札幌・小樽を歩く
北海道旅行記の、四日目です。 8月28日、木曜日。 この日の予定は、フリー・タイムでした。 札幌の街の、ど真ん中のホテルに泊まっているので、そこを基点に動く事になります。 ケチな私の事ですから、お金がかかる交通機関は、極力使いたくありません。 よって、基本的に、徒歩という事になります。 旅行に出る前に立てた計画は、「午前中に札幌を見て、その後、電車で移動し、午後は小樽を見る」というものでした。
札幌を中心に、無理なく、一日で行ける範囲となると、自然に、札幌市内と、小樽になってしまうんですな。 旭山動物園の旭川や、美瑛、富良野などは、遥かに遠いです。 札幌を全く見ずに、丸一日かければ、行けない事もないですが、札幌自体が、初めて来た街なのに、駅からホテルまでの景色だけ見て、終わりにするというのも、何だか、変な話。 やはり、時計台と大通公園くらいは見ておかなければねえ。
そもそも、7ヵ月前の応援の時、2ヵ月半も、近くの苫小牧に住んでいたのですから、お金をケチらずに、札幌や小樽まで足を延ばしておけば、こんな事にはならなかったわけです。 したっけ、その時は、こんなに早く退職して、北海道旅行に来るなんて、思ってもいなかったんだから、しょーがねーじゃん。 まあ、どうしても、道央や道東が見たかったら、また、来ればいいさ。 ・・・いや、自腹だと、絶対来そうにありませんな。 バイクで、野宿しながら、自走して来れば、2万円くらいで、来れるかな? 死ぬほど、疲れそうですが・・・。 というか、ほんとに、死にそうですが・・・。
ところで、先に言っておきますと、今回は、これまでより、文章量が、ぐっと少ないです。 旅行記の元にしている、日記のノートのページ数も、5ページ半しかありません。 理由は単純でして、この日は貸切タクシーに乗らなかったので、運転手さんから耳で聞いた、知識・情報の分が全くないからです。 逆に言えば、タクシーの車内で喋っている時間が長ければ長いほど、書く事が増えるわけです。
≪ホテルの朝≫
朝、4時半に目覚めましたが、早過ぎるので、二度寝して、6時半に、起きました。 電気ケトルで湯を沸かし、部屋に備え付けの、粉末のお茶を入れて、飲みます。 お茶は、大抵のホテルで、備えられていますが、ティー・パックの場合と、粉末の場合があり、私は、どちらかというと、ティー・パックの方が、何度も出せるので、ありがたいです。 粉末だと、一回こっきりですけんのう。 ただし、味は、粉末の方が濃いです。
部屋の対角線に張り渡した洗濯紐に、前夜から干しておいた洗濯物ですが、夜中に寒くなって、エアコンを、「弱」にしてしまったせいか、乾いていません。 礼文から持ち越した、靴下と、おしぼりタオルだけは、乾きました。 とりあえず、その靴下が穿ければ、この日は間に合うわけですが、前夜洗った分を、湿ったまま、袋に入れるのも気持ち悪いので、ここは一つ、この日入る予定の掃除をパスし、このまま、乾かし続けるしかないでしょう。
部屋の中に、洗濯物を干したままの状態で、掃除に入られるのは、私よりも、掃除係の人にとって、不都合が多いと思うのです。 狭い部屋なのに、パンツだの、靴下だのが吊る下がっている下で、ベッド・メイキングなんて、もし私が掃除係だったら、背筋が、ぞーっとします。 このホテルでは、各階ごとに、洗濯室があり、乾燥機も備えられているので、「洗濯物は、そちらで乾かして下さい」とでも言われたら、ケチな私は、困ってしまいますし。
掃除をパスしたい場合、「起こさないで下さい」の札を、ドアの外にかけるより、フロントに直截、頼んでしまった方が確実だという事は、沖縄のホテルで、経験済みでした。 しかし、両方やっておけば、尚、安心でしょう。 このホテルの部屋にも、その札はありました。 ドアにかけた写真が残っているので、あった事は確かなのですが、部屋の中の、どこに置いてあったのか、それを、どうしても思い出せません。 この部屋には、クローゼットがなかったからです。 ドアの内側のノブにかけてあったのかな? まあ、どうでもいい事なんですが。
ナップ・ザックを出して、貴重品を移し、外出する準備をした上で、7時に、1階のレストランに下りました。 ビジネス・ホテルは、みんなそうなのかも知れませんが、ここでは、夕食はなし。 だけど、朝食は付きます。 街なかですから、夜は、いくらでも、飲食店が開いているのに対し、朝は、ファミレスか喫茶店くらいしかやってませんから、ホテルで朝食を取れないと、困る客が多いのでしょう。
このホテルでは、バイキングではなく、洋定食と和定食のどちらかを選ぶ方式になっていて、面倒臭いので、チェック・インの時に、二日分とも、洋定食にしてもらったと、前回書きましたが、その選択は、失敗でした。 何でもそうですが、面倒臭がって、テキトーに済ますと、大抵、結果が悪く出ますな。
いかにも、都会的な感じのするウエイトレスさんに、朝食券を渡すと、席を指定されました。 ドリンク類だけ、セルフだったので、水とオレンジ・ジュースを、先に注いで来ました。 5分もしない内に、料理が来ました。 ミニ・オムレツ、チキン・ナゲット、スパゲティー・ナポリタン、フライド・ポテト、ポテト・サラダが、一皿に盛り合わせ。 他に、単品で、コーン・スープ、野菜サラダ、フルーツ・ヨーグルト、そして、パンが付きます。
料理は、別に、まずいわけではないのですが、肉っ気が、ナゲットしかない上に、全体的な量も少ないのです。 更に、食パン半切れと、バター・ロール1個だけでは、食べた気になりません。 それまで、ホテルの朝食と言えば、全て、バイキングで、腹いっぱい食べていたので、この量の少なさは、想定外でした。 また、箸が付かず、サラダのレタスを、フォークで刺して食べるのに、えらい手間取ってしまいました。 それでいて、オムレツを切るためだけに、ナイフが付いているのですから、妙にアンバランス。
その前の晩も、パンだったわけで、腹に力が入りません。 私は、料理は、洋食の方が好きなんですが、主食に関しては、「御飯派」だったのだという事を、この日この朝に至って、初めて、認識しました。 もちろん、認識しても、腹が膨れるわけではありません。 「これは、危機的だ・・・」と思い、すでに、洋食で予約してしまった、翌日の朝食を、和食に変更してもらおうと、硬く心に誓いました。 しかし、それは、すぐに言わなくてもいいでしょう。
1 ロビー・レストラン
2 朝食 洋定食
3 時計台
≪時計台≫
朝食後、そのまま、フロントへ行き、部屋の鍵を預けるついでに、掃除に入らないで欲しいと伝えました。 どのホテルでもそうですが、掃除のパスを頼むと、決まって、訝しそーな目つきで見られます。 「部屋に籠って、何か、不穏な事でもやる気なのでは?」と、思うんでしょうかね。 しかし、断られるような事はありません。 最近のホテルは、エコの為に、「連泊の方は、シーツの取り替えが不要ならば、そう言って下さい」という注意書きがあったりしますから、否やはないはずです。
フロントの横に、パンフ・コーナーがあったので、札幌市街地の観光マップを貰って、そのまま、札幌の街へ踏み出しました。 歩きながら、マップをざっと見たところ、大通公園の周辺に、観光名所が集中している様子。 あまり時間のゆとりがない時、歴史が長くない街は、大変ありがたいです。 別に、馬鹿にして言っているわけではなく、歴史的遺構があり過ぎると、一日では、ほんの一部しか見られないという所があるのですよ。 京都や奈良は、典型例。
ホテルから、少し南に行くと、かの有名な、「時計台」がありました。 こんなに近いとは、思わなかった。 元は、北海道大学の演武場。 時計がなければ、ただの洋風木造建築ですが、時計が付いていたばかりに、残す価値のある建築になった事が、現物を見ると、よーく分かります。 存在感が、半端ではありません。 周囲の樹木が育ちすぎて、建物が見え難くなってしまっているのが、難点と言えば、言えます。
もろ、街なかにあるので、全体の写真を撮ろうとすると、道路を渡って、反対側の歩道まで行かなければなりません。 ここの撮影には、みんな、当惑するでしょうねえ。 南側のビルの駐輪場に、「時計台 撮影スポット」という所があったので、素直に従って、そこで撮ってみましたが、私に限って言えば、「どこが、スポットなんだか・・・」という写真にしかなりませんでした。 全体を収めようとせず、時計がある部分だけを切り取った方が、時計台らしい写真になるかもしれませんな。
中にも入れるようですが、観覧料200円は、恐れる程ではないものの、開館が8時45分からで、まだ1時間以上あったので、きっぱり諦めました。 何せ、徒歩なので、いくら近いと言っても、後でまた来るというのは、かなり厳しいです。 午後からは、小樽にも行かなければならないし。
≪さっぽろテレビ塔≫
南下して、「大通公園」へ向かいます。 20階以上あると思われる、大きなビルの横を通りましたが、正面に回ってみたら、「札幌市役所」でした。 シンプルと言うべきか、没個性と言うべきか、評価に悩むデザイン。 更に、南下すると、大通公園に出るなり、いきなり、「さっぽろテレビ塔」が、目に飛び込んで来ました。 「おおお!」という感じで、結構な迫力です。 高さ、147.2メートル。 東京タワーをサイズ・ダウンしたような形ですが、建設は、こちらの方が早いとの事。 ちなみに、同類タワーを、早く出来た順に並べると、
1889年 エッフェル塔 (324m)
1954年 名古屋テレビ塔 (180m)
1957年 さっぽろテレビ塔 (147.2m)
1958年 東京タワー (332.6m)
エッフェル塔は、オリジナルなので、別格として、東京タワーを基準にすると、さっぽろテレビ塔や名古屋テレビ塔は、形が崩れているように見えますが、それはたぶん、相対的な見方に過ぎず、どれを最も見慣れているかで、評価は変わって来ると思います。 さっぽろテレビ塔の特徴は、真ん中くらいの高さの所に、巨大なデジタル時計が付いている事でして、これがあるとないとでは大違い。 幾分、雑然とした雰囲気も相俟って、≪ブレード・ランナー≫的な、未来都市のイメージを醸し出しています。
ここも、上に上れますが、営業は、9:00からで、私が着いたのは、7時47分くらいですから、問題外のズレです。 そんなに待てますかいな。 参考までに、今調べたら、展望台料金が、720円ですと。 あ、そりゃ、営業時間内に行っていたとしても、上がりませんでしたわ。 720円あったら、札幌ラーメンでも食べますって。
入るかは入らないかは、別として、この塔は、テレビや写真などで、遠景を見るのと、現地に行って、自分の目で見上げるのとでは、全然、印象が違います。 「一見の価値あり」とは、こういう所の事を言うのでしょう。 想像ですが、この塔に、誇りを感じている札幌市民は、相当な割合に上るのではないでしょうか。 街のシンボルにするには、ビル城なんかより、塔の方が、ずっと、理に適っています。
≪すすきの≫
大通公園を、西に少し歩き、南へ曲がって、「すすきの」へ。 言わずと知れた歓楽街。 とりあえず、どんな所か見てみようと、足を延ばしてみた次第。 途中、「狸小路」という商店街を横切りましたが、早朝の事ですから、入るまでもなし。 路面電車あり。 古い車両と、トラム風の新しい車両が混用されている様子でした。 「地下鉄すすきの駅」の前を通り過ぎると、それっぽい街に入りました。 ビルの壁面に、入居している飲み屋の看板が、上から下へズラリと並び、銀座のようです。 いや、銀座にも行った事はありませんが・・・。 先入観があるせいか、この付近、何となく、びしょびしょした感じがします。
大体、分かったので、長居は無用と、北へ引き揚げました。 そういや、稚内の運転手さんが、「北海道の風俗街は、以前は旭川にもあったけれど、今や、すすきのだけになってしまった」と言っていました。 私は、まるで無縁なので、分からないのですが、風俗店って、そんなに減っているんですかね? 北海道全体では、まだまだ、相当な人口がいると思うのですが。
そういや、7ヵ月前の北海道応援の時、毎週、土曜の夜になると、苫小牧から札幌に出撃して、風俗店に通っている人がいましたっけ。 毎週ですよ。 私より年上でしたけど、よっぽど、好きなんでしょうなあ。 また、そういう人が、武勇伝を語りたがるんだわ。 いいよ、そんなの。 私の感覚だと、そういう店に行くのは、明らかに、「恥」なんですが、全く逆に、自慢の種になると思っている人もいるのです。 それより何より、感染症を恐れないのが、一番、不思議。 エイズでも貰った日には、面倒な事になるで。 「自分は、大丈夫」と思える、その根拠が分からん。
1 さっぽろテレビ塔(上)/路面電車(下)/すすきの(右)
2 大通公園
≪大通公園≫
時間は、8時過ぎくらいで、平日の事とて、通勤者の人波が、ざわざわと、駅の方へ向かって、打ち寄せて行きます。 こんなに大勢の人間が、同じ方向へ向かって歩いているのは、都会ならではの光景ですな。 また、札幌の街は、自転車が多い。 自転車通行帯がないので、歩道をびゅんびゅん走っています。 後ろから接近されると、怖い怖い。 私は、ほんの1時間ほどで、5・6回、怖い思いをしました。 こんな状況が毎日繰り広げられていて、事故が起こらないわけがないので、たぶん、結構、人身事故が起きているんじゃないでしょうか。
大通公園に戻り、西へ向かいます。 ここで、書いておきますと、「大通公園」は、「おおどおり こうえん」と読みます。 「大通り公園」と書けばいいと思うんですが、なぜか、「り」を略します。 「札幌雪まつり」の会場になる関係で、全国的に名が知れているから、「だいつう こうえん」などと、読み間違える人はいないと思っているのかもしれませんな。 大阪の運送会社で、「大通」なんてーのが、ありそうな気もしますが。
そういや、去年(2013年)の10月の事ですが、北海道応援に出る前に、同僚達から、「雪まつりに行ってくればいいよ」と言われました。 顔を合わせる人全てから、そう言われて、私も、その気でいたんですが、来てみると、雪まつりは、2月だって言うじゃありませんか。 応援期間は、1月半ばで終わってしまうのに、見られるわけがありません。 私を始めとして、誰も、詳しい事を知らなかったんですな。 人間とは、平気な顔して、テキトーな事を言うものです。
大通公園は、「北海道マラソン」の準備で、仮設トイレやテントが、大量に設置中。 もし、それらがなければ、この公園、この上なく、気持ちの良い空間だと思われました。 大都会のど真ん中だというのに、1ブロック、すっぽり入るくらいの幅を取って、繁華街の端から端までぶち抜き、中に、噴水や花壇、木立などを、巧みに配してしてあります。 名古屋も、100メートル道路なんか潰してしまって、公園にすればいいのに。
ただ、問題もあります。 石碑や銅像、モニュメントなどが、多過ぎるのです。 どうも、北海道民は、そういうのが、大好きなようですな。 あまり多かったので、いちいち書きませんが、たぶん、私だけでなく、ここを訪れた観光客のほとんどが、スルーしていると思います。 何度も繰り返すようですが、この種の物は、同じ場所に集め過ぎると、駄目なのですよ。
銅像は、西の方に、黒田清隆と並んで、全国区では名前を知られていない、明治期の外国人技師のものがありました。 「ホーレス・ケプロン」・・・、誰? 札幌で、欧米人の像というと、よそ者の目には、みんな、クラーク博士に見えますが、クラーク像は、郊外の、「羊が丘公園」(立像)と、北海道大学の中(胸像)にしかありません。 立像の複製を、大通公園に置いてくれれば、手っ取り早く、そこで記念撮影して、「どうだ、これが、クラーク像だぞ」と、土産にできるのですが、それをやってしまうと、羊が丘公園に行く人が激減するから、やらんのでしょうな。
札幌の姉妹都市は、ドイツのミュンヘン市と、アメリカのポートランド市。 ミュンヘン市から贈られたという、「マイバウム」という、竿灯祭りの竿灯みたいな物体が立っています。 高さ、23メートル。 竿の枝の上には、村祭りの様子を描いたと思われる、人々の姿が、切り抜かれ、取り付けられてています。 材質不明。 鉄と木の、混成でしょうか。 華やかですが、雨曝しだと、傷みが早そうです。
その近くに、友好都市である、中国の瀋陽市から贈られたと思しき、唐獅子の像が、四体、台座の上に据えられていました。 唐獅子と言えば、神社の狛犬も、時代が浅いものは、唐獅子を模してあるわけですが、言わば、本家の唐獅子というのは、随分違うものですな。 頭の毛が、「螺髪(らほつ)」になっているものね。 しかも、背中には、リボンの結び目のような物が垂れています。 胸の方にも、何かが付いていますから、それを首に下げているという設定で、背中に回した紐まで彫られているのかも。
大通公園の西の端に、「札幌市資料館」があります。 古い石造風の建物ですが、帰ってから、調べてみたら、鉄筋コンクリート造りで、外壁に石板を貼ってあるのだとの事。 無料らしかったので、入ろうと思ったのですが、着いたのが、開館の10分前で、10分待つのが惜しくなり、パスしました。 午後の小樽行きが気になって、時間がかかりそうな所は、全てパスという感じ。
1 マイバウム(左)/唐獅子の背中(右)
2 札幌市資料館
≪知事公館周辺≫
札幌市資料館の横にあった案内看板に、「知事公館」というのが出ているのを、発見。 ホテルの観光マップからは、食み出した所ですが、近いので、寄ってみる事にしました。 車なら、すぐそこなんですが、歩くと、どんな所でも、結構あるように感じます。 1ブロックが、こんなに遠く感じるのは、初めて歩く街だからでしょうか。 それとも、札幌の1ブロックが、本州の街のそれより、実際に大きいんでしょうか。
「uhb」という、地方テレビ局の前を通り過ぎて、西へ。 やがて、それらしき場所が、見えて来ました。 緑がいっぱいの大きな敷地が、塀に囲まれていて、東南の一角に、交番があります。 西南の一角に、「知事公館」という表札が出ている門がありましたが、中は、木が生い茂っていて、建物は見えません。 ほんとに、ここかいな? もっとも、知事が住んでいるのだとしたら、道路から、建物が見えては、防犯上、まずいと思うので、別段、不思議はないのかも。
知事公館のある一区画は、北側が、森になっているようですが、そちらに回る前に、西隣にある、「道立・近代美術館」へ向かいました。 ここも、案内看板に出ていた施設です。 周りを囲む木立を抜けて、建物のすぐ前まで行きました。 外観は、三角と四角の白い積み木をくっつけたような形で、スマートでありながら、落ち着いた趣きがあります。 ただし、中には入りませんでした。 そんな暇は、ねー。
知事公館の敷地に戻って、北側の森の中を歩きます。 犬の散歩をしている人など、市民の憩いの場になっている模様。 南を見ると、芝生の向こうに、スイスの山小屋風の建物が見えましたが、何の仕切りもない所にあり、あまりにも、無防備。 どうやら、公館とは言っても、知事が、その建物に住んでいるわけではなさそうです。 この敷地内には、縄文時代から、擦文時代までの、竪穴式住居跡があるらしいのですが、私は、先を急いでいたので、探せませんでした。 隅に、「道立・三岸好太郎美術館」がありましたが、そこもパス。
1 道立・近代美術館
2 知事公館の森
3 知事公館の建物
≪北大植物園≫
大きく東へ戻って、「北大植物園」へ。 正式名称は、「北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園」。 ・・・長いな。 入園料、400円。 微妙に高い。 しかし、ここは、有名なので、入らないわけにはいかない強迫観念に押され、券売機で、券を買いました。 券売機で買った券を、受付に渡すわけですが、「受付に人がいるなら、券売機は不要なのでは?」と、思わんでもなし。 機械の維持費の無駄だと思います。 単に、券を買ったかどうかの確認の為だけに、人一人雇っているのは、勿体ない。 券も売ってもらえば、いいのでは?
実は、見たかったのは、植物園の方ではなく、園内にある、「北方民族資料館」だったのですが、行ってみると、さほど広くない部屋が一室、展示スペースになっているだけで、まるで、ボリュームに欠けていました。 これでは、「苫小牧美術博物館」のアイヌ民族コーナーの方が、見る物が多かったです。 やられたな。 どうも、大学が絡んでいる、この種の施設では、肩透かしを喰らう事が多いです。
植物園は、植物園。 広いですし、植物の種類も多いですが、特別な興味がない限り、楽しむというところまで行きません。 駆け足だと、何しに行ったか分らないですし、じっくり、説明版を読みながら回っていると、ここだけで、日が暮れてしまいます。 動物園や水族館とは、同列に語れない施設なんですな。 日本庭園・・・、というか、「なんちゃって日本庭園」風の一角や、熱帯温室もありましたが、どうも、「お金を取って、見せる」という、レベルではないような気がしました。 でも、植物園というのは、どこも、こんなものかも。
園の中央に、博物館があり、そこを、最後の頼みにしていたのですが、行ってみると、まさかの、「改修中」! それはないだろ! 建物がいくつかあるのですが、工事の覆いがかかっていて、入口に近づく事もできません。 一旦、受付に戻って、訊いてみたら、耐震工事中で、中は全く見れないとの返事でした。 申し訳なさそうに言われても、見れない事に変わりはないわけで、慰めにもなりません。 また、やられたぜ。
それでいて、入園料は、博物館が見れる時と変わらず、400円のままなわけだ。 券売機だから、安くできない? そんな事もありますまい。 汎用品なんだから、金額を調整する機能がないわけがないではありませんか。 200円とは言いませんが、せめて、300円にしてくださいよ。 いや、そもそも、ここへ入ったのが、失敗だったか。 400円あったら、昼飯代に足して、札幌ラーメンでも食べれば良かった。
帰って来た後で知ったのですが、南極から生還した樺太犬の、「タロ」は、この植物園で余生を過ごし、死んで、剥製にされた後、やはり、ここで、展示されているとの事。 たぶん、「改修中」の資料館の中にあったのではないかと思われます。 そう思うと、今更ながらに、重ねて悔しい。 ちなみに、「ジロ」の方は、国立科学博物館に剥製があるらしいですが、札幌よりは近いと言っても、東京でしょう? その為だけには、ちょっと行けんなあ。
≪北海道庁旧本庁舎≫
植物園を出て、東へ向かうと、すぐに、「北海道庁旧本庁舎」の赤煉瓦の建物が見えて来ます。 札幌市街の観光地で、最も有名なのは、時計台ですが、最も観光客が多いのは、ここのようです。 堂々たる洋風建築で、周囲に敷地をたっぷり取っているので、全体が一目で見えて、威厳溢るる雰囲気を、辺りに撒き散らしています。 よく分からん混合様式の国会議事堂や、街なかに埋没している東京駅などより、遥かに見応えがあります。
敷地の南側の門から入ると、まず、「北海道議会」の現代的なビルがあり、こちらは、現役で使われている模様。 では、「北海道庁・旧本庁舎」は、イコール、「旧北海道議会」の建物なのかというと、そうではなく、中には、議場のような場所はありませんでした。 昔は、知事は、中央の任命制だったので、議会とは関係なかったんですな。 「旧本庁舎」というのは、役所が入っていた建物なのでしょう。 外観は巨大ですが、中に入ると、天井が高い二階建てに過ぎず、部屋数も、そんなに多くありません。
中は、部屋ごとに、「樺太関係資料館」や、「赤れんが北方領土館」などの、展示スペースになっています。 しかし、こういう見せ方をするより、使用されていた当時のままの調度品を置いて、純粋に、歴史的遺構として見せた方が、観光客には、受けがいいと思います。 時計台やテレビ塔に比べて、全国区での知名度が低いのは、中の展示のせいではありますまいか? あの展示を見て、「旧本庁舎は、絶対に見に行った方がいいよ」と、人に勧める観光客は、あまり、いますまい。 政治信条に関わる事というのは、扱いが厄介なのです。
敷地の東側にある正門から外へ出ます。 正門前は、通りを挟んで、広い空間があり、かなり離れても、旧本庁舎を撮影できます。 つくづく、外観は、一級品なんですがねえ・・・。 つくづく、中が惜しい・・・。 時刻は10時半。 ホテルまでは、もうすぐです。 午後からの、小樽行きに備え、カメラの充電をしたいので、一旦、戻らなければなりません。
ホテルへ戻る途中、普通の道路を、観光馬車が進んでいくのを目撃し、追いかけて、写真を撮りました。 二階建てで、20人以上乗っている車を、白い馬が一頭で、牽いて行きます。 力があるのう。 1馬力で、20人引けるのなら、50ccの原付は、5馬力くらいありますから、100人引けるという勘定になりますが、何だか、イメージ的に無理っぽいですな。
1 北大植物園
2 博物館、改修中
3 北海道庁旧本庁舎
4 観光馬車
≪ホテルの昼≫
北海道庁旧本庁舎から、東へ向かうと、いくらも歩かない内に、ホテルのある通りに出ました。 すぐ、近くだったんですな。 という事は、行き当たりばったりながら、割と、無駄のないコースを回って来た事になります。 10時45分くらいに、ホテルに戻り、フロントで、キーを貰い、部屋に戻って、カメラを充電してから、一服しました。 この時、日記も、少し書いたと思いますが、覚えていません。 トイレにも座っているから、日記を書くほど、時間がなかったかも。
大して歩いていないのに、脚が痛くなっていました。 退職してからこっち、喰っちゃ寝ばかりで、腹が出て来たせいで、たまに歩くと、自分の体とは思えないくらい、動きが鈍くなっているのを感じます。 それでいて、朝食の喰い足りなさは、こたえているようで、空腹感だけはあるのだから、始末が悪い。 でも、フリー・タイムの日は、昼食を抜く事に決めていたので、この時も、何も買って来ていませんでした。 なんだか、ひもじいなあ。
≪札幌から、小樽まで≫
11時30分、小樽へ行く為に、また、出かけました。 カメラの充電は、まだ、終わっていませんでしたが、途中で打ち切ります。 フル充電でなくても、半日分くらいは、もつでしょう。 掃除をパスしておいたお陰で、荷物を旅行鞄に戻さずに済み、出たり入ったりが気楽にできました。 そういや、この時、廊下は、掃除係の仕事時間で、各種の掃除用具や、アメニティー類を積んだワゴン台車で、ごった返していました。 フロントには、一日で、キーを二度預けた事になりますが、二度でも、結構気が引けるというのに、何回も出かける人は、どうするんでしょうねえ。
ホテルを出、10分くらい歩いて、札幌駅へ。 駅前は、昼間に見ると、高層ビル群の人工の美が、際立って見えます。 夜のような威圧感がないのは、ありがたい。 札幌駅から、電車に乗るのは初めてですが、前夜、一度来ているので、改札口がどこかは分かります。 改札口さえ分かれば、券売機は、必ず、そばにあるわけで、切符を買うのは、どうって事はありません。 ≪こころ旅≫を見ていると、火野さんが、駅の券売機で悪戦苦闘する場面が、よく出て来ますが、私は、券売機で滞った経験はないです。 金額の選択と、お金の投入の、どちらを先にするかで、悩んだ事がありません。 つまり、どちらが先でも、買えるようになっているんでしょう。
11:44発の、快速エアポートで、小樽へ。 快速エアポートは、新千歳空港へ行く列車ですが、札幌ではなく、小樽から出ているので、小樽へ戻る列車もあるわけです。 片道、640円。 切符を買った後で、「しまった! どうせ、今日中に戻って来るんだから、往復で買えば良かった」と思ったんですが、後で調べたら、往復でも、別に割安になるわけではありませんでした。 なーんだ、そうだったのか。
・・・じゃ、どうして、往復切符を売っているんでしょう? 帰りに、券売機に並ばなくて済むメリットがある? いやあ、そんなの、手間も時間も、大した事じゃありませんぜ。 切符をどこにしまったか、分からなくなってしまうデメリットの方が大きいでしょう。 それにしても、切符というのは、どうして、ああ、なくし易いんでしょうね。 旅に出る前に、「切符を買ったら、必ず、ここへ入れておく」という、場所を決めておいた方がいいですな。
札幌が、11:44発で、琴似、手稲、小樽築港、南小樽、と停まって、小樽に、12:16着です。 札幌の近郊は、ずっと街が続いていて、大人口を抱えている事が分かります。 194万人だとか。 そりゃ、街も膨れ上がるわな。 快速なので、停まらない駅もあります。 銭函という駅から、海沿いに出ますが、そこはもう、小樽市になります。 しばらく、山と海の間を、鉄道だけが通っている感じ。
≪小樽駅≫
32分間の電車旅を終えて、小樽駅に着きました。 すぐそこ、というわけではありませんが、遠いという感じはしない距離です。 ホームの屋根を見るに、だいぶ、年季が入った駅で、何だか、懐かしさを感じます。 しかし、駅舎の方は、そんなに古く見えません。 最近、リニューアルしたのかも知れないと思いましたが、これは、帰って来てから調べたら、実際、そうでした。
駅舎の前の壁に、洋風の鐘が吊るされていました。 何か、由来があるのでしょうが、迂闊にも、説明板を読んで来ませんでした。 ここのところ、洋風の鐘を見ると、昨今、観光地に、うじゃうじゃ作られている、「恋人の鐘」を連想してしまい、反射的に軽視する癖がついてしまったからでしょう。 これも、帰ってから調べたら、「むかいの鐘」という、昔、列車が到着するのを知らせるのに使っていた鐘だという事でした。
≪小樽の街≫
駅を出て、すぐに分かるのは、「小樽は、そんなに大きな街ではない」という事。 名前こそ有名ですが、「大いに栄えたのは、昔の話」という感じが、街に漂う雰囲気で分かります。 人口は、12万5千人くらいだとか。 街全体が、傾斜地に作られていて、完全な平地は、海の近くに、ごく僅かしかありません。 駅から、坂の下を見ると、港の海が見えるのですから、街の狭さが分かろうと言うもの。 何となく、熱海に似ていますが、熱海は、人口4万人くらいですから、小樽の方が、ずっと大きいです。
一応、ネットで、地図をプリントして来たのですが、この街は、そういったものがなくても、迷う心配はありませんでした。 とにかく、海の方へ向かって歩き、運河にぶつかったら、北か南か、どちらかへ進めば、その近辺に、目当ての観光地が必ずあります。 大変、分かり易くて、観光客にはありがたい街ですな。 車では、却って不便。 バスに乗るほど、広くありません。 自転車では、1時間半くらいで、見終わってしまいます。 徒歩なら、3時間。 半日いるとなると、とても、間が持ちません。
1 札幌駅前
2 小樽駅内部(上)/小樽駅外観(下)/むかいの鐘(右)
3 駅から見える海
4 旧手宮線
≪旧手宮線≫
坂を下る途中、「旧手宮線」という、鉄道の跡を見ました。 1985年に廃止され、レールが一部残されている様子。 説明板によると、北海道で初めての鉄道だったとの事。 日本全国でも三番目で、開業は、明治13年(1880年)というから、随分、急いで作ったものです。 石炭の運搬が主な用途だったそうですが、明治政府は、よっぽど、北海道の資源が欲しかったのでしょう。 北海道の鉄道は、アメリカの技術で作られた、とも書いてありました。
≪小樽運河≫
やがて、運河が見えて来ます。 その直前に、壁が全面、ブルー・シートで覆われた、改修工事中と思われる建物がありました。 多いな、改修中の所・・・。 「運河プラザ」と書いてあって、名前から考えて、土産物店だろうと思い、気にせずに通過したのですが、実は、ここには、後で、戻って来ざるを得なくなります。
小樽の街は、どちらかというと、南北に広がっているので、運河も南北方向に伸びています。 南の方には、かなりの数の観光客がいました。 しかし、私は、博物館を目指していたので、北へ向かいました。 こちらは、あまり、人がいません。 運河には、遊覧船が行き来し、漁船やモーターボートが、繋いであります。 どうやら、運河の実用的な役割は、すでに終わっていて、観光専用になっているようでした。 時代がありそうな倉庫の建物が、あちこちに残されています。
運河というと、広大な大陸の内陸部で、都市と都市を結ぶ、長大な物を連想してしまうのですが、小樽の運河は、そんな大それた規模ではなく、単に、港で陸揚げした荷物を、倉庫群に効率よく運ぶ為に作られた、水路です。 いっそ、「小樽水路」と言った方が、適切な表現になるかもしれません。 絶景的なスケールの大きさではなく、古い時代の風情を楽しむ観光地なんですな。
≪小樽市総合博物館≫
やがて、運河の北端に至り、そこから、更に、数百メートル歩くと、「小樽市総合博物館」に着きました。 思っていたよりも、ずっと大きい建物です。 市の人口規模に比して、博物館が、これだけ大きいという事は、小樽の文化レベルが高い事を示していると見るべきでしょうか。 私論ですが、住民の知性レベルを高めたかったら、充実した博物館は、必須です。 特に、子供には、大きな影響を与えます。 コツは、子供騙しの展示にせず、大人が楽しめる内容にする事ですな。
門を入ってすぐの所に、銅像あり。 「ジョセフ・U・クロフォード」という、アメリカ人の鉄道技術者だとの事。 知らんなあ。 「少年よ、大志を抱け」のように、何か、一言、言って帰れば、全国的に、有名になったんだと思いますがね。 たとえば、鉄道技師なら、「この一本のレールが、未来に繋がっている」とか何とか。 もっとも、むしろ、真面目な人ほど、そういう事は言わないのかも知れませんな。 クラーク博士は、本国アメリカでは、全く無名なようですし・・・。
別館との共通入館券が、500円。 フリー・タイムの日に、自分で来た所なので、もちろん、クーポンはなく、自腹。 でも、この券で、三つの施設に入れるので、高いという感じはしません。 ただ、この総合博物館の本館は、私が想像していたのと違って、ほぼ、完全に、鉄道博物館でした。 相当なボリュームがあるので、鉄道好きにはこたえられないと思いますが、あいにく私は、全く興味がなくて、何を見ても、ピンと来ませんでした。
ちょっと、興味を引かれたというと、鉄道員の制服が並んでいる中で、保線担当者の服だけ、上着が、法被だった事です。 つまり、法被の方が、作業がし易いと判断されていたんでしょうな。 あと、レールの種類を比較した展示も、まじまじ見ました。 断面を見せてありましたが、こんなに、いろんな形があったとは、知らなかった。 面白かったのは、そのくらいですかね。 興味がないというのは、どーしょもないもので、写真も、ほとんど、撮ってありません。
建物の外に出ると、広大な屋外展示場があり、蒸気機関車、ラッセル車、郵便車、客車、転車台、車庫などが展示されている他、「アイアン・ホース号」という、蒸気機関車の実走もやっていました。 敷地内の、「中央駅」から、「手宮駅」まで、線路が敷いてあって、その間を走るのです。 私は、時間の関係と、興味の薄さの関係で、乗りませんでしたけど。 汽車時代の経験がある両親から、「あんなの、煙いだけ」と聞いていたので、ますます、興味が湧かぬ。
1 小樽運河①
2 小樽市総合博物館
3 鉄道員の制服
4 アイアン・ホース号
昭和の中頃に使われていた、客車があったので、ちょっと懐かしくなって、中に入ってみたのですが、あまりのみすぼらしさに、思わず、眉間に皺が寄ってしまいました。 私が子供の頃は、こんな粗末な物に乗っていたんですねえ。 もっとも、当時も、新幹線を除いて、鉄道の旅を快適だと思った事はありませんでしたが・・・。 また、独特の臭いが、そのまんま残ってるんだわ。 昔は、列車の中で、飲み喰いするのが当たり前だったから、様々な臭いが重なり合って、ごってり染み付いているのでしょう。 リセッシュ、リセッシュ!
今でも、駅弁は売っていますが、列車内で食べている姿は、あまり見なくなりました。 それで正解。 向かい合わせの席で、前に座った奴に、飯なんか喰い始められた日には、気持ち悪くて、目のやり場がなくなってしまいます。 また、喰い終わった弁当の箱を、椅子の下に放り込むのが、汚いんだわ。 誰が、あんな事、始めたのかねえ。 今でも、やる奴はやっていると思いますが、全く感心しない習慣です。 「車内、ゴミ捨て禁止」にしてしまえば、どれだけ、乗り易くなるか知れません。
≪手宮洞窟保存館≫
博物館の裏手の山の麓に、崖にへばりつくようにして、「手宮洞窟保存館」があります。 実は、ここが、私が小樽に来た最大の目当てでした。 洞窟の壁に、1500年前の、彫刻画があるというのです。 ここにも、共通券で入れます。 入口に近付くと、受付係と思しき、高齢の男性が、外に出ていて、暗渠の格子蓋の付近に、念入りに、殺虫剤をスプレーしていました。 奇妙な光景でしたが、後で考えたら、あれはたぶん、デング熱のニュースを見て、転ばぬ先の杖をついておこうとしていたんでしょうな。 その殺虫スプレーを持っていた手で、私にパンフを渡してくれましたが、こちらは、複雑な気分・・・。
中は、狭く、真っ暗で、彫刻画がある所と、展示品がある所だけ、ボタンを押すと、数分、灯りがつくようになっています。 ところが、彫刻画の向かい側に展示品のケースがあり、そちらの灯りが点くと、彫刻画の前のガラスに反射して、写真が撮れません。 灯りが消えるまで、待たなければなりませんでした。 そして、灯りが消えると、暗くなるので、三脚なしのカメラでは、ブレてしまって、ろくな写真にならないというジレンマ。
彫刻画そのものよりも、それを描き写して、見易くしたパネルの方を、専ら見て来たのですが、二本の角が生えた、道化師みたいな形態の人間が描かれていました。 この絵、以前は、古代文字という説もあったようですが、今では、否定されているそうです。 二本の角が生えているのは、シャーマン(呪術師)が、動物に仮装しているのではないかと推測されているとの事。 シベリアにも、同じような彫刻画があるというのが、不思議。 同じ民族が、ここまで来たんでしょうかねえ。
1 手宮洞窟保存館
2 デング熱対策中
3 彫刻画(左)/模写図(右)
≪運河館≫
手宮洞窟を後にして、港寄りの道を通り、市街地に戻ります。 運河の通りに出て、共通券で入れる、博物館の別館である、「運河館」へ。 ここは、倉庫風の壁に、瓦屋根を載せた、特徴ある建物らしいのですが、現在、改修中で、壁は、ブルー・シートで覆われていました。 そうです。 この運河館は、前述した、「運河プラザ」と続きの建物だったのです。 しまった! 無関係だと思っていたら、有関係だったのか。 北大植物園の博物館に続き、今日は一日で、改修工事中の建物に、二回も当たってしまった。 何たる不運・・・。
しかし、不幸中の幸い。 ここの場合、中は営業中で、ほぼ全ての展示を見る事ができました。 やれやれ、共通券が、無駄にならなくて済んだ。 中は、北前船や、小樽の歴史を中心テーマにした資料館です。 本館の方より、運河館の方が、博物館っぽい。 模型、写真、遺物、再現した店構えなど、ビジュアル的な工夫が凝らしてあって、よく考えられた展示方法でした。 昔、栄えた所だけあって、今の街より、資料の中の街の方が、活気を感じます。
「オタモイ遊園地」の展示がありました。 昭和8年(1933年)から、昭和27年(1952年)まで、小樽の西の方にあった遊園地で、崖の上に、三階建ての、巨大な楼閣があった事で有名。 以前、ニュース番組で、開園当時の映像が発見されたというの報道を見た事があったんですが、その時は、オタモイが小樽にある事は愚か、小樽が北海道のどこにあるのかも知りませんでした。 ここだったんですなあ。 今でも、廃墟の一部が残っているようですが、市街地から、かなり離れていて、簡単には行けないようです。
消防犬、「文公」の剥製あり。 昭和初期に、小樽の消防署に「勤務」していた犬で、火事が起こると、真っ先に消防車に乗り込み、火事場では、野次馬の整理や、ホースの縺れを直すなど、大活躍をしていたとの事。 凄い犬もいたものです。 他界した時には、消防組葬が行なわれ、多くの市民から、好物のキャラメルを贈られたのだとか。 悲劇ではないのに、なぜか、泣ける話です。
1 運河館、改修中
2 北前船
3 オタモイ遊園地の資料
4 文公剥製(左)/文公銅像(右)
他に、縄文土器や、昆虫標本、トドの骨格標本など、考古学や、生物学の展示もあり、大変な規模です。 私個人的には、本館より、こちらの運河館の方が、ずっと面白かったです。 改修中でなければ、もっとよかったんですがねえ。 建物の外に出ると、文公の銅像がありました。 銅像にすると、ハチ公みたいに見えますな。 剥製の方は、もっと、可愛らしいんですけど。
≪運河再び≫
運河館を後にして、運河の、南の方へ。 観光客が、うじゃうじゃいる辺りへ入って行きます。 人力車が、そこここに、全部で10台くらい、屯ろしていますが、お客は、あまり、乗っていない様子。 料金表を見ると、一番安いコースで、「一区間 一人3000円、二人4000円」、一番高いのは、「1時間 一人13000円、二人17500円」とあります。 そりゃあ、ホイホイとは乗れんわなあ。 走っている時間よりも、客引きをしている時間の方が長いようだったら、全員で話し合って、値下げした方がいいのでは? タクシーもそうですが、客を乗せて、初めてお金になる仕事ですからねえ。
倉庫の中を改装して、飲食店にしている所が多く、そちらも、賑わっているようでしたが、あまりにも、運河の周辺に、観光客が集中し過ぎていて、何だか、アンバランスな感じがしないでもなし。 小樽は、歴史上の事件・人物との関わりが薄くて、運河以外に、観光の目玉になる物がないようです。 それならそれで、もっと徹底して、運河周辺の街並みを、最盛期の時代の建物で埋め尽くしてしまった方が、観光客は、より喜ぶでしょう。 石碑は、集め過ぎると白けますが、倉庫のような、個々の謂れが希薄なものは、逆に、散らばっていると駄目なのです。 人気のあるエリアから離れた所に、昔の倉庫があったとしても、倉庫だけを見に、そこまで行く観光客はいますまい。
1 人力車
2 小樽運河②
3 小樽運河③
≪遅い昼食≫
ここで、2時45分くらいです。 この日は、昼食抜きの予定だったのですが、朝から、かなりの距離を歩いたせいで、疲労が溜まり、駅までの坂を上る体力がなくなってしまいました。 やむなく、予定変更して、コンビニに入り、「くるみチーズマヨちぎり」という、長い名前のパンを買いました。 定価115円のところ、賞味期限が近づいていたせいで、値下げされて、99円。 我ながら、とことん、ケチだ。 しかし、食べるには食べたものの、前の晩から、パンばかりなせいか、期待していた程、エネルギーに変わってくれませんでした。 つまり、元気が出ないのですよ。
≪札幌に帰還≫
ひーこら言いながら、坂を上って、小樽駅に戻ったのが、3時15分頃。 その後、一番早く来た、15:24発の普通列車に乗ったのですが、これが失敗で、普通列車ですから、当然の事ながら、各駅停車。 しかも、車内放送を聞くと、後から来る、快速エアポートに、途中で抜かれるというのです。 疲れていて、少しでも早く帰りたかったので、手稲駅で下りて、快速エアポートに乗り換えました。 ところが、こちらは、混んでいて、到着寸前まで、座れませんでした。 泣きっ面に蜂だね。
4時10分頃に、札幌駅に、到着。 駅の近くで、電話ボックスを見つけ、家に電話しました。 前日は、ホテルを探すのに夢中で、電話どころではなく、中一日置いてかけたのですが、もちろん、家の方は、私の心配などしていませんでした。 その後、ホテル近くのローソンで、夕飯用に買ったのは、またしても、パンです。 この時は、「カレー・パン 123円」と、「メンチカツ・ロール 108円」の2個。
一途に吝嗇道を貫こうとする、己れの気骨が恨めしい。 しかし、弁当となると、400円近くするわけで、パン2個と比べて、値段が2倍。 そう思うと、どうしても、買う気にならないんですな。 ホテル住まいなので、弁当の容器を、ゴミ箱に捨てていいものかどうかも気になります。
≪ホテルの夜≫
4時半頃、ホテルに到着。 キーを受け取って、部屋に戻ると、朝食券を持って、フロントに取って返し、翌朝用に予約していた、洋定食を、和定食に変更してもらいました。 すんなり、変えてもらえて、良かった。 情けない話ですが、早急に御飯を食べねば、死んでしまいそうです。 今にして思うと、ローソンで、パンだけでなく、おにぎりも1個買ってくれば、だいぶ、違ったと思うんですがね。 死ぬほど、ケチって、どうする?
そういや、この時、フロントの隣で、女性客が、チェック・イン手続きをしていて、驚いた事に、禁煙室を割り当てられていました。 この日に空いたのかも知れませんが、何だか、釈然としません。 先に、禁煙室を予約していたのは、私なのですから、禁煙室が空いたなら、まず、私に、移るかどうか、訊ねるべきではないですかね? 同じ料金を払っている客なのに、この女性は、何の障碍もなく、禁煙室に入り、私だけが、望まない喫煙室に、二泊を強いられる理由はないはずです。 リセッシュを渡せばいいというなら、この女性に渡したら如何か?
しかし、ここで、それを言うと、これまた、嫌~な思い出になってしまいそうなので、やめておきました。 もっとも、言わなくても、結局、こうやって、嫌な思い出になっているわけですがね。 たぶん、フロントは、「男だから、我慢できるだろう」と、軽く考えたんでしょうなあ。 それ自体が、喫煙者の発想でして、非喫煙者が煙草の臭いを嫌うのに、男も女もありゃしないんですが、そういう事は、喫煙者には、死ぬまで理解できんのでしょう。
部屋のドアの外に、ビニール袋が置いてあり、中を見ると、アメニティー類が入っていました。 今までのホテルで、掃除をパスした日に、こういう物が置かれていた所はなかったので、配慮の行き届いたサービスと言えます。 フロントはさておき、掃除係は、よく出来た人物のようですな。 こういう、いい所もあったから、前回、ホテルの名前を実名で出したわけですが。
北海道旅行では、汗を掻かなかった場合には、シャツを洗わない日もあったのですが、この日は、結構歩いたので、ズボン以外は、全て、洗濯しました。 何とか、翌朝までに乾かすために、エアコンは、「強」にしておきます。 フリース・ジャケットも、もう使わないだろうと思って、リセッシュして、ハンガーにかけておきました。 翌朝には、畳んで、旅行鞄に入れてしまうつもり。 夕食は、もちろん、パン。 もう、飽き飽きしてしまって、カレー・パンだろうが、メンチカツ・ロールだろうが、関係なく、砂を噛むようです。
7時に横になったら、眠ってしまって、8時に目覚め、また眠ったら、夜中の1時半に目覚めるという、ぶつ切りの睡眠になりました。 旅の終わりが近づいていると、いろんな事が脳裏をよぎって、心が落ち着きません。 この晩、睡眠不足だったせいで、体調に不具合を生じ始め、次の日が、ハードな一日になってしまったのは、否定できないところです。
≪四日目、まとめ≫
フリー・タイムで、自分の好き勝手に動けましたから、気楽は気楽でした。 貸切タクシーは、話を聞けるのは面白いですけど、他人との接触ですから、その分、気も使うのです。 予定通り、札幌と小樽の要所を見て回れたのは、頂上な結果。 疲れた疲れたと言いつつ、強行軍好きの私にしては、時間的に、早々と帰って来てしまいましたが、これは、小樽観光が、予想していたよりも、早く終わってしまったからです。
もし、貸切タクシーで行ったのなら、もっと、いろんな物が見れたのかもしれませんが、鉄道で行って、歩いて回るとなると、大体、私の通ったコースくらいになってしまうんじゃないでしょうか。 いや、総合博物館の方まで、足を延ばす人は少ないから、もっと、コンパクトになるのが、普通なのかも。
これから、北海道に旅行に行くという方へ、老婆心のアドバイスですが、札幌と小樽を、一日で見るのなら、札幌の方にウエイトを置き、小樽の方は、午後2時頃から出かけても、充分だと思います。 鉄道博物館や手宮洞窟に興味がなければ、運河周辺で、全て間に合いますから、2時間も取っておけば、釣りが来ます。 あと、もし、札幌に、丸一日、使えるなら、周辺の山の方に、見る所はいくらもあるようです。
札幌を中心に、無理なく、一日で行ける範囲となると、自然に、札幌市内と、小樽になってしまうんですな。 旭山動物園の旭川や、美瑛、富良野などは、遥かに遠いです。 札幌を全く見ずに、丸一日かければ、行けない事もないですが、札幌自体が、初めて来た街なのに、駅からホテルまでの景色だけ見て、終わりにするというのも、何だか、変な話。 やはり、時計台と大通公園くらいは見ておかなければねえ。
そもそも、7ヵ月前の応援の時、2ヵ月半も、近くの苫小牧に住んでいたのですから、お金をケチらずに、札幌や小樽まで足を延ばしておけば、こんな事にはならなかったわけです。 したっけ、その時は、こんなに早く退職して、北海道旅行に来るなんて、思ってもいなかったんだから、しょーがねーじゃん。 まあ、どうしても、道央や道東が見たかったら、また、来ればいいさ。 ・・・いや、自腹だと、絶対来そうにありませんな。 バイクで、野宿しながら、自走して来れば、2万円くらいで、来れるかな? 死ぬほど、疲れそうですが・・・。 というか、ほんとに、死にそうですが・・・。
ところで、先に言っておきますと、今回は、これまでより、文章量が、ぐっと少ないです。 旅行記の元にしている、日記のノートのページ数も、5ページ半しかありません。 理由は単純でして、この日は貸切タクシーに乗らなかったので、運転手さんから耳で聞いた、知識・情報の分が全くないからです。 逆に言えば、タクシーの車内で喋っている時間が長ければ長いほど、書く事が増えるわけです。
≪ホテルの朝≫
朝、4時半に目覚めましたが、早過ぎるので、二度寝して、6時半に、起きました。 電気ケトルで湯を沸かし、部屋に備え付けの、粉末のお茶を入れて、飲みます。 お茶は、大抵のホテルで、備えられていますが、ティー・パックの場合と、粉末の場合があり、私は、どちらかというと、ティー・パックの方が、何度も出せるので、ありがたいです。 粉末だと、一回こっきりですけんのう。 ただし、味は、粉末の方が濃いです。
部屋の対角線に張り渡した洗濯紐に、前夜から干しておいた洗濯物ですが、夜中に寒くなって、エアコンを、「弱」にしてしまったせいか、乾いていません。 礼文から持ち越した、靴下と、おしぼりタオルだけは、乾きました。 とりあえず、その靴下が穿ければ、この日は間に合うわけですが、前夜洗った分を、湿ったまま、袋に入れるのも気持ち悪いので、ここは一つ、この日入る予定の掃除をパスし、このまま、乾かし続けるしかないでしょう。
部屋の中に、洗濯物を干したままの状態で、掃除に入られるのは、私よりも、掃除係の人にとって、不都合が多いと思うのです。 狭い部屋なのに、パンツだの、靴下だのが吊る下がっている下で、ベッド・メイキングなんて、もし私が掃除係だったら、背筋が、ぞーっとします。 このホテルでは、各階ごとに、洗濯室があり、乾燥機も備えられているので、「洗濯物は、そちらで乾かして下さい」とでも言われたら、ケチな私は、困ってしまいますし。
掃除をパスしたい場合、「起こさないで下さい」の札を、ドアの外にかけるより、フロントに直截、頼んでしまった方が確実だという事は、沖縄のホテルで、経験済みでした。 しかし、両方やっておけば、尚、安心でしょう。 このホテルの部屋にも、その札はありました。 ドアにかけた写真が残っているので、あった事は確かなのですが、部屋の中の、どこに置いてあったのか、それを、どうしても思い出せません。 この部屋には、クローゼットがなかったからです。 ドアの内側のノブにかけてあったのかな? まあ、どうでもいい事なんですが。
ナップ・ザックを出して、貴重品を移し、外出する準備をした上で、7時に、1階のレストランに下りました。 ビジネス・ホテルは、みんなそうなのかも知れませんが、ここでは、夕食はなし。 だけど、朝食は付きます。 街なかですから、夜は、いくらでも、飲食店が開いているのに対し、朝は、ファミレスか喫茶店くらいしかやってませんから、ホテルで朝食を取れないと、困る客が多いのでしょう。
このホテルでは、バイキングではなく、洋定食と和定食のどちらかを選ぶ方式になっていて、面倒臭いので、チェック・インの時に、二日分とも、洋定食にしてもらったと、前回書きましたが、その選択は、失敗でした。 何でもそうですが、面倒臭がって、テキトーに済ますと、大抵、結果が悪く出ますな。
いかにも、都会的な感じのするウエイトレスさんに、朝食券を渡すと、席を指定されました。 ドリンク類だけ、セルフだったので、水とオレンジ・ジュースを、先に注いで来ました。 5分もしない内に、料理が来ました。 ミニ・オムレツ、チキン・ナゲット、スパゲティー・ナポリタン、フライド・ポテト、ポテト・サラダが、一皿に盛り合わせ。 他に、単品で、コーン・スープ、野菜サラダ、フルーツ・ヨーグルト、そして、パンが付きます。
料理は、別に、まずいわけではないのですが、肉っ気が、ナゲットしかない上に、全体的な量も少ないのです。 更に、食パン半切れと、バター・ロール1個だけでは、食べた気になりません。 それまで、ホテルの朝食と言えば、全て、バイキングで、腹いっぱい食べていたので、この量の少なさは、想定外でした。 また、箸が付かず、サラダのレタスを、フォークで刺して食べるのに、えらい手間取ってしまいました。 それでいて、オムレツを切るためだけに、ナイフが付いているのですから、妙にアンバランス。
その前の晩も、パンだったわけで、腹に力が入りません。 私は、料理は、洋食の方が好きなんですが、主食に関しては、「御飯派」だったのだという事を、この日この朝に至って、初めて、認識しました。 もちろん、認識しても、腹が膨れるわけではありません。 「これは、危機的だ・・・」と思い、すでに、洋食で予約してしまった、翌日の朝食を、和食に変更してもらおうと、硬く心に誓いました。 しかし、それは、すぐに言わなくてもいいでしょう。
1 ロビー・レストラン
2 朝食 洋定食
3 時計台
≪時計台≫
朝食後、そのまま、フロントへ行き、部屋の鍵を預けるついでに、掃除に入らないで欲しいと伝えました。 どのホテルでもそうですが、掃除のパスを頼むと、決まって、訝しそーな目つきで見られます。 「部屋に籠って、何か、不穏な事でもやる気なのでは?」と、思うんでしょうかね。 しかし、断られるような事はありません。 最近のホテルは、エコの為に、「連泊の方は、シーツの取り替えが不要ならば、そう言って下さい」という注意書きがあったりしますから、否やはないはずです。
フロントの横に、パンフ・コーナーがあったので、札幌市街地の観光マップを貰って、そのまま、札幌の街へ踏み出しました。 歩きながら、マップをざっと見たところ、大通公園の周辺に、観光名所が集中している様子。 あまり時間のゆとりがない時、歴史が長くない街は、大変ありがたいです。 別に、馬鹿にして言っているわけではなく、歴史的遺構があり過ぎると、一日では、ほんの一部しか見られないという所があるのですよ。 京都や奈良は、典型例。
ホテルから、少し南に行くと、かの有名な、「時計台」がありました。 こんなに近いとは、思わなかった。 元は、北海道大学の演武場。 時計がなければ、ただの洋風木造建築ですが、時計が付いていたばかりに、残す価値のある建築になった事が、現物を見ると、よーく分かります。 存在感が、半端ではありません。 周囲の樹木が育ちすぎて、建物が見え難くなってしまっているのが、難点と言えば、言えます。
もろ、街なかにあるので、全体の写真を撮ろうとすると、道路を渡って、反対側の歩道まで行かなければなりません。 ここの撮影には、みんな、当惑するでしょうねえ。 南側のビルの駐輪場に、「時計台 撮影スポット」という所があったので、素直に従って、そこで撮ってみましたが、私に限って言えば、「どこが、スポットなんだか・・・」という写真にしかなりませんでした。 全体を収めようとせず、時計がある部分だけを切り取った方が、時計台らしい写真になるかもしれませんな。
中にも入れるようですが、観覧料200円は、恐れる程ではないものの、開館が8時45分からで、まだ1時間以上あったので、きっぱり諦めました。 何せ、徒歩なので、いくら近いと言っても、後でまた来るというのは、かなり厳しいです。 午後からは、小樽にも行かなければならないし。
≪さっぽろテレビ塔≫
南下して、「大通公園」へ向かいます。 20階以上あると思われる、大きなビルの横を通りましたが、正面に回ってみたら、「札幌市役所」でした。 シンプルと言うべきか、没個性と言うべきか、評価に悩むデザイン。 更に、南下すると、大通公園に出るなり、いきなり、「さっぽろテレビ塔」が、目に飛び込んで来ました。 「おおお!」という感じで、結構な迫力です。 高さ、147.2メートル。 東京タワーをサイズ・ダウンしたような形ですが、建設は、こちらの方が早いとの事。 ちなみに、同類タワーを、早く出来た順に並べると、
1889年 エッフェル塔 (324m)
1954年 名古屋テレビ塔 (180m)
1957年 さっぽろテレビ塔 (147.2m)
1958年 東京タワー (332.6m)
エッフェル塔は、オリジナルなので、別格として、東京タワーを基準にすると、さっぽろテレビ塔や名古屋テレビ塔は、形が崩れているように見えますが、それはたぶん、相対的な見方に過ぎず、どれを最も見慣れているかで、評価は変わって来ると思います。 さっぽろテレビ塔の特徴は、真ん中くらいの高さの所に、巨大なデジタル時計が付いている事でして、これがあるとないとでは大違い。 幾分、雑然とした雰囲気も相俟って、≪ブレード・ランナー≫的な、未来都市のイメージを醸し出しています。
ここも、上に上れますが、営業は、9:00からで、私が着いたのは、7時47分くらいですから、問題外のズレです。 そんなに待てますかいな。 参考までに、今調べたら、展望台料金が、720円ですと。 あ、そりゃ、営業時間内に行っていたとしても、上がりませんでしたわ。 720円あったら、札幌ラーメンでも食べますって。
入るかは入らないかは、別として、この塔は、テレビや写真などで、遠景を見るのと、現地に行って、自分の目で見上げるのとでは、全然、印象が違います。 「一見の価値あり」とは、こういう所の事を言うのでしょう。 想像ですが、この塔に、誇りを感じている札幌市民は、相当な割合に上るのではないでしょうか。 街のシンボルにするには、ビル城なんかより、塔の方が、ずっと、理に適っています。
≪すすきの≫
大通公園を、西に少し歩き、南へ曲がって、「すすきの」へ。 言わずと知れた歓楽街。 とりあえず、どんな所か見てみようと、足を延ばしてみた次第。 途中、「狸小路」という商店街を横切りましたが、早朝の事ですから、入るまでもなし。 路面電車あり。 古い車両と、トラム風の新しい車両が混用されている様子でした。 「地下鉄すすきの駅」の前を通り過ぎると、それっぽい街に入りました。 ビルの壁面に、入居している飲み屋の看板が、上から下へズラリと並び、銀座のようです。 いや、銀座にも行った事はありませんが・・・。 先入観があるせいか、この付近、何となく、びしょびしょした感じがします。
大体、分かったので、長居は無用と、北へ引き揚げました。 そういや、稚内の運転手さんが、「北海道の風俗街は、以前は旭川にもあったけれど、今や、すすきのだけになってしまった」と言っていました。 私は、まるで無縁なので、分からないのですが、風俗店って、そんなに減っているんですかね? 北海道全体では、まだまだ、相当な人口がいると思うのですが。
そういや、7ヵ月前の北海道応援の時、毎週、土曜の夜になると、苫小牧から札幌に出撃して、風俗店に通っている人がいましたっけ。 毎週ですよ。 私より年上でしたけど、よっぽど、好きなんでしょうなあ。 また、そういう人が、武勇伝を語りたがるんだわ。 いいよ、そんなの。 私の感覚だと、そういう店に行くのは、明らかに、「恥」なんですが、全く逆に、自慢の種になると思っている人もいるのです。 それより何より、感染症を恐れないのが、一番、不思議。 エイズでも貰った日には、面倒な事になるで。 「自分は、大丈夫」と思える、その根拠が分からん。
1 さっぽろテレビ塔(上)/路面電車(下)/すすきの(右)
2 大通公園
≪大通公園≫
時間は、8時過ぎくらいで、平日の事とて、通勤者の人波が、ざわざわと、駅の方へ向かって、打ち寄せて行きます。 こんなに大勢の人間が、同じ方向へ向かって歩いているのは、都会ならではの光景ですな。 また、札幌の街は、自転車が多い。 自転車通行帯がないので、歩道をびゅんびゅん走っています。 後ろから接近されると、怖い怖い。 私は、ほんの1時間ほどで、5・6回、怖い思いをしました。 こんな状況が毎日繰り広げられていて、事故が起こらないわけがないので、たぶん、結構、人身事故が起きているんじゃないでしょうか。
大通公園に戻り、西へ向かいます。 ここで、書いておきますと、「大通公園」は、「おおどおり こうえん」と読みます。 「大通り公園」と書けばいいと思うんですが、なぜか、「り」を略します。 「札幌雪まつり」の会場になる関係で、全国的に名が知れているから、「だいつう こうえん」などと、読み間違える人はいないと思っているのかもしれませんな。 大阪の運送会社で、「大通」なんてーのが、ありそうな気もしますが。
そういや、去年(2013年)の10月の事ですが、北海道応援に出る前に、同僚達から、「雪まつりに行ってくればいいよ」と言われました。 顔を合わせる人全てから、そう言われて、私も、その気でいたんですが、来てみると、雪まつりは、2月だって言うじゃありませんか。 応援期間は、1月半ばで終わってしまうのに、見られるわけがありません。 私を始めとして、誰も、詳しい事を知らなかったんですな。 人間とは、平気な顔して、テキトーな事を言うものです。
大通公園は、「北海道マラソン」の準備で、仮設トイレやテントが、大量に設置中。 もし、それらがなければ、この公園、この上なく、気持ちの良い空間だと思われました。 大都会のど真ん中だというのに、1ブロック、すっぽり入るくらいの幅を取って、繁華街の端から端までぶち抜き、中に、噴水や花壇、木立などを、巧みに配してしてあります。 名古屋も、100メートル道路なんか潰してしまって、公園にすればいいのに。
ただ、問題もあります。 石碑や銅像、モニュメントなどが、多過ぎるのです。 どうも、北海道民は、そういうのが、大好きなようですな。 あまり多かったので、いちいち書きませんが、たぶん、私だけでなく、ここを訪れた観光客のほとんどが、スルーしていると思います。 何度も繰り返すようですが、この種の物は、同じ場所に集め過ぎると、駄目なのですよ。
銅像は、西の方に、黒田清隆と並んで、全国区では名前を知られていない、明治期の外国人技師のものがありました。 「ホーレス・ケプロン」・・・、誰? 札幌で、欧米人の像というと、よそ者の目には、みんな、クラーク博士に見えますが、クラーク像は、郊外の、「羊が丘公園」(立像)と、北海道大学の中(胸像)にしかありません。 立像の複製を、大通公園に置いてくれれば、手っ取り早く、そこで記念撮影して、「どうだ、これが、クラーク像だぞ」と、土産にできるのですが、それをやってしまうと、羊が丘公園に行く人が激減するから、やらんのでしょうな。
札幌の姉妹都市は、ドイツのミュンヘン市と、アメリカのポートランド市。 ミュンヘン市から贈られたという、「マイバウム」という、竿灯祭りの竿灯みたいな物体が立っています。 高さ、23メートル。 竿の枝の上には、村祭りの様子を描いたと思われる、人々の姿が、切り抜かれ、取り付けられてています。 材質不明。 鉄と木の、混成でしょうか。 華やかですが、雨曝しだと、傷みが早そうです。
その近くに、友好都市である、中国の瀋陽市から贈られたと思しき、唐獅子の像が、四体、台座の上に据えられていました。 唐獅子と言えば、神社の狛犬も、時代が浅いものは、唐獅子を模してあるわけですが、言わば、本家の唐獅子というのは、随分違うものですな。 頭の毛が、「螺髪(らほつ)」になっているものね。 しかも、背中には、リボンの結び目のような物が垂れています。 胸の方にも、何かが付いていますから、それを首に下げているという設定で、背中に回した紐まで彫られているのかも。
大通公園の西の端に、「札幌市資料館」があります。 古い石造風の建物ですが、帰ってから、調べてみたら、鉄筋コンクリート造りで、外壁に石板を貼ってあるのだとの事。 無料らしかったので、入ろうと思ったのですが、着いたのが、開館の10分前で、10分待つのが惜しくなり、パスしました。 午後の小樽行きが気になって、時間がかかりそうな所は、全てパスという感じ。
1 マイバウム(左)/唐獅子の背中(右)
2 札幌市資料館
≪知事公館周辺≫
札幌市資料館の横にあった案内看板に、「知事公館」というのが出ているのを、発見。 ホテルの観光マップからは、食み出した所ですが、近いので、寄ってみる事にしました。 車なら、すぐそこなんですが、歩くと、どんな所でも、結構あるように感じます。 1ブロックが、こんなに遠く感じるのは、初めて歩く街だからでしょうか。 それとも、札幌の1ブロックが、本州の街のそれより、実際に大きいんでしょうか。
「uhb」という、地方テレビ局の前を通り過ぎて、西へ。 やがて、それらしき場所が、見えて来ました。 緑がいっぱいの大きな敷地が、塀に囲まれていて、東南の一角に、交番があります。 西南の一角に、「知事公館」という表札が出ている門がありましたが、中は、木が生い茂っていて、建物は見えません。 ほんとに、ここかいな? もっとも、知事が住んでいるのだとしたら、道路から、建物が見えては、防犯上、まずいと思うので、別段、不思議はないのかも。
知事公館のある一区画は、北側が、森になっているようですが、そちらに回る前に、西隣にある、「道立・近代美術館」へ向かいました。 ここも、案内看板に出ていた施設です。 周りを囲む木立を抜けて、建物のすぐ前まで行きました。 外観は、三角と四角の白い積み木をくっつけたような形で、スマートでありながら、落ち着いた趣きがあります。 ただし、中には入りませんでした。 そんな暇は、ねー。
知事公館の敷地に戻って、北側の森の中を歩きます。 犬の散歩をしている人など、市民の憩いの場になっている模様。 南を見ると、芝生の向こうに、スイスの山小屋風の建物が見えましたが、何の仕切りもない所にあり、あまりにも、無防備。 どうやら、公館とは言っても、知事が、その建物に住んでいるわけではなさそうです。 この敷地内には、縄文時代から、擦文時代までの、竪穴式住居跡があるらしいのですが、私は、先を急いでいたので、探せませんでした。 隅に、「道立・三岸好太郎美術館」がありましたが、そこもパス。
1 道立・近代美術館
2 知事公館の森
3 知事公館の建物
≪北大植物園≫
大きく東へ戻って、「北大植物園」へ。 正式名称は、「北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園」。 ・・・長いな。 入園料、400円。 微妙に高い。 しかし、ここは、有名なので、入らないわけにはいかない強迫観念に押され、券売機で、券を買いました。 券売機で買った券を、受付に渡すわけですが、「受付に人がいるなら、券売機は不要なのでは?」と、思わんでもなし。 機械の維持費の無駄だと思います。 単に、券を買ったかどうかの確認の為だけに、人一人雇っているのは、勿体ない。 券も売ってもらえば、いいのでは?
実は、見たかったのは、植物園の方ではなく、園内にある、「北方民族資料館」だったのですが、行ってみると、さほど広くない部屋が一室、展示スペースになっているだけで、まるで、ボリュームに欠けていました。 これでは、「苫小牧美術博物館」のアイヌ民族コーナーの方が、見る物が多かったです。 やられたな。 どうも、大学が絡んでいる、この種の施設では、肩透かしを喰らう事が多いです。
植物園は、植物園。 広いですし、植物の種類も多いですが、特別な興味がない限り、楽しむというところまで行きません。 駆け足だと、何しに行ったか分らないですし、じっくり、説明版を読みながら回っていると、ここだけで、日が暮れてしまいます。 動物園や水族館とは、同列に語れない施設なんですな。 日本庭園・・・、というか、「なんちゃって日本庭園」風の一角や、熱帯温室もありましたが、どうも、「お金を取って、見せる」という、レベルではないような気がしました。 でも、植物園というのは、どこも、こんなものかも。
園の中央に、博物館があり、そこを、最後の頼みにしていたのですが、行ってみると、まさかの、「改修中」! それはないだろ! 建物がいくつかあるのですが、工事の覆いがかかっていて、入口に近づく事もできません。 一旦、受付に戻って、訊いてみたら、耐震工事中で、中は全く見れないとの返事でした。 申し訳なさそうに言われても、見れない事に変わりはないわけで、慰めにもなりません。 また、やられたぜ。
それでいて、入園料は、博物館が見れる時と変わらず、400円のままなわけだ。 券売機だから、安くできない? そんな事もありますまい。 汎用品なんだから、金額を調整する機能がないわけがないではありませんか。 200円とは言いませんが、せめて、300円にしてくださいよ。 いや、そもそも、ここへ入ったのが、失敗だったか。 400円あったら、昼飯代に足して、札幌ラーメンでも食べれば良かった。
帰って来た後で知ったのですが、南極から生還した樺太犬の、「タロ」は、この植物園で余生を過ごし、死んで、剥製にされた後、やはり、ここで、展示されているとの事。 たぶん、「改修中」の資料館の中にあったのではないかと思われます。 そう思うと、今更ながらに、重ねて悔しい。 ちなみに、「ジロ」の方は、国立科学博物館に剥製があるらしいですが、札幌よりは近いと言っても、東京でしょう? その為だけには、ちょっと行けんなあ。
≪北海道庁旧本庁舎≫
植物園を出て、東へ向かうと、すぐに、「北海道庁旧本庁舎」の赤煉瓦の建物が見えて来ます。 札幌市街の観光地で、最も有名なのは、時計台ですが、最も観光客が多いのは、ここのようです。 堂々たる洋風建築で、周囲に敷地をたっぷり取っているので、全体が一目で見えて、威厳溢るる雰囲気を、辺りに撒き散らしています。 よく分からん混合様式の国会議事堂や、街なかに埋没している東京駅などより、遥かに見応えがあります。
敷地の南側の門から入ると、まず、「北海道議会」の現代的なビルがあり、こちらは、現役で使われている模様。 では、「北海道庁・旧本庁舎」は、イコール、「旧北海道議会」の建物なのかというと、そうではなく、中には、議場のような場所はありませんでした。 昔は、知事は、中央の任命制だったので、議会とは関係なかったんですな。 「旧本庁舎」というのは、役所が入っていた建物なのでしょう。 外観は巨大ですが、中に入ると、天井が高い二階建てに過ぎず、部屋数も、そんなに多くありません。
中は、部屋ごとに、「樺太関係資料館」や、「赤れんが北方領土館」などの、展示スペースになっています。 しかし、こういう見せ方をするより、使用されていた当時のままの調度品を置いて、純粋に、歴史的遺構として見せた方が、観光客には、受けがいいと思います。 時計台やテレビ塔に比べて、全国区での知名度が低いのは、中の展示のせいではありますまいか? あの展示を見て、「旧本庁舎は、絶対に見に行った方がいいよ」と、人に勧める観光客は、あまり、いますまい。 政治信条に関わる事というのは、扱いが厄介なのです。
敷地の東側にある正門から外へ出ます。 正門前は、通りを挟んで、広い空間があり、かなり離れても、旧本庁舎を撮影できます。 つくづく、外観は、一級品なんですがねえ・・・。 つくづく、中が惜しい・・・。 時刻は10時半。 ホテルまでは、もうすぐです。 午後からの、小樽行きに備え、カメラの充電をしたいので、一旦、戻らなければなりません。
ホテルへ戻る途中、普通の道路を、観光馬車が進んでいくのを目撃し、追いかけて、写真を撮りました。 二階建てで、20人以上乗っている車を、白い馬が一頭で、牽いて行きます。 力があるのう。 1馬力で、20人引けるのなら、50ccの原付は、5馬力くらいありますから、100人引けるという勘定になりますが、何だか、イメージ的に無理っぽいですな。
1 北大植物園
2 博物館、改修中
3 北海道庁旧本庁舎
4 観光馬車
≪ホテルの昼≫
北海道庁旧本庁舎から、東へ向かうと、いくらも歩かない内に、ホテルのある通りに出ました。 すぐ、近くだったんですな。 という事は、行き当たりばったりながら、割と、無駄のないコースを回って来た事になります。 10時45分くらいに、ホテルに戻り、フロントで、キーを貰い、部屋に戻って、カメラを充電してから、一服しました。 この時、日記も、少し書いたと思いますが、覚えていません。 トイレにも座っているから、日記を書くほど、時間がなかったかも。
大して歩いていないのに、脚が痛くなっていました。 退職してからこっち、喰っちゃ寝ばかりで、腹が出て来たせいで、たまに歩くと、自分の体とは思えないくらい、動きが鈍くなっているのを感じます。 それでいて、朝食の喰い足りなさは、こたえているようで、空腹感だけはあるのだから、始末が悪い。 でも、フリー・タイムの日は、昼食を抜く事に決めていたので、この時も、何も買って来ていませんでした。 なんだか、ひもじいなあ。
≪札幌から、小樽まで≫
11時30分、小樽へ行く為に、また、出かけました。 カメラの充電は、まだ、終わっていませんでしたが、途中で打ち切ります。 フル充電でなくても、半日分くらいは、もつでしょう。 掃除をパスしておいたお陰で、荷物を旅行鞄に戻さずに済み、出たり入ったりが気楽にできました。 そういや、この時、廊下は、掃除係の仕事時間で、各種の掃除用具や、アメニティー類を積んだワゴン台車で、ごった返していました。 フロントには、一日で、キーを二度預けた事になりますが、二度でも、結構気が引けるというのに、何回も出かける人は、どうするんでしょうねえ。
ホテルを出、10分くらい歩いて、札幌駅へ。 駅前は、昼間に見ると、高層ビル群の人工の美が、際立って見えます。 夜のような威圧感がないのは、ありがたい。 札幌駅から、電車に乗るのは初めてですが、前夜、一度来ているので、改札口がどこかは分かります。 改札口さえ分かれば、券売機は、必ず、そばにあるわけで、切符を買うのは、どうって事はありません。 ≪こころ旅≫を見ていると、火野さんが、駅の券売機で悪戦苦闘する場面が、よく出て来ますが、私は、券売機で滞った経験はないです。 金額の選択と、お金の投入の、どちらを先にするかで、悩んだ事がありません。 つまり、どちらが先でも、買えるようになっているんでしょう。
11:44発の、快速エアポートで、小樽へ。 快速エアポートは、新千歳空港へ行く列車ですが、札幌ではなく、小樽から出ているので、小樽へ戻る列車もあるわけです。 片道、640円。 切符を買った後で、「しまった! どうせ、今日中に戻って来るんだから、往復で買えば良かった」と思ったんですが、後で調べたら、往復でも、別に割安になるわけではありませんでした。 なーんだ、そうだったのか。
・・・じゃ、どうして、往復切符を売っているんでしょう? 帰りに、券売機に並ばなくて済むメリットがある? いやあ、そんなの、手間も時間も、大した事じゃありませんぜ。 切符をどこにしまったか、分からなくなってしまうデメリットの方が大きいでしょう。 それにしても、切符というのは、どうして、ああ、なくし易いんでしょうね。 旅に出る前に、「切符を買ったら、必ず、ここへ入れておく」という、場所を決めておいた方がいいですな。
札幌が、11:44発で、琴似、手稲、小樽築港、南小樽、と停まって、小樽に、12:16着です。 札幌の近郊は、ずっと街が続いていて、大人口を抱えている事が分かります。 194万人だとか。 そりゃ、街も膨れ上がるわな。 快速なので、停まらない駅もあります。 銭函という駅から、海沿いに出ますが、そこはもう、小樽市になります。 しばらく、山と海の間を、鉄道だけが通っている感じ。
≪小樽駅≫
32分間の電車旅を終えて、小樽駅に着きました。 すぐそこ、というわけではありませんが、遠いという感じはしない距離です。 ホームの屋根を見るに、だいぶ、年季が入った駅で、何だか、懐かしさを感じます。 しかし、駅舎の方は、そんなに古く見えません。 最近、リニューアルしたのかも知れないと思いましたが、これは、帰って来てから調べたら、実際、そうでした。
駅舎の前の壁に、洋風の鐘が吊るされていました。 何か、由来があるのでしょうが、迂闊にも、説明板を読んで来ませんでした。 ここのところ、洋風の鐘を見ると、昨今、観光地に、うじゃうじゃ作られている、「恋人の鐘」を連想してしまい、反射的に軽視する癖がついてしまったからでしょう。 これも、帰ってから調べたら、「むかいの鐘」という、昔、列車が到着するのを知らせるのに使っていた鐘だという事でした。
≪小樽の街≫
駅を出て、すぐに分かるのは、「小樽は、そんなに大きな街ではない」という事。 名前こそ有名ですが、「大いに栄えたのは、昔の話」という感じが、街に漂う雰囲気で分かります。 人口は、12万5千人くらいだとか。 街全体が、傾斜地に作られていて、完全な平地は、海の近くに、ごく僅かしかありません。 駅から、坂の下を見ると、港の海が見えるのですから、街の狭さが分かろうと言うもの。 何となく、熱海に似ていますが、熱海は、人口4万人くらいですから、小樽の方が、ずっと大きいです。
一応、ネットで、地図をプリントして来たのですが、この街は、そういったものがなくても、迷う心配はありませんでした。 とにかく、海の方へ向かって歩き、運河にぶつかったら、北か南か、どちらかへ進めば、その近辺に、目当ての観光地が必ずあります。 大変、分かり易くて、観光客にはありがたい街ですな。 車では、却って不便。 バスに乗るほど、広くありません。 自転車では、1時間半くらいで、見終わってしまいます。 徒歩なら、3時間。 半日いるとなると、とても、間が持ちません。
1 札幌駅前
2 小樽駅内部(上)/小樽駅外観(下)/むかいの鐘(右)
3 駅から見える海
4 旧手宮線
≪旧手宮線≫
坂を下る途中、「旧手宮線」という、鉄道の跡を見ました。 1985年に廃止され、レールが一部残されている様子。 説明板によると、北海道で初めての鉄道だったとの事。 日本全国でも三番目で、開業は、明治13年(1880年)というから、随分、急いで作ったものです。 石炭の運搬が主な用途だったそうですが、明治政府は、よっぽど、北海道の資源が欲しかったのでしょう。 北海道の鉄道は、アメリカの技術で作られた、とも書いてありました。
≪小樽運河≫
やがて、運河が見えて来ます。 その直前に、壁が全面、ブルー・シートで覆われた、改修工事中と思われる建物がありました。 多いな、改修中の所・・・。 「運河プラザ」と書いてあって、名前から考えて、土産物店だろうと思い、気にせずに通過したのですが、実は、ここには、後で、戻って来ざるを得なくなります。
小樽の街は、どちらかというと、南北に広がっているので、運河も南北方向に伸びています。 南の方には、かなりの数の観光客がいました。 しかし、私は、博物館を目指していたので、北へ向かいました。 こちらは、あまり、人がいません。 運河には、遊覧船が行き来し、漁船やモーターボートが、繋いであります。 どうやら、運河の実用的な役割は、すでに終わっていて、観光専用になっているようでした。 時代がありそうな倉庫の建物が、あちこちに残されています。
運河というと、広大な大陸の内陸部で、都市と都市を結ぶ、長大な物を連想してしまうのですが、小樽の運河は、そんな大それた規模ではなく、単に、港で陸揚げした荷物を、倉庫群に効率よく運ぶ為に作られた、水路です。 いっそ、「小樽水路」と言った方が、適切な表現になるかもしれません。 絶景的なスケールの大きさではなく、古い時代の風情を楽しむ観光地なんですな。
≪小樽市総合博物館≫
やがて、運河の北端に至り、そこから、更に、数百メートル歩くと、「小樽市総合博物館」に着きました。 思っていたよりも、ずっと大きい建物です。 市の人口規模に比して、博物館が、これだけ大きいという事は、小樽の文化レベルが高い事を示していると見るべきでしょうか。 私論ですが、住民の知性レベルを高めたかったら、充実した博物館は、必須です。 特に、子供には、大きな影響を与えます。 コツは、子供騙しの展示にせず、大人が楽しめる内容にする事ですな。
門を入ってすぐの所に、銅像あり。 「ジョセフ・U・クロフォード」という、アメリカ人の鉄道技術者だとの事。 知らんなあ。 「少年よ、大志を抱け」のように、何か、一言、言って帰れば、全国的に、有名になったんだと思いますがね。 たとえば、鉄道技師なら、「この一本のレールが、未来に繋がっている」とか何とか。 もっとも、むしろ、真面目な人ほど、そういう事は言わないのかも知れませんな。 クラーク博士は、本国アメリカでは、全く無名なようですし・・・。
別館との共通入館券が、500円。 フリー・タイムの日に、自分で来た所なので、もちろん、クーポンはなく、自腹。 でも、この券で、三つの施設に入れるので、高いという感じはしません。 ただ、この総合博物館の本館は、私が想像していたのと違って、ほぼ、完全に、鉄道博物館でした。 相当なボリュームがあるので、鉄道好きにはこたえられないと思いますが、あいにく私は、全く興味がなくて、何を見ても、ピンと来ませんでした。
ちょっと、興味を引かれたというと、鉄道員の制服が並んでいる中で、保線担当者の服だけ、上着が、法被だった事です。 つまり、法被の方が、作業がし易いと判断されていたんでしょうな。 あと、レールの種類を比較した展示も、まじまじ見ました。 断面を見せてありましたが、こんなに、いろんな形があったとは、知らなかった。 面白かったのは、そのくらいですかね。 興味がないというのは、どーしょもないもので、写真も、ほとんど、撮ってありません。
建物の外に出ると、広大な屋外展示場があり、蒸気機関車、ラッセル車、郵便車、客車、転車台、車庫などが展示されている他、「アイアン・ホース号」という、蒸気機関車の実走もやっていました。 敷地内の、「中央駅」から、「手宮駅」まで、線路が敷いてあって、その間を走るのです。 私は、時間の関係と、興味の薄さの関係で、乗りませんでしたけど。 汽車時代の経験がある両親から、「あんなの、煙いだけ」と聞いていたので、ますます、興味が湧かぬ。
1 小樽運河①
2 小樽市総合博物館
3 鉄道員の制服
4 アイアン・ホース号
昭和の中頃に使われていた、客車があったので、ちょっと懐かしくなって、中に入ってみたのですが、あまりのみすぼらしさに、思わず、眉間に皺が寄ってしまいました。 私が子供の頃は、こんな粗末な物に乗っていたんですねえ。 もっとも、当時も、新幹線を除いて、鉄道の旅を快適だと思った事はありませんでしたが・・・。 また、独特の臭いが、そのまんま残ってるんだわ。 昔は、列車の中で、飲み喰いするのが当たり前だったから、様々な臭いが重なり合って、ごってり染み付いているのでしょう。 リセッシュ、リセッシュ!
今でも、駅弁は売っていますが、列車内で食べている姿は、あまり見なくなりました。 それで正解。 向かい合わせの席で、前に座った奴に、飯なんか喰い始められた日には、気持ち悪くて、目のやり場がなくなってしまいます。 また、喰い終わった弁当の箱を、椅子の下に放り込むのが、汚いんだわ。 誰が、あんな事、始めたのかねえ。 今でも、やる奴はやっていると思いますが、全く感心しない習慣です。 「車内、ゴミ捨て禁止」にしてしまえば、どれだけ、乗り易くなるか知れません。
≪手宮洞窟保存館≫
博物館の裏手の山の麓に、崖にへばりつくようにして、「手宮洞窟保存館」があります。 実は、ここが、私が小樽に来た最大の目当てでした。 洞窟の壁に、1500年前の、彫刻画があるというのです。 ここにも、共通券で入れます。 入口に近付くと、受付係と思しき、高齢の男性が、外に出ていて、暗渠の格子蓋の付近に、念入りに、殺虫剤をスプレーしていました。 奇妙な光景でしたが、後で考えたら、あれはたぶん、デング熱のニュースを見て、転ばぬ先の杖をついておこうとしていたんでしょうな。 その殺虫スプレーを持っていた手で、私にパンフを渡してくれましたが、こちらは、複雑な気分・・・。
中は、狭く、真っ暗で、彫刻画がある所と、展示品がある所だけ、ボタンを押すと、数分、灯りがつくようになっています。 ところが、彫刻画の向かい側に展示品のケースがあり、そちらの灯りが点くと、彫刻画の前のガラスに反射して、写真が撮れません。 灯りが消えるまで、待たなければなりませんでした。 そして、灯りが消えると、暗くなるので、三脚なしのカメラでは、ブレてしまって、ろくな写真にならないというジレンマ。
彫刻画そのものよりも、それを描き写して、見易くしたパネルの方を、専ら見て来たのですが、二本の角が生えた、道化師みたいな形態の人間が描かれていました。 この絵、以前は、古代文字という説もあったようですが、今では、否定されているそうです。 二本の角が生えているのは、シャーマン(呪術師)が、動物に仮装しているのではないかと推測されているとの事。 シベリアにも、同じような彫刻画があるというのが、不思議。 同じ民族が、ここまで来たんでしょうかねえ。
1 手宮洞窟保存館
2 デング熱対策中
3 彫刻画(左)/模写図(右)
≪運河館≫
手宮洞窟を後にして、港寄りの道を通り、市街地に戻ります。 運河の通りに出て、共通券で入れる、博物館の別館である、「運河館」へ。 ここは、倉庫風の壁に、瓦屋根を載せた、特徴ある建物らしいのですが、現在、改修中で、壁は、ブルー・シートで覆われていました。 そうです。 この運河館は、前述した、「運河プラザ」と続きの建物だったのです。 しまった! 無関係だと思っていたら、有関係だったのか。 北大植物園の博物館に続き、今日は一日で、改修工事中の建物に、二回も当たってしまった。 何たる不運・・・。
しかし、不幸中の幸い。 ここの場合、中は営業中で、ほぼ全ての展示を見る事ができました。 やれやれ、共通券が、無駄にならなくて済んだ。 中は、北前船や、小樽の歴史を中心テーマにした資料館です。 本館の方より、運河館の方が、博物館っぽい。 模型、写真、遺物、再現した店構えなど、ビジュアル的な工夫が凝らしてあって、よく考えられた展示方法でした。 昔、栄えた所だけあって、今の街より、資料の中の街の方が、活気を感じます。
「オタモイ遊園地」の展示がありました。 昭和8年(1933年)から、昭和27年(1952年)まで、小樽の西の方にあった遊園地で、崖の上に、三階建ての、巨大な楼閣があった事で有名。 以前、ニュース番組で、開園当時の映像が発見されたというの報道を見た事があったんですが、その時は、オタモイが小樽にある事は愚か、小樽が北海道のどこにあるのかも知りませんでした。 ここだったんですなあ。 今でも、廃墟の一部が残っているようですが、市街地から、かなり離れていて、簡単には行けないようです。
消防犬、「文公」の剥製あり。 昭和初期に、小樽の消防署に「勤務」していた犬で、火事が起こると、真っ先に消防車に乗り込み、火事場では、野次馬の整理や、ホースの縺れを直すなど、大活躍をしていたとの事。 凄い犬もいたものです。 他界した時には、消防組葬が行なわれ、多くの市民から、好物のキャラメルを贈られたのだとか。 悲劇ではないのに、なぜか、泣ける話です。
1 運河館、改修中
2 北前船
3 オタモイ遊園地の資料
4 文公剥製(左)/文公銅像(右)
他に、縄文土器や、昆虫標本、トドの骨格標本など、考古学や、生物学の展示もあり、大変な規模です。 私個人的には、本館より、こちらの運河館の方が、ずっと面白かったです。 改修中でなければ、もっとよかったんですがねえ。 建物の外に出ると、文公の銅像がありました。 銅像にすると、ハチ公みたいに見えますな。 剥製の方は、もっと、可愛らしいんですけど。
≪運河再び≫
運河館を後にして、運河の、南の方へ。 観光客が、うじゃうじゃいる辺りへ入って行きます。 人力車が、そこここに、全部で10台くらい、屯ろしていますが、お客は、あまり、乗っていない様子。 料金表を見ると、一番安いコースで、「一区間 一人3000円、二人4000円」、一番高いのは、「1時間 一人13000円、二人17500円」とあります。 そりゃあ、ホイホイとは乗れんわなあ。 走っている時間よりも、客引きをしている時間の方が長いようだったら、全員で話し合って、値下げした方がいいのでは? タクシーもそうですが、客を乗せて、初めてお金になる仕事ですからねえ。
倉庫の中を改装して、飲食店にしている所が多く、そちらも、賑わっているようでしたが、あまりにも、運河の周辺に、観光客が集中し過ぎていて、何だか、アンバランスな感じがしないでもなし。 小樽は、歴史上の事件・人物との関わりが薄くて、運河以外に、観光の目玉になる物がないようです。 それならそれで、もっと徹底して、運河周辺の街並みを、最盛期の時代の建物で埋め尽くしてしまった方が、観光客は、より喜ぶでしょう。 石碑は、集め過ぎると白けますが、倉庫のような、個々の謂れが希薄なものは、逆に、散らばっていると駄目なのです。 人気のあるエリアから離れた所に、昔の倉庫があったとしても、倉庫だけを見に、そこまで行く観光客はいますまい。
1 人力車
2 小樽運河②
3 小樽運河③
≪遅い昼食≫
ここで、2時45分くらいです。 この日は、昼食抜きの予定だったのですが、朝から、かなりの距離を歩いたせいで、疲労が溜まり、駅までの坂を上る体力がなくなってしまいました。 やむなく、予定変更して、コンビニに入り、「くるみチーズマヨちぎり」という、長い名前のパンを買いました。 定価115円のところ、賞味期限が近づいていたせいで、値下げされて、99円。 我ながら、とことん、ケチだ。 しかし、食べるには食べたものの、前の晩から、パンばかりなせいか、期待していた程、エネルギーに変わってくれませんでした。 つまり、元気が出ないのですよ。
≪札幌に帰還≫
ひーこら言いながら、坂を上って、小樽駅に戻ったのが、3時15分頃。 その後、一番早く来た、15:24発の普通列車に乗ったのですが、これが失敗で、普通列車ですから、当然の事ながら、各駅停車。 しかも、車内放送を聞くと、後から来る、快速エアポートに、途中で抜かれるというのです。 疲れていて、少しでも早く帰りたかったので、手稲駅で下りて、快速エアポートに乗り換えました。 ところが、こちらは、混んでいて、到着寸前まで、座れませんでした。 泣きっ面に蜂だね。
4時10分頃に、札幌駅に、到着。 駅の近くで、電話ボックスを見つけ、家に電話しました。 前日は、ホテルを探すのに夢中で、電話どころではなく、中一日置いてかけたのですが、もちろん、家の方は、私の心配などしていませんでした。 その後、ホテル近くのローソンで、夕飯用に買ったのは、またしても、パンです。 この時は、「カレー・パン 123円」と、「メンチカツ・ロール 108円」の2個。
一途に吝嗇道を貫こうとする、己れの気骨が恨めしい。 しかし、弁当となると、400円近くするわけで、パン2個と比べて、値段が2倍。 そう思うと、どうしても、買う気にならないんですな。 ホテル住まいなので、弁当の容器を、ゴミ箱に捨てていいものかどうかも気になります。
≪ホテルの夜≫
4時半頃、ホテルに到着。 キーを受け取って、部屋に戻ると、朝食券を持って、フロントに取って返し、翌朝用に予約していた、洋定食を、和定食に変更してもらいました。 すんなり、変えてもらえて、良かった。 情けない話ですが、早急に御飯を食べねば、死んでしまいそうです。 今にして思うと、ローソンで、パンだけでなく、おにぎりも1個買ってくれば、だいぶ、違ったと思うんですがね。 死ぬほど、ケチって、どうする?
そういや、この時、フロントの隣で、女性客が、チェック・イン手続きをしていて、驚いた事に、禁煙室を割り当てられていました。 この日に空いたのかも知れませんが、何だか、釈然としません。 先に、禁煙室を予約していたのは、私なのですから、禁煙室が空いたなら、まず、私に、移るかどうか、訊ねるべきではないですかね? 同じ料金を払っている客なのに、この女性は、何の障碍もなく、禁煙室に入り、私だけが、望まない喫煙室に、二泊を強いられる理由はないはずです。 リセッシュを渡せばいいというなら、この女性に渡したら如何か?
しかし、ここで、それを言うと、これまた、嫌~な思い出になってしまいそうなので、やめておきました。 もっとも、言わなくても、結局、こうやって、嫌な思い出になっているわけですがね。 たぶん、フロントは、「男だから、我慢できるだろう」と、軽く考えたんでしょうなあ。 それ自体が、喫煙者の発想でして、非喫煙者が煙草の臭いを嫌うのに、男も女もありゃしないんですが、そういう事は、喫煙者には、死ぬまで理解できんのでしょう。
部屋のドアの外に、ビニール袋が置いてあり、中を見ると、アメニティー類が入っていました。 今までのホテルで、掃除をパスした日に、こういう物が置かれていた所はなかったので、配慮の行き届いたサービスと言えます。 フロントはさておき、掃除係は、よく出来た人物のようですな。 こういう、いい所もあったから、前回、ホテルの名前を実名で出したわけですが。
北海道旅行では、汗を掻かなかった場合には、シャツを洗わない日もあったのですが、この日は、結構歩いたので、ズボン以外は、全て、洗濯しました。 何とか、翌朝までに乾かすために、エアコンは、「強」にしておきます。 フリース・ジャケットも、もう使わないだろうと思って、リセッシュして、ハンガーにかけておきました。 翌朝には、畳んで、旅行鞄に入れてしまうつもり。 夕食は、もちろん、パン。 もう、飽き飽きしてしまって、カレー・パンだろうが、メンチカツ・ロールだろうが、関係なく、砂を噛むようです。
7時に横になったら、眠ってしまって、8時に目覚め、また眠ったら、夜中の1時半に目覚めるという、ぶつ切りの睡眠になりました。 旅の終わりが近づいていると、いろんな事が脳裏をよぎって、心が落ち着きません。 この晩、睡眠不足だったせいで、体調に不具合を生じ始め、次の日が、ハードな一日になってしまったのは、否定できないところです。
≪四日目、まとめ≫
フリー・タイムで、自分の好き勝手に動けましたから、気楽は気楽でした。 貸切タクシーは、話を聞けるのは面白いですけど、他人との接触ですから、その分、気も使うのです。 予定通り、札幌と小樽の要所を見て回れたのは、頂上な結果。 疲れた疲れたと言いつつ、強行軍好きの私にしては、時間的に、早々と帰って来てしまいましたが、これは、小樽観光が、予想していたよりも、早く終わってしまったからです。
もし、貸切タクシーで行ったのなら、もっと、いろんな物が見れたのかもしれませんが、鉄道で行って、歩いて回るとなると、大体、私の通ったコースくらいになってしまうんじゃないでしょうか。 いや、総合博物館の方まで、足を延ばす人は少ないから、もっと、コンパクトになるのが、普通なのかも。
これから、北海道に旅行に行くという方へ、老婆心のアドバイスですが、札幌と小樽を、一日で見るのなら、札幌の方にウエイトを置き、小樽の方は、午後2時頃から出かけても、充分だと思います。 鉄道博物館や手宮洞窟に興味がなければ、運河周辺で、全て間に合いますから、2時間も取っておけば、釣りが来ます。 あと、もし、札幌に、丸一日、使えるなら、周辺の山の方に、見る所はいくらもあるようです。
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