2015/06/07

ない

  以前、「はず(筈)」とか、「わけ(訳)」とか、それまで、漢字を使って書いていたのを、その漢字の本来の意味ではない、当て字だから、使うのをやめて、不本意ながらも、ひらがなで書くようにした、という記事を、いくつか書きましたが、今回も、その類いです。 今回のは、助動詞系だから、かなりの大物。

  いや、助動詞系である上に、否定詞なので、大物中の大物と言うべきでしょうか。 それは、「ない」です。 「ない」を、「無い」と書くのを、やめようという、日本語表記の根幹に関わるような壮大な試みなのですが、言うまでもなく、私個人に限った話なので、他の方々は、別に、つきあう必要はありません。


  実は、もう、切り換えてから、随分経っています。 このブログの記事で言うと、2014年、8月31日の、≪さよなら、石垣島≫までは、「無い」を使っていましたが、次の、9月7日の≪宮古島周遊≫からは、「ない」に換えました。 用言なので、「なかろう・なかった・なく・なければ」といった活用形と、「なし」という名詞形も含みます。 とにかく、「無」を「な」と訓読みする場合、すべて、漢字を使わず、ひらがなに換えたわけです。

  一方、音読みの方は、そのままで、「無」を使っています。 元々、そちらが正しいのだから、換える理由がありませんわなあ。 発音が、「む」であっても、「ぶ」であっても、関係なし。 私が、よく使う、「無」が付く漢字熟語と言うと、


【二文字】
無縁、無限、無罪、無視、無事、無性、無償、無情、無常、無上、無人、無心、無尽、無数、無駄、無体、無断、無知、無茶、無敵、無難、無念、無能、無比、無法、無謀、無名、無用、無欲、無理、無料、無力、無類、無礼、無論

【三文字】
無意味、無教養、無気力、無関心、無邪気、無尽蔵、無責任、無頓着、無分別

【四文字】
怪力無双、国士無双、広大無辺、厚顔無恥、などなど。

【無が後に来るもの】
有無、皆無、虚無、絶無


  といったところ。 二文字のは、思っていたより、「ぶ」と読むものが少なかったです。 「無粋」は、「不粋」と書く方が多いから、外しておきました。 三文字には、他に、「感無量」などもありますが、「感が無量」で、主語と述語がくっついているだけなので、入れませんでした。 だけど、「無量」だけだと、使わないんですよねえ。 四文字は、探せば、他にも、いくらでも出て来そうですが、面倒なので、調べません。 「無」が後に来るものは、このくらいしかないんですが、それには、「無」の本来の意味に関係して来る、理由があります。


  逆の意味に当たる、「ある」に関しては、私の場合、若い頃から、ひらがなで通していて、「有る」と書く事はなかったです。 私だけでなく、読書階層の人間なら、「有る」という漢字の当て方は、自然に避けていると思います。 だって、そんな書き方している本なんて、ないものね。

  「有る」で、よく目にすると言ったら、街なかにある看板の、「駐車場、有ります」くらいのもの。 「P 有り」というのも多い。 ああいうのは、「月極め駐車場」の、「極」と同じように、見る者の注意を引く為に、わざと、一般的でない漢字を使っているんでしょうなあ。 ところが、読書慣れしていない人は、そういうのを見て、使っていいものだと思い込み、「ある」を「有る」と書いたりするわけだ。

  読書の習慣がない人は、本来、文章を書く習慣もないものですが、仕事で、やむをえず、文章を書かなければならない場合があり、社内文書などでは、そういう、奇怪な文字使いの文章が、間々、出回ります。 律儀な性格だと、「ある」を、全て、「有る」で書くので、「○○が有るのは、××の期間で有れば、△△で有り、☆☆では有りません」などという、思わず、殺意を抱きたくなるような文になります。

  なんで、「ある」を、「有る」と書くと、まずいのかというと、漢字の本来の意味が違うからです。 そもそも、「有」に「ある」という訓を当てたのが間違いで、「有」には、「ある」という意味はありません。 では、「有」は何なのかというと、「~を持っている」という意味の他動詞なのです。 英語の、「have」と同じと言った方が、分かり易いでしょうか。

  「有力」は、「have power」、「有望」は、「have hope」。 大雑把に言えば、そうなります。 一方、「ある」は、英語では、be動詞に当たり、「have」とは、使い方が全然違います。 そもそも、「ある」は自動詞ですから、目的語を取れないのであって、「有」を「ある」と読むなら、「有力」なんて並びの熟語は、ありえない事になります。 「力をある」なんて、言わないでしょう? 「力を持っている」、もしくは、「力を有(ゆう)している」ですわなあ。

  「駐車場、有ります」や、「P 有り」は、漢文の文法に沿って書くなら、「有駐車場」や、「有P」が正しく、日本語の意味に沿って書くなら、「駐車場、あります」や、「P あり」が正しいです。 ただし、上述したように、人目を引く為に、わざと、「有」を使っている可能性があるので、「こんな書き方は、間違っている!」と、目くじら立てるつもりはありません。

  ところで、「有」が、「~を持っている」という意味なら、漢字には、「ある」という意味の文字がないのかと言うと、ある事はあります。 「~がある」という意味では、「在」がそうです。 「国破山河在(くに、やぶれて、さんが、あり)」の「在」ですな。 だけど、「在」は、そういう用法では、漢文では滅多に出て来ず、中国語では、全く出て来ません。 漢文や中国語では、そもそも、対象物を主語にした、「~がある」という言い方をせず、行為者を主語にして、「~を持っている」という表現をするのです。 その点は、英語と同じ。

  もう一つ、英語のbe動詞の意味、「~である」に相当する漢字は、「是」という字が使われます。 「I am a Japanese」は、「我是日本人」になるわけです。 英語のbe動詞は、時制や時態といった、「相」を表すパーツとしても使われますが、「是」は、「~である」専用で、漢文・中国語の「相」は、他の方法で表します。 そちらの話は、今回のテーマと関係ないので、割愛。


  「有」が、「ある」ではない事は、読書階層を中心に、結構、多くの人が気づいているのですが、理由を正確に知っているわけではなく、本や新聞を読んでいると、そういう書き方がされていないから、自分もそうしているというレベルの話。 子供や、非読書階層の人から、なぜ、「ある」を「有る」と書いてはいけないのか、説明を求められても、ほとんどの人が、答えられないと思います。 ただ、「習慣的に、そういう書き方はしないんだよ」で、ごまかすだけ。 説得力に欠けること、夥しいですが、それでも、間違ったまま、「有」を使っていないだけ、マシと見るべきでしょうか。


  一方、「無」の方には、遥かに複雑な事情があります。 「ない」と読む部分、全てを、「無い」と書く人は、珍しいですが、読書階層であっても、どこまで、「無い」を使うか、定まっていないのです。 私が、去年の夏以前に、指標にしていたのは、


【1】 助動詞の「ない」は、「ない」と書く。
【2】 形容詞の「ない」は、「無い」と書く。
【3】 名詞の「なし」は、「無し」と書く。


  という、割とシンプルな法則でした。 【1】の助動詞というのは、用言の否定に使われる「ない」で、動詞、形容詞、形容動詞、助動詞に付いた時、それぞれ、「食べない」、「美しくない」、「静かでない」、「~ではない」と、ひらがなで書くという事です。 【2】は、「ない」が、形容詞として、単独で使われ、主語の名詞を否定する場合、「効果が無い」や、「~する事は無い」と、漢字で書くという事。

  【1】の法則は、例外なく、守っていましたが、【2】と【3】に関しては、厳密に実行していたわけではなく、「何となく、くどいな」と思って、漢字を使わず、ひらがなで書く事もありました。 なんだか、境界線が曖昧になる事があり、そのつど、もやもやしていたのです。

  中国語では、用言の否定は、「不」を使い、「無」は、全く、出番がありません。 「有」の否定の時だけ、「没」をつけて、「没有(メイヨウ)」としますが、これは、「~を持っていない」という意味の他に、動詞の前に付いて、「その動作が、まだ、行なわれていない」という、完了相の否定として使われます。 前者の意味は、「無」と同じですが、口語では、「没有」の代わりに、「無(ウー)」と言っても、全く通じません。

  漢文になると、否定詞の種類が、いくつもありますが、漢文では、韻を揃える為に、口語では使わない文字を持って来たりするので、法則性を見出すのが難しいです。 特に、漢詩は、韻が命のようなところがあり、韻を合わせる為に、頻繁に使われる否定詞は、種類を、複数、キープしているんですな。

  細かい事はさておき、基本的には、用言の否定は、「不」だと思っていいです。 ところが、日本語には、「不」の訓読みがありません。 「不い」と書いて、「ない」と読めれば、用言の否定に使えるのですが、そんな読み方をしてくれる人は、まず、いないでしょう。 「無」は、最初の方で挙げた、音読みの熟語を見てもらえば分かりますが、全て、名詞を否定しています。 「無視」や、「無比」などは、一見、動詞を否定しているようですが、実際には、「視る事」、「比べる事」という、名詞を否定しているわけです。

  私が、「無い」を、用言の否定に使うのは、明らかに間違いだと知っていたのに、名詞の否定になら使ってもいいだろうと思っていたのは、そういう事情があったのです。 今にして思うと、「無」という漢字の意味について、深く考えた事がなかったんですな。 それが、去年の夏頃に、「はっ!」と気づいたわけです。

「待てよ・・・、『無』は、『有』の反対の意味なのだから、『有』を、『ある』の意味で使えないのなら、『無』も、『ない』の意味で使えないのでないか?」

  ・・・と。 これには、青くなりました。 「有無」という熟語があるように、「有」と「無」は、反対の意味を表すセットなわけですが、という事は、つまり、「有」が、「~を持っている」なら、その反対の「無」は、「~を持っていない」という意味になります。 つまり、「無」を、「ない」と読むこと自体が、間違いだったわけだ。 これには、たまげた。 こんな明々白々な事に、今まで気づかなかった事に、一番驚いた。

  「無」は、名詞を否定できますが、それは、名詞が目的語の場合でして、日本語の、独立して使われる「ない」は、形容詞だから、主語に付く事はできても、目的語を取る事ができません。 「無」と「ない」では、全然、用法が違っていたのです。 これというのも、大昔、漢文を読むのに、レ点や返り点で、無理やり日本語風に並べ替えて、読んでいたのが原因なのですが、何とも、紛らわしい事をしてくれたものです。


  気づいてしまったが最後、もう、それまでの書き方はできません。 「無かろう、無かった、無く、無い、無ければ」の活用は、全滅。 名詞形の、「無し」も駄目。 とにかく、「無」を「な」と読むケースは、全部、間違いだと分かり、一つ残らず、ひらがなに切り換えました。 ただし、過去の記事まで遡って直すのは、どえらい手間になってしまうので、断念しました。 冗談じゃない。 そんな事を始めた日には、「置換」を使っても、まるまる、半年くらいかかってしまいますわ。


  これねえ、「自分は、もともと、『ない』は、ひらがなで書いている」という人もいると思うんですよ。 たとえば、新聞や雑誌では、助動詞と形容詞の「ない」は、全て、ひらがなで書いているところが多いです。 だけど、名詞の「無し」に関しては、ノー・マークで、「用無し」とか、「音沙汰無し」とか、書いてしまっている人が、大変、多いです。

  これも、「ない」を「無い」と書くのが、なぜ、間違っているのか、理由が分からないまま、ただ、習慣的に、「ない」と書いて来たから、同じように、習慣的に、「無し」と書いて来たのを、おかしいと思わなかったんでしょうなあ。 いや、おかしいんですよ。 「無い」が駄目なら、当然、「無し」も駄目でしょうに。 

  この事に気づいて以降、他人の書いた文章に、「無い」とか、「無し」と書いてあるのを見ても、違和感を覚えるようになってしまったのですが、まあ、習慣上は、間違いとはされていないから、人様のやる事にまで口出しはしない事にします。 国語辞典にも、「ない」の、漢字かなまじり表記は、「無い」と出ているし・・・。


  いやあ、こんな風に、今まで何気なく使っていた漢字が、用法の間違いに気づいて、使えなくなるケースは、まだまだ、ありそうですねえ。 実に、面倒臭い。 知らぬが仏なのかも知れませんなあ。