残す物、捨てる物
去年、退職したので、今年は、2月になったら、確定申告をしなければなりません。 といっても、働いていた間の税金は、すでに会社の方から納められているはずですし、退職後、私は無職を通していますから、新たな所得はないわけで、基本的には、申告の必要はない事になります。 しかし、もしかしたら、還付される分があるかもしれないから、その申告をする余地があるわけですな。
会社に勤める前、若い頃の数年間は、自分で確定申告をしていたので、税務署に行くのは、初めてというわけではありませんが、それは、四半世紀も前の話で、用紙の書き方などは、すっかり、忘れてしまいました。 しかも、退職処理は初めてですから、分からない事だらけです。 まずい事に、去年は、入院していて、医療費の控除が絡んで来るので、それも、厄介。 だーから、岩手に移動する前に、辞めてりゃ、良かったんだよ。
で、その準備をしようと、書類を調べ始めたのですが、ついでのつもりで、過去の書類の整理に手を出したら、そちらの沼へ、ずぶずぶと嵌まってしまいました。 会社関係の書類が多いですが、入社以前の物もあります。 過去に一回、整理しているので、ごちゃごちゃになって、詰め込んであるのは、ここ15年くらいのもの。 それだけでも、結構な量です。
2001年、パソコンを買い、インター・ネットを始めた頃の、レシート・保証書の類がごそっと出て来たりします。 単純に、懐かしさを感じるのですが、すでに、本体は壊れて、処分してしまった物が大半で、保証書を取っておく必要性はありません。 しかし、今の時点で懐かしいと感じるという事は、今後、年月が経てば、もっと、懐かしいと感じるはずで、「そういう効果があるのなら、取っておこうかなあ」とも思うのです。
通販の送り状やレシートも、どさっと出て来ました。 私は、インター・ネットを始める前は、通信販売を、ほとんど利用していなかったせいか、送り状の事を、「重要な書類」と誤解していて、最初の頃の数年は、律儀に保存してあったのです。 送り状は、まだ分かるとしても、運送会社が荷物に貼る伝票まで取ってあるから、びっくりします。 伝票は、商品の保証とは、あまり関係がないから、届いた商品を使い始めたら、捨ててしまっても良いのだと気づいたのは、ほんの2・3年前です。
運送中に壊れるという事もありえますが、私に限っては、その経験がありません。 まして、初期状態で、問題なく使い始められれば、そこから先に起こる故障は、運送会社の責任ではなくなりますから、伝票を保存しておいても、意味はないんですな。 彼らは、あくまで、「運んだだけ」なわけです。 使い始めて、半年も経ってから、「故障は、運搬の仕方が悪かったからだ」なんて言ったら、悪質クレーマーもいいところです。
と・こ・ろ・が・だ。 伝票や送り状という奴、すぐに捨ててしまえばいいのですが、保存しておいて、10年以上経つと、別の価値が出て来てしまうのです。 過去を思い出す、手がかりになるのですよ。 効果上は、写真や日記と同じです。 「あああ、こんな物、買ったわ! あれは、どこへやっちゃったんだろう?」などと、完全に失念していた事が、続々と思い出されて来て、いとをかし。 で、「そういう効果があるのなら、取っておこうかなあ」と思ってしまうのです。
会社の書類も然り。 リストラ同然で退職したわけですから、会社の記憶は、全体的には、不愉快な色に染まっているのですが、25年も勤めていた事実は消しようがなく、もちろん、いい思い出だってあります。 会社関係の書類には、それらの思い出の断片が絡みついているんですな。 給与明細なんて、もはや、必要性は全くありませんが、最初に貰った一枚には、思い出上、確実に価値がありますし、他のだって、当時、どのくらいの残業をやっていたか分かったりして、見返せば、結構、面白いものです。
中には、「今後の経営方針」とか、「労組の活動報告」とか、「イベントのご案内」といった、社内配布物もあり、「こーれは、捨ててもいいだろう」と思うのですが、発行年が振ってあると、その年数を見ただけで懐かしくなってしまい、やはり、捨てられません。 その紙切れは、確かに、私が、その年に、その会社に所属していた事を、証明してくれるのです。 自分の人生を証明してくれる証拠だといっても良い。
田原応援、岩手応援、北海道応援、岩手異動の時の書類は、すでに、纏めた状態になっており、これらは、保存するつもりでいます。 会社関係の書類も、同じように扱った方がいいかも知れません。 書類の場合、全部、纏めても、ダンボール箱一つに収まる程度なので、さして、場所を取るわけでもないですし。
場所を取るのは、服ですな。 昔着ていた服で、私服は別として、会社で支給された作業着が、かなりの量、残っています。 今後、着る事は、まずないです。 工場の制服というのは、近年、妙に派手になってしまって、とても、普段着に流用できるようなものではありません。 油汚れが付いていたりすると、尚の事。 ズボンだけなら、目立たない色のもあるので、バイクや自転車の整備など、汚れる作業をする時に、穿きたいと思うのですが、退職してからこっち、私の腹が出てしまって、ウエストがきつくなっているに決まっていると思うと、なかなか、出す気になれません。
私の在職中に、2回、制服のデザインが変わったので、基本的に、3種類あるわけですが、私の場合、あちこち、特別なラインに行かされたせいで、プラス、2種類で、計5種類あります。 それぞれ、シャツ、上着、ズボン、帽子のセットを、一揃えだけ、残してありますが、それだけでも、結構な数です。 これらは、どうしたもんでしょうねえ。 思い出の品といえば、確かに、そうですが、書類と違って、嵩張りますし、服というのは、着なくなると、急激にみすぼらしくなり、ゴミっぽくなる上、虫食いも避けられません。 いずれ、写真だけ撮って、捨てる事になるでしょうなあ。
鍵も出て来ました。 これは、会社とは、直截、関係がありません。 家の玄関の鍵が、同じ物が、2本。 これは、割と最近、錠の方が壊れてしまって、新しい物に交換したので、要らなくなった古い鍵の方を、普段使っていたのと、予備の、計2本、保存してあるというもの。 我が家の玄関の錠を換えたのは、その時の一回だけですから、最初の錠は、35年くらい、もった事になります。
あと、車の鍵が、3本。 全部、違う鍵で、内訳は、唯一、私自身が買った車である、初代ミラの物、母が持っていた、初代トゥデイの物、父が持っていた、初代FFコロナの物です。 ミラは廃車。 トゥデイとコロナは、下取りされましたが、いずれも、ボロボロだったので、たぶん、中古にはならず、廃車にされたと思います。 出て来た鍵は、元から車に付いていた物ではなく、近所のホーム・センターで作ってもらった、合鍵です。 父と母の車の合鍵を持っていたのは、それらに乗る事もあったから。
ミラを廃車にした後、原付を1台、バイクを1台、下取りしてもらっていますが、それらの鍵はありません。 合鍵を作らなかったからです。 元から付いていた鍵は、いずれも、本体に付けて、返しました。 二輪で、合鍵を作らなかった理由は、いずれも、新車で買ったから、元のが、2本あって、二輪の場合、私一人しか乗りませんから、それだけで、充分だったのです。 逆に考えると、中古で買ったミラは、合鍵を作ったわけですから、元の鍵が1本しか付いてなかった事になりますが、そこの所は、よく覚えていません。
ミラは、自分で買った唯一の車だから、忘れたくても忘れられませんし、母のトゥデイも、よく乗ったので、くっきり、記憶に焼き付いています。 問題は、コロナ。 父は、コロナを三台乗り継ぎ、私が鍵を残しているのは、その真ん中の一台なのですが、鍵を見るまで、その車の存在を、すっかり、忘れていました。 鍵に、紙が貼ってあって、「初代FFコロナ」と書いてあったから、辛うじて、思い出した次第。
初代FFコロナというのは、検索すれば、画像が出て来ると思いますが、登場した当時は、新時代を感じさせるデザインで、「僕らに引力」というコピーのテレビCMをやっていた車です。 我が家に、そんな車があった事自体、完璧に忘れていました。 思い出の品の効力、侮るべからず。 ただし、その車で、どこかへ行ったという記憶は、残ってません。 そのコロナがあった時期は、私自身が、ミラを所有していましたから、普段は自分の車で出るのであって、父の車に乗る事が少なかったんですな。 当時、勤め先の工場では、≪クレスタ≫や、≪チェイサー≫といった、もっと高い車を作っていたので、そのコロナの内装が、チャチに見えた事だけ、記憶に残っていてます。
レンタル屋のカードなんかも、たくさん、出て来ました。 ツタヤ一軒だけ残して、全部、閉店済み。 というか、うちの近所の場合、ほとんどの個人経営店、地方チェーン店が潰れた後に、ツタヤが入って来た形になります。 私が若い頃には、レンタル屋は、地方に於ける文化拠点のような役割を果たしていました。 当時行っていた店が、建物だけ残して、全て、他業種の店に入れ替わっている現状を見ると、隔世の感があります。 中には、レンタル屋だった時の、棚の配置を、はっきり覚えている店もあります。 それだけ、よく行っていたわけですな。
最初に借りたのは、何だったかなあ? たぶん、≪天空の城ラピュタ≫ではなかったかと思います。 ビデオの頃は、ダビングができたので、せっせと借りに行ったんですな。 ただ、その店は、どこにあったのか、もう、思い出せません。 黒澤明監督の映画に嵌まり、立て続けに、15本くらい借りたのは、近所の店で、そこは、その後、中古車屋になり、喫茶店になり、今は、どうなっているのか・・・。 建物は残っています。 個人経営や、地方チェーン店では、レンタル料金は、バラバラでした。 旧作180円という店もあれば、同じ作品に、千円以上取る店もあり、そういう滅茶苦茶に高い料金であっても、十数年も潰れずにやっている光景は、不思議に見えました。
最後に行ったのは、もちろん、ツタヤですが、カードはあるものの、期限切れで、再契約しなければ、使えません。 そして、今のところ、何かを借りに行く予定は、全くないです。 映像作品に対する興味が薄れてしまったんですな。 文化にとって、最も大切なのは、「華やかさ」でして、日本のアニメも、アメリカのSF映画も、往年の華やかさは、とうの昔に失われてしまいましたから、華のないものを、お金を出して借りるなんて事は、もはや、しないわけです。
レンタル店のカードの枚数は、5・6枚でしょうか。 これらは、記念に取っておこうと思います。 場所を取らないので、捨てる理由がありません。 他に、カードというと、医院・病院の診察券があります。 今でも行く所のは、もちろん、取っておくとして、その病気と無縁になったとか、先生が代替わりしてしまって、行かなくなった所のは、捨てないにしても、出し難い所へ移した方がよさそう。 ガソリン・スタンドの現金会員カードもありますが、これらも、近所の店のだけ残して、後は、お蔵入りですな。
ちと困るのが、テレホン・カードです。 私は、ケータイ・スマホを持たない主義なので、外から家にかける時には、公衆電話という事になり、今でも使えるわけですが、そもそも、泊りの旅行にでも行かない限り、外から家に電話をかけるような機会がありません。 手元に、5枚くらい残っているのですが、どーしたもんでしょ。 私の母なんて、かつては、旅行に行くたびに、テレホン・カードを記念の品として買って来ていましたから、20枚くらいは持っていると思います。 老い先短いのに、どうするんでしょうね?
私や母だけでなく、テレホン・カードが、ごそっと残っているという人は、多いのではないでしょうか。 図柄は記念になりますが、カードの機能は、もはや、不要なわけで、その、不要な機能を残したまま、死蔵しているというのが、なんだか、腹立たしいのです。 「休眠口座」は、ニュースになるのに、「死蔵テレカ」がニュースにならないのは、納得行かぬ。 金額的には、匹敵すると思うのですがね。 NTTが、いつまで、カード対応の公衆電話を維持し続けるつもりなのかが、この問題のネックですな。 カードにパンチ穴を開けずに、無効化する方法で、残度数を買い取ってくれればいいのですがねえ。
あと、他人の名刺が何枚か出て来ました。 私は、名刺のやり取りをするような仕事をした事はないのですが、世の中には、どんな相手にも名刺を渡す人というのがいるのです。 一番多いのが、銀行員。 定期預金の預け換え程度の事でも、名刺をくれる場合があります。 こちらは、銀行そのものと取引しているのであって、行員個人の名刺を貰っても、恐縮するだけで、困ってしまいます。 だけど、礼儀として貰った物だから、ホイホイと捨てられないのです。 中には、フレッツ光の契約で、私を苦しめる結果になった、NTT△日本社員の名刺も含まれていますが、その人自身は、極めて腰の低い、礼儀正しい人だったので、やはり、捨てるのは、ためらわれます。
足掛け三日間、ごちゃごちゃと引っ繰り返していたんですが、結局、種類ごとに整理した後、保存場所を、引き出しから、押入れに移しただけで、ほとんどの物が、残留となりました。 捨てたのは、レシートの束に輪ゴムをかけるのに、大き過ぎて邪魔になった、封筒が二枚だけ。 我ながら、情けない成果ですが、過去に、押入れの整理で、物を捨て過ぎて、後から、ざっくり斬られるような喪失感を味わった事があるので、どうしても、警戒してしまうのです。
そういや、一時期、「断捨離」という、所有物を減らして、生活様式を改善する行為が流行りましたが、今でも、やっている人はいるんですかね? いや、断捨離そのものに、ケチをつける気はありません。 お金は一銭も浪費しないし、場所が足りなくなる事もないし、正反対の行為である、「買い物依存症」や「ゴミ屋敷化」よりは、一億倍マシだと思います。 精神的な衝動としては、「増やし続ける」と、「減らし続ける」は、「~し続ける」という点で、似ているわけですが、断捨離の場合、物を減らすと言っても、限界は存在するので、「増やし続ける」方とは、結果が違って来ます。
それを承知の上で言うわけですが、もし、置き場所があるのであれば、捨てるのは、極力、先に延ばした方が、いいように思えます。 「全部捨てて、さっぱりしたい」という、一時の気分で、思い出がこびりついた品を捨ててしまうと、後で必ず、「あれは、どこへ行ったんだろう? まさか、捨ててしまったのか?」と、血の気が引く思いをする事になります。 嫌なもんですぜ、あの感覚は。
特に、先に断捨離を試して、「清々した」という他人に勧められて、真似してやったりすると、後悔した時の後悔度が、一桁跳ね上がります。 その後、そいつと縁が切れていたりすると、尚更です。 同性同士だと、そういうケースは稀かも知れませんが、異性間のつきあいでは、よくありそうですな。 同棲を始めた相手から、「思い出は、これから、二人で作っていけばいいよ」とか何とか、三流ドラマのセリフみたいな事を言われて、すっかり、その気になり、自分の物を、ごっそり処分したものの、その後、あえなく、破局。 しかし、捨ててしまった思い出の品は戻りません。 地団駄踏んでも、踏み切れないね。 相手は、ただ、あんたの物を捨てさせて、部屋を広くしたかっただけなのさ。
とりあえず、どんな物であっても、捨てる前に、写真を撮っておくといいと思います。 一品一枚でなくても、部屋の中に、ざっと並べて、一枚で収めてしまっても宜しい。 ちょこっと写っているだけでも、何の手がかりもなくなってしまうよりはいいです。 「ああ、こんなの、あったなあ」と、思い出せれば、充分なわけですから。 私は、使えなくなった物は、元の値段の高い安いに関係なく、写真を撮ってから、捨てるようにしています。
よく、テレビのトーク番組とかで、話題になる、「元カレ・元カノの写真」ですが、そういうのも、全処分は、どうかと思います。 相手の事を憎悪しているのなら、別れたその日に捨てても一向に構わないですが、よんどころない事情や、自分の方の事情で別れて、怖気を振るうような記憶がセットになっていないという場合、一枚くらいは残しておいた方がいいんじゃないでしょうか。 なにせ、自分の人生のひとコマなわけですから。 今つきあっている相手や、結婚している相手と、いつまでも、関係が続くとは限りません。 そちらとも別れてしまったら、思い出としての価値は、みな同じになります。
離婚して、相手の写真や、相手が買った物を、全部捨ててしまうというケースも多いですが、子供がいる場合は、何かしら、残しておいた方が、いいと思います。 自分の出生に関わる事というのは、誰でも気になるのであって、物心付く前に、別れてしまった場合なら尚の事、自分の、もう一人の親が、どんな人物であったか、長じて、無性に知りたくなるでしょう。 そういう時の備えです。 あなたの為ではなく、子供の為に、残すのです。 自分の感情だけを優先して、全処分してしまうと、後で、子供から恨まれるのは、あなたです。 子供に、どんなに相手の悪口を吹き込んでも、無駄ですぜ。 なにせ、子供は、相手の事を知らないんですから、当人に会って確認するまでは、諦めますまい。
親が死んだ後、親の持ち物を、どうするかは、大変な難問です。 よほどの旧家でもない限り、全部取っておくのは、ナンセンスなので、一部という事になりますが、何にすべきかで悩むわけです。 なるべく、小さくて、邪魔にならず、使える物で、壊れ難くて、それでいて、価値もあるという物がいいのですが、そんな物、一つも持っていないという人も多いでしょうなあ。 電子機器の類は、すぐに陳腐化しますし、壊れてしまいますから、全て、駄目です。 スマホなんぞ、今は宝物にしていても、子供に遺す頃には、ゴミになっているのは、誰でも分かる事で、わざわざ、私が忠告するまでもないでしょう。
30年くらい前までなら、腕時計が最も適当だったのですが、今では、している人が少ないですし、クオーツだと、電子機器ですから、いずれは、壊れます。 子供に遺す為だけに、金の自動巻き腕時計を、一つ買っておいてもいいかもしれませんな。 そうしておけば、子供の方は、それだけ残せばいいわけですから、他の物は、心置きなく処分できるというもの。 有効な子供孝行になります。
処分に困る筆頭は、日記ですわ。 ほんと、困る。 言わば、当人の人生が詰まっているわけで、魂が宿っているといってもいい。 日記をどうするか、生前に、はっきり訊いておくべきなのですが、当人の言葉だけでは、なかなか、本当の気持ちが量れません。 「いやあ、捨ててくれてもいいよ」と、照れながら言ったら、それは、保存して欲しいんだと取るべきでしょう。 もし、他者に読まれたら都合の悪い事が書いてあって、本気で処分したいと思っていたら、病院から、這ってでも、家に帰ろうとするはず。
よくあるパターンは、読書人が死んだ後、当人は、「時代の証言」のつもりで書いて来た日記を、子々孫々、伝えてもらいたいと思っていたのに、本なんぞ、教科書以外、触れた事もない、無知無教養な子供が、その価値が分からず、「いいや、日記なんて、人に読んで欲しいと思わないだろう」と勝手に忖度して、焼いてしまうという、悲劇です。 もったいねー! その日記にゃ、おめーの糞つまらねー人生なんかより、ずーっと価値があるんだよーっ! 親が、この世に残したかったのは、おめーじゃなくて、その日記の方なんだよーっ!
だーからよー、どういうつもりで日記を書いて来たかは、人によって、違うんだよ。 とにかく、親が、何も言い残さずに、日記だけ遺したら、一通り、目を通せというのよ。 三度三度の食事メニューが書き付けてあるだけだったら、焼いてもいいけど、何か、難しい事が書いてあって、自分では、どうしていいか分からないなら、職場の同僚でも、友人でも、読書人を捉まえて、「これは、残した方がいいと思うか?」と訊けよ。 読書人なら誰でも、1・2ページ読んだだけで、後世に伝えるつもりで書いたか否かくらい、判断できるんだから。 隔世遺伝で、あんたの子供が、また読書人になるかも知れん。 その時、祖父や祖母が遺した日記を渡してやれば、それこそ、家宝になるのだぞ。 鑑定団の出品物なんかより、遥かに価値がある、本当のお宝にな。
だけどねー、そういう風に、親から子に伝えられる日記なんて、今じゃ、ごくごく稀なケースになっているでしょうねえ。 無縁社会で、墓参りどころか、葬式もしないで、献体しちゃうんだものねえ。 況や、遺品の保存に於いてをや。 昔は、「木の股から生まれて来た」なんて言われたら、最上級の罵言だったわけですが、今や、「木の股から生まれて来た」と、自ら思いたがっている人間の、いかに多い事か。 もはや、親も実家も、厄介ものでしかないんだわ。
そういや、無縁社会で思い出しました。 もう、何年か前ですが、独居死に備える老人達の特集番組で、「終活」に精を出し、いつ死んでも、他人に迷惑がかからないように、荷物を整理して、一部屋に纏めている男性老人が出ていましたっけ。 ホーム・センターで売っている、プラスチック製の整理箪笥を幾つかくっつけたくらいの、一塊。 そうですねえ、ちょうど同じくらいの大きさというと、風呂の浴槽くらいでしょうか。 その中に、自分の死後、必要になると思われる書類が、収められているのです。 その番組では、その人物を、「準備がいい人」の代表として取り上げていましたが、私は、首を傾げました。 死ぬのに、そんなに、書類が必要なんですかね?
家中に散らばっていた物を整理して、そこまで少なくするには、苦渋の決断を伴う、大変な苦労が必要だったと思いますが、それは、当人の事情でして、その人の死後、後片づけをする側にしてみれば、風呂の浴槽くらいある箪笥に一杯の書類なんて見せられた日には、「これを、どうしろと言うの?」と、ほとほと、困り果てるに違いありません。 だーからよー、死ぬのに、書類なんて、要らねーのよ。 後片付けにかかる費用を入れた封筒が一つあれば、充分。
そもそも、子供がいないとか、いても、自分の死後の後片付けをしてくれないという事情があるから、こういう準備をするのだと思いますが、いずれにせよ、自分の死を悼む人間がいないのなら、死んだ後の心配なんかする必要はありません。 どうせ、死んでしまえば、他人から、誉められようが、後ろ指指されようが、自分にゃ分かりゃしないのですから。 死の絶対性というのは、そういう時に、好都合に働きます。
独居死でも、何ら、恥じる事はないと思いますよ。 一番困るのは、要介護になって、何年も生きられる事でして、それに比べれば、死体と遺品を片付けるだけで済む、独居死の方が、遥かに始末がいいです。 独居死は、悲劇でもなんでもありません。 悲劇というのは、いつまで生きるとも知れぬ親の介護で、自分の人生を磨り潰している子供が置かれている状況の事を言うのです。
独居死を、「是非とも避けなければならない、社会的問題」と見做す風潮には、大きな抵抗感を覚えます。 死が、どういうものなのか、分かってないんじゃないですか? 家族や友人に見守られて死んでも、たった一人で死んでも、死の苦しさに変わりはありませんよ。 病院で、人の死を見た事がある人なら分かると思いますが、「眠るように、安らかに死んだ」なんてーのは、珍しい口でして、大抵は、死ぬ寸前まで、
「あんがっ!」
「うんがっ!」
「ぜーぜー!」
「ひっく! ゴロゴロ、ガーッ・・・」
などと、見るに耐えず、聞くに耐えない、凄絶な状態を経て、これでもかというくらい、醜く死んで行きます。
そうなってしまうと、家族が周りにいたって、当人は、もう分かりゃしません。 分かったら、却って、嫌ではないですか。 周りにいる連中は、これからも生き続けるのに、自分だけ死ぬなんて、幸不幸の落差を感じる分、独居死以上に、惨めで、辛いではありませんか。 死ぬ寸前の人に向かって、「家族に囲まれて、今すぐ死ぬのと、たった一人で、あと一週間生きられるのと、どっちがいいですか?」と訊いたら、全員、即答で、後者を選ぶでしょう。 「家族がいるか、独居か」が、問題なのではなく、「死ぬか、死なないか」が、問題なのです。
話は変わりますが、何でも、老人ホームによっては、持ち込む荷物を、鞄二つまでしか、許可しないそうじゃないですか。 いやはや、それまで、家一杯に詰まっていた所有物を、鞄二つに収まるまで絞るのは、途轍もない難事業でしょうな。 ホームに入る前に、お迎えが来そうです。 中には、あまりの少なさが信じられず、「自分で持って行く荷物は、二つという事だろう」などと、勝手に解釈して、引っ越し荷物を後から届けてもらう手配をして入居したら、あっと驚く、6人部屋で、自分が使える空間は、ベッドの脇しかなく、鞄二つでも、置き場所に困る事が分かり、ショックで寝込む人もいるかも知れぬ。
実際問題として、鞄二つじゃ、着替えくらいしか、持っていけませんな。 他に、小さめの思い出の品が、一つ二つといったところでしょうか。 パソコンが使える人は、家で使っていた物を、全て写真に撮っておけば、いつでも、見られます。 終活の最大の利器は、デジカメなのか。 電子データにしてしまえば、紙以上に、場所を取りませんからのう。 また、日記なども、当人しか見れないパソコンの中なら、子供が処分に困る事もないわけだ。 もっとも、日記を遺したい場合は、電子データだと、逆に、保存が面倒になるかもしれませんが。 規格が変わったら、見れなくなってしまいますから。
いつもの事ですが、だいぶ、尾鰭が広がってしまいました。 そろそろ、疲れて来たので、この辺にしておきます。 私くらいの年齢で、所有物の片付けを始めると、結局、「最終的に、どうするか?」という、終活的な話になって行ってしまうんですよ。 まして、私は、突然死の可能性を宣告されていますから、尚更です。 できる事なら、「立つ鳥、跡を濁さず」で、自分の手で、全部、処分して、すっきりさせて、死にたいけれど、あまり早くやってしまうと、喪失感で、死期を早めそうなので、なかなか、踏み切れんのですわ。 それ以前の問題として、最低限必要な物以外、綺麗さっぱり片付けてしまった後で、20年も生きたら、困るでしょう?
会社に勤める前、若い頃の数年間は、自分で確定申告をしていたので、税務署に行くのは、初めてというわけではありませんが、それは、四半世紀も前の話で、用紙の書き方などは、すっかり、忘れてしまいました。 しかも、退職処理は初めてですから、分からない事だらけです。 まずい事に、去年は、入院していて、医療費の控除が絡んで来るので、それも、厄介。 だーから、岩手に移動する前に、辞めてりゃ、良かったんだよ。
で、その準備をしようと、書類を調べ始めたのですが、ついでのつもりで、過去の書類の整理に手を出したら、そちらの沼へ、ずぶずぶと嵌まってしまいました。 会社関係の書類が多いですが、入社以前の物もあります。 過去に一回、整理しているので、ごちゃごちゃになって、詰め込んであるのは、ここ15年くらいのもの。 それだけでも、結構な量です。
2001年、パソコンを買い、インター・ネットを始めた頃の、レシート・保証書の類がごそっと出て来たりします。 単純に、懐かしさを感じるのですが、すでに、本体は壊れて、処分してしまった物が大半で、保証書を取っておく必要性はありません。 しかし、今の時点で懐かしいと感じるという事は、今後、年月が経てば、もっと、懐かしいと感じるはずで、「そういう効果があるのなら、取っておこうかなあ」とも思うのです。
通販の送り状やレシートも、どさっと出て来ました。 私は、インター・ネットを始める前は、通信販売を、ほとんど利用していなかったせいか、送り状の事を、「重要な書類」と誤解していて、最初の頃の数年は、律儀に保存してあったのです。 送り状は、まだ分かるとしても、運送会社が荷物に貼る伝票まで取ってあるから、びっくりします。 伝票は、商品の保証とは、あまり関係がないから、届いた商品を使い始めたら、捨ててしまっても良いのだと気づいたのは、ほんの2・3年前です。
運送中に壊れるという事もありえますが、私に限っては、その経験がありません。 まして、初期状態で、問題なく使い始められれば、そこから先に起こる故障は、運送会社の責任ではなくなりますから、伝票を保存しておいても、意味はないんですな。 彼らは、あくまで、「運んだだけ」なわけです。 使い始めて、半年も経ってから、「故障は、運搬の仕方が悪かったからだ」なんて言ったら、悪質クレーマーもいいところです。
と・こ・ろ・が・だ。 伝票や送り状という奴、すぐに捨ててしまえばいいのですが、保存しておいて、10年以上経つと、別の価値が出て来てしまうのです。 過去を思い出す、手がかりになるのですよ。 効果上は、写真や日記と同じです。 「あああ、こんな物、買ったわ! あれは、どこへやっちゃったんだろう?」などと、完全に失念していた事が、続々と思い出されて来て、いとをかし。 で、「そういう効果があるのなら、取っておこうかなあ」と思ってしまうのです。
会社の書類も然り。 リストラ同然で退職したわけですから、会社の記憶は、全体的には、不愉快な色に染まっているのですが、25年も勤めていた事実は消しようがなく、もちろん、いい思い出だってあります。 会社関係の書類には、それらの思い出の断片が絡みついているんですな。 給与明細なんて、もはや、必要性は全くありませんが、最初に貰った一枚には、思い出上、確実に価値がありますし、他のだって、当時、どのくらいの残業をやっていたか分かったりして、見返せば、結構、面白いものです。
中には、「今後の経営方針」とか、「労組の活動報告」とか、「イベントのご案内」といった、社内配布物もあり、「こーれは、捨ててもいいだろう」と思うのですが、発行年が振ってあると、その年数を見ただけで懐かしくなってしまい、やはり、捨てられません。 その紙切れは、確かに、私が、その年に、その会社に所属していた事を、証明してくれるのです。 自分の人生を証明してくれる証拠だといっても良い。
田原応援、岩手応援、北海道応援、岩手異動の時の書類は、すでに、纏めた状態になっており、これらは、保存するつもりでいます。 会社関係の書類も、同じように扱った方がいいかも知れません。 書類の場合、全部、纏めても、ダンボール箱一つに収まる程度なので、さして、場所を取るわけでもないですし。
場所を取るのは、服ですな。 昔着ていた服で、私服は別として、会社で支給された作業着が、かなりの量、残っています。 今後、着る事は、まずないです。 工場の制服というのは、近年、妙に派手になってしまって、とても、普段着に流用できるようなものではありません。 油汚れが付いていたりすると、尚の事。 ズボンだけなら、目立たない色のもあるので、バイクや自転車の整備など、汚れる作業をする時に、穿きたいと思うのですが、退職してからこっち、私の腹が出てしまって、ウエストがきつくなっているに決まっていると思うと、なかなか、出す気になれません。
私の在職中に、2回、制服のデザインが変わったので、基本的に、3種類あるわけですが、私の場合、あちこち、特別なラインに行かされたせいで、プラス、2種類で、計5種類あります。 それぞれ、シャツ、上着、ズボン、帽子のセットを、一揃えだけ、残してありますが、それだけでも、結構な数です。 これらは、どうしたもんでしょうねえ。 思い出の品といえば、確かに、そうですが、書類と違って、嵩張りますし、服というのは、着なくなると、急激にみすぼらしくなり、ゴミっぽくなる上、虫食いも避けられません。 いずれ、写真だけ撮って、捨てる事になるでしょうなあ。
鍵も出て来ました。 これは、会社とは、直截、関係がありません。 家の玄関の鍵が、同じ物が、2本。 これは、割と最近、錠の方が壊れてしまって、新しい物に交換したので、要らなくなった古い鍵の方を、普段使っていたのと、予備の、計2本、保存してあるというもの。 我が家の玄関の錠を換えたのは、その時の一回だけですから、最初の錠は、35年くらい、もった事になります。
あと、車の鍵が、3本。 全部、違う鍵で、内訳は、唯一、私自身が買った車である、初代ミラの物、母が持っていた、初代トゥデイの物、父が持っていた、初代FFコロナの物です。 ミラは廃車。 トゥデイとコロナは、下取りされましたが、いずれも、ボロボロだったので、たぶん、中古にはならず、廃車にされたと思います。 出て来た鍵は、元から車に付いていた物ではなく、近所のホーム・センターで作ってもらった、合鍵です。 父と母の車の合鍵を持っていたのは、それらに乗る事もあったから。
ミラを廃車にした後、原付を1台、バイクを1台、下取りしてもらっていますが、それらの鍵はありません。 合鍵を作らなかったからです。 元から付いていた鍵は、いずれも、本体に付けて、返しました。 二輪で、合鍵を作らなかった理由は、いずれも、新車で買ったから、元のが、2本あって、二輪の場合、私一人しか乗りませんから、それだけで、充分だったのです。 逆に考えると、中古で買ったミラは、合鍵を作ったわけですから、元の鍵が1本しか付いてなかった事になりますが、そこの所は、よく覚えていません。
ミラは、自分で買った唯一の車だから、忘れたくても忘れられませんし、母のトゥデイも、よく乗ったので、くっきり、記憶に焼き付いています。 問題は、コロナ。 父は、コロナを三台乗り継ぎ、私が鍵を残しているのは、その真ん中の一台なのですが、鍵を見るまで、その車の存在を、すっかり、忘れていました。 鍵に、紙が貼ってあって、「初代FFコロナ」と書いてあったから、辛うじて、思い出した次第。
初代FFコロナというのは、検索すれば、画像が出て来ると思いますが、登場した当時は、新時代を感じさせるデザインで、「僕らに引力」というコピーのテレビCMをやっていた車です。 我が家に、そんな車があった事自体、完璧に忘れていました。 思い出の品の効力、侮るべからず。 ただし、その車で、どこかへ行ったという記憶は、残ってません。 そのコロナがあった時期は、私自身が、ミラを所有していましたから、普段は自分の車で出るのであって、父の車に乗る事が少なかったんですな。 当時、勤め先の工場では、≪クレスタ≫や、≪チェイサー≫といった、もっと高い車を作っていたので、そのコロナの内装が、チャチに見えた事だけ、記憶に残っていてます。
レンタル屋のカードなんかも、たくさん、出て来ました。 ツタヤ一軒だけ残して、全部、閉店済み。 というか、うちの近所の場合、ほとんどの個人経営店、地方チェーン店が潰れた後に、ツタヤが入って来た形になります。 私が若い頃には、レンタル屋は、地方に於ける文化拠点のような役割を果たしていました。 当時行っていた店が、建物だけ残して、全て、他業種の店に入れ替わっている現状を見ると、隔世の感があります。 中には、レンタル屋だった時の、棚の配置を、はっきり覚えている店もあります。 それだけ、よく行っていたわけですな。
最初に借りたのは、何だったかなあ? たぶん、≪天空の城ラピュタ≫ではなかったかと思います。 ビデオの頃は、ダビングができたので、せっせと借りに行ったんですな。 ただ、その店は、どこにあったのか、もう、思い出せません。 黒澤明監督の映画に嵌まり、立て続けに、15本くらい借りたのは、近所の店で、そこは、その後、中古車屋になり、喫茶店になり、今は、どうなっているのか・・・。 建物は残っています。 個人経営や、地方チェーン店では、レンタル料金は、バラバラでした。 旧作180円という店もあれば、同じ作品に、千円以上取る店もあり、そういう滅茶苦茶に高い料金であっても、十数年も潰れずにやっている光景は、不思議に見えました。
最後に行ったのは、もちろん、ツタヤですが、カードはあるものの、期限切れで、再契約しなければ、使えません。 そして、今のところ、何かを借りに行く予定は、全くないです。 映像作品に対する興味が薄れてしまったんですな。 文化にとって、最も大切なのは、「華やかさ」でして、日本のアニメも、アメリカのSF映画も、往年の華やかさは、とうの昔に失われてしまいましたから、華のないものを、お金を出して借りるなんて事は、もはや、しないわけです。
レンタル店のカードの枚数は、5・6枚でしょうか。 これらは、記念に取っておこうと思います。 場所を取らないので、捨てる理由がありません。 他に、カードというと、医院・病院の診察券があります。 今でも行く所のは、もちろん、取っておくとして、その病気と無縁になったとか、先生が代替わりしてしまって、行かなくなった所のは、捨てないにしても、出し難い所へ移した方がよさそう。 ガソリン・スタンドの現金会員カードもありますが、これらも、近所の店のだけ残して、後は、お蔵入りですな。
ちと困るのが、テレホン・カードです。 私は、ケータイ・スマホを持たない主義なので、外から家にかける時には、公衆電話という事になり、今でも使えるわけですが、そもそも、泊りの旅行にでも行かない限り、外から家に電話をかけるような機会がありません。 手元に、5枚くらい残っているのですが、どーしたもんでしょ。 私の母なんて、かつては、旅行に行くたびに、テレホン・カードを記念の品として買って来ていましたから、20枚くらいは持っていると思います。 老い先短いのに、どうするんでしょうね?
私や母だけでなく、テレホン・カードが、ごそっと残っているという人は、多いのではないでしょうか。 図柄は記念になりますが、カードの機能は、もはや、不要なわけで、その、不要な機能を残したまま、死蔵しているというのが、なんだか、腹立たしいのです。 「休眠口座」は、ニュースになるのに、「死蔵テレカ」がニュースにならないのは、納得行かぬ。 金額的には、匹敵すると思うのですがね。 NTTが、いつまで、カード対応の公衆電話を維持し続けるつもりなのかが、この問題のネックですな。 カードにパンチ穴を開けずに、無効化する方法で、残度数を買い取ってくれればいいのですがねえ。
あと、他人の名刺が何枚か出て来ました。 私は、名刺のやり取りをするような仕事をした事はないのですが、世の中には、どんな相手にも名刺を渡す人というのがいるのです。 一番多いのが、銀行員。 定期預金の預け換え程度の事でも、名刺をくれる場合があります。 こちらは、銀行そのものと取引しているのであって、行員個人の名刺を貰っても、恐縮するだけで、困ってしまいます。 だけど、礼儀として貰った物だから、ホイホイと捨てられないのです。 中には、フレッツ光の契約で、私を苦しめる結果になった、NTT△日本社員の名刺も含まれていますが、その人自身は、極めて腰の低い、礼儀正しい人だったので、やはり、捨てるのは、ためらわれます。
足掛け三日間、ごちゃごちゃと引っ繰り返していたんですが、結局、種類ごとに整理した後、保存場所を、引き出しから、押入れに移しただけで、ほとんどの物が、残留となりました。 捨てたのは、レシートの束に輪ゴムをかけるのに、大き過ぎて邪魔になった、封筒が二枚だけ。 我ながら、情けない成果ですが、過去に、押入れの整理で、物を捨て過ぎて、後から、ざっくり斬られるような喪失感を味わった事があるので、どうしても、警戒してしまうのです。
そういや、一時期、「断捨離」という、所有物を減らして、生活様式を改善する行為が流行りましたが、今でも、やっている人はいるんですかね? いや、断捨離そのものに、ケチをつける気はありません。 お金は一銭も浪費しないし、場所が足りなくなる事もないし、正反対の行為である、「買い物依存症」や「ゴミ屋敷化」よりは、一億倍マシだと思います。 精神的な衝動としては、「増やし続ける」と、「減らし続ける」は、「~し続ける」という点で、似ているわけですが、断捨離の場合、物を減らすと言っても、限界は存在するので、「増やし続ける」方とは、結果が違って来ます。
それを承知の上で言うわけですが、もし、置き場所があるのであれば、捨てるのは、極力、先に延ばした方が、いいように思えます。 「全部捨てて、さっぱりしたい」という、一時の気分で、思い出がこびりついた品を捨ててしまうと、後で必ず、「あれは、どこへ行ったんだろう? まさか、捨ててしまったのか?」と、血の気が引く思いをする事になります。 嫌なもんですぜ、あの感覚は。
特に、先に断捨離を試して、「清々した」という他人に勧められて、真似してやったりすると、後悔した時の後悔度が、一桁跳ね上がります。 その後、そいつと縁が切れていたりすると、尚更です。 同性同士だと、そういうケースは稀かも知れませんが、異性間のつきあいでは、よくありそうですな。 同棲を始めた相手から、「思い出は、これから、二人で作っていけばいいよ」とか何とか、三流ドラマのセリフみたいな事を言われて、すっかり、その気になり、自分の物を、ごっそり処分したものの、その後、あえなく、破局。 しかし、捨ててしまった思い出の品は戻りません。 地団駄踏んでも、踏み切れないね。 相手は、ただ、あんたの物を捨てさせて、部屋を広くしたかっただけなのさ。
とりあえず、どんな物であっても、捨てる前に、写真を撮っておくといいと思います。 一品一枚でなくても、部屋の中に、ざっと並べて、一枚で収めてしまっても宜しい。 ちょこっと写っているだけでも、何の手がかりもなくなってしまうよりはいいです。 「ああ、こんなの、あったなあ」と、思い出せれば、充分なわけですから。 私は、使えなくなった物は、元の値段の高い安いに関係なく、写真を撮ってから、捨てるようにしています。
よく、テレビのトーク番組とかで、話題になる、「元カレ・元カノの写真」ですが、そういうのも、全処分は、どうかと思います。 相手の事を憎悪しているのなら、別れたその日に捨てても一向に構わないですが、よんどころない事情や、自分の方の事情で別れて、怖気を振るうような記憶がセットになっていないという場合、一枚くらいは残しておいた方がいいんじゃないでしょうか。 なにせ、自分の人生のひとコマなわけですから。 今つきあっている相手や、結婚している相手と、いつまでも、関係が続くとは限りません。 そちらとも別れてしまったら、思い出としての価値は、みな同じになります。
離婚して、相手の写真や、相手が買った物を、全部捨ててしまうというケースも多いですが、子供がいる場合は、何かしら、残しておいた方が、いいと思います。 自分の出生に関わる事というのは、誰でも気になるのであって、物心付く前に、別れてしまった場合なら尚の事、自分の、もう一人の親が、どんな人物であったか、長じて、無性に知りたくなるでしょう。 そういう時の備えです。 あなたの為ではなく、子供の為に、残すのです。 自分の感情だけを優先して、全処分してしまうと、後で、子供から恨まれるのは、あなたです。 子供に、どんなに相手の悪口を吹き込んでも、無駄ですぜ。 なにせ、子供は、相手の事を知らないんですから、当人に会って確認するまでは、諦めますまい。
親が死んだ後、親の持ち物を、どうするかは、大変な難問です。 よほどの旧家でもない限り、全部取っておくのは、ナンセンスなので、一部という事になりますが、何にすべきかで悩むわけです。 なるべく、小さくて、邪魔にならず、使える物で、壊れ難くて、それでいて、価値もあるという物がいいのですが、そんな物、一つも持っていないという人も多いでしょうなあ。 電子機器の類は、すぐに陳腐化しますし、壊れてしまいますから、全て、駄目です。 スマホなんぞ、今は宝物にしていても、子供に遺す頃には、ゴミになっているのは、誰でも分かる事で、わざわざ、私が忠告するまでもないでしょう。
30年くらい前までなら、腕時計が最も適当だったのですが、今では、している人が少ないですし、クオーツだと、電子機器ですから、いずれは、壊れます。 子供に遺す為だけに、金の自動巻き腕時計を、一つ買っておいてもいいかもしれませんな。 そうしておけば、子供の方は、それだけ残せばいいわけですから、他の物は、心置きなく処分できるというもの。 有効な子供孝行になります。
処分に困る筆頭は、日記ですわ。 ほんと、困る。 言わば、当人の人生が詰まっているわけで、魂が宿っているといってもいい。 日記をどうするか、生前に、はっきり訊いておくべきなのですが、当人の言葉だけでは、なかなか、本当の気持ちが量れません。 「いやあ、捨ててくれてもいいよ」と、照れながら言ったら、それは、保存して欲しいんだと取るべきでしょう。 もし、他者に読まれたら都合の悪い事が書いてあって、本気で処分したいと思っていたら、病院から、這ってでも、家に帰ろうとするはず。
よくあるパターンは、読書人が死んだ後、当人は、「時代の証言」のつもりで書いて来た日記を、子々孫々、伝えてもらいたいと思っていたのに、本なんぞ、教科書以外、触れた事もない、無知無教養な子供が、その価値が分からず、「いいや、日記なんて、人に読んで欲しいと思わないだろう」と勝手に忖度して、焼いてしまうという、悲劇です。 もったいねー! その日記にゃ、おめーの糞つまらねー人生なんかより、ずーっと価値があるんだよーっ! 親が、この世に残したかったのは、おめーじゃなくて、その日記の方なんだよーっ!
だーからよー、どういうつもりで日記を書いて来たかは、人によって、違うんだよ。 とにかく、親が、何も言い残さずに、日記だけ遺したら、一通り、目を通せというのよ。 三度三度の食事メニューが書き付けてあるだけだったら、焼いてもいいけど、何か、難しい事が書いてあって、自分では、どうしていいか分からないなら、職場の同僚でも、友人でも、読書人を捉まえて、「これは、残した方がいいと思うか?」と訊けよ。 読書人なら誰でも、1・2ページ読んだだけで、後世に伝えるつもりで書いたか否かくらい、判断できるんだから。 隔世遺伝で、あんたの子供が、また読書人になるかも知れん。 その時、祖父や祖母が遺した日記を渡してやれば、それこそ、家宝になるのだぞ。 鑑定団の出品物なんかより、遥かに価値がある、本当のお宝にな。
だけどねー、そういう風に、親から子に伝えられる日記なんて、今じゃ、ごくごく稀なケースになっているでしょうねえ。 無縁社会で、墓参りどころか、葬式もしないで、献体しちゃうんだものねえ。 況や、遺品の保存に於いてをや。 昔は、「木の股から生まれて来た」なんて言われたら、最上級の罵言だったわけですが、今や、「木の股から生まれて来た」と、自ら思いたがっている人間の、いかに多い事か。 もはや、親も実家も、厄介ものでしかないんだわ。
そういや、無縁社会で思い出しました。 もう、何年か前ですが、独居死に備える老人達の特集番組で、「終活」に精を出し、いつ死んでも、他人に迷惑がかからないように、荷物を整理して、一部屋に纏めている男性老人が出ていましたっけ。 ホーム・センターで売っている、プラスチック製の整理箪笥を幾つかくっつけたくらいの、一塊。 そうですねえ、ちょうど同じくらいの大きさというと、風呂の浴槽くらいでしょうか。 その中に、自分の死後、必要になると思われる書類が、収められているのです。 その番組では、その人物を、「準備がいい人」の代表として取り上げていましたが、私は、首を傾げました。 死ぬのに、そんなに、書類が必要なんですかね?
家中に散らばっていた物を整理して、そこまで少なくするには、苦渋の決断を伴う、大変な苦労が必要だったと思いますが、それは、当人の事情でして、その人の死後、後片づけをする側にしてみれば、風呂の浴槽くらいある箪笥に一杯の書類なんて見せられた日には、「これを、どうしろと言うの?」と、ほとほと、困り果てるに違いありません。 だーからよー、死ぬのに、書類なんて、要らねーのよ。 後片付けにかかる費用を入れた封筒が一つあれば、充分。
そもそも、子供がいないとか、いても、自分の死後の後片付けをしてくれないという事情があるから、こういう準備をするのだと思いますが、いずれにせよ、自分の死を悼む人間がいないのなら、死んだ後の心配なんかする必要はありません。 どうせ、死んでしまえば、他人から、誉められようが、後ろ指指されようが、自分にゃ分かりゃしないのですから。 死の絶対性というのは、そういう時に、好都合に働きます。
独居死でも、何ら、恥じる事はないと思いますよ。 一番困るのは、要介護になって、何年も生きられる事でして、それに比べれば、死体と遺品を片付けるだけで済む、独居死の方が、遥かに始末がいいです。 独居死は、悲劇でもなんでもありません。 悲劇というのは、いつまで生きるとも知れぬ親の介護で、自分の人生を磨り潰している子供が置かれている状況の事を言うのです。
独居死を、「是非とも避けなければならない、社会的問題」と見做す風潮には、大きな抵抗感を覚えます。 死が、どういうものなのか、分かってないんじゃないですか? 家族や友人に見守られて死んでも、たった一人で死んでも、死の苦しさに変わりはありませんよ。 病院で、人の死を見た事がある人なら分かると思いますが、「眠るように、安らかに死んだ」なんてーのは、珍しい口でして、大抵は、死ぬ寸前まで、
「あんがっ!」
「うんがっ!」
「ぜーぜー!」
「ひっく! ゴロゴロ、ガーッ・・・」
などと、見るに耐えず、聞くに耐えない、凄絶な状態を経て、これでもかというくらい、醜く死んで行きます。
そうなってしまうと、家族が周りにいたって、当人は、もう分かりゃしません。 分かったら、却って、嫌ではないですか。 周りにいる連中は、これからも生き続けるのに、自分だけ死ぬなんて、幸不幸の落差を感じる分、独居死以上に、惨めで、辛いではありませんか。 死ぬ寸前の人に向かって、「家族に囲まれて、今すぐ死ぬのと、たった一人で、あと一週間生きられるのと、どっちがいいですか?」と訊いたら、全員、即答で、後者を選ぶでしょう。 「家族がいるか、独居か」が、問題なのではなく、「死ぬか、死なないか」が、問題なのです。
話は変わりますが、何でも、老人ホームによっては、持ち込む荷物を、鞄二つまでしか、許可しないそうじゃないですか。 いやはや、それまで、家一杯に詰まっていた所有物を、鞄二つに収まるまで絞るのは、途轍もない難事業でしょうな。 ホームに入る前に、お迎えが来そうです。 中には、あまりの少なさが信じられず、「自分で持って行く荷物は、二つという事だろう」などと、勝手に解釈して、引っ越し荷物を後から届けてもらう手配をして入居したら、あっと驚く、6人部屋で、自分が使える空間は、ベッドの脇しかなく、鞄二つでも、置き場所に困る事が分かり、ショックで寝込む人もいるかも知れぬ。
実際問題として、鞄二つじゃ、着替えくらいしか、持っていけませんな。 他に、小さめの思い出の品が、一つ二つといったところでしょうか。 パソコンが使える人は、家で使っていた物を、全て写真に撮っておけば、いつでも、見られます。 終活の最大の利器は、デジカメなのか。 電子データにしてしまえば、紙以上に、場所を取りませんからのう。 また、日記なども、当人しか見れないパソコンの中なら、子供が処分に困る事もないわけだ。 もっとも、日記を遺したい場合は、電子データだと、逆に、保存が面倒になるかもしれませんが。 規格が変わったら、見れなくなってしまいますから。
いつもの事ですが、だいぶ、尾鰭が広がってしまいました。 そろそろ、疲れて来たので、この辺にしておきます。 私くらいの年齢で、所有物の片付けを始めると、結局、「最終的に、どうするか?」という、終活的な話になって行ってしまうんですよ。 まして、私は、突然死の可能性を宣告されていますから、尚更です。 できる事なら、「立つ鳥、跡を濁さず」で、自分の手で、全部、処分して、すっきりさせて、死にたいけれど、あまり早くやってしまうと、喪失感で、死期を早めそうなので、なかなか、踏み切れんのですわ。 それ以前の問題として、最低限必要な物以外、綺麗さっぱり片付けてしまった後で、20年も生きたら、困るでしょう?
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