映画批評(17)
相変わらず、書く事なし。 何の疑いもなく、世の中に対する興味が薄くなっています。 というわけで、今回も映画評です。 映画の感想だけは、出しきれないほど、溜まっています。 楽だから、しばらく、このパターンで、お茶を濁し続けようかと考えています。 auのラブログでやっていた頃と比べ、閲覧者が、ぐっと減ったせいで、記事の内容についての責任感も軽くなったのは、怪我の功名というべきか・・・。
≪ハーべイ≫ 1950年 アメリカ
ジェームズ・スチュアートさん主演の、些か異色なコメディー。 身長1メートル90センチのウサギが見えるという弟を持て余した姉が、彼を精神病院に送り込もうとするが、彼の物腰の柔らかさに、会う人みんなが、そのペースに巻き込まれてしまう話。
最初は、「こんなアイデアで、映画になるのか?」と、頭の上に疑問符を浮かべて見ているのですが、話が進む内に、思っていたよりずっとよく出来ている話である事が分かり、巨大ウサギの存在を完全否定する者が出て来ない展開に、心温まるものを感じるようになります。
主人公の姉が、うっかり、「自分にもウサギが見える」と言ってしまったために、精神病患者と診断され、急転直下の早業で捕獲されてしまう件りは、笑うしかないブラックな場面。 アメリカでも、この頃の精神病院というのは、こんな感じだったんですねえ。
ただ、実際の精神病患者は、この主人公のように、会話の成立する人ばかりではないので、その点がちと、理想化しすぎている嫌いがなきにしも非ず。
≪カラマーゾフの兄弟≫ 1968年 ソ連
言わずと知れた、ドストエフスキーの名作長編小説が原作。 ここ数年、新訳本がヒットしたり、翻案したドラマが作られたりして、注目度が高まっていますな。
私は、20年くらい前に、世界文学全集に収録されていたものを読みました。 重くて、深い作品だとは思いましたが、≪罪と罰≫に比べると、長過ぎの、複雑過ぎで、そんなに面白いとは思いませんでした。 大体のストーリーと、印象深い場面が何ヵ所か、記憶に残っているだけ。
父親と、それぞれ性格が全く違う三兄弟がいるカラマーゾフ家で、長男と次男が、長男の婚約者を巡って、財産絡みの三角関係になっていたところへ、父親と長男が、一人の女性を巡って争う関係になり、やがて、父親が何者かに殺され、長男が容疑者として裁判にかけられる話。
原作の批評をし始めると、膨大な文章になってしまうので、この映画だけに限ります。 ソ連映画は、予算に糸目をつけないところに、最大の特徴があるのですが、ドストエフスキーの作品は、市井の人々が主な登場人物なので、大予算とは無縁で、その点、ソ連映画らしさは、あまり感じません。
驚いたのは、演出です。 小説では、物静かに進行していると思っていた話が、映画になると、こんなにも激しくなるものかと・・・。 中心人物の長男は、原作でも、直情な性格という事になっていますが、この映画では、もーう、半端ないです。 逃げる女を追いかけて、あちこち怒鳴り込んで回る様など、とても、正気の人間には見えません。
他の人物も、やけにセリフに力が入っていますが、恐らく、監督が、こういう演出が好きだったんでしょうねえ。 力が入り過ぎている為に、長男が単なる狂人に見えてしまって、その運命に哀れさを感じないのは、明らかに欠点です。 しかし、逆に、この過剰なほどの激しい演技が、この映画に、他では見られない生気を与えているのも事実。
4時間近い大作ですが、三部に分かれていて、第一部、第二部が作られた後、監督が急死して、第三部は、出演俳優達が完成させたのだとか。 そのせいか、原作では、かなりの分量を占めている裁判の場面が、要点のみの描写になっているのが、残念。
≪スミス都へ行く≫ 1939年 アメリカ
ジェームズ・スチュアートさん主演。 前に見ていて、たぶん、感想も書いたと思うんですが、かなり昔の事だったのか、どこに行ったか分からないので、もう一度書きます。
数合わせのためだけに、州選出の上院議員に担ぎ出された、純朴で理想主義者の青年が、正義感ゆえに、担ぎ出した側の思惑に反する活動をし始めたところ、罠に嵌められ、上院から追放されそうになったのを、秘書の女の協力で、前代未聞の逆転策に打って出る話。
古い映画ですが、十二分に面白いです。 最初の内、「子供のお守りはご免よ」と言って、青年を小馬鹿にしていた秘書が、次第に青年の純粋さに惹かれて行き、一度、辞職するものの、青年が窮地に立たされると、颯爽と再登場して、救いの手を差し伸べる展開が、実に心憎い。 主人公は、この秘書ではないかと思うほどです。
上院の議長が、また、素晴らしいキャラ。 とことん公平で、一見、馬鹿馬鹿しいとしか思えない、青年の反撃策に、徹底的に付き合うのですが、その仕草から、「子供の心」を、多分に残している事が窺われ、青年と同じ種類の人間である事が分かります。 一時、議場にいるのが、青年と議長の二人だけになってしまうのは、凄い落差。
それにしても、アメリカ人は、連邦議会に対し、日本の感覚では想像が及ばないほど、高い誇りを感じているようですな。 心底、自分の国の政治システムを、偉大なものだと信じているのでしょう。 その点、少なからず、怖い感じもしました。
≪パリ、恋人たちの2日間≫ 2007年 フランス・ドイツ
ヒロインのジュリー・デルピーさんが、制作、監督、脚本など、大半の役回りを担った映画。 ほとんど、個人映画ですな。 恋愛物ですが、これから、くっつくパターンではなく、くっついていたのが、離れそうになる方。
付き合い始めて2年になるフランス人の彼女と二人で、イタリア旅行を終えたアメリカ人の男が、帰りに、パリにある彼女の実家に寄り、二日間過ごす事になるが、その間に、彼女の元彼が何人も現れ、あまりに奔放な彼女の男遍歴に、驚愕する話。
ジュリー・デルピーさん自身がフランス人なので、フランス人をどんなに扱き下ろそうが、問題ないとはいえ、それにしても、このヒロインの生態は、普通じゃありません。 現代のフランス人女性が、どういう人達なのか、よく知らないのですが、まさか、これが平均ではありますまいね。
映画の出来は、お世辞にも良くなくて、前半は、ただ、ダラダラと締まりのない会話が続き、ストーリー性が感じられません。 それでいて、映像美に拘っているわけでもなし。 後半、元彼が続々と出現し始めると、ようやく、話になって来ますが、時すでに遅く、何が言いたいのか伝えきれぬまま、虚しく終わって行く感があります。
≪失われた週末≫ 1945年 アメリカ
これも、前に見ていますが、感想を書いたかどうか、覚えていません。 アル中治療中の無名作家が、兄の勧めで、田舎で週末を過ごすつもりで荷造りしたものの、兄や恋人を騙して、姿を晦まし、酒を求めて、街を彷徨する話。
アル中の救い難い実態を克明に描いた映画というと、この作品の他に、≪毎日かあさん≫なども見ましたが、いやはや、ほんとに、どーしょもないね、この病気は・・・。 この主人公の場合、仕事もしておらず、兄に喰わせて貰っている身の上だから、尚更、救いようがありません。
そういう身分でありながら、結婚を前提につき合っている恋人がいるというのも、奇妙な話。 女性側からすれば、過去にアル中を立ち直らせた経験があるとでもいうならともかく、いきなり、こんな中毒患者にぶち当たったら、絶望して、縁を切りたがるんじゃないですかね?
アル中映画が成り立つなら、ニコ中、カフェ中など、他の中毒をテーマにした映画もできそうなもんですが、なぜ、もっと、いろいろと作らないのか、不思議です。 恋愛物なんかより、ずっと、見応えがあるんですがねえ。
≪ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密≫ 2002年 アメリカ
サンドラ・ブロックさん主演。 都会で劇作家をしている娘が、雑誌のインタビューに、母に虐待された思い出を語ったところ、それを読んだ田舎の母が激怒し、険悪な関係になってしまったのを、母の子供の頃からの親友3人が心配し、娘を略取して、田舎へ連れ戻し、母の過去の事情を語って聞かせる話。
なんで、わざわざ、眠り薬を飲ませて略取しなければならないのかよく分かりませんが、それはさておき・・・、その辺りは、コメディーっぽいのに、母娘の因縁を対象にしたテーマは、にこりとも笑えないほど真面目で、どんな映画にしたかったのか、今一つ、理解できません。
つまり、「あなたのお母さんは、昔、心を病んでいたのよ」と言いたいのでしょうが、それは、娘側から見れば、鞭で叩かれる正当な理由にはならんでしょう。 恨むな、悪口を言うな、という方が無理です。 こんなポンコツで凶暴な母親の人格を、理解して受け入れろというのは、無体、理不尽と言っても過言ではありません。
母と親友3人で、「ヤァヤァ・シスターズ」というグループを構成しているのですが、その4人が、子供時代、若い頃、年老いた現在と、年齢ごとに別の俳優で演じているので、全部で12人も出て来て、誰が誰だか区別できず、頭がぐるぐるして来ます。
サンドラ・ブロックさんは、娘の役ですが、もう、結婚前の娘を演じるような歳ではないですねえ。 実年齢上も、外見的にも。 ちなみに、この映画の撮影時、30代の後半だったと思われます。
≪ハイスクール・ミュージカル ザ・ムービー≫ 2008年 アメリカ
題名の通りの映画。 高校を舞台に、高校生達が歌って踊る、ミュージカル。 卒業を控え、それぞれ別の大学へ進む事になりつつある主人公とヒロインが、進路に悩みながらも、学校の恒例行事である、ミュージカル公演の準備を進める話。
ズバリ言って、見るに耐えません。 正直な感想、高校生の悩みなんて、私の知った事かいな。 大体、高校時代に交際していた男女が、卒業後も交際し続ける確率は、1パーセントにも満たないのであって、別れる方が自然なのですから、別々の大学へ行く事になったって、悩む必要などありますまい。
そういう裏知識を持った上で見ていると、主人公とヒロインの関係が、不実であるばかりでなく、不純で、尚且つ、不潔に思えてしまうのです。 結局、そいつとは、結婚しないんだろう? んなの、遊んでるだけじゃん。
ミュージカル場面ですが、インド映画の凄いのと比べると、どうにも、ちゃちに見えて仕方がありません。 曲も、古いんだか新しいんだか、中途半端な感じ。 はっきり断言できるのは、耳に残るような印象的な曲は、一つもなかったという事です。
とはいうものの・・・、私の歳から見れば、子供騙しの域を出ない映画ですが、現役の高校生の目には、また違って見えるのかも知れませんな。 特に、アメリカやカナダの高校生には。
≪火天の城≫ 2009年 日本
西田敏行さん主演の歴史劇。 ただし、ほとんど、創作です。 織田信長の安土城築城に、天守閣の設計施工者として声をかけられた、宮大工の棟梁とその一門が、信長の奇抜な注文や、コンペを乗り越え、命懸けで、芯柱用の材木を手に入れたりしながら、天主閣を築造していく話。
元が創作なので、エピソードの数が絶対的に不足しており、その分を、主人公の家族や、門弟達の人間ドラマで埋めているせいで、何が描きたいのか、よく分からない映画になっています。 このストーリーで、映画を作ろうとした、企画段階での失敗ですな。
一番まずいのは、木曽の杣人の行動でして、敵方の信長の城のために、神木を切って送り、自分は首を斬られてもいい、というのは、明らかに、不自然です。 一体、彼に何の得があるというんでしょう? 全くの、歌舞伎式お涙頂戴なのでして、鼻を摘みたくなります。
主人公の娘役の福田沙紀さんが、もう、年頃の娘の役なのに、つんつるてんの着物を着せられているのは、あまりに不憫。 10歳以下の子供じゃないんだから・・・。 それでいて、着物の色柄は、普段着とは思えないほど、洒落ているのです。 変でしょう、そんなの。
≪ノックは無用≫ 1952年 アメリカ
マリリン・モンローさん主演のサスペンス。 婚約者を飛行機事故で亡くした女が、ニューヨークへ出て来て、ホテルでエレベーター係をしているおじの斡旋で、泊り客の子供の世話をする事になるが、その姿を窓から見ていた別室の男を、部屋に招いた事から、主人公の精神状態が崩れ始める話。
ほとんど、サイコ・サスペンスですな。 映像面のインパクトが、もう少し強ければ、ヒチコック作品だと思われても不思議ではない雰囲気です。 マリリン・モンローさんを、こういう役で使っていたというのが驚き。 もっとも、この頃はまだ、ほとんど無名だったようですが。
モノクロですが、50年代ともなると、戦前作品のセリフぎゅう詰めスタイルから脱していて、間合いを取る事で、人物の心理を描写するようになります。 アメリカ映画の表現方法は、少しずつ発展して来たんですねえ。
≪素直な悪女≫ 1956年 フランス
ブリジット・バルドーさん主演。 この映画が監督デビューのロジェ・バディムさんは、制作当時、バルドーさんの夫。 バルドーさんの出世作になった映画だとか。 当然の事ながら、若いので、可愛さ、美しさの絶頂にあります。
孤児院から出て、港町の本屋で働いている娘が、移り気で身持ちが悪いために、周囲から悪女と見做されていたのを、ドックを経営する一家の次男が、兄と付き合っていたのを知りながら、求婚して、夫婦になるものの、やはり、行状が改まらず、悶着が続く話。
一応、ストーリーはありますが、非常に薄っぺらいので、ストーリーだけ追っていると、眠ってしまいます。 この映画の制作目的は、100パーセント、バルドーさんのセクシーさを見せる事にあるのであって、他はオマケのようなもの。
しかし・・・、私個人の感覚では、そーんなに、可愛いわけでもなければ、色気があるわけでもありませんなあ。 単に、私が枯れているだけかもしれませんが・・・。 その後の、美貌の衰えを知ってしまっているので、若い頃の魅力も、素直に認められない抵抗感があるのです。
≪クレイジー・ハート≫ 2009年 アメリカ
ジェフ・ブリッジスさん主演。 かつての人気はとうに失せ、今は、酒に溺れながら、しょぼい地方巡業で、辛うじて喰い繋いでいる、カントリー・ウェスタンの歌手が、ある街でインタビューを受けた地方誌の女性記者と親密になるものの、アル中が禍して、紆余曲折する話。
ミッキー・ロークさん主演の≪レスラー≫という映画がありますが、それの歌手バージョンと言ってもいいような話。 アイデアは、ほとんど、そのまんま、パクっています。 好き勝手放題な生き方をして来て、疎遠になっている子供から憎悪されているところも、そっくり。
ただ、こちらは、アル中が自業自得なのと、落ちぶれたと言っても、行く先々に、昔からのファンがいて、結構いい思いをしているので、≪レスラー≫の主人公ほど、惨め度が高くないですし、再起にも、悲壮感が漂っていません。
話よりも、南部アメリカの自然を映した背景に、はっとさせられるものがあります。 特に、友人と釣りをする場面と、ラストの雲の景色は、素晴らしい。
≪フラットライナーズ≫ 1990年 アメリカ
キーファー・サザーランドさん、ジュリア・ロバーツさん、ケビン・ベーコンさんなど、後に主役級になる俳優さん達が、若い顔で出ている、サイコ・ホラー。 かなりの異色作です。 一応、サザーランドさんが中心ですが、群像劇としても見れます。
死後の世界を体験する為に、自らの体を使って、心臓を停める実験を始めた医学生達が、それぞれ、子供の頃に犯した罪の記憶を呼び覚まされ、精神的に追い詰められて行く話。
臨死実験というアイデアは面白いと思いますし、映像も不気味で、凝っているのですが、死後の世界ではなく、個人の記憶の方へ話が行ってしまうのは、肩透かしを喰らったようで、なんとも残念です。 どうしてまた、こういう話にしてしまったんでしょうかね?
≪柳生一族の陰謀≫ 1978年 日本
ひやあ、懐かしいな、この映画。 「わしにつくも、敵にまわるも、心して決めい!」のCMが、未だに記憶に焼き付いています。 いや、見には行かなかったんですがね・・・。 しかし、このセリフは、映画の中では出て来ませんでした。 CM用に作られた場面だったようです。
二代将軍秀忠が死んだ後、三代将軍に、長男の家光を推す柳生但馬守一派と、弟の忠長を担ぐ一派が、虚々実々の駆け引きを繰り広げる話。 秀忠が毒殺されたり、最後に、思いも寄らぬ人物まで殺されてしまったりと、かなり、創作が入っていて、歴史劇としては、規格外です。
監督は、深作欣二さんで、これが最初の時代劇だったとか。 出演者は、萬屋錦之介、千葉真一、丹波哲郎、芦田伸介、松方弘樹、西郷輝彦、大原麗子、志穂美悦子、原田芳雄、真田広之などなど、書ききれないほど、当時の第一線俳優が顔を揃えています。
はっきり言って、出し過ぎ。 その弊害がストーリーに表れていて、いくら130分あるとはいえ、これだけの出演者に見せ場を配分するとなると、一人一人の存在感は薄くならざるを得ません。 何だか、お祭りみたいな軽い雰囲気になってしまうんですな。 映画としては、そんなに出来はよくありません。
≪アリス・イン・ワンダーランド≫ 2010年 アメリカ
ティム・バートンさん監督。 ディズニー映画ですが、こちらは、実写版の方。 ついこないだ、ジョニー・デップさんが出演すると言って、前宣伝していたような気がするのですが、もう、テレビで放送ですか。 全く以て、映画館に行く甲斐がない時代ですなあ。
アンダーランドに行った記憶を失って、19歳になったアリスが、求婚パーティーから逃げ出して、再び、アンダーランドに迷い込み、赤の女王の支配下から抜け出すために、アリスを待ち望んでいた者達に求められて、予言の書に従い、女王の戦士と戦う話。
いろいろ尾鰭を付けて、変えていますが、基本的には、アニメの≪不思議の国のアリス≫に近い話と言っていいと思います。 ≪鏡の国のアリス≫の方も、原作として挙げられていますが、私が原作を、どちらも読んでいないので、 どの程度の異同があるのか、判断できません。
CGを多用していて、アンダーランドの奇妙さ、不気味さは、アニメと比べても、遜色ありません。 元々、このお話は、子供向けとは思えないほど、グロテスクな世界観を持っているようなのですが、そこが、大人の鑑賞にも耐える深みを生み出しているのでしょう。
アリスは、19歳ですが、演じている女優さんはそんなに大人には見えず、10代半ばでも通るような外見。 ジョニー・デップさんは、マッドハッターという、帽子屋の役です。 白の女王の役で、アン・ハサウェイさんが出ていますが、どぎつい厚化粧のお陰で、顔の土砂崩れがあまり目立たないのは幸い。
赤の女王は、ヘレナ・ボナム・カーターという人が演じていますが、CGで頭だけ大きくなっていて、これが、実に魅力的。 アニメの方は、がさつなおばさんでしたが、こちらはグロな中にも、可愛らしさがあって、キャラが立っています。 赤の女王を主役にして、スピンオフ映画が作れるくらい。
≪ラブソングができるまで≫ 2007年 アメリカ
ヒュー・グラントさん、ドリュー・バリモアさん主演のコミカル・ロマンス。 ヒュー・グラントさんは、イギリス人ですが、この映画の舞台は、イギリスではなく、アメリカです。
80年代に、ポップス・グループのメンバーとして一世を風靡したものの、その後、鳴かず飛ばずだった中年歌手が、人気絶頂の若い歌手から新曲作りを依頼されるものの、作詞家と反りが合わず、困っていたところ、たまたま、鉢植えの世話に来ていた女性に作詞の才能を見出し、一緒に曲を作って行く内に、恋に落ちる話。
曲が出来るまでは、楽しい雰囲気で話が進みます。 ヒロインが何気なく口にした言葉に、主人公がスイスイとメロディーをつけていく行く様子は、魔法を見ているようで、実に小気味良いです。 問題はその後でして、二人が恋仲になると、急に、ただの恋愛物になってしまい、新味が感じられなくなります。
ヒュー・グラントさんは、どことなく、ポール・マッカートニーさんを連想させる顔立ちのせいか、ぴったり、役に嵌まっています。 ドリュー・バリモアさんは、別に誰でも務まるような役。
≪スネーク・フライト≫ 2006年 アメリカ
サミュエル・L・ジャクソンさん主演のパニック映画。 FBIの捜査官が、殺人を目撃した青年を、ハワイから本土へ護送する飛行機の中で、青年を殺すために積み込まれた無数の毒蛇が乗客を襲い始める話。
わはははは! パニック映画なんですが、なぜか、爆笑できる場面が目白押しです。 蛇の数が多過ぎるせいかとも思ったんですが、この映画の場合、多過ぎても少な過ぎても、やはり笑ってしまうと思います。 飛行機に蛇を放して、人を殺すというアイデアそのものが、滑稽且つ陳腐なんですな。
サミュエル・L・ジャクソンさんは、作品を選ぶ俳優だと思っていたんですが、この映画は明らかに例外です。 彼以外に、有名な俳優は一人も出ていないし・・・。 全く無関係な乗客が、何十人死んだか分からないのに、ラストで、満足そうにニコニコ笑っているFBI捜査官って、人としてどーなんすかねえ。
≪デンデラ≫ 2011年 日本
浅丘ルリ子さんが主演ですが、草笛光子さん、倍賞美津子さん他、高齢の女優さんたちが、大勢出ています。 姥捨て山に捨てられた老婆達が、デンデラという隠れ里で生き延びて、自分達を捨てた村の男達に復讐しようとしたり、熊と戦ったりする話。
これは、ひどい。 よく、こんな程度の低い話を映画にしようなどと思ったものです。 また、出演した女優さん達も、気が知れません。 脚本を読んだ時点で、顎が外れるほどの、とんでも企画だという事くらい、分かりそうなもの。
原作者も、映画の制作者達も、みな男性のようですが、女性の考え方が全く分かっていないところは、驚くしかありません。 身近な女性を観察する機会がちょっとでもあれば、老婆達が何十人集まっても、決して、村を襲おうとか、熊と戦おうなどとは考えない事は、分かるはずですがねえ。 ストーリーの発想が完全に、男製なのです。
クライマックスが、熊との戦いというのも、動物愛護や、自然保護の精神が微塵も窺えず、恐ろしく大時代。 戦前の感覚ですな。 しかも、必然性がまるでなく、単に、後半のエピソードが足りなくなって、尺を延ばすためだけに、熊をダシにした疑いが濃厚だから、熱が出て来ます。
唯一の見所は、浅丘ルリ子さんが、珍しく、薄化粧で出ていて、この人の顔立ちの本来の可愛らしさが見られるところでしょうか。 浅丘さんを可愛いと思ったのは、30年ぶりくらいですな、私は。
≪シティー・ヒート≫ 1984年 アメリカ
バート・レイノルズさん、クリント・イーストウッドさん主演の、ハード・ボイルド。 禁酒法時代の終り頃、ギャングが対立しあう街で、相棒を殺された元刑事の探偵が、ある帳簿を巡る事件に巻き込まれ、昔の同僚の刑事と、協力したり対立したりしながら、ギャングと戦う話。
カテゴリー的には、間違いなく、ハード・ボイルドなんですが、コメディーがかなり入っていて、実際には、半熟といったところ。 コメディーならコメディーに徹すればいいのに、ドンパチでも見せようと欲張っているので、虻蜂取らずになっています。
84年というと、イーストウッドさんは、もう、≪ダーティー・ハリー≫シリーズの後期に差し掛かっていたころで、この時期に、こういう二流どころのアクション映画に出ていたというのは、意外ですな。 ダブル主演ですが、基本的には、バート・レイノルズさんの映画で、イーストウッドさんが、友情出演したのではないでしょうか。
≪SP 野望篇≫ 2010年 日本
テレビ・ドラマの方は、政治臭いので見なかったんですが、これは二時間以下だったので、気軽に見てみました。 なるほど、こういう変わった設定だったんですねえ。 エスピーの話と言うより、エスパーの話と言った方が、適当。
警視庁警備部警護課第四係に属する、特殊能力を備えた青年が、テロ事件を未然に防ぐ活躍を見せていたが、その能力ゆえに、国の中枢機構を変革しようと目論む組織から、邪魔な存在と見做され、命を狙われる話。
特殊能力と言っていますが、限りなく、超能力に近いです。 SPの職務を描いたものだと思って見始めると、冒頭で、未来予知としか思えない能力が出て来た時点で、一気に白けてしまいます。 実際には、未来予知ではなく、犯人の心を読む能力らしいですが、現実にはありえない事である点は、超能力と全く同じ。
政治家や秘密組織が出て来たりしますが、話は異様なほど単純で、ただ、超能力者を一人、始末しようというだけの事。 見せ場は、100パーセント、格闘アクションでして、舞台装置の複雑さに、中身が一致していないアンバランス感が、全編に漲っています。 一言で言うと、「変な感じ」の映画なのです。
岡田准一さんや真木よう子さんが、体を張った格闘を見せるわけですが、努力は認めるものの、二人とも体格がいいわけではないので、不自然に強いというか、無理やりやってる感が拭えません。 配役の時点で、失敗していたのでは?
銃を持っているくせに、有効に使おうとしないのも、何とも、奇妙。 あれだけ、過激な襲われ方をしていれば、一般の警官ですら、発砲が問題になる事はありますまいに。 単に、格闘を見せたいがために、銃の使用を控えているようにしか見えず、非常に不自然です。
≪SP 革命篇≫ 2011年 日本
≪野望篇≫の続編、というわけではなく、どうやら、この二本の映画は、本来一つの作品で、前編と後編を半年の間隔を置いて公開しただけの様子。 そういう事なら、≪野望篇≫で、アクション場面とストーリーのバランスが悪かった理由も、頷けます。
議員を警護して、国会議事堂に入った警視庁警備部警護課第四係のメンバーが、自分達の上司が中心になって引き起こした、衆議院占拠事件に遭遇し、たった四人で、占拠グループに立ち向かって行く話。
占拠グループは、「革命」を口にしているわけですが、実際にやったのは、単に汚職政治家に、罪の告白をさせる事だけで、とても、革命の発端になるような事件とは思えません。 発想が子供っぽいと言ってもいいです。
堤真一さんが演じる、占拠グループの頭目が、個人的な恨みで、首相に復讐する事を目的に行動を起こした点も、≪革命≫の看板とは次元が違うように見えるのです。 動機的には、二時間サスペンスのレベルですな。
そういう事は、映画の制作者達も承知しているようで、何とか、重み・深み・現実味を演出しようと思って、官僚グループや、公安グループなどを出し、対立構図を作って、工夫しているのですが、やはり、中身がないものはないのであって、どうにもカッコのつけようがない感じ。
やはり、≪野望篇≫同様、この映画の見せ場は、格闘アクション場面に尽きるという事になります。 アクションの激しさは、≪野望篇≫と、ほぼ同じ。 同じような格闘術で戦っているのに、なぜか、第四係の面々が必ず勝つのは、ご都合主義ですなあ。 一人くらい、重傷を負えば、リアルになるのに。
≪野望篇≫に比べ、こちらでは、銃がかなり使われます。 奇妙なのは、第四係の面々が、議事堂の廊下での発砲は控えているくせに、本会議場に入ると、バンバン撃ちまくる事で、周りには議員がうじゃうじゃいるのに、外れたらどうすんねん?と思わずにはいられません。
≪野望篇≫と≪革命篇≫を総合的に見ると、やはり、アクション場面偏重の欠点が目に付きますなあ。 どうせ、アクションをメインにするなら、衆院占拠などという大袈裟な舞台にせずに、もっと、地味な事件にしておけば、不自然にならなかったのに。
以上、20作まで。 2013年の2月末から、3月末にかけて見たものです。 そもそも、こんなに多くの感想を、何の為に書いたのかと言うと、2014年の3月までは、ホームページを持っていたのですが、そちらの、日記にアップしていたのです。
私は、2001年にインターネットを始めて以降、プロバイダーは、DION(au)を利用して来たんですが、岩手異動を前にして、フレッツ光を解約し、モバイル回線に乗り換えたので、auでやっていたホームページもブログも閉鎖する事になりました。 料金が、5分の1以下になったのは、大喜びだったんですが、ネット上のデータが消えてしまったのは、痛かったです。
で、映画の感想は、ネット上にアップされていないものが、ごっそり、手元に残っているというわけ。 数えてませんが、千くらいは、あるんじゃないでしょうか? ちなみに、全て、テレビ放送されたのを、家のテレビで見たものです。 映画館には、もう、20年くらい、行っていません。 最後に、映画館で見たのは、≪ガメラ2 レギオン襲来≫と、≪ノートルダムの鐘≫の二本立てでした。
≪ハーべイ≫ 1950年 アメリカ
ジェームズ・スチュアートさん主演の、些か異色なコメディー。 身長1メートル90センチのウサギが見えるという弟を持て余した姉が、彼を精神病院に送り込もうとするが、彼の物腰の柔らかさに、会う人みんなが、そのペースに巻き込まれてしまう話。
最初は、「こんなアイデアで、映画になるのか?」と、頭の上に疑問符を浮かべて見ているのですが、話が進む内に、思っていたよりずっとよく出来ている話である事が分かり、巨大ウサギの存在を完全否定する者が出て来ない展開に、心温まるものを感じるようになります。
主人公の姉が、うっかり、「自分にもウサギが見える」と言ってしまったために、精神病患者と診断され、急転直下の早業で捕獲されてしまう件りは、笑うしかないブラックな場面。 アメリカでも、この頃の精神病院というのは、こんな感じだったんですねえ。
ただ、実際の精神病患者は、この主人公のように、会話の成立する人ばかりではないので、その点がちと、理想化しすぎている嫌いがなきにしも非ず。
≪カラマーゾフの兄弟≫ 1968年 ソ連
言わずと知れた、ドストエフスキーの名作長編小説が原作。 ここ数年、新訳本がヒットしたり、翻案したドラマが作られたりして、注目度が高まっていますな。
私は、20年くらい前に、世界文学全集に収録されていたものを読みました。 重くて、深い作品だとは思いましたが、≪罪と罰≫に比べると、長過ぎの、複雑過ぎで、そんなに面白いとは思いませんでした。 大体のストーリーと、印象深い場面が何ヵ所か、記憶に残っているだけ。
父親と、それぞれ性格が全く違う三兄弟がいるカラマーゾフ家で、長男と次男が、長男の婚約者を巡って、財産絡みの三角関係になっていたところへ、父親と長男が、一人の女性を巡って争う関係になり、やがて、父親が何者かに殺され、長男が容疑者として裁判にかけられる話。
原作の批評をし始めると、膨大な文章になってしまうので、この映画だけに限ります。 ソ連映画は、予算に糸目をつけないところに、最大の特徴があるのですが、ドストエフスキーの作品は、市井の人々が主な登場人物なので、大予算とは無縁で、その点、ソ連映画らしさは、あまり感じません。
驚いたのは、演出です。 小説では、物静かに進行していると思っていた話が、映画になると、こんなにも激しくなるものかと・・・。 中心人物の長男は、原作でも、直情な性格という事になっていますが、この映画では、もーう、半端ないです。 逃げる女を追いかけて、あちこち怒鳴り込んで回る様など、とても、正気の人間には見えません。
他の人物も、やけにセリフに力が入っていますが、恐らく、監督が、こういう演出が好きだったんでしょうねえ。 力が入り過ぎている為に、長男が単なる狂人に見えてしまって、その運命に哀れさを感じないのは、明らかに欠点です。 しかし、逆に、この過剰なほどの激しい演技が、この映画に、他では見られない生気を与えているのも事実。
4時間近い大作ですが、三部に分かれていて、第一部、第二部が作られた後、監督が急死して、第三部は、出演俳優達が完成させたのだとか。 そのせいか、原作では、かなりの分量を占めている裁判の場面が、要点のみの描写になっているのが、残念。
≪スミス都へ行く≫ 1939年 アメリカ
ジェームズ・スチュアートさん主演。 前に見ていて、たぶん、感想も書いたと思うんですが、かなり昔の事だったのか、どこに行ったか分からないので、もう一度書きます。
数合わせのためだけに、州選出の上院議員に担ぎ出された、純朴で理想主義者の青年が、正義感ゆえに、担ぎ出した側の思惑に反する活動をし始めたところ、罠に嵌められ、上院から追放されそうになったのを、秘書の女の協力で、前代未聞の逆転策に打って出る話。
古い映画ですが、十二分に面白いです。 最初の内、「子供のお守りはご免よ」と言って、青年を小馬鹿にしていた秘書が、次第に青年の純粋さに惹かれて行き、一度、辞職するものの、青年が窮地に立たされると、颯爽と再登場して、救いの手を差し伸べる展開が、実に心憎い。 主人公は、この秘書ではないかと思うほどです。
上院の議長が、また、素晴らしいキャラ。 とことん公平で、一見、馬鹿馬鹿しいとしか思えない、青年の反撃策に、徹底的に付き合うのですが、その仕草から、「子供の心」を、多分に残している事が窺われ、青年と同じ種類の人間である事が分かります。 一時、議場にいるのが、青年と議長の二人だけになってしまうのは、凄い落差。
それにしても、アメリカ人は、連邦議会に対し、日本の感覚では想像が及ばないほど、高い誇りを感じているようですな。 心底、自分の国の政治システムを、偉大なものだと信じているのでしょう。 その点、少なからず、怖い感じもしました。
≪パリ、恋人たちの2日間≫ 2007年 フランス・ドイツ
ヒロインのジュリー・デルピーさんが、制作、監督、脚本など、大半の役回りを担った映画。 ほとんど、個人映画ですな。 恋愛物ですが、これから、くっつくパターンではなく、くっついていたのが、離れそうになる方。
付き合い始めて2年になるフランス人の彼女と二人で、イタリア旅行を終えたアメリカ人の男が、帰りに、パリにある彼女の実家に寄り、二日間過ごす事になるが、その間に、彼女の元彼が何人も現れ、あまりに奔放な彼女の男遍歴に、驚愕する話。
ジュリー・デルピーさん自身がフランス人なので、フランス人をどんなに扱き下ろそうが、問題ないとはいえ、それにしても、このヒロインの生態は、普通じゃありません。 現代のフランス人女性が、どういう人達なのか、よく知らないのですが、まさか、これが平均ではありますまいね。
映画の出来は、お世辞にも良くなくて、前半は、ただ、ダラダラと締まりのない会話が続き、ストーリー性が感じられません。 それでいて、映像美に拘っているわけでもなし。 後半、元彼が続々と出現し始めると、ようやく、話になって来ますが、時すでに遅く、何が言いたいのか伝えきれぬまま、虚しく終わって行く感があります。
≪失われた週末≫ 1945年 アメリカ
これも、前に見ていますが、感想を書いたかどうか、覚えていません。 アル中治療中の無名作家が、兄の勧めで、田舎で週末を過ごすつもりで荷造りしたものの、兄や恋人を騙して、姿を晦まし、酒を求めて、街を彷徨する話。
アル中の救い難い実態を克明に描いた映画というと、この作品の他に、≪毎日かあさん≫なども見ましたが、いやはや、ほんとに、どーしょもないね、この病気は・・・。 この主人公の場合、仕事もしておらず、兄に喰わせて貰っている身の上だから、尚更、救いようがありません。
そういう身分でありながら、結婚を前提につき合っている恋人がいるというのも、奇妙な話。 女性側からすれば、過去にアル中を立ち直らせた経験があるとでもいうならともかく、いきなり、こんな中毒患者にぶち当たったら、絶望して、縁を切りたがるんじゃないですかね?
アル中映画が成り立つなら、ニコ中、カフェ中など、他の中毒をテーマにした映画もできそうなもんですが、なぜ、もっと、いろいろと作らないのか、不思議です。 恋愛物なんかより、ずっと、見応えがあるんですがねえ。
≪ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密≫ 2002年 アメリカ
サンドラ・ブロックさん主演。 都会で劇作家をしている娘が、雑誌のインタビューに、母に虐待された思い出を語ったところ、それを読んだ田舎の母が激怒し、険悪な関係になってしまったのを、母の子供の頃からの親友3人が心配し、娘を略取して、田舎へ連れ戻し、母の過去の事情を語って聞かせる話。
なんで、わざわざ、眠り薬を飲ませて略取しなければならないのかよく分かりませんが、それはさておき・・・、その辺りは、コメディーっぽいのに、母娘の因縁を対象にしたテーマは、にこりとも笑えないほど真面目で、どんな映画にしたかったのか、今一つ、理解できません。
つまり、「あなたのお母さんは、昔、心を病んでいたのよ」と言いたいのでしょうが、それは、娘側から見れば、鞭で叩かれる正当な理由にはならんでしょう。 恨むな、悪口を言うな、という方が無理です。 こんなポンコツで凶暴な母親の人格を、理解して受け入れろというのは、無体、理不尽と言っても過言ではありません。
母と親友3人で、「ヤァヤァ・シスターズ」というグループを構成しているのですが、その4人が、子供時代、若い頃、年老いた現在と、年齢ごとに別の俳優で演じているので、全部で12人も出て来て、誰が誰だか区別できず、頭がぐるぐるして来ます。
サンドラ・ブロックさんは、娘の役ですが、もう、結婚前の娘を演じるような歳ではないですねえ。 実年齢上も、外見的にも。 ちなみに、この映画の撮影時、30代の後半だったと思われます。
≪ハイスクール・ミュージカル ザ・ムービー≫ 2008年 アメリカ
題名の通りの映画。 高校を舞台に、高校生達が歌って踊る、ミュージカル。 卒業を控え、それぞれ別の大学へ進む事になりつつある主人公とヒロインが、進路に悩みながらも、学校の恒例行事である、ミュージカル公演の準備を進める話。
ズバリ言って、見るに耐えません。 正直な感想、高校生の悩みなんて、私の知った事かいな。 大体、高校時代に交際していた男女が、卒業後も交際し続ける確率は、1パーセントにも満たないのであって、別れる方が自然なのですから、別々の大学へ行く事になったって、悩む必要などありますまい。
そういう裏知識を持った上で見ていると、主人公とヒロインの関係が、不実であるばかりでなく、不純で、尚且つ、不潔に思えてしまうのです。 結局、そいつとは、結婚しないんだろう? んなの、遊んでるだけじゃん。
ミュージカル場面ですが、インド映画の凄いのと比べると、どうにも、ちゃちに見えて仕方がありません。 曲も、古いんだか新しいんだか、中途半端な感じ。 はっきり断言できるのは、耳に残るような印象的な曲は、一つもなかったという事です。
とはいうものの・・・、私の歳から見れば、子供騙しの域を出ない映画ですが、現役の高校生の目には、また違って見えるのかも知れませんな。 特に、アメリカやカナダの高校生には。
≪火天の城≫ 2009年 日本
西田敏行さん主演の歴史劇。 ただし、ほとんど、創作です。 織田信長の安土城築城に、天守閣の設計施工者として声をかけられた、宮大工の棟梁とその一門が、信長の奇抜な注文や、コンペを乗り越え、命懸けで、芯柱用の材木を手に入れたりしながら、天主閣を築造していく話。
元が創作なので、エピソードの数が絶対的に不足しており、その分を、主人公の家族や、門弟達の人間ドラマで埋めているせいで、何が描きたいのか、よく分からない映画になっています。 このストーリーで、映画を作ろうとした、企画段階での失敗ですな。
一番まずいのは、木曽の杣人の行動でして、敵方の信長の城のために、神木を切って送り、自分は首を斬られてもいい、というのは、明らかに、不自然です。 一体、彼に何の得があるというんでしょう? 全くの、歌舞伎式お涙頂戴なのでして、鼻を摘みたくなります。
主人公の娘役の福田沙紀さんが、もう、年頃の娘の役なのに、つんつるてんの着物を着せられているのは、あまりに不憫。 10歳以下の子供じゃないんだから・・・。 それでいて、着物の色柄は、普段着とは思えないほど、洒落ているのです。 変でしょう、そんなの。
≪ノックは無用≫ 1952年 アメリカ
マリリン・モンローさん主演のサスペンス。 婚約者を飛行機事故で亡くした女が、ニューヨークへ出て来て、ホテルでエレベーター係をしているおじの斡旋で、泊り客の子供の世話をする事になるが、その姿を窓から見ていた別室の男を、部屋に招いた事から、主人公の精神状態が崩れ始める話。
ほとんど、サイコ・サスペンスですな。 映像面のインパクトが、もう少し強ければ、ヒチコック作品だと思われても不思議ではない雰囲気です。 マリリン・モンローさんを、こういう役で使っていたというのが驚き。 もっとも、この頃はまだ、ほとんど無名だったようですが。
モノクロですが、50年代ともなると、戦前作品のセリフぎゅう詰めスタイルから脱していて、間合いを取る事で、人物の心理を描写するようになります。 アメリカ映画の表現方法は、少しずつ発展して来たんですねえ。
≪素直な悪女≫ 1956年 フランス
ブリジット・バルドーさん主演。 この映画が監督デビューのロジェ・バディムさんは、制作当時、バルドーさんの夫。 バルドーさんの出世作になった映画だとか。 当然の事ながら、若いので、可愛さ、美しさの絶頂にあります。
孤児院から出て、港町の本屋で働いている娘が、移り気で身持ちが悪いために、周囲から悪女と見做されていたのを、ドックを経営する一家の次男が、兄と付き合っていたのを知りながら、求婚して、夫婦になるものの、やはり、行状が改まらず、悶着が続く話。
一応、ストーリーはありますが、非常に薄っぺらいので、ストーリーだけ追っていると、眠ってしまいます。 この映画の制作目的は、100パーセント、バルドーさんのセクシーさを見せる事にあるのであって、他はオマケのようなもの。
しかし・・・、私個人の感覚では、そーんなに、可愛いわけでもなければ、色気があるわけでもありませんなあ。 単に、私が枯れているだけかもしれませんが・・・。 その後の、美貌の衰えを知ってしまっているので、若い頃の魅力も、素直に認められない抵抗感があるのです。
≪クレイジー・ハート≫ 2009年 アメリカ
ジェフ・ブリッジスさん主演。 かつての人気はとうに失せ、今は、酒に溺れながら、しょぼい地方巡業で、辛うじて喰い繋いでいる、カントリー・ウェスタンの歌手が、ある街でインタビューを受けた地方誌の女性記者と親密になるものの、アル中が禍して、紆余曲折する話。
ミッキー・ロークさん主演の≪レスラー≫という映画がありますが、それの歌手バージョンと言ってもいいような話。 アイデアは、ほとんど、そのまんま、パクっています。 好き勝手放題な生き方をして来て、疎遠になっている子供から憎悪されているところも、そっくり。
ただ、こちらは、アル中が自業自得なのと、落ちぶれたと言っても、行く先々に、昔からのファンがいて、結構いい思いをしているので、≪レスラー≫の主人公ほど、惨め度が高くないですし、再起にも、悲壮感が漂っていません。
話よりも、南部アメリカの自然を映した背景に、はっとさせられるものがあります。 特に、友人と釣りをする場面と、ラストの雲の景色は、素晴らしい。
≪フラットライナーズ≫ 1990年 アメリカ
キーファー・サザーランドさん、ジュリア・ロバーツさん、ケビン・ベーコンさんなど、後に主役級になる俳優さん達が、若い顔で出ている、サイコ・ホラー。 かなりの異色作です。 一応、サザーランドさんが中心ですが、群像劇としても見れます。
死後の世界を体験する為に、自らの体を使って、心臓を停める実験を始めた医学生達が、それぞれ、子供の頃に犯した罪の記憶を呼び覚まされ、精神的に追い詰められて行く話。
臨死実験というアイデアは面白いと思いますし、映像も不気味で、凝っているのですが、死後の世界ではなく、個人の記憶の方へ話が行ってしまうのは、肩透かしを喰らったようで、なんとも残念です。 どうしてまた、こういう話にしてしまったんでしょうかね?
≪柳生一族の陰謀≫ 1978年 日本
ひやあ、懐かしいな、この映画。 「わしにつくも、敵にまわるも、心して決めい!」のCMが、未だに記憶に焼き付いています。 いや、見には行かなかったんですがね・・・。 しかし、このセリフは、映画の中では出て来ませんでした。 CM用に作られた場面だったようです。
二代将軍秀忠が死んだ後、三代将軍に、長男の家光を推す柳生但馬守一派と、弟の忠長を担ぐ一派が、虚々実々の駆け引きを繰り広げる話。 秀忠が毒殺されたり、最後に、思いも寄らぬ人物まで殺されてしまったりと、かなり、創作が入っていて、歴史劇としては、規格外です。
監督は、深作欣二さんで、これが最初の時代劇だったとか。 出演者は、萬屋錦之介、千葉真一、丹波哲郎、芦田伸介、松方弘樹、西郷輝彦、大原麗子、志穂美悦子、原田芳雄、真田広之などなど、書ききれないほど、当時の第一線俳優が顔を揃えています。
はっきり言って、出し過ぎ。 その弊害がストーリーに表れていて、いくら130分あるとはいえ、これだけの出演者に見せ場を配分するとなると、一人一人の存在感は薄くならざるを得ません。 何だか、お祭りみたいな軽い雰囲気になってしまうんですな。 映画としては、そんなに出来はよくありません。
≪アリス・イン・ワンダーランド≫ 2010年 アメリカ
ティム・バートンさん監督。 ディズニー映画ですが、こちらは、実写版の方。 ついこないだ、ジョニー・デップさんが出演すると言って、前宣伝していたような気がするのですが、もう、テレビで放送ですか。 全く以て、映画館に行く甲斐がない時代ですなあ。
アンダーランドに行った記憶を失って、19歳になったアリスが、求婚パーティーから逃げ出して、再び、アンダーランドに迷い込み、赤の女王の支配下から抜け出すために、アリスを待ち望んでいた者達に求められて、予言の書に従い、女王の戦士と戦う話。
いろいろ尾鰭を付けて、変えていますが、基本的には、アニメの≪不思議の国のアリス≫に近い話と言っていいと思います。 ≪鏡の国のアリス≫の方も、原作として挙げられていますが、私が原作を、どちらも読んでいないので、 どの程度の異同があるのか、判断できません。
CGを多用していて、アンダーランドの奇妙さ、不気味さは、アニメと比べても、遜色ありません。 元々、このお話は、子供向けとは思えないほど、グロテスクな世界観を持っているようなのですが、そこが、大人の鑑賞にも耐える深みを生み出しているのでしょう。
アリスは、19歳ですが、演じている女優さんはそんなに大人には見えず、10代半ばでも通るような外見。 ジョニー・デップさんは、マッドハッターという、帽子屋の役です。 白の女王の役で、アン・ハサウェイさんが出ていますが、どぎつい厚化粧のお陰で、顔の土砂崩れがあまり目立たないのは幸い。
赤の女王は、ヘレナ・ボナム・カーターという人が演じていますが、CGで頭だけ大きくなっていて、これが、実に魅力的。 アニメの方は、がさつなおばさんでしたが、こちらはグロな中にも、可愛らしさがあって、キャラが立っています。 赤の女王を主役にして、スピンオフ映画が作れるくらい。
≪ラブソングができるまで≫ 2007年 アメリカ
ヒュー・グラントさん、ドリュー・バリモアさん主演のコミカル・ロマンス。 ヒュー・グラントさんは、イギリス人ですが、この映画の舞台は、イギリスではなく、アメリカです。
80年代に、ポップス・グループのメンバーとして一世を風靡したものの、その後、鳴かず飛ばずだった中年歌手が、人気絶頂の若い歌手から新曲作りを依頼されるものの、作詞家と反りが合わず、困っていたところ、たまたま、鉢植えの世話に来ていた女性に作詞の才能を見出し、一緒に曲を作って行く内に、恋に落ちる話。
曲が出来るまでは、楽しい雰囲気で話が進みます。 ヒロインが何気なく口にした言葉に、主人公がスイスイとメロディーをつけていく行く様子は、魔法を見ているようで、実に小気味良いです。 問題はその後でして、二人が恋仲になると、急に、ただの恋愛物になってしまい、新味が感じられなくなります。
ヒュー・グラントさんは、どことなく、ポール・マッカートニーさんを連想させる顔立ちのせいか、ぴったり、役に嵌まっています。 ドリュー・バリモアさんは、別に誰でも務まるような役。
≪スネーク・フライト≫ 2006年 アメリカ
サミュエル・L・ジャクソンさん主演のパニック映画。 FBIの捜査官が、殺人を目撃した青年を、ハワイから本土へ護送する飛行機の中で、青年を殺すために積み込まれた無数の毒蛇が乗客を襲い始める話。
わはははは! パニック映画なんですが、なぜか、爆笑できる場面が目白押しです。 蛇の数が多過ぎるせいかとも思ったんですが、この映画の場合、多過ぎても少な過ぎても、やはり笑ってしまうと思います。 飛行機に蛇を放して、人を殺すというアイデアそのものが、滑稽且つ陳腐なんですな。
サミュエル・L・ジャクソンさんは、作品を選ぶ俳優だと思っていたんですが、この映画は明らかに例外です。 彼以外に、有名な俳優は一人も出ていないし・・・。 全く無関係な乗客が、何十人死んだか分からないのに、ラストで、満足そうにニコニコ笑っているFBI捜査官って、人としてどーなんすかねえ。
≪デンデラ≫ 2011年 日本
浅丘ルリ子さんが主演ですが、草笛光子さん、倍賞美津子さん他、高齢の女優さんたちが、大勢出ています。 姥捨て山に捨てられた老婆達が、デンデラという隠れ里で生き延びて、自分達を捨てた村の男達に復讐しようとしたり、熊と戦ったりする話。
これは、ひどい。 よく、こんな程度の低い話を映画にしようなどと思ったものです。 また、出演した女優さん達も、気が知れません。 脚本を読んだ時点で、顎が外れるほどの、とんでも企画だという事くらい、分かりそうなもの。
原作者も、映画の制作者達も、みな男性のようですが、女性の考え方が全く分かっていないところは、驚くしかありません。 身近な女性を観察する機会がちょっとでもあれば、老婆達が何十人集まっても、決して、村を襲おうとか、熊と戦おうなどとは考えない事は、分かるはずですがねえ。 ストーリーの発想が完全に、男製なのです。
クライマックスが、熊との戦いというのも、動物愛護や、自然保護の精神が微塵も窺えず、恐ろしく大時代。 戦前の感覚ですな。 しかも、必然性がまるでなく、単に、後半のエピソードが足りなくなって、尺を延ばすためだけに、熊をダシにした疑いが濃厚だから、熱が出て来ます。
唯一の見所は、浅丘ルリ子さんが、珍しく、薄化粧で出ていて、この人の顔立ちの本来の可愛らしさが見られるところでしょうか。 浅丘さんを可愛いと思ったのは、30年ぶりくらいですな、私は。
≪シティー・ヒート≫ 1984年 アメリカ
バート・レイノルズさん、クリント・イーストウッドさん主演の、ハード・ボイルド。 禁酒法時代の終り頃、ギャングが対立しあう街で、相棒を殺された元刑事の探偵が、ある帳簿を巡る事件に巻き込まれ、昔の同僚の刑事と、協力したり対立したりしながら、ギャングと戦う話。
カテゴリー的には、間違いなく、ハード・ボイルドなんですが、コメディーがかなり入っていて、実際には、半熟といったところ。 コメディーならコメディーに徹すればいいのに、ドンパチでも見せようと欲張っているので、虻蜂取らずになっています。
84年というと、イーストウッドさんは、もう、≪ダーティー・ハリー≫シリーズの後期に差し掛かっていたころで、この時期に、こういう二流どころのアクション映画に出ていたというのは、意外ですな。 ダブル主演ですが、基本的には、バート・レイノルズさんの映画で、イーストウッドさんが、友情出演したのではないでしょうか。
≪SP 野望篇≫ 2010年 日本
テレビ・ドラマの方は、政治臭いので見なかったんですが、これは二時間以下だったので、気軽に見てみました。 なるほど、こういう変わった設定だったんですねえ。 エスピーの話と言うより、エスパーの話と言った方が、適当。
警視庁警備部警護課第四係に属する、特殊能力を備えた青年が、テロ事件を未然に防ぐ活躍を見せていたが、その能力ゆえに、国の中枢機構を変革しようと目論む組織から、邪魔な存在と見做され、命を狙われる話。
特殊能力と言っていますが、限りなく、超能力に近いです。 SPの職務を描いたものだと思って見始めると、冒頭で、未来予知としか思えない能力が出て来た時点で、一気に白けてしまいます。 実際には、未来予知ではなく、犯人の心を読む能力らしいですが、現実にはありえない事である点は、超能力と全く同じ。
政治家や秘密組織が出て来たりしますが、話は異様なほど単純で、ただ、超能力者を一人、始末しようというだけの事。 見せ場は、100パーセント、格闘アクションでして、舞台装置の複雑さに、中身が一致していないアンバランス感が、全編に漲っています。 一言で言うと、「変な感じ」の映画なのです。
岡田准一さんや真木よう子さんが、体を張った格闘を見せるわけですが、努力は認めるものの、二人とも体格がいいわけではないので、不自然に強いというか、無理やりやってる感が拭えません。 配役の時点で、失敗していたのでは?
銃を持っているくせに、有効に使おうとしないのも、何とも、奇妙。 あれだけ、過激な襲われ方をしていれば、一般の警官ですら、発砲が問題になる事はありますまいに。 単に、格闘を見せたいがために、銃の使用を控えているようにしか見えず、非常に不自然です。
≪SP 革命篇≫ 2011年 日本
≪野望篇≫の続編、というわけではなく、どうやら、この二本の映画は、本来一つの作品で、前編と後編を半年の間隔を置いて公開しただけの様子。 そういう事なら、≪野望篇≫で、アクション場面とストーリーのバランスが悪かった理由も、頷けます。
議員を警護して、国会議事堂に入った警視庁警備部警護課第四係のメンバーが、自分達の上司が中心になって引き起こした、衆議院占拠事件に遭遇し、たった四人で、占拠グループに立ち向かって行く話。
占拠グループは、「革命」を口にしているわけですが、実際にやったのは、単に汚職政治家に、罪の告白をさせる事だけで、とても、革命の発端になるような事件とは思えません。 発想が子供っぽいと言ってもいいです。
堤真一さんが演じる、占拠グループの頭目が、個人的な恨みで、首相に復讐する事を目的に行動を起こした点も、≪革命≫の看板とは次元が違うように見えるのです。 動機的には、二時間サスペンスのレベルですな。
そういう事は、映画の制作者達も承知しているようで、何とか、重み・深み・現実味を演出しようと思って、官僚グループや、公安グループなどを出し、対立構図を作って、工夫しているのですが、やはり、中身がないものはないのであって、どうにもカッコのつけようがない感じ。
やはり、≪野望篇≫同様、この映画の見せ場は、格闘アクション場面に尽きるという事になります。 アクションの激しさは、≪野望篇≫と、ほぼ同じ。 同じような格闘術で戦っているのに、なぜか、第四係の面々が必ず勝つのは、ご都合主義ですなあ。 一人くらい、重傷を負えば、リアルになるのに。
≪野望篇≫に比べ、こちらでは、銃がかなり使われます。 奇妙なのは、第四係の面々が、議事堂の廊下での発砲は控えているくせに、本会議場に入ると、バンバン撃ちまくる事で、周りには議員がうじゃうじゃいるのに、外れたらどうすんねん?と思わずにはいられません。
≪野望篇≫と≪革命篇≫を総合的に見ると、やはり、アクション場面偏重の欠点が目に付きますなあ。 どうせ、アクションをメインにするなら、衆院占拠などという大袈裟な舞台にせずに、もっと、地味な事件にしておけば、不自然にならなかったのに。
以上、20作まで。 2013年の2月末から、3月末にかけて見たものです。 そもそも、こんなに多くの感想を、何の為に書いたのかと言うと、2014年の3月までは、ホームページを持っていたのですが、そちらの、日記にアップしていたのです。
私は、2001年にインターネットを始めて以降、プロバイダーは、DION(au)を利用して来たんですが、岩手異動を前にして、フレッツ光を解約し、モバイル回線に乗り換えたので、auでやっていたホームページもブログも閉鎖する事になりました。 料金が、5分の1以下になったのは、大喜びだったんですが、ネット上のデータが消えてしまったのは、痛かったです。
で、映画の感想は、ネット上にアップされていないものが、ごっそり、手元に残っているというわけ。 数えてませんが、千くらいは、あるんじゃないでしょうか? ちなみに、全て、テレビ放送されたのを、家のテレビで見たものです。 映画館には、もう、20年くらい、行っていません。 最後に、映画館で見たのは、≪ガメラ2 レギオン襲来≫と、≪ノートルダムの鐘≫の二本立てでした。
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