2015/02/08

濫読筒井作品⑩

  前回、≪濫読筒井作品⑨≫を出したのが、2008年の4月6日ですから、6年10ヵ月ぶりという事になります。 途中、文庫本蒐集計画を進めている時に、≪筒井康隆作品の古本状況≫という記事で、筒井作品について触れたのが、 2013年の8月4日で、そこから数えても、1年半も経ってしまいました。 真っ当なファンであれば、新作が出るたびに、購入して読み、感想を書くべきなんですが、その点、私はやはり、真のファンとは言えないんでしょうねえ。

  ≪濫読筒井作品⑨≫では、≪ダンシング・ヴァニティ≫について書きました。 今回は、それ以後に出された本という事になりますが、たまたま、最近手に入れた、古い本が、2冊含まれていて、全部で、10冊分あります。 読んだ順に並べると、≪アホの壁≫、≪ビアンカ・オーバースタディ≫、≪聖痕≫、≪偽文士日録≫、≪繁栄の昭和≫、≪創作の極意と掟≫、≪漂流≫、≪現代語裏辞典≫、≪わかもとの知恵≫、≪大魔神≫という事になりますが、感想を書くにあたって、読み直したものもあるので、感想を書いた順にアップする事にします。



≪繁栄の昭和≫

文芸春秋 2014年
筒井康隆 著

  2011年から2013年にかけて発表された短編が、10話。 あと、どういうジャンルに入れていいか分かりませんが、昔の女優さんの出演映画について調べた文章が、一つ付いています。 短編の方は、各話の長さが、10ページから20ページくらいで、かなり、短い方です。 その分、数があるので、一話ずつ感想を書くのは、正直、きついです。 読み終わった途端に、その億劫さがのしかかって来て、胃が痛くなって来ました。 胃に穴を開けてまで、感想に精力を注ぐ事もないと思うので、さーっと簡単に書く事にします。


【繁栄の昭和】
  とある二階建てのビルで、一階の法律事務所に、事務員として勤めている主人公が、二階に入っている、探偵事務所と、芸能事務所に出入りする人々を観察する話。 昭和初期の、探偵小説の雰囲気という感じですかね。 実際の探偵小説では、あまり細かく描かれない、探偵事務所周辺を舞台にしていて、探偵小説の雰囲気だけ、そっくり頂いた感あり。

  話自体は、特段シュールというわけではありませんが、≪ダンシング・ヴァニティ≫でも出て来た、繰り返しの技法が使われていて、不思議な効果を挙げています。 現実に起こった事を、長編探偵小説の一部と考える事によって、探偵小説的人物相関を、実在の人物に当て嵌めて行くという発想が、面白いです。


【大盗庶幾】
  う・・・、これは、ストーリーを書くと、ネタバレになってしまいそうですな。 すこし暈して書きますと・・・、金持ちの家に生まれ、子供の頃から、サーカス団と付き合いがあった、変装好きの美少年が、長じて、家が破産すると、特技を生かして、泥棒を生業とするようになるが、片思いしていた女性が、とある探偵と結婚してしまった事で、探偵を逆恨みし、犯罪予告をして、挑戦し始める話。

  うーむ、一生懸命、暈したつもりなんですが、分かる人には、誰の事なのか、ありあり、バレバレでしょうなあ。 一種の、前夜譚でして、この話の場合、原作の方で触れられていない、ある登場人物の生い立ちを、想像して、描いたもの。 大変、細かく書き込んであるので、誰の事なのか分かっていても、尚、面白いです。


【科学探偵帆村】
  昭和初期のSF作家、海野十三が書いた、≪断層顔≫という小説の、ごく一部から派生させて作った話。 借りているのは、帆村という名前の老探偵と、昭和初期の時点から想像された昭和55年という、架空の時代背景だけで、ストーリーは、オリジナルのようです。 その点に関して、説明されている部分が少ないので、勘違いをする読者も多い事でしょう。 ≪断層顔≫は、青空文庫に入っていますから、先に読んでおいた方がいいかもしれません。

  ストーリーは・・・、ストーリーは・・・、しまった、これも、書くと、ネタバレになってしまいますな。 どーしたもんじゃろか? アメリカの映画女優が、父親の分からない、東洋系の赤ん坊を産んだという、伝説があり、その原因が、実は、とある日本人少年が持つ、超能力と関わっていたという話。 ぐぐぐ・・・、これだけしか書けません。

  SFアイデアの類型としては、筒井さんの短編、≪郵性省≫に似ていますが、こちらの場合、女優伝説と絡めているところに特徴があり、東洋人の子供を妊娠した女優の名前がズラリと並んでいるのを見ると、何とも形容し難い、ミステリアスな気分に襲われます。 これ、本当なんですかね? いや、ここが本当でないと、話の面白さが、大きく損なわれてしまうので、本当なのだとは思いますが。


【リア王】
  自然主義リアリズムで、≪リア王≫を演じ続けていた名優が、古典的な演技・演出に拘るあまり、自分の作った劇団から、実の娘が退団してしまい、落胆していたのが、とある高校で、≪リア王≫を演じている時に、たまたま鳴った、生徒の携帯電話の着メロに刺激されて、≪君の瞳に恋してる≫を、替え歌で歌ってしまったところ、それが大受けし、以後、劇中に歌を歌うパートが続々と増えて行く話。

  筒井さんの演劇関連の短編は、数こそ少ないですが、レベルが高く、ハズレがないです。 ≪瀕死の舞台≫然り、≪狼三番叟≫然り。 この作品は、暗いところがなく、エスカレートする話で、ハッピー・エンドが約束されている点、読んでいて、大変、楽しいです。 出てくる歌が、玄人好みでなく、ある世代以上なら、誰でも聴いた事があって、すぐに、メロディーを思い浮かべられる曲に限られているのも、実に巧み。


【一族散らし語り】
  斜面に寄りかかるようにして建てられている、大きな屋敷で、体が、血塗れて腐って行く一族の様子を描いた話。 ≪家≫、≪遠い座敷≫、≪谷間の豪族≫などと同じく、巨大な日本家屋が舞台になる作品の一つ。 

  何と言っても、体が腐って行く人間が、ごろごろ出て来る話なので、読後感は、あまり、よくないです。 これ、中高生くらいで読んだら、いや~な感じを受けたでしょうねえ。 私が、さらりと読み流せたのは、もういい加減、歳を食っていて、フィクションと割り切れたからでしょう。 歳を取って、いい事もあるわけだ。

  印象に残ったのは、勝手に屋敷に入り込んで騒いでいた、よその子供の内、一人の女の子が、家の者が来ても、逃げもせず、開き直ったような態度を見せる場面。 性別を問わず、こういうガキは、いますわ。 その内、どこかで、ボコボコにされて、自分のルールが、他人様には通用しない事を、思い知るわけですが。


【役割演技】
  訪日する外国の要人達向けに、繁栄する日本を演じ続けている街の様子を、そこで開かれるパーティーに出る為だけに雇われている、一般家庭の主婦の目線で描写した話。 近未来SFの部類でしょうか。 ≪暗黒世界のオデッセイ≫ほどではないですが、筒井さん独特の、暗い未来観が健在である事を、教えてくれます。 SF作家の未来観が、時代とともに、どう変化して来たかは、興味深いところですが、筒井さんの場合、暗め暗めに予想していたから、さほど、大きな修正をしなくても済んだわけですな。

  主人公の同業者で、パーティーで肉を食べ過ぎた事で失敗する女性が出て来ますが、一般人の階級では、肉が慢性的に不足しているようで、これは、確かに、近い将来、日本で起こりそうな事です。 外貨を稼げる産業がなくなってしまうと、飼料を輸入できなくなるので、家畜を育てられなくなってしまうんですな。


【メタノワール】
  筒井さん自身が主人公で、現実に起こる出来事を、どんどん話に取り入れてしまう映画の出演者になり、その撮影中に起こった事を描写した話。 この小説の主人公は筒井さんですが、映画の主人公は、船越英一郎さんで、他にも、深田恭子さん、宮崎美子さん、北村総一郎さん、といった、実在の俳優さん達、それに、筒井さんの奥さんまで出て来る、何とも、メタなキャスティング。 いや、このキャスティングというのは、小説の方の話ですけど。

  「メタ」がテーマと考えれば、分かり易い話ですけど、面白いという感じは、あまりしません。 「メタ」なのか、「何でもアリ」なのか、区別がつかなくなってしまう読者も多いと思います。 そして、大抵の芸術は、「何でもアリ」になってしまうと、通人にしか分からないものになってしまうのです。 現代美術、然り、現代音楽、然り。 「小説も、とっくにそうなっている」と言う人もいると思いますが。


【つばくろ会からまいりました】
  入院した妻が死にかけている、木工作家の家へ、若い家政婦がやって来て、すぐに馴染むが、ある晩、遅くなったという事で、家に泊まらせたところ、翌日から来なくなってしまい、素性を調べてみたら、あっと驚く相手だったという話。 アイデアとしては、≪大人になれない≫に似ています。 こちらの方が、ずっと、シンプルですけど。

  これを読んでいて思ったんですが、筒井さんは、奥さんに先立たれる事を、大変、恐れているのではないでしょうかね? 一人にされるくらいなら、自分の方が、先に死にたいと思っているのでは? 私のような生涯独身者の立場から見ると、世の中は、同じ屋根の下の敵同士とか、寄生虫と宿主みたいな関係の夫婦ばかりに見えますが、中には、相思相愛の御夫婦もいるんですなあ。 羨ましい事です。


【横領】
  会社物。 だけど、舞台は、高級レストランです。 横領をした上司の腰巾着だった男が、警察が来たのを見て、上司の女と一緒に、逃げ出す話。 何か、テーマがあるというより、サスペンスを盛り上げる技法を短編で試してみた、という感じ。 まず、たまたま、同じレストランに来ていた、上司のライバルの尻に火が点き、それが飛び火する形で、上司がオロオロし始め、不安が絶頂に盛り上がった所で、部下と女が逃げてしまうという、さりげないながらも、凄じい展開を楽しめます。


【コント二題】
  これは、ごく、短いもの。 ≪絵の教室≫と、≪知床岬≫という題が付いていますが、どちらも、単純に笑いを追及したというより、政治意識絡みの、ちと、剣呑な話です。 ただし、あまりにも短いせいで、深読みをするほど、剣呑なわけでもありません。


【附・高清子とその時代】
  エノケン一座にいた、高清子(こう きよこ)という女優さんについて、出演映画のビデオやDVDを蒐集し、その内容を書き出し、簡略な伝記を添えたもの。 ≪ベティ・ブープ伝≫の、実在人物版だと思えば、宜しい。 この本の中では、この文章が一番長くて、50ページ近く取っています。 作品というより、映画雑誌の特集記事みたいな趣きです。 これは、あくまで、筒井さんの趣味であって、読者は、必ずしも、付き合わなくてもいいと思います。

  この高清子さんが、筒井さんの奥さんに似ているそうで、同じタイプの顔として、女優の五十嵐淳子さんの名前も出ています。 検索して、画像を見てみたんですが、静止画だけでは、共通点が分かりません。 ちなみに、この本の表紙に出ている写真の女性が、高清子さんのようです。 だけど、昔の女優さんですから、モノクロ映画にくっきり映るように、かなり濃い化粧をしていまして、「美人なのだろう」という以外、特徴が分かりません。


  私は、この本を読む直前には、≪ショートショートの広場≫を読んでいたのですが、長さ的には大差ないのに、質のあまりの違いに、愕然としてしまいました。 ≪ショートショートの広場≫の、最もレベルの高い作品群と比べても、圧倒的に、筒井さんの短編の方が、インパクトが強いです。 「素人 対 文豪」の勝負ですから、当たり前といえば当たり前なんですが、それにしても、同じ日本語で書かれた、同じくらいの長さの小説なのに、こんなにも差が出来るものなのか・・・。




≪創作の極意と掟≫

講談社 2014年
筒井康隆 著

  ≪着想の技術≫から、30年を経て書かれた、小説の書き方に関する本。 章の名前を挙げますと、

  凄味、色気、揺蕩、破綻、濫觴、表題、迫力、展開、会話、語尾、省略、遅延、実験、意識、異化、薬物、逸脱、品格、電話、羅列、形容、細部、薀蓄、連作、文体、人物、視点、妄想、諧謔、反復、幸福。

  と、なります。 全部、二文字熟語で揃えてありますが、そのせいか、「揺蕩」や、「濫觴」など、常識的な漢字知識では、意味が分からないものもあります。 揺蕩は、「迷い」、濫觴は、「出だし」とでもすれば、分かり易くなると思います。 ・・・でも、濫觴は、「出だし」の意味で使っていいのかなあ? 私が覚えた時には、「物事の始まり」という意味で取ったのですがね。 そして、用法の制限が厳しいせいで、知っているのに、使う機会がない熟語の筆頭になっています。 たとえば、「日本の小説は、竹取物語を濫觴とする」といった具合。 何だか、応用し難いでしょう? もっとも、誰も使わないのなら、使ってしまったもん勝ちか。

  他の章名は、説明不要だと思いますが、こういう風に、並べて見ると、「薬物」と、「電話」だけ、階層カテゴリーが違っているような気がせんでもなし。 「薬物」は、薬の力を借りて、創作意欲を高めたり、新たな着想を得たりする事について書かれていて、「ちょっとちょっと、そんなこと書いちゃって、大丈夫なんですか?」と、心配になる内容。 「電話」は、電話や携帯電話の使用が、小説の表現に与える影響について述べています。 しかし、それなら、「インター・ネット」なども、電話に匹敵する大きな影響を、小説に与え得るんじゃないですかね?

  他は、まあ、章名そのまんまの内容ですかねえ。 過去の文学作品を、頻繁に例に挙げている点、些か、とっつき難いですが、そんなに、難しい事が書いてあるわけではないです。 ≪着想の技術≫に比べると、一段、先へ踏み込んだ事を扱っていますが、小説を書くに当たっての重要度からすると、「着想」より優先される要素はないと思われ、この本で取り上げられているのは、良く言えば、「着想を表現する上での、補足的技術」、悪く言えば、「枝葉末節」です。 着想が良くなければ、これらの補足技術があっても、いい小説にはなりませんし、着想が良ければ、表現技術が低くても、最低限、印象深い作品にはなります。

  ただし、筒井さん自身、そういう事は承知の上で、書いているものと思います。 一読者如きが、そんな事を指摘するのは、釈迦に説法ですな。 序言によると、対象にしているのは、これから、小説を書こうとしている人すべてで、プロの作家も含むとあります。 この部分は、非常に重要でして、逆に考えれば、この本に書いてある事に気づいていない人でも、すでに、プロの作家としてやっているという事になります。 となると、やはり、どうしても必要な技術というわけではないわけだ。

  小説を書いた経験がある人で、「小説の書き方」という類の本を手に取った事がある人は、たくさんいると思いますが、「これは、大いに参考になった」という本を挙げられる人は、ごくごく少数だと思います。 私も、遥か昔に、≪着想の技術≫を買って読みましたが、今では、内容を、ほとんど覚えていません。 着想の方法というのは、人から教えられるような事ではないのでしょう。

  その点、この本で紹介されている技術は、頭に入れておけば、確実に役に立つものがあると思います。 ただし、それは、着想のステージをクリアできた人に限ります。 そもそも、話を思いつかないのでは、表現技術など知っていても、活かしようがありません。 だからこそ、読ませたい対象に、プロの作家が加わっているわけですな。 正直なところ、「素人向けではない」と言いたい所を、そう言ってしまったら、一般人が買わないので、控えたのではないかと思われます。

  「凄味」から、「諧謔」までは、2013年の1月から10月にかけて、≪群像≫に掲載されたもの。 一方、「反復」は、2008年5月に、「幸福」は、2013年5月に、≪新潮≫に、掲載されたもので、この二章は、他の章とは、毛色が違います。 「幸福」は、作家の不幸と幸福について書いた、ごく短い随筆。 「反復」は、≪ダンシング・ヴァニティ≫で使われた、繰り返しの技法について、細かく解説したものです。

  つくづく、思うんですが、作品の解説を、作者自身が行なうのは、考えものですなあ。 より深い鑑賞ができるというより、意図を説明されると、却って、白けてしまう事が多いです。 映画やドラマのDVDに、副音声で、監督や出演者による、製作裏話が延々と入っていて、傑作を台なしにしている事がよくありますが、それと同じです。 表現したい事があったら、作品の中に、全て、盛り込むべきでしょう。

  何だか、ケチばかりつけているような感想になってしまいましたが、この本が、面白くないという事はないです。 特に、これから、小説を書こうという人は、教科書にして、ノートを取りながら読めば、マジで、大きな収穫があると思います。 「プロの作家というのは、こんなところまで気を配りながら、作品を書いているのだな」と、知るだけでも、読む価値があると言えるでしょう。

  それはさておき・・・、筒井さんは、これらの文章を書いた時、すでに、70代後半になっていたのですが、こんなに頭が切れる70代後半て、いるんですかね? 信じられないです。 若い頃から、頭をフルに使って仕事をして来た人は、早くボケると相場が決まっているのに、この方は、稀有な例外である様子。 脳年齢を測ったら、30代くらいなのではないでしょうか?



≪アホの壁≫

新潮新書 350
新潮社 2010年
筒井康隆 著

  書名を見ても分かる通り、同じ新潮新書で出た、養老孟司氏のベスト・セラー、≪バカの壁≫が元になって企画された本なわけですが、パロディーになっているのは、書名だけで、中身は、だいぶ、違います。 タイトルだけ、パロディーで、中身はまるで違うというのは、筒井さんの小説でも、よく使われる手法です。  最初、出版社の重役から、≪人間の器量≫という書名で書いて下さいと持ちかけられたのを断り、筒井さんの方から提案して、この書名と内容になったとの事。

  「筒井康隆著で、≪アホの壁≫というタイトルなら、絶対売れる」と、筒井さん自身が、確信していた模様。 なるほど、それは、素直に同意できる読みで、≪バカの壁≫ほどではないにせよ、こちらも、売れたでしょうな。 誰でも、手に取ってた見たくなる書名ですから。 ≪人間の器量≫では、筒井さんのファンしか買わんですけえのう。

  内容は、糞真面目というわけではないですが、割と真面目です。 だけど、筒井さんは、学者や研究者ではないので、独自の研究データを揃えているわけではなく、新書本としては、ちと、下手物。 しかし、昨今の新書本は、書き手の劣化が著しく、どこの誰だか分からない馬の骨まで、著者に名を連ねているので、それらに比べれば、遥かにまとも。 とはいえ、やはり、新書本は、学者に書いて欲しいという気もするのです。

  「バカの壁」というのは、「立場が違ったり、興味の対象が異なる人間には、どんなに説明しても、こちらの考え方や感じ方を伝えるのは、不可能だ」という意味で使われていましたが、「アホの壁」は、「人それぞれの中にある、良識とアホの間に立ちはだかる壁」の事で、その事例を挙げ、心理学的な分析を加えているのが、本書の中身です。 ちと、こじつけ、というか、確実に、こじつけだと思いますが、たぶん、確信犯的こじつけだと思われるので、そこは、軽くスルーするとして・・・。

  筒井さんの新潮文庫、≪暗黒世界のオデッセイ≫の中に、≪乱調人間大研究≫という、精神分析をテーマにした文章が収録されていますが、それと、似たようなスタイルで、「アホな行為」について、フロイトの学説に多く拠った分析が行なわれます。 フロイトに対する最近の評価が、厳しくなっている事は、承知しているようですが、筒井さんにとって、精神分析のファースト・インパクトになったフロイトの影響は、未だに大きいんですねえ。

  ちなみに、フロイトの本は、直截読むと、結構硬いのですが、筒井さんが一旦、咀嚼してくれると、非常に分かり易くなります。 「精神医学に興味があるけれど、学術書は、とっつき難くて・・・」という人には、入門書として、お薦めです。 もっとも、「知らない方が幸せ」という事も、多くある分野ですけど・・・。

  フロイト式分析も面白いですが、私が一番楽しんだのは、「第四章 人はなぜアホな計画を立てるか」です。 筒井さん自身の体験や、人から聞いた実話を元にしていると思うんですが、これが、滅法面白い。 とりわけ、「親戚友人を仲間にするアホ」なんて、実例を知らなきゃ、絶対書けないと思われ、「ああ、確かに、そういう会社ってあるなあ。 あの衆等、アホだったんだなあ。 わははは!」と、何度も何度も、頷かされます。

  実例というのは、自分の体験でも、人から聞いた話でも、ある程度、歳を取らないと、頭の中に溜まって来ないので、若い人間では、こういう本は、まず、書けません。 その点、≪乱調人間大研究≫と比べても、こちらの方が、更に面白くなっています。 私が、筒井さんの本を、安心して読めるのは、興味が共通している分野に於いて、私が知っている事を、筒井さんが知らないという事が、ほとんどない点が、大きいです。 若い作家の本を読んでいて、よくぶつかる、「あれ? この人、こんな事も知らないで、書いているのか?」という落胆を味わわなくて済むんですな。 年上で、現役の作家は、貴重だわ。 どんどん、少なくなる。


  この本、図書館で借りた物ではなく、文庫買い漁り計画を進めていた2013年10月に、ブックオフ・オンラインで、手に入れました。 当時すでに、105円で、最低価格クラスでしたが、これは、多く出回った証拠でしょう。 アマゾンのマーケット・プレイスでも、1円になっていて、送料込み、258円で、手に入ります。 新しいのを定価で買うと、700円前後。 読み易いので、2時間くらいで読み終えてしまう事を考えると、ちと高いですか。



  以上、今回は、3冊までにしておきます。 全部で、10冊なので、3・3・4で出す予定。  どうも、筒井さんの作品は、纏めて読むようになりがちです。 ≪繁栄の昭和≫と、≪創作の極意と掟≫を図書館で見つけて借りて来たのをきっかけに、1月いっぱい、読み直しも含めて、10冊立て続けに読んだわけですが、一冊読むと、「次も、次も」と、連鎖的に読む事になるのです。 で、相変わらず、「濫読」になるわけだ。