2017/01/01

私の2016年

  すでに、新年になってしまっていますが、2016年の総括をしておこうと思います。 実は、先週、これを書く予定だったのが、十大出来事のトップである、父の死について書き始めたら、いつのまにか、父の人生の話になってしまったのです。 で、今回は、脱線を避ける為に、最初から、10項目、挙げてしまいます。 カウント・ダウンも、ドラム・ロールもなし。 大きい方から並べます。




1 父の死
2 父の介護
3 父の見舞い
4 父の遺品の片付け
5 父の死後の役所関係の処理

6 母の狭心症手術
7 バイクの売却
8 車の購入
9 自転車のレストア
10 掃除機2台の購入



  ・・・といったところ。 上位5項目を、父関係が占めています。 父の死は、大事件だったから、当然と言えば当然ですな。 以下、ざっと、解説します。 今までに、記事で紹介したものも含まれますが、いちいち、チェックしないので、重複があっても、御容赦下さい。



【1 父の死】
  6月6日の朝から、腹痛を訴え始め、その夜から、激しい嘔吐。 7日の朝には、救急車で、近くの総合病院に入院しました。 原因がよく分からないまま、とりあえず、物が食べられて、出せるようになったので、6月28日に退院しました。 家に戻ったものの、心身の衰えが甚だしく、自分では何もしなくなり、夜間、頻繁に、大小問わず、漏らすようになりました。 食は細り、好物のそうめんも残すようになって、少しずつ痩せていきました。

  7月21日に、家の階段の最後の一段を踏み外して、転倒し、壁に頭をぶつけて、3針縫う怪我をしました。 近所の外科まで、タクシーで通ったのですが、往復で、2千円も飛んでしまうので、あれには、参りました。 5回くらい通って、頭の方は治ったのですが、治療の途中から、足がむくみ始め、治療が終わって、外科の薬を飲まなくなってからも、元に戻りませんでした。

  8月1日から、また、体調が悪くなり、2日に、私の車で病院へ連れて行って、再度、入院しました。 一週間いて、8月8日の夕方に、病院から家に電話があり、食べた物を戻して、それが肺に入って、危篤だとの報せ。 母と二人で病院へ行き、説明を受けたのですが、呼吸器をつけなければ、すぐに死に、呼吸器をつけても、心臓の負担が大きくなるから、やがて死ぬという、究極の選択みたいな話でした。

  細かい事を言えば、誤嚥を起こしたのは、病院の責任なのですが、訴えようなんていう気が全くなかったのは、父が、もう、半年も前から、死んでいるようなものだったからです。 認知機能が衰えた上に、何もしたい事がないのでは、生きているのか死んでいるのか、分かりません。

  一晩、呼吸器で持たせ、病状が落ち着いたように見えたのですが、病室で徹夜した私と母が、朝、一旦、家に戻っている間に、心臓が止まってしまいました。 電話を受けて、すぐに、病院へ行ったら、まだ、胸は動いていたものの、それは、呼吸器で動かしているだけでした。

  その後、母が喪主、兄が施主になって、通夜と葬儀が執り行われますが、兄が、予想外の大馬鹿者だったせいで、父の生き方とは不釣合いな、大きな葬儀にしてしまい、私は、この上なく、苦々しい思いをさせられました。 思い出すのも胸糞悪いので、改めて書く事はしません。 もう、兄と、真面目な話をする事は、永久にないでしょう。 この歳になって、馬鹿に振り回されてたまるか。



【2 父の介護】
  これも、大きな出来事でした。 私が、ほぼ一人で取り組まなければならなかったから、「激闘」に近い仕事になってしまいました。 父の言動がおかしくなり始めたのは、2015年の秋からで、「テレビが夜中に点く」と言い始めました。 真相は、父がテレビを点けたまま眠ってしまって、夜中に目覚めたら、テレビが点いたままなので、「テレビが勝手に点いた」とか、「誰かが点けた」とか、そんな妄想を抱くようになったのです。

  妄想は、どんどんエスカレートし、最もひどい時には、「夜中に、ケーブル・テレビ会社の人間が、外で工事をしていた」などと、言っていました。 テレビの中で、会議をやっている様子が映ったのを、自分の部屋で、他人が会議をしていると思い込んだ事もありました。 夢で見た事を、現実だと思い込んで、真面目に私に相談して来る事も多かったです。

  だけど、その頃はまだ、まあまあ、普通の生活をしていて、できなくなってしまった事を、ちょっと手伝ってやるだけで済んでいたのです。 介護が厳しくなったのは、最初の入院から、二度目の入院の間の、7月の1ヵ月間でした。 一応、立って歩けたので、寝たきりではなく、紙オムツもパンツ式で何とかなっていたのですが、夜中に大小便を漏らすせいで、朝が大変。 私が朝食の仕度をして、父を呼びに行くと、糞尿の中に座っているような有様で、服を脱がせて、綺麗にし、着替えさせるまでに、30分もかかり、こちらがうんざりしてしまいました。

  なまじ、汚れた下着を、自力で脱ぐ事ができたのが、よくないのであって、汚れたまま、待っていてくれればいいのに、脱ぐだけ脱いでも、新しいオムツを穿けないものだから、普通のパンツを穿いて、汚れ物をどんどん増やしてしまうのです。 私に見つからないように、ゴミ箱に汚れ物を押し込む事もしていました。 子供に戻ってしまうんですなあ。

  私は気が短い方で、元々が介護向けの性格ではなく、無理にやっていたのも、よくなかった。 正直なところ、父が再入院した時には 、「これで、しばらく、介護しないで済む」と思って、ホッとしました。 こんなに早く死んでしまうなら、施設に入って、プロに介護してもらった方が、父も幸せだったろうと思うのですが、後の祀りです。



【3 父の見舞い】
  父が入院している間は、介護をしなくていいので、家では楽な生活をしていたのですが、その代わり、毎日、病院まで、見舞いに通っていたので、そちらが大変でした。 6月が、22日間。 母と二人で、自転車に乗り、片道30分くらいかけて行きましたが、毎日、暑くてねえ。 私一人で行った時には、徒歩でしたが、それも、暑かったなあ。

  母も私も入院経験があり、いかに退屈か、いかに、見舞い客がありがたいかが分かっていたから、毎日行っていたのですが、父の場合、すでに、認知機能が衰えていたから、私達が来ても、喜ぶようなそぶりは、一切見られませんでした。 むしろ、看護師やリハビリ療法士の人達に構ってもらう方が楽しいようで、家族なんて、来ない方がいいと思っていた風も見られました。 なんとも、見舞い甲斐のないこって。

  8月の入院の時は、私一人だけが、7日間、通いました。 うち、一回だけ、車。 他は、自転車だったと思います。 母は、自分が見舞いに来ている事を、父が分かっていない事が分かったせいで、二度目の入院の時には、一度も見舞いに行きませんでした。 



【4 父の遺品の片付け】
  これは、現在も進行中ですが、手間と時間がかかる点に於いては、介護よりもきついです。 父の百箇日が過ぎた11月の後半から、一日おきのペースで始めたのですが、もう使わない物を、解体し、分類し、資源ゴミや埋め立てゴミに出しまくっているにも関わらず、一向に、終わりが見えて来ません。 つい先週、ようやく、父の部屋の分が片付き、父が仕事場にしていたプレハブ離屋に主戦場が移ったのですが、そこがまた、不用品の倉庫みたいな有様で、どう片付けていいか、毎回、途方に暮れてしまいます。

  去年の秋から冬にかけて、自分の物を整理し、かなりの不用物を捨てたのですが、今年のは、量的に、その比ではありませんな。 父の持ち物についているのは、父自身の思い出でして、私の思い出ではないから、処分するとなったら、ほとんど、全てが対象になってしまうのです。



【5 父の死後の役所関係の処理】
  これも、面倒でした。 父の死後、すぐに取りかかり、市役所には、何度行ったか分からず、年金事務所にも行きました。 一通り終わった後から、郵便で通知が来て、介護保険や、市・県民税などの、まだ払ってなかった分を追加したり、還付金を受け取る為に、申請書を送ったりと、11月頃まで、面倒な思いをさせられました。

  相続に関しては、兄が全部取るので、手続きを任せてあるのですが、なにせ、馬鹿なので、役所関係を真っ先に対処しなければならないという事が分からず、「四十九日の後でやる」、「(母の狭心症の)手術が終わってから、やる」などと、先延ばしにして、私と母は、未だに、相続放棄の手続きをしていません。 まあ、私と母が取り分を主張しなければ、争い事にはならないわけですが。

  何を勘違いしているのか、税務署より、四十九日の法事の方が、大事だと思っていた様子。 アホけ? そんなの私的な行事ではないか。 それでいて、父を悼もうなどという気は、微塵もなくて、ただ単に、親戚の前で、施主の体裁を取り繕おうとしているだけなのですが・・・。 こういう人間て、いるんだよね。 身内にいやがったのは、私にとって、明らかに不幸です。



【6 母の狭心症手術】
   一年くらい前から、母が、家の階段を上る時に、ゼイゼイ息をするようになり、私が何度も、病院で相談して来いと言っていたのですが、今年の春に、通っている糖尿病医院で心電図をとってもらったら、異常があると分かり、心臓の専門病院を紹介されました。 7月の終わり頃、買ったばかりの車で、そこへ送って行き、初診。 8月の初めに、一泊入院して、カテーテル検査したところ、心臓を取り巻く血管の一本が詰まっている事が分かりました。

  カテーテル手術をする事になったのですが、その後、父が死んで、それどころではなくなり、結局、カテーテル手術をしたのは、10月28日でした。 その時は、二泊三日の入院で、27日に送って行って、翌日が手術。 手術の日は、私はずっと、病院に詰めていたのですが、手術中も、手術室の外ではなく、大部屋の母のベッドの所で、待つように言われました。 とにかく、病院側としては、家族が、すぐに連絡が取れる所にいれば良かったんですな。

  午後3時45分頃から、6時まで、2時間くらい待ちました。 やがて、ストレッチャーで戻って来て、成功したとの事。 結構、難易度の高い手術だったそうで、年に二回も葬式を出さなければならないかと、ヒヤヒヤしました。 三日目の、29日に、迎えに行って、帰宅。 その後は、割と普通に暮らしています。 しかし、手術前に比べると、体力は衰えたようで、自転車で買い物に行く頻度が減りましたし、外掃除も、滅多にしなくなりました。

  いずれ、母も死んでしまうのでしょう。 そうなったら、私の余生は、寂しくも厳しいものになるでしょうねえ。 私の方が先に死ねば、それは免れますが、いくら、突然死の恐れを宣告されているからと言って、そう、うまく行くかどうか。 



【7 バイクの売却】
  7位から、ようやく、自分の事になりますが、2002年から、14年間乗ったバイク、「ヤマハ セロー225WE」を、車を買った中古車店に、5万円で売却しました。 9月1日の事です。 なぜ、バイクの売却の方が、車の購入より、順位が上かというと、1993年から、23年間続いた、バイク生活そのものに、ピリオドを打つ出来事だったからです。

  そもそも、通勤目的で、二輪の免許を取ったので、仕事を辞めた時点で、バイクは不要になっていたのですが、すぐに手放さなかったのは、自賠責保険の残りがあったから。 その事は、以前にも、書きましたな。 それが、今年になって、最初の入院の後、父が自転車に乗れなくなってしまい、バス停まで歩くのも覚束ない有様。 病院へ通うのに、タクシーを使っていたのでは、お金がいくらあっても足りません。 やむなく、車を買う事にしたのですが、車とバイク、両方の任意保険を払うのは厳しいので、残りの自賠責を捨てて、バイクを処分したのです。

  つまり、売却の原因は、私の都合ではなかったわけですが、あまり、惜しいとは思いませんでした。 当初の目的だった、通勤の方は、つつがなく、完遂しましたし、野宿ツーリングで、あちこち行って、見聞も広められました。 車や電車では、金額的に、絶対に行かなかったような所にも行けたから、バイクが私の人生に齎してくれた恩恵には、ささやかならぬものがあったと言えます。

  引退後は、一転、お荷物になってしまいました。 バッテリーの為に、最低でも、十日に一度はエンジンをかけなければならないので、冬場は辛かったです。 夏場は夏場で、ツーリングに行かなければならないという強迫観念に苦しめられて、困りました。 そんなこんなで、手放して、ホッとした気持ちもあります。  

  今年の夏は、カーの本を借りる為に、三島図書館に、何度も行ったのですが、それが、バイク最後の、実利的なお役目になりました。 ツーリングも、富士市の「丸火自然公園」と、山梨県の「四尾連湖」に行きましたが、その時の事は、すでに、記事にしてあります。 バイクの事は、23年分も思い出があるから、また、いつか書くかもしれません。



【8 車の購入】
  この件については、ごく最近も、記事を書いたので、細かい経緯は繰り返しません。 1986年に最初に買った車、初代ミラを廃車にしたのは、1992年でしたから、私が車を所有したのは、実に、24年ぶりです。 だけど、母や父の車を借りて乗っていたから、運転自体は、2012年までしていて、そちらのブランクは、4年間に過ぎません。

  今現在、割と普通に乗っていますが、やはり、私も歳を取っているわけで、若い頃と同じようなわけには行きません。 50代前半でも、ヒヤッとする場面が多いのですから、80歳過ぎの老人が運転するなんて、寒気がする話ですな。 当人に自覚がないのが、また怖い。



【9 自転車のレストア】
  年初にやった事なので、もう、記憶が遠くなってしまいましたが、これも、大仕事でした。 詳しく書いた記事があるので、興味のある方は、どうぞ。 私の乗っている旧母自は、また、だいぶ、錆が出てきましたが、しばらくは、錆取りをする気がありません。 ああいう作業は、ノリが必要でして、一度、やめてしまうと、なかなか、もう一度という気分にはなれないものです。

  父自の方は、父の最初の入院の途中から、もう半年も、プレハブ離屋に入れたままです。 埃は被っていますが、濡れないから、錆は復活していません。 父自に乗る人間がいなくなってしまったので、捨てるべきか、そのままとっておくべきか、懊悩中。 リサイクル店で買ってもらうというのは、駄目。 素人がレストアした自転車なんて、買う人はいませんわ。



【10 掃除機2台の購入】
  車の補修と、掃除機購入と、どちらを10位に入れるか迷いましたが、車の事は、8位でも触れているし、まだ、補修シリーズが途中なので、外す事にし、こちらにしました。 このブログでは、掃除機購入の件について、全く触れていなかったので。

  2台の内、1台は横型、もう1台は、スティック型で、どちらも、電源コード式です。 横型は、6月3日に、スティック型は、父の最初の入院中の、6月16日に、いずれも、通販で買いました。 横型は、アマゾンのカード払いでしたが、スティック型は、ノジマ・オンラインの方が安くて、初めて、コンビニ払いを試しました。 送料込みで、3千円ポッキリだったから、メチャクチャ安かったです。 ちなみに、横型の方は、4380円。

  6月以前は、一階にある掃除機を、週に一回、二階に運び上げて、自室の掃除をしていたのですが、それが、結構、きつかったのです。 その上、父が衰えて、自分の部屋の掃除をしなくなってしまい、そちらも私がやる事になって、掃除機購入意欲が盛り上がったわけですな。

  最初、横型を買って、自室で使おうとしたのですが、吸引力が強過ぎて、絨毯に吸い付いて、前に進みません。 押さずに、手前に引いて使っていましたが、いつまでも、そんな事をやっていられないと思い、スティック型を買い直して、自室用にしたのです。 そちらは、問題なく、前に進みました。 横型は、フローリングなら、何の問題もないので、二階の廊下と、父の部屋用にしました。

  父が生きていた間は、2台とも、私の部屋の押入れに収納していたのですが、父の死後、父の部屋が片付くに従い、そちらに置きっぱなしにするようになりました。 私の部屋の押入れに入れる為に、元箱とは別に、キャスター付きの収納箱を、わざわざ作ったのに、今では、無駄になってしまいました。 まあ、事情が変わって、せっかく作った物が、短期間で用なしになるというのは、よくある事です。




  私の、2016年の、十大出来事は、こんなところです。 ざっと解説するなどと言いながら、長くなってしまって、申し訳ない、面目ない。 こうして書き出してみると、一年の間には、結構いろんな事があるものなんですねえ。 2016年は、父の死の分、出来事が多すぎでした。