2017/03/26

遺物との戦い ③

   このシリーズ、薄汚い写真ばかりで、画像を加工している時点で、嫌になってしまいました。 一応、記録写真を撮っているから、撮った順に、出している次第。 自分でもあまり見たくない写真を、人様に見せるのは、どんなものかと思わないでもないですが、父親の遺品の片付けは、一生に一度しかしないし、無限に続くわけでもないので、我慢して、つきあって下さい。

  前回同様、父の遺品以外の物も混ざっています。 父の部屋や、プレハブ離屋、物置など、父が管轄していた場所から出てきた物が、全て含まれているので。 いちいち、分けて、撮影していられないのです。




≪犬のトイレ・ゴルフ用品・瓦飾りなど≫

≪写真上≫
  これは、父の物ではなく、シュンと兄の物。 水色と白のプラスチック容器は、1999年、シュンが子犬の時に、トイレにしていたものです。 中に敷く、ペット・シートも残っていました。 右に写っている白い柵は、同じくシュンが子犬の時に、居間の窓際に置いて、ペット・サークルにしていたもの。 この二つは、とっくに捨てたと思っていたんですが、父が、自室の天袋にとってあったのです。 今度こそ、捨てました。

  奥側に見えるゴルフ・バッグと、右のスキー板は、兄の物。 若い頃は、流行っているものなら、何にでも手を出す人間だったので、こういう物が残っているわけです。 ラグビー・ボールが写っていますが、これは、本物ではなく、天井から吊るプラスチックの飾り物です。 みんな、捨てました。 兄自身が、これらを所有していた事を、もはや、覚えていないと思います。

≪写真下≫
  奥のゴルフ・クラブは、上の写真のバッグから出して束ねたもの。 捨てました。 最悪の場合、後で、兄が文句を言って来るかもしれませんが、受け付ける気はありません。 兄が家を出る時、「置いて行く物は、全部捨ててよい」と言っていたと、父から聞いているので、私はそれに従ったまで。

  手前の、肩叩き、布団叩き、孫の手、その他、よく分からない棒などは、父の遺品です。 使って使えない事はありませんが、こういう、衛生関連の物は、やはり、使い難い。 結局、全部捨てました。

  右上に、灰色の瓦のような物が写っています。 焼き物なのですが、瓦に似せた飾りでして、鼠が浮き彫りになっています。 誰か、父の友人・知人の家で、子か孫が生まれて、その記念に貰った物らしいのですが、赤ん坊の名前が書いてあるものの、苗字がなくて、どこの家のものか分かりません。

  不燃の飾り物として、埋め立てゴミで捨てましたが、材質的には、瓦でして、本来なら、回収対象外です。 持って行ってくれて良かった。 どういうつもりで、こんな処分し難いものを、誕生祝に配ったのか、気が知れません。 迷惑千万です。 そんなに配りたかったら、消耗品を配りなさいよ。 洗剤とか、箱ティッシュとか。 いくら名前が入っていても構わないから。

  逆に、簡単に捨てられないように、瓦にしたんでしょうが、他人の子供の誕生祝を、なんで、うちの父が、半永久的に保存しなければならないのか、そもそも、そこが分からない。 そんな無体な義理はありますまい。



≪父の水筒≫

  父が最後まで使っていた水筒。 タイガーの、「SAHARA」ですな。 0.8リットル型です。 父が自分で買ったのか、引き出物や香典返しのカタログで貰ったのか、不詳。 買えば、結構、高いんじゃないでしょうか?

  別に、登山やハイキングに行っていたわけではなく、自室のテレビ台の横に置いて、水差し代わりに使っていたのです。 毎朝、二階の流しで、水を汲むのが日課になっていました。 父の死後、洗って、同じ場所に置いてあったのですが、百箇日が過ぎてから、捨てました。 私は、ペット・ボトル派で、こういう重い物は使わないからです。



≪父の双眼鏡・兄の玩具≫

≪写真上左≫
  父の双眼鏡。 私が小学生くらい、1970年代前半頃に買ったものではないかと思います。 その頃の双眼鏡というのは、こういう形をしているものと決まっていました。 壊れるようなものではないので、今でも、問題なく使えると思いますが、今、これを外へ持って出たら、重い、大きい、だけでなく、不必要に目立ってしまうでしょう。 やむなく、捨てました。

≪写真上右≫
  「ベースボールマシン」と書いてあります。 父の部屋の天袋から出てきましたが、間違いなく、兄が置いて行った物です。 野球盤ではなく、ピンボールみたいな玩具。 私は、これで遊んだ記憶が全くないので、兄が自分で買ったのでしょう。 このまま、埋め立てゴミに出しました。

≪写真中≫
  「ビッグ・レーシング」。 コースを組み立て、電動のミニカーを走らせる、レース・ゲーム。 これは、私も、遊んだ覚えがあります。 だけど、うちの親が買ってくれたのか、玩具店をやっていた叔父さんから貰ったのか、覚えていません。 面白いのですが、二人いないと遊べないのが、問題点。 ほぼ全ての部品を、埋め立てゴミに出しました。

≪写真下≫
  エキスパンダー。 これも、兄の物ですが、たぶん、親に買ってもらったものでしょう。 私は、子供の頃に、見た事があるような、ないような・・・。 資源ゴミの金属類に出しました。



≪父のスーツ・ネクタイ・眼鏡≫

≪写真上≫
  父の服。 スーツ系は、20着くらいあったでしょうか。 虫が食ったり、シミが出たり、さんざんな有様で、全部 資源ゴミに捨てました。

≪写真中≫
  父のネクタイ。 ここに写っているのは、全体の3分の1くらい。 押入れに、自分でネクタイ掛けを作って、ごっそり掛けてありました。 服に比べると、状態は悪くありませんでしたが、結局、全部、燃やすゴミに捨てました。 私は、全く、しないからです。

≪写真下≫
  父の眼鏡。 ここに映っている他に、プレハブにも、2・3本ありました。 父は、近視だった事がなく、50歳を過ぎて、老眼になってから、眼鏡をかけ始めたのですが、それにしては、数が多いです。 分解し、レンズは、埋め立てゴミに。 フレームは、資源ゴミに出しました。

  他に物がないのならともかく、眼鏡は、半分、衛生用品でして、形見にするようなものではないです。 プラスチックは腐って来ますし、金属は錆びて来ますから、保存に向かないのです。



≪父の椅子≫

  父が使っていた椅子です。 4脚分。 父が買った椅子は、全て、設計の仕事用の、オフィス・チェアです。 私は買った事がないので、いくらくらいだったのか、どこで買ったのかなど、まるで分かりません。

≪写真上左≫
  これは、最後にプレハブにあった椅子。 座った時に、踵を載せられるように、ベニヤ板を椅子の脚の上に嵌め込んであります。 これが、恐らく、最後から2番目に買った椅子だと思います。

≪写真上右≫
  これは、父の部屋に置かれていたもの。 元は兄用の勉強机がそのまま残っていて、その机とセットになった箱型の椅子が他にあるのですが、それには背凭れがないので、父が、プレハブの仕事場で最後に使っていたこの椅子を、自室へ移したんでしょうな。 仕事をやめた後は、プレハブで過ごす時間がなくなって、一番いい椅子を、そこに置いておく必要がなくなったわけです。

≪写真中≫
  更に、古い椅子、2脚。 これは、背凭れを外してしまい、盆栽の手入れ用にしていました。 クッションまで外してある方に盆栽を載せ、クッションがある方に、父が座って、作業していたのです。 普段は、物置に積み上げてありました。

≪写真下≫
  クッションと板を外して、金属だけにした様子。 他の部分は、木の板、スポンジ、布、合成皮革、針金などで、出来ていました。 怪我をしないように解体するのが大変でねえ。 これを、資源ゴミに出し終わった時には、ホッとしました。



≪父の帽子・台・トロ舟・たも網≫

≪写真上左≫
  父の帽子。 全部で、7・8個はあったのですが、どれも状態が悪く、その上、サイズが小さくて、私の頭には入りませんでした。 これは、最も状態がいいもので、最後に残して、しばらく自室に置いてあったんですが、結局、小さくて被れない事に変わりはなく、やむなく、捨てました。 父の思い出にするにも、布製品は、保存が厄介なんですわ。

≪写真上右≫
  「はじめての Windows98」。 買って来たのは、私です。 2002年の5月に、居間に、両親用のパソコン・セットを買った後、そのパソコンのOSが、「98SE」だったので、両親が自分達で使い方を調べられるように、これを買って来たのです。 1000円でした。 ちなみに、買ったのは、沼津学園通りの吉野家という書店でしたが、今はもう、その店はありません。 GEOになってます。

  その後、同じ年の暮れに、父の部屋に、私が使っていた、「Windows Me」のパソコンを譲ったのですが、Meも、98SEも、大差ないだろうと思って、父に、この本を渡したのです。 それ以来、ずっと、父の部屋にあったというわけ。 でも、たぶん、父は、ほとんど、読んでいなかったと思います。

≪写真中≫
  プレハブに入っていた、台、三基。 真ん中のは、電動丸鋸用の台なのですが、左右の二つは、用途が分かりません。 機械設計の仕事で使っていたのかも知れません。 今となっては、まったくのガラクタなので、バラして、捨てました。 電動丸鋸本体は、残してありますが、もはや、専用台を使って、ジャンジャン切るほど、大掛かりな日曜大工など、私がするはずがないからです。

≪写真下左≫
  セメントを練る、トロ舟。 古いやつで、ブリキ製です。 これは、物置の横に屋外放置してありました。 錆びて、穴が開いています。 トロ舟は、プラスチック製のが、もう一つありますし、そもそも、もはや、我が家で、セメントを練るような事はないので、これは完全に不要と判断し、資源ゴミ・金属類に捨てました。

≪写真下右≫
  何を撮ったのか、分かり難いと思いますが、捨てたのは、池で使っていた、たも網です。 錦鯉を飼っていたので、このくらいの大きさのが必要だったのです。 最後に使ったのは、2015年の7月に、最後の金魚が死んで、私が、その遺骸を掬い上げた時でした。 以降、物置にしまってありましたが、もう、使わないので、捨てました。



≪父の座椅子・解体工具≫

≪写真上左≫
  父が、自分の部屋で愛用していた、ソファ風座椅子。 重いです。 私は、これを持ち上げるたびに、腰痛が出るのを覚悟していました。 これを、毎朝、箪笥の上から、ベッドの上に運び、寝る前には、また元に戻していたのですから、父の腰は丈夫だったわけですな。

≪写真上右≫
  金属の骨だけにした様子。 他の部分は、合成皮革、硬めのスポンジ、プラスチック、ダンボールなどでした。 鋏とプライヤーで、解体したのですが、怪我をしないように、ヒヤヒヤでした。 頼むから、物を買う時には、解体しなくても捨てられるものにしてくれ。

≪写真下≫
  これはもう、父の部屋が、だいぶ片付いて来た頃の写真です。 いろんな物を解体するのに使ったのは、父の部屋にあった、工具類でした。 で、最後の大物が、このベッドでして、本来、ベッドは、自治体のゴミ回収の対象外なのですが、木製だったのをいい事に、バラバラにして、ただの廃材として出したら、すんなり、持って行ってくれました。 良かったよ~。 ホッとしたよ~。

  畳のように見える部分は、畳ではなく、発泡スチロールの板と、紙の集成材の板を縫い合わせ、その上に畳表を張ったものでした。 解体して、分別し、捨てました。 ちなみに、本物の畳は、回収してくれないのですが、細かく切って、少しずつ新聞紙に包み、燃やすゴミに出せば、持って行ってくれると思います。




  あー、もー、うんざりだ。 というわけで、今回も、この辺で、勘弁してください。