カタログ・ギフト
先日、父の高校時代の友人が亡くなり、父が、葬儀に行きました。 同級生ですから、うちの父も、同じ歳なわけで、すでに、80代半ば。 犬が歩けなくなって、散歩に連れて行かなくなって以降、ここ一年ばかりの間に、父も、めっきり力がなくなり、背中は曲がり、歩き方も、ぎこちなくなって、葬儀が行なわれる隣の市まで、辿り着けるのか、心配になるくらいでしたが、まあ、無事に帰って来ました。
訃報が入った時、電話を取ったのが私だったのですが、その後、父に、「バスの時間が分かるか?」と訊かれたので、ネットで、バスと電車の時間を調べ、メモに書いて渡しました。 私にできるのは、そんな事くらいですな。 私が車を持っていれば、送って行けばいいのですが、そういう用の為に、車を買うという発想はないです。 公共交通機関で出かけられないほど、衰えてしまったら、「参列できない」と言えばいいのであって、冠婚葬祭は、無理に出かけて行くようなものではありますまい。
今後、私が車を買う事があるとしても、それは、親が何かの病気になって、尚且つ、自力では行けない病院に、週一以上の頻度で通わなければならなくなった場合に限ります。 費用対効果が主たる理由ですが、別の理由もありまして、何でもかんでも、子供がやってやっていると、自分では何もしなくなり、衰えが加速してしまうので、それを避けたいのです。 たまに、バスや電車に乗るだけでも、心身ともに、緊張を要求されるわけで、それは、健康にいい影響を及ぼすと思うのです。
これは、親だけでなく、私自身にとっても言える事でして、バイクを手放すか否かで、悩んでいるのも、衰えるのが恐ろしいからです。 交通事故の恐怖と、精神的衰弱の恐怖、どちらが大きいのか、未だに見極められません。 月に一回くらい、ツーリングに出ていれば、準備でも、本番でも、だいぶ、緊張感を味わえるわけで、そういう機会を捨ててしまうのは、惜しいと思うんですな。
話を戻します。 葬儀の当日、父は、午前9時過ぎに出かけて行って、昼過ぎには帰って来ました。 早かったのは、葬儀だけにして、火葬場には行かなかったからだそうです。 「行っても、やる事はない」と言ってましたが、親戚ならともかく、友人ですから、そんなものなのでしょう。 参列者が少なくて、骨を拾う人数が足りないという場合でもない限り、残ってくれとは言われないわけだ。
その日の天気予報が、曇り時々雨で、「たぶん、父は、傘を持って行くだろう。 そして、かなりの確率で、傘を忘れて来るに違いない」と予測していたところ、本当に忘れて来ました。 判で押したようなパターンですな。 当然と言えば当然ですが、どこで忘れたのかも覚えておらず、「たぶん、バスの中だろう」と言っていました。 それでは、探しに行くのも、無駄なエネルギーになりそうです。
父が、香典のお返しに貰って来たのが、カタログ・ギフトだったのですが、それを知った父は、自分では、カタログのページを開こうともせずに、母と私に丸投げして、「これで、傘を貰えばいい」と言いました。 一つ欠けたら、一つ埋める。 一見、うまい考え方のように思えましたが、念の為、「香典に、いくら包んだんだ?」と、私が訊くと、「一万円」との答え。 冗談じゃない、一万円と引き換えに、傘なんて、割に合わないにも程があります。
お返しですから、一万円のカタログという事はありませんが、それでも、半額くらいはするでしょう。 ネットで調べてみたら、税抜きで、4100円のコースでした。 それにしても、4100円の傘なんて、結構な高級品になってしまいます。 しかも、忘れて来たのは、折り畳み傘だというじゃありませんか。 折り畳み傘に、高級も低級もありゃしません。
で、翌日、私は、100円ショップへ出かけて行きました。 まず、近所のセリアに行ったのですが、普通の傘はあったものの、折り畳みが見当たらず、店員さんに訊いたら、置いてないとの事。 以前は、あったような記憶があるので、たぶん、円安の影響で、消えてしまったんでしょう。 100円ショップ及び、低所得者にとっては、受難の時代ですな。
やむなく、ちょっと遠いのですが、ダイソーまで足を延ばしたら、そこには、200円商品として、置いてありました。 もはや、100円ショップではないわけですが、たとえ、200円商品でも、ないよりは、ある方が、ありがたいです。 ホーム・センターで買えば、千円はしますから。 何色かあったのですが、葬儀に持って行けるように、黒を買いました。 税込みで、216円。 三段式で、折り畳むと小さいので、いざという時には、礼服のポケットに入れる事も可能で、忘れて来る危険性も減るでしょう。
家に帰って、父に渡しましたが、試しに開いてみるように言ったら、何と、力が足りずに、カチッと止まる所まで、開けません。 これには、驚いた。 つい、こないだまで、父は、私より、ずっと力があって、腰が悪くないので、重い物でも、平気で持ち上げる人だったんですが、傘を開けないほど、衰えてしまうとは・・・。 まあ、少々、力が要る傘ではあったのですが。 もしかしたら、父が、よその葬儀に参列する機会は、もうないのかもしれませんなあ。
ここで、数年前の私なら、「毎日、家に籠りきりで、動かないから、衰えるんだ。 犬がいなくても散歩はできるんだから、出かければいいではないか。 せめて、体操くらいしろ」と、迫るところですが、私自身、引退した今となっては、何だか、明るい未来を想像し難くなってしまいましてねえ・・・。 たとえ、ここで、父が努力して、しばし、衰えを防ぐ事ができたとしても、無限に生きるわけには行かないのです。 当人が努力を望んでいるのならともかく、私が、どうこう言う事ではないでしょう。 80年以上、健康に生きて来ただけでも、もう、充分ではありませんか。
話を傘に戻しますと、父が、「金を払う」というので、「いや、ギフト・カタログと交換にしよう」と言って、取り引き成立。 何だか、私が、216円の傘で、父から、4100円のカタログを巻き上げたように取れるかも知れませんが、そうではないのであって、どうせ、父は、カタログで欲しい物なんて、ありはしないのです。 今までにも、カタログを貰った事は何度もあったわけですが、「要らない」と言って、私に、くれる事がありました。 今回は、216円の傘と引き換えになっただけでも、父にとっては、損ではないわけだ。
かく言う私も、すでに、カタログで欲しい物など、何もありません。 そのカタログには、食品が載っていたので、父が好きな、そうめんでも貰おうかと思いましたが、そうめんなんて、スーパーで買っても、高が知れているのであって、馬鹿馬鹿しくなり、結局、壁掛け時計にしておきました。 当座、使う予定はありませんが、腐る物ではないですから、押入れに入れてとっておけば、その内、どこかの部屋で時計が壊れた時に、すぐに取り替えられるという算段です。
壁掛け時計は、長持ちするものと、早々と逝ってしまうものがあり、一週間で一分以上、狂い始めると、そのつど直すのが面倒になって、買い替えという事になります。 割と、新陳代謝が激しい機器ではないかと思います。 部屋によって、時計の精確さに対する要求度は違っていて、何十年も、同じ時計を使っている部屋というのは、普段、人がいないとか、個人で使っている部屋とか、時計の重要度が大して高くなくて、2・3分ずれてから直しても、問題ない部屋だと思います。
一番、狂い易いのは、台所の時計でして、湿度や油で、すぐに、おかしくなります。 以前、防湿タイプという、ムーブメント全体を、ねじ込み式のカバーで覆ってしまう時計を使っていた事がありますが、普通の時計と、寿命は変わりませんでした。 油はともかく、湿気の方は、カバーくらいで、浸入を防げるものではないのでしょう。
ちなみに、ネットで検索すると、「狂ったクオーツ時計の直し方」というのが載っていて、「軸や歯車に汚れが着くのが原因だから、分解して掃除すれば、復活する」などと書いてあります。 しかし、分解自体に、結構、技能が要るので、素人はやらない方が無難です。 私は、一度やった事がありますが、針を外しただけで、ひん曲がって、一気に、ガラクタに近づいてしまいました。 その上、掃除して、組み立てたら、一時間に10分も進むようになってしまい、口あんぐり・・・。 いや、捨てましたけどね・・・。
何だか、脱線しておりますな。 ギフト・カタログの話でした。 つまりその、生活に必要な道具が、一通り揃ってしまった家では、ギフト・カタログで貰いたいような品がないんですな。 これは、カタログの値段に無関係で、5000円以上するカタログでも、事情は変わりません。 一万円クラスのカタログもあるようですが、そういうのは、貰った事がないので、不詳。 一万円のカタログを貰うには、祝儀や香典を、いくら包めばいいんですかね? 富裕層向けなんでしょうな。 もっとも、富裕層なら尚の事、一万円程度のカタログで、欲しい物など、何もないと思いますが。
食品が載っていれば、それが一番、無駄になりませんが、先に触れた、そうめんの例でも分かるように、店で直截買うのに比べて、損になるケースが多い。 ラーメン10食分なんて、スーパーで、生ラーメンとスープのセットを買ってくれば、千円もしないでしょう。 どうせ、どちらも、具材は付いていないのだから、スーパーで買った方が、断然、得ではありませんか。
すでに持っている物を、重複して貰ってしまうと、なかなか、出番が来ず、貰った事を忘れてしまって、何年も経ってから、大掃除のどさくさに紛れて発見し、愕然とするのも、よく見られる光景です。 手に入れた経緯を思い出せれば、まだしも、なぜ、新品がしまってあるのか、全く覚えがなく、狐に抓まれたような気分になる事もあります。 脳というのは、印象の薄いものは、早々と忘れてしまうから、使わなかった品の記憶なんか、綺麗さっぱり、消去されてしまうんでしょうなあ。
私は、今までに、腕時計を二つ、カタログで貰っています。 何となく、価値がありそうに見えるので、つい、貰ってしまったんですな。 だけど、腕時計ばかり増えると、後々、厄介な事になります。 全て、クオーツですから、電池が切れたら、交換しなければなりませんが、その電池が、種類によっては、結構高いので、いくつも並行して動かしておくというわけにはいかないからです。
カタログには、腕時計のページというのが、女性用・男性用の順で出て来ますが、それ以外に、ファッションや、アウト・ドア用品のページにも、ちょこんと混じっている事があり、そちらの方が、物が良かったりするから、要注意です。 男性用の腕時計の場合、本体のデザインにばかり気を取られていると、送られて来てから、ベルトがフリー・タイプだったりして、青くなる事があるので、カタログ上に、ベルトの説明がない場合は、ネットで調べた方がいいです。 まあ、しょっちゅう、太ったり痩せたりを繰り返している人なら、フリーの方が、便利なんですが。
ちなみに、カタログに載っている腕時計を、ネットで検索すると、大抵は、カタログの値段の、3分の2くらいで売っています。 思うに、カタログ業者というのは、結構、儲かっているんでしょうねえ。 2000円の商品を載せたカタログを、3000円で売ってるんですから、凄い利幅。 冠婚葬祭で出費されるお金の、かなりの部分が、カタログ業者の懐に入っているんでしょうなあ。 いや、商売だから、それ自体を批判する気はないですけど。
問題は、カタログに載っている商品が、すでに持ってる物ばかりで、選ぶのが、楽しみではなく、苦しみになってしまっている事ですな。 開く前から、「欲しい物など、ないに決まっている」と分かってしまっているところが、妙に悲しいです。 で、無駄にしない為に、損と承知で、食品を選んだりするわけですよ。 洗剤なんかも、確実に使うから、貰えれば、ありがたいのですが、あまり見かけないのは、値段の割に、重くて嵩張るから、送料の関係で、外されているんでしょうか。 石鹸はありますが、アロマ系とか、妙に凝った、変な匂いの物ばかりで、実用になりません。
カタログを見ていて、腹が立つのは、陶磁器の食器のページが、やたらと多い事です。 セットならまだしも、ちょっと高そうなのが、単品で載っているのが多い。 単品の食器なんて、重ねられないから、置き場所に困るではありませんか。 誰が、そん不便な物を欲しがるんでしょう。 それに、ちょっと高そうと言っても、所詮、2000円程度の品ですから、大量生産品ですよ。 量産品であれば、質的に、100円ショップで売っている食器と、変わりはありません。 どこが違うのか、説明して欲しいです。 どっちも、落とせば、割れるんでしょう?
包丁も多いなあ。 そんなに、包丁ばかり揃えてもねえ。 地雷包丁を仕掛けるわけじゃないんだから。 地雷包丁なんて書いても、もう、誰も分からないか・・・。 包丁も、100円ショップで、売ってるというのよ。 切れ味が違う? だって、カタログのだって、所詮、2000円程度の品でしょう? 大差ないと思うんですがねえ。 高い物を買うより、マメに研いだ方が、ストレスなく切れると思いますよ。 と、かつて、毎晩、鋏を研いでいた、元植木屋見習いは語る。
服というのは、あまりなくて、ファッションのページは、小物が多いです。 特に、バッグ類は、豊富。 しかし、写真だけで決めるは危険でして、必ず、サイズを見て、現物の大きさを想像してから、貰った方がいいです。 旅行鞄は、とりわけ、要注意。 サイズを見ると、写真からは想像できないほど、小さい物も混じっています。 ちなみに、旅行鞄選びは、飛行機に機内持ち込みできる、最大サイズのを狙うのが、肝です。
私が、昔、カタログで貰った旅行鞄は、キャスター・取っ手・背負い紐付きの、結構な優れ物で、北海道応援の時と、沖縄・北海道旅行の時に、飛行機で移動するのに、大活躍しました。 元は、旅行好きの母にやるつもりで、貰ったのですが、一度使っただけで、母の旅行趣味は幕を閉じてしまい、結局、私本人が使う事になったわけだ。 だけど、私も、もう、旅行鞄を使うような旅行は、二度としないかも知れません。
そういや、北海道応援の時と、岩手異動の時に、IHクッキング・ヒーターを使いましたが、それも、カタログで貰った物でした。 とりわけ、北海道では、それのお陰で、自炊が成立したわけで、二ヵ月半で、数万円の金額を節約できて、大いに役に立ったと言えます。 しかし、家に戻ってしまえば、出番がないですから、今では、私の部屋の天袋にしまわれて、眠っています。
こうして見ると、カタログで貰って、役に立ったというと、日常的な用途ではなく、旅行や、長期出張のような、特殊な状況で使った物が多いですな。 これから、実家を出て、一人暮らしを始めるというような人にも、歓迎されると思います。 だけど、こちらの都合に合わせて、カタログが送られて来るわけではないのが、うまく行かないところ。 甥や姪の、入学祝や、就職祝に、カタログを贈る人は多いんでしょうか。 贈る側が選んだ物を押し付けるより、贈られる側が必要としている物を、当人に選ばせた方が、喜ばれるのは、考えるまでもない事。 ただ、プレゼントとしての、印象は薄くなると思います。
他に、カタログで貰った物で、役に立っていると言うと、文庫を収めてある、カラー・ボックスが二つあります。 棚の高さを変えられるタイプで、普通に店で買うと、やはり、2000円くらいでしょうか。 だけど、同じカタログに、棚の高さが変えられないタイプも載っていました。 そちらは、店で買うと、1000円前後ですから、掲載商品の値段には、かなり、幅がある模様。 そのカラー・ボックスは、今でも、現役で働いています。 もし、自腹だったら、たぶん、買わなかったんじゃないかと思います。
取りとめがなくなりましたが、それはいつもの事として、カタログ・ギフトに関する事というと、こんなところですかねえ。 私の場合、冠婚葬祭に関わる機会は、多くないのですが、労金のポイントが貯まると、大抵、カタログに換えるので、割とよく、カタログを手に入れます。 同じ会社のカタログですから、載っている品も、大体同じ。 ますます、選ぶ物がなくなるというわけだ。
ところで、私は、葬儀の香典に包んだ金額に対し、お返しの品の値段が、異様に安いと、ムッとする事が多いのですが、それは、あくまで、義理で出した香典の話でして、たとえば、亡くなったのが、ほとんど、世話になった記憶がない親戚とか、勤め先の同僚の親といった、会った事もない人の場合です。
子供の頃、可愛がってもらった、おじさん・おばさんとか、同僚本人とかが亡くなった場合は、そもそも、お返しを欲しいとも思いません。 今回の、父の場合も、亡くなったのは、高校時代の友人だった人ですから、たぶん、お返しなんか、どうでも良かったと思うのです。 友情というのは、金額で価値を量るようなものではないですから。
も一つ、ところで、「カタログ・ギフト」は、前後を引っ繰り返して、「ギフト・カタログ」と言っても、ほとんど、同じ意味として取られる、珍しい連語ですな。 厳密には、前者は、「カタログ式のギフト」、後者は、「ギフトのカタログ」で、意味が違うんですが、実際には、全く区別されていません。 というか、区別できないでしょう?
「お返しは、何だったの?」と、訊かれた時、「カタログ・ギフト」と答えても、「ギフト・カタログ」と答えても、ツッコミを入れられる心配がないから、注意して、両者を区別しようという気にならず、混同したままになっているのです。 もし、敢えて、ツッコんで来る奴がいたら、そいつは、たぶん、嫌われ者だと思います。
訃報が入った時、電話を取ったのが私だったのですが、その後、父に、「バスの時間が分かるか?」と訊かれたので、ネットで、バスと電車の時間を調べ、メモに書いて渡しました。 私にできるのは、そんな事くらいですな。 私が車を持っていれば、送って行けばいいのですが、そういう用の為に、車を買うという発想はないです。 公共交通機関で出かけられないほど、衰えてしまったら、「参列できない」と言えばいいのであって、冠婚葬祭は、無理に出かけて行くようなものではありますまい。
今後、私が車を買う事があるとしても、それは、親が何かの病気になって、尚且つ、自力では行けない病院に、週一以上の頻度で通わなければならなくなった場合に限ります。 費用対効果が主たる理由ですが、別の理由もありまして、何でもかんでも、子供がやってやっていると、自分では何もしなくなり、衰えが加速してしまうので、それを避けたいのです。 たまに、バスや電車に乗るだけでも、心身ともに、緊張を要求されるわけで、それは、健康にいい影響を及ぼすと思うのです。
これは、親だけでなく、私自身にとっても言える事でして、バイクを手放すか否かで、悩んでいるのも、衰えるのが恐ろしいからです。 交通事故の恐怖と、精神的衰弱の恐怖、どちらが大きいのか、未だに見極められません。 月に一回くらい、ツーリングに出ていれば、準備でも、本番でも、だいぶ、緊張感を味わえるわけで、そういう機会を捨ててしまうのは、惜しいと思うんですな。
話を戻します。 葬儀の当日、父は、午前9時過ぎに出かけて行って、昼過ぎには帰って来ました。 早かったのは、葬儀だけにして、火葬場には行かなかったからだそうです。 「行っても、やる事はない」と言ってましたが、親戚ならともかく、友人ですから、そんなものなのでしょう。 参列者が少なくて、骨を拾う人数が足りないという場合でもない限り、残ってくれとは言われないわけだ。
その日の天気予報が、曇り時々雨で、「たぶん、父は、傘を持って行くだろう。 そして、かなりの確率で、傘を忘れて来るに違いない」と予測していたところ、本当に忘れて来ました。 判で押したようなパターンですな。 当然と言えば当然ですが、どこで忘れたのかも覚えておらず、「たぶん、バスの中だろう」と言っていました。 それでは、探しに行くのも、無駄なエネルギーになりそうです。
父が、香典のお返しに貰って来たのが、カタログ・ギフトだったのですが、それを知った父は、自分では、カタログのページを開こうともせずに、母と私に丸投げして、「これで、傘を貰えばいい」と言いました。 一つ欠けたら、一つ埋める。 一見、うまい考え方のように思えましたが、念の為、「香典に、いくら包んだんだ?」と、私が訊くと、「一万円」との答え。 冗談じゃない、一万円と引き換えに、傘なんて、割に合わないにも程があります。
お返しですから、一万円のカタログという事はありませんが、それでも、半額くらいはするでしょう。 ネットで調べてみたら、税抜きで、4100円のコースでした。 それにしても、4100円の傘なんて、結構な高級品になってしまいます。 しかも、忘れて来たのは、折り畳み傘だというじゃありませんか。 折り畳み傘に、高級も低級もありゃしません。
で、翌日、私は、100円ショップへ出かけて行きました。 まず、近所のセリアに行ったのですが、普通の傘はあったものの、折り畳みが見当たらず、店員さんに訊いたら、置いてないとの事。 以前は、あったような記憶があるので、たぶん、円安の影響で、消えてしまったんでしょう。 100円ショップ及び、低所得者にとっては、受難の時代ですな。
やむなく、ちょっと遠いのですが、ダイソーまで足を延ばしたら、そこには、200円商品として、置いてありました。 もはや、100円ショップではないわけですが、たとえ、200円商品でも、ないよりは、ある方が、ありがたいです。 ホーム・センターで買えば、千円はしますから。 何色かあったのですが、葬儀に持って行けるように、黒を買いました。 税込みで、216円。 三段式で、折り畳むと小さいので、いざという時には、礼服のポケットに入れる事も可能で、忘れて来る危険性も減るでしょう。
家に帰って、父に渡しましたが、試しに開いてみるように言ったら、何と、力が足りずに、カチッと止まる所まで、開けません。 これには、驚いた。 つい、こないだまで、父は、私より、ずっと力があって、腰が悪くないので、重い物でも、平気で持ち上げる人だったんですが、傘を開けないほど、衰えてしまうとは・・・。 まあ、少々、力が要る傘ではあったのですが。 もしかしたら、父が、よその葬儀に参列する機会は、もうないのかもしれませんなあ。
ここで、数年前の私なら、「毎日、家に籠りきりで、動かないから、衰えるんだ。 犬がいなくても散歩はできるんだから、出かければいいではないか。 せめて、体操くらいしろ」と、迫るところですが、私自身、引退した今となっては、何だか、明るい未来を想像し難くなってしまいましてねえ・・・。 たとえ、ここで、父が努力して、しばし、衰えを防ぐ事ができたとしても、無限に生きるわけには行かないのです。 当人が努力を望んでいるのならともかく、私が、どうこう言う事ではないでしょう。 80年以上、健康に生きて来ただけでも、もう、充分ではありませんか。
話を傘に戻しますと、父が、「金を払う」というので、「いや、ギフト・カタログと交換にしよう」と言って、取り引き成立。 何だか、私が、216円の傘で、父から、4100円のカタログを巻き上げたように取れるかも知れませんが、そうではないのであって、どうせ、父は、カタログで欲しい物なんて、ありはしないのです。 今までにも、カタログを貰った事は何度もあったわけですが、「要らない」と言って、私に、くれる事がありました。 今回は、216円の傘と引き換えになっただけでも、父にとっては、損ではないわけだ。
かく言う私も、すでに、カタログで欲しい物など、何もありません。 そのカタログには、食品が載っていたので、父が好きな、そうめんでも貰おうかと思いましたが、そうめんなんて、スーパーで買っても、高が知れているのであって、馬鹿馬鹿しくなり、結局、壁掛け時計にしておきました。 当座、使う予定はありませんが、腐る物ではないですから、押入れに入れてとっておけば、その内、どこかの部屋で時計が壊れた時に、すぐに取り替えられるという算段です。
壁掛け時計は、長持ちするものと、早々と逝ってしまうものがあり、一週間で一分以上、狂い始めると、そのつど直すのが面倒になって、買い替えという事になります。 割と、新陳代謝が激しい機器ではないかと思います。 部屋によって、時計の精確さに対する要求度は違っていて、何十年も、同じ時計を使っている部屋というのは、普段、人がいないとか、個人で使っている部屋とか、時計の重要度が大して高くなくて、2・3分ずれてから直しても、問題ない部屋だと思います。
一番、狂い易いのは、台所の時計でして、湿度や油で、すぐに、おかしくなります。 以前、防湿タイプという、ムーブメント全体を、ねじ込み式のカバーで覆ってしまう時計を使っていた事がありますが、普通の時計と、寿命は変わりませんでした。 油はともかく、湿気の方は、カバーくらいで、浸入を防げるものではないのでしょう。
ちなみに、ネットで検索すると、「狂ったクオーツ時計の直し方」というのが載っていて、「軸や歯車に汚れが着くのが原因だから、分解して掃除すれば、復活する」などと書いてあります。 しかし、分解自体に、結構、技能が要るので、素人はやらない方が無難です。 私は、一度やった事がありますが、針を外しただけで、ひん曲がって、一気に、ガラクタに近づいてしまいました。 その上、掃除して、組み立てたら、一時間に10分も進むようになってしまい、口あんぐり・・・。 いや、捨てましたけどね・・・。
何だか、脱線しておりますな。 ギフト・カタログの話でした。 つまりその、生活に必要な道具が、一通り揃ってしまった家では、ギフト・カタログで貰いたいような品がないんですな。 これは、カタログの値段に無関係で、5000円以上するカタログでも、事情は変わりません。 一万円クラスのカタログもあるようですが、そういうのは、貰った事がないので、不詳。 一万円のカタログを貰うには、祝儀や香典を、いくら包めばいいんですかね? 富裕層向けなんでしょうな。 もっとも、富裕層なら尚の事、一万円程度のカタログで、欲しい物など、何もないと思いますが。
食品が載っていれば、それが一番、無駄になりませんが、先に触れた、そうめんの例でも分かるように、店で直截買うのに比べて、損になるケースが多い。 ラーメン10食分なんて、スーパーで、生ラーメンとスープのセットを買ってくれば、千円もしないでしょう。 どうせ、どちらも、具材は付いていないのだから、スーパーで買った方が、断然、得ではありませんか。
すでに持っている物を、重複して貰ってしまうと、なかなか、出番が来ず、貰った事を忘れてしまって、何年も経ってから、大掃除のどさくさに紛れて発見し、愕然とするのも、よく見られる光景です。 手に入れた経緯を思い出せれば、まだしも、なぜ、新品がしまってあるのか、全く覚えがなく、狐に抓まれたような気分になる事もあります。 脳というのは、印象の薄いものは、早々と忘れてしまうから、使わなかった品の記憶なんか、綺麗さっぱり、消去されてしまうんでしょうなあ。
私は、今までに、腕時計を二つ、カタログで貰っています。 何となく、価値がありそうに見えるので、つい、貰ってしまったんですな。 だけど、腕時計ばかり増えると、後々、厄介な事になります。 全て、クオーツですから、電池が切れたら、交換しなければなりませんが、その電池が、種類によっては、結構高いので、いくつも並行して動かしておくというわけにはいかないからです。
カタログには、腕時計のページというのが、女性用・男性用の順で出て来ますが、それ以外に、ファッションや、アウト・ドア用品のページにも、ちょこんと混じっている事があり、そちらの方が、物が良かったりするから、要注意です。 男性用の腕時計の場合、本体のデザインにばかり気を取られていると、送られて来てから、ベルトがフリー・タイプだったりして、青くなる事があるので、カタログ上に、ベルトの説明がない場合は、ネットで調べた方がいいです。 まあ、しょっちゅう、太ったり痩せたりを繰り返している人なら、フリーの方が、便利なんですが。
ちなみに、カタログに載っている腕時計を、ネットで検索すると、大抵は、カタログの値段の、3分の2くらいで売っています。 思うに、カタログ業者というのは、結構、儲かっているんでしょうねえ。 2000円の商品を載せたカタログを、3000円で売ってるんですから、凄い利幅。 冠婚葬祭で出費されるお金の、かなりの部分が、カタログ業者の懐に入っているんでしょうなあ。 いや、商売だから、それ自体を批判する気はないですけど。
問題は、カタログに載っている商品が、すでに持ってる物ばかりで、選ぶのが、楽しみではなく、苦しみになってしまっている事ですな。 開く前から、「欲しい物など、ないに決まっている」と分かってしまっているところが、妙に悲しいです。 で、無駄にしない為に、損と承知で、食品を選んだりするわけですよ。 洗剤なんかも、確実に使うから、貰えれば、ありがたいのですが、あまり見かけないのは、値段の割に、重くて嵩張るから、送料の関係で、外されているんでしょうか。 石鹸はありますが、アロマ系とか、妙に凝った、変な匂いの物ばかりで、実用になりません。
カタログを見ていて、腹が立つのは、陶磁器の食器のページが、やたらと多い事です。 セットならまだしも、ちょっと高そうなのが、単品で載っているのが多い。 単品の食器なんて、重ねられないから、置き場所に困るではありませんか。 誰が、そん不便な物を欲しがるんでしょう。 それに、ちょっと高そうと言っても、所詮、2000円程度の品ですから、大量生産品ですよ。 量産品であれば、質的に、100円ショップで売っている食器と、変わりはありません。 どこが違うのか、説明して欲しいです。 どっちも、落とせば、割れるんでしょう?
包丁も多いなあ。 そんなに、包丁ばかり揃えてもねえ。 地雷包丁を仕掛けるわけじゃないんだから。 地雷包丁なんて書いても、もう、誰も分からないか・・・。 包丁も、100円ショップで、売ってるというのよ。 切れ味が違う? だって、カタログのだって、所詮、2000円程度の品でしょう? 大差ないと思うんですがねえ。 高い物を買うより、マメに研いだ方が、ストレスなく切れると思いますよ。 と、かつて、毎晩、鋏を研いでいた、元植木屋見習いは語る。
服というのは、あまりなくて、ファッションのページは、小物が多いです。 特に、バッグ類は、豊富。 しかし、写真だけで決めるは危険でして、必ず、サイズを見て、現物の大きさを想像してから、貰った方がいいです。 旅行鞄は、とりわけ、要注意。 サイズを見ると、写真からは想像できないほど、小さい物も混じっています。 ちなみに、旅行鞄選びは、飛行機に機内持ち込みできる、最大サイズのを狙うのが、肝です。
私が、昔、カタログで貰った旅行鞄は、キャスター・取っ手・背負い紐付きの、結構な優れ物で、北海道応援の時と、沖縄・北海道旅行の時に、飛行機で移動するのに、大活躍しました。 元は、旅行好きの母にやるつもりで、貰ったのですが、一度使っただけで、母の旅行趣味は幕を閉じてしまい、結局、私本人が使う事になったわけだ。 だけど、私も、もう、旅行鞄を使うような旅行は、二度としないかも知れません。
そういや、北海道応援の時と、岩手異動の時に、IHクッキング・ヒーターを使いましたが、それも、カタログで貰った物でした。 とりわけ、北海道では、それのお陰で、自炊が成立したわけで、二ヵ月半で、数万円の金額を節約できて、大いに役に立ったと言えます。 しかし、家に戻ってしまえば、出番がないですから、今では、私の部屋の天袋にしまわれて、眠っています。
こうして見ると、カタログで貰って、役に立ったというと、日常的な用途ではなく、旅行や、長期出張のような、特殊な状況で使った物が多いですな。 これから、実家を出て、一人暮らしを始めるというような人にも、歓迎されると思います。 だけど、こちらの都合に合わせて、カタログが送られて来るわけではないのが、うまく行かないところ。 甥や姪の、入学祝や、就職祝に、カタログを贈る人は多いんでしょうか。 贈る側が選んだ物を押し付けるより、贈られる側が必要としている物を、当人に選ばせた方が、喜ばれるのは、考えるまでもない事。 ただ、プレゼントとしての、印象は薄くなると思います。
他に、カタログで貰った物で、役に立っていると言うと、文庫を収めてある、カラー・ボックスが二つあります。 棚の高さを変えられるタイプで、普通に店で買うと、やはり、2000円くらいでしょうか。 だけど、同じカタログに、棚の高さが変えられないタイプも載っていました。 そちらは、店で買うと、1000円前後ですから、掲載商品の値段には、かなり、幅がある模様。 そのカラー・ボックスは、今でも、現役で働いています。 もし、自腹だったら、たぶん、買わなかったんじゃないかと思います。
取りとめがなくなりましたが、それはいつもの事として、カタログ・ギフトに関する事というと、こんなところですかねえ。 私の場合、冠婚葬祭に関わる機会は、多くないのですが、労金のポイントが貯まると、大抵、カタログに換えるので、割とよく、カタログを手に入れます。 同じ会社のカタログですから、載っている品も、大体同じ。 ますます、選ぶ物がなくなるというわけだ。
ところで、私は、葬儀の香典に包んだ金額に対し、お返しの品の値段が、異様に安いと、ムッとする事が多いのですが、それは、あくまで、義理で出した香典の話でして、たとえば、亡くなったのが、ほとんど、世話になった記憶がない親戚とか、勤め先の同僚の親といった、会った事もない人の場合です。
子供の頃、可愛がってもらった、おじさん・おばさんとか、同僚本人とかが亡くなった場合は、そもそも、お返しを欲しいとも思いません。 今回の、父の場合も、亡くなったのは、高校時代の友人だった人ですから、たぶん、お返しなんか、どうでも良かったと思うのです。 友情というのは、金額で価値を量るようなものではないですから。
も一つ、ところで、「カタログ・ギフト」は、前後を引っ繰り返して、「ギフト・カタログ」と言っても、ほとんど、同じ意味として取られる、珍しい連語ですな。 厳密には、前者は、「カタログ式のギフト」、後者は、「ギフトのカタログ」で、意味が違うんですが、実際には、全く区別されていません。 というか、区別できないでしょう?
「お返しは、何だったの?」と、訊かれた時、「カタログ・ギフト」と答えても、「ギフト・カタログ」と答えても、ツッコミを入れられる心配がないから、注意して、両者を区別しようという気にならず、混同したままになっているのです。 もし、敢えて、ツッコんで来る奴がいたら、そいつは、たぶん、嫌われ者だと思います。
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