転手さんは、まだ、懐疑的だとの事。 電気自動車に至っては、問題外で、バッテリーが切れた時、充電するのに、何十分もかかるようでは、とても、お客を乗せる仕事には使えないと言っていました。 確かに、観光客は、時間で動いているわけですから、そんなにゃ、待っちゃいられませんわな。

  他に、レンタカーばかり増えると、困るとも言っていました。 沖縄は、特に、レンタカーが多くて、石垣島の運転手さんも、「まーた、『わ』ナンバーだよ」と、見かけるごとに、ぶつくさ言ってましたが、それは、本島でも同じ状況である様子。 レンタカーが増えれば、タクシーに乗る人が減るわけで、切実な問題になっているとの事。 また、「レンタカーばかりになってしまったら、個人で車を買う人が減って、自動車会社の売り上げも落ちるだろう」と言っていました。

  ある時、自動車会社の重役を、貸切で乗せる事になり、その事について、話してみたところ、「ムッ」とされ、翌日からの契約をキャンセルされてしまったのだとか。 その重役、ユーザーの意見を聞ける貴重な機会を、自から捨てたわけで、いかにも、「社内大名」化している連中の反応だと思いましたっけ。 無能な人間ほど、耳に心地よい言葉しか聞かないものです。

  一方、世界中を飛び回っている、中国人の企業経営者を乗せた時には、考え方のスケールが大きくて、感心したのだとか。 日本に留学していた経験がある人で、日本語ぺらぺらだったそうです。 両者を比較して、「日本企業は、大丈夫なのかね?」と言っていましたが、それはもう、比較するのだけ酷というもので、片や、グローバル時代の事業家、片や、ガラパゴス企業のサラリーマン重役では、勝負になりません。 能力的には、100対1くらいの差があるんじゃないでしょうか。


≪古宇利大橋≫
  本部半島の東側に、≪古宇利島(こうりじま)≫があり、そこへ渡る橋が、≪古宇利大橋≫です。 本部半島の本土から直截、架かっているのではなくて、まず、短い橋で、≪屋我知島(やがじしま)≫に渡り、そこから、古宇利大橋で、古宇利島へ渡る形になります。 地図を見ると、屋我地島へは、橋が二本架かっているのですが、そのどちらを渡ったのかは、分かりません。 なにせ、タクシー車両の話が、ずっと続いていたもので・・・。

  古宇利大橋は、宮古島の、≪来間大橋≫、≪池間大橋≫と同様、離島へ架かる長い橋として、観光スポットになっているのですが、運転手さんの話では、元々は、島に渡る実用の為に作った橋で、観光用ではなかったとの事。 それが、観光タクシーの運転手さん達が、「この景色は、凄い」と思って、お客を案内している内に、口コミで、評判が広まって、いつのまにか、ガイド・ブックや観光パンフに載るようになったらしいです。

  橋の上は、片側一車線の、計二車線で、幅の広い歩道が、西側に付いています。 他に車が来なかったので、橋の中程で停車し、歩道の上で、運転手さんが、私を入れて、写真を撮ってくれました。 その後、古宇利島に渡り、ぐるっと一周して、橋の袂に戻りました。 途中、≪古宇利オーシャン・タワー≫という、展望台の前を通りましたが、入場料が、800円するというので、パス。 「展望台にしては、値段が高すぎるのではないか?」と思っていたのですが、帰って来てから調べたら、ただの展望台ではなく、「貝の博物館」など、他の施設もあったようです。 いや、何があったとしても、パスしたとは思いますが。

  橋の袂に、≪古宇利ビーチ≫という砂浜があり、そこで下りて、記念撮影。 この運転手さんは、写真を撮るのが好きで、どこへ行っても、気軽に撮ってくれました。 自分でも、「写真は、うまいですよ」と言っていましたが、確かに、帰って来てから、写真を見返すと、運転手さんが撮ってくれたものには、失敗がありません。 私が自分で撮った、風景オンリーの写真は、早く撮ろうと気が焦るせいか、オート・フォーカスが作動する前にシャッター・ボタンを押してしまい、ブレているものが、結構あるというのに。

  宮古島で、来間大橋と池間大橋を見ているので、長い橋そのものには、大きな感動はなかったのですが、やはり、美しい景色は、美しいですな。 緑と青のグラデーションを見せる海は、沖縄中、どこへ行っても、無敵の観光資源といえます。 海に入って、泳いでいる観光客、多し。 しかし、運転手さんが言うには、島と島の間の海は、潮流が激しいので、危険極まりないとの事。 「地元の人間がついていれば、あんな遊び方は絶対にさせないのに」と、言っていました。 知らないというのは、怖いものですな。

古宇利大橋 (向こうは、屋我地島)



≪今帰仁城≫
  本部半島の本土に戻って、本島北部最大の城跡、≪今帰仁城≫へ。 「今帰仁」は「なきじん」と読みます。 問題は、「城」をどう読むかで、沖縄では、「城」と書いて、「ぐすく」と読むのが普通ですが、地名とくっついた時には、どう読んでいいのか・・・。 「なぎじんじょう」なのか、「なきじんぐすく」なのか、漢字でだけ書いてあると、判断しかねます。 ≪首里城≫は、「しゅりじょう」と言いますが、それは、「しゅり」が音読みだからで、「今帰仁」は、湯桶読みであり、一体、どうしたもんだか。

  今帰仁城は、沖縄本島が、北山・中山・南山の三勢力に分かれていた時代、14世紀初頭から15世紀初頭にかけて、北山王朝の中心地だった所です。 中山王朝に滅ぼされた後は、王府から、「監守」という、地方総督が派遣されていましたが、薩摩の侵攻で、城が焼かれてしまい、以降、地元の民衆の霊場として、維持されて来たとの事。 1972年に、国の史跡に指定。 2000年に、≪琉球王国のグスク及び関連遺産群≫として、世界遺産になりました。

  私が、今帰仁城の存在を知ったのは、たぶん、中学生の頃、家にあった百科事典に、崩れかけた石垣の写真が載っていて、日本の城に見られる、専ら、天守閣や櫓の台座になっている石垣と違い、長く伸びる「城壁」を成している姿に、「これは、凄い・・・」と思ったのが最初だったと思います。 以来、三十数年、まさか、実際に、この場に来られるとは、思いもしませんでした。 感無量。 だけど、その間に、石垣は、修復が進んだようで、昔、写真で見た姿と比べると、立派にはなったものの、廃墟の趣きは、だいぶ、失われていました。

  運転手さんが、案内の為に、中まで付いて来てくれました。 門の辺りは、カンヒザクラの名所になっているそうですが、真夏の事とて、もちろん、葉桜。 この門、「平郎門」と言うそうですが、入口開口部の天井部分に、一枚石を置いて、そこから上の石垣を支えています。 こういう形式は、沖縄の他の城にはないそうで、「源為朝一派が流れて来て、技術を持ち込んだのではないか」という説の根拠になっているのだとか。

  でも、為朝というと、平安時代でしょう? 日本じゃ、まだ、石垣を使った城はなかったんじゃないですかね? さりとて、中国の技術的影響と考えると、アーチを使っていないのは、解せないところです。 やはり、沖縄独自の物じゃないかと思うんですが・・・。 ちなみに、今帰仁付近は、美人が多い事でも有名で、「色白が多いのは、北から、為朝一派が流れて来たからだ」という説があるそうです。 しかし、色白はともかく、日本からの渡来者がいたから、美人が多いというのは、かなり、無理があるような気が・・・。 そもそも、日本の方に、美人が珍しいですけんのう。

  為朝は、「初代琉球王の父」という伝説もあるそうです。 なんでもかんでも、為朝に結び付けたがるのは、静岡県東部で、ありとあらゆる物を、源頼朝に結び付けてしまっているのと、よく似ています。 挙兵して破れた頼朝が、身を隠したと伝えられる洞窟が、一体、どれだけある事やら。 沼津近辺の洞窟は、大小問わず、全て、「頼朝の穴」と呼ばれているくらいです。 全ての穴に隠れるには、頼朝が、千人くらいいないと足らんでしょうなあ。 伝説なんて、そんなものです。

  それはさておき、今帰仁城は、見事な史跡です。 ≪万里の長城≫を思わせる、地形に沿って蛇行した城壁が、何とも言えぬ。 廃墟もいいですが、世界遺産の観光地として、世界中から人を呼ぶとなったら、往時の姿を復元しようという方針も、理解できなくはありません。 マヤのピラミッドなども、密林に埋もれたままだったら、あんなに有名にならなかったでしょう。 今帰仁城は、まだ、整備中のようなので、いずれ、もっと綺麗になるんじゃないでしょうか。

今帰仁城


  一番高い所からは、海まで眺められて、素晴らしい、見晴らしです。 「火之神の祠」という御嶽あり。 注意書きの板があって、「線香やうちかび類は各自お持ち帰りください」と書いてあります。 運転手さんに、「うちかび」について訊いたら、紙で作った、お金の模造品で、使者があの世で使うために、焼いて天へ送るのだとの事。 中国の「紙銭」と同じですな。

  この城、入り口から頂上まで、結構、階段を登るのですが、私が、心臓を悪くして会社を辞めたと話してあったので、運転手さんが、気を使って、「大丈夫?」と、何回か訊いて来ました。 自分より一回り以上も年上の人に、体の心配をされると、申し訳ないような、奇妙な気分です。 まあ、体力を振り絞るような動き方をしなければ、大丈夫だとは思うのですがね。 それでも、一度、苦しい思いをしていると、怖い事は怖いです。 倒れる前と同じようには、動けませんな。


≪今帰仁村歴史文化センター≫
  今帰仁城は、無料ではなく、400円取られます。 私は、○△商事から送られて来たクーポンがあったので、自腹は切らずに済みました。 城を見て来た後、運転手さんが、「歴史や文化に、興味ありますか?」と訊くので、「あります」と答えたら、「じゃあ、あそこも見て来たらいいですよ」と、≪今帰仁村歴史文化センター≫を指し示されました。 「すわ、自腹か?」と思いきや、城のチケットに、そちらの入場料も含まれている事に気づきました。 いやあ、運転手さん、教えてくれて良かった。 うっかり、入る権利がある所を、パスしてしまうところでした。 自他共に認める吝嗇家として、そんな不名誉は許されません。

  で、入ってみると、名前の通り、今帰仁城の歴史と、この地域の民俗・民具を紹介した展示内容でした。 なにせ、一国の首都だった所なので、歴史は面白いのですが、写真を撮って来ていないところを見ると、たぶん、一階の歴史展示室は、撮影禁止だったのではないかと思います。 地下一階に、民俗資料展示室が二部屋あり、そこは、部屋全体の写真だけ撮って来ています。 あと、戦争関連の特別展示室があったような気がしますが、写真がないという事は、そこもやはり、撮影禁止だったのかも知れません。

  日記を見ると、ここの展示に関する記録が、ほんのちょっとしか書いてないのですが、理由を推測するに、石垣島の、≪八重山博物館≫で、同種の民俗関係展示を見ていて、イメージがダブってしまったからだと思います。 地元の人が見れば、八重山と本島北部では、明らかな文化の違いがあるのだと思いますが、よそ者の目には、みんな同じに見えてしまうのです。

  また、民俗資料というのは、雑然としているので、よほど工夫して、系統立った解説をしないと、閲覧者の興味を引けません。 説明文が少な過ぎると、ただの民具の陳列になってしまいますし、多過ぎると、時間のゆとりがない観光客には、読んでもらえません。 適度な長さの記述で、読む順序が、はっきり分かるような解説パネルを用意すれば、いい印象を残すと思います。 

  見る側の事情もあります。 資料館は、どこもそうですが、見て来た展示内容を詳しく伝えるとなると、膨大な文章量、膨大な枚数の写真になってしまうので、どうしても、敬遠してしまいます。 撮影禁止が、むしろ、ありがたいと思う時もあります。 「個別資料は撮影禁止だが、部屋の全景なら、撮っても構わない」という事にしてくれると、実にありがたい。 大体、どんな物があったかが、伝わればいいのですから。

  私が、ここの展示で記憶に残っているのは、戦争中に落とされた、戦闘機の落下タンクを改造して作った、カヌーだけです。 出て来た後、その事を、運転手さんに話したら、なんと、運転手さんも、子供の頃、同じ物に乗って、遊んでいたとの事。 そのままでは転覆してしまうので、底に、石などの、錘を入れるのだそうです。 バラストですな。 うーむ、そういった事は、経験者でなければ、分かりませんなあ。

落下タンクのカヌー



≪ソーキそば≫
  今帰仁城は、本部半島北部の中程にあるのですが、そこから、北部西端にある、≪美ら海水族館≫方面へ向かいます。 まだ、11時半でしたが、水族館に入ってしまうと、出て来るまでに時間がかかるので、先に昼食を取る事になりました。 先手を打って、「予算は千円以下です」と言ったら、「ソーキそばがいいのでは」という話になり、そばなら、安くてうまいに違いないと思って、その店へ連れて行ってもらいました。

  店は、水族館のすぐ近くでした。 運転手さんは、健康上の理由から、弁当持ちだと言うので、車の中で食べ、私一人だけで、店へ。 ふだん、外食など、一切しない私ですが、飲食店に一人で入って、注文するくらいの事はできます。 注文するものが決まっていれば、尚更、気楽。 メニューを見ると、ソーキそばは、650円で、ケチな私には、大変ありがたい値段でした。

  この店、基本的な造りは、伝統琉球建築で、中だけ、テーブルと椅子の食堂形式にしてありました。 カウンターもありましたが、そこには、扇風機、冷水機、ポット、CDラジカセなどが、隙間なく置かれていて、椅子もないので、自動的に、客は、テーブル席に座る事になります。 扇風機が置いてある事からも分かる通り、エアコンはなし。 窓と入り口の扉は、全開です。 しかし、私は、扇風機の風が、正面から当たる席に座ったので、暑さは、さほどではありませんでした。

  注文したのが、11時35分、ソーキそばが出て来たのが、37分。 速っ! さすが、メイン・メニューというべきか。 予め、運転手さんに教えてもらったところでは、「ソーキ」というのは、豚の肋骨の事で、肋骨が付いた肉が載っているから、「ソーキそば」。 何も載っていなければ、「沖縄そば」と呼ぶとの事。 具によって名前が変わるだけで、そばとスープは、同じものなのだそうです。 味は、八重山そばと、区別がつきませんが、麺は、ちょっと違っていて、八重山そばは、断面が丸いのに対し、沖縄そばは、少し平たいです。 ただし、きしめんほどの幅はありません。

  で、初めて食べた、ソーキですが、骨込みで、5センチ四方、厚さ1センチくらいのが、2枚載っていました。 肉は柔らかくて、おいしかったですが、骨は、もちろん、食べられないわけで、ちと、手こずりました。 箸で骨を挟み、歯で肉をもぎ取る形になるのですが、箸と骨は相性が悪く、よく滑る。 面倒なので、指で骨を抓んでしまいました。 沖縄のそば屋さんは、お上品に気取って食べるような雰囲気ではない点、土地のマナーを知らない者にも、ありがたいです。 この骨、知らずに、ガチッと噛んでしまうと、歯を傷める恐れあり。 予め、骨付きである事を、聞いておいてよかったです。

ソーキそば


  食べている間に、ざーっと雨が降って来ました。 タクシーは、すぐ隣の駐車場にいるのですが、そこまで歩く間に、ズブ濡れになりそうな降りだったので、しばらく、軒下で待ちました。 そういや、まだ、店に入る前でしたが、前の道を、観光水牛車が通っていました。 この旅で、水牛を見たのは、ここで、6頭目です。 何気に、遭遇率が高い。 水牛車観光をやっているという事は、この辺にも、古い家並みがあるんでしょうかね。 雨がやんだので、タクシーへ。 


≪沖縄美ら海水族館≫
  すぐ近くの、≪美ら海水族館≫へ。 「美ら海」は、「ちゅらうみ」と読みます。 ここは、1975年の≪沖縄海洋博覧会≫の会場跡地に出来たもので、≪海洋博公園≫という大枠の中に、水族館が入っているという形です。 しかし、そんな過去よりも、現在の水族館の方が、有名ですな。 もう、海洋博を知っている世代も、随分減った事ですし。 普通にテレビを見ている人なら、動物番組やバラエティー番組で、一度は、この水族館の映像を見ているはずです。

  巨大な立体駐車場がありますが、私が行った時には、ほぼ、満車でした。 「わ」ナンバーのレンタカーが、ぎっしり。 そこ以外にも、いくつも駐車場があるそうで、どれだけの人が押し寄せているのか分かりません。 月曜日だったんですが、子供は夏休みだからいいとして、大人は、勤めをどうしてるんですかね? みんな、有休? 随分、寛容な会社が多いものですな。

  敷地が広大なので、駐車場から水族館まで、少し歩く事になります。 運転手さんが、チケット売り場までついて来てくれて、途中、何枚か写真も撮ってくれました。 雨が、時折降ってくるので、タクシーのトランクに入っていた傘を貸してくれました。 さすが、プロだけあって、備えは万全ですな。 水族館の見学時間を、1時間半取ってあったので、「見る間は、傘が邪魔になるだろう」と言って、持って帰ってくれたのも、至れり尽くせり。

美ら海水族館


  ここの入場料は、大人、1850円。 自治体運営でない水族館は、押し並べて、高いですが、その中では、中の上といった値段でしょうか。 私は、○△商事から送られて来た、クーポンがあったので、一円も払いませんでしたが、家族連れで来た衆等は、中で、飯でも喰った日には、万札飛びますな。 ところで、旅行社を通して予約するクーポンですが、持って来る客が少ないのか、所によっては、受付係が、どう処理していいか分からず、上司に訊きに行ったりして、時間がかかる事があります。 ここでも、ちょっと、それっぽい対応でした。

  で、この水族館ですが、1850円払う価値があるかというと、それは、確実にあります。 ただし、その評価は、一般的な水族館としてではなく、「ジンベエザメを、大水槽で見られる水族館」としてのものです。 大水槽以外は、別に、高レベルというわけではなくて、≪鳥羽水族館≫などと比べると、かなーり、「ふつー」です。 「高いけど、それだけの価値はある」という所と、「金返せ!」という所がある中では、ギリギリで、前者という感じ。 ジンベエザメ、様様ですな。

  と言いますか、あーまりにも、人が多過ぎて、大水槽以外の水槽は、一つたりとも、まともに見れなかったのです。 芋を洗うと言ったら、芋に失礼。 よくもまあ、こんなに人間ばかり集まったものです。 まーた、クソガキどもが、水槽のガラスにへばりついて、離れないんだわ。 どうせ、見た端から、忘れてしまうくせに。 一分以上、前にいたら、電気ショックが流れるようにしたらいいと思います。

人だらけ


  水族館のサイトでは、混雑する時間帯を断ってあるようですが、「夕方なら、空く」と言われても、そんな時間に来れるのは、地元在住者でなければ、近くのホテルに泊まっている人だけです。 料金を取って、中に入れておいて、「人が多過ぎて、見れない」って、見せてナンボの観光施設として、如何なもんなんですかね? むしろ、「昼間は、大水槽以外、まともに見れません。 混雑が嫌な方は、無駄足になりますから、来ないで下さい」と書いておいた方が、正直で宜しいです。 実際、そうなんですから。 人いきれで、空気はよどんでいるわ、喧しいわ、汗臭いわ、香水臭いわと、劣悪・極悪な環境で、人の頭だけ見て帰って来るのでは、何しに行ったのか分からん。

  こんな思いをしたのは、2001年に行った、≪名古屋港水族館≫以来です。 「人気があるのは、いい事だ」などと、笑っている場合ではないのであって、工夫次第では、混雑を避けられるのに、なぜ、建物の設計前に、そういう研究をしないかなあ? なまじ、順路を辿る方式にしてしまうから、人が滞ってしまうのです。 一見、客の流れがいいように見えて、実際には、全く逆なのです。 展示室をバラバラにして、見る順番を自由にしてしまえば、客は、空いた所から見ようとするから、自然に、分散して行きます。

  私が、水族館の評価に、敵意を感じる程に点が辛いのは、入館料が高い割に、展示の充実度が低かったり、一人客を差別したり、不快な思いをさせられる事が多いからです。 バブル時代、都市部の水族館が、デート・スポットとして持て囃されましたが、それが、水族館の運営者を、よーく、増長させてしまったんですな。 何とも、馬鹿げた話で、デートできる所ならどこでもいい、性欲エンジン駆動の下司どもに媚び諂い、魚介に興味がある人間に敷居を高くしていたのでは、水族館の存在意義そのものが疑われるというもの。 金が欲しいだけなら、水族館経営などやめて、銀行でも始めれば宜しかろう。

  一般論的怒りはさておき、ここの大水槽は、確かに凄い。 大水槽の前には、オペラハウス並みの大空間があり、人が多くても、見るのに不自由はありません。 ジンベエザメは、三頭いて、内、一頭がオス。 サメは、ぺニスが2本あると聞いた事があったのですが、本当に、2本ありました。 外に露出しているんですな。 他に、マンタもいて、混泳していますが、さしもの巨大なマンタも、ジンベエザメの大きさの前には、風呂敷くらいにしか見えません。 マンタはマンタで、別の水槽で見せれば、もっと、感動するかも知れませんな。

大水槽のジンベエザメ


  外へ出ると、「オキちゃん劇場」、「イルカラグーン」、「ウミガメ館」、「マナティー館」などが、広大な敷地に分散しています。  ちょっと分かり難いですが、これらの施設は、水族館ではなく、海洋博公園の所属で、無料だとの事。 しかし、水族館から出て来た流れで、そちらに回った客は、その事に、全く気づかないでしょうな。 私も、帰って来て、ネットで調べるまで、知りませんでした。

  「オキちゃん劇場」というのは、イルカ・ショーをやる所。 「オキちゃん」というイルカもいました。 1975年の海洋博の時にも、「オキちゃん」というイルカがいましたが、まさか、39年も前の個体が、現役でショーに出ているとも思えないので、名前を受け継いでいるのでしょう。

  ここのショーは、異なる種類のイルカが、一つのプールで、同時に演技をするのが特徴です。 演目自体は、オーソドックスなもの。 琉球民謡に合わせたダンスは、オリジナルですが、踊っているというのか、回っているというのか、微妙な感じ。 観客席が大きいので、後ろの方にいると、投げた物を取って来るといった、細かい演目は、見づらいです。 ジャンプは見事。 余談ながら、水族館によっては、ジャンプもできないレベルで、客にショーを見せているところもあります。

オキちゃん劇場 (遠景に伊江島)


  最後に、オキゴンドウという大型のイルカが、低くジャンプした後、腹から水面に落ち、プールの前に集めた子供達に、ザブンと水しぶきをかけるというコーナーがありました。 アナウンスがあった時点で、嫌な予感がしたのですが、案の定、クソガキどもが集まるのに時間がかかり、そのコーナーだけで、7・8分費やしてしまいました。 「危険なので、肩車はしないでください」と言っているのに、肩車をしているバカ親がいて、どんどん時間が過ぎる。

  ショー全体の長さが、20分しかないのに、子供とその親以外、全然面白くない、こういうコーナーを入れるのは、問題ありです。 ここだけでなく、他の水族館のショーでも、誕生日の子供にイルカやアシカが、プレゼントを渡すといった、一部の客だけを対象にした演目を入れている所は多いですが、他の客は、その間、アホ面をして待っていなければならないわけで、あんな理不尽な事はありません。 というわけで、気分を害して、その場を後にしたのですが、帰って来てから、そのショーが、無料だったと分かり、憤懣が消えました。 無料では、客に、文句を言う資格はありませんからのう。

  ウミガメ館には、水族館で割とよく見る、アカウミガメ、アオウミガメ、タイマイの他に、ヒメウミガメと、クロウミガメがいました。 クロウミガメというのは、初めて聞いた。 ただ、アオウミガメと種の違いが判然としていないのだとか。 成体だけでなく、ウミガメの子供もいました。 孵化したばかりのも可愛いですが、甲長20センチくらいになったものは、成体と相似形で、色柄も近いので、なんだか、精巧に出来た模型のようで、面白いです。

  マナティー館。 沖縄の海獣と言えば、ジュゴンなので、てっきりぽっきり、ジュゴンだとばかり思って、見に行ったんですが、感想は、「なんだか、マナティー、そっくりだな・・・」。 それもそのはず、マナティーそのものだったんですな。 ちゃんと、館名表示を見ろっつーの。 サイトの解説では、親子三頭いるとの事ですが、私が見たのは、成体二頭だけ。 うち、一頭は、眠っているようで、微動だにしませんでした。


≪ネオパークオキナワ≫
  水族館から、タクシーに戻ったのが、午後1時30分。 契約は、3時までなので、まだ、時間があります。 運転手さんが、もう一ヵ所、どこかへ寄れると言って、「パイナップルと、鳥、どっちがいいですか」と訊いて来たので、迷わず、「鳥です」と答えたら、≪ネオパークオキナワ≫という所へ連れて行かれました。 鳥を中心に、かなりの種類の動物を集めた、テーマ・パークです。 その場で決まったので、もちろん、クーポンの用意はありません。 自腹、660円。 痛い・・・、身を切られるようだ。

  私も、抜けているといえば抜けていて、時間が余っているのなら、太平洋岸の、辺野古の方を見に連れて行ってもらえばよかったのです。 水族館を見た直後に、動物園に行って、どうする? 沖縄本島は、幅が狭いので、本部半島の付け根の、名護市街地まで来てしまえば、同じ名護市内ですから、辺野古まで足を延ばすのは、わけはありません。 前の晩に、もっとよく、地図を見ていたらなあ。 どんな交通機関を使うにせよ、下調べは、大切ですな。

  とはいうものの、このネオパーク、思ったよりも、ずっと、中身が充実していて、結果オーライの所でした。 動物好きであれば、恐らく、美ら海水族館より、こちらの方が、満足度は高いと思われます。 山林の中に、「フラミンゴの湖」、「アマゾンのジャングル」、「オセアニアの乾燥林」などのゾーンが作られていて、それらの地域独自の動物が、環境展示されています。 動物園のような、個別のケージは部分的で、極力、自然状態に近い形で飼っている感じ。

  鳥類、哺乳類、爬虫類、魚類まで、ざっと見て、100種類くらいはいるんじゃないでしょうか。 これだけいて、660円なら、リーズナブルと言えます。 目についた大きな動物だけ、ざっと並べますと、フラミンゴ、カンムリヅル、ショウジョウトキ、ヒクイドリ、エミュー、ダチョウ、シチメンチョウ、シロクジャク、オオサイチョウ、オニオオハシ、ワラビー、リャマ、カピバラ、ヤマアラシ、ペッカリー、アルダブラゾウガメ、マレーハコガメ、ピラルク・・・。 まあ、とにかく、種類は、たくさんいるわけです。

  ペッカリーという、イノシシの近縁種が、10頭くらい、いました。 これが、とてつもなく、可愛らしい。 ミニブタをペットにしている人は、結構いますが、ペッカリーを見たら、もう二度と、ミニブタを愛せないでしょう。 イノシシとカピバラを足して二で割って、サイズを小型犬くらいにした感じ。 南米原産だとの事。 10年くらい前、まだ健在だった、伊豆天城の≪イノシシ村≫の中に、≪イノシシ博物館≫というのがあり、そこの解説で、ペッカリーの存在は知っていたんですが、現物が、こんなに可愛らしいとは、思いもしませんでした。

ペッカリー


  ところで、このネオパークには、かの有名な、「ヤンバルクイナ」がいました。 運転手さんも、それを見せたかった様子。 「国際種保存研究センター」という建物があり、十数種類の動物が、個室式の屋内ケージで飼育されているのですが、その一番奥まった所に、ヤンバルクイナの部屋がありました。 ドキドキしながら覗いてみると、フキのような植物の葉の陰に・・・、いたいた、ほんとにいるよ、ヤンバルクイナだよ、初めて見たよ、というか、一生見れるとは思ってなかったよ、長生きはするもんだね、退職して沖縄旅行に来れてよかったなあ。

  惜しむらく、葉陰の暗い所にいるものだから、撮る写真が、全部、ブレます。 4回撮り直して、4回とも、ブレブレ。 カメラのブレ防止機構が簡易式だから、これ以上の写真は無理と思い、諦めました。 珍しい物を見て、興奮していたので、気付きませんでしたが、もしかしたら、撮影禁止だったのかも知れません。 もし、そうだったら、ご容赦。 フラッシュは常時不作動にしてあるから、ヤンバルクイナに、害はなかったと思いますが。

ヤンバクイナ


  実は、国際種保存研究センターの建物は、入園料とは別に、300円取るのですが、ヤンバルクイナが見られたのだから、文句はありません。 思い起こせば、ヤンバルクイナが発見されて、ヤンバルテナガコガネと共に、一世を風靡してから、もう、30年以上、経つんですねえ。 私も歳を取るはずです。 何だか、中途半端に懐かしい。


≪アグー豚≫
  2時50分に、ネオパークを出て、ホテルへ向かいます。 途中の交差点で、信号待ちで停まった時、隣のトラックの荷台に、黒い毛並みの豚が、4頭ばかり載っているのを見つけました。 タクシーの運転手さんが言うには、たぶん、アグー豚だとの事。 沖縄の固有種の豚で、食用。 しかし、毛並みはツヤツヤと美しく、馬や黒毛和牛のような、厳かな存在感がありました。 おいしい肉らしいですが、さもあらんという感じ。 たまたま偶然ですが、現物を見られて、幸運でした。


≪ホテルの夜≫
  午後3時ちょい過ぎに、ホテルに戻りました。 翌日の、7月29日(火)は、日程表では、フリー・タイムなのですが、「まだ、どこへ行くか決めていない」と言ったら、運転手さんから、「電話してくれれば、案内しますよ」との提案。 「いくらですか?」と訊いたら、「○万円」と言われ、絶句しました。 福利ポイントの消化だから、乗れるのであって、自腹じゃ、問題外ですな。 やはり、貸切タクシーというのは、贅沢な観光手段なのだと、痛感しました。 タクシーが駄目とはっきりした以上、旅行に出る前から温めていた計画である、「路線バスで、辺戸岬行き」を実行に移すしかありません。

  フロントに行って、キーを出してもらいましたが、一日毎に、外出から帰って来た時に渡すと言われていた食券を、朝食券しかくれませんでした。 相手は、初めて見る、若い女性の係員です。 「あのう、夕食券は?」と訊いたら、何か調べ始め、そうしている間に、昨日、チェック・インした時に応対した、別の女性係員が、「失礼しました」と言いながら、夕食券をよこしました。 リゾート・ホテルの場合、普通に予約すると、夕食はつかないケースが多いらしいので、私も、そうだと思われたのでしょう。 だから、チェック・インの時に、三泊分、纏めて渡してくれれば良かったのに。

  タクシーを下りる時、運転手さんに、「夕方になったら、浜へ涼みに行くといいですよ」と言われたので、荷物を部屋に置いてから、もう一度、外出しました。 面倒臭いので、キーは、ポケットに入れたままです。 まず、向かいのホテルの一階にあるコンビニへ行き、その夜の分のビスケットと、翌日、たぶん、乗るであろう、辺戸岬行きのバスの中でなめる、飴を買いました。 沖縄らしく、「まーさっさー・シークァーサー・キャンディー」という品。 小袋ごとに、沖縄語の単語が、日本語訳つきで載っているというもの。 「まーさっさー」というのは、「おいしい」という意味らしいです。

  向かいのホテルの横から、浜を見下ろせる場所に出ました。 綺麗な砂浜ですが、下りて行くほどは、興が乗りません。 それに、靴ではねえ・・・。 ふと、「島ぞうり」が欲しくなりましたが、買うとなると、安いのでも、500円はする事を思い出し、瞬間的に諦めました。 もし、100円ショップがあれば、置いてあるような気もするんですが。

  幸喜のバス停まで歩いて、翌日の朝の名護行きのバスの時間を調べます。 7時26分というのがありますが、朝食は、7時からですから、それでは、あまりにも、忙しないです。 フロントに理由を話して、10分くらい早く食べさせてもらおうかとも思いましたが、そういう、特別扱いをお願いするのは、大いに気が引けるところ。 ふと見ると、次の便に、7時41分というのがあり、15分しか空いてません。 どうせ、名護で乗り換えるのですから、それで行っても、間に合いそうです。 なんだ、そうだったのか。 フロントに変な話を持ちかけなくて良かった。

  後は、事もなし。 バイキングを食べて、洗濯して、シャワーを浴びて、日記を書いて、寝ました。 ホテルに戻って来るのが、早いと、夕方から夜にかけて、のんびり過ごせます。 時間の無駄といえば、無駄なんですが、生身の人間ですから、少しはゆとりも必要ですな。



≪七日目、まとめ≫
  この日の圧巻は、やはり、今帰仁城でした。 石造の遺跡には、他と比較できないロマンがあります。 それを、長い年月、残して来た、土地の人々も偉いです。 石だからこそ、残す気になるんでしょうなあ。 それを積んだ人の苦労を考えると、簡単には壊せませんものねえ。

  次が、ソーキそば。 うまいんだなあ、沖縄系のそばは。 本気で攻勢をかければ、日本のラーメン屋を、軒並み、商売替えさせる事もできるような気がします。 嘘だと思ったら、最寄の沖縄料理店へ行って、食べてみなさいって。 本場のは、それ以上に、うまいわけだから。

  美ら海水族館は、大水槽のジンベエザメのみ、グッド。 他はどうにも・・・。 とにかく、ああ、人が多くては、評価のしようがありません。 ネオパークは、全く、事前情報なしで入ったわけですが、十二分に見応えがありました。 ヤンバルクイナよ、永遠なれ。 ペッカリー、沼津近辺の動物園におらんかなあ。

  それらはさておき、今回の記事も、長引きましたなあ。 実は、書くのに、三日もかかっています。 たった一日の出来事を書き記すのに、三日かかるとは、非効率極まりない。 手抜きの限りを尽くせば、逆に、三日間の出来事を、一日で書く事もできるわけですが、それをやると、ただの、「コメント付き日程表」になってしまうから、そうもいかぬ。