2015/02/22

濫読筒井作品⑫

  濫読三連続の最終回です。 これでまた、しばらく、筒井作品の感想ともおさらばですなあ。 実は、文庫本蒐集計画の時に手に入れた本で、感想を書いていないものが、何冊かあり、それらを取り上げるという手もあるのですが、そんな事をし始めると、80年代以前の作品については、一冊も感想を書いていないわけで、全作網羅などという事になったら、どえらい大事業になってしまうので、避けておきます。

  冗談じゃないよ。 そんな事に手を着けた日には、筒井作品だけというのも偏っているから、星新一さんや、小松左京さんのも、書く事になり、一作当たり、三行で片付けたとしても、私の残りの人生を、全て、投入しなければならなくなります。 ちなみに、感想文というのは、不思議なもので、大長編でも、ショートショートでも、感想の長さは、大差なくなります。 感想文をあまり書きたくない人は、大長編ばかり読んでいれば、読んでいる時間の方が、圧倒的に長くなるから、楽になりますな。

  ・・・いや、別に楽じゃないか。 大長編は、読むのもきついですからねえ。 なんだろね、あれは。 同じ読書でも、短編とは、取り組む時の心理が、全く違うんですな。 読むのが楽しみだから読み始めるのに、なぜか、長編は、楽しさときつさが同居しながら、最後まで進んで行くんですよ。 きついのが分かっているんだから、読まなきゃいいという気もするんですが、それを上回る達成感が待っていると思うと、ついつい、読んでしまうんですなあ。



≪現代語裏辞典≫

文芸春秋 2010年
筒井康隆 著

  筒井さんが作った辞典と言うと、≪欠陥大百科≫や、≪乱調文学大辞典≫がありますが・・・・

  という書き出しで、書き出そうと思ったら、他のブログでも、全く同じ書き出しで書き出しているところがあり、「いかん・・・、ファンや読者の考える事は、みんな、似たり寄ったりか・・・」と、がっくり来て、どてっと寝込み、立ち直るまでに、15分くらいかかりました。 いや、同じ本を読んだ感想なのだから、似たものになっても、別におかしかないんですがね。

  で、この、≪現代語裏辞典≫ですが、アマゾンで見てみると、現在、新刊で、2500円くらいします。 ≪欠陥大百科≫は、文庫本化されていないせいで、まだ、読んだ事がないのですが、百科辞典形式の随筆集らしく、242ページというページ数からみて、さほどの大著ではないと思われます。 ≪乱調文学大辞典≫は、「大辞典」とは言うものの、文庫本一冊の半分で収まるくらいですから、分量的には、全く大したものではありません。 それに比べると、≪現代語裏辞典≫は、モノホンの「辞典」でして、445ページもあります。 装丁も、パロディーの域を超えた立派さで、2500円でも、ちっとも、おかしくないように見えます。

  もちろん、ケチな私が、2500円も出すわけがなく、読んだのは、図書館の本。 しかし、読み始めると、すぐに、後悔する事になりました。 この辞典は、借りて読むのは、やめた方がいいです。 借りると、返却期限がありますから、極力、急いで読み終わらねばならないわけですが、何せ、辞典なので、急ぎ読みに向かないんですな。 私は、五日間かけて、読みましたが、根を詰めたせいで、胃が痛くなってしまいました。 もっとも、この胃痛は、小口のマーブル模様と、五日間も睨めっこし続けたからかもしれませんが・・・。 

  この本の面白さを、100パーセント堪能する為には、まず、読書環境を整えなければなりません。 新刊で買うか、古本が出るのを待ち、自分の物にしてから、一日、10ページくらいずつ、ちょぼちょぼ読んで行くのが、理想的です。 至って、「枕頭の書」向きなのです。 普通の辞典にはない、紐の栞が付いていますから、それは、つまり、「1ページ目から始めて、全てを読め」という事なんでしょう。

  逆に、普通の辞典のように、「必要な時に、引く」という使い方が出来るのかというと、たぶん、できないと思います。 コメディーの脚本家でも仕事にしていて、ネタの参考にするという人でもない限り、まーあ、そんな使い方はしないでしょう。 そういう人でも、そのまんま使えば、盗作になってしまいますから、注意が必要。 一般人でも、会話のネタ本にできない事はないですが、皮肉が大半なので、こういう事ばかり口にしていると、友人を失いそうです。 すでに、友人など一人もいないという人は、心配無用ですが、逆に、会話の機会もないわけで、やはり、ネタには使えません。

  どんな内容か、ちょっと、引用しますと、

あい【愛】すべて自分に向ける感情。 他へはお裾分け。
あいかぎ【合鍵】他人がもっている方が多い鍵。
あいがん【哀願】「殺さないでくれ」という歌をヨーデルで歌うこと。
あいけん【愛犬】いくら愛しても妊娠する心配のない相手。

  といった調子です。 「現代~」と付いていますが、例を見ても分るように、必ずしも、現代語だけというわけではありません。 見出し語は、すべて、名詞で、他の品詞は出て来ません。 形容動詞の語幹はありますが、名詞としても取れるものだけで、【華やか】とか、【静か】といったものはないです。 ざっと見て、7割が、引用例に挙げたような、「皮肉」。 2割が、「下ネタ」。 1割が、「ダジャレ」。 皮肉には、ブラック・ユーモアが多いです。 ダジャレは、オヤジ・ギャグ程度のものと、教養がないと分からないものが入り混じっています。 下ネタは、下ネタ。 全体的に見て、ジョークというよりは、エスプリ系の笑いですな。 大笑いするものもありますが、気持ちよく大笑いしたかったら、上述したように、一日に読む量を制限した方がいいです。

  筒井さんの事だから、おそらく、各項目、もっと細かく書けば、10倍くらいの量になったのではないかと思いますが、自制して抑えた形跡あり。 項目数、12000ですから、書きたい事を全部書いていたのでは、完成する前に、お迎えが来てしまいます。 おっと、「お迎え」などという言葉を使うのは、冗談でも、まずいか。 筒井さんの年齢が、微妙な領域に入って来ているからなあ。 もっとも、この辞典には、「死」をちゃかしている項目が、うじゃうじゃあるんですがね。

  「今からでも、禁煙すれば、長編一作分書くくらい、寿命が延びるんじゃないですか?」とか言われた日には、怒るだろうなあ。 「禁煙なんぞするくらいなら、5・6年早く死んだ方がマシだ!」と、握り拳で、ガラスの灰皿を叩き割るに違いない。 カート・ボネガットさんなんて、数年に一作、長編を発表するだけで、明らかに、寡作作家だったのに、晩年に、次回作について質問されると、「もう、さんざん書いて来たんだから、いい加減にして欲しい」と言っていたとか。 それに比べりゃ、筒井さんのファンは、どれだけ、幸せか知れません。 こんなにサービスのいい文豪が、かつて、存在しただろうか?

  元は、雑誌、≪遊歩人≫に、2002年から、2007年まで、その後を引き継いで、≪オール讀物≫に、2008年から、2009年まで、連載されていたもの。 朝日ネットの筒井さんの会議室に集った、42人の協力者から、2200項目分のアイデアを提供されたとの事。 ただし、複数の人間が書いたようなバラツキは感じられないので、そのまま使っているわけではないと思います。

  何度も書くようですが、一日に読む分量を控えさえすれば、大変、面白い本です。 この、人を喰い散らかした内容で、辞典の体裁をほぼ完璧に備えた本が完成し、実際に出版されたというのが、奇跡的。 「奇書」というのは、このような本の事を言うのでしょう。 私も、古本で、値段が下がって来たら、買うつもりでいます。 文藝春秋社だけど、文春文庫には、ならんだろうなあ、たぶん。 もし、なったとして、コンサイスなどと同じ、ペラペラの紙で作ったら、面白くなりそうです。

  ところで・・・、筒井さんのファンなら、思いつきそうな事ですが、

「≪舟を編む≫のパロディーで、映画化して下さい」

  とか、言うなよ。

「タイトルは、≪泥舟を塗る≫なんて、どうでしょう?」

  なんて、狸も鼻で笑うアイデアは、端から要らんぞ。

「もちろん、監修者の学者役は、筒井さんが演じるという事で」

  あああ、それを言い出されるのが、一番怖いのだ! この期に及んで、主演級で、映画出演などされたら、今後の作品数が減ってしまうではないか!

「わしは、この辞典の完成に、命を懸けとるんじゃ!」

  と、握り拳で、ガラスの灰皿を叩き割るカットを、予告CMのラストで使えば、確かに、大入りするとは思いますが・・・。



≪わかもとの知恵≫

金の星社 2001年
筒井康隆 著
きたやまようこ 画

  わかもと製薬が、戦前から戦中にかけて、「錠剤わかもと(強力わかもと)」の付録として発行していた、≪重宝秘訣読本≫という、生活の知恵を集めた小冊子があり、子供の頃、それを読んで、便利な知識を多く得た筒井さんが、「今の子供にも、そういう本があった方がいいだろう」と考えて、エッセイに書いたところ、それを読んだ、児童書の出版社が、「出しましょう」と持ちかけて来て、実現した本。 ≪重宝秘訣読本≫を元にして、筒井さん自身が体験で得た知恵も書き加えた内容になっています。

  221ページで、全六章。 例として、各章、一つずつだけ、項目の見出しを出しますと、

【健康編】 出そうなあくびを止める知恵
【食べ物・飲み物編】 へやのいやなにおいを消す知恵
【身のまわり編】 ぬれたくつをかわかす知恵
【屋外編】 草木や切り株で方角を知る知恵
【つきあい編】 好きな人に話しかける知恵
【遊び・勉強編】 ジャンケンの勝率をあげる知恵

  全部で、100項目くらいあり、大人でも、使えるものが、かなり含まれています。 子供なら、読んでいる内から、そわそわして、試してみたくて仕方なくなるのではないでしょうか。 昨今の流行では、「科学手品」に似たようなところもありますが、こちらは、見た目の面白さではなく、実際に役に立つという点が、特長です。

  大人であっても、社会に出てから、他人に比べて、知らない事が多いのを思い知らされ、劣等感に苛まれているという人は、この本を読んでおけば、多少は、生きる事に自信を持てるようになるでしょう。 小学生の頃、クラスに必ずいた、「頭がいい子」と、「馬鹿な子」の違いは、とどのつまり、「知っているか、知っていないか」の違いなのです。 知能の差というのは、子供の頃には、あまり目立ちませんから、知識量の差で、勝負がついてしまうんですな。

  ちなみに、私は、小学生の頃、知能指数テストでは、学校ダントツでしたが、知識がなかったせいで、つきあっていた優等生グループと比較され、常に、馬鹿扱いされていました。 知能指数テストの結果は、当人には知らせてくれないので、私自身、自分の事を、ずっと、馬鹿だと思っていたのですが、何年か後になって、教師から聞いたという、別の生徒の話で知った次第。 別に自慢話をしているわけではなく、つまり、知能だけあったって、知識がなければ、何の役にも立たないという事を言いたいのです。

  筒井さんの知能指数は、子供の頃から、半端でなく高かかったそうですが、同時に、知識もふんだんに得られる環境にいたのが羨ましいです。 まあ、私の親みたいに、子供が、「本が欲しい」と言っているのに、「自分の小遣いで買いな」で済ませてしまうようでは、大成は望めませんわな。 そういや、私が小学生の頃ですが、友人だった優等生の家へ行くと、壁一面の本棚に、ぎっしりと、絵本や児童書が並んでいましたよ。 彼の親は、どうやれば、子供に知識を与えられるか、分かっていたんでしょう。


  本の話に戻りますが、はっとするものもある一方で、「子供に、こういう事を教えない方がいいのでは?」と思うものも、ごく僅かですが、混じっています。 「犬にほえられたときの知恵」は、ちと危ないです。 深呼吸するより、犬が入って来られない所へ逃げた方がいいと思います。 「相手の名前が思い出せないときの知恵」も、かなり際どい。 相手の立場になってみると、名前を忘れられるのと、別人と間違われるのと、どっちがマシかという事になり、私の感覚では、どっちも大差ないような気がします。

  「いやなことを言う人からにげる知恵」は、ミイラ獲りがミイラですな。 その後、そいつとは会わないというのなら、使えますけど。 「いじめからのがれる知恵」は、編集者が添えている、「レポート」でもツッコまれていますが、大人っぽく見せる為に、異性の友人を作るというのは、自力でいじめから逃れるのと同じくらい、至難の業ではないかと思います。 顔がいい筒井さんだから、容易にできたのではないですかね?

  「つかれたとき『強力わかもと』を飲む知恵」も、どんなものかと・・・。 別に、嘘を書いてあるわけではないのですが、栄養剤というのは、他の銘柄もあるわけで、特定の商品だけ薦めるというのは、ちょっとねえ。 子供の場合、ジョークや洒落とは受け取らないんじゃないでしょうか。 真に受けてしまう子供と、「大人の事情だな」と取る子供がいると思いますが、後者の信用を失って、他の項目の知恵まで、疑われてしまうかも知れません。 栄養剤全般にしておいて、例として、「強力わかもと」を挙げた方がよかったんじゃないですかね。

  各ページに付いている、編集者のコメントには、「レポート」と、「おためし隊」がありますが、どちらも、本文に対する、ツッコミのように読めます。 「おためし隊」というのは、紹介されている知恵を、実際に試してみて、その結果を報告しているのですが、「これこれの条件であれば、うまく行く」といった、「限定」をかける内容が多いです。 しかし、これは、筒井さんの方から、「各知恵は、必ず、試してみて」と頼んだらしく、別に、ケチをつけているわけではない様子。

  この本の価値を高めているのは、きたやまようこさんの絵でして、この方に頼んだのは大正解ですな。 絵本作家なのですが、大変やわらかいタッチの、やさしい絵を描く人で、犬やウサギが、実に可愛らしいです。 本文と関係なく、独自のオチがある漫画になっているものも多く、絵を見るだけでも、充分に楽しい。 大人だと、どんなに可愛い絵でも、絵本を買うのはためらわれますが、この本なら、堂々と買えるから、ありがたいですな。

  本文は、ひらがなが多いですが、文体自体は、別に、子供向けに易しくしてあるわけではなく、筒井さんが、随筆などに使う文体と、さほど変わりません。 語尾だけ、少し丸めたという感じ。 各章末に、筒井さんと、きたやまさんの対談が載っていて、そこは、普通の喋り方を、普通の漢字かな配分で起こしてあります。 この対談、筒井さんの東京の自宅で行なわれたそうで、写真が出ていますが、すげー家です。

  ちなみに、私は、この本を、古本で買いました。 文庫本版は、まだなくて、買ったのは、単行本です。 カバーが変色していたせいか、70円でした。 たぶん、図書館にもあると思いますが、児童書コーナーに置いてあると思うので、お間違えなきよう。



≪大魔神≫

徳間書店 2001年
筒井康隆 著

  小説ではなく、シナリオです。 戯曲でも、脚本でも、シナリオでも、セリフとト書きだけの文章は、小説に比べて、読み難いものですが、これは、例外と言えます。 読み物として、楽しめるように、ト書きを丁寧に書いてあるからでしょうか。 ところで、「脚本」、「シナリオ」、「台本」の区別は、演劇門外漢の私には、分かりかねます。 「シナリオ」は、映画だけ? テレビでは、「台本」の方をよく聞きますな。 書く側と、使う側で、呼び方が違うという話もあり。 単に、「本」と呼ばれる事もあるようですが、それは、全部含んだ、マルチ語なのでしょう。 「戯曲」というのは、脚本形式で書かれた文学の事だそうです。

  ≪大魔神≫と言えば、1966年に大映が作った、半ば伝説化している映画ですが、なぜ、筒井さんが、2001年に、そのシナリオを単行本にして出したのか、本自体には、何の説明もされていないので、さっぱり分かりません。 前書きも、後書きも、編集者による解説もないのです。 不親切極まりない。 で、やむなく、ネット情報に頼ったのですが、案の定、曖昧模糊としていたものの、何となく分かった事というと、どうも、1990年代の後半に、リメイクの話が出て、筒井さんが、シナリオを書いたらしいのです。 ところが、その企画がポシャったせいで、シナリオが宙に浮いてしまい、2000年に雑誌に掲載された後、2001年に、単行本化されたというんですな。

  とりあえず、その情報を信用するとしても、大映の方から注文したのか、筒井さんの方から提案したのか、そこが、はっきりしません。 どちらにせよ、大映との間で、ある程度、話が固まってから、執筆されたものと思われます。 筒井さんは、筋金入りの映画好きなので、≪大魔神≫のリメイクと聞けば、乗り気になったと思いますが、実際にリメイクされるかどうか分からない段階で、こんな完成度の高い仕事に、手をつけないと思うからです。

  ≪大魔神シリーズ≫には、いずれも、1966年に作られた映画が、三作あるのですが、基本的な設定は同じです。 戦国時代、領主が領民を苦しめている土地が舞台。 領主が、人里離れた所にある、巨大な埴輪形の武神像を破壊しようとすると、武神像が、大魔神に変身して、領主始め、悪人どもを殺しまくるという話。 怪獣映画で培われた特撮技術と、時代劇が組み合わされたところが、今の目で見ると珍しく見えますが、昔は、忍術映画というのが、一ジャンルを築いていて、そちらでも、特撮は使われていたので、≪大魔神≫のアイデアは、革命的というほどではありません。 やはり、このシリーズの面白さは、大魔神が、水戸黄門や、剣豪ごときの比ではない、超自然の圧倒的な力を振るうところにあります。

  このシナリオは、リメイク用ですから、映画三作、いずれの話とも、中身が違います。 時代は、少し後になって、江戸時代の初頭。 公儀の隠密として、服部半蔵も出て来ます。 悪党は、領主ではなく、家老の一人で、商人と結託して、領民に、ねずみ講を流行らせる一方、火縄銃を密造して、他藩に売り、私腹を肥やしています。 領主は名君で、もう一人の家老と、その息子の三人で、善玉を構成しています。 悪い家老にも、息子を用意し、息子同士で、姫の婿の座を競わせるという、非常に分かり易い、対立の構図。 他に、無理やり働かされている鉄砲鍛冶と、その子供二人、ねずみ講に踊らされる村人などにより、群像劇が繰り広げられます。

  登場人物が多いので、小説だったら、ゴチャゴチャしてしまうと思いますが、映画なら、全く気にならず、むしろ、このくらい出て来ないと、スカスカになってしまうでしょう。 例えば、小説で、10人の人間の風体を描き分けるのには、何十行もかかりますが、映像作品では、一カットで済みます。 小説と映画では、情報伝達の方式が、根本的に違うんですな。

  数十年ぶりのリメイク版になる予定だったわけですから、あまり、突飛な話にしてしまっては、昔のファンを怒らせてしまうのであって、その辺は、気を使ったのではないでしょうか。 ただ、「突飛な話でないのなら、わざわざ、筒井さんに頼む理由もなかったのでは?」と思わんでもなし・・・。 会社専属の脚本家でも、こういうのが書けないという事はないでしょうに。 つまりその、話が纏まり過ぎていて、些か、筒井さんらしくないんですな。

  穿った見方をして、「メタなのでは?」とも、思ったのですが、映画会社が、メタに乗ってくるとは、到底思えないので、それは、深読みのし過ぎでしょう。 そんな事を考えていると、また、ふり出しに戻って、「このシナリオは、どういう経緯で書かれる事になったのだろう?」と、首を捻ってしまうのです。

  この本、私は、ネット通販の古本で買いました。 300円。 届いたら、思いの外の美本で、帯付きでした。 帯の裏や、カバーの裏にも、イラストが入っています。 ここまで凝るなら、書かれた経緯も、ちょっと触れてくれればよかったんですがねえ。 徳間書店の単行本ですが、果たして、徳間文庫に入るのかどうか・・・。 すでに、14年も経っているわけで、入れる気なら、とっくに入れているかも。



≪偽文士日碌≫

角川書店 2013年
筒井康隆 著

  小説ではなく、筒井さん自身の日記。 どうやら、ブログに掲載されたものを、単行本に纏めたもののようです。 記されている期間は、2008年6月27日から、2013年1月9日まで。 つまり、東日本大震災や、小松左京さんの他界なども、間に含まれているわけです。 ただし、どちらも、ほんのちょっと触れてあるだけですが・・・。

  この期間内に書かれた、筒井さんの作品は、≪ビアンカ・オーバースタディ≫、≪現代語裏辞典≫、≪アホの壁≫、≪漂流≫、≪聖痕≫、≪繁栄の昭和≫、≪創作の極意と掟≫と、今回、私が濫読した本の、ほとんどが含まれています。 書いている側の楽屋裏が分るわけですが、私が読んだ順番としては、この本が最後になったので、裏話を全く知らずに、感想文を書いてしまいました。 しかし、今更、書き直すのも、大変なので、そのままにしておきます。

  内容は、東京と神戸の家を行き来する、生活パターンの事。 どちらの家にも、息子さんの一家が、よく訪ねて来る事。 お孫さんの事。 旅行の事。 出演しているテレビ番組の事。 執筆中の作品や、出版する本の事。 朗読会の事。 他に、時事ニュースに対する意見など。 対象に関わらず、元がブログ記事であるせいか、突っ込んで書いている文章は、ほとんどありません。


  実は私、この本を、2014年の7月上旬に、一度借りて来ているのです。 沖縄旅行が迫っていたので、その時は、感想文を書く気が起こらず、読んだだけだったのですが、同じ時に借りて来た、≪ビアンカ・オーバースタディ≫と、≪聖痕≫の方は、しっかり記憶に残っているのに、この本の内容だけ、すっかり打ち忘れてしまって、全く思い出せませんでした。 当時の、私の日記を調べてみると、簡単な感想が書いてあって、

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 ≪偽文士日碌≫を読むが、ほとんどが、ただ起こった事の記録であり、興味が湧かないので、どんどん飛ばして、1時間もかけずに、閉じてしまった。
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  と、あります。 つまり、ほとんど、読んでいなかったわけです。 道理で、記憶に残っていないわけだ。 納得納得。 で、今回、半年ぶりに、借り直して、再挑戦してみたのですが・・・・。 すいません。 また、負けました。 読めんのですわ。 100ページくらい行くと、自然に、飛ばし読みになってしまいます。 これは、どうした事でしょう? 別に、難しい事が書いてあるわけではなく、筒井さんの随筆と比べても、ずっと平易な内容なのですが、なぜか、目が文字にくっついて行きません。 で、結局、後ろの方は、興味のあるところだけ、パラパラ読みになり、またもや、1時間で終わってしまったのです。

  なぜなのかと考えるに、やはり、元がブログ記事だというのが、問題なのではないかと思います。 素人のブロガーは、ブログ記事が本番の晴れ舞台なので、手を抜いたりしないのですが、プロの作家の場合、作品を発表する本番は、雑誌掲載や、単行本・文庫本ですから、ブログをやっていたとしても、そちらで本気を出すような事はないんですな。 「このネタは、作品にできるかも」と思うと、ブログには書きませんから、面白そうな話は、出しませんし、出したとしても、ほんのちょっとで、発展させません。 だから、どうしても、ブツ切りの盛り合わせみたいな文章になってしまうのです。

  以前、万城目学さんの随筆集の感想で書きましたが、ネットに、ブログというメディアが登場して以来、プロの作家の随筆は、価値がドーンと落ちてしまいました。 「こういうものなら、一般人でも書ける」と思われるようになってしまったわけです。 作家だからといって、年がら年中、変わった体験をしているわけではないのであって、ネタのバラエティーは、素人と条件が同じだからです。 随筆ですら、そんな有様ですから、日記では、尚の事なのであって、よほどのファンでなければ、この本に最後まで、つきあえないのではないでしょうか?

  いや、ブログ掲載時に、リアル・タイムで読んでいた人達は、別段、苦もなく、というか、むしろ、楽しんで読んでいたと思うのですよ。 しかし、単行本に纏められたのを、立て続けに読むとなると、非常に厳しいのです。 読み方の問題ですかね? この本も、≪現代語裏辞典≫同様、借りるのではなく、購入して、一日の分量を決め、少しずつ読んで行くべきなのかもしれませんな。 もっとも、結局は日記なので、完読したとしても、≪現代語裏辞典≫ほどの達成感は得られないと思うのですが。


  私は、1980年代前半頃に、筒井作品に嵌まり、【五郎八航空】や【農協月へ行く】などで、悶絶寸前まで爆笑した世代ですが、その頃の筒井さんは、自作について、裏話を書く事が、ほとんどなく、「謎めいた天才」のように思われていました。 私だけでなく、その頃にファンになって、現在に至るまで、付かず離れず、作品を読み続けて来た人は、たくさんいる事でしょう。 そういう世代からすると、あまり、裏話をして欲しくないような気もするのです。 読者は、作品になら、いくらでも近づけますが、裏話をいくら聞いても、作家本人に近づくのには、限界がありますから。

  この本を、「面白くて仕方ない」、「一字一句、貪るように読んだ」という人がいるとしたら、それは、筒井さんの事を、仕事も私生活も、何から何まで、全て知り尽くしたい人だと思います。 しかし、そういうのは、熱心さを通り越して、怖いような気がせんでもなし。 そういや、ストーカー化して、東京の筒井邸に押しかけて来た青年の話も、この本の中に出て来ますが・・・。

  どうも、私には、作家本人に会いたいという読者の気持ちが分りません。 そんな事をしたら、創作活動の邪魔になって、読める作品が減ってしまうではありませんか。 会う事で、自分が作家に、何かいい影響を与えられると思っているのだとしたら、おこがましいにも程があろうというもの。 だからよー、一人の作家の作品ばかり読んでいないで、他の人のも読めよ。 相対的な見方ができるようになれば、そんな危険な穴に嵌まらなくて済むんだから。 面白い本は、他にも、あるって。 まず、≪漂流≫を読むべし。

  サイン会ですら、違和感がある。 筒井さんの書く小説には、千金の価値がありますが、サインには、そのサイン一枚の価値しかないですぜ。 それを量産する為に、貴重な時間を浪費するのは、あまりにも惜しい。 そういう仕事は、ポータブルのアーム型ロボットにでもやらせておけばいいでしょうが。 筒井さん本人は、タバコでも吸いながら、サイン会に来るやつらの観察をしていれば、無駄な時間になりません。 言うまでもありませんが、一番いい読者というのは、作品の質以外、何も求めず、黙って、本を買ってくれる人でして、サイン会に押しかけるような人達は、似て非なるファンと言うべきでしょう。



  以上、4冊です。 ところで、2008年以降、今までの間に、筒井作品で、映像化されたものが、いくつかあったので、その内、見たものだけ、ちょっと、感想を書いておきます。



≪七瀬ふたたび≫

NHK 2008年
演出 笠浦友愛・松浦善之助・吉川邦夫・陸田元一
脚本 伴一彦・真柴あずき
主演 蓮佛美沙子

  NHKは、≪七瀬ふたたび≫が好きらしいですな。 もっとも、1979年の時とは、スタッフの顔ぶれが、全く違っていると思いますけど。 2008年版の方も、もう随分、経っているので、記憶が薄くなってしまいました。 原作とは、だいぶ、変えてありましたが、悪い印象がないところを見ると、ドラマの出来自体は、まあまあ、良かったのだと思います。

  話の内容より、規格型でない美人の、蓮佛美沙子さんの魅力で、押し切っていた感がありましたな。 そいうや、柳原可奈子さんも出ていましたねえ。 男性陣で、若い人達は、ほとんど、覚えていません。 市川亀治郎(現・猿之助)さんが、刑事役をやっていて、現代ドラマで見たのは初めてだったのですが、セリフが聞き取り難かったものの、何とも言えぬ、独特の存在感があり、≪風林火山≫で、0点つけていたのが、一気に、95点くらいまで跳ね上がった事で、記憶に残っています。

  原作が暗い話である上に、続編が存在するという事情があり、ドラマの方で勝手に、明るい雰囲気に変えたり、ハッピー・エンドにしてしまうわけにもいかず、暗いまま終わっていましたが、やっぱり、後味はよくありませんなあ。 なぜ、原作の三部作が、ロング・セラーを続けているのか、そちらが不思議です。

  そういや、エンディングの映像が、綺麗だったなあ。 だけど、火田七瀬という人物は、あんな透明感全開のイメージで描くほど、純なキャラじゃないですよねえ。 まして、≪家族八景≫の後なわけだから、世の中の醜いところを、こらしょと見て来ているわけであって、尚の事・・・。 人間でも、エスパーでも、一度、現実に醒めてしまった人格というのは、もう、元には戻らんものですぜ。



≪家族八景 Nanase, Telepathy Girl's Ballad≫

毎日放送・TBS 2012年
演出 堤幸彦・白石達也・高橋洋人・深迫康之・藤原知之
脚本 佐藤二朗・池田鉄洋・前田司郎・江本純子・上田誠
主演 木南晴夏

  深夜放送だったから、筒井さんの読者でも、放送している事を知らなくて、見なかった人が、結構いたのでは? 原作者や監督のネーム・バリューで話題になりそうなドラマを、深夜に放送する場合、もっと早い時間帯に、番組宣伝のCMを打っておかないと、綺麗あっさり、見逃される危険性が高いです。 当たり前の事ですが、普通に働いている人は、深夜は、眠っているわけで、番組の存在を知らなければ、予約録画もできないのが道理。 ネットの宣伝効果なんて、ほとんどないですから、テレビ関係者は、その辺の事を、肝に銘じておいた方がいいと思います。

  堤幸彦さんは、≪トリック≫や、≪SPEC≫など、名シリーズを生み出した人。 木南晴夏さんは、堤監督の、≪20世紀少年<第2章> 最後の希望≫で、ヒロインの、風変わりな友人役を演じた人。 と言っても、伝わらんか。 画像検索で、顔を見れば、「ああ、この人か」と分かります。 顔立ち的にも、キャラ的にも、個性派です。 ≪七瀬ふたたび≫や、≪エディプスの恋人≫だと、イマイチ、イメージが合いませんが、≪家族八景≫の七瀬なら、なぜか、しっくり来ます。 メイドが似合う顔ってあるんだなあ。 巫女さんや、占い師なんかも、滅法、似合いそうですが。

  深夜ドラマとは思えぬ、凝った作りで、服装や家具・小道具まで、厳密と言うほどではないですが、何となく、原作が書かれた頃に合わせられていました。 ところが、70年代初頭ですから、まだまだ、日本社会全体が貧しい。 勢い、時代の貧乏臭さを引きずってしまうドラマになり、あまり、いい印象は残っていません。 ≪家族八景≫は、≪七瀬ふたたび≫に比べれば、原作の暗さは、それほどでもないのですが、暗さの代わりに、貧乏臭さが入ってしまったんですな。 どうも、七瀬シリーズは、映像化と相性が宜しくないようです。

  原作にある話は、ほぼ、原作通りに作られています。 登場する家族の心象を表す為の奇妙な演出もあるのですが、基本的なストーリーを阻害する程ではないです。 追加された話が二話あり、その内の一話が曰く付き。 筒井さんをモデルにした小説家が出て来るのですが、悪ノリしたパロディーを入れたせいで、筒井さんを怒らせて、駄目出しを喰らったという経緯が、≪偽文士日碌≫の中に記されています。 「もう、撮影してしまった」と泣いていたのを、見兼ねた筒井さんが、「小説家を、脚本家に変えればいい」と入れ知恵してくれたお陰で、音声だけ変えて乗り切ったのだとか。 うーむ、原作者というのは、時に、弱いようで、時に、強いのだなあ。

  総体的に見て、完成度は高いにも拘らず、いいドラマと感じられないのは、人の心の醜いところだけを抉っているからでしょうかねえ。 それは、原作も同じなんですが。 不思議なもので、同じSFでも、人類滅亡なんて話だと、未来的な感じがして、カタルシスを覚えるのに、テレパシストが、日常的な人間心理の醜さを垣間見る話になると、絶望的な気分に覆われて、げんなりしてしまうのです。 そういや、藤子・F・不二雄さんの、≪エスパー魔美≫にも、そういった暗さがありましたっけ。



≪走る取的≫
【世にも奇妙な物語'14 秋の特別編】

フジテレビ・関西テレビ 2014年
演出 岩田和行
脚本 高山直也
主演 仲村トオル

  おお、これは、頂上。 ≪走る取的≫のファンは、多いと思いますが、とうとう、映像化されたんですなあ。 しかも、ほぼ、原作通りです。 主人公が力士を嫌っている理由について、ちょっと、余計な設定がくっついていましたが、まあ、あの程度なら、見なかった事にしましょう。 【世にも奇妙な物語】には、以前、≪鍵≫を、ぐじゃぐじゃにされた苦い思い出がありますが、原作が、文句なしの名作の時には、つまらん小細工はせずに、そのまま映像にしてくれるのが、一番ありがたいです。

  で、原作通りだったのは、いいんですが、このドラマ、なぜか、原作に漲っている、あの緊迫感が伝わって来ません。 なんでだろう? ≪走る取的≫から、緊迫感を除いたら、ただの鬼ごっこになってしまうのですが、まさに、そうなってしまっているのです。 仲村トオルさんのキャラの影響ですかね。 親しみ易いイメージが強いせいで、なんだか、大人が追いかけっこして遊んでいる、コメディーのように見えてしまうのです。

  筒井さんの小説は、みんな、コメディーだと思い込んでいる人もいるかも知れませんが、とんでもない! もちろん、≪走る取的≫は、コメディーじゃないですよ。 読んでいて、笑いが込み上げて来るかもしれないけれど、それは、度を超した理不尽さ故に、笑う以外の反応が出ないのであって、コメディーの笑いとは、全く別物です。 映像化する場合、シリアスに徹しなければ、笑いの質を再現する事はできません。 もっと、ニコリともしない、ふてぶてしくて、憎たらしいイメージの俳優さんを連れて来れば、追い詰められるに連れ、恐怖が次第に盛り上がっていく様子を、うまく、表現してくれたんじゃないかと思います。


  ところで・・・、≪走る取的≫や、≪乗越駅の刑罰≫を読んで、全身が凍りつくような感覚を味わい、とりわけ、≪走る取的≫を、神がかり的な傑作として、筒井作品の筆頭に挙げるファンが、少なからずいるわけですが・・・、ちょっと待った。 まあ、落ち着きなされ。 とりあえず、何も言わずに、

フランツ・カフカ ≪審判≫、≪城≫
安部公房 ≪砂の女≫

  の、三冊を読みなさいな。 それらと比較した上で、≪走る取的≫のどういう点が優れているかを分析し、人に話すようにした方がいいです。 不用意に絶賛すると、読書歴の底の浅さを見透かされてしまう事になります。