2015/01/25

暮れ・正月のテレビ

  こないだ、年が明けたと思ったら、あれよあれよという間に、一月も下旬になってしまいました。 時間の早さはともかく、日数が経つのが早いのは、仕事をしていてもいなくても、大した違いはないんですが、何もせずに、これだけの日数を遊び暮らした事を、客観的に見ると、「時間の無駄遣いをしているなあ」と、つくづく思います。 「だったら、何か、やりゃあいいじゃん」と思うでしょう。 いやあ、お若いの、まだまだ青いのう。 引退者というのは、やる事がなくなったから、引退者と言うのじゃよ。 ふむ。

  新年と言っても、「新年、新年」と言っているのは、正月の五日くらいまでで、大抵の人は、仕事や学校が始まると、新年である事など、打ち忘れてしまいます。 今年の干支を覚えているのは、何日目までですかね? 元日から、一週間以上過ぎているのに、テレビで、「新年特別企画!」などと銘打った番組をやっていると、「何を寝ぼけてやがる。 お屠蘇気分も大概にしやがれ。 これだから、地デジを見る大人が一人もいなくなるんだ。 テレビ業界、揃いも揃って、痴呆化しとるんとちゃうんか?」などと、つまらん事で憤慨してしまいます。 新年早々、精神の安寧を乱すこと甚だしい。


  ところで、暮れから正月にかけてのテレビ番組は、全滅でしたな。 よくもまあ、あれだけ、つまらん番組ばかり、思いついたものです。 だからよー、名前を知らない芸人や、正体不明のタレントが、スタジオでゲームをやっていたり、旅に出かけたりしても、ちっとも面白くねーのよ。 芸人やタレントが増え過ぎて、もはや、彼らが、有名人ではなくなりつつあるのが、致命的に痛い。 有名人というのは、数が限られているから、名前を覚えてもらえるのであって、うじゃうじゃいたのでは、一般人と変わらなくなってしまいます。 

  BSはBSで、正月番組にどう対応していいか掴めていないようで、普段と同じような番組を流していました。 これといって、独自番組を思いつかないのなら、過去の娯楽大作映画でも放送してくれれば、結構、見る人が多いと思うんですがね。 暮れに、BSプレミアムでやっていた、≪ホビット≫と、≪ロード・オブ・ザ・リング三部作≫は、その点、ありがたかったです。 このシリーズ、一話一話が、明らかに長過ぎるので、傑作扱いするのは、どうかと思いますが、時間潰しに見るには、十二分に面白いです。 あれのおかげで、去年は、≪紅白歌合戦≫を一秒も見ないで済みました。

  もう、15年も前から、歌手なんて、有名人でも何でもないですから、そんな連中が年に一度、「忘れないでくださいよ~」と、ズボンの裾に縋り付いて来る為の番組なんて、見る必要は、とっくになくなっていたのですが、一昨年まで、一応、目ぼしい所だけ見ていたのは、その年に流行った曲が何だったか、確認するのが目的でした。 しかし、去年の場合、≪アナ雪≫の歌一曲しか流行らなかった事を承知していたので、改めて、確かめる必要もないと思ったという次第。 しかし、凄いよねえ。 一年365日もあって、その間に、日本国内で作られた曲が、一つも流行らないってんだから。 70年代、80年代と比べると、隔世の感あり、いや、宇宙が違うんじゃないだろか?


  テレビ番組の話に戻りますが、テレビ東京や、BSジャパンは、≪ローカル路線バス乗り継ぎの旅≫を、第一回から、立て続けに再放送していれば、正月視聴率のトップを取れたんじゃないですかね? だらだらと長いばかりで、どう見ても、しょぼい、長編時代劇なんか作るより、遥かに安く上がり、遥かに歓迎されると思います。 そして、3日放送の、新作に繋げれば良かったのです。

  そういやー、≪大江戸捜査網2015≫は、ひどかったなあ。 ちょっとちょっと、奥さん、見ました? あの、レベルの低さ。 私なんて、もービックリ! 高橋克典さんの、あの鬘は、なによ? スタッフが、誰か一人でも、「似合いませんねえ。 他の髪型にしますか」と言わなかったんですかね? ちょい役ならともかく、主役だよ。 主役がカッコ良くなかったら、剣劇なんて成立するはずがないじゃないですか。 また、話の展開の緩急が、滅茶苦茶のグジャグジャ。 冒頭の斬り合いの場面が、無意味に長過ぎると思ったら、隠密同心にスカウトされる所は、パタパタっと片付けてしまって、「なんじゃ、こりゃあ!」でして、そこで見るのをやめました。

  時代劇を、随分見て来た世代の、私ですら呆れ返るんですから、若い世代が、こんな、出来の悪いものを見るわけがありません。 民放の時代劇は、レギュラー番組がなくなってから、撮影スタッフが散り散りになり、技術が伝承されないものだから、素人が、昔の作品を見よう見真似で作っているような、ひどい状況になっているのではないでしょうか? あのねー、もし、自分達で作っていて、「楽しくないなあ」と思ったら、無理に作らなくてもいいですよ。 それを見せられる方も、苦痛ですから。

  NHKは、ずっと、時代劇を作っているわけですが、ごく、たま~に例外があるだけで、99パーセントは、見るに値しません。 昔から言われていた事ですが、NHKの時代劇には、時代劇としての、スピリッツが欠けているのです。 何十本作ろうが、昔の民放作品のリメイクをしようが、このスピリッツの不在な点は、変わりがなく、ちっとも面白くありません。

  そういや、大河ドラマですが、去年の、≪軍師官兵衛≫は、一応、ほとんど見ました。 黒田如水について、知らない事が多かったので、勉強するつもりで、見たのです。 つまり、なんだ、あの人は、武将としての能力は高かったけれど、人を見る目が今一つで、つく親分を間違えたんですな。 本当に、如水が優れていたら、最初から、家康についていたでしょう。 秀吉と家康じゃ、大違いです。

  相変わらず、主人公のキャラを、「戦のない世の中を目指している」などという、もろ今風の価値観で作っていますが、戦国時代の武将は、そんな発想は、全くないですよ。 そういう事を考えていたのは、家康一人だけです。 だからこそ、最終的に、全国を治める事に成功したわけですがね。 どんなに戦に強くても、パワー・ゲームが得意でも、戦争するしか能がない奴では、治世を打ち立てるなど、無理無理。

  で、今年は、またぞろ、幕末だとさ。 しかも、長州ですぜ。 つまんねー。 最終的に勝つ事が分りきっている側の話なんて、見ていて、何が面白いのか、さっぱり分かりません。 同じ幕末でも、ちょっと変わった視点が取れないものかね? たとえば、彦根藩の方針が、幕末の変動の中で、どう変化して行ったか、追ってみるとか。 韓ドラの歴史劇は、無限かと思うほど、バリエーションがあるのに、なんで、日本の歴史劇で、同じ事ができないんだよ? 戦国末と幕末ばかり、馬鹿の二つ覚えみたいに繰り返しやがって。 まさかとは思うが、ほんとに馬鹿なんじゃないだろうな? というわけで、今年は、見ません。


  他に、暮れ・正月のテレビ番組というと、Dlifeで、≪X-ファイル≫を見ていました。 懐かしい。 最初の方のシリーズを見逃していたので、ちょうど良かった。 携帯電話と言い、車と言い、90年代ですなあ。 だけど、15年以上新しい、昨今のアメリカのドラマ・映画より、ずっと、未来的な雰囲気があります。 この頃のアメリカには、未来があったわけだ。 ≪X-ファイル≫が作られていた時期は、ほぼ、クリントン政権の二期に重なりますが、アメリカが大規模に関わる戦争もなく、大統領の女性問題が最大のニュースになるくらい、平穏な時代だったんですな。 今は昔・・・。

  一月の半ばくらいまでかけて、第2シリーズを、ほぼ全話見たのですが、立て続けに見過ぎたせいか、ちょっと、食傷しました。 超常現象を全種扱っているので、毎回、変化はあるものの、すっきり、謎が解けないので、続けて見ていると、フラストレーションが溜まるのです。 ただ、それは、この作品の欠点ではないです。 むしろ、謎を完全に解かずに終わるからこそ、息の長いシリーズになれたんですな。 これが、下手に、科学知識で分析して、すっきりさせてしまうと、不思議なムードをブチ壊して、視聴者を白けさせてしまったでしょう。

  それにしても、出て来る車が、いいデザインだこと。 ほぼ、全て、アメ車ですが、この頃のアメ車は、サイズ・ダウン期から一段落して、各社のデザイナーが、小さいサイズに慣れようとしていた頃でして、冒険する余裕がないので、個性よりも、安定感が重視されていたのです。 言わば、雌伏の時代なんですが、車を、あくまで、実用品と考えている者にとっては、この無個性なデザインが、何とも、大人に見えるのです。 「映像作品の中では、車自体がカッコいい必要なんて、全然ないんだ」という事が、よーく分かります。

  ≪X-ファイル≫に味を占め、Dlifeの他の番組も、見てみようかと思ったのですが、やたらと、捜査物が多いので、見る気をなくしてしまいました。 ここ数年、日本のドラマが、刑事物・捜査物ばかり増えてしまって、どう考えても異常な状態になっていますが、それは、日本だけの現象ではなく、アメリカも、同じだったんですな。 というか、アメリカが先に、そういう状態になり、アメリカのドラマを手本にしていた日本のドラマ業界も、それに倣っていたと見る方が正しいのでしょうか。

  捜査物は、事件のパターンに限りがあるせいで、どうしても、同じような話が繰り返し作られる事になります。 それをごまかす為に、主人公を始め、レギュラー登場人物のキャラを、変人にしたりして、変化をつけるわけですが、そういったキャラのパターンにも限りがあるのであって、もはや、あらゆる組み合わせが使い古され、捜査物全体が、すっかり、陳腐化しきってしまいました。 それでも尚、作り続けるというのだから、驚くべき、マンネリ原理主義です。

  「科学捜査物」といえば、日本では、陳腐の権化となっている、≪科捜研の女≫が代表格ですが、アメリカ・ドラマの科学捜査物も、中身の薄さは、似たり寄ったりです。 安直としか言いようがない。 「理系の素人探偵」も、ひでーなー。 ≪すべてがFになる≫なんて、10年ぶりくらいに、テレビを壊したくなる衝動に駆られましたし。 あれ、ドラマ化する前に、変だと思わなかったんですかね? 理詰めで謎を解くのは、殊更、理系でなくても、名探偵は、デュパンもホームズも、ポワロもマープルも、全員、同じでして、ちっとも、目新しい発想ではありません。 加えて、理系の人間というのは、押し並べて、研究馬鹿の世間知らずでして、犯罪捜査のような、人間臭い分野で、力を発揮できる者など、金輪際、い・ま・せ・ん。 だけど、≪ガリレオ≫を名作だと思っている人達に、こういう事を言っても、たぶん、理解できんだろうなあ。 

  そんな中で、≪ライ・トゥ・ミー≫は、着想が新しかった方ですかね。 これは、Dlifeではなくて、BS11で見たんですが、顔の表情やしぐさから、嘘を見抜く学者が主人公でして、事件関係者と片っ端から話をして、誰が嘘をついているかを手がかりに、事件を解決して行くというもの。 一見、テキトーなようでいて、科学捜査や理系探偵などより、ずっと、スマートで、信憑性が高いと感じさせるのです。 ただ、やはり、ネタ切れは起こすようで、後ろの方へ行くと、主人公が不自然に絡む事件が、やたらと多くなって来るのですが。


  話が前後しますが、1月3日に、≪ローカル路線バス乗り継ぎの旅 第19弾 大坂城~兼六園≫が、放送されました。 テレビ東京で、最も、人気がある番組。 年に3回しかやらないので、尚更、価値が高いです。 第19弾は、大坂城から、金沢の兼六園までで、マドンナは、マルシアさん。 で、大いに期待していたんですが、今回は、外れでした。 正直な感想、あまり、面白くなかったのです。

  まず、マドンナが、長距離を歩けないというのが、人選ミスですな。 マルシアさんは、面白い人だと思いますが、この番組には不向きだったようです。 どうも、過去に、この番組を見た事がない様子で、いきなり歩かされて、不平タラタラ。 ここのところ、成功続きなので、ハンデをもたせる為に、わざと、歩きに弱い人を探して来たとも考えられますが、どんな番組なのかも分かっていないのに、苦手な事をやらされたら、そりゃ、不平も出るでしょうよ。 で、ふてくされた顔で、ブツブツ言っている様子を見ているこちらも、気分が悪くなるわけです。

  他にも、観光したがったり、食事に注文をつけたりしていましたが、たぶん、路線バスで行くというだけで、普通の旅番組だと思っていたんでしょうなあ。 途中から、番組の性格が分かったらしく、文句をピタリと言わなくなりますが、今度は、消耗しきってしまって、ただ、二人の後をついて行くだけになってしまいました。

  マルシアさんが、そういう役回りになった結果、蛭子さんの駄目ぶりが目立たなくなり、いるのいないのか分からないくらい、存在感が薄くなってしまったのも、興を欠いた原因の一つ。 蛭子さんが、世話焼き側に回ったら、漫才で言えば、ボケにツッコミをやらせているようなものですから、そりゃあ、面白くなりませんよ。

  あと、今までのルールから逸脱する行為があったのも、問題でした。 歩かなければならない区間で、道路状況が危険だから、ロケ・バスで移動し、その分、後で時間調整したというのは、安全上、やむをえないから、まあ、許容範囲内だと思いますが、宿屋の送迎バスで、路線バスのない区間を繋いでしまったのは、非常にまずいでしょう。 それでは、ヒッチ・ハイクと変わりません。

  路線バスが減っていて、なかなか、いいルートが見つからないという事情は、分かるのですが、こんな風に、どんどん、ルールを緩くして行くと、やがて、視聴者が白けて、離れて行ってしまいます。 なし崩しにやるから、「ズル」に感じられるのであって、ルールを緩めなければ、到達できないのなら、「バス路線がない区間に限り、一ヵ所だけは、タクシーを使っていい」と、決めてしまえばいいのです。 それなら、怒る視聴者はいないと思います。

  全くのガチである必要もないのであって、太川さんには、大まかな正解ルートを知らせておいてもいいんじゃないでしょうか。 すでに、そうしているのかもしれませんが。 選ぶルートを間違えて、ズルで繋ぐより、多少、スリルに欠けても、ルールを守って、ゴールしてくれた方が、見ている方は、いい気分で見終われます。


  最後に、1月11日・12日に放送されたのが、≪オリエント急行殺人事件 三谷幸喜版≫。 第1夜、第2夜と分けて、それぞれ、3時間ずつ、やりました。 謎解きは、第1夜で終わり、第2夜は、因縁話を回想するだけで、ほぼ全編、埋めていました。 よく、こんな事をやったものです。 いや、感心しているわけではく、呆れているのですがね。

  日本の二時間サスペンスでは、因縁話の部分が余計で、崖の上で、それが始まると、早回しして、ラストの纏めだけ見ておしまいにする視聴者が多いのですが、わざわざ、その、嫌われている部分だけを引き伸ばして、全体の半分にしてしまったのですから、気が知れません。 「逆転の発想」とでも考えたのでしょうか? まさか、二時間サスペンスを見た事がなくて、因縁話が陳腐の極みだと思われている事を、知らなかったとか?

  ≪オリエント急行殺人事件≫は、原作の方でも、結構、危うい話でして、状況設定を工夫して、辛うじて成り立っているようなところがあります。 乗客達全員が、被害者と関連がある事は、もし、警察が捜査を始めれば、すぐにバレてしまう事でして、別に、ポワロでなければ解けない謎というわけではありません。 綿密どころか、杜撰この上ない計画で、「全員が関わった上で、殺人を行なう」などという方針自体、犯人側の勝手な事情に過ぎず、完全犯罪の成功率を極度に低くしてしまう危険性を孕んでいます。

  原作が成り立っている理由は、まず、奇抜なアイデアで煙に巻く事により、細部のおかしさから、読者の注意を逸らすのに成功していた事が大きいです。 次に、雪で閉じ込められて、警察が駆けつけられない状況を作り、ポワロ一人が、元々持っていた知識と、その場で得られる情報だけで、謎を解く事により、推理物として格好をつける事ができたのです。 最後に、ポワロは警察ではないので、犯人達を逮捕する義務がなく、ああいうラストが可能になったと、読者に思わせる事で、御都合主義で固められた設定を、「何となく」、納得させてしまったんですな。

  だけど、それは、因縁話の部分を、さらりと流してあったから、うまく、ごまかせたのであって、そこを、3時間も語られたのでは、原作者の工夫が水の泡。 隠してあった、変な部分が浮き上がって来て、視聴者は、犯人側に共感する意識が、どんどん薄まって行きます。 確かに、被害者は罪深い悪人だけど、人殺しであるという点では、犯人側も変わりがありません。 原作でさえ、よく考えれば、倫理的におかしい事に気づくのであって、その、最も弱い部分を、最も長く引き伸ばして、曝してしまったのでは、文字通り、話になりません。

  犯人達が、計画を実行する事に夢中になって、喜々としているのも、見ていて、抵抗感があります。 これから、人を殺そうというのに、ワクワクして、笑みを零していたら、いくら何でも、おかしいでしょうに。 もはや、殺人を楽しんでいるようにしか見えません。 そんな連中に共感し、しかも、ハッピー・エンドのラストを受け入れて、一緒に喜べと、視聴者に求めるのは、あまりにも無体というものです。


  以上、2014年から2015年にかけての、暮れ・正月のテレビ番組の話でした。