ショートショート衰亡史
正月は、ほとんど、寝ていました。 風が強く、外出する気にもなりません。 この冬は、雨でなければ、ほとんど、強風ですから、アウトドア派には、厳しいでしょう。 私はと言えば、読書の趣味もあるお陰で、インドアでも、何とか過ごせます。 図書館から、年越しで借りていたのは、自転車関連の本が二冊。 どちらも、あまり面白くなくて、必要な章だけ読んで、後は飛ばしました。 なーに、自転車ブログの記事を書くネタ本に過ぎないから、それで充分なのです。
他に、12月の半ば頃に、ブック・オフで見つけて、買って来た、≪ショートショートの広場 1・4・8≫があったのですが、≪1≫から読み始めたものの、あまりにも読み難くて、ちっとも進まず、たかが、文庫本一冊だというのに、年越ししてしまいました。 ありえねー・・・。 このシリーズ、星新一さんが選者になっているのが、9冊あり、私は、≪3・5・6・7・9≫を、すでに買って、読んでいたのですが、後ろへ行けば行くほど、読み易くなります。
≪1≫の収録作品は、主に、かつて存在した、≪ショートショートランド≫という雑誌のコンテストで募集されたものですが、どれもこれも、奇抜なアイデアに拘り過ぎていて、一作一作の個性に波長を合わせながら、読み進めなければならないせいで、よーく、疲れてしまうのです。 たまに、笑えるのがあると思うと、漫才やコントの小ネタを、ショートショートに書き直しただけみたいな話である事に、追いかけて気づき、笑った自分に恥ずかしさを感じてしまう始末。
星さんが、自分の作風と異なる作品を、優先して選んでいるのは、すぐに分かります。 この頃には、まだ、ショートショートの後継者を、本気で見つけようとしていた形跡が窺えるのです。 自分と同じ作風では、模倣と取られて、編集者に相手にされない事を恐れたのではないでしょうか。 その後、「ショートショートだけで、作家として喰って行くのは、非常に難しい」という事が分かってくると、「あくまで、趣味として、楽しんで欲しい」といったアドバイスが増えて来ます。 星さん自身は、パイオニアとして、例外だったんですな。
巻が後ろへ行くに連れ、読み易くなるのは、書く方も、選ぶ方も、こなれて来て、どんな作風のものが、この種のコンテストに相応しいかについて、分かって来たのでしょう。 ≪2≫だけは、手に入っていないので、まだ読んでいませんが、≪3≫から後ろは、素人作家のアンソロジーとは思えないほど、レベルが高くなります。 そちらと比べると、≪1≫に収録されている作品の作者達は、「いい思い出」であるよりも、読み返すたびに赤面してしまうのではないでしょうか?
≪1≫では、星さんが、手放しで誉めている作品ほど、個性が強く、という事は、つまり、アクが強く、星さんの作風に慣れた読者には、読みづらいです。 シュールなムードだけ濃厚で、何が言いたいのか分からない作品が多いのにも、辟易します。 そもそも、「意外な結末」を欠いている場合、それは、単なる短編小説であって、ショートショートの範疇から、逸脱してしまうのでは? 変わった作風を珍重するあまり、ショートショートの成立条件を無視してしまったのではないでしょうか。
ちょうど、この頃の星さんは、自身の作風も変え始めていて、「意外な結末」を付けずに、「起承転結」の「転」まで書いて、後を放り出したような話が増えて来ます。 「意外な結末」を付けようと思えばつけられるのに、わざと付けないのです。 私が、星さんの文庫本を買わなくなったのも、ほぼ、その時期です。 新潮文庫で言うと、最後に買ったのは、「殿さまの日」ですが、ショートショート集に限れば、最終は、「かぼちゃの馬車」で、それ以後は、買っていません。
なぜ、離れてしまったかといえば、「小松左京さんや筒井康隆さんの作品に、興味が移ったから」というのが理由だと、長い間、思って来たのですが、今思うに、「星さんの作風が変わってしまい、読んでも、面白さを感じなくなったから」というのが、本当の理由だったのかも知れません。 だって、面白ければ、買い続けると思うのですよ。
星さんの作風が変わった理由は、想像するしかありませんが、「意外な結末」に飽きた、というより、「『意外な結末』ばかりで、ワン・パターンだ」という批判があったらしく、それを気にしたのではないかと思えて仕方ありません。 「意外な結末」があるから、ショートショートなのに、それを、ワン・パターン呼ばわりするのは、俳句の事を、「『五・七・五』ばかりで、ワン・バターンだ」と批判するに等しく、馬鹿丸出しです。
しかし、馬鹿の言いがかりでも、キチガイの戯言でも、貶されれば、誰でも気にするのであって、星さんも、それを真に受けてしまったのではないかと思うのです。 そういや、小松左京さんは、「ゴルディアスの結び目 四部作」の後、パタリと、短編を書かなくなってしまうのですが、「書きたい事は書き尽くしてしまった」と言っていたのは、表向きの理由に過ぎず、本当のところは、SF作家の後輩達が、「小松さんが、いつまでも、第一線で頑張ってるから、後進が育たないのだ」と零しているのを聞き、「それじゃあ、そろそろ、やめるか」と考えたのではないかと、私は、ずーーーっと、疑っています。
まったく、余計な事を言いやがって。 で、てめーらが、小松さんの後を継げたか? 話にもなるまい。 あああ、小松さんも、イベントなんかに首を突っ込むのは程々にして、年に一作でもいいから、短編を書いていてくれたら、SF界にとって、どれだけ大きな遺産になったか分からないのに。 後輩の愚痴なんて、聞き流しておけばよかったんですよ。 実力がないから、ブチブチ言うんだから、席を譲ってやったって、活かせるわけがありません。
また、編集者も編集者で、なぜ、お百度踏んで、「是非、短編を!」と頼まなかったのかねえ。 たぶん、頼めば、書いてくれたと思うんですがねえ。 あまり読んでいない人ほど、≪日本沈没≫や≪さよならジュピター≫の印象が強く、「長編作家」のイメージで捉えてしまっていたのが、そもそもの間違い。 短編の方が、ずっと面白いのに。 ≪虚無回廊≫の続編を、一日千秋、百年河清で待つより、気楽に短編を書いてもらった方が、どれだけ、良かったか知れません。
おや、いつの間にか、小松さんの話になってしまいましたな。 星さんの話に戻しましょう。 で、ぱったり買わなくなって、再度、買い始めるのが、丸々30年も経過した、去年の夏頃からです。 とあるリサイクル店に行ったら、文庫本のコーナーがあって、私が持っていない星さんの本が、何冊か並んでました。 一冊、50円だというので、全部買って来て、それ以来、ブック・オフで買い足して、30年ぶりに、星さんの、その後の作品を、読む事になったわけです。 ところが、出版年が後に行けば行くほど、つまらなくなっているのが分かり、「ああ、これだから、買わなくなったんだな」と、遥かな時を超えて、謎が解けたわけです。
とりわけ、≪つねならぬ話≫は、作品というより、アイデアを未完成のまま、世に出してしまったような、粗雑さが目立ちます。 いや、こんな言い方でも、まだ甘すぎる。 これは、作品ではなく、文章の断片に過ぎません。 「自信がないものは、出さない事だ」という言葉は、星さんが、どこかで書いていた、作家としての心得ですが、≪つねならぬ話≫に収められている作品に、自信を持っていたとすると、相当まずいでしょう。
たぶん、私と同じように、80年代の初め頃に、星さんの作品から卒業した人が、うじゃうじゃいると思うのですよ。 その人達は、私がそう思っていたのと同じように、「自分が大人になったから、星さんの話では物足りなくなったんだ」と思っていたと思うのですが、そうじゃない。 星さんの作風が変わって行ったのに気づかないまま、徐々に、波長がズレて行った結果、読みたいと思わなくなったのだと思うのですよ。
星さんも、1001篇書き終えて、ライフ・ワークには、一区切りついたのだから、その後は、他人の批判なんて無視して、自分が好きな話だけ、書けば良かったと思うんですがね。 もし、晩年に、「意外な結末」を完備した作品群が書かれていたら、初期から盛期の作品以上に、珍重された事でしょう。 一体、どこの馬鹿が、「ワン・パターンだ」なんて、言ったのか・・・。 そいつは、今、何をやってるんだよ。 どーせ、ろくでもない人生なんだろ。 人の足を引っ張る為に、生まれて来たのかね?
ついでに書いてしまいますと、星さんの晩年の随筆集が、また、困った代物でして・・・。 簡略な表現を突き詰めた結果、行き過ぎてしまい、必要最小限の情報すら欠くようになってしまった感が濃厚に見て取れます。 何の事を言っているのか分からず、解読に時間がかかって、なかなか、先に進まないのです。 とにかく、読み難い。 随筆の方まで、こんな文体に変わっていたとは、つゆ知りませんでした。
問題なのは、星さん自身が、自分の文体が、簡略方向へ行き過ぎてしまった事に気づいていなかったと思われる点です。 ≪きまぐれ学問所≫の中に、文章の書き方を書いた本を読み、その感想を語り、自身の意見を添えている章があるのですが、その、星さんの文章自体が、異様なほどに読み難くて、とても、文章の書き方を語る資格があるように思えないのです。
そういえば、同じ星さんの作品でも、小説と、随筆・伝記では、まるで文体が違っていて、随筆・伝記の方は、以前から、決して、読み易いものではなかったのですが、その傾向が増幅・悪化した感じ。 星さんのファンで、≪人民は弱し 官吏は強し≫に手を出し、興味が湧かない情報が多過ぎて、悪戦苦闘した人は多いと思いますが、晩年の作品は、逆に、情報量が少な過ぎて、意味が取り難いという点で、もっと読み難いです。
まだ、書きたい事はありますが、星さんの話は、これくらいにして、≪ショートショートの広場≫まで、話を戻します。 上述したように、このシリーズに収録されている作品は、後ろへ行くほど、良くなって行くのですが、ショートショートというジャンルそのものは、星さんが他界した後、注目度が落ち込んで、限りなく、ゼロに近づいてしまいます。 星さんの作品は、「ショートショートというジャンルの中の、一作家の作品」としてではなく、単に、「星新一の作品」として残り、「ショートショート」という枠は、認識されなくなってしまったんですな。
≪ショートショートの広場≫は、選者を別の人に変えて、今でも続いていて、続いている理由は、読まれるだけのレベルを保っているからだと思いますが、その一方で、ショートショートというジャンルは、≪ショートショートの広場≫から外へは、一歩も出られないほど、マイナーな世界に縮小してしまいました。 ショートショートというジャンルは、星新一さんのファンだけに支えられていたようなところがあるので、星新一さんが亡くなり、新作が書かれなくなれば、読者もファンも減るのは避けられず、発展のしようがなかったのだと思います。 もはや、一般的な若い世代は、「ショートショート」という言葉すら知らないのではないでしょうか?
結局のところ、ショートショート作家になろうとしても、プロとして喰って行けないから、趣味で留めるしかなく、階層ピラミッドが形成できなかったんですな。 台形だったのです。 コンテストで入賞しても、雑誌社から注文が来なければ、プロにはなれません。 編集者側にしてみると、ショートショートに限らず、短編を発注する時には、作家の知名度を最も重視するのであって、予告や広告に、その作家の名前を入れる事で、ファンに買ってもらえる事を期待しているわけです。 その点、コンテストで入賞しただけの素人なんて、ファンなんか一人もいませんから、雑誌の販売促進には全く寄与しないのであって、そんな奴に注文なんかするわけがありません。 そんなな、理の当然。
ちなみに、星さん自身が、晩年の随筆の中で、そういった業界の裏事情を語っています。 誰に向けて書いているかは、容易に想像できる事。 星さん自身が、「ショートショートでプロになるのは、ほとんど、不可能。 自分は例外だったのだ」と分かった時には、暗い気分になったでしょうねえ。 就職先がない専門学校の、名誉理事長みたいな立場におかれたわけです。 最後まで、選者を続けたのは、放り出したら、もっと無責任だと思ったからではないかと想像されます。
そういう環境ですから、このシリーズでは、「コンテストの常連」という、可哀想な人達が、何人も出て来ます。 コンテストには、何度も入選するのに、永久にプロになれないのです。 せいぜい、賞金や副賞を貰える程度で、それでは、セミ・プロとすら言えません。 そういや、写真雑誌で行なわれている、「フォト・コン」が、同じような世界ですな。 「プロへの登竜門」ではなく、ただの、素人の腕比べなのです。
このシリーズに作品が収録された人で、後に、プロの作家になった人もいるようですが、その中に、ショートショート作家は、一人しかいない模様。 その人ですら、私は、名前を知りませんでした。 他の人達も、名前を聞いた事がある人が、ものの見事に、一人もいません。 つくづく、作家というのは、もはや、有名人ではないんですなあ。 「有名な作家」はいるけれど、「作家なら、有名人」というわけではないわけだ。 「村上春樹」、「東野圭吾」、「宮部みゆき」の三人の名前を知っていれば、充分詳しい方で、一般常識として、それ以上は、求められないんじゃないすか?
そもそも、小説雑誌自体が、マイナーな存在になってしまって、誰が買っているのか、皆目、想像が付きません。 推し測るに、今や、小説が読みたくて、小説雑誌を買っている人は皆無であり、自分自身が小説家になりたい人だけが買っているのではないでしょうか? つまり、出版社が運営しているというだけで、その実態は、「同人誌」と同じなのです。 同人誌だもの、そりゃ、一般人が、掲載作の作者達を知らなくても、無理はないですわなあ。
今でも、≪ショートショートの広場≫に、書いて投稿している人達に、余計なお世話ですが、もし、「行く行くは、プロに・・・」と夢見ているのなら、即、やめた方がいいと思います。 人生を無駄にしてしまいかねません。 星さんが言うように、趣味として楽しめるのなら、他人がどうこう言うような事ではないですが、あなた方、一人として、趣味のつもりで書いてないでしょう? いつか、認められて、生前の星さんのように、プロのショートショート作家になれると思っているんでしょう?
そういう事は、確率的に言って、ありえないです。 二日続けて、隕石に当たる方が、まだ起こり易い。 普通の小説家ですら、もはや、有名人とは見做されないのですよ。 まして、ショートショートで、名を挙げるなんて、とてもじゃないが、無理難題も、そこに極まります。 平易な文章が得意なら、ライトノベルに転向した方が、まだ、芽が出る可能性があるというもの。 もっとも、長いのが書けないんじゃ、それも無理ですが・・・。
自分の好きな本ばかり読んでいないで、本屋に行って、文庫本の棚を眺めてらっしゃいな。 ライトノベルや、推理小説、時代小説が、どれだけあるか。 それらの作家の名前を見て行ってみなさい。 知っている人がどれだけいるか。 ほとんど、知らないと思います。 売れているジャンルですら、そんなもんなんですよ。 況や、ジャンルとして消えたも同然のショートショートに於いてをや。 どうして、有名になんかなれるものですか。
他に、12月の半ば頃に、ブック・オフで見つけて、買って来た、≪ショートショートの広場 1・4・8≫があったのですが、≪1≫から読み始めたものの、あまりにも読み難くて、ちっとも進まず、たかが、文庫本一冊だというのに、年越ししてしまいました。 ありえねー・・・。 このシリーズ、星新一さんが選者になっているのが、9冊あり、私は、≪3・5・6・7・9≫を、すでに買って、読んでいたのですが、後ろへ行けば行くほど、読み易くなります。
≪1≫の収録作品は、主に、かつて存在した、≪ショートショートランド≫という雑誌のコンテストで募集されたものですが、どれもこれも、奇抜なアイデアに拘り過ぎていて、一作一作の個性に波長を合わせながら、読み進めなければならないせいで、よーく、疲れてしまうのです。 たまに、笑えるのがあると思うと、漫才やコントの小ネタを、ショートショートに書き直しただけみたいな話である事に、追いかけて気づき、笑った自分に恥ずかしさを感じてしまう始末。
星さんが、自分の作風と異なる作品を、優先して選んでいるのは、すぐに分かります。 この頃には、まだ、ショートショートの後継者を、本気で見つけようとしていた形跡が窺えるのです。 自分と同じ作風では、模倣と取られて、編集者に相手にされない事を恐れたのではないでしょうか。 その後、「ショートショートだけで、作家として喰って行くのは、非常に難しい」という事が分かってくると、「あくまで、趣味として、楽しんで欲しい」といったアドバイスが増えて来ます。 星さん自身は、パイオニアとして、例外だったんですな。
巻が後ろへ行くに連れ、読み易くなるのは、書く方も、選ぶ方も、こなれて来て、どんな作風のものが、この種のコンテストに相応しいかについて、分かって来たのでしょう。 ≪2≫だけは、手に入っていないので、まだ読んでいませんが、≪3≫から後ろは、素人作家のアンソロジーとは思えないほど、レベルが高くなります。 そちらと比べると、≪1≫に収録されている作品の作者達は、「いい思い出」であるよりも、読み返すたびに赤面してしまうのではないでしょうか?
≪1≫では、星さんが、手放しで誉めている作品ほど、個性が強く、という事は、つまり、アクが強く、星さんの作風に慣れた読者には、読みづらいです。 シュールなムードだけ濃厚で、何が言いたいのか分からない作品が多いのにも、辟易します。 そもそも、「意外な結末」を欠いている場合、それは、単なる短編小説であって、ショートショートの範疇から、逸脱してしまうのでは? 変わった作風を珍重するあまり、ショートショートの成立条件を無視してしまったのではないでしょうか。
ちょうど、この頃の星さんは、自身の作風も変え始めていて、「意外な結末」を付けずに、「起承転結」の「転」まで書いて、後を放り出したような話が増えて来ます。 「意外な結末」を付けようと思えばつけられるのに、わざと付けないのです。 私が、星さんの文庫本を買わなくなったのも、ほぼ、その時期です。 新潮文庫で言うと、最後に買ったのは、「殿さまの日」ですが、ショートショート集に限れば、最終は、「かぼちゃの馬車」で、それ以後は、買っていません。
なぜ、離れてしまったかといえば、「小松左京さんや筒井康隆さんの作品に、興味が移ったから」というのが理由だと、長い間、思って来たのですが、今思うに、「星さんの作風が変わってしまい、読んでも、面白さを感じなくなったから」というのが、本当の理由だったのかも知れません。 だって、面白ければ、買い続けると思うのですよ。
星さんの作風が変わった理由は、想像するしかありませんが、「意外な結末」に飽きた、というより、「『意外な結末』ばかりで、ワン・パターンだ」という批判があったらしく、それを気にしたのではないかと思えて仕方ありません。 「意外な結末」があるから、ショートショートなのに、それを、ワン・パターン呼ばわりするのは、俳句の事を、「『五・七・五』ばかりで、ワン・バターンだ」と批判するに等しく、馬鹿丸出しです。
しかし、馬鹿の言いがかりでも、キチガイの戯言でも、貶されれば、誰でも気にするのであって、星さんも、それを真に受けてしまったのではないかと思うのです。 そういや、小松左京さんは、「ゴルディアスの結び目 四部作」の後、パタリと、短編を書かなくなってしまうのですが、「書きたい事は書き尽くしてしまった」と言っていたのは、表向きの理由に過ぎず、本当のところは、SF作家の後輩達が、「小松さんが、いつまでも、第一線で頑張ってるから、後進が育たないのだ」と零しているのを聞き、「それじゃあ、そろそろ、やめるか」と考えたのではないかと、私は、ずーーーっと、疑っています。
まったく、余計な事を言いやがって。 で、てめーらが、小松さんの後を継げたか? 話にもなるまい。 あああ、小松さんも、イベントなんかに首を突っ込むのは程々にして、年に一作でもいいから、短編を書いていてくれたら、SF界にとって、どれだけ大きな遺産になったか分からないのに。 後輩の愚痴なんて、聞き流しておけばよかったんですよ。 実力がないから、ブチブチ言うんだから、席を譲ってやったって、活かせるわけがありません。
また、編集者も編集者で、なぜ、お百度踏んで、「是非、短編を!」と頼まなかったのかねえ。 たぶん、頼めば、書いてくれたと思うんですがねえ。 あまり読んでいない人ほど、≪日本沈没≫や≪さよならジュピター≫の印象が強く、「長編作家」のイメージで捉えてしまっていたのが、そもそもの間違い。 短編の方が、ずっと面白いのに。 ≪虚無回廊≫の続編を、一日千秋、百年河清で待つより、気楽に短編を書いてもらった方が、どれだけ、良かったか知れません。
おや、いつの間にか、小松さんの話になってしまいましたな。 星さんの話に戻しましょう。 で、ぱったり買わなくなって、再度、買い始めるのが、丸々30年も経過した、去年の夏頃からです。 とあるリサイクル店に行ったら、文庫本のコーナーがあって、私が持っていない星さんの本が、何冊か並んでました。 一冊、50円だというので、全部買って来て、それ以来、ブック・オフで買い足して、30年ぶりに、星さんの、その後の作品を、読む事になったわけです。 ところが、出版年が後に行けば行くほど、つまらなくなっているのが分かり、「ああ、これだから、買わなくなったんだな」と、遥かな時を超えて、謎が解けたわけです。
とりわけ、≪つねならぬ話≫は、作品というより、アイデアを未完成のまま、世に出してしまったような、粗雑さが目立ちます。 いや、こんな言い方でも、まだ甘すぎる。 これは、作品ではなく、文章の断片に過ぎません。 「自信がないものは、出さない事だ」という言葉は、星さんが、どこかで書いていた、作家としての心得ですが、≪つねならぬ話≫に収められている作品に、自信を持っていたとすると、相当まずいでしょう。
たぶん、私と同じように、80年代の初め頃に、星さんの作品から卒業した人が、うじゃうじゃいると思うのですよ。 その人達は、私がそう思っていたのと同じように、「自分が大人になったから、星さんの話では物足りなくなったんだ」と思っていたと思うのですが、そうじゃない。 星さんの作風が変わって行ったのに気づかないまま、徐々に、波長がズレて行った結果、読みたいと思わなくなったのだと思うのですよ。
星さんも、1001篇書き終えて、ライフ・ワークには、一区切りついたのだから、その後は、他人の批判なんて無視して、自分が好きな話だけ、書けば良かったと思うんですがね。 もし、晩年に、「意外な結末」を完備した作品群が書かれていたら、初期から盛期の作品以上に、珍重された事でしょう。 一体、どこの馬鹿が、「ワン・パターンだ」なんて、言ったのか・・・。 そいつは、今、何をやってるんだよ。 どーせ、ろくでもない人生なんだろ。 人の足を引っ張る為に、生まれて来たのかね?
ついでに書いてしまいますと、星さんの晩年の随筆集が、また、困った代物でして・・・。 簡略な表現を突き詰めた結果、行き過ぎてしまい、必要最小限の情報すら欠くようになってしまった感が濃厚に見て取れます。 何の事を言っているのか分からず、解読に時間がかかって、なかなか、先に進まないのです。 とにかく、読み難い。 随筆の方まで、こんな文体に変わっていたとは、つゆ知りませんでした。
問題なのは、星さん自身が、自分の文体が、簡略方向へ行き過ぎてしまった事に気づいていなかったと思われる点です。 ≪きまぐれ学問所≫の中に、文章の書き方を書いた本を読み、その感想を語り、自身の意見を添えている章があるのですが、その、星さんの文章自体が、異様なほどに読み難くて、とても、文章の書き方を語る資格があるように思えないのです。
そういえば、同じ星さんの作品でも、小説と、随筆・伝記では、まるで文体が違っていて、随筆・伝記の方は、以前から、決して、読み易いものではなかったのですが、その傾向が増幅・悪化した感じ。 星さんのファンで、≪人民は弱し 官吏は強し≫に手を出し、興味が湧かない情報が多過ぎて、悪戦苦闘した人は多いと思いますが、晩年の作品は、逆に、情報量が少な過ぎて、意味が取り難いという点で、もっと読み難いです。
まだ、書きたい事はありますが、星さんの話は、これくらいにして、≪ショートショートの広場≫まで、話を戻します。 上述したように、このシリーズに収録されている作品は、後ろへ行くほど、良くなって行くのですが、ショートショートというジャンルそのものは、星さんが他界した後、注目度が落ち込んで、限りなく、ゼロに近づいてしまいます。 星さんの作品は、「ショートショートというジャンルの中の、一作家の作品」としてではなく、単に、「星新一の作品」として残り、「ショートショート」という枠は、認識されなくなってしまったんですな。
≪ショートショートの広場≫は、選者を別の人に変えて、今でも続いていて、続いている理由は、読まれるだけのレベルを保っているからだと思いますが、その一方で、ショートショートというジャンルは、≪ショートショートの広場≫から外へは、一歩も出られないほど、マイナーな世界に縮小してしまいました。 ショートショートというジャンルは、星新一さんのファンだけに支えられていたようなところがあるので、星新一さんが亡くなり、新作が書かれなくなれば、読者もファンも減るのは避けられず、発展のしようがなかったのだと思います。 もはや、一般的な若い世代は、「ショートショート」という言葉すら知らないのではないでしょうか?
結局のところ、ショートショート作家になろうとしても、プロとして喰って行けないから、趣味で留めるしかなく、階層ピラミッドが形成できなかったんですな。 台形だったのです。 コンテストで入賞しても、雑誌社から注文が来なければ、プロにはなれません。 編集者側にしてみると、ショートショートに限らず、短編を発注する時には、作家の知名度を最も重視するのであって、予告や広告に、その作家の名前を入れる事で、ファンに買ってもらえる事を期待しているわけです。 その点、コンテストで入賞しただけの素人なんて、ファンなんか一人もいませんから、雑誌の販売促進には全く寄与しないのであって、そんな奴に注文なんかするわけがありません。 そんなな、理の当然。
ちなみに、星さん自身が、晩年の随筆の中で、そういった業界の裏事情を語っています。 誰に向けて書いているかは、容易に想像できる事。 星さん自身が、「ショートショートでプロになるのは、ほとんど、不可能。 自分は例外だったのだ」と分かった時には、暗い気分になったでしょうねえ。 就職先がない専門学校の、名誉理事長みたいな立場におかれたわけです。 最後まで、選者を続けたのは、放り出したら、もっと無責任だと思ったからではないかと想像されます。
そういう環境ですから、このシリーズでは、「コンテストの常連」という、可哀想な人達が、何人も出て来ます。 コンテストには、何度も入選するのに、永久にプロになれないのです。 せいぜい、賞金や副賞を貰える程度で、それでは、セミ・プロとすら言えません。 そういや、写真雑誌で行なわれている、「フォト・コン」が、同じような世界ですな。 「プロへの登竜門」ではなく、ただの、素人の腕比べなのです。
このシリーズに作品が収録された人で、後に、プロの作家になった人もいるようですが、その中に、ショートショート作家は、一人しかいない模様。 その人ですら、私は、名前を知りませんでした。 他の人達も、名前を聞いた事がある人が、ものの見事に、一人もいません。 つくづく、作家というのは、もはや、有名人ではないんですなあ。 「有名な作家」はいるけれど、「作家なら、有名人」というわけではないわけだ。 「村上春樹」、「東野圭吾」、「宮部みゆき」の三人の名前を知っていれば、充分詳しい方で、一般常識として、それ以上は、求められないんじゃないすか?
そもそも、小説雑誌自体が、マイナーな存在になってしまって、誰が買っているのか、皆目、想像が付きません。 推し測るに、今や、小説が読みたくて、小説雑誌を買っている人は皆無であり、自分自身が小説家になりたい人だけが買っているのではないでしょうか? つまり、出版社が運営しているというだけで、その実態は、「同人誌」と同じなのです。 同人誌だもの、そりゃ、一般人が、掲載作の作者達を知らなくても、無理はないですわなあ。
今でも、≪ショートショートの広場≫に、書いて投稿している人達に、余計なお世話ですが、もし、「行く行くは、プロに・・・」と夢見ているのなら、即、やめた方がいいと思います。 人生を無駄にしてしまいかねません。 星さんが言うように、趣味として楽しめるのなら、他人がどうこう言うような事ではないですが、あなた方、一人として、趣味のつもりで書いてないでしょう? いつか、認められて、生前の星さんのように、プロのショートショート作家になれると思っているんでしょう?
そういう事は、確率的に言って、ありえないです。 二日続けて、隕石に当たる方が、まだ起こり易い。 普通の小説家ですら、もはや、有名人とは見做されないのですよ。 まして、ショートショートで、名を挙げるなんて、とてもじゃないが、無理難題も、そこに極まります。 平易な文章が得意なら、ライトノベルに転向した方が、まだ、芽が出る可能性があるというもの。 もっとも、長いのが書けないんじゃ、それも無理ですが・・・。
自分の好きな本ばかり読んでいないで、本屋に行って、文庫本の棚を眺めてらっしゃいな。 ライトノベルや、推理小説、時代小説が、どれだけあるか。 それらの作家の名前を見て行ってみなさい。 知っている人がどれだけいるか。 ほとんど、知らないと思います。 売れているジャンルですら、そんなもんなんですよ。 況や、ジャンルとして消えたも同然のショートショートに於いてをや。 どうして、有名になんかなれるものですか。
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