2015/05/03

映画批評(16)

  毎日、遊んで暮らしているのに、なぜか、このブログの記事を書く時間が捻出できません。 一週間も間があるのに、なぜ、時間がなくなってしまうのか? まず、ネタが見つからないという事が大きいですが、他の事に時間を取られてしまっているのも事実でして、今の私の生活で、最も、多くの時間を占めているのは、「感想書き」です。

  働いていた頃から、仕事が閑な時期になると、テレビで放送する映画を片っ端から録画して見るようになり、一日、二本くらいならまだしも、三本も見て、却って、睡眠時間を削ってしまうという馬鹿な事をしていました。 それが、働かなくなってから、いくらでも、見れるものだから、今までに見ていなかった映画が放送されると知ると、全部、録画してしまい、見るのに忙殺され、感想を書くのに、また忙殺されるという、「二度死んだ男」みたいな状態になっている有様。

  その上、テレビ・ドラマの新作も見ていて、そちらの感想も、毎回分、書いているとなると、いくら、時間があっても足りません。 明らかに、やらなくてもいい事に、首を突っ込んで、自分で自分を苦しめているのです。 由々しい。 実に由々しい。 どうにかせねばなりません。

  という事情で、記事が用意できないので、映画の感想を出す事にします。 前にも、こんな事、やってましたな。 今、調べてみたら、≪映画批評≫という題で、15弾まで、やっていました。 えええーっ、そんなにーっ? 自分で驚いています。 ≪映画批評(15)≫の日付が、2013年の8月11日。 だけど、それらの映画を見て、感想を書いたのは、同年の2月の事のようです。  2年ちょい前で、停まっているわけだ。 さて、その後から、続けるべきか、最近の物に限るべきか・・・。

  考えてみれば、みんな、旧作ですから、最近のに限る理由もないですな。 では、古い方から出しましょう。




≪ターザン2≫ 2005年 アメリカ
  ディズニーのアニメ。 手描きですが、動きにコンピューターっぽいところもあります。 もっとも、手描きといっても、コンピューター上で手描きしているわけで、CGではないという意味。

  ゴリラの群の中で、幼いターザンが、自分が他のゴリラと違う事に悩み、崖から落ちた事故をきっかけに、群から離れて、ズーコーという化け物を装って、孤独に暮らしている老ゴリラの元で、自分探しをする話。

  ≪ターザン≫は、劇場公開されましたが、この≪ターザン2≫は、オリジナル・ビデオとして作られたそうで、それなりのクオリティーしかありません。 はっきり言って、子供向けで、大人が見て感動するような出来ではないです。

  ディズニーがアニメ化すると、どの作品も、元々、子供向けだったかのような錯覚を抱いてしまいますが、≪ターザン≫は、エドガー・ライス・バロウズが書いた、冒険小説がオリジナルなので、決して、子供向けの話ではないです。 しかし、この≪2≫は、バロウズとは無関係に、ディズニーで作ったストーリーでしょう。



≪長崎ぶらぶら節≫ 2000年 日本
  吉永小百合さん主演、渡哲也さん助演。 明治から、昭和初期にかけて、長崎に実在した、「愛八」という名の芸者の後半生を描いた映画。

  子供の頃、漁師の家から、長崎の遊郭へ身売りされた娘が、長じて、三味線の腕で名が知れた芸者になるが、ある時、客の民俗学者に頼まれて、二人で、長崎に伝わる唄を収集して回る内、学者に恋心を抱くものの、彼には妻がいて、添い遂げられぬまま、芸者として、一生を終える話。

  吉永小百合さんの主演映画は数あれど、主人公として、一人の女の人生を演じきったというと、これが代表的作品になるのではないでしょうか。 最初から最後まで出ずっぱりで、他の登場人物にウエイトが移る場面が、全くありません。 渡哲也さんは、完全に脇役です。

  遊郭物というと、ヤクザが絡んで、斬った張ったの血腥い話になるものがほとんどですが、これは、別格。 あくまで、芸者の人生を描く人間ドラマに徹していて、アクションで見せようなどとは、金輪際考えていないところが、好感が持てます。

  世話になっていた旦那と別れて、一人暮らしを始めた主人公が、一人で食事をする場面など、今までの遊郭物ではありえない、リアルな描写ですな。 ううむ、素晴らしい。

  肺病病みの妹弟子の入院費を出してやるとか、実家の弟に金を着服されるとか、ありきたりなエピソードがありますし、二人で長崎の唄を収集して回る部分が、もっと長くてもいいような気もしますが、全体的に見れば、それらの欠点が気にならないくらい、いい映画だと思います。

  ただし、戦艦土佐のエピソードは、確実に蛇足。 戦艦土佐のエピソードというのは、軍縮条約で、造ったばかりの戦艦を沈めなければならなくなったのを、海軍の軍人達に混じって、主人公までが嘆くのですが、なんで、芸者が、そんな感傷を抱くのか、不自然としか思えないからです。



≪華麗なる対決≫ 1971年 フランス・イタリア・スペイン
  ブリジット・バルドーさん、クラウディア・カルディナーレさん、ダブル主演の西部劇。 基本的にはフランス映画で、言語もフランス語が主です。 フランス人が作った町という設定ですが、西部と言うより、南部なんでしょうか。 南部なら、フランスの植民地だったので、ありえる事です。

  女ばかりの列車強盗5人組が、牧場の権利書を手に入れ、足を洗って、落ち着こうとするものの、その牧場の地下に油田があると知った、地元の乱暴物一家が乗り込んで来て、強盗団の頭目の女と、一家の長である姉が、力づく、色気づくで、張り合う話。

  フランス製の西部劇というだけでも珍しいですが、その上、コメディーです。 笑えはしませんが、この明るく楽しい雰囲気は、特筆物。 西部劇で、コメディーというのは、よほど、古いものを除いて、見た事がありません。

  B.BとC.Cを揃えたのは、色気勝負をさせるためなのですが、バルドーさんは、もう、美のピークを過ぎており、正直、見るに耐えません。 特に、目の周りに、全くインパクトがなくなってしまい、若い頃とは別人のようになっています。 残念至極。



≪ユー・ガット・メール≫ 1998年 アメリカ
  メグ・ライアンさん、トム・ハンクスさん主演のコミカル・ロマンス。 5年前の、≪めぐり逢えたら≫と同じく、ノーラ・エフロンさん監督・脚本。

  互いに何者なのか知らないまま、メール友達になっていた男女が、大型書店チェーンの経営者と、老舗の本屋の店主として出会い、いがみ合うが、やがて、男の方が、女をメールの相手だと知り、戸惑いやためらいを乗り越えて、現実世界での距離を縮めていこうとする話。

  現実世界とメール世界で、正反対の人間関係にある点が、コメディーの仕掛けになっているわけですが、いささか、策を弄し過ぎた嫌いがあり、笑えないばかりか、不自然さに、気分が悪くなって来ます。 ≪めぐり逢えたら≫とは逆に、男の方に腹が立つ話です。

  結局、男の望みは全て叶い、女は、多くのものを失うわけですが、あまりにも、不公平なため、洒落たロマンスを楽しむどころではありません。 この二人は、この後、結婚するのでしょうが、このヒロインは、親から受け継いだ店を、夫に潰された事になるわけで、そんな夫を愛せるんでしょうか?

  ヒロインの過去の思い出は、ほとんど、潰れた店と関連していると思われますが、それでは、夫を相手に、気楽な思い出話もできません。 親の仇と結婚したようなもので、こんな夫婦は、とても、長続きしないでしょう。 ノーラ・エフロンという人は、話の作り方が下手ですな。

  この邦題を見て、「なんか、変じゃないの?」と思った人は、学生時代に、英文法を真面目に習った人だと思います。 原題は、≪You've got Mail≫で、当然の事ながら、完了形の完了相です。 そうでなきゃ、「今、メールを受け取った」と知らせる意味にならんじゃないですか。 過去形にして、どうする?



≪マルタの鷹≫ 1941年 アメリカ
  ハンフリー・ボガートさん主演の探偵物。 ハード・ボイルド物の元祖みたいな位置づけになっている作品だとか。 題名だけ見ると、戦争物かスパイ物のようですが、そんな要素は全然ないです。 一種の羊頭狗肉。

  相棒と二人で探偵事務所をやっている男の元へ、妹を捜して欲しいという女の依頼人が訪ねて来たその夜に、相棒が殺され、その容疑者も別の者に殺されてしまい、女から事情を訊いた男が、「マルタの鷹」という歴史的価値がある彫像を狙う一味と接触し、事件の真相に迫る話。

  梗概が分かり難い時は、映画自体が分かり難いと思ってください。 いや、事件そのものは、決して複雑ではないのですが、語り方が遠まわしなので、結果的に分かり難い映画になってしまっているのです。 正直な感想、これのどこが名作なんだか、私にゃ、さっぱり・・・。

  「マルタの鷹」は、十字軍の時代に、地中海の島国、マルタの騎士団が、スペイン王に、謝礼として贈った、宝石で飾られた純金製の鷹の彫像という設定ですが、とにかく、高価な美術品であれば、どんなものであっても成立する話でして、この題名に騙されて、つまらんものを見てしまった、自分が情けないったら、ありゃしない。

  何がまずいといって、セリフばかり詰まっていて、映像作品としてのゆとりが感じられないところが、一番いけません。 とにかく、脚本をそのまんま映像にしただけで、全編、人が喋っている場面で埋め尽くされています。 こういうのは、字幕から目が離せず、すっごい疲れるのです。

  それに輪を掛けて、主人公が曲者で、探偵らしからぬ行動を取るので、話の展開が読めず、もやもやした気分が、ずっと続きます。 そして、最後に、一気に真相が明かされるわけですが、その頃にはもう、殺人事件の真犯人など、どーでもよくなってしまっているのです。 アメリカ映画で、これだけ、ド下手な語り方も、珍しい。

  そもそも、中心になる事件は、「マルタの鷹」の行方なのか、殺人事件なのか、どっちなのよ? 一遍に二つの事件を語って、混乱するなという方が無理でしょう。 あまりにも、つまらないので、途中、四回、寝てしまい、そのつど、巻き戻して見直しました。 無駄な時間だった・・・。



≪シンデレラ≫ 1950年 アメリカ
  ディズニーのアニメ。 念のために書いておきますと、シンデレラは、ディズニーのオリジナル作品ではなく、昔話が元です。 まったく、ディズニーがアニメ化すると、原作のイメージまで、ディズニー色に染まってしまう感がありますな。

  ストーリーは、知らない人がいないと思うので、梗概は割愛。 シンデレラが不幸な境遇に陥るまでの経緯は、前口上のナレーションで語られてしまい、いきなり、継母と継姉達にいびられるところから始まります。 終わりは、ガラスの靴に足が合って、王子と結婚するところまで。

  74分の作品ですが、知っての通り、シンデレラは、文章にすれば、10ページくらいで終わってしまう話なので、尺を延ばすために、大幅に水増しされています。 ところが、増やしたエピソードというのが、子供向けを意識したせいか、シンデレラの友達であるネズミ達と、継母の飼い猫の戦いになっているから、熱が出る。 とてもじゃないが、大人には、付き合いきれません。

  その戦いも、≪トムとジェリー≫のようなインパクトのあるギャグではなく、いかにもディズニー風の、毒のない、良い子向けのじゃれあいだから、もー、どーしょもないです。 同じ、昔話原作のディズニー・アニメでも、≪白雪姫≫に比べて、この作品の知名度が低いのは、この欠点のせいでしょう。

  ネズミなんか出すくらいなら、シンデレラの幼い頃から話を始めて、幸せだった生活が、実の母の死と、父の再婚を契機に、暗転していく様子を描けば、ずっと、見応えのある話になったものを。 なんで、ネズミやねん? ナメとんのか、われ?



≪シンデレラⅡ≫ 2001年 アメリカ
  ディズニーのアニメ。 たまげた事に、≪シンデレラ≫の51年後に作られた続編。 キャラデや背景のタッチは、合わせられていて、半世紀も間が空いているようには見えません。 しかし、タッチを写すのは、アニメーターの基本技術なので、それに関しては驚くに値しません。

  「昔話の続編というのは、どんな風に展開したのだろう?」と、興味津々で見始めたのですが、とんだ期待外れでした。 スカと言っても、過言ではない。 一本の話ではなく、三本の短編を括っただけで、しかも、シンデレラが主役なのは、一本だけ。 なんじゃ、こりゃ?

  第一話の、王子の妻になったシンデレラが、お城のパーティーのやり方を改革する話は、続編というには、エピソードがささやか過ぎ。 第二話の、ネズミのチャックが、シンデレラの役に立ちたくて、魔法で人間にしてもらう話は、完全な子供向け。 第三話の、継姉のアナスタシアが、町のパン屋と恋に落ちる話は、あまりに、ありきたり。

  よくもまあ、こんな脚本で、企画が通ったものです。 もろ、手抜きではありませんか。 やはり、オリジナルがスカだと、続編もスカにならざるを得ないんでしょうか。 それにしても、これはひどい。



≪シンデレラⅢ 戻された時計の針≫ 2007年 アメリカ
  ディズニーのアニメ。 ≪Ⅱ≫から、6年経っていますが、私が思うに、その間に、「≪Ⅱ≫が、≪シンデレラ≫の続編というのは、あまりにもひどいのではないか・・・」と、ディズニー内部で、議論が交わされたのではありますまいか。 で、改めて、続編らしい続編を作ったと。

  シンデレラが王子の妻になって以降、落ちぶれた継母と継姉達が、魔法使いから杖を取り上げ、舞踏会の翌日まで時間を巻き戻した上、王子の記憶を変えて、継姉のアナスタシアが、ダンスの相手だったと思い込ませたため、シンデレラが、ネズミや小鳥達の助けを借りて、お城に潜入し、王子の心を取り戻そうとする話。

  これなら、まあまあ、まともに鑑賞できます。 ただし、絶賛するような出来ではありません。 どうにかこうにか、普通に見れるといったレベル。 前二作と違って、王子にキャラクターが与えられていて、意思を持って行動しているところが、何よりも宜しい。

  アナスタシアは、≪Ⅱ≫で、町のパン屋と結ばれているはずですが、この≪Ⅲ≫では、その設定は、リセットされています。 もしかしたら、≪シンデレラ≫と≪Ⅱ≫の間に入る話として、考えたのかもしれません。



≪ビロウ≫ 2002年 アメリカ
  第二次世界大戦中の大西洋を舞台にした、潜水艦物。 沈められた病院船の生存者を救助したアメリカの潜水艦が、ドイツ軍の駆逐艦に追われて、なかなか浮上できず、酸素が足りなくなる中、艦内で奇怪な事件が相次ぎ、やがて、事故死したと思われていた艦長の、本当の死因が明らかになっていく話。

  ホラーと見せかけて、実は、犯罪物です。 ホラー的サスペンスが見所なので、それを書いたら、ネタばれになってしまうわけですが、そこを敢えて書くのは、大して面白い映画ではないからです。 潜水艦物としては、≪レッド・オクトーバーを追え≫や、≪U‐571≫よりはマシなものの、≪U・ボート≫や、≪K-19≫には、遠く及びません。

  潜水艦物というより、閉鎖空間で追い詰められる恐怖という、≪エイリアン≫的な面白さを狙っているのだと思うのですが、それなら、本当にホラーにしてしまった方が、流れが自然になったと思います。 強いて誉めれば、CGを使った、海中場面だけは、よく出来ています。



≪花咲ける騎士道≫ 1952年 フランス・イタリア
  18世紀、ルイ15世時代のフランスで、王女と結婚するという予言を信じて、軍隊に入った青年が、彼のために王に借りを作り、追われる事になった娘を助けるために、奮闘する話。

  この作品、ちょっとした傑作として映画史に名を刻まれているようですが、実際に見てみると、やはり、古いです。 もろ、時代活劇。 フランス映画も、この頃には、ベタなストーリーを語っておったんですなあ。 だけど、つまらない映画ではありません。

  剣劇ですが、コメディー仕立てになっていて、終始明るい雰囲気で話が進みます。 斬り合いはあるものの、人は一人も死んでいないんじゃないでしょうか。 その分、甘い話になっていて、隣国との戦争の成り行きも、おちゃらけで片付いてしまいますが、まあ、それはそれで許せてしまう話なのです。

  原題は、≪FANFAN LA TULIPE≫で、強いて直訳すれば、≪チューリップ・ファンファン≫。 ファンファンというのは、主人公の名前。 チューリップは、渾名です。 邦題には、騎士道という言葉が入っていますが、騎士というより、銃士と言った方が適切。 一応、剣も使うけれど、戦闘の主役は、銃になっているという時代なんですな。

  よく、≪スター・ウォーズ≫の原型は、≪隠し砦の三悪人≫だと言われますが、この映画を見ると、更に、その原型を見たような気分になります。 ラストの表彰式なんて、そっくりですな。



≪ALWAYS 三丁目の夕日'64≫ 2011年 日本
  シリーズ、第三作。 ようやく、本当の高度成長期に差し掛かり、各家庭にテレビが普及し始める時代になりました。 なぜ、特別に、1964年なのかというと、東京オリンピックがあった年だからです。

  鈴木オートの整備士、六ちゃんが、青年医師と恋に落ちる話。 駄菓子屋の小説家、茶川先生と、彼を追い上げる新人作家の話。 茶川先生と、死に掛けている父親の因縁話。 茶川夫妻の子供の誕生の話。 ・・・などが語られます。

  茶川先生絡みの話がほとんどですな。 堤真一さんが演じる、鈴木オートの社長は、このシリーズ切っての、好感度キャラなんですが、どんどん露出が減っていく傾向にあります。 勿体ないなあ。

  もはや、映画というより、連続ドラマを数話分ごとに編集し直して、劇場公開しているような趣きです。 こうなってしまうと、単独の作品として、ああだこうだと批評し難いところがありますな。 実際のところ、概ね、いい作品だと思うのですが、強いて難点を挙げるなら・・・。

  茶川先生が、養子の淳之介を追い出す件りは、お涙頂戴の度が過ぎるように感じられます。 自分が父親にされたのと同じ事を、淳之介にしたわけですが、自分自身がいい例であるように、厳しくされたからといって、必ず、小説家として成功するわけではないのですから、「何も、こんな、むごい別れ方をしなくてもよかろうに・・・」と思ってしまうのです。



≪ブリジット・ジョーンズの日記≫ 2001年 アメリカ・イギリス
  題名だけは前から知っていて、「日記」という言葉がついているので、内向的な女性の話かと想像していたんですが、とんだ思い違いでした。 男に飢えたメスブタですな。 こんな女が、律儀に日記なんぞ、つけられるものかね。

  男にだらしがない割に、結婚相手を見つけられないまま、32歳になってしまったOLが、今度こそ、悪い男に引っ掛からないようにするため、日記をつける事で、自分の行動を律しようとするものの、早速、色悪の上司に引っ掛かり、幼馴染のバツイチ男との間で、三角関係に陥る話。

  題名が知れ渡っているという事は、評価が高かったという事でしょうが、私の感覚では、不自然な話としか思えません。 わざわざ、主演女優を太らせて、太めの女を主人公にしたらしいですが、性格が図抜けて良いというのならともかく、目も当てられないグダグダ人間でして、外見も悪い、性格も悪い、こんな女が、いい男二人から求愛されるなど、現実には、ありえますまい。

  また、主演の女優さんが、ただ肉付きが良過ぎるだけでなく、顔がパッとしないんですわ。 ブスではないけれど、美人と言うには、普通過ぎる顔なのです。 よく、これで、オーディションに通りましたねえ。

  逆に言うと、こういう、パッとしない主人公が、いい男にもてる話だから、同じようにパッとしない女性の観客に受けたのかもしれません。 男の目から見ると、ただただ、下品で、悪趣味で、醜悪なだけの映画なのですがね。



≪ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月≫ 2004年 アメリカ
  ≪ブリジット・ジョーンズの日記≫の続編。 本当に、前作の続きの話で、こういうのを、真の意味での続編と言うのでしょう。 そして、しょーもなさも、律儀に受け継いでいます。

  ようやく、求めていた男性と巡りあったと思っていた主人公が、己のドジの連続で、彼氏との間に距離を感じ始め、一旦別れて、前の男と共に、仕事でタイへ取材へ行ったら、密輸事件に巻き込まれてしまい、どん底の境遇に陥る話。

  物語の中の時間は、前作が終わった後、数週間後から始まるのですが、制作には、3年の間が空いていて、主人公の肥え方は、数週間しか経っていないとは思えないほど、加速しています。 この女優さん、本当に役作りのために太ったんですかね? ただの、喰い過ぎなのでは? もはや、「太め」ではなく、明らかに、「デブ」です。

  容色がより衰え、ドジ度も上がっているせいで、ますます、主人公に感情移入するのが難しくなっています。 こんな人、放っておくのが一番でしょうに。 無理にいい男と結婚しても、その後も、恥の多い人生を送るだけだと思いますぜ。



≪チャイコフスキー≫ 1970年 ソ連
  チャイコフスキーの伝記映画。 名前こそ知れ渡っていたものの、常に金欠生活が続いていたチャイコフスキーと、彼の音楽の熱心なファンで、パトロンとして資金援助をしていた貴婦人の、プラトニックな交友を軸に、若い女との結婚の失敗や、創作上の苦悩などを描いた話。

  時代はロシアの帝政晩期、19世紀の後半です。 死の寸前まで話が至りますが、チャイコフスキーの没年は1893年ですから、まあ大体、その前の30年くらい間の話なんでしょう。 チャイコフスキーやその下僕の髪が、次第に白くなっていくので、何十年かは経っているのだな、と分かる寸法。

  暗いというか、寒いというか、こういう雰囲気の映画は、ソ連・ロシア以外では、作れないのではありますまいか。 とにかく、テンションが上がる部分が、ほとんどありません。 しかし、つまらないというわけではなく、見始めると、独特の雰囲気に浸りこんでしまって、最後まで、見てしまうのです。

  作曲家の伝記映画というと、≪アマデウス≫がありますが、この映画には、そちらほどのストーリー性はないので、同類の面白さを期待していると、肩透かしを喰らいます。 ≪アマデウス≫と共通しているのは、天才と呼ばれる芸術家でも、幸福な人生を送ったわけではない事が分かるところ。

  華麗にして壮大な雰囲気を持つ、チャイコフスキーの曲が、たくさん使われていて、映像の陰鬱さを中和するのに、かなりの効果を発揮しています。 しかし、≪くるみ割り人形≫の曲は出て来ません。 楽しい雰囲気の曲なので、映画に合わないと判断されたのでしょうか。



≪バレンタインデー≫ 2010年 アメリカ
  ロサンゼルスに住む十数人の男女が過ごす、バレンタイン・デーの様子を追った、恋愛群像劇。 シャーリー・マクレーン、ジュリア・ロバーツ、アン・ハサウェイ、ジェイミー・アダムスなど、名が通った俳優さん達も出ていますが、ストーリー上の重要度は、知名度に比例しておらず、「ちょっとだけ、出て」と頼まれて、友情出演した雰囲気が濃厚。

  2003年のイギリス映画に、≪ラブ・アクチュアリー≫というのがありましたが、アイデアは、そのまんまパクリです。 エピソード間の関連性が薄い点や、俳優の顔ぶれが、有名・無名入り混じっているところまで、そっくり。 こういうのは、アイデア盗用で、問題にならないんですかね?

  ≪ラブ・アクチュアリー≫ではクリスマスだったのが、こちらでは、バレンタイン・デーになっているだけ。 アメリカでも、バレンタイン・デーというのはやるんですね。 もっとも、日本と違って、贈るのは、チョコではなく、専ら、花。 告白の方向も、性別を問わないようですが。

  ストーリーは、あまりにも多くのエピソードが入り混じるので、とても要約できません。 登場人物が多過ぎて、最初の内は、誰がどの人と関連しているのか分からずに、見る者の脳に大きな負担がかかります。 その上、カット割りが細かいので、話がぴょんぴょん飛び回って、≪ラブ・アクチュアリー≫以上に、目まぐるしいです。

  しかし、後半になると、大体の流れが読めてきて、まあまあ、理解可能な話に纏められて行くのが分かるようになります。 ただし、一つ一つのエピソードは、ありきたりなので、感動に至るような事はありません。 恋愛群像劇というのは、映画でやるには、無理があるような気がしますねえ。



≪デーブ≫ 1993年 アメリカ
  主演のケビン・クラインさんより、助演のシガニー・ウイーバーさんの方が、有名か。 というか、ケビン・クラインさんて、他の作品を見た事がないですな。 ≪ソフィーの選択≫に出てた? あの、乱暴者の男? 顔は、忘れたなあ。

  小さな人材紹介会社を営む傍ら、大統領にそっくりな容貌を活かして、出張モノマネ・サービスをやっていた男が、大統領の代役として一晩だけ雇われるが、その間に、浮気中だった大統領が脳卒中で重態になってしまい、契約延長して、大統領の代役を続ける話。

  基本アイデアは、≪王子と乞食≫がベースだと思います。 ただし、本物の大統領は、すでに植物人間なので、主人公が元の立場に戻る時の仕掛けは、ずっと込み入ってます。 副大統領の存在を、非常に巧く使っており、流れに不自然さがありません。

  実際には、およそありそうにない話ですが、細かいところまでよく練られていて、見ている内に、納得させられてしまうから、大した脚本の腕。 そもそも、主人公に代役を続けさせようと言い出した張本人が、途中から敵になるというのも、面白いですなあ。 実に、見事なストーリー展開です。

  セットだとは思いますが、ホワイトハウスの中が、ふんだんに映ります。 飛び抜けて、豪華でも、ハイテクでもないところが、ちと意外。 ラストですが、前大統領の未亡人が、これから市議選に出ようとする男と恋に落ちたら、それはそれで、ニュース・ネタになってしまいそうですな。



≪ノルウェイの森≫ 2010年 日本
  録画してから、二ヵ月近く放置していて、ようやく、見ました。 いや、正確に言うと、最初の一時間は、普通に見たのですが、耐え切れずに、後は、1.3倍で早送りしました。 理由は、あまりにも、退屈で、しかも、陰鬱だから。 その上、長過ぎ。

  原作は、某有名作家の出世作ですが、私は、20年くらい前に読んでいて、それ一作で、「もう、この人の小説は、読む必要ないな」と、判断した人間です。 その当時、世界文学の古典を読み漁っていたので、それらと比較すると、どうにも、高い評価ができなかったのです。

  出会う女と片っ端から性交してしまう主人公に、強烈な嫌悪感を覚えただけでなく、そういう小説を書いた作者の考え方や、そういう作品を持て囃している読者達の反応に、抜き難い反発を抱いたという次第。 外国で話題になったと聞いても、「ただ、低劣な人間に受けただけだろう」としか思いません。

  で、この映画ですが、映像美重視で、自然風景の描写などは、いい雰囲気を出していると思うものの、原作のしょーもないストーリーはそのままでして、とてもじゃないけど、貴重な時間を割いてまで、見る気にはなれません。 いや、よほど閑な時でも、これを見るのは苦痛ですわ。

  こういう若者達に、価値を感じないのですよ。 ただ、動物的反応で生きているだけのように見えるのです。 人間に見えない。 過去にショッキングな事件があって、精神に変調を来たした? そんなの、私には、何の興味もないです。 おかしくなった同士で、勝手にやってくださいな。 この主人公やヒロインに、シンクロせーっちゅー方が無理でしょうが。

  原作の欠点には触れないとしても、女性の登場人物の配役が、おかしくないですか? 菊地凛子さんは、撮影時、すでに20代後半だと思うのですが、20歳の役をやらせるのは、無理があるでしょうに。 松山ケンイチさんは、年齢的には問題ないですが、濡れ場で、否でも目に飛び込んで来る白いブリーフがなあ・・・。



≪世界の中心で、愛を叫ぶ≫ 2004年 日本
  大沢たかおさん、長澤まさみさん、森山未來さん主演。 これも、知らない人がいないくらい有名になった映画。 私は見た事がなくて、先に、韓国版リメイクの≪僕の、世界の中心は、君だ。≫の方を見ていただけでした。

  結婚を間近に控えた男が、同郷の婚約者が、突然、姿を消してしまったのを追って、故郷の町へ帰ると、高校時代に、病気で死に別れた恋人の記憶が甦り、恋人の残したカセット・テープの声を聞きながら、思い出の場所を彷徨して、当時を振り返る話。

  原作は、こういう形式ではないようで、テレビ版、映画版、韓国版で、かなりの異同がある模様。 しかし、高校時代の死別という、基本部分は同じです。 かなり、ベタな、難病物。 しかも、病名が白血病というから、もう、ベタもベタ、ベタベタ。

  しかし、高校時代に限って言うなら、悪い話ではないです。 話の展開に無理がなくて、お涙頂戴になっていないところは、巧み。 問題は、現在の方で、東京で出会った婚約者が、実は、かつて、ヒロインから主人公への、カセット・テープの届け役をしていた小学生だった、という設定は、明らかに、捻り過ぎです。

  しかも、交通事故に遭って、最後のテープを渡せなかったというのですが、別に、怪我が治ってから渡しても良かったはずですし、ヒロインが死んだ事を知らなかったというのも、不自然です。 数奇な巡り合わせを演出しようとして、やり過ぎて、傷をつけてしまったんですな。

  高校時代のみに限るなら、長澤まさみさんの演ずるヒロインが、実に魅力的で、もう、それだけで、映画の価値を2倍くらい高くしています。 高校時代に、こういう彼女がいたら、そーりゃ、幸せだよねえ。 もっとも、そんな彼女が死んでしまったのですから、不幸の度も、並大抵ではないわけですが。



≪7つの贈り物≫ 2008年 アメリカ
  ウィル・スミスさん主演。 ≪幸せのちから≫と同じ監督で、何が共通しているかというと、話の暗い雰囲気です。 この監督、最終的に、いい話になれば、そこに至る経過は、どんな語り方をしても構わないと思っている様子。

  過去に、自分のミスで、大きな事故を起こしてしまった男が、その償いのために、犠牲者の数と同じ数の人間を助けようと、身を捨てて、努力する話。

  うーむ、この梗概、結構、配慮して書いたつもりなんですが、それでも、書き過ぎているかもしれませんな。 この映画、謎が仕掛けられていて、主人公の意図が、少しずつ分かっていくようになっているので、ストーリーを分かり易く要約すると、ネタバレになってしまうのです。

  現実には、こういう事をするほど、贖罪意識が強い人はいないと思うので、不自然な話という感は否めません。 クライマックスの衝撃度は高いものの、こういう衝撃は、あまり受けたくないものですなあ。 「ここまでせんでも・・・」と、思ってしまうのです。

  後半、実質的なヒロインである、印刷工房の女性との交流は、とても感動的です。 古い機械で、結婚式の招待状を印刷する仕事、という設定が、洒落ています。 また、壊れていた機械を、MIT出身の主人公が、こっそり直してやるのも、粋な展開。

  このヒロインの女優さん、ロザリオ・ドーソンという人ですが、型に嵌まった美人ではないのに、演技力で魅力を作り出しているのは、大したものです。 ラスト近くで、バスタブの湯に耳まで浸かって、心臓の音を聞く場面は、秀逸。



≪牙狼<GARO> RED REQUIEM≫ 2010年 日本
  えーとー・・・、これは、何と言いましょうか・・・、困ったな。 こういうのは・・・。 人間界を乱す魔獣を狩るために、放浪を続ける魔戒騎士が、ある街で、魔鏡の中に棲む魔獣の存在を知り、魔戒法師の女と共に、魔鏡の中に入って行く話。 全然、分からんすか? 無理もない・・・。

  作品全体のイメージとしては、ファンタジー・アクション系のゲームの世界や、テレビの戦隊ヒーロー物が近いです。 では、子供向けかというと、そうではなく、女性の裸がポンポン出て来るので、「一体、どの年齢層を狙って作ったの?」と、首を傾げてしまうのです。

  ストーリーは、よく言えば、シンプル、悪く言えば、シンプル過ぎで、理屈も糞もなく、ただ、ヒーロー一味が魔物を倒しに行くだけの話。 人間ドラマらしきものも、一応ありますが、これは、臭過ぎて、評価のしようがありません。 セリフの不自然さにかけては、当代随一。

  見所は、戦闘場面のアクションのみにあります。 やたらと勿体つけたポーズや、CGによる特殊効果が満載で、最初の内は、アホ臭くて、フリーズしてしまいますが、中盤の、クラブ(旧ディスコ)での乱闘場面に至ると、あまりにも激しい戦いに、いつのまにか、手に汗握っている自分を発見して、この作品の価値を、初めて認識する事になります。

  クライマックスの戦いは、ちょっと、CGを使い過ぎていて、逆に、盛り上がりに欠けます。 主人公が、黄金の鎧を着ると、最強になるという設定なのですが、鎧姿は、フルCGになるため、動きに生気がなくなってしまうのです。 やっぱり、生身の人間のアクションが元になっていないと、リアルさが保てないんですな。




  このくらいにしておきましょうか。 これで、20作です。 以前は、15作くらいずつ出していましたが、そのペースでは、いつまで経っても、現在に追いつきそうにないので、少し増やした次第。 20出しても、これらの作品を見て、感想を書いていたのは、まだ、2013年の2月の内です。 一体、どういう生活をしてたんでしょうね、私は?


  今、ふと思ったんですが、引退後、やる事がなくて困っているという人は、テレビだけは、必ず見ているわけだから、「映画ブログ」や、「ドラマ・ブログ」を立ち上げて、感想を公開すればいいのではないですかね? ネットの特性は、リアルタイム至上主義から解放されている事でして、古い作品の感想でも、問題ありません。 読みたい人は、タイトルを検索して、やって来るから、新作だろうが、旧作だろうが、関係ないんですな。

  ただ見ているだけだと、頭がボケる。 その点、感想を書くとなると、感想自体を、読み物として、ある程度、内容のあるものにしなければならないから、それなりに頭を使い、ボケ防止になるはず。 感想の書き方が分からない場合、カテゴリー、アイデア、ストーリー、配役、演技などを分けて観察し、それぞれについて思った事を、一行か二行書いて並べるだけでも、結構、それらしいものになります。

  注意事項としては、コメントとトラックバックは、必ず、受付拒否にしておく事。 映画の感想ごときで、論争など、あまりにも、馬鹿馬鹿しい。 読み手の反応を意識していると、思った事が書けなくなりますし、無視されている間はいいけれど、頭のおかしな連中に喰い付かれて、ろくでもないコメントを打たれたりした日には、胸糞悪くて、夜も眠れなくなります。 キチガイには、近づく隙を与えないのが一番です。