遺物との戦い ⑤
父の管轄場所から出たゴミのシリーズ、5回目です。 今回で、とりあえず、おしまいなので、お目汚しとは思いますが、つきあって下さい。
こういう汚らしい写真を、わざわざ公けにする者の心理というのは、交通事故で子供を亡くした親が、いつまでも、事故現場に花を供え続ける心理と、似たところがあります。 自分だけ不幸になったのが、納得行かないので、他人にも不幸のお裾分けをしてやろうというわけですな。
私も、父の遺品の片付けを、否応なしにさせられたのが、納得行かないので、他人に、迷惑のお裾分けをしてやろうと・・・、とんでもねーヤローだな、我ながら。
≪製図台の解体・ダンパーを切る≫
≪写真1≫
プレハブ離屋の片付けに於いて、最大最強の敵だったのが、製図台でした。 「ドラフター」という、L字型の定規が、上下左右に自由に動く装置が付いています。
とても、私の手には負えそうにないので、なかなか 自分が片づけるような気にならなかったんですが、とにかく、これを片付けないと、空間を広げられないので、恐る恐る、且つ、地道に、バラして行きました。
≪写真2≫
んまー、一口では言えない苦労がありましたが、何とか、バラバラにはなりました。 架台の部分は、全て金属ですから、理屈の上では、そのままでも出せるんですが、重過ぎて、とても運べないので、L台車に乗せられる程度の、大きさ・重さにしたわけです。 これだけ、バラせば、もはや、元が何だったのか、想像がつきますまい。
≪写真3左右≫
ところが、バラしたら、ダンパー(ショック・アブソーバー)が、大小2本出て来てしまい、さあ、困った。 中に、ガスやオイルが入っているから、資源ゴミ・金属類に出すわけには行かないのです。
市役所のゴミ担当部署に電話したら、鉄屑業者に持っていけとの事。 ネットで調べてみたら、無料で引き取る所もあれば、有料の所もあるようで、私としては、リサイクル家電でもないのに、捨てる物にお金をかけるなど、冗談ではないと思い、そちらは、没。
で、ネットで、ダンパーの壊し方を調べ、ゴーグルを着用、多少の危険は覚悟の上で、鉄鋸で切って、ガスとオイルを出し、更に、シリンダーの両端を切り落として、ただの金属パイプと金属棒にしてしまいました。 これなら、元がダンパーだろうと、ただの金属として、回収せざるを得ますまい。
この後、資源ゴミに出したところ、全て、ちゃんと、持って行ってくれました。 めでたし、めでたし。
≪プレハブ内のあれこれ≫
≪写真上≫
プレハブの、ロッカーの上に置いてあった箱から出て来たもの。 ざっと、説明します。
・ 上に二つある板状の物は、角鉢の盆栽を屋内に飾る時に使った台。 父の手製で、脚が付いています。
・ 右の方にあるのは、粗品の、ミニ・タオルの類。 変色してしまって、使いようがありません。
・ 右下にある団扇は、私が小学生の頃、家族で、四国・徳島の阿波踊りを見に行ったのですが、その時に、ツアー会社から配られた物だと思います。 イラストは、大鳴門橋になっていますが、橋の完成は1985年で、かなり、後。 私達が行ったのは、「これから、橋を作りますよ」という時期でした。 私達は、フェリーで四国へ渡りました。
マイカーでのドライブ以外で、父と一緒に出かける事は、滅多になかったので、私は、父が駅などで迷子にならないように、気を配っていました。 徳島で泊まった宿が小さくて、ほぼ、民宿。 風呂が一つしかなくて、家族で入っている時に、他の客が入ってきそうになり、慌てた記憶があります。 夜食に、そうめんを出してくれましたけど。 あの宿も、とっくに、閉めたんだろうなあ。
もう、大昔の事です。 思い出の品として、とってあったというより、父には、使える物を捨てるという発想がなかったんですな。
・ 中央下のブラシは、父が仕事で使っていた物。 図面についた消しゴムのかすを払い落とすのに使われていました。 同類の物が何本かありました。
・ 中央左の、額に入っている絵は、父の友人が描いた物です。 その人は、画家ではなく、絵は、ただの趣味。 それを、友人に売りつけて、セミ・プロ気分を味わっていたらしいのです。 まーた、私の父は、お人好しなので、そういうのを薦められると、断れなかったんですな。 たかが趣味で描いた絵を売りつける方は、もとより言語道断ですが、軽率に買ってしまって、素人画家を増長させてしまう方も、感心しません。
下手とは言いませんが、スケッチに、水彩の色を載せただけで、よほど名前が売れている画家ならともかく、お金で売買されるような絵では、全くありません。 よく、これを売ろうなどと思いついたものです。 とんでもないわ。
・ 左端の、光ってしまっているのは、合羽です。 父は、雨の日でも、犬の散歩に行っていたので、一時期、合羽は、必需品でした。
≪写真下≫
プレハブから出て来た、「成功する話し方 ハンドブック 冠婚葬祭編」。 父が買ったものだと思いますが、どこで買ったのかと考えると、こういう品を売っている店を思いつかないので、たぶん、通販ではないかと思います。 カセットが、10巻もあるのは、凄い。 いくら、したんだろう?
父は、よその家の結婚式や、葬式、法事に出るのが好きで、一生の間に、ゆうに、100回以上、参列したと思います。 そういう機会に、備えて、買ったんでしょうなあ。 熱心な事です。
だけど、父は、性格的に見て、司会はもちろんの事、短いスピーチですら、向かない人でした。 兄の結婚式の時の、新郎の父の挨拶では、私が文例を元に書いた文を、棒読みしたくらいですから。 ちなみに、私は、もっと苦手ですが、そもそも、そういう席に、進んで出て行こうなどと考えませんから、何の問題もありません。
≪父の遺した機械≫
≪写真上≫
プレハブには、父が買った電動工具が、ごそっと、残っていました。 この写真に写っているのは、左側から、コードレス・インパクト・ドライバーと、そのケース。 真ん中の列が、トリマーと、そのケースと、外箱。 右上の茶色い箱のが、ジグソー。 右手前の、本体が青で、袋が黒いのが、ブロワーです。
コードレス・インパクト・ドライバーは、納戸を作る時に、長い木ネジを捻じ込む為に買った物だと思いますが、父の生前から、「バッテリーが、もう駄目だ」と言われていて、確認したら、ほんとに駄目でした。 バッテリーを買い直すと、5400円くらいするようです。 今、買い直しても、使いたいと思った時には、また死んでいる恐れがある上に、98パーセントくらいの確率で、今後、私が、インパクトを使うほどの日曜大工をしないと思うので、本体もケースも、全部、捨ててしまいました。 最初からなかったと思えば、何ともありません。
トリマーという機械は、未だに、何に使うのか、分かりません。
ジグソーは、犬小屋を改造して出窓を付ける時に、ベニヤ板を刳り抜くのに使った形跡があります。
ブロワーも、何に使うか分らなかったのですが、その後、取り扱い説明書が、他から出て来て、どうやら、ゴミを吸い込む為の機械らしいと分かりました。 納戸を作っていた時に、屋内で電動丸鋸を使って、そのゴミを吸うのに、ブロワーを買って来たのかも知れません。
どうも、父は、何か特定の物を作りたいと思いついてから、その為の機械を買いに行ったようです。 そして、目的の物が出来てしまった後も、機械は、「いつか、また、使うだろう」と、しまいこんでいたわけだ。 トリマー、ジグソー、ブロワーは、私には、使いようがないから、リサイクル店に持って行ったら、「もう、10年以上経っている品だから」という事で、三つで、500円でした。
≪写真下≫
これは、物置に入れてありました。 電動ではなく、灯油を入れて使う、草焼きバーナーです。 こんな凄いものを使わなければならないほど、草ボウボウな庭でもないのですが・・・。 父も、すぐに、使い難いと分ったらしく、私が、これの存在に気づいた時には、もう、使わなくなっていました。
この他に、電動工具としては、丸鋸、グラインダーと、ドリルが二つあります。 丸鋸とグラインダーは、私にも使えるので、残す予定。 ドリルは、トルクが出なくなっており、次に使った時に、駄目なようなら、捨てるつもりでいます。
≪プレハブ・物置のゴミ≫
≪写真1≫
すでに、処置した後の様子です。 製図台の板2枚を、電動丸鋸で四分割して束ねた物や、犬小屋を解体して束ねた物を、並べてあります。 全て、埋め立てゴミ。 L台車で運びました。
≪写真2左≫
板類の他に、一月の埋め立てゴミの日に出した物。 プレハブから出た小物がごっそりあったので、袋も結構な数になりました。
≪写真2右≫
物置にあった、茣蓙です。 2012年12月まで、父の車に積んであったのが、一枚。 他の二枚は、元々、物置にあったものです。 もはや、茣蓙の時代ではなく、今後も出番はないので、捨てました。
≪写真3左≫
これは、門の横の流しの隣に立て掛けてあった、ブリキ製の如雨露。 ブリキのは、二つありましたが、古い方は、すでに捨てています。 ブリキ製は、重くて、何かと使い勝手が悪いんですわ。 うちには、プラスチック製のも、二つあって、それだけで充分なので、これも、資源ゴミ・金属類に出しました。
≪写真3右≫
物置から出てきた、針金細工。 これは、かつて、父が、菊を育てていた時に、花が落ちないように、宛がったものだと思います。 父の手作りです。 父は、菊を、結構、本格的にやっていたんですが、展覧会に出品するほどではなく、数年でやめてしまいました。 他に、菊用の鉢が、別の植物が植えられて、幾つか残っています。
≪写真4左≫
父の物と思われる、高速道路用の、三角反射板。 物置の中に、母の物と、二つあったんですが、母の物の方が、幾分、新しいようなので、父の方を捨てました。 もっとも、残した母の物も、使う予定はないんですけど。
≪写真4右≫
折り畳んだ姿。 うまく、出来てますな。 車があった頃には、ずっと、トランク・ルームに。 それ以後は、ずっと、物置にあったので、状態は良いです。 プラスチック部分は埋め立てゴミに。 金属部分は、資源ゴミに出しました。
≪液物系の処分≫
≪写真1≫
物置の、車関係の物を入れてあった箱から出てきたもの。 手前左は、父が歴代の車から外して残しておいた、発炎筒。 右は、車載用の非常用懐中電灯です。 奥の列は、左側から、
・ウィルソン ホワイト・シャンプー
・ウィルソン パーコート90
・クレ ガラス・クリーン
・トヨタ ウィンド・クリーナー
・タイホー工業 クリンビュー
・艶出シ一発
・ホルツ 耐熱ペイント(黒)
発炎筒は、しばらく、水に浸けた上で、燃やすゴミに出しました。 非常用懐中電灯は、分解して、埋め立てゴミと、資源ゴミ・金属類へ。
ホワイト・シャンプー、パーコート90、艶出シ一発、耐熱ペイントの四点は、私が、1986~87年頃に、買ったものです。 もしかしたら、クリンビューも、私のかも知れませんが、記録を取っていないから、確かめられません。 最初の車、ダイハツ初代ミラに使っていたわけですが、全部使い切らない内に、1992年には廃車にしてしまい、これらだけ残ったわけです。 車の色がアイボリーだったせいで、水垢には、さんざん泣かされました。
耐熱ペイントは、排気管の見える所が錆びていたので、それを黒く塗る為に買いました。 客観的に見れば、安物車でしたが、少しでも見てくれをよくしようと努力した点は、今持っている、セルボ・モードと変わりませんでした。
≪写真2≫
エンジン・オイルの残り。 手前の二つは、ミラ専用オイルなので、私が買ったものです。 最低でも、二回は、自分でオイル交換をしたのでしょう。
奥側の「R」と書いてあるのは、スバルのオイルですが、我が家にスバル車があった事はないので、父が、テキトーに安いのを買って来たのではないかと思います。 私は、父が車のオイル交換をしている姿を、一度も見た事がなく、相当、昔の物と思われます。
奥側右端の、ホンダの2サイクル・オイルは、母が1980年代前半に乗っていたスクーター、初代タクト用に買ったものだと思います。
こういう古いオイルは、潤滑油代わりに使う分には問題ないですが、エンジンに入れるのは、厳禁だそうです。 時間が経つと変質してしまうのだとか。
≪写真3左≫
物置の、灯油の一斗缶の中に入っていた、得体の知れない液体。 容器は、一升瓶と、焼酎の瓶です。 恐る恐る、口を開け、出してみたら、どうやら、エンジン・オイルの廃油のようでした。 父が、廃油の捨て方が分からなくて、しまいこんでいたんでしょうなあ。 毒物・劇物でなくて良かったです。
≪写真3右≫
液物を捨てるついでに、私の部屋にあった、金魚や亀の殺菌治療薬、メチレン・ブルーと、墨汁も出しました。 メチレン・ブルーは、もう、20年も前のもので、出番があったとしても、古過ぎて怖いので、捨てる事にしました。 墨汁も、30年くらい経っていると思います。 ラジオ番組に出す投稿ハガキに絵を描く為に使ったんですが、大昔の事。 今の私には、絵を描く気は、かけらも残っていません。
≪写真4≫
プレハブから出て来た、墨汁2本と、製図用紙用の修正液、それと、薬の小瓶に入った得体の知れない液体。 父は、60歳くらいの頃に、趣味で、墨絵を少し描いていたので、書道セットと墨汁が残っていました。 墨汁の一本は未開封でした。
液物は、シュンのペット・シートや、父が末期に使った尿取りパッドに浸み込ませて、燃やすゴミへ出しました。 墨汁は、中で、ゼラチン状に固まってしまっていました。 有毒性が低いと判断し、下水に流しました。
≪物置内のあれこれ≫
メインの物置や、プレハブ離屋に父が増築した、サブ物置から出て来たもので、2月に捨てた品々です。
≪写真1≫
二段ベッドの上段部品。 枠はあったんですが、肝心の板部分がありませんでした。 とっくに腐ってしまって、父が、燃やすか埋めるかしたんでしょう。 梯子もありませんでした。 ちなみに、下段は、私が現役で使っています。 頭板と足板は、嵌め込んであるだけで、ハンマーで叩いたら、簡単にバラバラになりました。
左上の、緑色のホースと、ビニール袋がくっついたものは、以前、亀の汚れ水を、ベランダから下りた雨樋の出口から、排水升まで持って行くのに使っていた道具。 犬がいなくなってから、庭に水を流してしまっても問題なくなり、これは使わなくなりました。
≪写真2≫
奥の深緑色のは、セメントのトロ舟。 中央は、古いホース。 パイプを複雑な形に繋いであるのは、池から水を抜くのに使っていた道具。 その右側の板は、1960年代のテレビ台の板です。 脚は、腐ってしまい、一本しか原形を留めていませんでした。 右下に、ネズミ捕りが、少し写っています。 その隣の白っぽいのは、ステンレスの板ですが、何に使っていたのか、不明。 左の方の、バケツに入っているのは、ペンキ塗りの道具。
≪写真3≫
左上は、1980年代のテレビ台の側面板。 左下は、古い俎板。 その隣は、車の輪止め。 長いのの一番左は、兄が使っていたソフトボールのバット。 その隣の茶色いの4本は、解体したワゴン代車の柱。 一番長い板は、用途不明。 右の木箱二つは、メイン物置の棚で、物を入れるのに使われていたもの。
≪写真4左≫
この紫色のウインド・ブレーカーは、私が、バイク通勤を始めた1995年頃に買ったもの。 買って間もない内に、エキゾースト・パイプに触れて、肘の所を溶かしてしまい、捨てたのですが、父が取っておいたようです。 物置に突っ込んであったところを見ると、着たとは思えませんが。
≪写真4右上≫
父が使っていた落ち葉マーク。 いずれ、私も使おうかと思っていたのですが、見たら、ヒビだらけになっていたので、捨てました。
≪写真4右下≫
台所の外に置いてあった、ホース・リール。 母が買ったものですが、ほとんど使わなくて、ホースの中の方が扁平に潰れてしまい、もはや、巻いた状態では、水が通らなくなってしまいました。 だから、使わない物を、買うなというのに。 この後、ホースを引き出して行ったら、隙間に蟻の巣が作られていて、王国を崩壊させてしまいました。
≪植木鉢・引き出し式書類ケース・包丁その他≫
またもや、バラバラですが、捨て物です。 すでに、父の遺品は、粗方、片付いているので、取り零しやら、他の捨て物やらが、混じっています。
≪写真1≫
庭の、盆栽棚の下にあった、植木鉢。 私は、園芸の趣味は皆無ですし、母も、プランターと花壇が主なので、植木鉢には、出番がありません。 もう絶対に使わないと思われる、小さい鉢や、角型の鉢から先に、全体の半分くらいを選び出し、埋め立てゴミに捨てました。
一見、少ないようですが、2月の埋め立てゴミを出す日が、あいにくの雨でして、片手に傘を差し、片手だけで、物を運んだので、えらい回数を往復しなければなりませんでした。 植木鉢は重いから、ちょっと大きいのだと、片手では、一度に二つしか持てないのです。
≪写真2≫
父の部屋の、机の上に並んでいた、引き出し式の書類ケース。 中身を空にして、押入れに場所を移した後の写真です。 一つは金属製、もう一つは、プラスチック製。 元々は、各種契約関係の書類が入っていたのですが、それは、別の入れ物に移して纏めたので、これらは、用済みになりました。
こういう物ですから、私や母が、使おうと思えば使えるのですが、今まで、自分で買おうと思わなかった物は、つまり、必要ないから、買わなかったわけでして、どうせ、これらも、使わないと思われ、またどこかに押し込んで、死蔵するのも嫌なので、捨てる事にしました。
深緑色の物体は、父が机に取り付けていた、隠し貴重品入れです。 父がブリキで作ったもの。 スライド式の蓋があり、中には、実印や、印鑑登録証、銀行印、クレジット・カードなどが入っていました。 どれも、すでに無効になり、隠しておく意味がなくなったので、他の入れ物に移しました。
なぜ、ブリキ製なのかというと、机の奥の天井部分に、マグネット・シートが貼ってあって、それに吸着させて、吊り下げてあったからです。 隠し場所としては、いいアイデアだと思いますが、私は別の方法を使っているので、これを受け継ぐ事はしませんでした。
≪写真3≫
これは、台所で、母が死蔵していた、歴代の包丁です。 よくも、こんなに、溜め込んだものです。 後生大事にしていたわけではなく、捨てる方法が分からなかったようです。 一本ずつ、刃の部分を新聞紙に包み、束ねた上で、「包丁」と書いた紙を貼り、資源ゴミ金属類に捨てました。
≪写真4≫
これは、物置から出てきた、刃物類。 ダンボール箱に、無造作に突っ込んであったから、怖い。 まあ、錆びていて、切れはしませんけど。 包丁2本は、台所のと同じように処理しました。 右端の、途中で折れた折り込み鋸と、左端の、先が丸まったマイナス・ドライバーは、柄の部分をハンマーで叩いて壊し、金属部分だけ、小物金属の箱に入れました。 箱が満杯になったら、捨てるつもり。
あー、もー、うんざりだ。 というわけで、父の管轄していた場所から出た、捨て物シリーズは、今回で終わりです。 父の遺品が片付いた後、自分の物を捨て始め、それは、今現在も続いています。 いずれ、そちらの写真も出す事にしましょう。
こういう汚らしい写真を、わざわざ公けにする者の心理というのは、交通事故で子供を亡くした親が、いつまでも、事故現場に花を供え続ける心理と、似たところがあります。 自分だけ不幸になったのが、納得行かないので、他人にも不幸のお裾分けをしてやろうというわけですな。
私も、父の遺品の片付けを、否応なしにさせられたのが、納得行かないので、他人に、迷惑のお裾分けをしてやろうと・・・、とんでもねーヤローだな、我ながら。
≪製図台の解体・ダンパーを切る≫
≪写真1≫
プレハブ離屋の片付けに於いて、最大最強の敵だったのが、製図台でした。 「ドラフター」という、L字型の定規が、上下左右に自由に動く装置が付いています。
とても、私の手には負えそうにないので、なかなか 自分が片づけるような気にならなかったんですが、とにかく、これを片付けないと、空間を広げられないので、恐る恐る、且つ、地道に、バラして行きました。
≪写真2≫
んまー、一口では言えない苦労がありましたが、何とか、バラバラにはなりました。 架台の部分は、全て金属ですから、理屈の上では、そのままでも出せるんですが、重過ぎて、とても運べないので、L台車に乗せられる程度の、大きさ・重さにしたわけです。 これだけ、バラせば、もはや、元が何だったのか、想像がつきますまい。
≪写真3左右≫
ところが、バラしたら、ダンパー(ショック・アブソーバー)が、大小2本出て来てしまい、さあ、困った。 中に、ガスやオイルが入っているから、資源ゴミ・金属類に出すわけには行かないのです。
市役所のゴミ担当部署に電話したら、鉄屑業者に持っていけとの事。 ネットで調べてみたら、無料で引き取る所もあれば、有料の所もあるようで、私としては、リサイクル家電でもないのに、捨てる物にお金をかけるなど、冗談ではないと思い、そちらは、没。
で、ネットで、ダンパーの壊し方を調べ、ゴーグルを着用、多少の危険は覚悟の上で、鉄鋸で切って、ガスとオイルを出し、更に、シリンダーの両端を切り落として、ただの金属パイプと金属棒にしてしまいました。 これなら、元がダンパーだろうと、ただの金属として、回収せざるを得ますまい。
この後、資源ゴミに出したところ、全て、ちゃんと、持って行ってくれました。 めでたし、めでたし。
≪プレハブ内のあれこれ≫
≪写真上≫
プレハブの、ロッカーの上に置いてあった箱から出て来たもの。 ざっと、説明します。
・ 上に二つある板状の物は、角鉢の盆栽を屋内に飾る時に使った台。 父の手製で、脚が付いています。
・ 右の方にあるのは、粗品の、ミニ・タオルの類。 変色してしまって、使いようがありません。
・ 右下にある団扇は、私が小学生の頃、家族で、四国・徳島の阿波踊りを見に行ったのですが、その時に、ツアー会社から配られた物だと思います。 イラストは、大鳴門橋になっていますが、橋の完成は1985年で、かなり、後。 私達が行ったのは、「これから、橋を作りますよ」という時期でした。 私達は、フェリーで四国へ渡りました。
マイカーでのドライブ以外で、父と一緒に出かける事は、滅多になかったので、私は、父が駅などで迷子にならないように、気を配っていました。 徳島で泊まった宿が小さくて、ほぼ、民宿。 風呂が一つしかなくて、家族で入っている時に、他の客が入ってきそうになり、慌てた記憶があります。 夜食に、そうめんを出してくれましたけど。 あの宿も、とっくに、閉めたんだろうなあ。
もう、大昔の事です。 思い出の品として、とってあったというより、父には、使える物を捨てるという発想がなかったんですな。
・ 中央下のブラシは、父が仕事で使っていた物。 図面についた消しゴムのかすを払い落とすのに使われていました。 同類の物が何本かありました。
・ 中央左の、額に入っている絵は、父の友人が描いた物です。 その人は、画家ではなく、絵は、ただの趣味。 それを、友人に売りつけて、セミ・プロ気分を味わっていたらしいのです。 まーた、私の父は、お人好しなので、そういうのを薦められると、断れなかったんですな。 たかが趣味で描いた絵を売りつける方は、もとより言語道断ですが、軽率に買ってしまって、素人画家を増長させてしまう方も、感心しません。
下手とは言いませんが、スケッチに、水彩の色を載せただけで、よほど名前が売れている画家ならともかく、お金で売買されるような絵では、全くありません。 よく、これを売ろうなどと思いついたものです。 とんでもないわ。
・ 左端の、光ってしまっているのは、合羽です。 父は、雨の日でも、犬の散歩に行っていたので、一時期、合羽は、必需品でした。
≪写真下≫
プレハブから出て来た、「成功する話し方 ハンドブック 冠婚葬祭編」。 父が買ったものだと思いますが、どこで買ったのかと考えると、こういう品を売っている店を思いつかないので、たぶん、通販ではないかと思います。 カセットが、10巻もあるのは、凄い。 いくら、したんだろう?
父は、よその家の結婚式や、葬式、法事に出るのが好きで、一生の間に、ゆうに、100回以上、参列したと思います。 そういう機会に、備えて、買ったんでしょうなあ。 熱心な事です。
だけど、父は、性格的に見て、司会はもちろんの事、短いスピーチですら、向かない人でした。 兄の結婚式の時の、新郎の父の挨拶では、私が文例を元に書いた文を、棒読みしたくらいですから。 ちなみに、私は、もっと苦手ですが、そもそも、そういう席に、進んで出て行こうなどと考えませんから、何の問題もありません。
≪父の遺した機械≫
≪写真上≫
プレハブには、父が買った電動工具が、ごそっと、残っていました。 この写真に写っているのは、左側から、コードレス・インパクト・ドライバーと、そのケース。 真ん中の列が、トリマーと、そのケースと、外箱。 右上の茶色い箱のが、ジグソー。 右手前の、本体が青で、袋が黒いのが、ブロワーです。
コードレス・インパクト・ドライバーは、納戸を作る時に、長い木ネジを捻じ込む為に買った物だと思いますが、父の生前から、「バッテリーが、もう駄目だ」と言われていて、確認したら、ほんとに駄目でした。 バッテリーを買い直すと、5400円くらいするようです。 今、買い直しても、使いたいと思った時には、また死んでいる恐れがある上に、98パーセントくらいの確率で、今後、私が、インパクトを使うほどの日曜大工をしないと思うので、本体もケースも、全部、捨ててしまいました。 最初からなかったと思えば、何ともありません。
トリマーという機械は、未だに、何に使うのか、分かりません。
ジグソーは、犬小屋を改造して出窓を付ける時に、ベニヤ板を刳り抜くのに使った形跡があります。
ブロワーも、何に使うか分らなかったのですが、その後、取り扱い説明書が、他から出て来て、どうやら、ゴミを吸い込む為の機械らしいと分かりました。 納戸を作っていた時に、屋内で電動丸鋸を使って、そのゴミを吸うのに、ブロワーを買って来たのかも知れません。
どうも、父は、何か特定の物を作りたいと思いついてから、その為の機械を買いに行ったようです。 そして、目的の物が出来てしまった後も、機械は、「いつか、また、使うだろう」と、しまいこんでいたわけだ。 トリマー、ジグソー、ブロワーは、私には、使いようがないから、リサイクル店に持って行ったら、「もう、10年以上経っている品だから」という事で、三つで、500円でした。
≪写真下≫
これは、物置に入れてありました。 電動ではなく、灯油を入れて使う、草焼きバーナーです。 こんな凄いものを使わなければならないほど、草ボウボウな庭でもないのですが・・・。 父も、すぐに、使い難いと分ったらしく、私が、これの存在に気づいた時には、もう、使わなくなっていました。
この他に、電動工具としては、丸鋸、グラインダーと、ドリルが二つあります。 丸鋸とグラインダーは、私にも使えるので、残す予定。 ドリルは、トルクが出なくなっており、次に使った時に、駄目なようなら、捨てるつもりでいます。
≪プレハブ・物置のゴミ≫
≪写真1≫
すでに、処置した後の様子です。 製図台の板2枚を、電動丸鋸で四分割して束ねた物や、犬小屋を解体して束ねた物を、並べてあります。 全て、埋め立てゴミ。 L台車で運びました。
≪写真2左≫
板類の他に、一月の埋め立てゴミの日に出した物。 プレハブから出た小物がごっそりあったので、袋も結構な数になりました。
≪写真2右≫
物置にあった、茣蓙です。 2012年12月まで、父の車に積んであったのが、一枚。 他の二枚は、元々、物置にあったものです。 もはや、茣蓙の時代ではなく、今後も出番はないので、捨てました。
≪写真3左≫
これは、門の横の流しの隣に立て掛けてあった、ブリキ製の如雨露。 ブリキのは、二つありましたが、古い方は、すでに捨てています。 ブリキ製は、重くて、何かと使い勝手が悪いんですわ。 うちには、プラスチック製のも、二つあって、それだけで充分なので、これも、資源ゴミ・金属類に出しました。
≪写真3右≫
物置から出てきた、針金細工。 これは、かつて、父が、菊を育てていた時に、花が落ちないように、宛がったものだと思います。 父の手作りです。 父は、菊を、結構、本格的にやっていたんですが、展覧会に出品するほどではなく、数年でやめてしまいました。 他に、菊用の鉢が、別の植物が植えられて、幾つか残っています。
≪写真4左≫
父の物と思われる、高速道路用の、三角反射板。 物置の中に、母の物と、二つあったんですが、母の物の方が、幾分、新しいようなので、父の方を捨てました。 もっとも、残した母の物も、使う予定はないんですけど。
≪写真4右≫
折り畳んだ姿。 うまく、出来てますな。 車があった頃には、ずっと、トランク・ルームに。 それ以後は、ずっと、物置にあったので、状態は良いです。 プラスチック部分は埋め立てゴミに。 金属部分は、資源ゴミに出しました。
≪液物系の処分≫
≪写真1≫
物置の、車関係の物を入れてあった箱から出てきたもの。 手前左は、父が歴代の車から外して残しておいた、発炎筒。 右は、車載用の非常用懐中電灯です。 奥の列は、左側から、
・ウィルソン ホワイト・シャンプー
・ウィルソン パーコート90
・クレ ガラス・クリーン
・トヨタ ウィンド・クリーナー
・タイホー工業 クリンビュー
・艶出シ一発
・ホルツ 耐熱ペイント(黒)
発炎筒は、しばらく、水に浸けた上で、燃やすゴミに出しました。 非常用懐中電灯は、分解して、埋め立てゴミと、資源ゴミ・金属類へ。
ホワイト・シャンプー、パーコート90、艶出シ一発、耐熱ペイントの四点は、私が、1986~87年頃に、買ったものです。 もしかしたら、クリンビューも、私のかも知れませんが、記録を取っていないから、確かめられません。 最初の車、ダイハツ初代ミラに使っていたわけですが、全部使い切らない内に、1992年には廃車にしてしまい、これらだけ残ったわけです。 車の色がアイボリーだったせいで、水垢には、さんざん泣かされました。
耐熱ペイントは、排気管の見える所が錆びていたので、それを黒く塗る為に買いました。 客観的に見れば、安物車でしたが、少しでも見てくれをよくしようと努力した点は、今持っている、セルボ・モードと変わりませんでした。
≪写真2≫
エンジン・オイルの残り。 手前の二つは、ミラ専用オイルなので、私が買ったものです。 最低でも、二回は、自分でオイル交換をしたのでしょう。
奥側の「R」と書いてあるのは、スバルのオイルですが、我が家にスバル車があった事はないので、父が、テキトーに安いのを買って来たのではないかと思います。 私は、父が車のオイル交換をしている姿を、一度も見た事がなく、相当、昔の物と思われます。
奥側右端の、ホンダの2サイクル・オイルは、母が1980年代前半に乗っていたスクーター、初代タクト用に買ったものだと思います。
こういう古いオイルは、潤滑油代わりに使う分には問題ないですが、エンジンに入れるのは、厳禁だそうです。 時間が経つと変質してしまうのだとか。
≪写真3左≫
物置の、灯油の一斗缶の中に入っていた、得体の知れない液体。 容器は、一升瓶と、焼酎の瓶です。 恐る恐る、口を開け、出してみたら、どうやら、エンジン・オイルの廃油のようでした。 父が、廃油の捨て方が分からなくて、しまいこんでいたんでしょうなあ。 毒物・劇物でなくて良かったです。
≪写真3右≫
液物を捨てるついでに、私の部屋にあった、金魚や亀の殺菌治療薬、メチレン・ブルーと、墨汁も出しました。 メチレン・ブルーは、もう、20年も前のもので、出番があったとしても、古過ぎて怖いので、捨てる事にしました。 墨汁も、30年くらい経っていると思います。 ラジオ番組に出す投稿ハガキに絵を描く為に使ったんですが、大昔の事。 今の私には、絵を描く気は、かけらも残っていません。
≪写真4≫
プレハブから出て来た、墨汁2本と、製図用紙用の修正液、それと、薬の小瓶に入った得体の知れない液体。 父は、60歳くらいの頃に、趣味で、墨絵を少し描いていたので、書道セットと墨汁が残っていました。 墨汁の一本は未開封でした。
液物は、シュンのペット・シートや、父が末期に使った尿取りパッドに浸み込ませて、燃やすゴミへ出しました。 墨汁は、中で、ゼラチン状に固まってしまっていました。 有毒性が低いと判断し、下水に流しました。
≪物置内のあれこれ≫
メインの物置や、プレハブ離屋に父が増築した、サブ物置から出て来たもので、2月に捨てた品々です。
≪写真1≫
二段ベッドの上段部品。 枠はあったんですが、肝心の板部分がありませんでした。 とっくに腐ってしまって、父が、燃やすか埋めるかしたんでしょう。 梯子もありませんでした。 ちなみに、下段は、私が現役で使っています。 頭板と足板は、嵌め込んであるだけで、ハンマーで叩いたら、簡単にバラバラになりました。
左上の、緑色のホースと、ビニール袋がくっついたものは、以前、亀の汚れ水を、ベランダから下りた雨樋の出口から、排水升まで持って行くのに使っていた道具。 犬がいなくなってから、庭に水を流してしまっても問題なくなり、これは使わなくなりました。
≪写真2≫
奥の深緑色のは、セメントのトロ舟。 中央は、古いホース。 パイプを複雑な形に繋いであるのは、池から水を抜くのに使っていた道具。 その右側の板は、1960年代のテレビ台の板です。 脚は、腐ってしまい、一本しか原形を留めていませんでした。 右下に、ネズミ捕りが、少し写っています。 その隣の白っぽいのは、ステンレスの板ですが、何に使っていたのか、不明。 左の方の、バケツに入っているのは、ペンキ塗りの道具。
≪写真3≫
左上は、1980年代のテレビ台の側面板。 左下は、古い俎板。 その隣は、車の輪止め。 長いのの一番左は、兄が使っていたソフトボールのバット。 その隣の茶色いの4本は、解体したワゴン代車の柱。 一番長い板は、用途不明。 右の木箱二つは、メイン物置の棚で、物を入れるのに使われていたもの。
≪写真4左≫
この紫色のウインド・ブレーカーは、私が、バイク通勤を始めた1995年頃に買ったもの。 買って間もない内に、エキゾースト・パイプに触れて、肘の所を溶かしてしまい、捨てたのですが、父が取っておいたようです。 物置に突っ込んであったところを見ると、着たとは思えませんが。
≪写真4右上≫
父が使っていた落ち葉マーク。 いずれ、私も使おうかと思っていたのですが、見たら、ヒビだらけになっていたので、捨てました。
≪写真4右下≫
台所の外に置いてあった、ホース・リール。 母が買ったものですが、ほとんど使わなくて、ホースの中の方が扁平に潰れてしまい、もはや、巻いた状態では、水が通らなくなってしまいました。 だから、使わない物を、買うなというのに。 この後、ホースを引き出して行ったら、隙間に蟻の巣が作られていて、王国を崩壊させてしまいました。
≪植木鉢・引き出し式書類ケース・包丁その他≫
またもや、バラバラですが、捨て物です。 すでに、父の遺品は、粗方、片付いているので、取り零しやら、他の捨て物やらが、混じっています。
≪写真1≫
庭の、盆栽棚の下にあった、植木鉢。 私は、園芸の趣味は皆無ですし、母も、プランターと花壇が主なので、植木鉢には、出番がありません。 もう絶対に使わないと思われる、小さい鉢や、角型の鉢から先に、全体の半分くらいを選び出し、埋め立てゴミに捨てました。
一見、少ないようですが、2月の埋め立てゴミを出す日が、あいにくの雨でして、片手に傘を差し、片手だけで、物を運んだので、えらい回数を往復しなければなりませんでした。 植木鉢は重いから、ちょっと大きいのだと、片手では、一度に二つしか持てないのです。
≪写真2≫
父の部屋の、机の上に並んでいた、引き出し式の書類ケース。 中身を空にして、押入れに場所を移した後の写真です。 一つは金属製、もう一つは、プラスチック製。 元々は、各種契約関係の書類が入っていたのですが、それは、別の入れ物に移して纏めたので、これらは、用済みになりました。
こういう物ですから、私や母が、使おうと思えば使えるのですが、今まで、自分で買おうと思わなかった物は、つまり、必要ないから、買わなかったわけでして、どうせ、これらも、使わないと思われ、またどこかに押し込んで、死蔵するのも嫌なので、捨てる事にしました。
深緑色の物体は、父が机に取り付けていた、隠し貴重品入れです。 父がブリキで作ったもの。 スライド式の蓋があり、中には、実印や、印鑑登録証、銀行印、クレジット・カードなどが入っていました。 どれも、すでに無効になり、隠しておく意味がなくなったので、他の入れ物に移しました。
なぜ、ブリキ製なのかというと、机の奥の天井部分に、マグネット・シートが貼ってあって、それに吸着させて、吊り下げてあったからです。 隠し場所としては、いいアイデアだと思いますが、私は別の方法を使っているので、これを受け継ぐ事はしませんでした。
≪写真3≫
これは、台所で、母が死蔵していた、歴代の包丁です。 よくも、こんなに、溜め込んだものです。 後生大事にしていたわけではなく、捨てる方法が分からなかったようです。 一本ずつ、刃の部分を新聞紙に包み、束ねた上で、「包丁」と書いた紙を貼り、資源ゴミ金属類に捨てました。
≪写真4≫
これは、物置から出てきた、刃物類。 ダンボール箱に、無造作に突っ込んであったから、怖い。 まあ、錆びていて、切れはしませんけど。 包丁2本は、台所のと同じように処理しました。 右端の、途中で折れた折り込み鋸と、左端の、先が丸まったマイナス・ドライバーは、柄の部分をハンマーで叩いて壊し、金属部分だけ、小物金属の箱に入れました。 箱が満杯になったら、捨てるつもり。
あー、もー、うんざりだ。 というわけで、父の管轄していた場所から出た、捨て物シリーズは、今回で終わりです。 父の遺品が片付いた後、自分の物を捨て始め、それは、今現在も続いています。 いずれ、そちらの写真も出す事にしましょう。
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