2016/11/20

遺物との戦い

  母の狭心症の手術が終わった後、これといって、やる事がなくなり、自然に、父の部屋の片付けに気が向くようになりました。 四十九日はとっくに過ぎていて、もう、遺物を処分しても、問題ないと判断した次第。 だけど、これが大変でねえ・・・。 かれこれ、 半月も、それに取り組んでいるのですが、終わりは、まるで見えません。

  以下、日記から、関係のある部分だけ抜き出して、移植します。 私の捨て物の記事も混じっています。 同じような作業なので、並行して進めており、それが、ますます、作業を厄介なものにしています。 そういう意味で、無関係ではないので、そちらも、削除せずに、出します。




≪2016/10/31 月≫
  運動の為に、山に登り、帰って来てから、服が汚れているついでに、父の部屋の捨て物片付け。 とにかく、押入れの奥の納戸に入っている、下着類や衣類を、全て捨ててしまおうと考え、納戸に潜って、ごっそり引っ張り出しました。 なんで、こんなに残してあるのか? 4分の1くらいは、父の部屋の元の住人である兄の物でしたが、尚の事、古いのであって、父が、何も捨てられない人であった事が、よーく分かりました。



≪2016/11/02 水≫
  居間の、29型ブラウン管テレビを、父が使っていた、32型液晶テレビに換える話が、だいぶ前から出ていたのですが、母の手術も終わった事だし、そろそろ、実行する事にしました。 その為には、まず、旧居間にある、21型ブラウン管テレビを廃棄し、29型ブラウン管を旧居間に移さなければなりません。

  21型と言っても、ブラウン管だと、巨大な物体でして、まず、一人で持ち上げられる事を確認しました。 家で車に積む時には、母に手伝ってもらえますが、家電リサイクル・センターに行ったら、私一人で下ろさなければならないからです。 確認した上で、旧母自で近くの郵便局に行き、家電リサイクル券を買って来ました。 パナソニックで、16型以上のテレビは、2916円。 振り込み手数料が、130円で、計3046円です。

  家に戻って、家電リサイクル・センターに電話したら、本日営業中で、車で入れるとの事。 今年の4月に、白黒テレビを自転車に積んで、処分しに行ったので、それは分かってたんですが、もちろん、「はい、知ってます」などと生意気、且つ、余計な事は言わず、「そうですか、分かりました」と、気持ちの良い返事をしておきました。

  車のリヤ・ハッチを開け、後席背凭れを倒して、荷室を広げます。 車を傷めないように、新聞紙を分厚く敷き、テレビを積みました。 家の中は、母に片側持ってもらい、玄関から車までは、私一人で運びましたが、21型ブラウン管の重さは、一人で運べる限界だと感じました。 ハッチを閉め易いように、画面を下にして置きます。 電源コードは、鋏で切りました。 それは、家で捨てられるからです。

  隣の自治体にある、家電リサイクル・センターまで、15分くらい。 もちろん、安全運転に徹します。 駐車場にとめ、テレビを、うんとこしょと持ち上げて、20歩くらい歩き、所定の場所に持って行きました。 担当者が不在のようで、しばらく待ちましたが、その内、人が来て、手続きはすぐに終わりました。

  その、パナソニック・21型ブラウン管テレビは、元々は、母が買ったもので、アナログBSチューナーが内蔵されていたもの。 1999年のシールが貼ってありました。 なんと、私の車よりも新しかったんですな。 2013年6月に、母の部屋に液晶テレビを買ってから、旧居間に移され、父が夏場、昼寝する時にだけ見るテレビになっていたのですが、その役目も、去年の8月には終了し、最後に使ったのは、今年の6月末に、父が、最初の入院から退院してきた日に、とりあえず、旧居間に布団を敷いて寝て、少し見た、その時でした。

  何の問題もなく、今でも見れるのですが、もはや、置く部屋がなく、見る人もいません。 ご苦労だった。 リモコンのデザインには、時代を感じます。 それは、撮影して、埋め立てゴミへ。 もちろん、テレビ本体の遺影も撮ってありますが、私が使っていたテレビではないので、見直す事があるかどうか・・・。


  昼間は、母が居間のテレビにへばりついていて、入れ替え作業ができません。 昼一で、香貫山へ登山。 腹を凹ませる為です。 ドス曇りで、富士は見えず、その代わり、愛鷹山の稜線が、よく見えました。


  3時半を待ち、母と二人で、29型ブラウン管テレビを、居間から、旧居間へ移しました。 さすがに、ガラスの量が多いだけあって、二人で運んでも、重かったです。 いずれ、これも、家電リサイクル・センターへ運ばなければなりませんが、母と二人で行かなければならないかも知れません。 「いずれ」などと、悠長な事を言っていないで、母が元気な内に処分してしまうべきなのか。

  次に、父の部屋から、32型液晶テレビを、居間へ運びました。 これは、私一人で持ち上げました。 液晶だと、32型でも、21型のブラウン管より軽いです。 父の液晶テレビは、2010年製で、まだかなり厚みがある方なので、今の製品なら、もっと軽い事でしょう。 居間のテレビ台は、そのまま使います。

  設置して、配線。 ブラウン管テレビの時は、デジタル対応していませんでしたから、地デジ化以降、レコーダーのモニターとしてだけ使っていたわけですが、父の液晶テレビは、デジタル・チューナーがついているので、テレビ側でもテレビが見れます。 その為に、アンテナ・ケーブルを、CATVとBSの2本、追加しました。 それは、父の部屋で使っていた物を、持って来ました。 父の部屋には、レコーダーだけが残っています。

  画面サイズが違っていたり、レコーダーのリモコンで、テレビの音声を変えられなかったり、ありがちな問題が起こったものの、一つ一つ、克服し、何とか、夕飯までには、普通に見れるように調整しました。 29型から、32型と、数値的には大差ない変化ですけど、画面比率が、「4:3」から、「16:9」になったせいか、見た目には、相当、大きくなった感じがします。 画面が大きくなり過ぎて、些か、目が疲れますが、これは、その内、慣れるでしょう。

  いやはや、今日は、随分、働きました。 オマケに、登山までしたのだから、動き過ぎたかも知れません。



≪2016/11/03 木≫
  今週末が、埋め立てゴミの日なので、父の部屋や、プレハブ離屋の物を少しずつでも捨てようと、埋め立てゴミに該当する物を探したら、ラジカセやラジオが、3台出て来ました。 入れたままの乾電池が、液漏れして、腐食している有様。 ラジオは、他にもあって、この3台をとっておいても、使いっこないので、捨てる事にしました。

  父の部屋のテレビ台の奥から出て来た、ビデオ・テープも、鋏でテープを切って、指定袋へ。 ビデオ・デッキはとっくになくなっているのに、テープだけ、捨てずに残してあったんですな。 たぶん、中身は、時代劇だと思います。



≪2016/11/04 金≫
  埋め立てゴミの日に間に合わせる為に、父の部屋の片付け。 今日は、机の中に入っている物を引っ張り出しました。 もーう、いちいち書くのも嫌になるくらい、ごちゃごちゃと、いろんな物が入っていました。 父にとっては、愛用の品でも、私にとっては、ただのゴミでして、げんなりしてしまいました。

  特に、始末が悪いのが、液物や軟膏・クリーム類でして、そのまま捨てられないので、中身を出すわけですが、ヘア・トニックとか、どーしろってゆーのよ、この、刺激臭のする物質を。 いや、指定袋に布を詰め、それに染み込ませましたがね。 もう、忍耐の限界に挑戦する作業ですな。

  父の部屋に関しては、半年もすれば、何とか、空っぽにできそうですが、まだ、プレハブ離屋と物置があり、普通のゴミには捨てられない、設計の仕事道具などがあるので、そちらの事を考えると、頭がズキズキ痛いです。 「使えそうな物は、残す」などと、些細な事に拘らずに、「基本的に、全て捨てる」つもりで取り組まないと、気力が持たないかもしれません。 これは、戦いですな。

  つくづく思うのですが、死の準備をしないまま死ぬと、後片付けをさせられる人間に、恨まれるだけです。 なんで、自分の物でもないのに、時間と体力を費やして、対処しなくちゃならんのよ? こっちだって、残り時間が少ないというのに。 業者に頼む人の気持ちが良くわかるわ。 たとえ、親であっても、人のゴミの始末なんて、報酬でも貰わなければ、やる気になりません。 一体、どういうつもりだったのかねえ、私の父は?



≪2016/11/06 日≫
  明日は埋め立てゴミの回収日なので、昼一から、集積所へお百度を踏みました。 いや、100は大袈裟ですが、15往復はしたと思います。 登山より、ハードな運動でした。 ほとんど、父の物と、兄の物。 父の布団類を全部捨てたので、えらいボリュームがありました。 敷き布団やマットレスは、重くて、一度に一回しか運べないから、往復回数が増えたんですな。

  兄が残していった、スキー板と、ゴルフ・バッグも捨てました。 自分で処分して行けよ。 えらそうに、「捨てていい」じゃないんだよ。 その捨てるのが大変なんだよ。 ゴルフなんて、ほとんどやらなかったくせに、わざわざ、クラブ・セットを買ったのかね? もう、バッグの表面が劣化して、べとべとしてましたけど。

  引っ張り出したり、縛ったり、行ったり、来たり、正味、2時間くらい働いたでしょうか。 一度に、あまりたくさん出すと迷惑なので、今日のところは、その辺でやめておきました。 しかし、まだまだ、捨てなければならないものが、ごそっとあります。



≪2016/11/11 金≫
  父の遺した物を捨てていると、自分が押入れにしまいこんでいる物も、とっておくだけ無駄なような気がして来ます。 子供の頃に読んだ本など、もう、読まないと思うのですよ。 思い出にするだけなら、写真を撮っておけば、充分です。 そうなると、まだまだ、かなりの量を捨てられます。

  アニメのビデオなども、もう、見ないなあ。 アニメそのものを見限ってしまったものねえ。 なんというか、50歳くらいを境にして、趣味が変わってしまったんですわ。 キャラも、ストーリーも、テーマも、アニメの全てに、興味を感じなくなってしまったんですなあ。 新作はもちろん、昔録画したものも、一緒くたに、見るに耐えなくなってしまったのです。 ≪ガンダムZ≫とか、≪ZZ≫とか、とってありますけど、ま、絶対、見返す事はないと思います。

  黒澤明作品を、全体の3分の2くらい、レンタル・ビデオをダビングして、とってありますが、それも、見返さないと思うんですよ。 名作は、改めて見るまでもなく、記憶に焼き付いていますし、そうでない作品は、そもそも、わざわざ見返す気になりません。 そういや、デジタル放送になってからこっち、黒澤明作品をテレビで放送しませんな。

  漫画のコミックスも、いよいよ、捨てるときが来たか・・・。 アニメと同じで、やはり、今となっては、読めんのですよ。 とってはあるけど、もう、20年以上、1回も開いていない物が、大半です。 去年だか、≪ど根性ガエル≫のドラマがあり、その少し前に、とってあるのを、読んでみようとしたんですが、読めませんでした。 子供の頃とは、完全に、感性が変ってしまったんでしょうなあ。

  ≪ドラえもん≫は、全体の95パーセントくらいはあるのですが、これも、読みませんなあ。 アニメの方が、今でも放送しているせいか、懐かしさすら感じません。 名作である事には、異論がありませんが、老年に足を踏み入れた人間が、読むものではないと思うのです。

  ≪うる星やつら≫は、全巻、≪めぞん一刻≫は、8割くらいあるのですが、これも、読みませんわ。 本当に、30年以上、開いていません。 つまり、この30年間、私の生活に必要ないと判断されていたわけで、それは、今後も変らないと思うのです。

  大人になってから買ったというと、≪ああっ女神さまっ≫や、≪逮捕しちゃうぞ≫などがあります。 読んでいない点は同じですが、これらは、まだ、歳月が浅いせいか、ちと、捨てるのが惜しいです。 だけど、結局は、学生時代以前に買ったものと同じように、どんどん遠い存在になって行くのでしょう。

  20歳前後の頃に読んでいた新書本も、50冊くらいはあると思いますが、もう、30年、読んでいません。 「引退して、暇が出来たら、読み返す事もあるだろう」と思って、とってあったのですが、いざ、引退してみると、すでに、過去の遺物でして、まるで、興味が湧きません。 当時の新書本は、大抵、学問の入門書なのですが、私の歳で、今更、何に入門するでもありますまい。 これから、世の中に出て行く年齢の者が、読むものだったわけだ。

  こういう過去のものを、見返す時間があったら、読んでいない本を読んだ方が、有意義なような気がするのです。 



≪2016/11/12 土≫
  午後は、3時過ぎから、起き出して、自室の天袋から、電気ストーブを出しました。 ついでに、バイク・ツーリング用の大型リュックも下ろしました。 もはや、バイク本体がないので、これも、不用にして不要。 中に入っている、野宿グッズと共に、捨てる事にします。 

  続いて、父の部屋の天袋に入っていた物を、全て下ろしました。 天袋に関しては、父の物はなくて、兄の物や、私と兄が子供の頃に使っていた物がほとんどでした。 釣竿とか、顕微鏡とか、野球ゲームとか、ギターとか。 ギター? これは、40年くらい前に、母が勤め先で買わされたものですが、こんなの、どこへ捨てればいいのよ?

  来週末が、資源ゴミの日なので、それまでに、金属と紙類、プラスチックを仕分けしておかなければなりません。



≪2016/11/15 火≫
  予報に反して、なかなか雨がやまず、図書館行きは中止しました。 今日は、父の部屋の片付けに使う事に決定。 その前に、自分が昔使っていた眼鏡三本を解体し、捨てる準備をしました。 父の物だけ捨てるのが後ろめたいから、自分の物も捨てて、罪悪感を和らげようという魂胆です。


  午前10時頃から、父の部屋に入り、今まで、気が進まなくて、後回しにしていた、薬品・軟膏類の使い残りを、ビンから出す作業をしました。 使い捨てのビニール手袋をして、ティッシュで掻き出すのですが、こんなに気持ちの悪い作業が、他にあろうか。 しかも、父親とはいえ、自分以外の人間が使いかけた物なのです。 一体、何の因果で、こんな後始末をさせられなければならんのか。 母も兄も、こういう、心から嫌な事は、何もしないのだから、気楽なものです。

  資源ゴミ、埋め立てゴミ、燃やすゴミを分別しつつ、天袋から出した物を、処理していきます。 最後に、押入れの横幅一杯に、ハンガーで掛けられていた、シャツや背広、礼服の類を、外して、畳んで、束にしました。 これは、凄い作業だった。 父は、背広・礼服を若い頃の分から、全部取ってあったようで、虫に食われて穴が開いている物や、裏地がシミだらけになっている物もありました。

  故人の形見に、服を取っておくという人もあろうかと思いますが、やめた方がいいです。 嵩張る割に、手入れが大変で、結局、どんどん傷んでしまうからです。 形見は、腕時計のような、自分でも使える小物が一番です。 服は、写真に撮っておけば、充分だと思います。 それすらも、たぶん、そうそう、見返す事はないと思いますけど。

  今日、処理したものというと、他に、レース・ゲーム、野球ゲーム、エキスパンダー、顕微鏡、釣竿とリール、電気髭剃り、英語教材のレコード、書籍類、鏡類、といったところ。 結局、髭剃りや、櫛、ブラシなど、衛生関係のものは、全て捨てる事にしました。 親子とはいえ、そういうものは、受け継げませんわ。

  夕方までかかりましたが、それでも、まだ、全部は終わりません。 とてもとても・・・。 しかし、衣類の束だけでも、8個くらい出来たので、今週末の資源ゴミの日は、そのくらいで良しとしておいた方がいいかも知れません。 あまり、たくさん出すと、当番の人達が大変だから。

  今日は、立ち続けで、疲れました。 それにしても、遺品整理業者にはなれんなあ。 お金を貰っても、他人の使いかけた軟膏なんて、掻き出すのは、御免です。 実際には、そんな事まではやらずに、中身が残っていても、構わずに、どんどん分別しているんでしょうなあ。 でなきゃ、何日かかるか分かりませんわ。



≪2016/11/16 水≫
  午後4時頃から、父の部屋に入り、父が使っていた眼鏡、7本を解体しました。 父は、近眼歴がなくて、眼鏡をかけ始めたのは、老眼になった、50代以降です。 30年程度で、7本は、多い方だと思います。 レンズは、全部ガラスだったので、埋め立てゴミへ。 フレームは、金属で、資源ゴミ。 鼻パッドは、衛生上の理由で、燃やすゴミへ。

  「眼鏡の一本くらい、形見に残しておけば?」と思う方もいるでしょうが、駄目なんですよ。 こういう物でも、侮れないのであって、年中、手入れしていないと、金属は腐蝕するし、プラスチックはベトベトして来るし、一言で言うと、腐って来ます。 母も私も、決して、先が長い人間ではないのであって、無限に保存し続ける事はできないのです。


  父の遺物を片付けていると、「一人の人間が、こんなにも多くの物を買うものなのか」と、改めて驚かされます。 父は、自分から、家族に話しかけるタイプではなかったので、私が、存在を知らなかった物も、無数にあります。 何か、目新しい道具を買った時には、人に話してみたくなるものだと思うのですが、なんで、私に言わなかったんですかねえ。 自慢話でも、失敗談でも、話してくれれば、ちゃんと聞いたんですが。



≪2016/11/17 木≫
  今週末の、資源ゴミの日に向けて、父の遺物の片づけを進めているわけですが、よく考えてみると、そんなに大急ぎでやらなければならない事ではないのであって、ボチボチ進めてもいいのです。 父の部屋も、プレハブ離屋も、誰も使っていませんから、父の物が残っていても、これといって、問題はないからです。

  それなのに、なぜ、こんなに急いでいるのか、自分の肚が分からない。 「さっさと片付ければ、自分の時間が取れるから」という理由が有力ですが、それも怪しいのであって、開き直ってしまえば、何も片付けずに、私が死んでも、後は、兄や兄嫁がやるのであって、私の知った事じゃありません。 特に、兄には、こういう、ただただ面倒で、どうにも不衛生な作業を、是非とも押し付けてやりたい。

  うちの父の場合、86年の人生の内、ほとんどを、同じ場所に住んでいた上に、物を捨て(られ)ない性格だったせいで、その蓄積たるや、膨大なものがあり、おそらく、業者に任せて、複数人で取り組んでも、一週間はかかるのでは? それを私一人でやり、ボチボチ進めていたのでは、一年以上かかってもおかしくないです。

  つくづく思うのは、もう、人生の最終ステージに上がったと思ったら、自分で、自分の物を減らしておく事ですな。 「思い出の品だから」なんて、言ってられない。 それは、最終ステージに於いては、禁句と言ってもいい。 後片付けをさせられる人間から、骨の髄まで恨まれてしまいます。 いくら親とはいえ、自分以外の人間の不始末(文字通りの意味での不始末)の尻拭いに、一年も費やすなど、人生の無駄遣いも甚だしいではありませんか。

  ・・・というような意識があって、大急ぎでやろうとしているんじゃないかと思うのです。 だけど、どんなに頑張っても、埋め立てゴミ・資源ゴミの日は、それぞれ、月に一回しかないわけでして、それが、一回や二回で終わる量ではないのです。 果てしない戦いですわ。 ≪ネバー・エンディング・ストーリーのテーマ≫のサビ部分が、高らかに鳴り響いてしまうのですわ。

  また、父が、日曜大工が好きでして、いろんな物を改造してあるから、困るんですわ。 しかも、木とブリキを釘付けしてある物が多くて、分離しなければ捨てられません。 捨てる時の事を、一切考えずに作ったのは、明々白々。 当人は、工夫して、うまく作ったつもりだったわけですが、それを捨てさせられる方は、大迷惑です。

  「人のふり見て、我がふり直せ」でして、この事は、肝に銘じておかなければなりませんな。 どーんなに工夫して、便利な物を作っても、それは、自己満足の域から、一歩も出ないというのよ。 自分以外の人間から見ると、便利な道具どころか、ゴミなんだわ。 しかも、捨てるのに手間がかかる、迷惑なゴミなんだわ。




  とりあえず、今回は、ここまで。 なぜ、日曜更新の記事なのに、日記が木曜日までで終わっているのかというと、この記事を纏めているのが、木曜だからです。 では、金土は、何をするのかといえば、それは、言わずと知れた事で、捨てる物を片付けるのに、忙殺されるわけです。 さんざん、作業をした後では、ブログの記事なんて、書く気力が残っていませんから。