2015/06/14

恐怖の視聴者

  日記を出しているブログの方へ書いた文章で、少し、纏まった量になったものがあるので、こちらへ転載します。





≪2015年2月12日(木)≫

【所さんの世田谷ベース】
  ここ、10回くらい、見ています。 所さんが、自分の趣味を、そのまんま、見せている番組。 もう、かなり長く続いていますが、ネタ切れを起こさず、いつ見ても、「最近、始まったのかな」と思わせる新鮮さがあるのは、見事と言うか、不思議と言うか・・・。この番組のいいところは、視聴率を取ってやろうとかいう、あざとさがない事ですな。 ネタを揃える為に、結構、神経を使っていると思うんですが、それを視聴者に気取らせない、「ゆとり」が感じられるのです。

  趣味の方向が重なっている方面、つまり、バイクとか、車とか、機械いじり系の話の時は、私も、少しは分かります。 戦車も分かる。 シャーマンが好きというのは、アメ車好きと重なるんですかね? KV1もいいと言ってましたが、何となく、好みの傾向が分かりますな。 モデル・ガンは、全く分からないわけではないですが、ちょっと遠いかなあという感じ。 歌は、残念ながら、分かりません。 だけど、所さんは、本業、シンガー・ソング・ライターで、ずっと、曲を出し続けているわけですから、ファンもいて、ちゃんと、ペイしてるんでしょうなあ。

  ここから、ちょっと、穿った見方になりますが・・・。 所さん本人は、仕事も趣味も、これ以上ないくらいに満喫して、誰が見ても、幸福な人生を送っているように見えますが、その周囲に集まっている人達は、どうなんでしょうね? この番組には、視聴者から、いろいろな物が送られて来て、それを紹介するのが、不定期の一コーナーになっているのですが、所さんを楽しませようと、異様なほどに凝った物を作って来る人が多い。

  そういう人達は、全身全霊を注いで、それを作っているに違いないのですが、もし、何年も、そんな生活を続けていると言うのなら、少し冷静になって、自分の人生について、考え直した方がいいと思います。 それでは、あなた方の人生は、所さんの人生のオマケみたいではないですか。 いや、番組のオマケと言うべきでしょうか。

  確かに、夢中でやった事は、後々、いい思い出になるかも知れませんが、番組は、いつかは終るわけで、その後の虚しさも大きいと思いますよ。 見ていて、こんな風に感じてしまうというのは、つまり、明らかに、度を越している場合があるからです。 作るのに、何万円もかけて、送るのに、何千円も使って、ものの数分、紹介されて終りでは、費用・手間対効果が、あまりにも低い。 あくまで、洒落の範囲で収まるものでないと、その人の生活が心配になってしまうのです。

  所さんは、趣味に大金を投じられるだけ、稼いでいるから、問題ないですが、物を送って来るのは、一般人でしょう? 中には、凝った物を作るために、有り金全部、使ってしまっている人もいるんじゃないでしょうか? 物を送らない人でも、所さんの趣味を羨んで、真似をするような事は、やめた方がいいです。 あんな、博物館が作れるほどの趣味なんて、一般人の収入で、真似られるわけがない。 先に待っているのは、惨めな破産です。

「どうして、破産したの?」
「いや、世田谷ベースみたいな事したくて・・・」

  洒落にならん。

  視聴者サイドが、この番組を楽しむ為に必要な感覚は、「洒落」だと思うのですよ。 所さんが、趣味に、「拘り」を持っているからと言って、視聴者の方まで、拘ってしまっては、作る側と見る側の、垣根を越えてしまう事になります。 昔、ラジオの深夜放送を聴いていた頃、ハガキ投稿で、その垣根を越えたがるリスナーが、うじゃうじゃいましたが、そういう人達の事を、今思い返すと、人間として、まるで、評価できません。 当人達も、いい思い出になっている人より、若気の至りで、恥ずかしいと思っている人の方が、多いんじゃないでしょうか。




≪2015年6月4日(木)≫

【所さんの世田谷ベース #199】
  今年の2月12日の記事で、≪所さんの世田谷ベース≫について取り上げ、「物を送って来る視聴者の中に、度を越して、凝った物を作る人がいて、手間的・資金的に、洒落にならないだろう」という事を書いたんですが、今週の世田谷ベースを見たら、またまた、そういう、凝りまくりの視聴者の作品が紹介されていました。

  見ていて、「おや!」と思ったのは、所さんが、それらの作品を、さんざん、誉めちぎった後で、

「いやあ、もう、ほんとにこういうの、参考になります。 ありがとうございます。 なんかこう、送ってもらった品物もありがたいんだけど、こう、なんつーんだろね。 考え方とかさ、手間とかさ・・、あのう、それが世田谷ベースの方向を向いちゃってる悲しさとかさ、そういうのを感じますよ。 特に雨だと・・・、ええ」

  と、何か、お礼とは違う事を言いたそうな様子を見せたと思ったら、少し改まった顔になり、

「もうちょっと、自分を見つめ直して、地に足をしっかりと着けて、自分を見直して、あの・・、間違った道だったら、戻りましょう、みんな」

  と、付け加えて、コーナーを締め括っていた事です。 私が見た回の中では、所さんが、直截、こういう忠告を口にしたのは初めてですが、今までにも、「さすがに、ここまで凝った作品を送って来なくてもいいのになあ」と言いたげな様子は、ちょこちょこ見せていたので、やっぱり、所さん本人も、こういう視聴者の事を、心配していたんだと思います。

  だって、ほんとに、破産でもされたら、洒落にならないものねえ。 「何もかも失ってしまいました」なんてハガキが送られて来た日には、所さんや番組に責任はないにしても、寝覚めが悪くて仕方ないでしょう。 その人の人生全体を狂わせてしまう可能性もあります。 贈り物作りに没頭して、家庭を顧みず、別居だ、離婚だ、子供がグレただ、なんて事になったら、どうすりゃいいのよ? ホームレス姿で、世田谷ベースに訪ねて来られたりしたら、お茶の一杯で追い返すわけにも行きますまい。


  番組側としては、このコーナー、結構、時間を潰せて、ありがたいと思っていると思うのですが、「洒落というものは、程度の問題なのだ」という事が分からない人達に喰いつかれてしまうと、どうしていいか、困ってしまうと思うのですよ。 作品の出来が良ければ、誉めるのは、素直な反応ですが、誉めれば誉めるほど、より、お金と手間がかかった物を作って来るので、エスカレートする一方です。 さりとて、やめさせる為に、紹介を控えたりしたら、その人が投じた、お金と手間を無駄にしてしまう事になり、それも、心情的に、できかねる。

  結局のところ、穏便に済ませる為には、その人達が、飽きるか、疲れるかして、自発的にやめるのを待つしかないという事になります。 だけど、番組内での紹介が続いてる限り、自分からやめようとはしないかもしれませんねえ。 自分は期待されていると思って、その期待に応え続けようとするでしょう。

  テレビやラジオの番組に参加したがる一般人というのは、全く、野心がないというのは稀で、心のどこかに、「いつか、認めてもらって、有名になれるかもしれない」という願望があると思うのです。 番組側は、その気になれば、その夢を叶えてやれるのかもしれませんが、そういう事をし始めたら、一人では済みますまい。 「俺も!俺も!」と、押し寄せて来るのは、火を見るよりも明らかです。 それはそれで、洒落にならない。

  マジな話、あまりにも、お金や手間がかかった物を作って来る人に対しては、番組の方から接触して、経済状況や、仕事の様子などを、確認しておいた方がいいと思います。 もう、やっているのかも知れませんが、電話やメールだと、「いやあ、大丈夫ですよ」で、ごまかしてしまう人もいると思いますから、家まで訪ねて行くくらいでないと、本当のところは分かりますまい。 ボロボロのアパートの一室に籠って、せっせと、凝った物を作っていたりしたら、羽交い絞めにしてでも、やめさせなければ・・・。


  あと、これは、番組的に、結構、重要な事ではないかと思うのですが・・・。 送ってもらっている本人である所さんは、「なんだか、申し訳ない」と思いながらも、そこそこ楽しんでいると思うのですが、番組を見ているだけの視聴者は、凝った贈り物を見ても、全然、面白くないのです。 正直言って、全く、笑えないんですわ。 「やり過ぎなんじゃないの?」と思うだけ。 録画で見ている時には、その部分だけ、早送りしてしまうくらいです。

  所さん本人が凝った物を作るのは、凄いと思うし、面白いし、笑えるのですが、それを一般人がやると、視聴者は、別に、その人に興味があるわけではないので、凝っていれば凝っているほど、白けてしまうんですな。 その点、「変なオモチャを見つけました」と、安い品を買って、送って来る人の方が、気楽に笑えるので、ずっと洒落た印象があります。

  所さんだけを喜ばせようとせずに、何か送りたいのなら、他の視聴者も、一緒に笑える物を送ったら、いいんじゃないですかね? その辺を基準にすれば、凝った物を作る方向へ流れてしまうのを、防げるんじゃないかと思います。 「下心などない。 純粋に、所さんに贈り物をしたいのだ」と言うのなら、「番組では紹介しないで下さい」と一筆添えては、如何か? いやあ、それも、変な話ですよねえ。 番組が介在していなければ、視聴者と所さんは、赤の他人に過ぎないのですから。




  以上、二本です。 二本とも、木曜日の日付になっているのは、≪世田谷ベース≫の放送が、火曜日の夜11時からなので、水曜日に感想を書き、木曜日にアップするという、同じパターンになったから。 さすがに、これだけで終わりと言うのも、素っ気ないから、少し、補足しておきましょうか。

  読み返してみると、言わんとしている事は同じで、典型的な焼き直し文ですな。 二本とも、すでに、結論をつけてあるので、この上更に、同じような事を、繰り返しはしません。 こんな文章を目にする事があったとしても、所さんが番組内で、やんわり注意しても、結局、凝った物を作って送って来る人達は、やめようとはしないでしょう。 当人達も言っているように、それが、生き甲斐になっているらしいですから。



  その後、≪世田谷ベース≫だけでなく、≪SNAKE MOTORS≫も三本見たのですが、凝った物を送って来る人とは別に、お金的に、もっと、まずい状況になっている人達がいるのではないかと思うようになりました。 所さんは、車の改造も大好きで、古いアメ車などを買って来て、エンジンから、足回りから、内装まで、総取っ換えして、自分好みの車を作ってしまうのですが、もしや、それを真似ている視聴者が存在するのではないかという、恐ろしい疑惑が湧き起こって来たのです。

  いいや、これだけ、知名度の高い番組なのですから、そういう視聴者が、いないわけがないです。 ゲストが毎回変わる、≪おぎやはぎの愛車遍歴≫ですら、視聴者に、「旧車が欲しいなあ」と思わせる力が、充分にありますが、≪世田谷ベース≫の場合、所さんの比類ないカリスマ性が加わるので、影響力の強さは、遥かに上を行くでしょう。 所さんや、≪世田谷ベース≫に近づきたいばかりに、特段、興味もないのに、古いアメ車を買って、結果的に、えらい目に遭っている人が、結構な数に上るのではありますまいか?

  アメ車に限らず、古い車は、みんな、そうですが、まず、まともに走りません。 三日使うと、どこか壊れて、三ヵ月、修理工場入りなんてのが、ごく普通のパターンです。 実用品として使うのは、ナンセンスと考えておいた方がいいですな。 時間の点もさる事ながら、ただで修理はしてくれないわけで、お金の出て行くペースが、新車とは比較になりません。 交換部品がなくて、代用品を手作りしなければならないなんてケースもあり、一回の修理にかかる金額が、何十万円の桁になる事も、珍しくないと思います。

  旧車のレストアや、大幅な改造というのは、裕福な人間だけに許された趣味であって、一般人が真似できる事じゃないんですよ。 所さんに影響された視聴者の場合、「とにかく、古いアメ車を手に入れなければ、始まらない」という一心で、状態も分からないような物を買ってしまうと思うのですが、走れるようにしてもらおうと、修理工場へ持って行くと、「この車に、お金をかけるのは、やめた方がいい」と、ニコリともせずに、言い渡されてしまうと思います。 工場側は、車の状態と同時に、お客の経済状態も見ていて、代金を払えそうにない相手には、愛想笑い一つ見せないものです。

  お金の取りっぱぐれが起こりえない、上得意の所さんだから、元がガラクタ同然でも、走れるところまで、直してくれるし、スカイラインに、クラウンのエンジンを載せるような、無理無理な注文でも聞いてくれるのです。 貯金を全部はたいて、それでも足りずに、消費者金融で借りて来ているようなお客に、同じ態度で接するわけがないでしょうが。 そんなのを相手にしていたら、取引上、危なっかしいだけでなく、お客の為にもなりません。 車を弄りたがる人間は、決まって、一回の改造では済みませんし、一台でも済みませんから、結局、先に待っているのは、破産という事になるからです。

  ≪世田谷ベース≫では、「自慢のアメ車や、古い日本車を、所さんに見てもらいたい人は、集まって」という企画もやっていますが、それは別に、一般視聴者を相手に、「買って、持って来い」と言っているのではなく、元々、アメ車趣味や旧車趣味がある人に、同好会的なノリで、声をかけているのだと考えるべきでしょう。 だけど、番組に嵌まってしまって、その辺の判断ができなくなっている視聴者は、たくさん、いそうですなあ。 剣呑剣呑・・・。 日本車の旧車なら、動きさえすれば、まだ、使いようがありますが、アメ車はねえ・・・。

  今じゃ、ネットで簡単に情報が手に入るから、古いアメ車について調べれば、一週間くらい根を詰めるだけでも、そこそこ、いっぱしの趣味人に見えるくらいの知識が頭に入ります。 また、ネットでも、中古車が買えますから、あとは、お金の問題だけという事になります。 「車さえ手に入れば、所さん本人に会えるぞ」と思うと、それは、やはり、買ってしまうでしょう。 で、現物が来た後で、あまりの厄介さに頭を抱えてしまうわけだ。

  アメ車は、大きいですから、月極駐車場になんか、置けないですよ。 無理に置いても、隣の車との間が狭くなり過ぎて、ドアが開かないです。 当然、隣の車のドアも開きませんから、迷惑千万。 その事を知っている駐車場経営者なら、アメ車と知った時点で断ると思いますし、知らなかった経営者でも、隣の車の持ち主から苦情が来て、「悪いけど、契約解消して」と言って来ると思います。

  資産家とか、素封家とか、創業社長とか、農家とか、芸能人とか、裕福で、家の敷地にゆとりがある人でないと、所有すらできんのですわ。 「アメ車なら、ボロボロでもいい。 むしろ、ボロボロの方が、カッコいい」とかいう、感覚的なノリだけで、買えるような代物ではないのです。 日常的な足に使うつもりでいるのなら、思い違いも、そこに極まる。 ほとんどの店で、駐車場に停められないですぜ。 その点は、所さんが番組で乗っている様子を見ても、走るだけで帰って来るか、停められる店にしか行かないから、分かると思います。

  アメ車を楽しむには、まず、駐車場の確保からしなければならないわけで、「借金すれば、どうにかなる」なんてレベルの経済状態の人達は、全員、不適格と断言して良いと思います。 そういう人達は、気分が悪いと思いますが、しょうがないんですよ。 人間社会というのは、そういう仕組みなんだから。 アメリカとカナダを除き、一般人に、古いアメ車趣味を許してくれるような社会は、世界中探してもないでしょう。 キューバですら、個人で趣味として持っている人は少ないのでは?

  ≪世田谷ベース≫は、趣味の番組ですから、同じ趣味を持った視聴者にサービスするのは、別におかしな事ではないですし、「こういう趣味があるんだよ」と、視聴者に知らせて、同好の士を増やすのも、問題ないと思います。 だけど、お金がない人にまで、真似ろとは言っていないので、視聴者側で、それを斟酌しなければなりません。 ≪なんでも鑑定団≫あたりを見ていれば、自分の経済状態に不釣合いな趣味を持ってしまった人が、悲惨な末路へ追い込まれて行くのは、大変、良くある事であり、厳に警戒しなければならない事だと分かると思います。


  車の趣味は、ほんと、危ないんですよ。 事故とか違反とかを別にして、お金の事だけで見ても、若い頃から車が趣味で、2年とおかず、乗り換えて、定年過ぎたら、貯金がゼロで、ローンが、ン百万なんて、傍から見ると、愚かとしか思えない人が、世の中に、どれだけいる事か。 しまいにゃ、住む所がなくなって、ソアラの車中で、内縁の妻と一緒に死んでたなんて事件も、昔ありましたな。 悲惨ではあるけれど、自業自得なので、気の毒とは思いません。

  他の趣味とは、出て行く金額の桁が違うのです。 手取り年収が、400万円以下の人では、可処分所得を、年200万円確保したとしても、車の趣味だけで、ほとんど、出て行ってしまうでしょう。 バブルの頃は、乗っている車で男を選ぶという、馬鹿女が頻出しましたが、結婚した後で、それだけの稼ぎもないのに、車をしょっちゅう買い換える亭主に、思う様、戦慄させられた事でしょう。 老後を、どうするつもりだったのか、改めて、膝詰めで詰問してみたらどうですかね? たぶん、何も考えていなかったのだと思いますが。

  そういや、私がまだ、20代半ばの頃。 会社の先輩で、そんな人がいたなあ。 もう、40代後半くらいの人でした。 妻子持ちで、ずっと、戸建ての借家に住んでいるらしいのですが、その理由が、「車で不自由したくないから」だと言っていました。 その人に言わせると、「持ち家に住んでいるのは、家のローンで手一杯で、ろくな車が買えない、憐れな連中」なのだそうです。

  「なるほど、そういう考え方もあるのか」と、アハ体験をしたわけですが、共感は、全くできませんでした。 その人の年齢を考えると、今はもう、完全に退職していると思いますが、たぶん、高級車や、スポーツ・カーの乗り継ぎで、ローンこそあれ、貯金なんかなかったでしょうから、引退というわけにも行かず、年金受給まで、何かしら仕事をし続けているんじゃないでしょうか。


  話を戻します。 「それなら、番組で、そう注意しろ」と思うかもしれませんが、そこが、趣味の番組の難しいところでして、視聴者の、趣味への欲望を、ある程度、利用しないと、こういう番組自体が成り立たないんですな。 視聴者への影響が強過ぎれば、破産者を出すし、弱過ぎれば、番組が終わってしまうしで、ジレンマになっているのです。 たとえば、所さんが、「お金が、あまりない人は、ここから先は、真似しないように」と言ったら、それに該当する人は、除け者にされたような気分になって、白けてしまうでしょう? 番組そのものを見る事をやめてしまうかもしれません。 番組的に、それは、まずいと考えると思うんですわ。

  で、結局、視聴者側として、必要になって来るのは、「常識的判断力」という事になるのです。 何も、古いアメ車を買わなくたって、公式グッズの購入くらいでも、充分、番組に近づけると思いますよ。 それ以上を望んでも、作る側と見る側の境を越える事はできないのだから、詮ない事ではありませんか。 「こういう凄い趣味を楽しんでいる人がいるんだなあ」と、知らない世界を垣間見る事に楽しみを見出せばいいのです。 それこそが、「洒落」というもの。 とにかく、破産は、洒落にならんわ。