2018/01/21

ママチャリ=蔑称

  前回、柿の種の小袋裏に書かれていた文章を取り上げるのに、「ママチャリ」という言葉を、便宜的に、そのまま使いましたが、この言葉、蔑称と取って、違和感や、拒絶感を覚える人も、少なくないだろうと思います。 果たして、「ママチャリ」は、蔑称なのか?




  結論から言いますと、「ママチャリ」は、正真正銘、言い抜けのしようがない、どこへ出しても恥ずかしい、蔑称だと思います。 専ら、軽快車を馬鹿にして、「ママチャリ」と呼んでいるわけだ。 見下しているわけだ。 ついでに、軽快車に乗っている人間も馬鹿にしているわけだ。 人を人とも思っていないわけだ。 虫ケラ扱いしているわけだ。 いや、それほどではないか。 そもそも、虫ケラ扱いというのは、虫に失礼、螻蛄に失礼ですな。

  ところで、「ママチャリ」の後半部分の元になっている、「チャリンコ」という言葉は、別に、蔑称ではありません。 単なる、自転車の愛称です。 「チャリンコ」の語源は、諸説紛々で、どれと決めるわけにはいかないようですが、語源が何であるかに関係なく、「チャリンコ」は、無色透明な言葉なわけだ。

  ただ、物は使いようでして、普通の言葉であっても、別称に近い使い方もできない事はないです。 地方に於いては、どんなに近い所であっても、車で行く生活をしていて、自転車を一切使わず、常日頃、自転車に乗っている者を小馬鹿にしている輩というのが、少なからず存在しますが、そういう人間が、ニヤニヤ笑いながら、「なになに、あそこまで、チャリンコで行くの?」と、揶揄口調で言った場合、それは、蔑称として使っているわけだ。

  しかし、その場合、「なになに、あそこまで、自転車で行くの?」と言ったとしても、やはり、相手を馬鹿にしている事に変わりはなく、「自転車」に対して、特段、「チャリンコ」の、蔑称度が高いというわけではないです。  そういうケースでは、問題は、もはや、言葉の次元ではなく、そんな風に、自転車を馬鹿にしている、車オンリー人間の、人格レベルの低さにあります。 ちなみに、認知機能の低下で、危険運転の常習者になってしまっているくせに、免許を返す事を頑強に拒絶している高齢ドライバーの大半が、この種の、車オンリー人間なのですが、それはまた、テーマが別なので、今回は触れません。 


  話を、「ママチャリ」に戻しますが、前半部分の、「ママ」が、蔑称ではない事は、論を待ちません。 普通の言葉ですな。 むしろ、いいイメージを伴っている場合すら多い。 ところが、その「ママ」が、「チャリンコ」と合体して、「ママチャリ」になると、蔑称としか言いようがない、蔑称になってしまうんですわ。

  まだ、勤めていた頃、北海道の苫小牧にある工場へ、2ヵ月半、応援に行っていたのですが、その時、リサイクル店で、シティー・サイクルを買って、足にしていました。 一緒に、応援に行っていた人が、その事を聞きつけ、「○○さんが買った自転車って、ママチャリ?」と訊いて来ました。 少し違和感があったものの、その人は、他人を馬鹿にするような性格ではなかったので、たぶん、蔑称という意識なしに使ったのだろうと判断して、訂正を求めるような事はせずに、話を合わせておきました。

  その人の頭の中では、スポーツ自転車、折り畳み自転車、実用車、子供自転車以外は、全て、「ママチャリ」なのでして、単なる分類名に過ぎず、他意はないようでした。 一応、「軽快車ではなく、シティー・サイクルの方」と言っておいたのですが、両者の区別が分からないようで、頭の周りに、「?」マークが飛びまわっているような顔をしていました。


  もう一つ、実例を挙げます。 いつの事だったか忘れてしまいましたが、何か、自転車の整備上の問題で、ネットの質問掲示板を読んだ事がありました。 質問者が、「私は、ママチャリに乗っているのですが・・・」という書き出しの質問をしたのに対し、回答者の一人が、「まず最初に言っておきますが、ここに来る人達は、『ママチャリ』という呼び方を嫌うので、使わない方がいいです」という前置きをしているのを見ました。

  質問掲示板が、サロン化しているというのにも、ビックリしましたが、それはどうでもいいとして、「なるほどねえ。 そういう一群もあるんだねえ」と、「ママチャリ」という言葉を嫌う人々の存在を初めて知った次第。 回答者は、確実に、自転車好きで、しかも、軽快車やシティー・サイクルに対する偏見がないわけだ。 何だか、妙に親近感が湧きましたが、そんな人達が大勢いるというのは、ちょっと、不自然な感じがしないでもないですなあ。


  そもそも、「ママチャリ」という言葉を使い始めたのは、誰なのかと考えると、これが、よく分かりません。 漠然とした印象で、最も疑わしいのは、何と言っても、スポ自乗りです。 自分が乗っている、スポ自を持ち上げ、それ以外の自転車を扱き下ろす為に、「ママが買い物に使うような自転車」という意味で、「ママチャリ」という言葉を作ったと・・・。

  しかし、スポ自乗りというのは、昔から大勢いたわけではなく、自転車ブームで、どっと増えたのであって、「ママチャリ」という言葉は、それ以前からあったような記憶があります。 昔も、スポ自乗りはいましたが、プロや、クラブなどに所属している、ごく少数の人達だったので、彼らに、「ママチャリ」という言葉を流行らせるほど、影響力があったとは思えません。

  自転車の生産・販売に関わっている人達の、隠語だったんでしょうか? しかし、「ママチャリ」の定義には、一定しないところがあり、どの車種を指しているのか、はっきりしないような言葉を、メーカーや商人が使うとも思えないのです。

  学生は、隠語の生産拠点みたいな集団ですが、軽快車は、高校生でも、性別を問わず、乗っているのであって、自分達が乗っている自転車に、蔑称をつけるというのも、奇妙ですなあ。 高校生の中の、スポ自乗りが言い出したという線も、人数が少な過ぎて、影響力が限られているから、まず、ありますまい。

  「ママチャリ」という言葉が、軽快車だけを指し、シティー・サイクルが除外されるのなら、シティー・サイクルに乗っている学生が、軽快車に乗っている学生を馬鹿にして、「ママチャリ」という言葉を作ったという事も考えられますが、シティー・サイクルも、ママチャリの中に含める人が多いのだから、その線も考えられません。 そもそも、学生が、軽快車とシティー・サイクルを、どれだけ区別しているか、大いに疑問でして、わざわざ、指摘されなければ、違いが分からない人も多いのでは?

  結局、言いだしっぺは、分からないとしか、言いようがありません。


  強引に纏めますと、良識ある人間として見られたいのなら、「ママチャリ」という言葉は、使わない方が無難なのは、間違いありません。 自分の乗っている自転車に対して、その言葉を使われた時、馬鹿にされたと感じる人がいると分かっていて、わざと使うのは、相手に、「私を憎んで下さい」と頼んでいるようなものですから。 それに、「軽快車」や、「シティー・サイクル」という、車種名を使って、呼んだ方が、知的に見られると思います。