カー連読 ⑬
いよいよ、今回で、ジョン・ディクスン・カー、別名、カーター・ディクスンの本の感想は、最終回です。 歴史ミステリーや、コナン・ドイルの伝記など、カーの著作で読んでいないものは、まだあるのですが、それらは、推理小説ではないので、時間を割いて読むほど、興味が湧きません。 いつか、読むかもしれませんが、今回は、やめておきます。
歴史ミステリーの第一作、≪エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件≫は、二回借りて来て、二回とも、冒頭部分から先に進めずに、匙を投げて、返してしまいました。 ま、つっまらん、つまらん! イギリス王室史に、特別な興味がないと、とても読めない内容でした。 コナン・ドイルの伝記も、沼津の図書館にあるのですが、借りる気になりません。 ドイルの経歴を、大体、知ってしまっているからでしょうねえ。
≪バトラー弁護に立つ≫
ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1957年初版 1986年3版
ジョン・ディクスン・カー 著
橋本福夫 訳
相互貸借で、浜松市立図書館から取り寄せられた本。 これが、私が読んだ、カーの長編推理小説の、最後の一冊になります。 歴史ミステリーの方には、まだ読んでいない作品が残っているのですが、そちらは、大体、中身が想像できるせいか、そんなに読みたいとは思いません。 わざわざ、相互貸借で取り寄せてもらう手間を図書館にかけるのも悪いので、読まない事にします。
発表は、1956年。 日本での初版が、翌年ですから、カーの新作を待ち構えていて、翻訳・出版したんでしょうなあ。 題名に出て来る、「バトラー」というのは人の名前で、1949年に発表されたフェル博士シリーズの≪疑惑の影≫で中心人物となった、腕利き弁護士の事です。 彼が出るわけだから、フェル博士シリーズの世界を使っているわけですが、フェル博士は、名前が出てくるだけで、登場はしません。
この作品では、バトラーが、探偵役を務め、中心人物は、ヒュー・プランティスという青年です。 その青年の職業も弁護士。 それにしても、カー作品には、弁護士が良く出てきますなあ。 それでいて、法廷物は、二つくらいしかないんですがね。 ちなみに、この作品は、法廷物ではなくて、法廷場面は、一回も出て来ません。
法律事務所を訪ねて来たペルシャ人の奇術師が、青年弁護士がちょっと部屋を空けた隙に、ナイフで刺し殺されてしまう。 容疑が自分にかかる恐れありと見た青年は、腕利きの弁護士パトリック・バトラーを訪ねて、事情を打ち明ける。 青年とバトラーが、互いの交際相手や、死んだ奇術師の妻を巻き込みながら、ロンドンの街の中を警察から逃れつつ、密室殺人の謎を解き、犯人をつきとめて行く話。
一応、推理物の骨格で書かれていますが、期待して読むと、まったくの肩透かしでして、ガッカリします。 密室トリックは、最も単純のもので、いまや、2時間サスペンスや、刑事物ドラマの一回分でも使われないような、ひどいもの。 カーも、この頃になると、完全に、アイデアが、涸れてしまっていたようです。
街なかを舞台にした、冒険ものと考えた方が、まだ、落ち着いて読めるでしょうか。 そういうのも、カーは、よく書きますが、なんだか、昔のコメディー映画の、BGMばかりうるさくて、全然面白くない、逃走・追跡場面でも見せられているようで、文字を目で追う事に、時間の無駄を感じてしまいます。 で、この作品にも、劇場が出て来るんだわ。 もういいよ、劇場は。 一般読者には、非常に馴染みが薄い場所なのだという事が、分かっていないのでは?
まだ、ある。 一番、紙数を割いているのは、恋愛場面でして、相も変らぬ、リアリティー過剰で、ムカつく女どもが、本筋と何の関係もない事を、べらべらべらべら喋りまくります。 また、そんな女を愛しているという、男が許せぬ。 一生、こんな連中の無駄話を聞いて暮らして、堪えられるとでも言うのかい?
これねえ、間違いないと思うんですが、カーという人は、推理物の結構を一応思いついたけれど、ストーリーに肉付けするモチーフを思いつかない時には、恋愛物の要素でごまかして、紙数を水増ししていたのだと思うのですよ。 そうとでも考えないと、このバランスの悪さを説明できません。
恋愛小説には、恋愛小説の作法というものがあり、現実よりも、男女の欠点をぼかして書くのが普通です。 恋愛対象として、少し理想的な人物を出しておき、読者に憧れを抱かせるわけですな。 もし、リアルに人格を描き込む場合には、別れとか、身の破滅とか、そういう末路にして、悲劇の形をとります。
ところが、カーは、リアルに描きこんだ上で、ハッピー・エンドにしてしまうから、「こんな、しょーもない相手と、うまくいくわけがないではないか!」と、読んでいる側は、腹を立ててしまうのです。 お伽話じゃあるまいし、「それから二人は、ずっと幸せに暮らしました」では、現代小説とは言えますまい。
というわけで、わざわざ、取り寄せてまで、読む本ではありませんでした。 沼津と浜松の図書館の担当の方々には、申し訳ない事をしてしまいました。 まあ、面白いか、しょーもないかは、読まないと分からないので、致し方ないのですが・・・。
ところで、カーの、反共志向ですが、この作品では、ほんのちょっと、軌道修正した形跡が見られます。 バトラーの口を借りて、「自分の考え方とは正反対だが、あなたはあなたで、理想主義者なのだ」といったような事を言わせているのです。 これねえ、作品の発表年を見ると分かるんですが、1956年でしょう? アメリカで、マッカーシー批判が出てくるのが、54年でして、それまで、ずっと続いてきた、反共・反リベラルの流れが、とりあえず、止まるのです。 逆流まではしませんけど。
カーは、労働党政権になった戦後のイギリスから逃げ出すのですが、アメリカに戻ったら、反共の嵐が吹き荒れていたので、喜んで尻馬に乗り、≪赤い鎧戸のかげで≫を書いたわけです。 それが、54年以降、風向きが変わったのを感じ取って、この作品で、少し、ハンドルを戻しておいたのではないかと思うのです。 もはや、手遅れだったとは思いますが・・・。 つくづく思うに、芸術家は、作品で評価されたいなら、政治的な意思表示は控えた方がいいです。
≪殺意の海辺≫
ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 1986年発行
ジョン・ディクスン・カー他 著
宇野利泰 訳
浜松市立図書館から、相互貸借で取り寄せてもらった本。「閉架」のシールあり。 30年以上経っているのに、状態は良くて、あまり、読まれた形跡がありません。 連作なので、図書館での分類記号は、カーの作品としてではなく、タイトルの頭文字の、「サ」になっています。
長めの短編、もしくは、中編というべき長さの小説が、二作収められていて、表題作の方の、冒頭部分を、カーが担当しています。 もう一作の【弔花はご辞退】の方は、ドロシー・L・セイヤーズという人が、冒頭部分を書いています。 前者は、6人、後者は5人の連作。 名前を列挙してもいいんですが、日本では、ほとんど知られていない人ばかりで、書いても意味がないと思うので、割愛。
発表は、いずれも、1950年代だったそうですが、雑誌に掲載されただけで、本になったのは、1984年だとの事。 発掘されたわけですな。 カーや、セイヤーズという、名前が知れた作家が加わった連作なら、そのファンが買うだろうという目論見だったのだと思います。 こうやって、日本で訳本が出ているところを見ると、まんまと図に当たったと言えるかもしれませんが、カーも、セイヤーズも、日本では、知る人ぞ知るという感じですから、この文庫は、そんなにゃ、売れなかったでしょうねえ。
【殺意の海辺】
冒険小説のネタを探しに、海辺の保養地にやって来た推理作家が、ボートに乗って水路を巡る見世物小屋の入口で、身の危険を感じているという謎の女から一緒に中に入ってくれるように頼まれ、その通りにするが、中で頭を殴られて気を失っている内に、女はいなくなってしまい、彼女の行方を追って、奔走する事になる話。
冒頭で、カーが、「冒険小説のネタを探している」などと書いたものだから、続く作家達が、冒険小説風にせざるを得なくなったのでしょう。 密室とも、不可能犯罪とも、まるで無縁の、カーらしさが全く感じられない話になっています。 アクションというほどの、アクション場面もなく、一体、どこを面白がって欲しいのか、皆目 分かりません。 つまり、連作の失敗作なんでしょうな。
ボートに乗って、水路を巡る見世物小屋というのは、カーの他の作品にも出て来たのですが、メインのストーリーと関係ない場面だったせいか、どの作品だったか、忘れてしまいました。 そちらでは、特殊な見世物小屋という舞台を、トリックか謎と絡めてあったような気がするのですが・・・、ああ、駄目駄目! やっぱり、よく覚えていません。
【弔花はご辞退】
夫と死に別れた後、娘夫婦からの同居の提案を断って、料理人兼家政婦として、地方の屋敷に住み込んだ女性が、主人の妻が毒殺される事件に巻き込まれ、素人探偵として、主人の血縁者や、使用人など、屋敷に住む人々を観察し、事件の真相を探って行く話。
自分で書いておいて、なんですが、この梗概では、ちょっと、良く書き過ぎていますかね。 そんなに面白くはないです。 素人探偵は素人探偵ですが、モチベーションが低くて、是が非でも事件を解決してやろうなどとは考えておらず、関わっている内に、自然に解決してしまったという感じです。
巻末解説にも書いてあるように、こちらの方が、【殺意の海辺】よりは、物語としての纏まりが良いのですが、あくまで、比較すればの話でして、単独で誉めるほどの出来ではありません。 推理小説なのに、トリックが皆無で、自然発生した謎だけでは、読者の興味を引くのに、力不足でしょう。
女性作家ばかりなので、徹底的に、女の目線で、使用人達の世界を描写している点は、面白いです。 女と男とでは、いかに、考え方が違うかが、よーく分かります。 「使用人だが、家族として扱ってもらいたい」といった考え方も、現代日本では、あまり馴染みがないからか、妙に新鮮に感じられます。
連作という企画ですが、推理小説のように、プロットが重大な要素となる分野では、無理があると思いますねえ。 冒頭部分を書く人が、全体のプロットを決めてしまうわけには行きませんから、トリックや謎を盛り込みにくくなるのです。 人数を二人に絞って、前半で提示された謎を、後半で、別の作家が解くという形なら、行けるかも知れません。 「この小説は、書き出しは面白いけど、後半の展開が悪いなあ。 私だったら、もっと、面白い結末をつけられるのに」なんて思った事がある作家は、いくらでも、いるでしょうから。
≪エレヴェーター殺人事件≫
ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1958年初版 1997年3版
ジョン・ロード/カーター・ディクスン 共著
中桐雅夫 訳
相互貸借で、静岡市立図書館から取り寄せられた本。 97年にしては、よく読まれた形跡あり。 90年代の終わりに近づいても、58年と同じ版の本を出していたのだから、早川書房というのは、つくづく、変わっています。 せめて、拗音や促音を小さい文字に直そうという気にならなかったんですかねえ。
発表は、1939年。 ジョン・ロードという人は、イギリスでは有名な作家だったようですが、日本では、数える程度の作品しか訳されていないようです。 知名度からすれば、カーの方が、遥かに上。 だけど、ロードの方が、作家として先輩だったから、名前の並びが、先になっているのだと思います。
元の英題は、「Drop to His Death」で、これは分かり易い。 米題は、「Fatal Descent」で、「致命的な降下」。 こちらの方が、ミステリーの題名っぽいか。 日本語の題は、洒落っ気のかけらもないですが、話の内容を直接的に表しています。 わざわざ、「ヴェ」にしてあるのは、58年という、時代を表していますなあ。 今では、逆に、古臭く、滑稽に見えてしまいますが。
ある出版社のビルにある、社長専用エレベーターの降下中に、一人で乗っていた社長が、射殺される事件が起こる。 天窓が割れていたが、エレベーターの上に人影かがなかった事は、目撃者が証言しており、不可能犯罪と思われる。 たまたま、その目撃者の一人だった、警察医と、彼の友人である警部が、共に捜査に当たり、それぞれの流儀で、推理を逞しくして、トリック、犯人、殺害の動機を解明して行く話。
共作というのが、どういう役割分担をしたのか分からないのですが、たぶん、一人がアイデアを出し、もう一人が、執筆したんじゃないでしょうか。 連作方式で書いたと考えるには、纏まりが良すぎます。 不可能犯罪という点に関しては、カーっぽい話ですな。 カーの単独の作品に比べると、語り口が少し違うような気がせんでもなし。 バラバラ感が少なく、話の纏まりがいいのです。
トリックは、純粋に機械的なもので、「まー、そういう事もできるかねー」と思う程度のもの。 弾丸のトリックに関しては、同じアイデアを、何かの、本で読んだか、ドラマで見たかしているのですが、覚えていません。 カーの作品だったかなあ。 推理小説では、割と良く使われるトリックなのかも。
女性登場人物が、妙にムカつく点は、カーっぽいですな。 だけど、彼女らは、重要な役割を果たす事はありません。 ほとんどが、実質的中心人物である警察医と、警部のやりとりで、埋められています。 二人とも、名探偵ではなく、二人で相補って、解決に辿り着くというパターン。 共作らしいといえば、らしい探偵役ですが、どちらにも、探偵としての特徴的な才能がないから、「続編に期待」という流れにはならなかったでしょうねえ。
傑作、などと呼べるものではないですが、推理小説としては、まずまず、普通に読めます。 楽しいと感じるところまで、もう一歩というレベル。 カー単独作品と比較すると、中の上くらいでしょうか。 ただ、エレベーターの構造が、今と違っていまして、今のエレベーターでは、トリックが成立しません。 昔は、扉が、金属のアコーディオン格子になっていたから、箱の上に誰もいないのを、外から目撃できたんですな。 私の年齢でも、そういうエレベーターを見た事はありません。
≪シャーロック・ホームズの功績≫
ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1958年初版 1989年14版
アドリアン・コナン・ドイル/ジョン・ディクスン・カー 共著
大久保康雄 訳
相互貸借で、浜松市立図書館から取り寄せられた本。 初版は、これまでに読んだ、ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックスのカー作品と、ほぼ同じですが、89年までに、14版まで行っているのは、ダントツに多いですな。 さすが、「シャーロック・ホームズ」の名前をタイトルに入れているだけの事はある。
そして、この本、修理の跡がはっきりあるにも拘らず、紙が何ページも取れてしまうという、ひどい状態でした。 相互貸借本は、沼津市立図書館の蔵書より、デリケートに扱わなければならないので、慎重にページをめくっていたのですが、最初から剥がれているのでは、如何ともし難し。 もちろん、余計な素人修理などせずに、そのまま、返却しました。
発表は、雑誌掲載で、1952・53・54年。 単行本になったのは、54年。 本家のシャーロック・ホームズ・シリーズを、新潮文庫で揃えた人なら、最終巻の「叡智」の解説に、≪シャーロック・ホームズの手柄≫という仮題で、この本が紹介されていたのを、記憶の片隅に留めているかも知れません。
私も、中学生の時に、その解説を読んで、何とか、この本が読めないものかと思ったものですが、どこの本屋にも見当たらないし、当時は、本を取り寄せるといった知恵がなくて、読めずじまいでした。 図書館で頼めば、どこかから取り寄せてもらえた知れませんが、その頃には、図書館に行く習慣がなかったので、思いつきもしませんでした。
パスティーシュ作品に関しては、かなり前に、≪シャーロック・ホームズの大冒険≫を読んで、感想をテキトーに書いたと思うのですが、やはり、パスティーシュはパスティーシュでして、この短編集も、オリジナルの、ホームズ物には、遠く及びません。 しかし、≪大冒険≫に比べると、まだ、オリジナルに近い感じがします。
【七つの時計の事件】
【金時計の事件】
【蝋人形賭博師の事件】
【ハイゲイトの奇蹟事件】
【色の浅黒い男爵の事件】
【密閉された部屋の事件】
以上が、カーと、アドリアン・コナン・ドイルの合作。 以下が、アドリアン単独の作品。
【ファウルクス・ラス館の事件】
【アバス・ルビーの事件】
【黒衣の天使の事件】
【二人の女性の事件】
【デプトフォードの恐怖の事件】
【赤い寡婦の事件】
前半の6作は、【蝋人形賭博師の事件】を筆頭に、いかにも、カーらしいアイデアの作が並んでいます。 しかし、1950年代というと、もう、カーは、推理物を書き飽きていた頃で、トリックも謎も、全く大した事はありません。 「パスティーシュだから、こんなものでもいいだろう」という侮りが感じられます。 その上、ホームズ・オリジナル物の特徴である、劇的な解決場面も見られないとなると、「似せ物」にしても、出来が悪いと言わざるを得ますまい。
後半の6作は、雰囲気的には、前半よりも、遥かに、オリジナルに近いです。 アドリアンが、アーサー・コナン・ドイルの実子だからというわけではなく、この人は、文筆家ではあったけれど、推理作家ではなかったので、自分の好みや、推理小説の定石には囚われずに、父親の作品を研究して、その作風に近づけようと努力したからではないかと思います。
もっとも、トリックや謎がイマイチである点は、カーとの合作作品と変わりません。 トリックのアイデアには、早々と詰まってしまったようで、【デプトフォードの恐怖の事件】は、【まだらの紐】の焼き直し。 【赤い寡婦の事件】は、【ノーウッドの建築士】の焼き直しになっています。
最終話の【赤い寡婦の事件】の末尾に、老境のワトソンが、ホームズと一緒に暮らしている様子が描かれていて、その部分だけ、大変、良いです。 その余韻を楽しむ為だけでも、この本を探して読む価値があるくらいです。
以上、4冊です。 2017年1月半ばから、2月上旬にかけて読んだ本。 連作や共作になって来ると、カーらしい部分と、まるで違う部分が、はっきり分かって、その点は、面白かったです。 推理小説としての出来の方は、みな、今一つでしたけど。
これで、カー作品を一通り読み終わったわけで、総括すべきなんでしょうが、今までにも、それらしい事を、ちょこちょこ書いて来たと思うので、やめておきます。 推理作家の作品なんて、ドイルは別格として、アガサ・クリスティーですら、有名な作品しか読んでないのに、どうしてまた、カーを読破しようと思ったのか、自分でも良く分かりません。 傑作揃いというのなら、分かりますが、そうでもないから、不思議。
大胆に推測すると、カーの作品には、何となく、読者が作者を見下せるようなところがあって、それが、安心感を与えるのではないかと思います。 読者には、自分が思いもつかないような、傑作推理小説を読んで見たいと思う反面、作者に、まんまと、してやられるのを嫌う心理もあり、カーのように、傾向が読める作家なら、その心配が少ないからではないかと・・・。 穿ち過ぎでしょうか。
最後に、私的な、ベスト5を挙げると、
1 ≪ユダの窓≫
2 ≪皇帝のかぎ煙草入れ≫
3 ≪火刑法廷≫
4 ≪貴婦人として死す≫
5 ≪青銅ランプの呪≫
といったところですが、こんなのは、全作読破した人なら、大抵、重なるでしょう。 人によって、≪三つの棺≫が、どれかと入れ替わる程度で。 他は、そうですねえ。 しょーもないスカというのが、2・3ありますが、それ以外のほとんどは、どんぐりの背比べという出来で、雰囲気を楽しむだけなら、どれも、そこそこ楽しめます。 だからこそ、私が、全作読破できたわけですが。
歴史ミステリーの第一作、≪エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件≫は、二回借りて来て、二回とも、冒頭部分から先に進めずに、匙を投げて、返してしまいました。 ま、つっまらん、つまらん! イギリス王室史に、特別な興味がないと、とても読めない内容でした。 コナン・ドイルの伝記も、沼津の図書館にあるのですが、借りる気になりません。 ドイルの経歴を、大体、知ってしまっているからでしょうねえ。
≪バトラー弁護に立つ≫
ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1957年初版 1986年3版
ジョン・ディクスン・カー 著
橋本福夫 訳
相互貸借で、浜松市立図書館から取り寄せられた本。 これが、私が読んだ、カーの長編推理小説の、最後の一冊になります。 歴史ミステリーの方には、まだ読んでいない作品が残っているのですが、そちらは、大体、中身が想像できるせいか、そんなに読みたいとは思いません。 わざわざ、相互貸借で取り寄せてもらう手間を図書館にかけるのも悪いので、読まない事にします。
発表は、1956年。 日本での初版が、翌年ですから、カーの新作を待ち構えていて、翻訳・出版したんでしょうなあ。 題名に出て来る、「バトラー」というのは人の名前で、1949年に発表されたフェル博士シリーズの≪疑惑の影≫で中心人物となった、腕利き弁護士の事です。 彼が出るわけだから、フェル博士シリーズの世界を使っているわけですが、フェル博士は、名前が出てくるだけで、登場はしません。
この作品では、バトラーが、探偵役を務め、中心人物は、ヒュー・プランティスという青年です。 その青年の職業も弁護士。 それにしても、カー作品には、弁護士が良く出てきますなあ。 それでいて、法廷物は、二つくらいしかないんですがね。 ちなみに、この作品は、法廷物ではなくて、法廷場面は、一回も出て来ません。
法律事務所を訪ねて来たペルシャ人の奇術師が、青年弁護士がちょっと部屋を空けた隙に、ナイフで刺し殺されてしまう。 容疑が自分にかかる恐れありと見た青年は、腕利きの弁護士パトリック・バトラーを訪ねて、事情を打ち明ける。 青年とバトラーが、互いの交際相手や、死んだ奇術師の妻を巻き込みながら、ロンドンの街の中を警察から逃れつつ、密室殺人の謎を解き、犯人をつきとめて行く話。
一応、推理物の骨格で書かれていますが、期待して読むと、まったくの肩透かしでして、ガッカリします。 密室トリックは、最も単純のもので、いまや、2時間サスペンスや、刑事物ドラマの一回分でも使われないような、ひどいもの。 カーも、この頃になると、完全に、アイデアが、涸れてしまっていたようです。
街なかを舞台にした、冒険ものと考えた方が、まだ、落ち着いて読めるでしょうか。 そういうのも、カーは、よく書きますが、なんだか、昔のコメディー映画の、BGMばかりうるさくて、全然面白くない、逃走・追跡場面でも見せられているようで、文字を目で追う事に、時間の無駄を感じてしまいます。 で、この作品にも、劇場が出て来るんだわ。 もういいよ、劇場は。 一般読者には、非常に馴染みが薄い場所なのだという事が、分かっていないのでは?
まだ、ある。 一番、紙数を割いているのは、恋愛場面でして、相も変らぬ、リアリティー過剰で、ムカつく女どもが、本筋と何の関係もない事を、べらべらべらべら喋りまくります。 また、そんな女を愛しているという、男が許せぬ。 一生、こんな連中の無駄話を聞いて暮らして、堪えられるとでも言うのかい?
これねえ、間違いないと思うんですが、カーという人は、推理物の結構を一応思いついたけれど、ストーリーに肉付けするモチーフを思いつかない時には、恋愛物の要素でごまかして、紙数を水増ししていたのだと思うのですよ。 そうとでも考えないと、このバランスの悪さを説明できません。
恋愛小説には、恋愛小説の作法というものがあり、現実よりも、男女の欠点をぼかして書くのが普通です。 恋愛対象として、少し理想的な人物を出しておき、読者に憧れを抱かせるわけですな。 もし、リアルに人格を描き込む場合には、別れとか、身の破滅とか、そういう末路にして、悲劇の形をとります。
ところが、カーは、リアルに描きこんだ上で、ハッピー・エンドにしてしまうから、「こんな、しょーもない相手と、うまくいくわけがないではないか!」と、読んでいる側は、腹を立ててしまうのです。 お伽話じゃあるまいし、「それから二人は、ずっと幸せに暮らしました」では、現代小説とは言えますまい。
というわけで、わざわざ、取り寄せてまで、読む本ではありませんでした。 沼津と浜松の図書館の担当の方々には、申し訳ない事をしてしまいました。 まあ、面白いか、しょーもないかは、読まないと分からないので、致し方ないのですが・・・。
ところで、カーの、反共志向ですが、この作品では、ほんのちょっと、軌道修正した形跡が見られます。 バトラーの口を借りて、「自分の考え方とは正反対だが、あなたはあなたで、理想主義者なのだ」といったような事を言わせているのです。 これねえ、作品の発表年を見ると分かるんですが、1956年でしょう? アメリカで、マッカーシー批判が出てくるのが、54年でして、それまで、ずっと続いてきた、反共・反リベラルの流れが、とりあえず、止まるのです。 逆流まではしませんけど。
カーは、労働党政権になった戦後のイギリスから逃げ出すのですが、アメリカに戻ったら、反共の嵐が吹き荒れていたので、喜んで尻馬に乗り、≪赤い鎧戸のかげで≫を書いたわけです。 それが、54年以降、風向きが変わったのを感じ取って、この作品で、少し、ハンドルを戻しておいたのではないかと思うのです。 もはや、手遅れだったとは思いますが・・・。 つくづく思うに、芸術家は、作品で評価されたいなら、政治的な意思表示は控えた方がいいです。
≪殺意の海辺≫
ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 1986年発行
ジョン・ディクスン・カー他 著
宇野利泰 訳
浜松市立図書館から、相互貸借で取り寄せてもらった本。「閉架」のシールあり。 30年以上経っているのに、状態は良くて、あまり、読まれた形跡がありません。 連作なので、図書館での分類記号は、カーの作品としてではなく、タイトルの頭文字の、「サ」になっています。
長めの短編、もしくは、中編というべき長さの小説が、二作収められていて、表題作の方の、冒頭部分を、カーが担当しています。 もう一作の【弔花はご辞退】の方は、ドロシー・L・セイヤーズという人が、冒頭部分を書いています。 前者は、6人、後者は5人の連作。 名前を列挙してもいいんですが、日本では、ほとんど知られていない人ばかりで、書いても意味がないと思うので、割愛。
発表は、いずれも、1950年代だったそうですが、雑誌に掲載されただけで、本になったのは、1984年だとの事。 発掘されたわけですな。 カーや、セイヤーズという、名前が知れた作家が加わった連作なら、そのファンが買うだろうという目論見だったのだと思います。 こうやって、日本で訳本が出ているところを見ると、まんまと図に当たったと言えるかもしれませんが、カーも、セイヤーズも、日本では、知る人ぞ知るという感じですから、この文庫は、そんなにゃ、売れなかったでしょうねえ。
【殺意の海辺】
冒険小説のネタを探しに、海辺の保養地にやって来た推理作家が、ボートに乗って水路を巡る見世物小屋の入口で、身の危険を感じているという謎の女から一緒に中に入ってくれるように頼まれ、その通りにするが、中で頭を殴られて気を失っている内に、女はいなくなってしまい、彼女の行方を追って、奔走する事になる話。
冒頭で、カーが、「冒険小説のネタを探している」などと書いたものだから、続く作家達が、冒険小説風にせざるを得なくなったのでしょう。 密室とも、不可能犯罪とも、まるで無縁の、カーらしさが全く感じられない話になっています。 アクションというほどの、アクション場面もなく、一体、どこを面白がって欲しいのか、皆目 分かりません。 つまり、連作の失敗作なんでしょうな。
ボートに乗って、水路を巡る見世物小屋というのは、カーの他の作品にも出て来たのですが、メインのストーリーと関係ない場面だったせいか、どの作品だったか、忘れてしまいました。 そちらでは、特殊な見世物小屋という舞台を、トリックか謎と絡めてあったような気がするのですが・・・、ああ、駄目駄目! やっぱり、よく覚えていません。
【弔花はご辞退】
夫と死に別れた後、娘夫婦からの同居の提案を断って、料理人兼家政婦として、地方の屋敷に住み込んだ女性が、主人の妻が毒殺される事件に巻き込まれ、素人探偵として、主人の血縁者や、使用人など、屋敷に住む人々を観察し、事件の真相を探って行く話。
自分で書いておいて、なんですが、この梗概では、ちょっと、良く書き過ぎていますかね。 そんなに面白くはないです。 素人探偵は素人探偵ですが、モチベーションが低くて、是が非でも事件を解決してやろうなどとは考えておらず、関わっている内に、自然に解決してしまったという感じです。
巻末解説にも書いてあるように、こちらの方が、【殺意の海辺】よりは、物語としての纏まりが良いのですが、あくまで、比較すればの話でして、単独で誉めるほどの出来ではありません。 推理小説なのに、トリックが皆無で、自然発生した謎だけでは、読者の興味を引くのに、力不足でしょう。
女性作家ばかりなので、徹底的に、女の目線で、使用人達の世界を描写している点は、面白いです。 女と男とでは、いかに、考え方が違うかが、よーく分かります。 「使用人だが、家族として扱ってもらいたい」といった考え方も、現代日本では、あまり馴染みがないからか、妙に新鮮に感じられます。
連作という企画ですが、推理小説のように、プロットが重大な要素となる分野では、無理があると思いますねえ。 冒頭部分を書く人が、全体のプロットを決めてしまうわけには行きませんから、トリックや謎を盛り込みにくくなるのです。 人数を二人に絞って、前半で提示された謎を、後半で、別の作家が解くという形なら、行けるかも知れません。 「この小説は、書き出しは面白いけど、後半の展開が悪いなあ。 私だったら、もっと、面白い結末をつけられるのに」なんて思った事がある作家は、いくらでも、いるでしょうから。
≪エレヴェーター殺人事件≫
ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1958年初版 1997年3版
ジョン・ロード/カーター・ディクスン 共著
中桐雅夫 訳
相互貸借で、静岡市立図書館から取り寄せられた本。 97年にしては、よく読まれた形跡あり。 90年代の終わりに近づいても、58年と同じ版の本を出していたのだから、早川書房というのは、つくづく、変わっています。 せめて、拗音や促音を小さい文字に直そうという気にならなかったんですかねえ。
発表は、1939年。 ジョン・ロードという人は、イギリスでは有名な作家だったようですが、日本では、数える程度の作品しか訳されていないようです。 知名度からすれば、カーの方が、遥かに上。 だけど、ロードの方が、作家として先輩だったから、名前の並びが、先になっているのだと思います。
元の英題は、「Drop to His Death」で、これは分かり易い。 米題は、「Fatal Descent」で、「致命的な降下」。 こちらの方が、ミステリーの題名っぽいか。 日本語の題は、洒落っ気のかけらもないですが、話の内容を直接的に表しています。 わざわざ、「ヴェ」にしてあるのは、58年という、時代を表していますなあ。 今では、逆に、古臭く、滑稽に見えてしまいますが。
ある出版社のビルにある、社長専用エレベーターの降下中に、一人で乗っていた社長が、射殺される事件が起こる。 天窓が割れていたが、エレベーターの上に人影かがなかった事は、目撃者が証言しており、不可能犯罪と思われる。 たまたま、その目撃者の一人だった、警察医と、彼の友人である警部が、共に捜査に当たり、それぞれの流儀で、推理を逞しくして、トリック、犯人、殺害の動機を解明して行く話。
共作というのが、どういう役割分担をしたのか分からないのですが、たぶん、一人がアイデアを出し、もう一人が、執筆したんじゃないでしょうか。 連作方式で書いたと考えるには、纏まりが良すぎます。 不可能犯罪という点に関しては、カーっぽい話ですな。 カーの単独の作品に比べると、語り口が少し違うような気がせんでもなし。 バラバラ感が少なく、話の纏まりがいいのです。
トリックは、純粋に機械的なもので、「まー、そういう事もできるかねー」と思う程度のもの。 弾丸のトリックに関しては、同じアイデアを、何かの、本で読んだか、ドラマで見たかしているのですが、覚えていません。 カーの作品だったかなあ。 推理小説では、割と良く使われるトリックなのかも。
女性登場人物が、妙にムカつく点は、カーっぽいですな。 だけど、彼女らは、重要な役割を果たす事はありません。 ほとんどが、実質的中心人物である警察医と、警部のやりとりで、埋められています。 二人とも、名探偵ではなく、二人で相補って、解決に辿り着くというパターン。 共作らしいといえば、らしい探偵役ですが、どちらにも、探偵としての特徴的な才能がないから、「続編に期待」という流れにはならなかったでしょうねえ。
傑作、などと呼べるものではないですが、推理小説としては、まずまず、普通に読めます。 楽しいと感じるところまで、もう一歩というレベル。 カー単独作品と比較すると、中の上くらいでしょうか。 ただ、エレベーターの構造が、今と違っていまして、今のエレベーターでは、トリックが成立しません。 昔は、扉が、金属のアコーディオン格子になっていたから、箱の上に誰もいないのを、外から目撃できたんですな。 私の年齢でも、そういうエレベーターを見た事はありません。
≪シャーロック・ホームズの功績≫
ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1958年初版 1989年14版
アドリアン・コナン・ドイル/ジョン・ディクスン・カー 共著
大久保康雄 訳
相互貸借で、浜松市立図書館から取り寄せられた本。 初版は、これまでに読んだ、ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックスのカー作品と、ほぼ同じですが、89年までに、14版まで行っているのは、ダントツに多いですな。 さすが、「シャーロック・ホームズ」の名前をタイトルに入れているだけの事はある。
そして、この本、修理の跡がはっきりあるにも拘らず、紙が何ページも取れてしまうという、ひどい状態でした。 相互貸借本は、沼津市立図書館の蔵書より、デリケートに扱わなければならないので、慎重にページをめくっていたのですが、最初から剥がれているのでは、如何ともし難し。 もちろん、余計な素人修理などせずに、そのまま、返却しました。
発表は、雑誌掲載で、1952・53・54年。 単行本になったのは、54年。 本家のシャーロック・ホームズ・シリーズを、新潮文庫で揃えた人なら、最終巻の「叡智」の解説に、≪シャーロック・ホームズの手柄≫という仮題で、この本が紹介されていたのを、記憶の片隅に留めているかも知れません。
私も、中学生の時に、その解説を読んで、何とか、この本が読めないものかと思ったものですが、どこの本屋にも見当たらないし、当時は、本を取り寄せるといった知恵がなくて、読めずじまいでした。 図書館で頼めば、どこかから取り寄せてもらえた知れませんが、その頃には、図書館に行く習慣がなかったので、思いつきもしませんでした。
パスティーシュ作品に関しては、かなり前に、≪シャーロック・ホームズの大冒険≫を読んで、感想をテキトーに書いたと思うのですが、やはり、パスティーシュはパスティーシュでして、この短編集も、オリジナルの、ホームズ物には、遠く及びません。 しかし、≪大冒険≫に比べると、まだ、オリジナルに近い感じがします。
【七つの時計の事件】
【金時計の事件】
【蝋人形賭博師の事件】
【ハイゲイトの奇蹟事件】
【色の浅黒い男爵の事件】
【密閉された部屋の事件】
以上が、カーと、アドリアン・コナン・ドイルの合作。 以下が、アドリアン単独の作品。
【ファウルクス・ラス館の事件】
【アバス・ルビーの事件】
【黒衣の天使の事件】
【二人の女性の事件】
【デプトフォードの恐怖の事件】
【赤い寡婦の事件】
前半の6作は、【蝋人形賭博師の事件】を筆頭に、いかにも、カーらしいアイデアの作が並んでいます。 しかし、1950年代というと、もう、カーは、推理物を書き飽きていた頃で、トリックも謎も、全く大した事はありません。 「パスティーシュだから、こんなものでもいいだろう」という侮りが感じられます。 その上、ホームズ・オリジナル物の特徴である、劇的な解決場面も見られないとなると、「似せ物」にしても、出来が悪いと言わざるを得ますまい。
後半の6作は、雰囲気的には、前半よりも、遥かに、オリジナルに近いです。 アドリアンが、アーサー・コナン・ドイルの実子だからというわけではなく、この人は、文筆家ではあったけれど、推理作家ではなかったので、自分の好みや、推理小説の定石には囚われずに、父親の作品を研究して、その作風に近づけようと努力したからではないかと思います。
もっとも、トリックや謎がイマイチである点は、カーとの合作作品と変わりません。 トリックのアイデアには、早々と詰まってしまったようで、【デプトフォードの恐怖の事件】は、【まだらの紐】の焼き直し。 【赤い寡婦の事件】は、【ノーウッドの建築士】の焼き直しになっています。
最終話の【赤い寡婦の事件】の末尾に、老境のワトソンが、ホームズと一緒に暮らしている様子が描かれていて、その部分だけ、大変、良いです。 その余韻を楽しむ為だけでも、この本を探して読む価値があるくらいです。
以上、4冊です。 2017年1月半ばから、2月上旬にかけて読んだ本。 連作や共作になって来ると、カーらしい部分と、まるで違う部分が、はっきり分かって、その点は、面白かったです。 推理小説としての出来の方は、みな、今一つでしたけど。
これで、カー作品を一通り読み終わったわけで、総括すべきなんでしょうが、今までにも、それらしい事を、ちょこちょこ書いて来たと思うので、やめておきます。 推理作家の作品なんて、ドイルは別格として、アガサ・クリスティーですら、有名な作品しか読んでないのに、どうしてまた、カーを読破しようと思ったのか、自分でも良く分かりません。 傑作揃いというのなら、分かりますが、そうでもないから、不思議。
大胆に推測すると、カーの作品には、何となく、読者が作者を見下せるようなところがあって、それが、安心感を与えるのではないかと思います。 読者には、自分が思いもつかないような、傑作推理小説を読んで見たいと思う反面、作者に、まんまと、してやられるのを嫌う心理もあり、カーのように、傾向が読める作家なら、その心配が少ないからではないかと・・・。 穿ち過ぎでしょうか。
最後に、私的な、ベスト5を挙げると、
1 ≪ユダの窓≫
2 ≪皇帝のかぎ煙草入れ≫
3 ≪火刑法廷≫
4 ≪貴婦人として死す≫
5 ≪青銅ランプの呪≫
といったところですが、こんなのは、全作読破した人なら、大抵、重なるでしょう。 人によって、≪三つの棺≫が、どれかと入れ替わる程度で。 他は、そうですねえ。 しょーもないスカというのが、2・3ありますが、それ以外のほとんどは、どんぐりの背比べという出来で、雰囲気を楽しむだけなら、どれも、そこそこ楽しめます。 だからこそ、私が、全作読破できたわけですが。
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