2016/11/13

カー連読⑨

  今回も、カー作品の感想です。 これが、10年くらい前だったら、アメリカ大統領選の話など、犬のように喰いついて、これでもかというくらい、ああだこうだ書き倒したんでしょうが、今じゃ、そんな事、別の宇宙の話題ですわ。 自分が、いつ死ぬか分からない身なのに、国際関係の行く末なんか気にしてられません。


  ・・・それにつけても、まさか、番狂わせで、T氏が当選するとは・・・。 一番、意外だと思っているのは、当の本人なのでは? 選挙戦自体は、その方が、面白かったわけですが、笑っていられるのは、ここまでで、ここから先は、千尋の谷の綱渡りのようになるのではないでしょうか。

  一方、C氏は、開票前までは、てっきり勝ったと思っていたわけで、この結果には、ショックで物も言えないでしょうなあ。 半日で、30年くらい、老け込んでしまったのでは? 年齢的に見て、4年後に出るかどうか・・・。 T氏が、大統領として、大失敗でもすれば、C氏にも、まだ、芽はありますけど。

  負けた理由ですが、終わってからなら何とでも言えるという事を百も承知で、敢えて言うなら、つまり、C氏を選んでも、今までと同じ日々が続くだけだからでしょう。 それがいいと思っている人より、「良くなるにせよ、悪くなるにせよ、何かしら変わった方がいい」と思っている人が多かったわけですな。 競馬に譬えるなら、確実な本命よりも、一か八か大穴を狙いたいというのが、今のアメリカ社会の雰囲気だったわけだ。

  C氏が最も輝いていたのは、大統領夫人だった頃で、自ら、政治家になってからは、なんだか、演技をしているように見えました。 国務長官だった時には、国務長官を演じているように見え、大統領候補だった時には、大統領候補を演じているように見えたのです。 たぶん、大統領になっても、大統領を卒なく演じたと思いますが、アメリカの有権者は、そういう演技者を求めていたわけではないんだわ。 たとえ、問題人物でもいいから、自分の頭で考えて動く、本物が欲しかったんだわ。

  メール問題が、決定的な躓きになったとは思えません。 T氏の方は、もっと強烈な批難を受けていたわけですから。 選挙戦の後半、下司同士の罵りあいのようになったのは、C氏が、T氏の土俵に引き込まれてしまったわけで、イメージを自分から悪化させてしまいました。 下司度で戦うなら、C氏は、T氏に、とても敵わないでしょう。

  C氏の印象を一言で言うと、「つまらない」のですよ。 M党の中には、「S氏にしておけば良かった」と、臍を噛んだ人も多かったでしょうねえ。 S氏なら、T氏に負けないくらい、個性的な人物ですし、人格的は、T氏を圧倒できますから、たぶん、勝てたと思います。 つまらんと思われている候補では、そりゃ、勝てませんわなあ。

  ・・・と、そういう事に、あまり興味がなくなったわけです。 カーと、全然、関係なくて、申し訳ない。




≪火よ燃えろ!≫

ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 1980年発行 1993年2刷
ジョン・ディクスン・カー 著
大社淑子 訳

  発表は、1956年。 歴史ミステリーに分類されていて、探偵役は、この作品独自の主人公である警視が務めています。 別に、太っているわけではなく、活劇の主人公に相応しいような、活動的な人物です。 カー作品の探偵役は、H.Mは特別として、誰でも務まる程度の個性しか与えられていません。 探偵小説ではなく、推理小説と呼ぶべきなんでしょう。


  自動車のタクシー乗って、ロンドン警視庁に向かっていた警視が、下りてみたら、乗って来たのは馬車になっており、1829年のロンドン警視庁についてしまう。 近代的な警察機構の草創期に、現代的な捜査知識を利用して、盗難事件を解決しようと出向いた屋敷で、目の前で若い女が射殺され、そちらも解決しなければならなくなる一方、下らん男と敵対して、決闘を繰り返さなければならなくなる話。

  趣向としては、前年発表の歴史ミステリー、≪恐怖は同じ≫と、ほぼ同じです。 現代に生きていた人物が、過去に遡って、当時生きていた人物に重なるという、タイム・スリップ物のアイデアが使われている点も、同じ。 科学的説明が一切ないので、SFというわけではない点も同じ。

  ≪恐怖は同じ≫と違うのは、この作品では、現代の事件が存在せず、過去の事件からヒントを得て、現代の事件を解決するという関係になっていない点です。 つまりその、別に、タイム・スリップ物にしなくても、ただの歴史ミステリーとして、成り立つという事でして、なんで、この形式に拘ったのかが解せません。 作者自身が、この時代に行きたいと強く願っていて、主人公と自分を重ねている事は、よく分かるのですが。

  決闘の相手になる人物が用意されていて、その場面が見せ場になっている点も、≪恐怖は同じ≫と同様です。 徹底的に、卑怯者で、ろくでなしで、大して強くもないくせに、プライドだけは世界一高いという、しょーもないキャラになっており、主人公に、一方的にボコボコにされても、気の毒とも思いません。 こんな男が近衛軍で大尉をやっているというのは、悲劇ですな。

  不可能犯罪が出て来て、そちらの出来は、≪恐怖は同じ≫よりも、レベルが高いです。 ただし、どの時代に、どんな武器が存在したかについて、知識がないと、犯人を予測する事はできません。 その点、推理物としては、破格になってしまっています。 その言い訳のような、作者自身による時代背景の解説が、巻末に付いていますが、作者自身も、ちょっとズルいと思ったんでしょうなあ。

  恋愛物の要素も盛り込んでいますが、ヒロインが、カー作品特有の、賢しらぶった鼻持ちならん女でして、重要な話が進んでいる時に限って顔を出し、邪魔だったらありゃしない。 カーの女性観は、覚め過ぎていて、正確な観察だとは思うものの、恋愛物としては、ちっとも、面白くありません。 実際問題として、こんな風に、相手をやり込める事しか頭にない女と暮らしたら、まともに、会話もできますまい。

  ≪恐怖は同じ≫を、先に読んでいなければ、充分に楽しめると思いますが、こちらが後になった場合、二番煎じを感じるのは、致し方ないところです。



≪深夜の密使≫

創元推理文庫
東京創元社 1988年初版
ディクスン・カー 著
吉田誠一 訳

  原題は、≪Most Secret≫で、直訳なら、≪最高機密≫です。 発表は、1964年。 しかし、この作品には、元になった≪Devil Kinsmere≫という作品があり、そちらは、1933年に、「ロジャー・フェアベーン」という名義で、発表されています。 「Kinsmere」は、「キンズミア」という、主人公の苗字です。 デビューして間もない頃に発表した作品を、晩年になってから、題名を換え、改訂して、発表したもの。 だけど、両者の間に、どの程度の異同があるのかは、分かりません。 ≪Devil Kinsmere≫は、日本で唯一、翻訳されていない、カー作品だそうです。

  ほぼ、純然たる歴史物でして、推理物との融合は、試みられていません。 別の名義を用意している点から見ても、作者は、1933年の時点では、推理物は推理物、歴史物は歴史物として、書き分けるつもりでいたのではないかと思います。 カーの歴史物は、時代物と呼んだ方が適当な作品が多いのですが、これも、その典型です。


  地方からロンドンに出て来た青年が、思いがけない成り行きで、イギリス王と、王制に反対する一派の争いに巻き込まれ、王側の密使として、フランス王の元へ向かう事になるが、敵に妨害され、ドーバー海峡を渡る船上で、身に着けた密書を奪われそうになる話。

  随分と簡単なあらすじですが、これ以上、書く事がありません。 密室トリックも、不可能犯罪も、なし。 冒険活劇なんですな。 一番近いのは、デュマの≪三銃士≫でして、主人公、ロデリック・キンズミアのキャラは、ダルタニヤンをそっくり写しています。 しかし、これをデュマが読んだら、熱心なファンが書いた、バッタもんとしか思わなかったでしょうねえ。

  カーの、ヨーロッパ近世趣味には、驚くほど、偏執狂的なものがあり、「好きで好きで、たまらない。 その時代に生きたかった」と、心から願っていた事が、この作品を読むと、ヒシヒシと伝わって来ます。 どっぷり浸かりこんで、自分の夢に酔ってしまっておるのですが、そういう作品は、大抵、駄作になります。

  時代を描き込むのに、えらい枚数をかけていますが、そういう部分は、ヨーロッパ近世に興味がない読者にとって、拷問以外のなにものでもないです。 つまらん、つまらん、いや、つまらないで済むレベルではなく、そんな、ストーリーと無関係なところまで、いちいち読んでいられません。 時間の無駄、人生の無駄でんがな。

  カーの作品には、よくあるのですが、セリフだけ読んでも、話が分かってしまうという点でも、この作品は、典型的。 ストーリー進行に、地の文を、ほとんど使っていなくて、戯曲のように、セリフで話を進めているのです。 地の文は、ほとんどが、時代を描き込むのに費やされていて、もし、セリフ部分だけ抜き出したら、長さが半分以下になってしまうと思います。 長編にするには、ストーリーのボリュームが、全然、足りないんですわ。

  まーた、話もつまらないんだわ。 デュマの活劇の雰囲気を真似ようとしているんですが、物語が単純だから、全然、面白くないのよ。 戦いの場面が、少し、興味を引かれる程度。 それも、不完全燃焼で終わります。 よく、漫画家志望の少年少女が、好きな漫画家のタッチを、そっくり真似てしまって、オリジナルの作風を確立できない事がありますが、それと同じような、稚拙さが感じられます。

  もし、カーが、推理小説家として名が知れた後でなかったら、全く、評価されなかったでしょう。 実際、≪Devil Kinsmere≫の方は、黙殺されたそうですし。



≪パリから来た紳士≫

創元推理文庫
東京創元社 1974年初版 1996年18版
ディクスン・カー 著
宇野利泰 訳

  この本は、三島図書館で借りて来た、最後の三冊の内の、最後に読んだものです。 三島図書館では、合計33冊のカーの本を借りました。 市民でもないのに、こんなに借りてしまってよいものか・・・。 もっとも、私は、無収入・無所得なので、住んでいる沼津市にすら、住民税を納めていないのですがね。 いや、しょーがないんですよ。 そういう決まりになっているんだから。

  三島図書館には、最後の返却も含めて、12回、足を運んだ事になります。 全て、バイクで往復したのですが、ツーリングに行かない代わりに、三島図書館に通っていたような形になりました。 両親を病院へ送迎する関係で、車を買い、バイクは、三島図書館への通いが終わった、一ヵ月後には、売ってしまったので、バイクの最後の思い出が、図書館通いになりました。

  ≪パリから来た紳士≫は、日本で再編された短編集の第三弾です。 英米本国では、4冊出ているそうですが、その内容に重複があるから、日本で整理しなおしたのだそうです。 9作品を収録。 例によって、短編集の感想は、一作ずつ、丁寧に書くと、えらく長くなってしまうので、ざっと、書く事にします。 作品名の後にあるのは、発表年。


【パリから来た紳士】 1950年
  ニューヨークで、瀕死の老夫人が書き換えたばかりの遺言書が、一晩の内に消えてしまう事件が起こり、パリに住む老夫人の娘の窮地を救う為に、大西洋を渡って来た弁護士が、酒場で出会った謎の男の援けを得て、遺言書を見つける話。

  ≪妖魔の森の家≫と並んで、カーの短編の傑作と言われているそうですが、私が読んだ限りでは、そんな感じは全然・・・。 話の肝は、紛失した遺言書がどこにあるかという点だけなのに、設定が凝り過ぎていて、無駄に複雑化してしまっています。 パリから来た弁護士は、単なる語り手に過ぎないので、タイトルは、「酒場の男」とでもした方が、内容に合っています。

  この作品を絶賛する人は、単に、ポーのファンだというだけの事なんじゃないでしょうか。 私には、取って付けたような、つまらん小細工にしか思えないんですが。


【見えぬ手の殺人】 1958年
  女が海辺で首を絞めて殺されるが、アリバイのない容疑者がおらず、不可能殺人と思われた事件を、フェル博士が解決する話。 カー作品には、よくある事ですが、特殊な凶器が使われていまして、こういうのを、読者が推理するのは、無理ですな。 アリバイの方も、特殊な凶器が出す音を、大抵の読者は知りませんから、謎解きされても、「へー」とも、「ほー」とも思いません。

  たぶん、フーダニット的な色をつける為だと思いますが、登場人物を多くしてあります。 しかし、短編では、人物相関の説明がややこしくなるだけで、感心しません。 枚数を水増しする為に、人間を増やしたのではないかと疑いたくなります。


【ことわざ殺人事件】 1943年
  スパイとして警察の監視を受けていたドイ人教授が射殺され、弾丸の旋条痕から、銃の持ち主が疑われるが、実は、弾丸にトリックがあって・・・、という話。 フェル博士が探偵役。 弾丸のトリックは、専門知識がないと、推理不能。 しかし、もう一つ、意外な人物が犯人、という読ませ所があって、そちらの方は、面白いです。

  内容が充実している割には、このタイトルは、良くないですなあ。 確かに、ことわざは出て来ますが、ことわざに関係した謎ではないので、十人中十人の読者が、羊頭狗肉を感じると思います。


【とりちがえた問題】 1945年
  地方の湖を訪ねたフェル博士が、そこで30年前に起きた、二つの殺人事件について、たまたま出会った人物の話を聞いただけで、犯人とトリックを言い当てるが、実は、その人物は・・・、という話。

  登場人物によって語られる作中話というのは、あまり面白くないと相場が決まっており、なかなか、頭に入って来ません。 まして、30年も前の事件となると、「どーでもいーわ、んな事」と感じてしまうのは、みな同じなのではないでしょうか。 あまり、有効な形式とは言えませんな。 最終的に、フェル博士が、恥を掻いたような格好になるのは、妙に小気味良いですけど。


【外交官的な、あまりにも外交官的な】 1946年
  ロンドンの弁護士が、休養に行ったフランスの保養地で、出会った女性を好きになるが、彼女が一時的に姿を消す事件が起こる。 彼女を最後に見た、彼と、他の目撃者との証言が相反した事から、警察や判事が関わって大ごとになるが、実は彼女の正体は・・、という話。

  不可能犯罪と、スパイ物を組み合わせています。 トリックの方は、どこかで読んだような感じがして、新鮮さはありません。 スパイ物の方は、動機に関わって来るのですが、スパイは一般人ではないから、一般読者には、ピン来ませんな。 推理小説にスパイ物を絡めてしまうと、リアリティーが損なわれてしまうと思うのですが、本格派の頭目扱いされているカーなのに、そういう作品は、なぜか多いです。


【ウィリアム・ウィルソンの職業】 1944年
  夫の浮気を調べていて、奇妙な体験をした女性が、ロンドン警視庁のマーチ大佐を訪ねて来て、謎解きを依頼する話。 「ウィリアム・ウィルソン」というのは、ポーの同名小説の主人公の名前で、そちらは、自分そっくりの人間に人生を邪魔される話なのですが、この作品は、更に、ホームズ物の、【唇のねじれた男】と【赤毛組合】を足して、三で割ったような話になっています。

  アイデアは面白いですけど、語り方が不適切なせいで、小説としての完成度は低いです。 軽いノリの話なので、マーチ大佐を探偵役にしたのでしょうが、仮にも、公職にある人物が、最終的に、こういう処置をするのは、どうかと思います。 さりとて、フェル博士を出すほどの話でもなし・・・、と言ったところ。


【空部屋】 1945年
  共同住宅で、どこからか、大音量のラジオの音が響いてきて、その源が、空き部屋である事が分かるが、その中に、ショック死した男の遺体があり・・・、という話。 これも、マーチ大佐物。 ≪連続殺人事件≫と同じアイデアの導入部と、本体部分に、関連が薄過ぎて、やはり、完成度は低いです。 それに、この死因は、どーしょもないねえ・・・。


【黒いキャビネット】 不明
  これは、ナポレオン三世時代の歴史物。 皇帝を暗殺しようとする母子の話。 主人公達は、架空の人物なので、時代小説ですな。 全く、大した事はないです。 最後に、実在した人物が出て来ますが、アメリカ以外では、名を知られていないので、まるっきり、ピンと来ません。


【奇蹟を解く男】 1956年
  パリで育ったイギリス人女性が、結婚前に、ロンドン見物にやって来るが、夜中にガスで殺されそうになったり、セント・ポール寺院で、奇妙な声が聞こえたりして、身の危険を感じていたのを、たまたま出会った新聞記者の男に、H.Mを紹介され、謎の解決を依頼する話。 この作品だけ、90ページくらいあり、短編としては、長いです。

  後期のH.M物なので、笑えるところも盛り込まれていて、面白いです。 ただし、トリックの方は、大した物ではありません。 特に、奇妙な声の方は、子供騙しに近いですな。 恋愛物を絡めてある点は、ちと、鬱陶しいのですが、カーは、よくよく、こういうのが好きだったんですなあ。



≪震えない男≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1959年初版 1998年3版
ジョン・ディクスン・カー 著
村崎敏郎 訳

  父の再入院の前、8月4日に、沼津図書館で、相互貸借を申請しておいたのが、父の他界、葬儀を経て、その後の諸手続きが終わった、8月19日になって、ようやく、沼津図書館に届き、翌20日に借りる事ができた本。 浜松三ケ日図書館の蔵書で、一度、静岡県立図書館に送られてから再発送する制度のせいで、こんなに時間がかかったようです。 たぶん、県立図書館の蔵書なら、もっと早く届くはず。

  発表は、1940年。 ギデオン・フェル博士が探偵役を務める作品としては、23作中、12作目。 ≪テニスコートの殺人≫と、≪連続殺人事件≫の間に入りますが、例によって、発表年と、内容には、相関関係が薄いです。 作中で事件が起こるは、1937年の設定で、「もうすぐ、戦争が始まるから、○○を買い溜めしている」といった表現が出て来ますが、時代背景を感じさせるのは、それくらいです。


  幽霊屋敷の噂がある古い家を買った男が、それぞれ、性格類型が異なる友人・知人を招いて、幽霊に対して、どんな反応をするか観察する、「幽霊パーティー」を開こうとするが、客の一人が、掛けてあった壁から、誰も触れないのに浮き上がって、発射されたピストルの弾で撃ち殺されてしまい、エリオット警部とフェル博士が呼ばれて、幽霊屋敷の正体を暴く事になる話。

  1940年というと、カーが、最も快調に、高いレベルの作品を書き続けていた頃ですが、この作品は、あまり、内容が濃いとは言えません。 会話の場面が大変多いので、ページはどんどん進みますが、登場人物達の動きが少ないせいで、物語世界に引き込まれる感覚を味わえないのです。 フェル博士のキャラが薄いのも、マイナス要因でして、H.Mのシリーズなら、もっと、作者の興が乗ったのではないかと思われます。

  トリックは、機械的なもので、全く、評価するに値しません。 そういう知識が、一般に思われているよりも、遥かに昔から知られていたという事を勉強できますが、読者は、そんな事は求めていないと思うのですよ。 作者から、ズルでない言い訳を聞かされているようで、鮮やかさなど、微塵も感じられません。

  トリックには、元から重点が置かれておらず、フーダニット的な面白さを狙っているようなのですが、登場人物が少な過ぎて、フーダニットになっていません。 真犯人と思われていた人間が、そうでないのなら、もう、他には、この人しかいない、というくらい、ギリギリの頭数で進めているのだから、そうなって、当然です。

  一番、感心しないのは、ラスト近くで、ドンデン返しを行っている事。 この人だと思わせておいて、実は、こういう事情があって、こっちが真犯人、というのは、アンフェア以上のズルでして、そんなやり方が許されるのなら、どんな作品にも、ドンデン返しの結末を付けられる事になってしまいます。

  そんなの、読者が推理できっこないから、推理小説ではなく、探偵の活躍が中心ではないから、探偵小説でもなく、犯罪小説と言うには、ちゃちなトリックが前面に出過ぎ、と、およそ、いいところがありません。




  今回は、以上、4冊までです。 7月下旬から、8月下旬にかけて読んだ本。 今回も、短編集が含まれているので、冊数を減らしました。 ≪パリから来た紳士≫と、≪震えない男≫の間に、父の死と葬儀、各種手続きの期間が挟まっています。 面倒な種類を書いたり、馬鹿な兄の悪態を聞かされたり、今となっては、思い出すのも嫌な期間。

  相互貸借の本が取り寄せられるまでの間に、他の本を借りて読んでいれば良かったのですが、葬儀その他でゴタゴタして、図書館に行く気になれなかったのです。 寝つきが悪い時、何か本を読みたくて、家にあった、割と最近の日本の推理小説を読んだりしましたが、あまりにも軽くて、わざわざ内容を頭に入れるのがアホ臭くなってしまうレベルでした。 ちなみに、それは、2時間サスペンスの原作者として、かなり有名な人の作品でした。 粗製乱造で、書き飛ばしたんでしょうなあ。