2014/11/02

稚内を走る

  北海道旅行記の、三日目です。 8月27日、水曜日。 この日の予定は、かなり、ハード。 朝一で、フェリーに乗って、約2時間、航海し、稚内へ。 稚内を、貸切タクシーで、約5時間、観光。 午後4時に、稚内空港から、飛行機で、新千歳空港へ移動。 そこから、電車で札幌へ行き、札幌泊まりとなります。 ホテルの到着予定時刻が、夜7時半くらいに設定されていて、もう、真っ暗なのは確実。 しかも、ホテルの夕食はないので、自分で用意せよというのです。 ハードでしょう?

  前の晩から気にしていたのが、「日記を、いつ書くか?」という点でした。 先に書いておけないのが、日記の厄介なところです。 ホテルの夜を除き、書く時間が取れるとすれば、フェリーの中か、稚内空港での待ち時間の、どちらかだけ。 しかし、フェリーは朝一だから、まだそんなに書く事は溜まっていないでしょう。 稚内空港で、どれだけ時間があるかによって、夜が楽になるか苦になるかが決まって来るわけだ。

  というわけで、予め、この日の日記は、「箇条書き主体で行こう」と決めていたらしく、今、日記ノートを読み返すと、個々の文が妙に短いです。 単語だけ並べてある所もあって、暗号か、判じ物のよう。 どうせ、内容を整理して書き直すから、構わないと言えば構わないんですが、後で思い出した事を、全然違うページに追記してあったりするので、突き合せるのが、非常に厄介。 他人が書いたのなら、腹を立てるところですが、他ならぬ自分の筆だから、致し方ない。 ところで、個々の文は短いといっても、ページ数は、8ページ余りあります。 それだけ、いろんな事があったんですなあ。



≪ホテルの朝≫
  朝、4時半に目が覚めました。 前の晩、9時頃には寝てしまったので、7時間半は眠った事になり、それ以上、眠れないだろうと思って、起きてしまいました。 前の晩に手洗いした洗濯物の内、部屋の中に干しておいた、靴下と、おしぼりタオルが乾きません。 ユニット・バスの中に干してあった、その他の物は、ほぼ乾いていたので、場所を入れ替えました。 このホテルの、この部屋に限らず、北海道は、沖縄ほど、乾燥度が高くない模様です。 最初のホテルで、すんなり乾いたのは、扇風機のお陰でしょう。

  4時50分頃、カーテンを開けたら、外はもう明るくなっていて、嬉しい事に、利尻岳の全体が見えました。 二日間、山の上半分を覆っていた雲が、綺麗に吹き払われて、東から射す曙光に照らされ、幾分シルエット気味ながら、ギザギザに尖った頂上の形が、はっきり見えます。 何という、厳かな存在感か・・・。 「嬉しい」というより、「ありがたい」というべきか。 実に、神々しい姿で、言葉になりません。 周囲が海で、余計な物がない分、富士山よりも、神秘的な印象が強いです。 なるほど、これなら、地元の人達が、どんなに誇りに思っても、不思議はない。

  やがて、日の出。 太陽が出てしまうと、光が強く当たり過ぎて、情緒が損なわれます。 日の光で、利尻岳の山容が、はっきり見えるかと思って、粘っていたんですが、逆に、白く霞み始めてしまい、諦めて、窓とカーテンを閉めました。 とにかく、利尻岳の全体を見る事ができて、良かったです。 たぶん、もう二度と来れないのに、見れないまま帰ったら、一生、悔やみそうな度合いは、桃岩の比ではないような気がしますから。

  まだ、時間が早いので、ベッドに横になっていたら、うとうとして、夢を見ました。 自宅の自室で、兄と二人で、何かに釘を打ち付けている夢。 兄が出て来る夢など、滅多に見ません。 よりによって、旅先で、なんで、そんな夢を見るのか? 岩手赴任と退職で、心が傷ついたせいで、精神の退行現象が起こっているのでしょうか。 兄と何かを一緒にやっていたのは、子供の頃だけですから。

  6時頃、再度、起き出して、洗濯物の様子を見ましたが、乾く気配はありません。 やむなく、使っていなかったバス・タオルの間に挟み込んで、湿気を取る事にしました。 新聞紙があれば、水の吸い取りは、一番いいのですが、ホテルの部屋では、望むべくもなし。 フロントに頼めば、くれるかもしれませんが、それ以前に、洗濯室の乾燥機を使うように勧められてしまいそうです。 もちろん、そういうのは、有料なわけでして、自他共に認める吝嗇家の私が、たかが、靴下と、おしぼりタオルを乾かす為だけに、そんなものを使うわけがありません。 馬鹿馬鹿しい。

  6時半になったので、2階の食堂に、朝食を食べに下りました。 同じ階から、エレベーターに乗り合わせた中年男性二人が、「●●さんは、船を雇って、行ったらしいよ」という会話を交わしていました。 ●●の部分には、北海道の地方テレビ局の名前が入ります。 船を雇って、行った先は、土砂崩れで孤立している、元地地区の事でしょう。 客船の航路は存在しませんから、漁船を雇ったのだと思われます。 そういう話をしているという事は、この二人もテレビ関係者に違いありません。

  しかし、取材に来ているのに、こんな、現場と離れたホテルに泊っているようでは、報道に携わる者として、如何なものか。 なぜ、テントと寝袋を背負って、脚で山を越えぬ? もっとも、これは、事件・事故・災害の重大度の問題で、もし、大勢の死者が出ているような件だったら、徒歩で山越えも辞さなかったかも知れませんな。

  朝食は、バイキングです。 7階だった利尻のホテルの食堂と違い、こちらは、2階で、高層階ではなかったのですが、窓を大きく取ってあって、明るさに関しては、負けていませんでした。 やはり、子供客はおらず、静かなのは、大変、気持ちがいい。 それはいいんですが、圧倒的多数を占める、高齢者の客が、子供とは別の意味で、問題を引き起こしていました。 独立したテーブルの周囲に料理が並べられている場所で、行列しているのに、テーブルを囲む人の輪に、途中から割り込む、オッサン共がいるのです。 一人がやると、我も我もと割り込んで、何とも思っていない様子。

  あまりひどいので、私の前に並んでいた、30代くらいの女性に、「これは、並んでるんじゃないんですか?」と訊いたら、困った顔で振り返って、「並んでます」との返事。 私は、「ですよねえ」と続けましたが、その会話が聞こえているのかいないのか、一向に、割り込みが止まりません。 それどころか、私がようやく、料理を取れる位置に来たら、オバサンの一人が、そのすぐ前に割り込んで来ました。 片手を立てて、私を拝んでいましたが、悪いと思って拝むくらいなら、割り込まなければいいのに。 どうも、この高齢者達は、一般常識とは違う原理で活動しているようです。 歳を取ると、怖いものがなくなるんでしょうか。

  御飯と味噌汁だけは、係の人がよそっくれました。 こういう事をしていたのは、沖縄・北海道通して、このホテルだけです。 その方が、ジャーや鍋に、大勢がタッチしないので、衛生的には望ましいのですが、御飯が、すりきり一杯だったのは、ちと少なかったです。 さりとて、おかわりするほど、食べたいわけでもなし。 味噌汁には、カニの脚が入っていました。 中身が、箸で簡単に出せたのは、不思議。

  私が取った料理は、利尻同様、ほとんど、洋食系です。 和食系にできない事もないですが、朝食ですから、和食だと、海苔とか卵とか、結構しょぼい物になってしまい、せっかくのバイキングなのに、もったいないと思うのです。 料理用の皿を一枚しか取らなかったので、その上に、全部載せる事になり、盛り付けが、料理というより、エサのようになってしまいました。 でも、味のおいしさは変わりません。

1 利尻岳全景
2 朝食


  他に、ここの朝食で、目に付いたというと、浴衣姿で食べに来ている、オッサンが多かった事ですかね。 何かの団体だと思うのですが、60代くらいの男ばかり、十数人が、揃って、浴衣。 ホテルによっては、「食堂と浴場は、浴衣姿でも構いません」と、利用規約に書いてある所もあるので、ここもそうだったのだろうと思いますが、座敷ならともかく、テーブル・椅子式の食堂で、浴衣は、何とも不似合いです。 浴衣といっても、つまるところ、「寝巻き」なわけでして、寝起きで、顔も洗わずに、公衆の面前へ出て来たように感じられるのです。 実際、そうだったのかも知れん。 きったねーなー。

  部屋に戻って、7時くらい。 前日のチェック・インの時、フェリー・ターミナルへの送迎バスが、8時に出ると聞いていたので、それに合わせて、荷物を片付け始めます。 結局、靴下と、おしぼりタオルは乾ききらず、書類の防水用に持って来たビニール袋を一つ空けて、その中に、湿ったまま入れ、持って行く事にしました。 札幌のホテルで、また乾かすつもり。

  7時50分、部屋を出て、一階ロビーへ。 チェック・アウトすると、送迎バスが、玄関前にいると言われました。 出てみると、大きなマイクロ・バスでした。 ざっと見て、20席くらいでしたが、帰って来てから、写真を元に調べたら、トヨタのコースターで、26人乗りと、29人乗りがあるとの事。 それらは、たぶん、補助席も使った場合の人数なのでしょう。 後ろの方の席に座ったんですが、荷物の積み込み用に、後部ドアが開けられていて、発車する寸前まで、寒い思いをしました。 さすが、最北の島、8月でも朝は寒いのです。 私自身は、旅行鞄を、膝の上に載せていました。 飛行機でも、車でも、荷物を預けると、後で受け取る時が面倒だと思っていたので。

  8時に、お客が、10人ほど乗った状態で出発したのですが、その直前に、運転手の孫らしき子供が二人乗せられました。 一人は幼稚園くらい、もう一人は、まだ2歳くらいです。 どうやら、日常的に、幼稚園や保育所へ送って行っている様子。 公私混同だとは思いますが、それは、まだいいとして。 問題だと思ったのは、2歳くらいの方を、座席ではなく、運転席の隣の台の上に座らせた事です。 背凭れはなく、もちろん、シート・ベルトもありません。 子供は、ただ尻を載せているだけで、運転手が、時々、左手で支えながら、片手運転しています。

  背筋が、ぞーっとするではありませんか。 この人、運転手という仕事を、何だと思っているんでしょう? 人の命を預かっている責任感など、微塵もないのでは? いくら、礼文島に警察官が3人で、交通取り締りが緩いとはいえ、これはないでしょう。 フェリー・ターミナルの前まで、5分もかかりませんでしたが、距離が短ければいいというものではありません。 下りて、ほっとしました。 犬も歩けば棒に当たるといいますが、嫌なものを見てしまった。 長生きはしたくないものです。


≪香深港フェリー・ターミナル≫
  前回も書いた通り、搭乗口は工事中ですが、ターミナル自体は、機能しています。 中に入って、クーポンを、乗船券に換えてもらいました。 船会社は、前日乗ったのと同じです。 「香深⇒稚内 2等 大人1名 2570円」とあります。 前日の960円と比べて、随分と高いですが、これは、航海時間が違うからです。 鴛泊・香深間が、50分なのに対し、香深・稚内間は、2時間弱かかるのです。 前の晩、食品雑貨店で、飴を買っておいたのは、この為です。 過密スケジュールだというのに、朝一から船酔いは、是非とも避けたいところではありませんか。

  ちなみに、飴をなめ続けていれば、大抵の乗り物酔いは、回避できます。 何飴でも宜しい。 まだ試した事はありませんが、たぶん、ガムでも行けるはずです。 要は、何か口の中で、なめていればいいんですな。 乗り物酔いだけでなく、高山病も避けられます。 私は、富士山に、一日で二度、登頂した事がありますが、その時も、飴のお陰で、快適に過ごせました。 酸素スプレーなんぞより、よっぽど、効能が高いのに、値段は、一袋100円くらいですから、コスト・パフォーマンスも、抜群。 この対策が、一般常識化しないのが、不思議でなりません。

  ターミナルの中にいても、無意味なので、外へ出ます。 ターミナルの横に、プレハブで、待機通路が作られていました。 乗船前に、ここに並べばいいわけですが、中は、空気の通りが悪く、長居したいとは思えない環境でした。 すぐ隣は、駐車場で、前日にお世話になったタクシーの運転手さんが、今日の客を迎える為に、待っていました。 夏場の観光シーズンは、毎日、このパターンを繰り返しているんでしょうなあ。 改めて、話す事もないので、近づきませんでしたが。

  やがて、フェリーが入港して来ました。 見たところ、前日に乗ったのと、そっくりな船です。 下船客が、スロープのタラップで下りて来て、駐車場の方へ散って行きます。 中に、テレビ関係者の一団がいて、駐車場から出た所の歩道に、レポーターを立て、中継だか、撮影だか分かりませんが、とにかく、カメラを回し始めました。 ここで撮っても、あまり意味はないと思いますが、放送時間が迫っていて、急いでいたんでしょうかね。

  ちなみに、香深の街は、前日の朝に比べると、より、水溜りが減っていました。 道路には、乾いた泥の跡が残っています。 ここで、思い出しましたが、水の出が最もひどかった時には、港近くのホテルから、ターミナルまで、お客に、片足ずつ、ゴミ袋を履かせ、歩かせていたと、タクシーの運転手さんが話していましたっけ。 なるほど、それなら、長靴を使い回したりするより、ずっと、衛生的です。 機転が利く人もいるものですな。

  ところで・・・、利尻富士町には、「りっぷくん」がいましたが、礼文町には、マスコット・キャラクターがいないんでしょうか? いや、いるらしいのです。 ターミナルの玄関ドアに、ポスターが貼ってありました。 「あつもん」という名前。 「羹に懲りて膾を吹く」とは関係なく、ネットで調べたら、「レブンアツモリソウの妖精」だとの事。  割とシンプルで、可愛らしいデザインです。 きぐるみも存在する模様。 残念ながら、会う事はできませんでしたが、普段、どこに棲息しているんでしょうねえ? 観光客のジーサンバーサン達に、もみくちゃにされるのを恐れて、町役場に引き籠っているんでしょうか。

  下船客が下り始める前に、プレハブの待機通路は、乗船待ちの客で埋まり、長蛇の列が出来ていました。 人が満杯になると、空気が更に悪くなって、とても耐えられないので、私は、最後まで外にいて、乗船が始まり、通路内の人が減るまで待ってから、一気に通り抜けました。 そういうわけで、乗船は最後の方になり、8時30分くらいに、タラップを上がりました。

1 あつもん(左)/テレビ中継(右)
2 乗船風景


  妙に賑やかな、見送りの一団あり。 ギターを持って来たりして、文字通り、鳴り物入り。 20~30歳くらいと思われる、青年達です。 どうやら、先輩達を送りに来た様子ですが、過疎の島なのに、見送り側の若者がこんなに多いというのは、奇妙な話。 もしかしたら、見送られる側も見送る側も、島外の人間で、夏場だけ、バイトに来ている人達なのかも知れません。 先輩達は、先に帰るのか、それとも、バイトの激励に、島に立ち寄ったのか・・・。 いや、私の想像なので、まるっきり、外れている可能性は高いですが。

  見送りがいたおかげで、昔ながらの客船の出港光景に、幾分近くなりました。 紙テープは、飛びませんでしたけど。 余談ながら、出港の紙テープですが、私は、高校の修学旅行で九州の島原に行った時、一度だけ、経験した事があります。 船に乗る時に、一人に一巻ずつ渡され、船が離岸する時に、埠頭に向かって、みんなで、飛ばすのです。 もちろん、片端は手元に残します。 その事に気づかず、テープごと投げてしまう馬鹿は、必ずいるわけですが、そういうのも、お約束の内ですな。

  だけどねえ、よく考えてみるまでもなく、変なんですよ。 修学旅行先の港ですから、見送る側には、こちらの知り合いは一人もいないのです。 別れを惜しんで、テープを飛ばすのに、相手が、港の関係者じゃ、意味がないでしょう。 つまりその、雰囲気だけでも、味わわせようとしたんでしょうね。 それ以降、紙テープを投げるような出港には、立ちあった事がありません。 今は、環境問題がありますから、もう、どこでも、やっていないのかも。


≪礼文・稚内間フェリー≫
  乗り込んでみたら、フェリーは、前日の朝、利尻から礼文まで乗って来たのと、同じ船でした。 同型船ではなく、全く同じ、それそのもの。 壁に貼ってある名板に、「フィルイーズ宗谷」とあり、前日に写真を撮ってあったので、間違いありません。 つまり、この船は、利尻・礼文・稚内の間を、渡り歩いているわけだ。 勝手知ったる船なので、まっすぐに、船尾の屋外デッキに出ます。 ところが、前日と違い、この時は、乗客が3倍くらいいて、屋外デッキの座席も、8割方、埋まっていました。 人が多いと、不愉快な事が起こる危険性が高くなります。 嫌な予感。

  船尾から、車の積み込みをしているのが見えましたが、その中に、前日、スコトン半島で見た、色違いハスラーの一団が含まれていました。 室内デッキの一角には、やはり、前日見た、警察官の一団がごろ寝していました。 別に、懐かしくはないですが、離島近辺では、世間の狭さを感じます。 8時40分に出港。 早速、飴を、なめ始めます。 これから、約2時間、これだけが頼り。 20分に1個のペースで、なめ継ぎました。

  船内に、「カモメにエサをやらないように」という啓発のポスターが貼ってあるのですが、それを見たのか見ないのか、平気で、エサをやっている、爺さんあり。 夫婦者で、婆さんも隣にいるのですが、温かく見守っているだけで、何も言いません。 エサを掲げれば、カモメは寄って来るのであって、船と速度を合わせて飛ぶカモメを、写真に収めようと、他の客も、爺さんの周りに集まります。 

  この爺さん、こんな風に、人の注目を集めるのが、好きなんでしょうな。 一度、どこかでやって、味を占め、以来、病み付きになっているのではありますまいか。 屋外デッキに出る時には、必ず通る場所に貼ってある、結構、大きなポスターだったんですが、船に乗り込む前から、エサをやる気満々で、そんなもの、目に入らなかったのでしょう。 私も含めて、誰も注意する者はいませんでした。 なぜ、私が注意しなかったかって? そんなの、決まっているじゃありませんか。 旅の思い出を、汚したくなかったからです。 こういう光景を見ただけでも、嫌なものですが、下手に注意して、「なぜ、いけない!」などと、喰ってかかられたら、一生消えない、どす黒い記憶になってしまいます。

  爺さんのエサは、やがて、終わりましたが、恐れていた通り、真似をして、船内の売店で、ポッキーを買って来て、カモメを寄せる馬鹿な若造が続きました。 一人がやると、必ず、こういうのが出て来る。 自分が自腹を切れば、他の客にも喜ばれると思っているから、始末に負えない。 こういう連中を相手に、啓発ポスターくらいでは、不充分なのであって、エサをやりそうな場所に、「カモメに、エサやり禁止!」と、注意書きのプレートを貼っておけばいいのです。

  船は、次第に、礼文島から離れて行きます。 後方左手に、利尻岳が見えます。 八合目辺りに、雲が襟巻きしているものの、頂上の尖がりは、よく見えました。 急傾斜の頂から、次第に、なだらかになって、海に入って行く稜線は、「美しい」と、「素晴らしい」の、二語に尽きます。 この佇まいの良さは、富士山を、軽く超えますな。 富士山も海の上にあったらなあ。 それじゃあ、沼津は、海の底か・・・。 利尻島と並べて見ると、右手の礼文島が、平らな島に見えます。 礼文岳が、490メートルもあるとは、俄かには信じ難い。 いや、実際、あるんですがね。

  北の方を見ます。 稚内からはサハリンが見えると聞いていましたが、船は、この時、稚内より北を航海しているわけですから、理論的には、サハリンが見えるはず。 で、目を凝らしたのですが、これが、なっかなか・・・。 私の目が悪いせいか、それらしきものが見えません。 しかし、その後、1時間くらい経って、稚内港に近づいて来たら、幽かに見えるようになりました。 カメラを最大望遠にして、撮影しましたが、写真だと、雲だか山だか区別がつかないのです。

  屋外デッキの椅子に座り、日記を書いてしまった後、船に乗っている間にやっていた事というと、船尾で、後方の利尻岳を見るか、左舷側で北のサハリンを探すか、右舷側で、行く手のノシャップ岬を望むか、のどれかで、その3ヵ所を、ぐるぐる回っていただけでした。 他に、やる事がないんですわ。

  そういや、屋外デッキでの事ですが、私が日記を書いている時、少し離れた席で、利尻岳をスケッチをしている爺さんがいました。 若い人達が見れば、たぶん、「いい趣味だ」と思うのでしょうが、世間の波に少々揉まれている私の目には、これ見よがしの、いやらしいパフォーマンスにしか見えません。 なんで、わざわざ、船の中で、絵を描かねばならんのよ? 写真に撮って行って、家で描けばいいじゃん。 驚いた事に、この爺さん、スケッチが終わったと思ったら、徐ろにパレットを開いて、色を塗り始めました。 そこまでやるかね? よっぽど、自分に絵心があるところを、人に見せたいんでしょう。 何たる、いやらしさ! どーしょもねーなー。

  そういう人間の醜さを見ているのが嫌で、他の席に移ろうとしたのですが、空席を探して歩いていると、もう一人、絵を描いている爺さんがいました。 こちらは、より高齢です。 もう、80歳を超えているのでは? で、何を描いているのかと思って、チラッと見てみたら、なんと、船尾の手すりの所に立って、海を眺めている小学生の女の子、その後姿を、こっそり描いているのです。 たまげたね、こりゃ。 「盗描」とでも言いましょうか、絵で描いているというだけで、発想的には、カメラによる盗撮と、何の変わりもありません。 こんな、ヨボヨボのジジイになっても、まだ、色気が抜けんのですなあ。

  大方、問い質せば、烈火の如く怒り、「そんな、劣情で描いたんじゃない!」とでも言うでしょうが、馬鹿抜かせ、劣情がなければ、赤の他人の女の子を、後ろから描こうなどと思うものかね。 性欲が、形を変えて噴出しているだけだわ。 嗚嗚呼、何たる醜さ! 人間よ、特に、ジジイどもよ、汝等、何故、斯くも低劣なのか。 一体、今までの長~い人生で、何を積み上げて来たのだ? 人徳のかけらも得ようと思わなかったのか? こういったジジイどもに比べると、同じ年寄りでも、女の方が、まだマシか。 旅先で、自分の趣味を披瀝しようとする婆さんというのは、あまり見ませんから。

  やがて、船は、ノシャップ岬を回りこんで、稚内港に入って行きます。 大きな港です。 同じフェリー会社の、同型船が、フェリー埠頭に一隻、停泊していましたが、それとは、別の岸壁に、接岸しました。 稚内のフェリー・ターミナルは、利尻島の運転手さんが言っていたように、船から直截、ターミナルの中に繋がるブリッジはなくて、礼文の香深港同様、スロープのタラップが架けられました。 ターミナルから、岸壁の方へ伸びている、空中通路はあるのですが、途中で切れているのです。 思うに、雨天時や降雪時などに、待機通路として使っているのかも知れません。 その外で、地面を重機で掘り返していましたが、これが、ブリッジを作る工事なのか、全く関係ないのかは、知る由もなし。

1 見送りの一団
2 さらば、礼文島
3 稚内港フェリー埠頭


  入港した辺りから、船内放送で、音楽が流れました。 「宗谷岬」という、聞けば誰でも、「ああ、これか」と分かる曲です。 小学校唱歌とフォーク・ソングの中間みたいな曲調で、テンポがゆったりしていて、アクがなく、突然、耳に入って来ても、押し付けがましい感じが全くしません。 こういうのは、優れた曲の証拠ですな。 稚内は、いい曲をゲットしましたねえ。

  そういえば、利尻の鴛泊港を出港する時と、礼文の香深港で入出港する時にも、曲が流れていました。 そちらは、利尻と礼文を歌詞に詠み込んだ演歌でした。 しかし、利尻も礼文も、人間より自然が勝っている土地でして、演歌は、あまり似合いませんなあ。 その曲、全国的知名度は、ほぼゼロだと思うので、利尻と礼文で、それぞれ、別の曲を作り直したらどうでしょう。 雰囲気的には、スコットランド民謡のような、うら寂しくも、ほの温かい感じがする曲調が、よく合うと思います。

  接岸したのは、10時35分。 乗客の数が多いので、下船は、時間がかかりました。 やはり、スロープのタラップが、障碍なんですわ。 あんなの、ホイホイ下りられませんよ。 私は、先を争うのが嫌で、最後の方で下りました。 ここでも、下りてしまえば、ターミナルに用はなくて、埠頭解散になります。 稚内を離れる時には、空港から飛行機に乗りましたから、結局、ここのターミナルには、近づきもしませんでした。 迎えの人達は、空中通路の下で待っていました。 ほんの数人で、観光バスの関係者が5・6人と、タクシーの運転手さんが一人。 その一人が、私が稚内で乗せてもらう人なのです。


≪貸切タクシー≫
  車は、タクシー会社の所属で、トヨタのコンフォートでした。 私が作っていた車です。 車内に掲示してあった名札によると、運転手さんは、昭和30年生まれで、私より、だいぶ年上ですが、体格がいいせいか、若く見えました。 後で聞いたところでは、以前は、土建会社に勤めていたとの事。 なるほど、道理で、体格が良かったわけだ。 眉毛が長く、樽顔。 そういや、沖縄の運転手さん達にも、樽顔が多かったですが、タクシー適正の顔型というのがあるんでしょうか。


≪稚内港 北防波堤ドーム≫
  まずは、港の中にある、「稚内港 北防波堤ドーム」へ。 ドームと言っても、いわゆる、ドーム形のドームではなく、古代ローマ風の柱と、蒲鉾を半分に切ったような形の覆いがある、細長いアーケードのような空間です。 元は、鉄道の駅だった所で、背後が海なので、覆いが、防波堤を兼ねているという、文章や言葉では、非常に表現し難い構造物。 今は、中は空っぽで、ちょっとしたコンサートをやったり、バイクや自転車で北海道を旅している人達が、テントを張ったりしているとの事。

  すぐ近くの埠頭に、海上保安庁の巡視船が停泊していました。 運転手さんが言うには、「一時期、尖閣諸島まで、派遣されていた」との事。 おいおい、こんな端から、あんな端まで、巡視船を送っていたのかよ。 予算は大丈夫なのか、海保よ。 巡視船の名前は、「れぶん」。 なんで、「わっかない」でないのかは、不明。 船尾の、「れぶん」の文字の下に、「東京」と書いてあります。 どうも、巡視船は、みんな、東京の登録になっているようですな。 詳しくは知りませんが。


≪稚内公園≫
  港を離れ、高台にある、「稚内公園」へ。 「稚内市開基百年記念塔」という、高さ80メートルの塔がありましたが、400円取るというので、パス。 塔に上れば、眺めがいいのは分かっていますが、極力、自腹を避けたかったのです。 なに、塔に登らなくても、公園自体が、充分高い所にありますし、海側に樹木がないので、見晴らしの良さに、不足はありません。 いやあ、気持ちのいい所じゃありませんか。 

  公園内には、南極観測隊が、犬橇に使う樺太犬を、稚内で訓練した関係で、犬の像があります。 運転手さんは、像のモデルについて、「タロか、ジロか分からないけど・・・」と言っていました。 まーそのー、みんな樺太犬ですから、作った芸術家も、あまり区別してなかったんじゃないですかね? 銅像だから、毛の色も出せないし。

  ≪南極物語≫の撮影も、稚内で、少しやったらしいです。 ≪南極物語≫と言っても、今の若い人は、全く分からないかな? 1983年公開の映画で、主役の犬達の他、高倉健さんや、荻野目慶子さんが出演し、当時は、一世を風靡する人気でした。 今は、映画の人気というと、前宣伝だけ派手で、封切った途端に、ピタリと騒がなくなるパターンが多いですが、あの頃は、前宣伝を大きく打てば、よほど出来が悪くない限り、ヒットしたものです。

  たまたま、私が、映画の中に出て来る、犬を置き去りにして来た隊員が、犬の飼い主の元を訪ねる場面を覚えていたので、「ああ、あれは、稚内で撮影したのか・・・」と、鈍いながらも、感慨を覚えました。 83年か・・・。 私が見たのは、テレビ放送の時でしたから、その数年後だと思いますが、いずれにせよ、80年代は、遠くなりましたなあ。

1 北防波堤ドーム
2 稚内公園からの眺め
3 樺太犬の像


  他にも、記念碑、慰霊碑がいくつもあったのですが、あまり多いと、却って、記憶に残り難いものですな。 運転手さんが説明してくれたのは、「九人の乙女の像」で、戦争末期、ソ連の対日宣戦で、南樺太にソ連軍が南下して来た時、残っていた電話交換手の女性9人が、最後の連絡を残して、自殺したという話。 私が、「何も、死ななくてもねえ。 非戦闘員なんだから、命までは取らんでしょう」と言うと、運転手さんが、「いやいや、当時は、そういう教育を受けていたから」と言います。 なるほど、そうかも知れませんな。 「今の日本の女なら、自殺はしないだろう」という事で、意見が一致しました。

  私も運転手さんも、昭和の中頃に生まれた世代ですが、その歳にして、すでに、戦前戦中の人間の考え方が、感覚的に理解できません。 あまりに、世の中は変わった。 そして、戦後生まれの人間というのは、「戦前戦中の方が良かった」とは、決して思っていないのです。 今の若者なら、尚の事。 昔の価値観を美化して、無理に分かったフリをしない方がいいです。 そういう事を言っていると、いずれ、自分が同じ状況に追い込まれます。 死んでから、碑など建ててもらっても、命の貴重さに代えられるものかね。

  この公園からも、サハリンが遠くに見えました。 運転手さんの話では、季節的に、秋が一番、見え易いとの事。 距離は、40キロくらいと言っていました。 以前は、市街地から、この公園まで、ロープ・ウェイが通り、公園のすぐ下には、遊園地もあったらしいのですが、人口が減って、採算が取れなくなり、廃止されてしまったのだとか。 ちなみに、稚内市の人口は、最盛時は、5万5千人くらい。 現在は、3万6千人くらいだそうですから、3分の2になってしまったんですな。 うーむ、利尻・礼文という離島ばかりでなく、北海道本土でも、過疎化は進んでいたのか。


≪ホタテ塩ラーメン≫
  11時半でしたが、この後、西海岸の方へ行くと、店が探し難くなるらしく、先に、昼食を取る事になりました。 前日の礼文島でのパターンを踏襲し、「福利ポイントで来ているので、自腹は、なるべく切りたくありません。 千円以下で、ラーメンが食べられる所で、お願いします」と言うと、難なく、OK。 ここに至って、確信しました。 貸切タクシーであっても、お金を使いたくない事を、先に断っておけば、土産物屋などに、いざわなれる事はないのです。 沖縄や利尻では、先に言わなかったから、要出費スポットへ連れて行かれてしまったわけですな。 ああ、もっと早く、気づけば良かった。

  高台から、市街地に下りて、「稚内副港市場」という、複合施設に入ります。 中に、「おむすび島」という、食事所あり。 券売機で、先に食券を買う方式です。 運転手さんに勧められた、「ホタテ塩ラーメン」にしました。 カウンター席に座って、他の客の顔ぶれを見るに、主に、トラックの運ちゃんなどが利用している様子。 5分ほどで、ラーメンが出て来ましたが、ホタテが、大きい大きい。 ラーメン自体も、うまかったです。 塩ラーメンといっても、袋ラーメンの塩味のように、辛い程しょっぱい事はなくて、絶妙に味を調整してあります。 こういうのを、本物の塩ラーメンというんですねえ。 850円と、値段も、そこそこしましたが、あれだけ大きなホタテが入っていれば、そのくらいの値段は、リーズナブルと言うべきですな。

1 稚内副港市場
2 ホタテ塩ラーメン


  北海道のラーメンは、今まで私が食べたラーメンとは、スープの出来が、まるで違うような気がします。 沖縄旅行記で、沖縄そばを絶賛し、「全国展開すれば、日本のラーメン店を、商売換えさせられる」と書きましたが、北海道だけは、攻略できないかもしれませんなあ。 麺に関しては、沖縄そばの方が、うまいと思いますが。

  私が食事をしている間、姿を消していた運転手さんが、終わった頃に、ふらりと戻って来ました。 どこで買って来たのか、茹でたトウモロコシと、鮭の切り身の燻製が入った袋を、後で食べるようにと渡されました。 私は、ケチな人間なので、こういう物を貰うと、とても、嬉しいです。 鮭の燻製の方は、酒のつまみだそうですが、飲まない人でも、たぶん、おいしいだろうとの事。

  この、稚内副港市場には、一角に、間宮林蔵の樺太探検を紹介した部屋がありましたが、解説パネルの文章量が多過ぎて、とても読みきれません。 運転手さんを待たせてまで、読みたいとは思わなかったので、写真だけ撮って、出て来ました。 しかし、後で考えると、運転手さんは、むしろ、「如何に、時間を潰すか」に頭を使っていたのであって、じっくり読んで来た方が、良かったのかも知れません。 これから、どこへ回るかは大体分かりますが、それぞれの目的地で、どのくらい時間がかかるかは、運転手さんしか知らないので、客側では調整に限界があるのです。


≪旧瀬戸邸≫
  日程表にはなかったのですが、運転手さんが、「是非、見せたい」と言うので、「旧瀬戸邸」という、底引き網漁船会社の社長の旧宅へ行きました。 稚内副港市場と同じ、街なかにあるので、すぐそこです。 ちなみに、稚内の市街地は、鴛泊や香深と比べて、遥かに大きいのですが、ここの場合、ほんとに、すぐそこで、4分くらいで着きました。

  二階建ての日本家屋。 見るなり、さーーっと血の気が引きましたが、裏手の駐車場でタクシーを下り、運転手さんに案内されて、玄関に回ると、案の定、土禁でした。 そりゃそうか。 日本家屋そのものですけんのう。 ここまで来てしまったからには、「やっぱ、いいです」とも言えず、諦めて、上がる事にしました。 前日の、「北のカナリア・パーク」では、辛くも逃れましたが、三日目にして、破れたか。

  スリッパを履いて、座敷に上がります。 心穏やかでない点は同じでしたが、首里城の時ほど、不愉快な気分にならなかったのは、あちらでは、土禁でなくてもいい所まで、土禁になっていたのに対し、こちらでは、元個人の住宅で、土禁が当たり前だったからです。 また、この時は、旅行鞄の中に、除菌ティッシュを備えていて、事後処理の目処が立っていたから、幾分、安心感があったという事もありました。 備えあれば、憂いなし・・・、いや、それでも、憂いはありましたが。

  運転手さんから、稚内市の職員と思われる青年に、引き継がれ、家の中を案内してもらいました。 このガイドは、無料でした。 最初、ガイドの青年は、一人客をどう扱っていいか戸惑っている様子でしたが、私の方も、こういう家に入ったのは初めてで、どういう所を観察すればいいのか、大いに戸惑っていました。

  この家、昭和初期に建てられたとの事。 屋敷と言えば、屋敷ですが、江戸時代の武家屋敷のような、広大なものではなく、敷地面積的には、地方都市の庶民の住宅と、さほど、違いはありません。 家自体も、びっくりするほど大きいわけではないです。 しかし、金が唸っていた頃に建てられただけあって、内装や、家具調度など、贅を限りを尽くしています。 窓は、三重窓だとの事。

  北海道でよく見られる、「ニシン御殿」とは、全然違い、あくまで、底引き網漁船会社の社長の家だと、強調していました。 最盛時には、50隻もあった底引き網漁船が、今では、7隻に減っているとの事。 その漁船は、ここへ来る前に、港で見ていたのですが、結構大きな船でした。 「どうやって、50隻も接岸させていたのだろう?」と、疑問に思ったのですが、最盛時に撮った写真というのがあり、それを見ると、一目瞭然。 船を横に並べて、列を作らせていたのです。 船から船へ乗り移る形で、上陸したり、乗り込んだりするわけですな。 たぶん、魚の水揚げは、別の場所で順番にやっていたのでしょう。

  一階の大広間には、膳を並べた宴席が再現され、他に、主人の部屋、奥様の部屋、女中部屋、台所などがあります。 トイレだけは、今風の洋式便器に換えてあって、ウォシュレットが付いていました。 女中部屋が、二階にあり、結構広かったのは、意外。 いい暮らしをしていたんですねえ。 しかし、しょっちゅう宴会があったとすると、仕事も忙しかったのかも。 家の中は、ミニ博物館になっており、大鵬の手形色紙とか、石の置物とか、珊瑚の杖とか、他では見られない物が、いろいろ置いてありました。 フイゴ式の霧笛があり、鳴らしてみろというので、やってみたら、凄い音がしました。 霧笛って、もろ、手動だったんですね。

  どの部屋だったか忘れましたが、天井板の合わせ目を繋ぐのに、籐の蔓を使って、「×」の形に結んだ飾りがあり、ガイドの青年の説明では、これは、ここでしか見られない細工だとの事。 「ほほお・・・」と唸ったものの、私は、自分で家を建てる予定がないため、建築の細部の意匠に、あまり興味がなくて、ノリきれませんでした。 見る人が見れば、喰いつくと思うんですが、申し訳ない。

  石の置物は、家中あちこちに置いてありました。 何でも、奥様の趣味だったとの事。 玄関に、亀そっくりの石があり、「これは凄い!」と驚いたら、「それは、少し、加工してあるようです」と言われました。 なるほど。 加工すれば、そりゃ、似ますわな。 珊瑚の杖の、珊瑚というのは、稚内の近くで獲れたと言っていましたが、こんな北の海でも、珊瑚があるんですねえ。 杖の他に、生えていた時の姿のままの現物が、玄関に飾ってあって、天井まで届くような、大きなものでした。

旧瀬戸邸(左)/再現宴席(上)/亀の石(下)


  一通り、見終わったので、礼を言って、辞しました。 たった一人の客に、無料で、これだけ、解説してくれたのですから、ありがたいと思わなければなりますまい。 たぶん、普段は、団体観光客か、少なくとも、タクシーに乗れる限界の、3人くらいを相手にしているのだと思います。


≪ノシャップ岬≫
  稚内市街地の北にある、「ノシャップ岬」へ。 北海道には、知床半島の南に、「納沙布半島・納沙布岬」というのがありますが、そちらは、「のさっぷ」。 読み方が違うものの、それは、日本語上での便宜的な読み分けに過ぎず、元のアイヌ語は、同じ言葉で、「岬のそば」という意味です。 元々、「岬のそばの集落」を表していたのが、岬の名前になってしまったのだとか。 ネットで調べると、「野寒布岬」と、当て字してある場合もありますが、私が現地で見た、案内標識や看板では、全て、「ノシャップ」になっていました。

  ちょっと、私論を述べさせてもらいますと、アイヌ語語源の地名は、カタカナで表記した方がいいんじゃないかと思います。 当て字をするから、却って、イメージが混乱してしまうのです。 アイヌ語は、日本語とは別言語なので、漢字を意味で当てる事ができず、音だけで当ててあるわけですが、それだと、元の意味と漢字の意味がズレるのは、避けられません。

  昨今、「南アルプス市」や「さいたま市」のように、カタカナ・ひらがなの自治体名が登場し、漢字に拘る理由は薄れつつあるのですから、当て字と分かっている地名は、カタカナにしてしまった方が、すっきりして、いいと思うのです。 更に、突っ込んで考えるなら、アイヌ語表記で使っているローマ字にすれば、もっといいわけですが、それでは、日本人が不便になり過ぎるので、実現しないでしょう。 ローマ字で書かれた地名は、当て字の漢字で書かれた地名よりも、更に読み難いのよ。

  話を戻します。 地形が頭に入っていない方の為に説明しますと、北海道の北端は、二股に突き出していまして、東側が、最北端の宗谷岬、西側が、ノシャップ岬です。 ノシャップの方は、半島状になっていますが、「ノシャップ半島」とは言わないようです。 中心市街地から岬まで、街や住宅地が、ずっと続いているので、地図を見ないまま、連れて来られると、何だか、街外れのようで、半島の先に来たような感じがしません。

  最初に目に入って来るのは、赤白の横縞に塗り分けられた、高い灯台です。 これが、利尻島の運転手さんが話していた、北海道で一番、日本で二番目に高い灯台なんですな。 ちなみに、日本で一番高い灯台は、「島根県にあるらしい」と、言っていました。 伝聞の伝聞ですが、いちいち、調べて確認するほど、興味が湧きません。 灯台という建築物は、ライトとレンズが納まっている部分は、どの灯台でも、サイズが同じらしく、高い灯台だと、頭だけ小さい、巨人のような印象を受けます。

  岬は平地で、小奇麗な広場が作られています。 中央に、イルカと時計を組み合わせたオブジェがあり、その隅に、「ノシャップ岬」と書かれた板が立ててあって、そこが、撮影ポイントになっていました。 ここは、稚内市の北西端なので、西側には、海の向こうに、利尻岳も見えます。 利尻岳が背景になる位置に、撮影ポイントが設定されているわけで、稚内に於いても、利尻岳は、特別な存在なのだという事が分かりました。

  岬の背後の山に、自衛隊のレーダー基地が見えます。 運転手さんの話では、海自や空自の駐屯地があるけれど、一般の兵隊ではなく、レーダーの管理をしている人間だけ、いるらしいとの事。 別に、私の方から訊いたわけではないんですが、沖縄でも北海道でも、基地があると、必ず、運転手さんが、説明を始めるのです。 基地というのは、準観光地扱いなんでしょうか?


≪夕日が丘パーキング≫
  そのまま、半島の海岸線沿いの道路を回り込み、西海岸へ出て、南下します。 途中、ちょっと、山側に入り、中腹にある、「夕日が丘パーキング」という所へ寄りました。 車を停められる、展望スポットです。 ここはもう、完全に、利尻岳を見る為に作られたような場所ですな。 正面に、ドーンと見えます。 運転手さんの話では、冬場は、入り口が閉鎖されてしまうとの事。 開けておくと、除雪をしなければならず、維持費がかかるからだそうです。 冬は、観光客が少ないから、割に合わないのでしょう。


≪浜勇知園地≫
  海沿いの道路に戻って、南下し、「浜勇知園地」という、海側にある自然公園に寄りました。 海のすぐそばだというのに、「コウホネ沼」という沼があり、沼の畔には、木道が作られています。 湿地なのかも知れませんな。 植え込みで、ハマナスの実が成っていましたが、この時はまだ、それが、ハマナスだとは知りませんでした。

1 ノシャップ岬灯台とオブジェ
2 夕日が丘パーキング
3 浜勇知園地のコウホネ沼


  駐車場の横に、「展望休憩施設 こうほねの家」という建物がありました。 平屋ですが、屋上が展望台になっていて、外から階段で上がれます。 ここでも、利尻岳が、ドーン! 稚内市の西海岸は、どこからでも、利尻岳が望めるので、利尻岳を見る為のスポットが、そのまま観光地になっているようです。 一階は、休憩所と書いてありましたが、タクシーに乗っていると、ずっと休憩しているようなものなので、入りませんでした。

  この後も、海岸線の道を南下して行ったんですが、もう、遠くて遠くて、果てしない感じ。 話に聞いていた、北海道の延々と続く直線道路というのは、こういうものだったんですな。 運転手さんも、私も、さすがに、話題が途切れ、沈黙の時間が挟まるようになります。 右は海、左は丘陵に草が生えているだけで、道路以外に、人工物がありません。 道を作った人達も、あまりの長さに、うんざりした事でしょう。

  こんな単調な道を走っていて、眠くならないわけがなく、対向して来たバイクが、中央線をはみ出して来そうになりました。 「はっ!」と気づいて、目を開けた、女性ライダーの表情が、ありあり窺えましたが、気づくのが、ちょっと遅れたら、こっちに突っ込んで来たと思います。 道は、真っ直ぐならいい、というわけではないんですな。 わざとでも、少し曲げた方がいいです。 


≪サロベツ湿原センター≫
  南隣の自治体、豊富町に入ってから、内陸へ向かい、「サロベツ湿原センター」へ行きました。 ここへ来る為に、延々と南下して来たわけです。 稚内に来たら、「サロベツ原野」は、必ず見る所になっている模様。 建物があり、その半分くらいが、湿原の博物館のようになっています。 野鳥や小動物の、剥製や模型など、展示内容は、そこそこのボリュームで、同じ、「ラムサール条約湿地」でも、苫小牧にあった、「ウトナイ湖野生鳥獣保護センター」と比べると、より見応えがありました。 そういや、ここにも、≪北のカナリア≫のパネルがありましたよ。 稚内でも、撮影したんでしょうか。

  建物の裏手に、湿原があるのですが、青々とした草で、ぎっしり覆われていて、湿原という感じがあまりしません。 夏よりも、秋口の方が、いいのかも。 サロベツ原野は、広大なのが特長なのですが、ここには、別に、展望台があるわけではないので、そんなに遠くまでは見渡せません。 私が、期待し過ぎていたのか・・・。

  奇妙な形をした、大型の機械が、湿原の中に、いくつか置かれています。 説明板を読むと、「泥炭の浚渫船」だとの事。 近くに、博物館とは別棟の建物があり、その中には、泥炭の加工設備が展示されていました。 「泥炭て、何?」という感じですが、湿原から取れる資源でして、加工して、土壌改良材にして、出荷していたようです。 有機質を多く含むので、アルカリ質の土壌を改良するのに、効果があるのだとか。 1970年から、2002年まで採掘していたとの事。 32年は、資源採掘地の寿命として、短いのか、長いのか、微妙なところですな。


≪宮の台展望台≫
  この後、来た時とは別の、内陸の道を通って、北へ戻りました。 途中、山側にある、「宮の台展望台」という所に寄りました。 公園というほど広くはなく、駐車場と展望台とトイレだけがあります。 展望台の下に、ホルスタインの親子がいるのが、目に入り、ギョッとしましたが、よく見ると、それは、オブジェでした。 展望台は、普通の建物に換算すると、四階建てくらいの高さがある鉄骨構造物で、一番上に展望室があり、その下は、骨組みだけ。 屋外階段で上がって行きます。

  展望室は、ガラス張りで、ドアも付いています。 この日は、暑いくらいの天気でしたが、風が強くて、おちおち、景色も眺めていられない日の方が多いのかも知れませんな。 もっとも、風が入って来ないというだけで、そんなに、高級な造りではありません。 もちろん、管理人などはおらず、無人。 しかし、望遠鏡も備えられていて、眺めは良かったです。

  ここに寄ってもらったお陰で、サロベツ原野の全体を見渡す事ができました。 だいぶ、内陸に来ているようで、海が見えず、その向こうにある利尻岳が、まるで、平野の中に鎮座しているかのように見えます。 サロベツ原野の中に、「兜沼」という沼があるらしいのですが、そこここに水面は見えるものの、どれだか分かりません。 数日前の豪雨で出来た、「水溜り」が混じっているそうで、運転手さんにも、見分けられませんでした。 湿原ですから、水溜りといっても、沼くらいの大きさになってしまうんですな。

1 サロベツ湿原センター
2 泥炭浚渫船
3 宮の台展望台から、サロベツ原野


  この、宮の台展望台、山の木を切り開いて、作っただけかと思いきや、トドマツやエゾマツを植林してあるのだそうです。 利尻で、見分け方を習ったばかりだったので、確認するつもりで、近くの木を指し、「これが、トドマツですか?」と訊いたら、運転手さんの方が、植物に詳しくなくて、首を傾げていました。 まずい質問をしてしまった・・・。


≪タクシー話≫
  国道40号線を通って、稚内へ戻ります。 この辺から、ちらほらと、乳牛を飼っている牧場が目に付くようになりました。 いかにも、北海道らしい。 牧場が広くても、牛というのは、群で固まっています。 野生時代の本能で、集団でいた方が安全だという意識が抜けないのでしょう。 そういや、この辺では、ヒグマは出ないと言っていました。 稚内市内でも、東の方へ行くと、出るらしいです。 「出る」というのは、ヒグマに失礼か。 そちらの方に、「棲んでいる」わけですな。 西の方は、潮風の影響か、植生が貧弱で、大きな木がなく、ヒグマの主食である、木の実が採れないのかも知れません。

  他に、この辺りで、運転手さんから聞いた事というと、「冬は、吹雪が凄い」という話。 私が、「苫小牧に、2ヵ月半いましたが、吹雪には遭いませんでした。 一度、経験してみたいです」と言ったら、「いやあ、あんなものは、経験しないで済めば、その方が、ずっといいですよ」と、笑っていました。 どうやら、ほんとに凄いらしい。

  雪がひどくなると、道路が埋まって、どこがどこだか分からなくなるとの事。 道の両脇に支柱を立て、道路の上に腕を伸ばして、上から、赤い反射板の矢印を下げてあるのですが、そこが、車道の端を示していて、その矢印だけを頼りに走るのだそうです。 なるほど、それは、怖そうだ。 矢印は、一定間隔で設けられているそうで、その間隔の長さも聞いたのですが、忘れてしまいました。

  この時、走っていたのは、「国道」、行きに通った海岸線の道は、「道道」なのですが、国道と道道では、投入される維持費が違うそうで、国道の方は、これでもかというくらい、いろいろな設備が作られるのに対し、道道の方は、必要最低限の設備だけなのだそうです。 運転手さんは、元土建業なので、そういう事は、詳しいようでした。 もっとも、あくまで、「元」なので、土建業界の立場で物を言う事はなく、「国が借金だらけなのに、必要ないような工事ばかりしていて、どうするつもりなのか・・・」といった事も言っていました。 これは、私が、元自動車業界関係者であっても、退職した今、自動車業界の肩を持つ気が、更々ないのと、同じ意識ですな。

  そういや、タクシー車両のコンフォートについて、私が作っていたという話もしたのですが、運転手さんは、車には、さほど興味がないようで、そちらの話題は発展しませんでした。 ただ、プリウスに関しては、ちょっと話が出ました。 運転手さんの会社でも、3台いるらしいのですが、冬場は、使い勝手が良くないらしいとの事。 ハイブリッド云々というより、車高が低くて、雪が積もった道では、引っかけ易いのだそうです。 バンパーが、カラード・ウレタンなので、傷を付けた時に、修理も交換も、高くつくとも言っていました。

  そもそも、プリウスは、タクシー用に作られた車ではないですから、その種の問題点が出て来るのは、無理もない事。 空気抵抗を低く抑える為に、屋根の形状を流線型に近付けてあるせいで、後席のヘッド・ルームが、狭くなってしまっていますが、その点も、タクシーには向いていません。 乗せる側は、燃費が良い点、助かるでしょうが、客側にすれば、料金は変わらないわけで、乗り難いだけ、損という事になりますな。 ちなみに、コンフォートでも、一時期、ハイブリッド仕様を作っていたのですが、発進の時だけ補助をするシステムで、あまり効果がなく、仕様廃止になってしまいました。 次のタクシー専用車では、たぶん、本格的なハイブリッド仕様が設定されると思いますが、まあ、私にはもう、関係ない事です。

  他に、警察署の話も出ました。 稚内署は、交通取り締まりについて、伝統的に、割と優しいのだとの事。 一方、南隣の豊富町は、別の署の管轄で、そちらは、気風が厳しいのだそうです。 この日もそうでしたが、稚内のタクシーでも、豊富町まで行く事があり、管轄によって、緊張度が変わるのだとか。 なるほど、そういう事は、どこでもあるんですなあ。 署によって、取り締まりが緩くなったりきつくなったりするのは、法治の原則とは相容れませんが、現実に存在するのは事実。 どちらがいいとは、一概に言えず、たとえば、大都市で、警察が緩いと、ゴロツキばかり増えますし、人が少ない土地で、無闇に厳しくすると、却って、殺伐とした状況を作り出してしまいます。

  あと、タクシーの中で話した事というと、地方議員の話ですかね。 例の、世間を騒がした、「号泣議員」が、そもそもなぜ、当選したのか、という話から始まり、仕事で聞き知った、センセイ方の奇妙な生態を、いろとろと教えてくれました。 私も一般論の範囲で意見を挟みながら、相槌を打ち、結構、盛り上がりましたが、・・・そういう事は、あまり書かない方が良さそうですな。 どこで、名誉毀損になってしまうか分かりませんからのう。

  そうそう、稚内には、ロシア人がよくやって来るそうです。 漁船の船員が多いけれど、一般の観光客もいるとの事。 で、タクシーに乗るわけですが、言葉が互いに全く通じずに、苦労するのだそうです。 船員が行く所は、大体決まっていて、銭湯か、パチンコ屋か、スーパー。 銭湯に関しては、「サウナ」と言うから、分かるのだとか。 観光客の場合、絵が入ったパンフを持っていて、絵を指で指してくれると、通じるとの事。

  運転手さんが知っているロシア語が、「ダー」だけで、これは、「はい(Yes)」という意味ですが、ロシア人の客が、何を話しかけて来ても、全て、「ダー、ダー」と答えていたら、「なんじゃ、こいつ。 分かっとんのか?」という顔をされたのだとか。 そりゃそうだわな。 この運転手さん、ソ連・ロシアに関しては、あまりいい印象を持っていないようで、結構、辛い批判も飛び出しました。 もちろん、私は、旅先で国際政治論など戦わす気は、これっぽっちもないので、ニコニコ笑って、「なるほど、そうですか」と応じているだけでした。

  しかし、仕事で、乗せる事があるのなら、もっと単語を増やせば、グンと効率が上がると思うんですがね。 安いテキストを買って来て、だらだら見ているだけでも、一ヵ月で、100くらいの単語は、自然に頭に入ります。 1語しか知らないのと、100語知っているのとでは、大違い。 幸い、ロシア語は、英語と違って、カタカナと発音の相性がいいです。 カタカナ書きしてある物を、そのまま読んでも、通じますから、相当な利器になるはず。 極端な話、客を下ろす時に、「スパシーボ(ありがとう)」と添えるでも、リピーターが増えるのでは?

  もう一つ。 稚内にも、海水浴場があるという話を聞きました。 ある事はあるけれど、2週間くらいしか泳げないらしいです。 で、海開きの後、一度だけ行って、その年の海水浴は、終わりにする人が、ほとんど。 好きな人だけ、二回行くのだとか。 お花見と似たような感覚なのかな? 私は、そもそも、海水浴場なんて、2ヵ月やっていても、一度も行かない人間ですけど。


≪間宮林蔵渡樺出港の地≫
  北上して、稚内市街地に戻り、北海岸へ。 稚内市の北海岸は、ノシャップ岬から、宗谷岬まで、弧を描いています。 その、弧の部分は素通り。 宗谷岬まで、もう程ない所で、「間宮林蔵渡樺出港の地」に寄りました。 と言っても、ただの海岸でして、石碑が幾つかと、説明板が一枚、立っているだけです。 サハリンは、ここでも見えます。 というか、稚内の場合、北海岸のどこからでも、サハリンは見えるようですな。 間宮林蔵、どの程度の大きさの船に乗って行ったんだか。

  間宮林蔵は、二回、探検に出たそうですが、実は私、この人に、あまり興味がありません。 サハリンは、間宮が行く前から、北方民族が、フツーに住んでいたのであって、「探検」という言葉に、そもそも、抵抗があります。 「サハリンが、島である事を発見した」というのが、業績とされていますが、住んでいた人達は、交易で、大陸と日常的に往来していたのですから、そんな単純な事を知らなかったとは、とても、思えないのです。 単に、日本人とロシア人が、「サハリンが島である事を、先住民族が知っている事を、知らなかった」だけなんじゃないですかね?


≪象岩≫
  右手の沖合いに、白い島あり。 運転手さんの話では、それは島ではなく、岩であって、白いのは、鳥の糞のせいだとの事。 この岩、BSプレミアムの人気番組、≪こころ旅≫で、2012年に、火野正平さんが、見に行った岩です。 その時は、「象岩」と紹介されていましたが、正式名称というわけではない様子。 私は、その番組を見ていたのですが、この時は、すっかり忘れていて、同じ場所に来ているとは、つゆ知りませんでした。 写真を撮ってあったので、確認してみたら、確かに、体半分、海に浸かった、象の形に見えます。 なーんだ、ここだったのか。


≪宗谷岬≫
  宗谷岬には、あっさり着きました。 テレビでよく見る、「日本最北端の地」の碑がありますが、碑というより、モニュメントですな。 観光客が、順番で、記念写真を撮っていました。 私も、運転手さんに撮ってもらいました。 海に向かって、左手に、「間宮林蔵の立像」、右手に、「宗谷岬」の曲の音楽碑があります。 楽譜を刻んだ石碑で、前に人が立つと、曲が流れる仕組み。 人感センサーを使っているんでしょうな。 観光客は、次から次へ、そこへやって来るので、引っ切りなしに、曲が流れています。 だけど、いい曲なので、耳障りな感じはしません。 つくづく、稚内市は、テーマ・ソングに恵まれましたな。

  近くの土産物店の奥に、そこそこ大きな冷凍室があり、中に流氷が保存されています。 無料というので、入ってみたところ、冷えるわ冷えるわ! 海獣類や鳥の剥製が、流氷の上に置いてあるのですが、なぜか、ペンギンのもありました。 帰って来てから、その冷凍室の写真を見ていたら、扉の外に、「低血圧、心臓病の方は、氷室内に入らず、ガラス越に、ご覧下さい」という注意書きが貼ってありました。 そういや、私、心臓をやって、会社を辞めたんでした。 危ない事やっとるわ。 前の人と入れ替わりに入ったから、注意書きを読まなかったんですな。 どこで死ぬか分からん。

  この土産物店、妙にサービスがよくて、店の前面、入り口の上の壁に、時計の他、年月日と気温の電光掲示板をつけてあります。 「平成26年8月27日 午後3時 気温20.5℃」 ついでに、緯度も書いてありました。 「北緯45度31分14秒」。 しかし、普段、緯度を気にして暮らしていないせいで、ピンと来ませんでした。 緯度というと、「38度線」しか思いつきません。 それに比べて、高いというのは、分かりますけど。

  岬の背後の丘の上に、灯台あり。 背が低く、胴体が四角くて、ライト・レンズ部分だけ、円筒形という、変わった形ですが、色は赤白の横縞。 赤白横縞は、必ずしも、高い灯台だけに限った事ではなかったのか。 うーむ、基準が分からん。 また、高さも、何を基準に決められるのか、分かりません。 すぐ隣の、ノシャップ岬と、宗谷岬で、どうして、灯台の高さが、こんなに違うのでしょう?

  この丘には、碑とか、塔とか、鐘とか、記念モニュメントが、たくさんありました。 どうも、岬を持つ自治体というのは、こういうのを好む傾向があるようですが、過ぎたるは何とやらで、観光客の目から見た時、あまりたくさん集まっていると、逆に、白けてしまいます。 一ヵ所に一つだけあれば、喰い入るように、説明板を読むんですがね。 ちなみに、一番大きいのは、「祈りの塔」という、「大韓航空機撃墜事件」の後に作られた、慰霊塔です。 運転手さんの話では、この辺りの海岸にも、残骸や遺品が、かなり打ち上げられたらしいです。 1983年というと、偶然にも、映画≪南極物語≫の公開と、同じ年ですな。 稚内では、いろんな事が起きた年だったわけだ。

  宗谷岬の内陸側は、山と谷が複雑に入り組んだ丘陵地帯になっていて、私個人の感想としては、この丘陵地帯が、稚内で、一番、興味を引かれた景色でした。 やはり、絶景は、ダイナミックな地形でなければ。 丘陵の草原には、牛が、たくさん、放牧されていました。 乳牛ではなく、黒毛和牛です。 仔牛もいました。 子供の頃は、毛が茶色なんですな。 遠くに、エゾシカの姿あり。 シカも草を食べるんですねえ。 運転手さんの話では、道路での、シカの飛び出しは、日常茶飯事で、車が全損する事も多いのだとか。 ちなみに、車とぶつかった場合、シカは死ぬそうです。


≪その他≫
  この後、帆立貝の殻を砕いて、敷き詰めた、白い道というのを、見せてもらいました。 ホタテは、稚内の特産品ですが、貝殻が大量に出て、始末に困る。 そこで、細かく砕いて、丘の上の道に敷いてみたら、これが、案外、綺麗で、歩きに来る観光客が出始めたとの事。 私が見に行った時にも、歩いている人達がいました。 両脇は、ススキが生い茂っているのですが、道だけが真っ白で、何とも、シュールな光景なのです。 「何が観光資源になるか、分かりませんねえ」と、頷きあった次第。

1 宗谷岬
2 流氷冷凍室
3 丘陵地帯の牛
4 白い道


  最後に、普通の神社と、普通の寺を、車の中から見ました。 神社は、「宗谷厳島神社」。 手広くやっとるのう、厳島神社。 運転手さんに、「この辺では、墓石の色は、白ですか、黒ですか」と訊ねたところ、「うーーん・・・」と、しばらく考えてから、「どっちも、ありますねえ」との答え。 「最初、白石だったのを、建て替える時に、黒石にした例を知っている」と教えてくれました。 宗派や土地の習慣だけでなく、時代的な流行もあるんでしょうかね。 

  これにて、貸切タクシーの観光は、終了。 契約通り、午後4時ぴったりに、「稚内空港」に送ってもらいました。 昼に買ってもらった、トウモロコシと、鮭の燻製が入った袋を持ち、篤く礼を言って、別れました。 最後に、「楽しかったです」の代わりに、「面白かったです」と言ってみたら、しっくり来ました。 よし、今後は、これで行こう。 と言っても、貸切タクシーに乗るのは、あと、函館だけですけど。


≪稚内空港≫
  稚内空港は、石垣空港よりは小さく、利尻空港よりは大きいというサイズの建物でした。 1階に、チェックイン・マシンや、手荷物預かり所があり、2階が、保安検査場と待ち合い場です。 ここで、保安検査場と間違えて、手荷物預かり所に行ってしまう、ミスをやらかしました。 不様なこって。 「空港ごとに、レイアウトが違うから、初めてだと、勘違いし易いんですよ」と、言い訳しておきましょう。

  全日空の新千歳行きの便は、17:10発ですから、まだ、1時間くらいあります。 先に、待ち合い場に入ってしまい、日記を書きました。 フェリーを下りた後から、貸切タクシーに乗っている間に起きた事全部ですから、膨大な量になります。 箇条書きや、単語だけの羅列になったのも、致し方なし。

  そういえば、空港内に、ポスターが貼ってあって、稚内のマスコット・キャラクターが描かれていました。 名前は、「出汁之介(だしのすけ)」。 体は、アザラシで、前脚と、尾鰭が、昆布になっています。 うーむ、思い切ったデザインだ。 「この尾鰭では、きぐるみはありえないだろう」と、思っていたんですが、帰って来てから調べたら、なんと、あるらしいのです。 尾鰭とは別に、腹の下から、脚が生えている・・・。 何にでも、解決法というのは、あるようですな。 こうなると、もはや、アザラシではありませんが、「元から、アザラシではない。 妖精だ」と言われてしまえば、それまでか。


≪稚内空港から、新千歳空港へ≫
  17:10発なのに、5時3分には、出発しました。 またも、フライングです。 搭乗ゲートを通ったのは、4時57分くらいでしたから、ゲート前にいた客が乗り終わるなり、すぐ動き出した事になります。 ドアが閉められるのが早過ぎて、離陸前に、写真を撮る暇もありませんでした。 なぜ、そんなに急ぐのか、理由が分かりません。 機長の奥さんが、出産でもするのかね?

  飛行機は、≪B737-800≫で、初めての機体。 ≪B737シリーズ≫の中では、最新の部類に入るタイプのようで、初日に、新千歳から利尻まで乗った、≪B737-500≫より、随所が新しくなっていました。 主翼の端が、上に立ち上がっていますし、エンジンの取り付け基部も、形が丸くなっています。 内装も、何となく、丸っこい。 ちなみに、この機体、中は全日空ですが、胴体の外は、「スター・アライアンス」の塗装で、主翼の端の立ち上がりの所にだけ、「ANA」と書いてありました。

  私の席は、初日の新千歳・利尻便の時と同様、右の窓側で、主翼の少し前でした。 この時も、エンジンの頭が、すぐそこに見えました。 隣の席は、またまた、空席。 この時の席は、予約段階で指定されていましたが、まさか、○△商事の担当者、2席分、予約したんじゃなかろうね。 いや、まあ、どうせ、福利ポイントは使いきらなければ、消えてしまうのだから、どんな使い方をしても、構わないんですがね。 できれば、沖縄から帰って来る時の便で、それをやって欲しかった。 そうすれば、狂ったガキに苦しめられなくて済んだのに・・・。

  離陸すると、窓から、もろに、利尻島が見えます。 雲は、ほとんどかかっておらず、頂上まで、バッチリ。 カメラを使えないので、やきもきしましたが、その内、ベルト・サインが消え、ギリギリで、撮影が間に合いました。 その後、南下して行くと、焼尻島と天売島が見えて来ました。 この二島は、≪こころ旅≫の、2014年春のシリーズで出て来たので、この位置にある事を知っていたのです。 だいぶ傾いて、黄色味が強くなった西日を、背後から浴び、シルエットになった島影は、この上なく、幻想的でした。

  CAは、二人。 全員に配るドリンク・サービスは、なし。 飴も、なし。 ただし、希望者に注いで回る、アップル・ジュースがあったので、それを貰いました。 もう、図々しくなっちゃって、貰える物は、全て貰う所存。 どうせ、この北海道旅行が終わったら、二度と飛行機に乗れないんだから、何でも、やったれ。

  南下して行くに連れ、北海道本土の上は、雲が覆い始めましたが、30分くらいしたら、飛行機が高度を下げ、何と、雲の下へ出ました。 こんな飛び方も、アリか? 地上の、街、畑、家、山、川といったものが、航空写真のように、はっきり見えます。 陸の上で、こんな低高度を飛んだのも、初めてです。 怖いくらいでした。


≪新千歳空港駅≫
  フライングした分、到着も早くて、予定の18:00より、7分も早く着きました。 まあ、この日は、スケジュールが詰まってましたから、早い分には、文句は言いますまい。 新千歳空港に下りるのは、これで、四回目なので、もう、寄り道したいなどと思いません。 直行で、到着ロビーに出て、そのまま、地下にある、JR北海道の、「新千歳空港駅」へ下りました。

  この駅は、7ヵ月前の北海道応援の時に、利用した事があります。 支笏湖へ観光に行った時、苫小牧駅から電車に乗り、南千歳駅で乗り換えて、新千歳空港駅に着いたのです。 過去に、一度でも来ていると、心強いもので、ぐいぐい、先へ進みます。 新千歳から、札幌までは、○△商事から送られて来た、乗車券がありました。 確認してみると、日付指定は、なし。 改札横の駅員に訊いてみたら、どの列車に乗ってもいいとの事。 日程表では、18:34発の快速エアポートに乗る予定でしたが、どれでもいいなら、待つ理由はありません。 ちょうど、ホームにいた列車に乗り込みました。 帰ってから調べてみたら、この便は、18:03発でした。


≪札幌駅へ≫
  この列車も、快速エアポートだったと思います。 新千歳から、札幌方面に、15分ごとに出ているのです。 車両の座席配列に特徴があり、なんとなく、未来っぽいです。 南千歳駅と、千歳駅は、7ヵ月前に来た事があるので、ちょいと懐かしい景色。 その後、恵庭、北広島、新札幌と過ぎて、札幌駅に着いたのが、18:40でした。 これは、帰って来てから、時刻表で調べた到着時刻ですが、写真のデータを見ても、大体、定刻通りだったと思われます。

  初めて、札幌駅に下りました。 巨大な駅です。 人、人、人で、視界が遮られて、駅の造りが、よく分かりません。 南側へ出なければならないのに、案内標識には、西口と東口しかなくて、早くも、当惑。 しかし、それは、改札口の事でした。 東口の改札から出ると、南北に貫く通路があり、それを南へ向かったら、南側の出口に出られました。 やれやれ。 ちなみに、ここでも、切符は、記念に貰っておきました。


≪大都会、札幌≫
  駅の中だけでも、圧倒されていたのですが、外へ出たら、駅前に高層ビルが林立していて、まるで、上から覆い被さって来るようです。 しかも、もう、真っ暗なので、ネオンやら、電飾やら、ライト・アップやら、様々な色の光が渦巻いて、大都会そのものの光景。 こういうのは、田舎者には、心臓に悪いんですよ。

  とにかく、南へ進みます。 夜に、初めての街に着くと、信号一つ渡るのも、命懸けです。 いや、大袈裟でなく、マジ、マジ。 1ブロック進むのも、恐る恐るです。 ホテルは、駅から歩いて行ける距離にあるはずなのですが、家でプリントして来た地図が、へっぽこで、目印になる建物が出ていません。 ホテルがある通りを歩いているのかどうかさえ、はっきりしないと来たもんだ。

  「こんな地図では、埒が開かん!」と、旅行鞄を開け、○△商事から送られて来た、ホテルのパンフを取り出しました。 これを持って来ておいて、正解でした。 パンフの裏に出ている地図を見たら、恐ろしく簡単な地図だったものの、「かに本家」の隣と書いてあります。 見上げると、筋向いのビルの壁に、巨大なカニがくっついていました。 ビルの屋上には、これまた巨大な、「かに本家」という、真っ赤なネオンの文字が、夜空に浮き上がっています。 その隣を見ると、「ホテル パールシティ札幌」という青いネオンの看板。 なんだ、すぐ、目の前まで来ていたのです。 通り過ぎていなくて、良かった。

1 稚内空港
2 利尻岳
3 天売島と焼尻島
4 雲下飛行
5 出汁之介(左)/札幌かに本家(右)


  ホテルでは、夕食が出ませんから、行く前に、近くにあったローソンで、パンを2個、買いました。 コロッケ・パンとツナ・パンで、どちらも、108円。 やっすい、夕食やのう。 でも、野宿ツーリングの時なら、三食、こんな感じです。 人間、どんな物であっても、腹に詰めてしまいさえすれば、眠れるものです。


≪ホテルの夜≫
  都会のど真ん中にある事からして、疑いも間違いもありませんが、ここは、ビジネス・ホテルです。 これまで、リゾート・ホテルと、観光ホテルしか泊まった事がなかったので、ビジネス・ホテルは、初体験。 1階は、ロビーと言えるほどの空間がなく、フロントの他は、レストランで埋まっていました。 「食堂」って感じじゃないです。 レストラン、もしくは、カフェですな。

  チェックインします。 住所、氏名、電話番号を書くのは、他と同じ。 朝食は、バイキングではなく、洋食と和食を選べるとの事。 ここには、2泊するのですが、面倒臭いので、2回とも、洋食にしてもらいました。 朝食は、この1階にあるレストランで食べるようです。 ビジネス・ホテルなので、温泉も大浴場もありません。 私は、一向に構いませんが。

  問題は、この後、起こりました。 フロント係が言うには、「予約は、禁煙室という御希望でしたが、あいにく、埋まっておりまして、喫煙室でお願いします」との事。 そして、「これを、どうぞ」と言って、ドンと、目の前に置いたのが、「リセッシュ」のスプレー・ボトルでした。 消臭剤ですよ。 そんなの、アリか?

  部屋は、7階です。 このホテルには、エレベーターが、2基あって、昇降に不便は感じませんでした。 部屋に入ると、確かに、煙草臭い。 これは、敵わん。 消臭剤くらいで、部屋全体に染み着いた、この悪臭が消えるとは、とても思えません。 窓はありましたが、5センチしか開きませんでした。 どうせ、開けても、隣は、「かに本家」のビルの壁ですけど。 エアコンを、「強」にし、ユニット・バスの換気扇を点けっ放しにすると、気分的に、だいぶ、楽になりました。

  ベッドは一つ。 沖縄・北海道を通して、シングルだったのは、このホテルだけです。 鏡台を兼ねた机と、椅子。 応接セットは、テーブルと椅子が一脚 他に、荷物を載せる台がありました。 さして広くない部屋に、応接セットは、要りませんわ。 窓のカーテンを開け閉めするのに、ベッドを回り込まなければならないのですが、応接セットが邪魔で、通り難い。 他は、テレビと電気ケトルがありました。 ユニット・バスは、意外にも、標準より広かったです。

  まず、除菌ティッシュで、スイッチとか、リモコンとか、トイレの便座とか、あちこち拭いて回り、その後、靴を脱いで、中を丁寧に拭きました。 この日は、土禁を喰らってしまったので、この作業は外せません。 どうせなので、渡されたリセッシュも、靴の中に、しこたま吹いておきました。 除菌効果があるかどうか分かりませんが、少なくとも、培養効果はないでしょう。

  それから、洗濯、風呂。 窓に、丈夫そうなカーテン・レールがあったので、そこから、入口横のハンガー掛けまで、紐を張り、洗ったばかりの洗濯物と、礼文のホテルで乾かないまま、ビニール袋に入れて持って来た、靴下、おしぼりタオルを干しました。 疲れるなあ。 ホテルに入ってからの方が疲れるというのは、観光旅行として、如何なものなのか・・・。

  ようやく、夕食ですが、利尻・礼文の豪勢な夕食に比べると、パン2個の食事は、あまりにも、しょぼい。 で、引き続き、稚内の運転手さんに貰った、茹でトウモロコシを食べましたが、これは、うまかった。 今までに食べたトウモロコシの中では、最もうまかった。 ありがとう、運転手さん。 更に、鮭の燻製にも手をつけましたが、最初、歯で千切っていたら、思いの他、硬くて、歯を傷めそうになり、手で契って、小片にしてから食べました。 確かに、これは、酒のつまみですな。 大人の味です。 

  左手で、鮭の燻製を食べながら、右手で日記を書きます。 洗濯よりも、日記の方が辛い。 ホテルの夜に日記を書いていて、1時間以内で終わった例しがないです。 鮭の燻製を食べ終わったら、礼文で買ったビスケットの残りを食べながら書き続け、9時半頃には、何とか 、終わりました。 テレビをちょっと見て、眠ったのは、10時頃。 やれやれ、長い一日が、ようやく、終わりました。



≪三日目、まとめ≫
  この日の朝は、まだ、最果ての島、礼文にいたのが、フェリー、タクシー、飛行機、電車と乗り継いで、夜は、札幌にいるというのが、感覚的に信じられませんでした。 しかも、稚内では、5時間も、観光しているのです。 ハード過ぎだんがな。 思うに、売れっ子の芸能人というのは、毎日、こんな生活をしているんでしょうかね?

  メインは、稚内観光だったわけですが、利尻や礼文ほど、強烈な印象はなかったものの、北海道の広さを感じられたのは、いい経験になりました。 稚内の市街地は、夏に行くと、普通の地方都市という感じで、再北端の街といった特殊性は、感じられません。 でも、冬は、行く人は、あまりいないでしょうねえ。 そういえば、冬のイベントとして、犬橇レースが開かれていると言っていましたっけ。 さすが、タロ・ジロを輩出した土地だけの事はある。 一度、見てみたいですが、私は、資金的に、もう行けないと思います。

  かくのごとく、この日は、ハードだったわけですが、もっと、ハードな日もありました。 それは、いずれ書きますが、この次の日ではありません。 ・・・変な予告。