読書感想文・蔵出し (34)
読書感想文です。 今回は、ヴァン・ダインだけですな。 ヴァン・ダイン作品は、沼津図書館、三島図書館、それに、相互貸借で取り寄せてもらった、浜松図書館と、3館で借り集めたので、順序は、飛んだり戻ったりです。 できれば、発表順に読みたいんですが、そもそも、その作家の作品が、読むに耐える内容なのかどうか分からないので、最初から、三島へ足を延ばすというわけにもいかないのです。
≪ベンスン殺人事件≫
創元推理文庫
東京創元社 2013年初版
S・S・ヴァン・ダイン 著
日暮雅通 訳
三島図書館で借りてきた本。 去年の前半、ディクスン・カー作品を借りた時には、専ら、バイクで行ったのですが、今はもう、バイクがないので、自転車で行ったところ、距離が遠すぎて、帰り道の途中で、腿が引き攣ってしまいました。 返しに行く時には、車を使う事にします。
≪ベンスン殺人事件≫は、1926年の発表で、ヴァン・ダインの長編推理小説としては、第一作です。 この文庫の解説によると、自伝を元にした、一般的に知られているヴァン・ダインの経歴は、かなりの嘘が含まれているようなのですが、この作品を書く以前のヴァン・ダインが、推理小説を書く側ではなく、読む側の人だった事は、疑いないところです。 いきなり、書いて、これだったわけだ。
証券会社の共同経営者の一人が、自宅の椅子に座ったまま、拳銃で、額を撃ち抜かれて死ぬ事件が起こる。 遺留品から、容疑者がすぐに特定されるが、たまたま、友人の地方検事にくっついて、事件現場の見学をしたファイロ・ヴァンスが、検察・警察の捜査に、駄目出しを連発し、真犯人の逮捕まで導いて行く話。
ヴァンスは、第一作から、登場しています。 というか、事件の方は、大した事はなくて、ファイロ・ヴァンスというキャラを描きたいばかりに、推理小説を書き始めたのではないかと思えます。 ヴァンスは、この作品で、初めて、素人探偵をやるのであって、元々、探偵であったわけではありません。 では、何者だったのか? 学業を終える頃に、おばの遺産を受け継いで、資産家になり、遊んでいても暮らして行ける身分だったらしいです。 高等遊民みたいなもの?
この作品では、事件は一つで、殺されるのも一人。 それでいて、文庫にして、365ページくらい、埋めています。 一体、どうやって、尺を持たせているのかというと、容疑者を何人か出して、こいつも怪しい、あついも怪しいと、仮推理を並べているのです。 ヴァンス本人は、お得意の心理学的推察で、最初から犯人が分かっていたようで、振り回されたマーカム検事は、大変、気の毒なのですが、間違っている推理を、わざわざ読まされる読者も、たまったものではありません。
だけど、≪僧正≫や≪グリーン家≫に比べると、最初から犯人が分かっていたというだけでも、名探偵っぽくて、ヴァンスのキャラに合っているように思えます。 もし、探偵役の性格を先に決めて、それを最大限に活かすストーリーを考えたなら、こういう話になるのは、至って、自然ですな。
問題は、ヴァンスの性格が、大いに難アリな事でして、マーカム検事のように真面目な堅物が、こういう、人を喰った事ばかりしてい男に対して、我慢し続けているというのが、不自然です。 知能が高いとか、教養が豊かとか、そんな美点が消し飛んでしまうほど、性格が悪い。 はっきり、性格異常者と言ってしまっても、いいかも知れません。
作者も、それは気にしているようで、「二人は友人で、マーカムは、ヴァンスの性格を良く理解しているから、多少の事は大目に見ているのだ」といった事を、何度も繰り返しているのですが、それは、言い訳以外の何ものでもありますまい。 現実に、ヴァンスのような男がいたら、友人など出来るわけがなく、総スカンになるのは、目に見えています。
≪カナリヤ殺人事件≫
創元推理文庫
東京創元社 1959年初版 1992年62版
ヴァン・ダイン 著
井上勇 訳
三島図書館で借りてきた本。 2017年の12月30日から、2018年の1月4日にかけて、年を跨いで読みました。 文庫本410ページくらいで、そんなに時間がかかる本ではないのですが、年末年始で、他にやる事があったせいで、足掛け6日間もかかってしまった次第。 ちなみに、昔の文庫なので、今風の、字が大きく、字間も広い文庫にすると、もっと、ページ数が増えると思います。
≪カナリヤ殺人事件≫は、1927年の発表で、ヴァン・ダインの長編推理小説としては、第二作です。 訳者の井上勇という人は、ヴァン・ダインの全作品を日本語訳したそうで、創元推理文庫の旧版がそれです。 私が先に読んだ、≪ベンスン殺人事件≫の方は、新版でした。 そちらの解説に、「旧版は、訳文の中に、フランス語やラテン語が混じっていて、独特」とあったのですが、確かにそうでした。 しかし、そのせいで、読むのに時間がかかるというほど、抵抗は大きくありません。
ブロードウェイで人気を得た元女優が、自分のアパートで絞殺されるが、そこは、密室同然の状態になっていた。 その女と交際のあった男が、5人、捜査線上に浮かぶが、誰にも、一応のアリバイがある。 地方検事マーカムに誘われた、素人探偵ファイロ・ヴァンスが、捜査に加わり、密室トリックの謎を解く一方、容疑者達に、ポーカー・ゲームをさせて、心理分析を施し、犯人を特定する話。
殺されるのは、二人ですが、二人目は口止めが目的なので、純然たる連続殺人ものとは、趣きが異なります。 ≪僧正≫と≪グリーン家≫を先に読むと、連続殺人がヴァン・ダインの十八番かと思ってしまいますが、最初は、そうではなかったんですな。 基本的には、フーダニットで、密室トリックが、オマケについているという格好。
密室トリックは、閂外しも、閂かけも、悲鳴の謎も、割と月並みな物で、トリック好きの読者なら、小馬鹿にしてしまうでしょう。 しかし、この密室設定のお陰で、推理小説らしさが増しているのは、疑いないところで、私は、嫌いではありません。 むしろ、やたらと凝りまくって、策士策に溺れ気味の密室物より、リアリティーがあると思います。
ポーカーを利用した、性格観察は、この小説を読むだけなら、説得力があるのですが、他の事件に応用しようとすると、とてもじゃないが、捜査の定番手法にはなり得ないと思えます。 作者は、重大事件の犯人像として、「真の賭博師的性格」を好んでいるようですが、そういう性格が殺人事件を起こし易いというのなら、それまでの人生で、他にも大勢、殺しているのではありますまいか?
読んでいて、あちこちに、ツッコミを入れたくなるのは、ヴァン・ダイン作品の特徴のようなものだと、ようよう分かって来ました。 今のところ、4作品、読んだ限りでは、この≪カナリヤ≫が、一番、読み応えがありましたが、その差は、そんなに大きくはなくて、4作全て、ゾクゾク感は、全く覚えませんでした。
相変わらず、ヴァン・ダインという人が、プロの推理作家のような気がしません。 どちらかというと、書く側ではなく、読む側の人で、「たまたま、器用だったので、書く方にも手を出しただけ」という感じがするのです。 何が足りないんですかね? 探偵の性格が良くない点が、余分なのは、はっきりしているんですが。
≪ウインター殺人事件≫
創元推理文庫
東京創元社 1962年初版 1997年30版
ヴァン・ダイン 著
井上勇 訳
三島図書館で借りてきた本。 2017年1月5日の、午前9時半頃から読み始め、昼食30分程度を挟んで、午後2時には読み終わりました。 なんで、そんなに早かったかというと、ヴァン・ダインの長編推理小説、12作品の内、この≪ウインター殺人事件≫が、最後の一編なのですが、第二段階の原稿まで仕上げた時点で、作者が急死してしまい、それが、そのまま、発表されたので、ページ数が、文庫にして、150ページくらいしかないのです。 そりゃ、早く読み終わるわけだ。
著者不明の前書きによると、ヴァン・ダインは作品を書く時に、まず、かなり長い梗概を書き、次に、物語の発展を書いた、第二段階原稿を書き、最後に、登場人物の性格、会話、雰囲気を肉付けして、完成原稿としていたとの事。 ワープロやパソコンがない時代に、そういう事をやるのは、大変だったでしょうなあ。 で、この≪ウインター≫は、その第二段階の原稿なわけです。 話は、ちゃんと、完結しています。
マーカム検事の口利きで、ニューヨークを離れ、休養半分、探偵仕事半分で、森の中にある豪邸、レクスン荘にやってきたファイロ・ヴァンスが、有名人が集まる屋敷で起こった、殺人事件と、宝石窃盗事件を、地元の警部補と共に捜査し、解決する話。
随分、簡単な紹介になってしまいましたが、これ以上、付け加えられません。 この作品の特徴は、いつもなら、ヴァンスが捜査を進めて行く上で、議論の相手になるマーカム検事が不在な事です。 記録役のヴァン・ダインが、その代役を一切務めないものだから、ヴァンスは、お得意の知識・教養のひけらかしができず、その分、行数が激減して、話の流れだけで、小説が書かれています。
事件の内容そのものは、他の作品と大差ないので、ヴァンスのお喋りが、いかに多くの行数を稼ぎ出していたかが分かります。 そして、それが欠けていると、ヴァン・ダインの作品は、本当に、スカスカになってしまうのだという事も分かります。 事件の経緯だけ読んでも、全く面白くない。 ヴァンスのお喋りだって、鼻につくばかりで、別に面白くはないですけど、それでも、他の小説にはない特徴になっているわけで、それすらない、この作品には、読者の興味を引くものが、何も残っていないんですな。
この本、≪ウインター殺人事件≫の他に、付録として、≪推理小説作法の二十則≫と、≪推理小説論≫という、ヴァン・ダインによる論説文が載っています。 前者は、≪ヴァン・ダインの二十則≫と呼ばれる有名なもので、ネット上でも読めます。 ≪推理小説論≫は、1920~30年代時点での、全般的な、推理小説の分析です。 どちらも、推理作家を目指している人なら、一応、読んでおかないとまずいと思いますが、そうでない、普通の読者は、読んでも、理屈っぽくなるだけで、害の方が大きいように思えます。
二十則と言っても、その数字に、特に意味があるわけではなく、思いついた事を、ダラタラと書き並べていったら、20くらいになったというだけ。 ヴァン・ダインという人、そんなに分析が得意なわけではなく、単に、几帳面なだけだったのかも知れませんなあ。 アガサ・クリスティーの、≪アクロイド殺し≫を、アンフェアだと批判したエピソードも、両者の作品を読んでみると、小説家としての才能が違い過ぎて、馬鹿馬鹿しくなってしまいます。 もちろん、クリスティーの方が、上。
≪カブト虫殺人事件≫
創元推理文庫
東京創元社 1960年初版 1990年34版
ヴァン・ダイン 著
井上勇 訳
三島図書館で借りてきた本。 最初の三冊を返し、別の三冊を借りたのですが、開架にはなくて、書庫に入っていたのを出してもらいました。 全て、1990年代に発行された文庫本ですが、今回の三冊は、かなり、くたびれていました。 読む人が多かったんでしょうねえ。 ヴァン・ダイン、そんなに人気があるんですかね? 気が知れませんが。
1930年の発表。 ヴァン・ダインという人は、「一人の推理作家が書ける面白い作品は、6作が限界」と言って、当初、自身も、6作だけ書くつもりだったらしいのですが、その言明は、後に反古にされ、全部で12作、書く事になります。 この作品は、第5作ですから、まだ、嘘つきになる前に出たわけです。
素人探偵ファイロ・ヴァンスの知人である、エジプト学者、ブリス博士の私設博物館で、博士の研究の出資者が殺される事件が起こる。 当初、博士の犯行である事を示唆する証拠が幾つも見つかり、マーカム検事や、ヒース部長刑事は、博士逮捕に踏み切ろうとするが、事件の裏にある深い企みに気づいたヴァンスが、それを思い留まらせて、相手の出方を窺う形で、真犯人の尻尾を掴もうとする話。
タイトルの「カブト虫」というのは、「スカラベ」の意訳で、正確には、「フンコロガシ殺人事件」を訳すべき。 それでは、推理小説らしい緊張感を壊すというのならば、下手に訳さず、「スカラベ殺人事件」とすべきでしょう。 「カブト虫」などと言うと、昆虫好きの人が、間違えて手に取るかも知れず、紛らわしくて、いけません。 ちなみに、スカラベは、それをあしらった宝飾品が、一応、出て来ますが、犯人の遺留品の一つに過ぎず、事件の解決に関わるような重要な要素ではいないです。
私が今までに読んだ、ヴァン・ダイン作品、6作品の中では、最も、話が凝っています。 トリックが凝っているのではなく、話が凝っているのです。 トリックも使われていますが、単純なもので、それが謎の中心ではなく、読者への目晦ましに使われているだけ。 ヴァンスは、現場を見て、すぐに、犯人が誰か見抜くけれど、ある事情があって、それをなかなか、検事や部長刑事に伝えないという形式です。 ≪僧正≫や、≪グリーン家≫と違って、探偵が犯人を分かっているお陰で、割と安心して読めます。
犯人は、意外な人物なんですが、その意外さを捻ってあって、この作品の最大の特徴になっています。 私は、こういうパターンの推理小説を、初めて読んだと思うのですが、ヴァン・ダインの発明なのかどうかは、分かりません。 初期の推理小説に詳しい人なら、先例を挙げられるのかも。
しかし・・・、そういう特徴があるにも拘らず、やはり、ヴァン・ダインの他の作品同様、読んでいて、ゾクゾクする感じがないのです。 面白い推理小説なら、必ず備わっているはずの、あの感覚がないのは、なぜでしょう? 誰が犯人なのか、あまり、気にならないとでもいいましょうか。 何となく、似て非なる推理小説という印象が強いのです。
例によって、エジプト学に関する、ヴァンスの知識・教養のひけらかしが、大量に書き込まれています。 「これさえなければ・・・」と思う一方で、「これをとったら、ヴァン・ダイン作品の特徴が、ほとんど、なくなってしまう」という気もします。 象形文字による古代エジプト語の手紙が、小道具として出て来ますが、正確かどうかは、眉唾物です。 ヴァン・ダインという人は、とことん、一般的でない知識を羅列して、読者を煙に巻くのが好きだったようです。
以上、四作です。 読んだ期間は、
≪ベンスン殺人事件≫が、2017年12月27日から、30日にかけて。
≪カナリヤ殺人事件≫が、2017年12月30日から、2018年1月4日。
≪ウインター殺人事件≫が、1月5日。
≪カブト虫殺人事件≫は、1月8日から、11日。
ちなみに、ヴァン・ダインは、本国アメリカでは、1960年代には、早くも過去の人になり、綺麗に忘れられてしまったらしいのですが、日本では、なぜか、推理小説全盛期の大家という扱いで、出版が続いているのだとか。 素朴な疑問ですが、印税は、誰が受け取っているんですかね?
≪ベンスン殺人事件≫
創元推理文庫
東京創元社 2013年初版
S・S・ヴァン・ダイン 著
日暮雅通 訳
三島図書館で借りてきた本。 去年の前半、ディクスン・カー作品を借りた時には、専ら、バイクで行ったのですが、今はもう、バイクがないので、自転車で行ったところ、距離が遠すぎて、帰り道の途中で、腿が引き攣ってしまいました。 返しに行く時には、車を使う事にします。
≪ベンスン殺人事件≫は、1926年の発表で、ヴァン・ダインの長編推理小説としては、第一作です。 この文庫の解説によると、自伝を元にした、一般的に知られているヴァン・ダインの経歴は、かなりの嘘が含まれているようなのですが、この作品を書く以前のヴァン・ダインが、推理小説を書く側ではなく、読む側の人だった事は、疑いないところです。 いきなり、書いて、これだったわけだ。
証券会社の共同経営者の一人が、自宅の椅子に座ったまま、拳銃で、額を撃ち抜かれて死ぬ事件が起こる。 遺留品から、容疑者がすぐに特定されるが、たまたま、友人の地方検事にくっついて、事件現場の見学をしたファイロ・ヴァンスが、検察・警察の捜査に、駄目出しを連発し、真犯人の逮捕まで導いて行く話。
ヴァンスは、第一作から、登場しています。 というか、事件の方は、大した事はなくて、ファイロ・ヴァンスというキャラを描きたいばかりに、推理小説を書き始めたのではないかと思えます。 ヴァンスは、この作品で、初めて、素人探偵をやるのであって、元々、探偵であったわけではありません。 では、何者だったのか? 学業を終える頃に、おばの遺産を受け継いで、資産家になり、遊んでいても暮らして行ける身分だったらしいです。 高等遊民みたいなもの?
この作品では、事件は一つで、殺されるのも一人。 それでいて、文庫にして、365ページくらい、埋めています。 一体、どうやって、尺を持たせているのかというと、容疑者を何人か出して、こいつも怪しい、あついも怪しいと、仮推理を並べているのです。 ヴァンス本人は、お得意の心理学的推察で、最初から犯人が分かっていたようで、振り回されたマーカム検事は、大変、気の毒なのですが、間違っている推理を、わざわざ読まされる読者も、たまったものではありません。
だけど、≪僧正≫や≪グリーン家≫に比べると、最初から犯人が分かっていたというだけでも、名探偵っぽくて、ヴァンスのキャラに合っているように思えます。 もし、探偵役の性格を先に決めて、それを最大限に活かすストーリーを考えたなら、こういう話になるのは、至って、自然ですな。
問題は、ヴァンスの性格が、大いに難アリな事でして、マーカム検事のように真面目な堅物が、こういう、人を喰った事ばかりしてい男に対して、我慢し続けているというのが、不自然です。 知能が高いとか、教養が豊かとか、そんな美点が消し飛んでしまうほど、性格が悪い。 はっきり、性格異常者と言ってしまっても、いいかも知れません。
作者も、それは気にしているようで、「二人は友人で、マーカムは、ヴァンスの性格を良く理解しているから、多少の事は大目に見ているのだ」といった事を、何度も繰り返しているのですが、それは、言い訳以外の何ものでもありますまい。 現実に、ヴァンスのような男がいたら、友人など出来るわけがなく、総スカンになるのは、目に見えています。
≪カナリヤ殺人事件≫
創元推理文庫
東京創元社 1959年初版 1992年62版
ヴァン・ダイン 著
井上勇 訳
三島図書館で借りてきた本。 2017年の12月30日から、2018年の1月4日にかけて、年を跨いで読みました。 文庫本410ページくらいで、そんなに時間がかかる本ではないのですが、年末年始で、他にやる事があったせいで、足掛け6日間もかかってしまった次第。 ちなみに、昔の文庫なので、今風の、字が大きく、字間も広い文庫にすると、もっと、ページ数が増えると思います。
≪カナリヤ殺人事件≫は、1927年の発表で、ヴァン・ダインの長編推理小説としては、第二作です。 訳者の井上勇という人は、ヴァン・ダインの全作品を日本語訳したそうで、創元推理文庫の旧版がそれです。 私が先に読んだ、≪ベンスン殺人事件≫の方は、新版でした。 そちらの解説に、「旧版は、訳文の中に、フランス語やラテン語が混じっていて、独特」とあったのですが、確かにそうでした。 しかし、そのせいで、読むのに時間がかかるというほど、抵抗は大きくありません。
ブロードウェイで人気を得た元女優が、自分のアパートで絞殺されるが、そこは、密室同然の状態になっていた。 その女と交際のあった男が、5人、捜査線上に浮かぶが、誰にも、一応のアリバイがある。 地方検事マーカムに誘われた、素人探偵ファイロ・ヴァンスが、捜査に加わり、密室トリックの謎を解く一方、容疑者達に、ポーカー・ゲームをさせて、心理分析を施し、犯人を特定する話。
殺されるのは、二人ですが、二人目は口止めが目的なので、純然たる連続殺人ものとは、趣きが異なります。 ≪僧正≫と≪グリーン家≫を先に読むと、連続殺人がヴァン・ダインの十八番かと思ってしまいますが、最初は、そうではなかったんですな。 基本的には、フーダニットで、密室トリックが、オマケについているという格好。
密室トリックは、閂外しも、閂かけも、悲鳴の謎も、割と月並みな物で、トリック好きの読者なら、小馬鹿にしてしまうでしょう。 しかし、この密室設定のお陰で、推理小説らしさが増しているのは、疑いないところで、私は、嫌いではありません。 むしろ、やたらと凝りまくって、策士策に溺れ気味の密室物より、リアリティーがあると思います。
ポーカーを利用した、性格観察は、この小説を読むだけなら、説得力があるのですが、他の事件に応用しようとすると、とてもじゃないが、捜査の定番手法にはなり得ないと思えます。 作者は、重大事件の犯人像として、「真の賭博師的性格」を好んでいるようですが、そういう性格が殺人事件を起こし易いというのなら、それまでの人生で、他にも大勢、殺しているのではありますまいか?
読んでいて、あちこちに、ツッコミを入れたくなるのは、ヴァン・ダイン作品の特徴のようなものだと、ようよう分かって来ました。 今のところ、4作品、読んだ限りでは、この≪カナリヤ≫が、一番、読み応えがありましたが、その差は、そんなに大きくはなくて、4作全て、ゾクゾク感は、全く覚えませんでした。
相変わらず、ヴァン・ダインという人が、プロの推理作家のような気がしません。 どちらかというと、書く側ではなく、読む側の人で、「たまたま、器用だったので、書く方にも手を出しただけ」という感じがするのです。 何が足りないんですかね? 探偵の性格が良くない点が、余分なのは、はっきりしているんですが。
≪ウインター殺人事件≫
創元推理文庫
東京創元社 1962年初版 1997年30版
ヴァン・ダイン 著
井上勇 訳
三島図書館で借りてきた本。 2017年1月5日の、午前9時半頃から読み始め、昼食30分程度を挟んで、午後2時には読み終わりました。 なんで、そんなに早かったかというと、ヴァン・ダインの長編推理小説、12作品の内、この≪ウインター殺人事件≫が、最後の一編なのですが、第二段階の原稿まで仕上げた時点で、作者が急死してしまい、それが、そのまま、発表されたので、ページ数が、文庫にして、150ページくらいしかないのです。 そりゃ、早く読み終わるわけだ。
著者不明の前書きによると、ヴァン・ダインは作品を書く時に、まず、かなり長い梗概を書き、次に、物語の発展を書いた、第二段階原稿を書き、最後に、登場人物の性格、会話、雰囲気を肉付けして、完成原稿としていたとの事。 ワープロやパソコンがない時代に、そういう事をやるのは、大変だったでしょうなあ。 で、この≪ウインター≫は、その第二段階の原稿なわけです。 話は、ちゃんと、完結しています。
マーカム検事の口利きで、ニューヨークを離れ、休養半分、探偵仕事半分で、森の中にある豪邸、レクスン荘にやってきたファイロ・ヴァンスが、有名人が集まる屋敷で起こった、殺人事件と、宝石窃盗事件を、地元の警部補と共に捜査し、解決する話。
随分、簡単な紹介になってしまいましたが、これ以上、付け加えられません。 この作品の特徴は、いつもなら、ヴァンスが捜査を進めて行く上で、議論の相手になるマーカム検事が不在な事です。 記録役のヴァン・ダインが、その代役を一切務めないものだから、ヴァンスは、お得意の知識・教養のひけらかしができず、その分、行数が激減して、話の流れだけで、小説が書かれています。
事件の内容そのものは、他の作品と大差ないので、ヴァンスのお喋りが、いかに多くの行数を稼ぎ出していたかが分かります。 そして、それが欠けていると、ヴァン・ダインの作品は、本当に、スカスカになってしまうのだという事も分かります。 事件の経緯だけ読んでも、全く面白くない。 ヴァンスのお喋りだって、鼻につくばかりで、別に面白くはないですけど、それでも、他の小説にはない特徴になっているわけで、それすらない、この作品には、読者の興味を引くものが、何も残っていないんですな。
この本、≪ウインター殺人事件≫の他に、付録として、≪推理小説作法の二十則≫と、≪推理小説論≫という、ヴァン・ダインによる論説文が載っています。 前者は、≪ヴァン・ダインの二十則≫と呼ばれる有名なもので、ネット上でも読めます。 ≪推理小説論≫は、1920~30年代時点での、全般的な、推理小説の分析です。 どちらも、推理作家を目指している人なら、一応、読んでおかないとまずいと思いますが、そうでない、普通の読者は、読んでも、理屈っぽくなるだけで、害の方が大きいように思えます。
二十則と言っても、その数字に、特に意味があるわけではなく、思いついた事を、ダラタラと書き並べていったら、20くらいになったというだけ。 ヴァン・ダインという人、そんなに分析が得意なわけではなく、単に、几帳面なだけだったのかも知れませんなあ。 アガサ・クリスティーの、≪アクロイド殺し≫を、アンフェアだと批判したエピソードも、両者の作品を読んでみると、小説家としての才能が違い過ぎて、馬鹿馬鹿しくなってしまいます。 もちろん、クリスティーの方が、上。
≪カブト虫殺人事件≫
創元推理文庫
東京創元社 1960年初版 1990年34版
ヴァン・ダイン 著
井上勇 訳
三島図書館で借りてきた本。 最初の三冊を返し、別の三冊を借りたのですが、開架にはなくて、書庫に入っていたのを出してもらいました。 全て、1990年代に発行された文庫本ですが、今回の三冊は、かなり、くたびれていました。 読む人が多かったんでしょうねえ。 ヴァン・ダイン、そんなに人気があるんですかね? 気が知れませんが。
1930年の発表。 ヴァン・ダインという人は、「一人の推理作家が書ける面白い作品は、6作が限界」と言って、当初、自身も、6作だけ書くつもりだったらしいのですが、その言明は、後に反古にされ、全部で12作、書く事になります。 この作品は、第5作ですから、まだ、嘘つきになる前に出たわけです。
素人探偵ファイロ・ヴァンスの知人である、エジプト学者、ブリス博士の私設博物館で、博士の研究の出資者が殺される事件が起こる。 当初、博士の犯行である事を示唆する証拠が幾つも見つかり、マーカム検事や、ヒース部長刑事は、博士逮捕に踏み切ろうとするが、事件の裏にある深い企みに気づいたヴァンスが、それを思い留まらせて、相手の出方を窺う形で、真犯人の尻尾を掴もうとする話。
タイトルの「カブト虫」というのは、「スカラベ」の意訳で、正確には、「フンコロガシ殺人事件」を訳すべき。 それでは、推理小説らしい緊張感を壊すというのならば、下手に訳さず、「スカラベ殺人事件」とすべきでしょう。 「カブト虫」などと言うと、昆虫好きの人が、間違えて手に取るかも知れず、紛らわしくて、いけません。 ちなみに、スカラベは、それをあしらった宝飾品が、一応、出て来ますが、犯人の遺留品の一つに過ぎず、事件の解決に関わるような重要な要素ではいないです。
私が今までに読んだ、ヴァン・ダイン作品、6作品の中では、最も、話が凝っています。 トリックが凝っているのではなく、話が凝っているのです。 トリックも使われていますが、単純なもので、それが謎の中心ではなく、読者への目晦ましに使われているだけ。 ヴァンスは、現場を見て、すぐに、犯人が誰か見抜くけれど、ある事情があって、それをなかなか、検事や部長刑事に伝えないという形式です。 ≪僧正≫や、≪グリーン家≫と違って、探偵が犯人を分かっているお陰で、割と安心して読めます。
犯人は、意外な人物なんですが、その意外さを捻ってあって、この作品の最大の特徴になっています。 私は、こういうパターンの推理小説を、初めて読んだと思うのですが、ヴァン・ダインの発明なのかどうかは、分かりません。 初期の推理小説に詳しい人なら、先例を挙げられるのかも。
しかし・・・、そういう特徴があるにも拘らず、やはり、ヴァン・ダインの他の作品同様、読んでいて、ゾクゾクする感じがないのです。 面白い推理小説なら、必ず備わっているはずの、あの感覚がないのは、なぜでしょう? 誰が犯人なのか、あまり、気にならないとでもいいましょうか。 何となく、似て非なる推理小説という印象が強いのです。
例によって、エジプト学に関する、ヴァンスの知識・教養のひけらかしが、大量に書き込まれています。 「これさえなければ・・・」と思う一方で、「これをとったら、ヴァン・ダイン作品の特徴が、ほとんど、なくなってしまう」という気もします。 象形文字による古代エジプト語の手紙が、小道具として出て来ますが、正確かどうかは、眉唾物です。 ヴァン・ダインという人は、とことん、一般的でない知識を羅列して、読者を煙に巻くのが好きだったようです。
以上、四作です。 読んだ期間は、
≪ベンスン殺人事件≫が、2017年12月27日から、30日にかけて。
≪カナリヤ殺人事件≫が、2017年12月30日から、2018年1月4日。
≪ウインター殺人事件≫が、1月5日。
≪カブト虫殺人事件≫は、1月8日から、11日。
ちなみに、ヴァン・ダインは、本国アメリカでは、1960年代には、早くも過去の人になり、綺麗に忘れられてしまったらしいのですが、日本では、なぜか、推理小説全盛期の大家という扱いで、出版が続いているのだとか。 素朴な疑問ですが、印税は、誰が受け取っているんですかね?
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