2014/11/16

函館へ向かう

  北海道旅行記の、五日目です。 8月29日、金曜日。 この日の予定は、札幌から、鉄道で、函館に向かい、貸切タクシーに乗って、函館一日目の観光をする事になっていました。 長距離の移動の後に、観光というパターンは、気分的に億劫な感じがするのですが、観光の方は、3時間程度なので、朝の時点では、大した事はないだろうと思っていました。 ところが、函館のホテルに入った後で、予定外の所に行く事になり、ズルズルと、ハードな方へ雪崩れ込んで行きます。

  いや、前置きで、こんな事を詳しく書いても、仕方ないか。 面白いもので、前置きが、伸びに伸びて、5段落、10段落くらいになってしまう時もあれば、今回のように、これと言って、書く事がない時もあります。 旅行記なんだから、前置きなんて要らないような気もしますが、どうしてまた、伸びる時は、あんなに伸びるんでしょうねえ。

  「本文を書き始めたくないから、前置きが伸びるのだ」という説を、たった今、思いつきました。 そう言えば、今回は、公開日記用に、9月の初め頃に書いた文章を元に、加筆修正する予定なので、「これから、本文を書かなければならない」という、心理的負担が少ないのです。 なるほど、長い前置きは、「心理的逃避」だったのか。



≪ホテルの朝≫
  ぶつ切りに、眠ったり覚めたりしながら、5時過ぎに完全に目覚め、後は、テレビを見て過ごしました。 「ワールド・ニュースを見ていた」と、日記に書いてあるので、このホテルでは、BSも映ったんでしょう。 沖縄旅行の時は、まだ、≪こころ旅 2014年春シリーズ≫をやっていたので、BSが映るかどうかは、真っ先にチェックしたのですが、北海道の時は、これと言って見たい番組がなく、テレビは、「あればいい」という感じでした。 「もう、いいか」と思って、起き出したのは6時です。

  エアコンを一晩中、「強」にしていただけあって、洗濯物は、全て乾きました。 よしよし。 残り一泊ですから、これで、最終日までの着替えは確保できた事になり、この日の夜は、洗濯しなくても済みます。 そう考えただけでも、気分が楽。 手で洗濯するのは、なんで、あんなに、きついんでしょう。 昔の人は、よく、やっていたものです。 江戸時代の職人は、夏場、褌一丁で働いていたらしいですが、それは、洗濯物を減らすのも、大きな理由だったのかも知れませんなあ。

  6時55分に、朝食を食べに、1階に下りました。 このホテル2回目の朝食は、和定食に変更してもらっていたので、二日ぶりに、御飯にありつけます。 レストランに行ってみると、まだ、開店前で、ビジネスマン風の中年男性、三人連れと、旅行中と思われる青年一人が待っていました。 1分もせずに、開店し、席に案内されたのですが、壁際の席に、ずらりと並ばされたのは、体育館の小学生みたいで、ちと、恥ずかしかったです。 しかし、案内する側としたら、端の席から埋めて行くが、合理的なやり方なんでしょうなあ。

  前日同様、先に、水とオレンジ・ジュースを、セルフで注いで来ます。 料理は、8分くらいで来ました。 焼き豆腐、ピーマン、焼き魚の切り身、きんぴら牛蒡、卵焼き、煮豆、たくあんが、一皿に盛り付けられ、他に、御飯と味噌汁。 ああ、御飯だよ、二日ぶりだよ、こんなにうまそうに見える御飯は、一生に、そう何回もありますまい。 余計な事に、納豆が付いていましたが、白い御飯をそのまま食べたかったので、先に納豆だけ食べてしまいました。 ビジネスマン風の三人も和定食。 青年一人だけが、洋定食でしたが、気の毒に・・・。 この青年の食が細かった事を、祈って已みません。

  部屋に戻って、荷物を纏め、8時過ぎには、チェック・アウトしました。 最初に渡された、リセッシュ(消臭スプレー)は、意趣返し半分に、貰って行こうかと思ったんですが、スプレーの横に、サインペンで、「F」と書いてあって、どういう意味かは分からねど、「ホテルの備品である」という主張が感じられたので、フロントで返却しました。 本音を言うと、ホテル側の契約違反だったんだから、宿泊料金を、一割くらい、払い戻して欲しかったんですがね。 まあ、済んだ事は、良しとしますか。

1 朝食 和定食
2 煙草臭い部屋(左)/ リセッシュの「F」(右)



≪札幌から、函館へ≫
  函館へ移動する為に、札幌駅へ向かいます。 重い旅行鞄を背負っていても、ホテルから駅までは、やはり、10分くらい。 この近さは、何ものにも代えがたい便利さがありましたねえ。 さすが、ビジネス・ホテルだ。 基本的に、ビジネス・ホテルというのは、駅から徒歩で行ける距離に立地しているのかも知れませんな。 逆に言うと、ビジネス・ホテルがあれば、その近くには、必ず、駅があるわけだ。 ほんとかな? 今後、気をつけて観察してみる事にします。

  札幌駅、08:34発の、「特急 北斗6号」に乗ります。 沖縄でも北海道でも、長距離の移動は、飛行機だったんですが、この区間だけは、鉄道でした。 飛行機の便も、新千歳から函館までなら、たぶん、あると思うのですが、私が、去年の終りから今年の初めにかけて、仕事の応援で苫小牧に住んでいた事を、○△商事の担当者に話してあったので、その近辺を、車窓から見られるように、計らってくれたのではないかと思います。 ちなみに、鉄道で、札幌から函館へ向かうには、小樽を経由する方が、距離的には近いと思うのですが、特急は、そちらを通らず、太平洋側に出て、海岸線を回って行きます。

  ホームに上がると、北斗6号は、もう、停まっていました。 先頭に行って、写真を撮りましたが、先頭部分の色が青いだけで、普通の電車然としたデザインでした。 車内にあったパンフを見たら、同じ路線を走る、「スーパー北斗」の方は、「いかにも、特急」というデザインのようです。 ちなみに、どちらも、ディーゼル駆動。 電化してない区間があるんですかね? なにせ、鉄道に興味がないので、よく分かりません。

  函館駅までの所要時間が、なんと、4時間! 長いなー。 座席は指定席で、「2号車 3番A席」。 右の窓側でした。 苫小牧から先、左側は、ほとんど、海ですから、変化がある山側が見れる右側席は、お得と言うべきでしょう。 指定席車両は、座席も高級で、新幹線のそれと、ほぼ同格でした。 ただし、走る線路は在来線なのであって、乗り心地は、それなりです。 特急と言っても、スピードが、普通列車より、格段に速いというわけではなく、停まらない駅が多いから、その分、早く着くというだけの話のようです。

  車内は、七割方、席が埋まっていました。 札幌・函館間、8830円と、決して安くないのに、指定席を買う人がこんなにいるとは、驚きです。 社用で、経費で落ちるんでしょうか? ビジネスマンばかりではなかったような気がしますが。 幸いにも、私の隣の席は空いていて、余計な神経を使わずに過ごせました。 飛行機でも、鉄道でも、隣に人がいるといないとでは、大違いです。 隣席との境に、肘掛けが一本しかないのは、どういう設計理念なんでしょうねえ? 半分ずつ使うんですか?

  出発する前から、腹の調子が悪くなり、トイレへ行ったのですが、レバーを引いても、ドアが開かず、「壊れているのか?」と思って、何度もやっていたら、中から、ノックの音が・・・。 使用中だったんですな。 これは、失礼しました。 交通機関の中で、トイレを使うのが、何十年かぶりだったので、使用中である可能性を、完全に失念していました。 よく見れば、ドアの横に、「使用中」という文字が出ていたんですがね。

  ところが、その後、三回行って、三回とも、使用中。 三回目には、お婆さんが外で待っていて、「いつまで経っても空かない。 大丈夫だろうか?」と言うので、私が、ノックしてみたら、中から、ノックが返って来ました。 意識を失っているわけではない様子。 また、席に戻って、待ちます。 その内、いかにも、「すっきりした」という歩き方の男が、席に戻って行ったので、ようやく出たと分かった次第。 それにしても、出発前から、20分くらい、トイレを占拠していたわけで、迷惑な奴もいたものです。

  お婆さんが出た頃を見計らって、トイレに行き、ようやく、入れたのですが、中は、洋式でした。 今は、みんなそうなのかもしれません。 除菌液があったので、それをトイレット・ペーパーにつけて、便座を拭き取ります。 衛生上の心配がなくなるのはいいんですが、トイレのたびに、誰が座ったか分からん便座を拭くのは、あまり、気分のいいものではありませんな。 何とか、除菌が自動にならないものか。

  席に戻って、しばらく走ると、とある街に入り、「上組」という看板が出ている大きな建物が見えました。 苫小牧にも、同じ会社があったので、「へえ、ここにもあるのか」と思っていたら、そこが、もう、苫小牧でした。 思ったより、早く来てしまった。 慌てて、カメラを出しましたが、駅前の、ドン・キホーテを撮るのがやっとでした。 頂上にプリンを載せた、「樽前山」や、白老町の、「ポロトコタン」、登別の水族館、「マリンパークニクス」など、懐かしい風景が、次々と、目に入って来ます。 しかし、窓の外を、夢中で見ていたのは、そこまででした。

  知らない土地に入ってしまうと、鉄道の旅は、単調です。 鉄男や鉄子が、どうして、あんなに燃えるのか、気が知れません。 下りなければ、その土地の事は分からないのですが、全ての駅に下りるわけにも行きますまいに。 また、特急の指定席車両で、4時間という長い旅でありながら、何のサービスもないのですから、飛行機とは、雲泥の差です。 「これから、○○のサービスに参ります」という放送があっても、それらは、全て、有料なのです。 これでは、飛行機に勝てないでしょう。 原価、数円のドリンク・サービスだからといって、侮ってはいけません。 それが、「また、乗りたい」という気持ちを、客に起こさせるのですから。

  伊達紋別駅を過ぎると、「有珠山」らしき山が見えて来ましたが、車内アナウンスがあるわけではないので、本当に有珠山なのかどうか、分かりません。 この点、観光バスや、貸切タクシーに、遠く及びませんな。 鉄道会社というのは、車窓の眺めなんか、どうでもいいと思っているんじゃないでしょうか。 どうせ、客室乗務員を乗せているのなら、鉄道グッズなんか売らせるより、車内放送で、簡単なガイドをやらせた方が、ずっと、受けがいいと思います。 「観光客ばかりではないから」? いやあ、移動だけが目的の客でも、ガイド放送を嫌がったりはしないと思いますよ。 大体、移動だけが目的なら、それこそ、飛行機の方を選ぶでしょう。 列車の揺れを、4時間も我慢する理由はありません。

1 特急 北斗6号(左)/ 指定席の座席(右)
2 樽前山のプリン
3 推定・有珠山

  この辺り、左側は、ほとんど、海でした。 電車から見る海の景色というのは、そんなに何分も、眺め続けていられるものではないんですわ。 変化がありませんから。 漁船が、ちょこちょこと、目に入りますが、他には、崖が見えるわけでもなければ、島が見えるわけでもなく、この上なく、退屈。 閑で仕方ないので、日記を書いていましたが、すぐに、現時点に追いついてしまい、書く事がなくなりました。 礼文島で買った、ハッカ飴の残りをなめつつ、ぼけーっと過ごします。

  その後、洞爺、長万部、八雲、森と停車し、そこから、内陸へ南下して行きます。 ちなみに、長万部から先は、「渡島半島」に入ります。 北海道を手で持つと仮定した時に、取っ手の部分に当たる所が、全部、渡島半島です。 範囲が広いので、半島という感じがせず、こんな名称がある事自体、全国区では知られていません。 「ははは! 『としま』じゃなくて、『おしま』って読むんですよ」などというツッコミを受ける以前に、渡島半島自体を知らないのですが、北海道民は、そんなに知名度が低いとは、思ってもいないでしょうなあ。

  次の大沼公園駅は、 大沼・小沼という沼があり、そこへ来る客のためだけに作られたと思われる駅。 大沼と小沼の間を、線路が通っています。 そこを過ぎると、もう、函館に繋がる平野に入ります。 田畑が広がっていて、何となく、本州的な風景です。 五稜郭駅を過ぎ、函館駅に着いたのが、12時半。 函館駅は、ホームが湾曲していて、いかにも、絵になりそうな駅でした。 しかし、鉄道に興味がない私は、するっと、スルーです。 貸切タクシーが待っているので、芸術写真なんか狙っている暇はない。

1 大沼・小沼の、小沼の方
2 函館平野北部
3 函館駅ホームの湾曲


≪貸切タクシー≫
  運転手さんは、改札の外で、名札を掲げて待っていました。 北海道では、四人の運転手さんにお世話になりましたが、全員、私の名前を、カタカナで、デカデカと書いた名札を持っていました。 初対面の相手を探すわけですから、名札を用意するのは、無理もないのですが、何となく、恥ずかしいのは、私だけで、向こうは、仕事だから、何とも思っていないんでしょうか。 函館の運転手さんは、私と会うなり、目を丸くして、言いました。

「一人?」
「はい」

  先に立って歩き出したものの、すぐに振り向いて、

「一人?」
「はい」

  ちょっと間を置いてから、また、振り向いて、

「ほんとに、一人?」
「はい」

  くどい、っつーに。 つまり、函館では、貸切タクシーを、一人で頼む人間など、まず、いないという事なんでしょうな。 クーポンには、ちゃんと、「大人 1名様」と書いてあるんですが、この運転手さんは、個人タクシーなので、細かい情報まで、伝わっていなかったんでしょうか? いや、それにしては、傘を二本、持って来ていました。 一人とは分かっていたものの、半信半疑だったんですかね?

  駅から出ると、雨がポツポツ降っていましたが、濡れるほどの降りではなかったので、傘はささずに、車まで、そのまま歩きました。 車は、黒のクラウンです。 個人タクシーだからでしょうが、高い車を使っています。 この車、オーナー・カーだと、コンセプトが中途半端で、パッとしませんが、黒塗りのタクシーにすると、迫力があって、大変かっこよく見えます。

  この日に、3時間、翌日に、3時間の貸切契約です。 この日の分のクーポンを渡すついでに、「五稜郭タワー」と、「旧イギリス領事館」の、入場クーポンを見せました。 この二枚、○△商事から、送られて来た物ですが、8月29日、つまり、この日の日付が入っており、他の日では使えない可能性があるのです。 運転手さんは、困った顔をしました。 二日に分けて函館を観光する場合、無駄なく回れる最適なコースというのが、当然あるわけですが、運転手さんが考えていたコースでは、五稜郭と旧イギリス領事館を、初日に回るのは、ありえねー組み合わせだった模様。


≪五稜郭タワー≫
  とはいえ、そこはプロで、すぐに、コースを組み直し、まず、五稜郭へ向かう事になりました。 五稜郭は、昔は、函館郊外の、何もなかった所に造られたらしいのですが、今では、周囲をびっしり、市街地に埋め尽くされていて、運転手さんの話では、「ちょっと中の方に入ると、飲み屋ばっかり」なのだとか。 五稜郭タワーは、すぐに見えて来ました。 運転手さんに付き添われて、チケット売り場まで行き、そこからは、一人で上に上がります。

  このタワー、下が、地上1階と地上2階、上が、展望1階と展望2階の、合わせて、4フロアあるのですが、エレベーターで上がる時には、地上1階から、展望2階へ上がり、下る時には、展望1階から、地上2階へ下ります。 展望2階から展望1階、地上2階から地上1階に下りるには、階段を使います。 ややこしいですが、現場に行けば、他に、上がりようも下りようもないので、混乱する事はありません。

  エレベーターは、30人乗りが二基ありました。 ドアは、地上1階にも、展望2階にも、二つあるんですが、地上1階から乗れるようになっているのは、一基だけでした。 もしかしたら、二基を、上り専用と、下り専用で、分けているのかもしれません。 もし、そうだった場合、図で表すと、こんな感じになります。 「↑・↓」は、エレベーター、「\・/」は、階段です。

□展望2階
↑ \
↑   □展望1階
↑   ↓
↑   ↓
↑   ↓
↑   □地上2階
↑ /
□地上1階

  なんで、こんな方式にしているかというと、土産物の売店の前を通らせるためというのも考えられますが、それ以上に重要な理由は、エレベーターを効率よく動かすためでしょう。 30人乗りともなると、途中階で停止させていたら、奥に入った人を下ろすのに、時間がかかって仕方ありません。 この方式なら、途中階がなくなるので、乗る時には、全員が乗り、下りる時には、全員が下りるパターンになって、混乱が起きません。 満員になってから、動くので、係員が操作します。 昔懐かしい、エレベーター・ガールですな。

  そういや、私が上がる時、最後に乗り込んで来た家族連れがあったのですが、その中にいた、小学校低学年くらいの女児が、「満員だから、乗りたくなーい!」と大声で叫びました。 すでに乗って、待っている客の間に、苦笑いが広がります。 それでも、親に引っ張られて、乗って来ましたが、別に、こちらも、乗せたくはないのであって、次の便にしてもらっても、一向に構わなかったんですがね。 もちろん、次の便も、満員にならなければ、動かないわけですが。

  私は、一乗客に過ぎないから、まだいいんですが、係員は、満員にならなければ、動かせない立場ですから、こんな事を言われたら、いい気分はしはないでしょう。 親は、なぜ、その場で、注意しないのか。 子供に嫌な思いをさせたくないから? いやあ、自分が恥を掻きたくないからじゃないの? こんな事を、人前で平気で口にする子供を連れている事の方が、よっぽど恥だと思いますが。

  また、他の客で、若い男どもが、軽薄なノリで、「そうだ。 その通りだ」などと、この女児を応援していました。 馬鹿めが。 他人のガキに媚びていてどうする? そんなに満員が嫌だったら、お前らが率先して下りろよ。 こういう所で、全くの赤の他人と行動を共にせざるを得ない状況におかれると、人間の醜い面ばかり、目につき鼻について、ほとほと、嫌になります。

  展望2階、つまり、最上階へ。 エレベーター自体は、高速なので、動き出してしまえば、待つ間もなく、到着します。 エレベーターを下りて、ガラス張りの壁に近付くと、眼下に、五稜郭が、ドーン! これは、凄い! 高さは、90メートルだそうですが、五稜郭を見るためだけに、これだけのタワーを作るというのが、また凄い。 そして、充分にその価値がある眺めなのです。

  もう、一心不乱に、写真を撮りまくり! 肉眼だと、一目で、五稜郭の全体が見えますが、カメラだと、全部を一コマには収められず、左右半分だけとか、片側の端っこだけとか、無駄な写真が、どんどん増えます。 帰って来て、見返していると、同じような写真ばかり何枚もあって、「なんで、こんなに撮ったんだろう?」と、自分で自分が、分からなくなって来ます。 逆に言うと、感動が大きかった所ほど、写真の枚数が増えるという事になりましょうか。

  展望2階には、五稜郭の歴史を解説したパネルが並んでいました。 五稜郭というと、戊辰戦争で、幕府脱走軍が拠点にし、薩長軍と戦った事で有名ですが、造られたのは、もう少し前で、作ったのは、徳川幕府です。 本来の目的は、開国と平行して、ロシアに対する防備を固めるためだったとの事。 ヨーロッパの城郭を手本にして、1857年に着工、7年後の1864年に完成。 戊辰戦争で、幕府脱走軍が乗り込んで来るのは、1868年です。 結果的には、その為に作ったような格好になったわけですな。

  01番から16番まで、ずらりと並んだ、縦長のガラスケースの中に、五稜郭の歴史の一コマを表した、ジオラマ模型が入っています。 ガラスの前面に、文字の解説と、四コマ漫画がプリントされていました。 文字の解説は、日本語、英語、簡体字中国語、繁体字中国語、韓国朝鮮語で書かれているのですが、奇妙なのは、同じ中国語なのに、簡体字版と繁体字版で、訳文が異なっていた事です。 繁体字版の方が、広東語というわけでもなく、どちららも、北京語(普通話・国語)です。 たぶん、それぞれ、別の人が訳したんでしょうな。 元の日本文は同じなのに、こんなに変わるものなのか・・・。

  また、四コマ漫画が、オチのない漫画でして、ものの見事に、面白くも何ともないと来たもんだ。 大抵の人は、四コマ漫画を見ると、オチを期待する癖がついていると思うのですが、そのつもりで読んでいると、肩透かしを喰らいます。 連続16回も肩透かしを喰らわせてくれる、珍しいスポット。 もしや、漫画のつもりで描いたのではなく、単なる、フキダシ入りのイラストなんすかね? ちなみに、漫画のフキダシは、日本語オンリーです。 この漫画があるせいで、そちらに目が行ってしまって、肝心のジオラマを、ろくに見なかったという人が多いのでは?

  フロアの一隅に、土方歳三の銅像あり。 土方は、新撰組副長としては、説明不要だと思いますが、京都と甲州で敗退した後、新撰組の生き残りを率いて、幕府脱走軍に加わり、陸軍奉行並として、最後まで薩長軍と闘い、函館で戦死しました。 ここのは、座像ですが、地上1階にも、立像があり、どうやら、五稜郭では、一押しの英雄となっている模様。 斬首された近藤勇と比べると、いい死に場所を得た人と言えます。

  展望1階に、階段で下ります。 ここは、専ら、土産物店の為の階ですが、ここでも、充分高いので、五稜郭は、よく見えます。 床の一部に、ガラス張りになった所があって、真下が見えます。 高所恐怖症でなくて良かった。 世界各地の、類似城郭を紹介したパネルあり。 ヨーロッパが多いですが、東南アジア、台湾、あと、北アメリカ大陸にも、いくつかあるようです。 日本にも、ここの他に、長野県佐久市に、「龍岡城 五稜郭」というのがあるとの事。 なに、長野県? 近いじゃん。 バイクで行って来ようかな。

1 30人乗りエレベーター(左)/ 展望2階(右)
2 タワーからの五稜郭
3 ジオラマと解説(左)/ 土方座像、逆光御免(右)
4 函館の街と、函館山の裾だけ
5 展望1階、土産物売り場

  エレベーターで、地上2階へ下ります。 この階には、レストランがいくつか入っています。 階段で、地上1階へ。 この階の大部分は、土産物の売店で占められています。 こちらは、展望1階のそれより、広いです。 土産は、利尻島で、昆布を、礼文島で、木彫りの熊を買ったから、とっくに予算オーバーしており、もう宜しい。 司馬遼太郎さんの、≪燃えよ剣≫は読みましたが、土方に、さほどの思い入れはありませんし。


≪五稜郭≫
  外に出て、五稜郭そのものへ向かいます。 ふと、思ったんですが、五稜郭タワーへ先に上って、五稜郭を見たつもりになり、五稜郭そのものへ行かずに帰ってしまう観光客が、かなりいるのではありますまいか? そのくらい、タワーの方のボリュームが大きいのです。 タワーは有料ですが、五稜郭は無料。 そこまで、行きさえすれば、誰でも入れます。 公園になってますから。

  また、ポツポツ、雨が。 しかし、濡れるほどではありません。 カメラと腕時計だけ庇って、早足で歩きます。 「一の橋」と、「二の橋」を渡って、城内へ。 石垣は、みな切石で、整然と詰まれていますが、石垣自体は、そんなに高くありません。 上に、武者返しが付いているのは、珍しい方でしょうか。 ちなみに、城郭ではありますが、いわゆる、城主の居城としての城ではなく、用途としては、砦に近いです。 よって、天守閣は、最初からありません。 櫓もなし。 築城の理念にしてからが、日本の伝統的なそれとは、異なっているんですな。

  ただ、幕府の、「箱館奉行所」が置かれていた関係で、その建物が、中央にあります。 37年前に、私の母が来た時には、そんな物はなかったらしいですが、近年復元されたそうで、まだ新しい奉行所が、デンと構えていました。 結構には、存在感のある建物です。 復元後に来て、良かった。 中は、資料館ですが、有料・土禁と、私が嫌いな条件が揃っていたので、パス。 周囲を歩くだけにしました。 この五稜郭、正直な感想、形が整然とし過ぎていて、城・城跡としては、あまり、面白くありません。 「タワーがなければ、観光名所になれなかったのでは?」とさえ思いました。

  タクシーに戻って、次へ行きます。 運転手さんの話では、五稜郭タワーは、個人の所有物で、函館観光の目玉なのに、バスの駐車場があるだけで、車やタクシーを停める場所がないのだとか。 函館をレンタカーで回ろうという人は、前以て、停められる所を調べておかないと、右往左往する事になりそうです。

  土方について、私が、「函館の観光資源として考えると、いい所で死んでくれましたね」と言うと、運転手さんは、「まあ、土方は、生きてたって、捕まれば、斬首されるだけだからね。 同じ、新政府に歯向かったといっても、榎本らとは、立場が違う」と言っていました。 確かに、京都では、薩長の藩士をどれだけ殺したか分かりませんから、その通りなんでしょうなあ。 私としては、土方が生き残って、新政府軍の要職に就き、後々、外国侵略に加担するような事がなかったのは、幸いだったと思います。

1 五稜郭の堀と二の橋
2 武者返しが付いた石垣
3 復元・箱館奉行所
4 松の間から、五稜郭タワー


≪オーシャン・スタジアム≫
  函館山の方へ南下して行きます。 街なかで、野球場の横を通りました。 運転手さんの話では、函館は、社会人野球が盛んで、「函館太洋倶楽部」というチームの本拠地が、その球場だとの事。 このチームに、戦前の日米野球で、沢村栄治投手とバッテリーを組んだ、久慈次郎という選手がいて、後に、試合中の事故で亡くなってしまうのですが、その敢闘精神を偲び、都市対抗野球に、「久慈賞」が設けられているという話も聞きました。 私は、野球に興味がないので、生相槌を打っていたのですが、帰って来てから調べたら、この球場は、「千代台(ちよがだい)公園野球場」の事だと分かりました。 愛称は、「オーシャン・スタジアム」。

  その事故というのが、打者だった久慈選手が、四球で一塁へ向かおうとした時、相手チームの捕手が、二塁に向けて投げたボールが頭に当たったという内容。 久慈選手は、まだ、ホーム・ベース上にいて、次の打者に指示を与えようと振り向いた為に、そういう事になってしまったらしいです。 久慈選手は、もちろん、気の毒だと思いますが、その相手チームの捕手も、残りの人生、嫌~な思いをし続けたでしょうねえ。


≪石川啄木一族の墓≫
  函館山の東の方で、「石川啄木一族の墓」の横を通りましたが、墓の前面を遮るように立つ先客の一団がいた上に、車も停めてくれなかったので、写真は撮れませんでした。 啄木は、元は岩手県の人ですが、一時期、函館にも住んでいたんですな。 ただし、あくまで、一時期であって、死んだのは、東京です。 その後、ここに墓が建てられ、遺骨も移されて来たのだとか。 ただ、一族が、函館に根を下ろしたのは、また、別の理由のようです。 私は、歌人・詩人に、とんと興味がないので、その辺の、込み入った事情を調べる気力が出ません。

  そういや、啄木の友人だった、若山牧水は、晩年を沼津市の千本浜近くで過ごした人で、記念館もありますが、私は、一度も入った事がありません。 もっとも、これは、牧水だけのせいではなく、同じく、沼津にゆかりがある、井上靖や芹沢光治良の文学館が、あまりにもつまらなかったせいで、「文学系の記念館には、決して近づいてはならぬ」という私訓を立てたからです。 生原稿なんか、いっくら、睨めっこしたって、全っ然、面白くない。 ビジュアル価値、ゼロ。 超一流文学者の記念館より、素人画家の物置美術館の方が、遥かに見応えがあります。

  ところで、ネット情報では、この、「石川啄木一族の墓」が、「立待岬」にあるかのように書いてあるものもありますが、実際には、ちょっと離れています。 また、函館には、「啄木小公園」という所もあるのですが、そこはまた、別の場所です。 ややこしいなあ、もう。 ややこしいのは、啄木本人の人生だけにしてくれ。


≪立待岬≫
  そのまま、少し南下すると、「立待岬」に着きました。 「たちまち みさき」ですな。 母が37年前に買ったガイド・ブックによると、ここで、アイヌの娘が、帰らぬ男を待ち侘びたのが、名前の由来だとか。 海に突き出た公園のようになっていて、「晴れた日には、いい所ですよ」と運転手さんが言ってましたが、その時は、思いっきり曇っていました。 でも、背後に大きな岩山があり、確かに、晴れていれば、気持ちがいい場所だろうと思われました。

  ハマナスの木がたくさん植えてあって、赤い実が成っています。 運転手さんが、「うまくはないけど、食べられない事はないから、ちょっと齧ってみたら」と言うので、一つもいで、齧ってみたら、その通りの味でした。 何も食べるものがなければ、食べるでしょうが、今では、他においしい物がたくさん溢れているから、子供も食べないでしょうなあ。

1 立待岬
2 背後の岩山
3 ハマナスの実(撮影地、稚内)


  この岬からは、青森県の下北半島も見えます。 しかし、たぶん、函館付近ならば、どこからでも、下北半島が見えるのではないかと思います。 ちなみに、私は、1994年の夏に、野宿ツーリングで、下北半島の大間崎まで来ており、その時、本州側から、北海道を見ています。 あれから、20年も経つのか。 別の見方をすれば、あの時、遠くから見た場所へ来るのに、20年かかったわけですな。

  渡島半島の南西の方ですが、北島三郎さん、千代の富士さんの故郷が、そこから見えると、出身地の地名を教えられました。 しかし、基本的な地図や地名が頭に入っていない私には、ピンと来ませんでした。 北島三郎さん、「はるばる来たぜ、函館」と歌っていましたが、実際には、それほど、はるばるではない所の出身だったんですな。


≪函館公園≫
  また、タクシーに乗り、函館山の中腹を、ぐるりと回って、「函館公園」の横を通りました。 函館公園は、明治の初め頃、イギリス領事のリチャード・ユースデン氏が、「病人に病院が必要なように、健康な人間には公園が必要だ」と、呼びかけて、函館市民が総出で作った、日本で初めての公園だとの事。 ユースデン氏の気の利いたセリフと、函館市民のノリの良さに、思わず、「ほーっ」と感心したんですが、ここでも、停まってくれなかったので、写真は撮れませんでした。

  ちょっと、停まってくれれば、そこへ行った証拠写真が撮れるんですがねえ。 道が狭くて、他の車が来たら困るという事情もあったと思いますが・・・、もしや、運転手さん、五稜郭タワーと、旧イギリス領事館のクーポンのせいで、予定を狂わされて、虫の居所が悪かったのでは? 60歳くらいの、大変、温厚な方でしたが、どんなに出来た人でも、やはり、思い通りに事が進まなかった時には、気分が腐る事もあるのではないかと・・・。 いや、それは所詮、私の推測に過ぎませんが。


≪旧イギリス領事館≫
  2時半頃、「旧イギリス領事館」に着きました。 二階建ての、木造洋館です。 日本の一般家屋と比べれば大きいですが、イギリスの上流階級なら、個人の家と同じくらいの規模なんじゃないでしょうか。 建物の外観は、アイボリーの壁に、青い窓枠、寄棟の瓦屋根を載せていて、瀟洒という言葉がピッタリ来ます。 この黒っぽい瓦は、日本の瓦でしょうか? 家具調度は、昔の物が置いてあって、茶器セットなどもあるので、領事がここに住んでいたように感じられるのですが、広さ的にみて、もしかしたら、住居は別で、ここは、領事事務だけを執り行なっていた、役所だったのかもしれません。

  ちなみに、現在、函館に、イギリス領事館はありません。 1859年から1934年まで、置かれていたとの事。 2階の部屋の一つに、双眼鏡で、窓の外を見ているユースデン氏の像があり、各部屋の説明板も、ユースデン氏と、その夫人の事績を中心に紹介してあります。 ここで、ちょっと、引っかかりました。 ユースデン氏の在任期間は、1968年(明治元年)から、1880年(明治12年)までで、その年に帰国しています。 一方、イギリス領事館は、何度か、火災に遭っていて、この場所に移って来たのは、1885年だとの事。 だったら、ユースデン氏は、この建物には、一度も入った事がない事になります。 うーむ、油断ならんな。 イメージで、騙されるところだった。

  順路があり、最初に、2階に上がって、その後、中二階を通り、1階の中庭に下りるようになっています。 中二階には、函館の歴史を解説したパネルがあり、これはまあ、勉強になります。 解説が詳し過ぎないのも良し。 ただし、ペリー提督の像が置いてある点は、「イギリス領事館なのに、なぜ?」という、違和感あり。 中庭には、床面いっぱいに、「函館 世界大鳥瞰図」という、昔の地図が描かれています。 函館だけがクローズ・アップされた、奇妙な地図で、ちょっと、驚かされます。

  中庭に下りると、様々なヨーロッパ言語でフキダシをつけた、人形パネルが並んでいますが、訳文を読んでみると、大した事は喋っていません。 最も変わっているのは、鏡を利用した、セルフ顔出し撮影の部屋で、ちょうど顔が入るくらいの穴から、部屋の中を覗き込むと、向こう側の壁が鏡になっていて、手前側の壁に描かれた絵の中の人物になれるという趣向。 絵は、明治初頭の函館港の賑わいを描いたもので、カメラを構える穴は別に開いています。 観光地によくある顔出しパネルは、専ら、子供向けですが、ここのは、大人も楽しめるようにしてある点、高評価を与えられると思います。

  1階の一部屋が、土産物店になっていますが、函館グッズではなく、イギリス・グッズで埋まっていまして、「なんで、函館に来て、イギリスの土産を買わねばならんのよ?」という事で、もちろん、何も買いませんでした。 これは、沖縄・宮古島の、「ドイツ村」で、何も買わなかったのと、同じ理由。 庭も見れますが、煉瓦敷き、芝生、噴水、あずまや、並んだベンチと、公園風になっており、いわゆる、「イギリス式庭園」ではないです。

1 旧イギリス領事館
2 函館の街を眺めるユースデン氏の像
3 函館 世界大鳥観図(左)/ セルフ顔出し撮影の部屋(右)
4 建物背面と庭

  この、旧領事館、すでに、イギリスとは無関係で、運営しているのは、函館市のようです。 函館には、かつて、他の国の領事館もあったわけですが、なぜ、イギリスの物だけ残っているかというと、開港の頃から、一貫して、領事館を置き続けていたのは、イギリスだけだったからとの事でした。 たぶん、以前は、「函館 世界大鳥瞰図」や、「セルフ顔出し撮影の部屋」などはなかったのだと思いますが、さすがに、21世紀ともなると、「旧イギリス領事館」というだけでは、客が呼べなくなったのでしょう。 いろいろ、工夫しているのは分かりますが、却って、興醒めになってしまっている感、なきにしもあらず。


≪ペリー提督来航記念碑≫
  外に出ると、運転手さんが待っていて、向かい側の敷地に、ペリー提督の銅像があると言うので、行ってみました。 広い敷地の、片隅に、立像があります。 右手に、ナポレオン風の帽子を抱え、左手は、サーベルの柄の上に載せています。 運転手さんによると、このポーズは、敵意がない事を示しているのだとの事。 思いっきり、砲艦外交をやった人なんですが、良心的に見れば、確かに、人は殺してませんな。

  なぜ、イギリス領事館の向かいにあるのか? もちろん、ペリー氏は、アメリカの提督であって、イギリスとは関係ありません。 運転手さんの話では、以前、この敷地には、病院があったそうなのですが、更地になったので、空いている所に建てたのだろうとの事。 帰って来てから、ネットで調べたら、像が建てられたのは、2002年で、ここが選ばれたのは、かつて、近くに、旧アメリカ領事館があったからだとか。 いずれにせよ、大した理由ではなさそうですな。

  ペリー提督、下田にも来ていますが、函館にも来ていたとは、知りませんでした。 時は、1855年。 松前藩が応対に当たったのですが、幕府から、「そっちに行くぞ」とだけ連絡が来て、日米和親条約の内容を知らされていなかったので、えらい大慌てをしたそうです。 滞在日数18日間。 ちょっと、来てくれただけで、後々、観光資源として、莫大なお金を地元に齎してくれるのですから、つくづく、歴史上の人物というのは、ありがたいものです。 大物であればあるほど、効果が大きい。

  ペリー像の隣に、函館ゆかりの歴史上の人物について、写真や解説文をプリントした円柱が、三本、立っていました。 この円柱、五稜郭でも、たくさん見ました。 たぶん、函館市か、観光協会か、そういうところが立てているのだと思いますが、一目で、そこに、史跡があると分かるので、自力で観光している人達には、いい目印になると思います。 情報量が多くて、全部読むのが大変なのと、平面でないせいで、写真に取り難いのが、問題点。

1 ペリー提督像
2 歴史解説円柱

  このすぐ上の方に、白い壁に黄色い窓枠の、大きな木造洋館があり、運転手さんに、「あれは、何ですか?」と訊いたら、「あれが、『函館公会堂』だけど、あれを今日、見ちゃったら、明日、見る物がなくなっちゃうよ」と言われたので、それ以上、触れませんでした。 おそらく、この時、運転手さんの頭の中では、明日回るコースの道順が、凄まじい勢いで、計算されていたに違いありません。

  この日のタクシー観光は、これで、おしまい。 函館の東の方にある、「湯の川温泉」へ向かい、予約してある、「湯の川観光ホテル 祥苑」に送り届けてもらいました。 その途中、「せっかく、函館まで来たんだから、夜景は、見ておいた方がいいですよ」と言われました。 私も、そんな気分になりかけていたので、「はあ、そうですねえ」と言うと、「ホテルの前まで、バスが迎えに来るから、フロントで訊いてみればいいですよ」との事。 それなら、見に行かない手はありません。 すっかり、乗り気になって、タクシーを下りました。 これが、この日の、「ハード化」の、ターニング・ポイントとなります。


≪和風ホテル≫
  函館のホテルですが、沖縄・北海道旅行の最後にして、初めての、「和風ホテル」でした。 和風旅館ではありません。 あくまで、和風ホテル。 湯の川は、温泉地だから、和風ホテルが主流になるのは、致し方ありませんが、私は温泉嫌いで、どうせ、大浴場には行きませんから、洋風の方がありがたいというのが本音です。 テレビ東京の、≪ローカル路線バス乗り継ぎの旅≫で、蛭子さんが、旅館や民宿、海鮮料理を、極度に嫌う気持ちが、私には、よーく分ります。

  もっとも、ここの場合、和風と言っても、ホテルはホテルなので、部屋が畳敷きで、布団を敷いて寝るという以外は、洋風ホテルと同様の設備がありました。 まず、ロビーとフロントは、完全に洋式。 廊下も、土足OKです。 各部屋の中に、靴脱ぎがあるわけですな。 部屋も、靴脱ぎから、直かに、畳の間に上がるのではなく、板張りの廊下がありました。 そこでは、持参のスリッパが使えたので、土禁アレルギーの私としては、大変、助かりました。 さすがに、畳の上には、スリッパでは上がれませんから、自分が歩く所だけ、除菌ティッシュで、拭いてしまいました。 これで良し。 何にでも、対策はあるものです。

  大浴場以外に、個室にも浴室があり、その辺りも、完全に、洋風です。 ユニット・バスではなく、浴槽と洗い場が分かれています。 トイレは独立していて、洋式の洗浄機能付き。 こうなって来ると、もはや、畳敷きに拘る意味がないような気もします。 温泉地だからと言って、普段、畳生活をしていない人達が、畳を喜ぶとは思えません。 壁や天井は、和風のデザインでもいいですが、床は板張りにして、ベッドと、机・椅子を置いた方がいいんじゃないでしょうか。

  それはさておき、部屋の広さですが、畳の間は、10畳。 それに、座卓・座椅子式の応接セットの間が、3畳。 椅子代わりになる台と、板張りの床に机を置いた空間が、3畳で、合計16畳。 水周りは、それとは別ですから、いかに広いかが分かります。 四人くらいは、楽に泊まれる広さですが、座椅子の数や、浴衣の数からみると、これでも、二人部屋のようです。 私は、そこに一人で泊まるわけで、何たる贅沢! 罰が当たるんじゃないでしょうか。

  ちなみに、昔は、旅館と言ったら、夜になってから、係の人が、各部屋の布団を敷いて回ったものですが、今では、チェック・インする前から、敷いてあります。 この方が、荷物を広げた後で、他人に部屋に入って来られなくて済むので、ありがたいです。 布団は、ごく一般的な布団。 シーツの間に入り込む、ベッド・メイクされたベッドよりは、寝易いですが、その下の畳の硬さに違和感があるからか、旅館で安眠するのには、慣れが要ります。

  食事は、夕食も朝食もバイキングだそうで、気楽で良かったです。 場所は、食堂というか、テーブルと椅子が並んだ、大宴会場で、舞台があり、映画の上映設備まであるという、だだっ広い所でした。 料理の種類も、今までで、最多。 和風ホテルだけあって、和食系が充実しているんですな。 しかし、私は、バイキングの刺身なんぞ、絶対食べません。 私の感覚では、海鮮料理というのは、自分から進んで選んで、食べるようなものではないのです。

  バイキングだと、飲み物にジュースを取るのが、癖になってしまいました。 普段、家では、そんな事ができないので、「せめて、旅行中くらい」と欲を掻いてしまうのです。 ところが、ここで、思わぬ失敗をしました。 ジュースだと思って、マシンからコップに入れたのが、フローズン系ドリンクだったのです。 どろどろっとした、かき氷だと思っていただければ宜しい。 その内、融けるだろうと思っていたのですが、食事が終わっても、ほとんど、状態が変わりません。 やむなく、そのまま、口にかき込んだのですが、直後から、急激、且つ、強烈な頭痛に襲われ、手の甲で額を押さえる事になりました。 痛くて、目も開けられません。 痛みが引くのに、一分以上かかる。

  一口で、そんな有様ですから、そこでやめておけばいいものを、勿体ないというより、「取って来た物を、残すと、間違えたみたいで、みっともない」という気持ちがあって、やめられません。 間違えたのは事実なのですから、やめればよかったんですがねえ。 一口飲んでは、額を押さえ、また、一口飲んでは、額を押さえる。 それを繰り返し、7・8分かけて、何とか、コップを空にしたのですが、頭の中の血管がどうにかなったようで、頭痛が残ってしまいました。 立ち上がっても、くらくら、目眩がする始末。 部屋に帰って、すぐに、眠りたかったのですが、そうは行きません。 まだ、夜景見物があるのです。

1 湯の川観光ホテル 祥苑
2 部屋(左)/ 応接セット(右)
3 バイキング会場
4 夕食と、フローズン系ドリンク(緑色)

  「どうせ、起きているのなら・・・」と思い、もう一度、部屋を出て、ロビーで公衆電話を探しましたが、見当たりません。 やむなく、外に出て、ちょっと歩いた所にあった、ローソンで、家に電話をかけました。 ついでに、店に入って、ローソン・オリジナルの菓子の中から、「チョコレート・プレッツェル」という、ポッキーの類似品を、108円で買って帰りました。 夜の、お茶の友にするつもり。 それ以前に、頭痛で倒れるかも知れませんが・・・。

  テレビを点けると、NHKで、吉幾三さんが、稚内を旅する番組をやっていました。 そういえば、稚内の運転手さんが、その番組の撮影が来たという話をしていましたっけ。 私が、お金をケチって上らなかった、稚内公園の展望塔からの景色も映っていました。 うーむ、つい、二日前の事なのに、妙に懐かしい。 いや、私は展望塔に上っていないのだから、懐かしいというのは、変かな?


≪函館夜景ツアー≫
  チェック・インの時、夜景を見に行くバスについて、訊いたところ、「バスは、7時48分に来ますが、今夜は、天気の関係で、中止になる可能性があります。 中止のようなら、その時、キャンセルできますから、とりあえず、予約だけ入れておきますか?」というので、頼んでおきました。 7時40分頃、頭がくらくらするまま、ロビーに下りて、フロントへ行くと、そこで、チケットを売る様子。 1550円。 げ、そんなにするのか? まあ、仕方ないか。 ロビーで待っていると、程なく、バス・ガイド風の、30代くらいの女性が駆け込んで来ました。 「夜景ツアーの人、いませんかー!」と呼ぶので、そちらへ行きます。 私の他に、もう一組、二人連れがいて、計三人でした。

  外に出ると、ホテルの前に待っていたのは、フル・サイズの観光バスでした。 私はてっきり、路線バスが幹線道路の方に停まり、それに乗って行くのかと思っていたので、びっくりしました。 中には、他のホテルから乗って来たと思われる客が、10人くらいいました。 バス・ガイド風の女性の話では、この後、四つのホテルに寄るとの事でしたが、三つまでは、誰も乗って来ませんでした。 「この人数で行く事になるのかな」と思っていたら、四つ目のホテルで、一人二人、乗り込み、その後、なかなか、出発しません。 バス・ガイド風の女性や、ホテルの係員が、ホテルに出たり入ったりしています。

  10分近く経過し、いい加減、イライラして来た頃になって、ホテルから、わらわらと人が出て来て、バスに乗り込み始め、結局、ほぼ、満席になりました。 40人くらい出て来た事になります。 一体、今まで、この連中はどこにいたんでしょう? 飯でも喰っていたのか? ホテルもホテルで、どうして、決められた時間までに、集合させておかないのか、呆れて物が言えません。 まったく、他人と一緒に行動をすると、不快な思いをする事が多いです。

  ようやく出発したバスは、市街地の方へ向かって走って行きます。 バス・ガイド風の女性が、マイクを持って喋り出したのですが、そこで初めて、この人が、バス・ガイド風ではなく、本物モノホン、正真正銘のバス・ガイドである事が分かりました。 そして、このバスは、送迎バスのような簡単なものではなく、れっきとした、観光バスで、私が参加しているのが、時間こそ短いとはいえ、「Mt.函館 夜景ロマンコース」という名の、れっきとした、観光ツアーである事も分かりました。 見れば、チケットに、そう書いてあります。 頭がぼーっとしていて、それまで、気づかなかったんですな。

  このガイドさん、恐ろしいまでに、名調子で喋る人で、ガイドというよりは、芸人と言ってもいいような、話術の持ち主。 「今夜は、函館山の展望台が、すっきり・はっきり・くっきり見えていますね。 という事は、展望台の方からも、街の夜景が、すっきり・はっきり・くっきり見えるという事です。 お客様たちは、大変、運がよいという事になります」といったような事を、乗客の笑いを誘いながら、間断なく喋り続けます。 確かに、ほんの二時間くらい前まで、「中止になるかもしれない」と言われていたのですから、運がいいんですな。

  ガイドさんが、バス会社の名前が入ったピンク色のワッペンを配って回り、それを、服でも荷物でも、見易い所に貼るように言われました。 行きは、頂上まで、バスで登りますが、帰りは、麓近くまで、ロープ・ウェイで下るため、このワッペンが、ロープウェイの乗車券代わりになるのだそうです。 「革製品には、貼らないで下さい」とも、くどいくらい言っていました。 剥がし難くなったり、革を傷つけたりするのだそうです。 私は、革製品など持っていないので、心配なし。 テキトーに、シャツの右肩の所に貼っておきました。

  余談ですが、このガイドさん、ロープ・ウェイの事を、「ローペイ」と言っていました。 毎晩、口にしているので、言い易い方に変化したんでしょうな。 それでも、通じるから、何ら問題はないわけですが。 ちなみに、「ロープ・ウェイ」を、発音し難いと感じている人は、少なくないと思いますが、「ロープーエイ」と発音すれば、ほぼ、同じになります。 「ウェイ」が発音し難いのは、日本語には、「W」で始まる二重母音が、「ワ」しかなくて、「ウィ・ウェ・ウォ」に関しては、二重母音ではなく、母音の連用で対応しているからです。 たとえば、「ウィン・ウィンの関係」と言う時にも、実際には、「ウイン・ウインの関係」と発音しています。

  函館山に登り始めると、バスの車内灯が消されます。 夜景は、函館山の中腹からも見えるので、その邪魔にならないようにとの配慮。 2合目、7合目、9合目に、それぞれ、スポットがあるのですが、停車はしません。 走りながらとなると、バスの片側の乗客しか見れない上に、木々の合間からなので、一瞬で終わってしまい、写真は、まず、撮れません。 中腹のスポットでは、最初から、写真は諦めて、肉眼で見る事に専念した方がいいです。

  やがて、頂上に到着。 大型観光バスが、ゴロゴロ停まっています。 忘れちゃいけませんが、もう、夜9時近い時刻ですぜ。 夜景ツアーというのが、些か非常識な企画である事が分かる一方で、それが常識化している、函館の夜景が、どれだけ、魅力あるものであるかも、予感できます。 毎晩、イベントで盛り上がっているようなもの。

  展望台では、フリー・タイムになりますが、解散の前に、まず、集合場所を指示されました。 売店の外の広場です。 展望台には、一ヵ所しか売店がないので、その外と覚えておけば、間違いないと言われました。 しかし、後で分かったのですが、展望台の構造は、そんなに複雑ではなく、間違えようがないような所でした。 わざわざ、細かい目印まで教えたのは、酔っ払っている客に配慮したのかもしれませんな。 すでに、ホテルの夕食の時に、一杯ひっかけている連中がいて、バスの中が、酒臭かったですから。 それにしても、これから、夜景を見に行くというのに、よく、その前に、酒を飲むよなあ。 帰って来てから、飲みゃーいーじゃん。 ほんのちょっとも、待てないかね?

  で、解散。 早速、展望台の上の方へ上がります。 凄い人の数! 展望台は、鉄筋コンクリートの建物ですが、屋上が段になっていて、それぞれ段の前面に、金属製の柵を張って、落下防止にしています。 その柵が壊れるんじゃないかと思うほど、人が鈴なりになっています。 くれぐれも、言っておきますが、夜の9時ですぜ。 何やってるだー、こん衆等は? いや、私も、その一人なんですがね。

  人間は、この際、無視するとして、肝心の夜景ですが、これは凄かった。 「素晴らしい」という言葉も、俄かには出て来ないほど、衝撃的に美しい景色です。 夕食以来、ずっと続いていた頭痛が、すっかり、消えてしまいました。 「なーんで、こんなに綺麗なんだろう」と思い始めるのは、10分くらい経って、写真も、20枚くらい取りまくった後の事です。

  考え始めると、とりあえず、答えが出るもので、函館の夜景は、函館の街の主要部分が、半島の上にあり、その半島の先にある函館山が、街を見下ろすのにちょうどいい高さを持っているお陰で、半島の形が、街の灯りで、くっきりと浮かび上がって、美しく見えるのでしょう。 函館の夜景は、他の地方都市と比べて、特別に明るいわけではないと思うのですが、この、半島の形が特徴的なので、特別な夜景になっているのです。

  理屈は分かっても、この美しさは、やはり、凄いとしか、感じようがありません。 こりゃ、無敵の観光資源ですな。 他の街では、真似ができますまい。 ちなみに、展望台は、夜10時までは、観光バスか、観光タクシーの専用で、一般車は乗り入れ禁止。 10時以降なら、登れますが、10時を過ぎると、街の方で、ライト・アップをしている施設が、灯りを消してしまうので、夜景の趣きが、少し落ちるのだそうです。 うまく出来ている。

  写真は、嫌というほど撮ったので、階下に下り、売店に行きましたが、これといった物はありませんでした。 これといった物とは、「これが、函館だ!」と、一目で分かるような物ですが、ないんですな、マジで。 まあ、あったとしても、私は、すでに、土産物の予算をオーバーしているので、買わなかったと思いますけど。

  人が大勢集まると、必ず、変な奴がいるものです。 ここでも、やはり、いました。 彼女と二人で来ている、20歳前後の男でしたが、どうも、夜景を二人で眺めながら、彼女と、いい雰囲気になろうとしている気配が見受けられる。 おいおい、ちょっと待ってくださいよ。 周りは、人で、ごった返しているんですぜ。 状況を考えて、事に及べよ。 展望台の下に行けば、人が少ない所があるんだから、そっちへ誘えば良さそうなものですが、恐らく、彼女の方は、常識があって、「夜景を見に来ているのだから、高い所にいるのが当然」と考え、思うように誘われてくれないのでしょう。

  こんな初歩的な事をやっているという事は、まだ、性的関係まで行っていないのだと思いますが、性欲エンジンで稼動している男というのは、傍から見ると、何とも、みっともないものですなあ。 この彼女、間違いなく、この男が何をしたがっているか、分かっていたと思うのですが、「こーんな、人だらけの所で、どーして、そんな雰囲気になれると思うの?」と、呆れていた事でしょう。 何とか、恥を掻かされないように、必死に、はしゃいで、男の性欲を散らそうとしている様子が、痛々しかったです。 ケダモノを操る、調教師だね。

  5分前くらいに、集合場所へ。 私が一番乗りで、他に誰もいませんでした。 解散前に、ガイドさんが、「外は寒いですから、集まるのは、ギリギリで結構です。 私も、たぶん、ギリギリにならないと来ないと思います」と言っていたのですが、ほんとに、来ねーんでやんの。 時間を過ぎてから、三々五々、集まり始めました。 酔っ払いが相手では、時間厳守は、望む方が無理か。 ここで、チケットの半券をもぎり、それをガイドさんが集めて、人数確認をしました。 全員揃ったとの事で、ロープ・ウェイへ。 係員にワッペンを見せて、ゴンドラへ乗り込みます。

  このゴンドラですが、125人乗りだそうで、まるで、プレハブ事務所が吊り下がっているような大きさがあります。 予め、ガイドさんから、「ローペイの中からも、夜景が見えるので、前か、左側の窓に近い場所を確保して下さい」と言われていましたが、私は、そういう、椅子取りゲームみたいな事が苦手なので、中の方にいました。 それでも、他の客の背が低かったお陰で、そこそこ、夜景を見れて、写真も撮りました。 でも、やはり、揺れているゴンドラ内で、いい写真が撮れるわけがなく、帰って来てから見たら、ほとんど、ブレていました。

1 夜景ツアー・バス
2 ほぼ満席(左)/ ロープ・ウェイ用ワッペン(右)
3 函館の夜景
4 展望台売店(左)/ 125人乗りゴンドラ(右)

  麓に下りると、そこの駐車場に、バスが回されていました。 ぞろぞろと乗り込んで、帰途に着きます。 帰りも、ガイドさんの話芸が炸裂し、「四季それぞれに、夜景の雰囲気が変わるから、四回は見た方がいい」とか、「すでに、四回見た人は、パートナーを変えると、雰囲気が変わるから、また、四回見れる」とか、オヤジも思いつかないような、洒落たギャグを飛ばすわ、「昼間のツアーに、まだ若干の欠員があるので、一日空いている人は、是非どうぞ」と、宣伝に抜け目がないわ、見事としか言いようがありません。 この人、どこで、こんな話術を会得したんでしょう? 料金1550円の内、500円は、このガイドさんの力で稼いでいる感じ。

  そうそう、ガイドさんの話では、湯の川温泉は、全国ランキングで、16位。 北海道では、4位だとの事。 一見、大した事がないようですが、北海道のベスト3は、登別温泉、定山渓温泉、洞爺温泉と、名だたる所ばかりなので、「その次につけているのは、凄いのだ」と言ってました。 なるほど、物は捉えようですな。

  帰りは、来る時に、先に乗せた客のホテルから回って行くので、非効率な道順になりますが、これは、致し方ありませんな。 遅刻して、最後に乗って来た40人が、下りるのがドン尻になるのは、気味がいい事です。 私のホテルに到着したのは、10時ちょっと前くらいでした。 ほぼ、2時間のツアーだった事になります。


≪ホテルの夜中≫
  頭痛は治ったものの、もう、くたくたです。 この後、風呂に入り、日記を書いて、ようやく、眠れると思ったら、テレビで、≪匿名探偵≫を見始めてしまい、途中で切り上げたものの、眠ったのは、0時半頃でした。 それでも、旅行最後の夜だったので、洗濯をしないで済んだだけ、まだ、楽だったのですが・・・。 



≪五日目、まとめ≫
  朝食は、二日ぶりに御飯が食べられたから、満足。 札幌から函館までの鉄道旅も、まあまあ、楽でした。 函館の貸切タクシーも、三ヵ所しか寄りませんでしたから、ゆとりがありました。 五稜郭タワーは、予想以上に良かったです。 問題は、ホテルの夕食からですな。 あの、フローズン系ドリンクがいけなかった。 もしかしたら、ドリンクとは名ばかりで、飲む物ではなく、スプーンで掬って食べるものだったのではありますまいか。 年齢や健康状態に関係なく、あれを、グビグビ飲める人間が、この世にいるとは、とても思えない。

  一度、体調を崩すと、前夜の睡眠不足や、長旅の疲れが、どっと顕在化して、立っているのもやっとという有様になってしまいました。 死ななくて、良かった。 その後の、夜景ツアーも、函館山の頂上に着くまでは、頭がズキズキして、不機嫌この上なかったのですが、夜景があまりにも素晴らしくて、頭痛が消えてしまったのには、少なからず、驚きました。 精神的な刺激というのは、つくづく、影響が大きいものなんですなあ。