2015/05/17

バイクをいかにせん

  5月13日に、市役所から、バイクの税金の納付書が届き、まだ、午後3時前だったので、大急ぎで、最寄の銀行まで行って、2400円、納めて来ました。 6月5日までになら、コンビニでも納める事ができて、以前、一度、それをやっているんですが、銀行が開いているのなら、銀行の方が、確実なような感じがするのです。

  夜になって、バイク関連の書類を突っ込んである、大きな封筒を取り出し、中身を整理しました。 ちなみに、この封筒は、バイクの中型免許を取りに行った教習所で貰ったものです。 1993年の夏から秋にかけての事ですから、もう、22年近い、昔の事になります。 封筒に、元々、何が入っていたのかは、もはや分かりません。 ただ、そのまま、書類を保管している引き出しに入れて、バイク関連の書類を、テキトーに突っ込んで来たのです。 使い古され、上の方が破れていますが、22年も経つのですから、そのくらいの損傷は、当然ですな。

  この封筒の中身は、何年か前に、一度、整理しています。 任意保険の証書類で満杯になってしまい、それら、嵩張る物を纏めて、別にしたのです。 その時に、他の書類も、大雑把に整理したようで、輪ゴムをかけてありました。 日記を調べてみたら、2008年の9月に整理していました。 つまり、その後の7年分が、テキトーに突っ込んであったわけですが、2010年からは、証書がない、ネット保険に切り換えているので、年に二回、ハガキが来るだけになっており、さほどの量にはなっていませんでした。

  税金納付書の封筒は、中免の教習中に買った、原付バイクの物から、残っていました。 買ったのは、1993年の9月で、税金納付書が来るのは、翌年の5月ですから、94年(平成6年)の発行になっています。 50ccなので、1000円。 同年の9月には、225ccに買い替えて、翌95年からは、2400円になり、以降、変わっていません。

  ちなみに、私の場合、任意保険は、人身傷害補償を外しているので、8900円。 自賠責は、5612円。 車検はなし。 つまり、ガソリン代を除く、一年間の維持費は、16912円になります。 それで、高速道路にも乗れるのですから、126cc~250ccのバイクというのが、いかに、お得なカテゴリーかが分ろうというもの。 251cc以上だったら、車検があるので、年間、5万以下では、とても、収まらないでしょう。


  ところが、この維持費の安さが徒になって、目下 私の頭を悩ませているのです。 私は、そもそも、通勤目的で、バイクに乗り始めた人間なので、退職して、通勤する必要がなくなった以上、バイクを維持している理由がありません。 ちなみに、私がバイクに乗る事になった経緯については、2012年11月の記事に、≪行き詰まり打開策・バイク編≫という文章がありますから、それを読んでみて下さい。

  去年の、6月23・24日に、岩手から沼津まで、630キロを、必死の思いで帰って来て、7月11日に、最終的な退職手続きの為に、裾野市にある元勤め先まで往復した後、バイクの本来の役割は終了していたのですが、すぐに手放す気にはならず、7月16日には、任意保険の更新をして、一年、延命しました。 去年の夏は、まだ、文庫本蒐集の為に、伊豆の国市や、富士市、富士宮市など、自転車ではとても行けない、遠くのブックオフへ出かけていたので、バイクの出番があったのです。

  冬の間も、バッテリーを維持する為に、十日に一度くらいのペースで、火を入れ、短距離を乗っていました。 しかし、この一冬で、バイクを維持する為だけに、バイクに乗り続けるのが、いかに厳しい事であるかを痛感します。 去年までは、仕事の通勤に使っていたからこそ、真冬でも、乗っていられたわけですな。

  ガソリンは、去年、こちらに帰って来て以降、7月6日、9月26日、11月7日、明けて、3月22日に入れています。 全て、一回の給油は、1000円分。 ほとんどが、セルフのスタンドです。 その時のガソリン価格によって、入れられる量が変わるわけですが、平均して、200キロくらい、走れます。 真冬の給油間隔が開いているのは、寒くて、ごく近場にしか行かなかったから。 体は正直ですな。

  ガソリン代も、車に比べれば、全く、大した金額ではないのですが、私の場合、通勤に使っていた間は、会社から支給される交通費で、ほぼ全て、間に合っていたので、退職して、全額自腹になると、この程度でも、結構、きついと感じられます。 特に、冬の間は、バイクを維持する為だけに、ガソリン代を払う事になるのが、なにやら、馬鹿馬鹿しい。 夏場でも、遠出をしないのなら、自転車で用は足りるのであって、バイクを持っている理由がありません。 そして、遠出すると、ガソリン代が痛いわけだ。 ジレンマだな。

  去年、任意保険を更新した時には、「とりあえず、あと一年、様子を見て、維持し続けるかどうか決めよう」と思っていたのですが、冬の間、あまりにも、乗らなかったせいで、バイクから、だいぶ、気持ちが離れてしまいました。 4月になって、バイクに乗るには、いい季節になった途端、腰痛で、一ヵ月近く、不自由を託つ事になってしまったのも、そんな気分を助長しました。 積極的に乗りたいと思わなくなってしまったのです。

  元々、バイクが好きで乗り始めたわけではなく、通勤はやむを得ないとしても、ツーリングは、連休のイベントとして行っていただけで、出かける前に、ワクワクした事など、一度もありませんでした。 特に、本州・九州・四国の海岸線を、ほぼ制覇してからは、「国内なんて、どこへ行っても、同じ」と悟ってしまい、ツーリングへの興味が、著しく減退しました。

  私に言わせると、「何度も、日本一周している」とか自慢している人の、気が知れないです。 同じ所へ何度も行って、面白いですかね? 数十年ぶりに行くというのなら、自分が、そこの事を、どれだけ覚えているかに興味が湧きますし、記憶と重なる所があれば、ノスタルジーを感じるでしょうが、そういう場合、最低でも、10年くらいは、間を置きたいもの。 一生に一度しか行かない所があっても、何ら、問題はないと思います。 旅行雑誌のレポーターじゃないんだから、遠くへ旅に行く時には、「一生に一度」と、覚悟して行くべきでしょう。

  そもそも、あらゆる人間が、あらゆる場所に、何度も行けるわけではないのです。 旅の話をしていて、一番、癇に触るのが、「ああ、あそこね。 行った行った、何回も行ってる」と、優越感丸出しで語る奴で、もう、その時点で、こちらは、一言も喋れなくなってしまいます。 何か喋ろうとすると、「知ってる」と言って、遮るのですから、文字通り、話にならぬ。 会話しようなどという気は、さらさらなくて、自分の方が、旅の経験値が高い事を、他人に認めさせたいだけなんですよ。 どーしょもねーな。 いや、実際、そういう奴がいたわけですがね。

  そういや、沖縄旅行に行った時に、本島で乗せてもらった貸切タクシーの運転手さんが言っていました。 案内する時に、一番困るお客は、何人かで来ている中で、一人が、前に沖縄に来た事があるというケースで、どこへ連れて行こうとしても、「あ、そこは前に行ったから、他の所にして下さい」と言うのだそうです。 他の人達は、初めてなんだから、そちらに合わせればいいのに、自分一人が、旅慣れしている優越感に浸りたいばかりに、全員に迷惑をかけるんですな。 そんなに、穴場に行きたけりゃ、一人で来ればいいんですよ。


  話が逸れましたが、つまり、私の場合、もう、バイクで行きたい所が、これと言って、ないのです。 在職中、連休のツーリングを続けていたのは、会社に、何人か、バイク好きの知り合いがいて、私が、ずっと、バイク通勤しているものだから、私もバイク好きだと思われていて、そういう人達との話題の種にする為に、行きたくなくても行っていたという事情があったのです。 半分は、会社での良好な人間関係の維持が、目的だったんですな。

  もはや、その必要はなくなったわけで、たとえ、どこかへツーリングに行ったとしても、私の土産話を聞いてくれる人は、誰もいません。 家族も駄目。 両親共に、年老いて、もはや、息子がどこへ旅に行こうが、何の興味もない有様。 ちなみに、私の母は、60歳くらいまでは、旅好きだったのですが、今は、沼津市内から出る事が、滅多になくなりました。 上述したように、旅好きの経歴を持つ人間は、自分の旅は自慢しても、人の話は、およそ、聞こうとしないのですが、私の母も、その同類なのです。 困ったもんだ。


  また、健康上の不安もあります。 去年の夏の、沖縄・北海道旅行のように、公共交通機関を利用するのなら、そんな心配はしないのですが、バイクを運転するとなると、「体がもたない」という事が、重大な問題になって来ます。 下手すりゃ、死ぬからです。 特に、私のように、腰に爆弾を抱えている場合、行った先で、腰痛が始まったりしたら、えらい事になります。 1999年に行った、四国ツーリングの時、帰りに、腰が痛くなり始め、ヒーヒー言いながら、命からがら帰って来ましたが、それで大いに懲りて、以後、13年間も、泊りのツーリングには、出かけなかったくらいです。

  その時は、まだ、35歳だったわけですが、今では、50代ですから、体全体に、ガタが来ているのであって、今後も、健康条件は悪くなる一方です。 腰だけでなく、心臓にも爆弾が仕掛けられており、突然死の危険性を仄めかされているのも、怖い。 まあ、運転中は、心臓に負担がかかるような事はないのですが。

  目や、反射神経、脳の判断力などの衰えも、無視できません。 40代半ば頃から、横から来る車に気づくのが遅れるようになりましたが、自分では気づかない内に、視野が狭くなっているのかも知れません。 左右への注意力が落ちると、信号のない交差点が危ないです。 これは、私だけでなく、同年代のほとんどの人が、怖い思いをした事があるようですが、他の人も同じだからと言って、安全になるわけではありません。

  ちょっと前ですが、新聞の投書欄を読んでいたら、バイクに乗っていた夫が、認知不全の高齢ドライバーの車に追突され、完治しないまま他界してしまったという文章が載っていて、ぞーっと寒気がしました。 その夫は、大型二輪の免許を取り、定年後、ツーリングを楽しむつもりでいた矢先に、そういう目に遭ったのだとか。 他人事とは思えませんな。 私の場合、大型二輪ではないですが、貰い事故では、こちらの排気量は関係ないです。 相手の高齢者は、ボケボケで、自分が何をしたのかも分かっていない様子だったらしいですが、そんなのに殺されたんじゃ、金輪際、浮かばれませんわなあ。

  まあ、貰い事故なら、自転車に乗っていても、起こり得るわけですが、バイクが、自転車より、自責・他責、いろんな局面で、事故に遭い易い乗り物である事は、否定できません。 行きたい所もないのに、そんな危険を冒してまで、ツーリングに行こうというのは、とても、理性的判断とは思えないではありませんか。 どーしたもんでしょう? バイクを持ち続ける事に、意味があるんでしょうか。


  一方、処分をためらう理由もあるのです。 それは、自賠責保険の期間が、2018年の9月まで、残っているのです。 2013年9月に更新した時、少しでも、割安にしようと思って、最長の5年分を選んだのですが、その時点では、まさか、翌年に退職する事になるとは、想像もしていなかったのです。 岩手異動どころか、まだ、北海道応援の話も出ていなかった段階で、ある意味、私が、最もお気楽に、会社勤めをしていた頃でしたから。

  126㏄~250ccの場合、自賠責は、1年で、9510円なのが、5年だと、28060円になり、年当り、5612円ですから、非常識なほどに、安くなるのが分ります。 これを知ったら、ケチでなくても、1年契約なんぞ、とても、選べますまい。 で、5年にしたんですな。 ところが、それから一年もしない内に、退職してしまったものだから、自賠責だけ、4年分も先払いしてしまった事になり、大いに弱ったわけです。 任意保険が切れる今年の9月時点でも、まだ、3年分残っていて、もし、そこで、バイクを処分するとなったら、16836円を捨てる事になります。

  ところが、自賠責が切れるまで乗り続けるためには、任意保険と税金を、3年分で、33900円、払わなければならないわけで、自賠責を捨てた場合より、2倍以上、高くつきます。 これは、損になるのか、得になるのか、どっちなんでしょう? もう、ツーリングに行かないというのなら、今年の9月で、バイクを処分してしまった方が、絶対、得ですな。 それは、もちろん、分かっています。 だけど、行くか行かないか、まだ断定できないというのが、現在の状況なのです。


  ここでまた、考えるのは、人生観の事です。 果たして、「旅に興味がなくなったから」、「危険があるから」という理由だけで、遠くへ行く為の足を手放してしまっていいものかどうか。 それは、あまりにも、臆病過ぎるのではないかと思うのです。 もう、引退しているわけですから、前向きでガンガン行くなんてのは、論外ですが、自分から行動に制約をかけてしまうのは、いかがなものかと・・・。 ちょっと、無理をしてでも、出かけるようにしていた方が、精神面での健康の維持に寄与するかも知れません。

  ケチな私の事ですから、電車やバスで、旅に出る事など考えられず、バイクを手放したが最後、自転車で行ける半径から、一歩も外へ出られなくなるのは、確実なところ。 それはそれで、閉塞感があるじゃありませんか。 バイクを、乗れる限り維持するとしたら、ガソリン代も含めた維持費は、年間、25000~30000円程度になると思うのですが、毎月、家に入れている生活費と比べたら、一ヵ月分にもならない金額です。

  「3万円あれば、他に欲しい物が買える」というなら、話は別ですが、今の私には、そんな物はありません。 テレビ放送される映画を見て、図書館で借りた本を読んでいれば、事足りてしまうからです。 そうなると、「他にお金の使い道なんかないんだから、バイクくらい、残しておいても、いいんじゃないの?」と思えて来るのです。 10年で、30万円、20年で、60万円。 さすがに、それ以上の年齢まで、乗る事はないでしょう。 というか、それまで、生きないような気がします。


  いや~、バイクを処分すると、断捨離的には、波及効果が大きいんですがねえ。 バイクそのものがなくなれば、玄関ポーチが広々と空きますし、ヘルメットも、新旧5個あるのが、全部捨てられますから、机の本棚の上や、押入れの中がすっきりします。 あと、通勤していた頃に使っていて、退職後、全く使わなくなったのが、合羽や長靴といった雨具でして、引退後は、雨の日に乗ったりしませんから、完全に用なしになってしまいました。 いつかは捨てなければなりませんが、バイク本体があると、なかなか、踏ん切りがつかないのです。

  他にも、バイク用の上着や、グローブ、ブーツ、取り外してあるパーツ、整備用品などを処分すれば、あちこち、随分と、ゆとりが出来ます。 だけど、そんな事を考えていると、「これも、自分の歴史なのだなあ」と、しばしの感慨に捉われるのです。 私は、30歳近くになってから、バイクを始めたから、ついこないだのようなつもりでいたんですが、もう、20年以上、経っているんですねえ。 そりゃあ、用品も書類も溜まろうってもんだわさ。


  とりあえず、7月の半ば頃に、任意保険の更新通知が来ると思うので、それまでには、どうするか決めようと思っています。 どちらを選んだとしても、もはや、後悔するような年齢ではないのが、せめてもの救いでしょうか。 ちなみに、バイクそのものは、微量のオイル漏れがある以外は、問題なく使える状態です。 2012年の8月に、アマゾンで、1330円で買ったバッテリーが、未だに、ピンピンしているのは、嬉しい限り。 2011年の12月に自分で交換したタイヤは、前後とも、ほとんど、山が減っていません。 オン・ロード用が、こんなに長もちするとは、知りませんでした。