2014/11/23

さよなら、北海道

  北海道旅行記の、六日目です。 8月30日、土曜日。 北海道旅行の最終日にして、図らずも、退職記念旅行になった、福利ポイント消化による、沖縄・北海道、贅沢旅行の最終日。 この日の予定は、前日に引き続き、貸切タクシーで、函館市内を観光し、後は、帰るだけです。 ここまで、持ち込んでしまえば、終わったも同然で、気楽なものでした。

  沖縄旅行から、続けて読んで下さっている方々には、朗報があります。 今回は、かなり、短いです。 メインの観光が、貸切タクシーの3時間だけで、後は、オマケのようなものですから、引き伸ばしようがないのです。 どれくらい短いか、今、沖縄と北海道の記事、全15回を比較してみたんですが、最短は、60段落台、最長は140段落台で、えらい、バラツキがありました。 今回は、最短の方に近いので、大船に乗った気でいて下さい。



≪ホテルの朝≫
  和室だったせいか、夜中に目覚める事があっても、目蓋を開けるのが怖かったです。 幽霊を怖がる気持ちが、まだ残っていたとは、新鮮な驚きでした。 手のつけられない乱暴者を、更に力の強いロボットで、ねじ伏せるという夢を見ました。 こういう、エキサイト型の夢は、途中から、自分の意思で操作してしまう事が多く、ありきたりな結末に終わる事が多いです。

  朝5時には目が覚めてしまいました。 前夜、0時半頃まで起きていたので、正味4時間半しか眠らなかった事になりますが、割と爽快な気分でした。 前々夜も、睡眠不足だった上に、前夜には、フローズン系ドリンクで頭をやられ、パンチ・ドランカーのように、ふらふらしていたにも拘らず、そんなに短い睡眠時間で回復したのは、内面意識が、「最終日だから、逃げ切ってしまえ」と、判断したんでしょうな。

  窓のブラインドを開けると、どうやら、雨が上がったばかりの様子。 前夜、私が、夜景ツアーから帰った後に、降り出したんですな。 前日の昼間も、パラパラ降っていたわけで、ちょうど、夜景ツアーの間だけ、やんでいた事になります。 私も含めて、前夜、ツアーに参加した客は、運が良かったんですなあ。

  7時に、一階の大宴会場へ、朝食に下りました。 同じバイキングでも、朝なので、品数は少ないです。 メインの料理を取り、一度、トレイを席に置いてから、御飯・味噌汁、ドリンクなどを取りに行くのですが、会場が広すぎて、席まで戻るのが大変。 何事にも、適度なサイズというのは、あるものですな。 だけど、食べる段になれば、場所は、狭いより、広い方がいいです。 周囲を歩き回る人々が立てる埃を、気にしなくて済みますから。

  ホテルに泊まって、バイキング料理を食べるのも、これで最後かと思うと、一品でも多く欲張りたくなるものですが、朝から、そんなにたくさん食べられるものでもありません。 ジャガイモがあったので、取ったのですが、意外な事に、あまり、おいしくありませんでした。 バターか何か、つけて食べるんですかね? 食べ方を知らないというのは、救いようがないものです。

  食べ終わった頃、会場の隅に、食器を片付ける台車が置いてあるのが、目に入りました。 「もしや、セルフか?」と思って、そちらへ持って行きましたが、途中、係員が通りかかったので、「自分で片付けるんですか?」と訊いたら、何も言わずに、受け取って、持って行ってくれました。 そうですよねえ。 バイキングで、セルフ片付けというのは、聞いた事がありませんから。 社員食堂じゃあるまいし。


≪湯の川温泉街≫
  ロビーの隅に掲示されていた、湯の川温泉の地図を、写真に撮って、部屋に戻り、身支度して、散歩に出かけます。 散歩と言っても、温泉街によく見られる、浴衣に下駄をつっかけた、朝の散歩のような、お気楽なものではなく、貸切タクシーが迎えに来る10時半までの間に、徒歩で、湯の川温泉の近辺を観光してやろうという、野心的な試みです。 持ち物は、ウエスト・バッグに貴重品、ナップ・ザックにチケット・クーポン類と、折り畳み傘を入れて行きました。

  傘を入れて行って、応じ合わせ。 ホテルから出るなり、雨がパラパラ。 しかし、中止するほどの降りではないので、傘をさして、歩き出しました。 旅先で折り畳み傘を使うと、乾かすのが厄介ですが、この時は、もう最終日なので、濡れたら、ビニールに入れて、持ち帰ってしまえばいいわけで、気軽に使いました。 

  ホテルのすぐ横を流れている、「松倉川」に沿って、北上し、途中、軽くロストしたものの、そんなに広い地区ではない事に助けられて、すぐに復帰し、「湯の川温泉発祥の地碑」を見つけました。 1617年のが最古の記録だそうですが、「湯の川」は、アイヌ語の、「ユベツ(湯の川)」から来ているそうで、アイヌ人には、もっと古くから知られていたものと思われます。

  すぐ隣の、「湯倉神社」に上がりました。 読み方ですが、境内の説明板には、「ゆのくら」と書いてあるのに対し、ネットで調べると、この神社のホームページに、「ゆくら」と出ていて、どちらが正しいのか、判断できかねます。 大きな神社です。 函館には、神社でも寺でも、やたら、立派なものがあります。 狛犬が、新旧二組あり、古い方は、阿吽の並びが、逆になっていました。 私が知らないだけで、逆というのも、あるものなんでしょうかね? 新しい方は、アニメ・キャラ的な造形です。 狛犬のデザインは、世に連れて、変化が激しいですな。

  すぐ近くに、路面電車の「湯の川駅」があり、緑色の車両が停まっていました。 いや、路面電車の場合、駅ではなく、停留所ですか。 バスの停留所と区別して、「電停」とも言うようです。 「湯の川停留場」は、函館の路面電車の、東の端です。 この目で確かめたから、間違いない。 そういや、タクシーの運転手さんが言ってましたが、函館の路電は、段階的に減って、一時は廃止まで検討されていたのが、近年になって、エコや観光の方面から、見直され、逆に、延伸するという話が出て来たものの、今のところ、予算がないので、実現されていないのだとか。

  南下して、ホテルの近くの、「湯浜公園」という児童公園で、小用。 「そんな細かい事まで、書かんでもよい」と思うでしょうが、ここで、ちょっとした物を見たのです。 トイレの手洗い場の蛇口なのですが、壁から、表面処理も何もしていない、素地のままの水道管が、にょきっと飛び出しているだけ。 ところが、上に、センサーが付いていて、手をかざすと、オートで水が出るのです。 素朴にして、ハイテク。 センサーは市販品ですが、それを水道管と組み合わせた人は、密かに、凄い技師なのでは?

  ホテルの前を素通りし、松倉川を渡って、海岸の方にある、「函館市熱帯植物園」の前へ。 とはいうものの、まだ開園時間前ですし、たとえ、開園していたとしても、中には、入りません。 植物園は、札幌で懲りました。 それに、わざわざ、北海道で、熱帯植物を見せているという事は、ここは、観光客用ではなく、市民向けなのでしょう。 そういや、苫小牧にも、図書館の建物の中に、熱帯温室がありましたっけ。

1 最後の朝食
2 湯倉神社の新狛犬
3 湯倉神社の旧狛犬
4 湯の川停留所の路面電車
5 センサー水道管(左)/ 熱帯植物園(右)


  近くの、海岸を見下ろせる場所へ。 函館山が、すっぽり、雲を被っています。 昨夜も、こんな状態だったら、とても、夜景は見られなかったでしょう。 函館山は、そんなに高いわけではないのですが、こんなに深く笠を被るのは、不思議な事です。 雲ではなく、霧なんでしょうか? 海岸は、専ら流木系の細かいゴミが打ち上げられ、お世辞にも綺麗とは言えません。 沼津の海岸と、いい勝負です。 やはり、川の河口が近いと、いろいろな物が、流れ出して来るようです。

  その後、「根崎公園」という所に寄ったんですが、この公園は、児童公園と、野球場、ラグビー場が合わさった、スポーツ公園で、観光客には、無縁の施設でした。 再び、松倉川の土手に出て、ホテルへ戻りました。 約一時間の散策でした。 ああ、いけない! こんな、ささやかな散歩の記述に、こんなに行数を費やしてしまった! まだ、タクシーが、迎えに来てもいないというのに・・・。

  まだ、時間があるので、横になり、テレビを見ます。 沖縄では、日テレ系がなくて、地デジ民放は3局でしたが、北海道では、逆に、テレ東系がプラスされて、5局見れます。 NHKと合わせると、7局。 でも、土曜の午前中というのは、どこの局でも、大した番組はやっていません。 ちなみに、このホテルのテレビは、地デジのみ。 でも、BSが映ったとしても、やはり、この時間帯では、テレビ・ショッピングしかやっていなかったでしょう。


≪出迎え≫
  荷物を纏め、10時15分に、ロビーへ下りました。 最後のホテルで、最後のチェック・アウト。 追加料金は、なし。 すでに、タクシーが来ているとの事。 外へ出ると、大仰にも、入口前にタクシーが横付けされていました。 一瞬の錯覚ですが、VIPになった気分。 同じ貸切タクシーの運転手さんでも、契約時間にならなければ、乗せない人と、「早い分には、構わない」という人の、二種類があって、函館の運転手さんは、後者でした。 まだ10分前でしたが、すぐに、出発。 夜景の感想を話しながら、市街地へ向かいます。


≪函館朝市≫
  この日はもう、観光地のクーポンは持っていないので、完全に、運転手さん任せです。 まずは、函館駅の隣にある、「函館朝市」という、商店街へ。 飲食店・その他の店が、400軒も集まっているとの事。 40軒でも多いと思いますが、その10倍とは、たまげるばかり。 私が行った時にも、結構、観光客がいましたが、運転手さんに言わせると、「今日なんて、少ない少ない。 普段は、あんなもんじゃないです」との事。 那覇の、「国際通り」みたい。 日本は、人口減少中とはいうものの、いる所にはいるもんですな。

1 函館駅、逆光御免
2 朝市


  市役所の前を通ると、「北海道新幹線」関係の横断幕が掲げられていました。 北海道新幹線は、2016年には、函館まで開業するそうですが、その駅が、函館市ではなく、西隣の北斗市に出来る事になったため、駅名をどうするかで、揉めに揉め、結局、「新函館北斗駅」になる予定なのだとか。 北斗市は、平成の大合併で出来た市です。 今風で、いい名前だとは思いますが、全国的な知名度となると、ほとんどないのが、現状。 「新函館北斗駅」と言われても、後ろの「北斗」が、所在自治体の名前である事に気づく人は、あまりいないのでは?


≪教会群≫
  函館山の裾野に、教会群があり、そちらに向かいました。 車で、ざっと回って、説明を受けた後、私一人、車を下りて、徒歩で、見て回りました。 まずは、「カトリック元町教会」。 三角屋根の礼拝堂に、尖塔形の鐘楼と、「いかにも、教会」という形をした教会です。 無料で、中に入れるとの事でしたが、土禁だったので、パス。 この一帯、洋風木造建築が多く、石畳の道路と相俟って、エキゾチックな雰囲気に満ちています。

  この一帯、洋風木造建築が多く、石畳の道路と相俟って、しっとりと落ち着いた、異国情緒に満ちています。 ところが、次に行ったのは、「東本願寺 函館別院」。 寺じゃん。 しかも、鉄筋コンクリート造り。 1945年(大正4年)に建てられた、日本初の鉄コンの本堂だとの事。 でも、日本ビリでもいいから、木造の方が、お寺っぽいですな。

  次に、「日本聖公会函館聖ヨハネ教会」。 長い名前で、名前を読んだだけで、それ以上、深く知りたいと思う気力が失せますが、現物は、一目見ると忘れないような、特徴的な形をしています。 白い立方体を組み合わせた本体に、蒲鉾を十字に組み合わせたような赤い屋根。 上から見ると、赤い十字架に見えるとの事。 宗派は、イギリス国教会です。

  教会自体は、明治初期からあるらしいですが、今の建物は、1979年に出来たのだそうです。 道理で、モダンなわけだ。 今や、「モダン」という言葉自体が古臭くなってしまいましたが、この教会の場合、その、微妙に古い感じまで含めて、モダンという形容が、ぴったり来ます。

  最後が、大抵の人が、一度はその名を聞いた事がある、「ハリストス正教会」。 「ギリシャ正教の教会」と書いてあるガイド・ブックがありますが、正確には、ロシア正教です。 まあ、系統的には、どちらも正教なので、同じ宗派ですけど。 正教というのは、東ローマ帝国で受け継がれていた、正統派のキリスト教の事。 意外なようですが、プロテスタントや、イギリス国教会は言うに及ばず、ローマ・カトリックさえも、キリスト教としては、傍流です。

  ここが、なぜ有名かというと、建物が美しいからです。 「ロシア風ビザンチン様式」というのだそうですが、クレムリンのような派手さはないものの、壁の白と、屋根の緑のツートンで、華麗さと渋さが、見事に調和しています。 ここも中に入れるようでしたが、土禁で、しかも、撮影禁止、とどめに、拝観料200円を取っていたので、パス。 運転手さんの話では、密出国して、渡米する前の新島襄が、この教会の神父に匿われていたとの事。 しかし、私は、≪八重の桜≫を、ちょこっとしか見ていなかったので、ピンと来ませんでした。

1 カトリック元町教会(左)/ 洋風木造と石畳(右)
2 東本願寺 函館別院
3 日本聖公会函館聖ヨハネ教会(左)/ ハリストス正教会、正面(右)
4 ハリストス正教会、側面


  タクシーに戻る途中、若い女性に呼び止められ、カフェの割引券を貰いました。 近所にあるとの事で、道順を詳しく説明してくれたのですが、私は、貸切タクシーで動いている身ですから、勝手に予定を狂わせられません。 いや、それ以前に、カフェに入るほど、太っ腹ではなく、何か飲みたかったら、迷わず、自販機を探す性質なのです。 で、詳しい説明をされるのが、心苦しくてなりませんでした。 かといって、途中で遮ると、却って、気を悪くしそうだし。 こういう時は、ほとほと困ってしまいます。


≪函館の坂≫
  この辺り、有名な坂が三つあります。 石畳と街路樹の美しさで、「日本の道百選」に選ばれているのが、「大三坂(だいさんざか)」。 それが、上の方へ行って、道幅が狭くなると、「チャチャ登り」になります。 「チャチャ」というのは、アイヌ語で、お爺さんの事で、傾斜が急で、登っていると自然に腰が曲がって来て、お爺さんのように見えるから、そんな名が付いたのだとか。

  もう一つは、大三坂より、一本西側にある、「八幡坂(はちまんざか)」で、別名、「チャーミー・グリーンの坂」。 前の晩の夜景ツアーの帰り、ガイドさんが、「チャーミー・グリーンの宣伝で、お爺さんとお婆さんが、手を繋いで跳ねていた、あの坂です」と、説明していたのですが、その時は、夜だったので、よく分りませんでした。 タクシーの運転手さんは、「ここも有名ですよ」と言って、私を入れて写真を撮ってくれましたが、「チャーミー・グリーン」という言葉を使わなかったので、その坂がそうだとは分からず、家に戻ってから、写真と地図を突き合わせて、そうだと分かった次第。

1 大三坂
2 チャチャ登り
3 チャーミー・グリーンの八幡坂



≪旧函館公会堂≫
  前日、「旧イギリス領事館」に行った時、少し上に、大きな木造洋館があり、「函館公会堂」だと教えられたのですが、今度こそ、そこへ向かいました。 正確には、「旧函館区公会堂」。 1907年の大火で、前の建物が焼けた後、近所に住む資産家が、5万円寄付し、市民が8千円出して、計5万8千円で建てられたもの。 ちなみに、当時の5万円というのは、今で言うと、2億円くらいだそうです。 「コロニアル様式」というのだそうですが、白い壁に、窓枠やバルコニーの手すりが、黄色く塗られ、華麗な雰囲気を醸し出しています。

  この黄色い部分ですが、以前は、別の色だったのを、1980年の解体修理の時に、ペンキを削って行ったら、一番下に黄色が現れたため、建築当時の色として、復元されたのだそうです。 中は、ぶち抜きの大広間で、舞踏会ができるようになっていたのだとか。 夜は、ライト・アップしているそうで、その写真も、掲示してありました。 親切な事です。


≪函館中華会館≫
  次に、「函館中華会館」。 煉瓦造りの、重厚そうな建物。 華人の集会所として建てられたとの事。 さりげない所にあります。 37年前の、母が買ったガイド・ブックに載っていたので、停車してもらって、写真だけ撮ってきました。 まだ、清の時代、本国から職人を呼んで、本国から持って来た材料を使い、釘を一本も使わずに建てたのだとか。 たぶん、基本木造で、煉瓦を、壁材として使っているのではないかと思います。 ここ以外にも、同じ様式で造った塀が見られました。 同じ職人達が造って行ったのか、それとも、日本人が真似て造ったのかは、分かりません。


≪外人墓地≫
  なるほど、あれだけ、教会があれば、外国人も多かったわけで、墓地があっても、不思議ではありません。 横浜も、神戸も、長崎も、開港地は、みな同じか。 昔は、船便しかないわけで、死が予測されても、おいそれと帰るわけには行かなかったんでしょう。 きっと、本心では、帰りたかったでしょうねえ。 誰か故郷を思わざる。

1 旧函館公会堂
2 函館中華会館
3 外人墓地、後ろから


  他に、お寺を幾つか、前だけ通りましたが、説明されたエピソードを忘れてしまいました。 名前だけなら、「高龍寺」とか、「地蔵寺」とか、覚えているんですがねえ。 貸切タクシーに乗る時には、カメラの他に、録音機が入り用ですな。 海の近くへ下りて、「新島襄 海外渡航の地碑」を、走りながら、一瞬だけ見ました。 「停まってください」と言えば、停まってくれたんですが、なにせ、私が、≪八重の桜≫を見ていなかったものだから、写真を撮るほど、新島襄に思い入れがないと来たもんだ。


≪金森赤レンガ倉庫群≫
  これは、港にあります。 いや、港と言っても、函館の港は、広いのですが、函館山側の付け根辺りですな。 赤煉瓦造りの倉庫群の一角が、そっくり残されていて、中は、土産物店や飲食店になっています。 土産物と言っても、ここでも、やはり、「これが、函館!」といったものはなくて、アクセサリー類が中心でした。 倉庫の正面には、「¬森(かねもり)」というマークが入っていて、どうやら、その会社が、運営している様子。

  ここでも、タクシーを下りて、私一人で、見て歩きました。 時間は、40分くらい。 しかし、何も買う気がないので、見るだけだと、時間が余ってしまいます。 通りを挟んで、向かい側にある、「西波止場」という商業施設にも行きましたが、そこには、食べ物系の土産物店が入っていました。 いやあ、この期に及んで、カニは買えませんや。 今までの、節約が、水泡に帰してしまいますがな。 通りに出て、うろうろしていたら、ホルスタイン模様のタクシーを発見。 後で調べたら、「モーモー・タクシー」と言って、北海道の観光振興で、やっているのだそうです。

1 金森赤レンガ倉庫群
2 内部
3 モーモー・タクシー
4 旧函館郵便局舎


  待ち合わせ場所の、「旧函館郵便局舎」前で、タクシーに乗車。 いよいよ、この旅、最後の観光地である、「トラピスチヌ修道院」へ向かいます。 場所は、湯の川温泉よりも東で、赤レンガ倉庫群からは、そこそこの距離があります。 実は、朝の散歩の時、案内標識に、「トラピスチヌ修道院 ○km」とあるのを見て、○の部分が、2だったか、2.6くらいだったか忘れてしまいましたが、歩いて行けそうな距離だったので、一瞬、強行軍をやりたい衝動に駆られたのです。

  朝の時点では、運転手さんが、どこを回るつもりなのか、知らなかったので、そう思ったんですが、やめておいて、正解でした。 たとえ、2キロだったとしても、往復で、4キロ、1時間以上かかるわけで、えらい無駄なエネルギーを使うところでした。 有名な所だから、観光タクシーのルートに入っていないわけがなかったのです。

  途中、運転手さんに、函館にゆるキャラはいないのか訊いたら、「さあ、いるんだかいないんだか・・・」という返事。 そこから、「ふなっしー」の話題になり、

「収入が凄いらしい」
「マネージャーはいるのか」
「自分でやっているとしたら、移動はどうしているのか」
「あの格好で、車を運転しているのか」
「捕まえた警官は、ビックリだ」
「どこで着替えているのか」
「家から、あの格好で出て来るのか」

  といった議論が白熱しました。 いや、まあ、それだけの事なんですがね。


≪トラピスチヌ修道院≫
  12時40分頃に、到着。 少し山に入った、とても、静かな所です。 舌を噛みそうな名前ですが、元の単語である、「トラピスト」というのが、カトリックの修道会の一つで、その女性版が、「トラピスチヌ」なのだそうです。 今でも、60人ほどが、修道生活をしていて、農牧業で自給自足しているとの事。 本来なら、観光地にはなり得ないのですが、観光業界の方がお願いして、建物の外観と、庭園だけ、公開してもらっているのだそうです。 入場は、無料。

  ここでは、運転手さんが、中まで一緒に来て、写真を撮ってくれました。 タクシーを停める駐車場がある所では、そういうサービスをしてくれるんですな。 函館の観光地は、街なかの史跡が多いせいか、どこも駐車場がなくて、車を離れると、違反切符を切られてしまうので、解説したくても、ついていけないのだと漏らしていました。

  その後は、私一人になり、建物の外観と、庭園、資料館を見て回りました。 敷地は山の斜面にあって、奥に行くに従い、高くなります。 建物は、複雑な形状をしており、大勢が住んでいるだけあって、かなりの大きさです。 壁は、煉瓦造りのように見えますが、本当に煉瓦なのか、煉瓦模様なのか、素人には判断つきません。 庭園は、建物によく似合う、落ち着いた造りで、大変、綺麗に整備されています。 絶妙の配分で、「聖ミカエル」、「聖母マリア」、「ルルド」、「リジニーの聖テレジア」の像が設置してあり、撮影ポイントになっています。

  資料館は、売店の建物の奥にあります。 ここにある写真で、修道生活の一部を垣間見る事ができます。 ほんとに、農業やってるんですねえ。 修道生活について、絵入りで解説されたパネルがあり、「午前3時半、起床。 午後7時、就寝」とありました。 うちの両親などは、そんなパターンで暮らしていますが、若い内は、辛いでしょうねえ。 売店では、修道院で作った、お菓子や、手芸品を売っています。

1トラピスチヌ修道院
2 庭園、上から
3 聖母マリア像(左)/ 売店・資料館(右)


  少し、時間が余ってしまったので、庭園のベンチで、10分ばかり、ぼーっとして過ごしました。 「もう、二度と、北海道に来る事もないだろうなあ・・・」といった事を考えていました。 時間が来たので、タクシーに戻り、つつがなく、全ての観光が終了。 そこから、10分くらいの距離にある、「函館空港」まで送ってもらいました。


≪函館空港≫
  運転手さんは、「小さい空港だから、絶対、迷う心配はない」と言っていましたが、着いてみると、結構、大きなターミナルでした。 私が行った事がある中で、大体、同じ規模というと、「宮古空港」でしょうか。 宮古空港が、伝統建築風の屋根を載せていたのに対し、こちらのデザインは、完全に現代建築でした。 中は、割とシンプルで、確かに、迷う事はなさそう。

  日本航空のチケットなのに、間違えて、全日空のチェックイン・マシンに行ってしまい、全日空の係の人から、にっこり笑顔で、「日航の方へどうぞ」と言われてしまうという、ポカをやらかしました。 今回の旅は、4回、飛行機に乗った内、3回までが、全日空だったので、てっきり、最後もそうだろうと思い込んでいたんですな。 でも、空港では、この程度の事は、恥の内に入りません。 ほとんどの利用者にとって、空港は、非日常的空間なのですから、間違いが起こるのは、当たり前なのです。 

  着いたのが、午後1時半頃で、飛行機は、15:05発ですから、かなり、時間があります。 空港で、ラーメンを食べるつもりだったのですが、一番安いのでも、800円と、想定より高かったので、断念。 空港内にあったコンビニで、「ピザソース ちぎりパン」を100円で買って、済ませました。 続いて、売店へ行き、家への土産に、「白い恋人」の一番安い箱を、576円で買いました。

  時間があったので、展望台も見て来ましたが、驚いた事に、ここの展望台は、ビヤ・ガーデンになっていました。 凄いアイデアもあったもんだ。 しかし、もし、これから搭乗する客が、ビヤ・ガーデンで、一杯引っかけているのだとしたら、飛行機の中で、近くに座った人は、たまったもんじゃありませんな。 とはいえ、客の飲酒は、別に禁じられているわけではないので、そういうケースも、実際に起こっていると思います。


≪函館から、羽田まで≫
  帰りの飛行機は、≪B777-200≫で、私が苦手になりつつあった大型機でした。 大型なら大型であるほど、安心できるというわけでもない事が分かってしまうと、大型機というのは、乗る人数が多い分、不愉快な場所になります。 搭乗や降りる時の混雑では、辺りの空気が殺伐として、怖いくらいです。 「数の暴力」という言葉は、こういうケースでも使えるのでは?

  この機体は、新品なのか、改造したのか分りませんが、内装が真新しくて、シートは黒の革張りになっていました。 しかし、革張りだからと言って、別に乗り心地がいいというわけではありません。 むしろ、ありがたかったのは、子供連れが、ほとんどおらず、静かな飛行を楽しめた事です。 まったく、他人のガキほど、有害なものはない。

1 函館空港
2 展望ビヤ・ガーデン
3 ≪B777-200≫
4 機内


  私の席は、中央列の右端で、窓際ではなかったのですが、まあ、北海道から羽田に戻る時の地上の眺めは、前に一度見ているから、もういいでしょう。 それより、私の左隣の席が、またしても空席だったのが、不気味な程に、幸運でした。 この時は、函館空港のチェックイン・マシンで、座席を選んだので、○△商事の担当者は、確実に無関係です。 「隣席空席率」の記録保持者になれるのではないかと思いました。

  ドリンク・サービスは、キウイ・ジュースを貰い、その後、希望者にだけ注いでくれる、アップル・ジュースも貰いました。 最後だから、貰える物は、機会を逃しません。 それにしても、希望者にくれるジュースは、どの航空会社も、なぜ、アップルと決まっているんでしょうか? 仕入れ値が安いんですかね?

  後は、順調な飛行。 僅かに遅れただけで、羽田に、無事、着陸しました。 羽田に下りるのは、四回目。 もはや、何の感動もありませんが、ここへ来るのも、最後だと思うと、そちらの方で、若干の感慨あり。 まず、間違いなく、私は、この後の人生で、再び、飛行機に乗る事はないでしょう。


≪羽田から、家まで≫
  空港の地下に下りて、京急の「エアポート快特」で、品川駅へ。 最後こそは、エアポート快特に乗れました。 国内線ターミナル駅を出たら、停車するのは、国際線ターミナル駅だけで、次は、品川駅ですから、頗る早いです。 そういえば、この快特は、成田行きでしたよ。 空港と空港を結んでいたんですなあ。 これぞ、真のエアポート快特と言うべきか。 というか、エアポート快特って、みんな、そうなんですかね? 鉄道に興味がないので、調べる気になりません。 京急の線路が、どこを通って、都心を突破しているのか、それも不思議な感じがしますが、これまた、調べる気になりません。

  品川駅では、乗り換え改札を通りましたが、この時は、記念に切符が欲しかったので、京急の係員に言って、まず、切符に、「無効」のスタンプを押してもらい、その上で、「精算済証」と印字された、代わりの切符を貰って、JRの乗車券と重ね、自動改札機に入れました。 機械を通って出て来るのは、JRの乗車券だけです。 つまり、「精算済証」と印字された切符は、機械に入れる為だけに、くれるわけです。 この仕組みは、7ヵ月前、北海道応援から帰った時に、経験していました。

  「旅行に使った切符は、全部、貰って来てしまった方が、記念になって良い」と思いついたのは、沖縄旅行から帰った後でして、北海道旅行では、一枚も漏らさず、貰って帰って来ました。 別に、理由を言わなくても、改札の横にいる係員に、「これ、欲しいんですが」と言えば、スタンプを押したり、パンチ孔を開けたり、その両方をしたりした上で、フツーに、くれます。 こういう物も、保存しておけば、当時の運賃が分かったり、日付の確認になったり、後々で見返した時、結構、面白いものです。 何もせずに、機械に入れてしまったら、取られて、それっきりですけんのう。

  そういや、この時、乗り換え改札にいた、京急の係員は、50歳くらいの女性でしたが、私が、切符を持って近づくと、「ここで終わりです」と言い、「いや、切符が欲しいんですけど」と言ったにも拘らず、「ここで、終わり!」と繰り返し、もう一度、「切符が欲しいんですが」と言ったら、「え? なに?」と訊き返されたので、少し大きめの声で、「切符が欲しいです」と言ったら、三度目の正直で、ようやく通じました。 人の話を聞け、というのに。 それにしても、「ここで終わり」って、どういう意味だったんでしょうね? ちなみに、そんなに手こずったのは、この人だけで、普通は、あっさり話が通じます。

  新幹線ホームへ出て、17:34発のこだまに乗って、三島へ向かいます。 今度こそ、三島駅で、階段の近くに下りられるように、後ろの方の車両に乗りました。 車内では、礼文島で買ったハッカ飴の、最後の数個をなめつつ、最後の日記を書いていました。 三島着が、6時20分くらい。 乗った車両が後ろ過ぎて、三島駅では、また、少し歩く事になりましたが、方向は正しかったです。 どのみち、自由席車両では、階段のすぐ近くには停まらないのだという事を、最後の最後に知った次第。

  三島駅から、東海道本線で、沼津駅に着いたのが、午後6時40分くらい。 沖縄旅行の時は、夜中の10時過ぎで、バスがなく、家まで歩きましたが、今回は、早かったので、ゆうゆう、バスに乗れました。 ただ、出発時刻が早いバスを選んだせいで、普段利用するのとは違う路線に乗ってしまい、停留所から、家までの距離が、300メートルほど、遠くなってしまいました。 でも、まあ、その程度は、失敗の内に入りません。

  旅行鞄を背負って歩く道すがら、近所の神社で、盆踊りをやっているのが、目に入りました。 お盆は、とっくに過ぎており、正確に言えば、「盆踊りイベント」ですな。 私は、普段、暗くなったら、家を出ない生活をしているので、こんな事をやっているとは、全然知りませんでした。 土曜の夜は、自分の好きな事をして過ごしたい人も多かろうに、迷惑な行事である事よ。

  家に着いたのが、7時ちょい過ぎ。 居間にいた母に、土産の、「利尻昆布」と、「白い恋人」を渡し、ちょっと話をしてから、荷物を自室に運びました。 その後、風呂。 夕飯はスパゲッティーと、梨が二切れ。 新聞を読み、9時には、自室に引き上げて、コンセントを正常な状態に戻しました。 函館の和風ホテルで、途中まで見た、≪匿名探偵≫は、録画してありませんでした。 残念! 後半は、分からずじまいか・・・。 その日は、何もせず、10時前には、眠りました。

1 羽田空港
2 品川駅で、貰った切符と、精算済証
3 沼津駅
4 バスの中(左)/ 利尻昆布と白い恋人(右)





≪六日目、まとめ≫
  函館の感想ですが、観光資源が、これだけ集中している街も珍しいと思います。 自然景観こそ、立待岬だけですが、歴史的・文化的遺構が、うじゃうじゃあって、名前だけでも、覚えきれないほどです。 教会のような、特殊な施設でなくても、洋式木造風の建物が、普通の住宅地に、古い姿のまま、普通に残っていて、「この中の一つでも、沼津にあれば・・・」と思わずにはいられませんでした。

  運転手さんが、「函館の人間は、昔から、西洋かぶれだったんだな」と言っていました。 残っている多くの洋風建築を見ると、確かにそう感じるのですが、言い換えれば、異文化を取り込むのに積極的だったわけで、相対的な見方ができる証拠とも言えます。 そのせいか、この運転手さんには、二日間で、計6時間、お世話になったわけですが、これだけ、見所が多い街なのに、自慢話の類を、ほとんど聞きませんでした。 街が洒落ていると、人も洒脱になるものと見えます。

  帰りは、飛行機に乗ってしまえば、後は、何度も経験したルートなので、これといって、事もなし。 5泊6日でしたから、心身ともに、沖縄の時より、軽微な消耗で、帰って来れました。 強行軍も控えたから、怪我や足腰のダメージも、ほとんど、なし。 終り良ければ、万事良しといったところ。



≪沖縄・北海道旅行を終えて≫
  やれやれ、やっと、福利ポイント消化の旅が、完結しました。 旅行の総括は、一回分に独立させて、書こうと思っていましたが、今回、本文が短かったので、ついでに書いてしまいましょう。 なーに、そんなに長くはなりません。

  沖縄も北海道も、ほとんど人任せで作ってもらった計画でしたが、利尻島や礼文島など、自分の発想では絶対に行かないような所にも行けたおかげで、見聞が広まったのは確かです。 リゾート・ホテルやビジネス・ホテルが、どういう所かも分かったし、貸切タクシーが、観光手段としては、最高の贅沢なのだという事も認識しました。 地元の人から、マン・ツー・マンで、直截話を聞けるというのは、他の乗り物では、望むべくもありません。

  沖縄も、苫小牧以外の北海道も、福利ポイントの残りがなければ、たぶん、行かないまま、人生を終えていたと思うので、行けて良かったと思います。 沖縄の方は、昔、百科事典や琉球の歴史書で読んだ世界を、部分的ながらも、実際に、この目で見る事ができて、嬉しかったです。 「今帰仁城」なんて、自分で見て来た事が、今でも、信じられないくらいです。 一方、北海道の方は、知らなかった事が多くて、この旅行は、大いに勉強になりました。

  食べ物は、どちらもおしいかったです。 沖縄だと、「八重山そば」、「宮古やきそば」、本島の、「ソーキそば」、「サーター・アンダギー」、「フー・チャンプルー」、「ゴーヤ・チャンプルー」、「四川料理」・・・、 うーむ、懐かしい。 北海道は、利尻島のホテルのコンブラン、礼文島の寿司屋で食べた、「しょうゆラーメン」、稚内の、「ホタテ塩ラーメン」、運転手さんから貰った、「茹でたトウモロコシ」、「鮭の燻製」・・・、失礼、涙が出て来てしまいました。 もう、二度と、食べれますまい。

  貸切タクシーの運転手さん達には、大変、よくしていただきました。 沖縄で3人、北海道で3人の運転手さんに、お世話になりましたが、どの方も、地元の事を熟知している上に、話題が豊富で、膨大な量の知識・情報を得る事ができました。 野宿ツーリングとは比較にならない、知的充足度でした。 一人客で、しかも、ケチなので、案内する側としては、物足りない事もあったのではないかと思いますが、その辺は、何分、御容赦のほどを。

  北海道の写真は、1660枚も撮って来ました。 沖縄では、9泊10日で1960枚、日当たり、196枚でしたが、北海道は、5泊6日ですから、日当たり、276枚も撮った計算になります。 長い旅行は、これが最後だと思っていたので、思い残す事がないように撮りまくって来た次第。 SDカードは、2GBのを入れて行ったのですが、最小サイズか、その一段上のサイズに設定していたので、これだけ撮っても、まだ、ゆとりがありました。 

  旅行中、さんざん気にしていた、自腹額ですが、沖縄では、17250円、北海道では、10340円で、総計、27590円でした。 私の感覚だと、たった、16日間の出費としては、どえらい金額なのですが、一般常識で考えると、3万円弱のお金で、パスポートなしで行ける、端から端まで旅行して来れたわけですから、不平を言うなど、以ての外なのかも知れません。

  沖縄の土産は、「沖縄そば」と、「紅芋タルト」、「ミニ・リアル・シーサー」の三点。 北海道の土産も、「利尻昆布」と、「白い恋人」、「掌サイズの、木彫りの熊」の三点。 シーサーと、木彫りの熊は、自分の記念用に買ったものなので、今は、二つ並べて、机の本棚の中に飾ってあります。

  だけど、本当の土産は、日記のノートや、撮って来た写真や、持って帰って来た、チケット・切符類、現地で貰ったパンフなどですかね。 今現在、北海道旅行から帰って来てから、すでに、2ヵ月半経っており、私の頭の中の記憶は、徐々に薄れつつあるのですが、これらの品は、今後、見返すたびに、強烈に、当時の事を思い出させてくれるでしょう。


  旅行が終わったのは、2ヵ月半前ですが、この旅行記は、今この時まで書いていたわけで、7月の下旬から、11月の半ばまで、4ヵ月近く、延々と、沖縄・北海道旅行の記憶と向き合って来た事になります。 回を追うごとに、文章が長くなり、自分でも参りました。 ホテルに泊まるような旅行は、これが最後だと思うと、「起こった事を細大漏らさず、書き留めておいた方がいいのでは・・・」という強迫観念に駆られ、かくの如き仕儀に至ったもの。

  全15回、いや、退職から旅行に至る経緯を書いた回を含めると、16回にも及び、この旅行記を書く事の方が、実際の旅行よりも、難行苦行だった事は、否定できません。 こーんなに、詳しく書かなくても、良かったんですよ。 「見聞きした事」や「起きた事」と、「思った事」を同列に書くから、こんなに伸びるのです。 本来、紀行文とは、「見聞きした事」と「起きた事」を中心に書き、「思った事」は、少し添える程度が、ちょうど良いのでしょう。

  ただ、紀行文というのは、そこへ行った事がある人なら、自分の記憶と突き合わせる形で、割と前のめりで読めますが、そうでない人には、全く面白くないという面があり、そういう人は、「見聞きした事」には、まるで、興味が湧かず、「起きた事」と「思った事」だけ、拾い出して読むという事になります。 だから、「思った事」も、疎かにできんのですわ。


  とにかく、旅行も旅行記も、大過なく終わってくれて、良かったです。 一生の記憶に残る、大変、いい経験でした。

「ああ、退職して、沖縄・北海道旅行に行けて、良かったなあ・・・」