2018/02/18

読書感想文・蔵出し (32)

  読書感想文です。 しばらく出さなかったので、4・5回分は溜まっています。 今回は、母の蔵書の内田康夫作品だけで、纏めます。 ちょうど、4作品しかなかった事でもあるし。 




≪倉敷殺人事件≫

光文社文庫
光文社 1988年初版 1992年27版
内田康夫 著

  母の蔵書です。 92年に買ったとすると、コンビニ・バイト時代ですな。 なるほど、コンビニに似合いそうな、明るい感じの装丁だ。 320ページくらいの長編推理小説です。 内田康夫さんというと、「浅見光彦シリーズ」の作者ですが、この作品は、別物で、「岡部警部シリーズ」の一作です。 岡部警部は、「信濃のコロンボ・シリーズ」で、警視庁の警部として、顔を出しますが、独立したシリーズもあったんですね。


  新宿の裏通りで、富山から来た初老の男が刺され、「タカハシのヤツ」という最後の一言を、通りかかった若い男女が聞く。 一方、倉敷のアイビー・スクエアでは、旅行に来ていた若い女性が、何者かに毒殺され、被害者から、「トモ君」と呼ばれていた男が、捜査対象になる。 警視庁の岡部警部と、岡山県警倉敷署の上田刑事が、それぞれの事件を調べて行く内に、二つの事件が、富山にある児童訓練施設を接点に結びついている事が明らかになり・・・、という話。

  夜9時半頃、眠る前に、少し読むつもりで読み始めたら、とまらなくなり、深夜1時過ぎまでかかって、320ページを一気読みしてしまいました。 これは、面白い。 麻薬的というより、覚醒剤的に、面白いです。 いや、私は、どちらの薬物とも、全く無縁で、あくまで、比喩的表現ですけど。

  どちらかと言うと、岡部警部より、上田刑事の方が、露出が多いですし、新宿の事件の発見者である、草西英(くさにしひかり)という若い女性も、上田刑事と同じくらい、頻繁に登場し、心理まで細かく描かれるので、中心人物は、決まっていません。 上田刑事は、発想が柔軟で、有能な刑事。 岡部警部は、洞察力が鋭い名探偵。 草西英は、二人に、重大なヒントを与える人物。 そんな役割分担になっています。

  上田刑事が、「トモ君」の正体を追ってに、富山まで捜査に出かけていき、成果を上げる件りが、前半のピークになっています。 後半は、犯人のアリバイ・トリックを崩すところが、クライマックスになります。 時間をごまかすトリックは、ありふれたものですが、誰が車を運転していたかが、新味のあるトリックで、ハッとさせられます。

  ダラダラと、こんな感想を書くより、読んでもらった方が早い。 そんな部類の作品ですな。 強いて、欠点を探すなら、新宿事件の発見者である草西英の家が、寺で、倉敷で殺された女性の葬儀が、その寺で行われたというのは、ちと、偶然が行き過ぎており、不自然です。 別に、そこまで、因縁を絡めなくても、問題なく、成り立つ話だと思うのですがね。



≪「信濃の国」殺人事件≫

講談社文庫
講談社 1994年初版
内田康夫 著

  母の蔵書です。 94年だから、コンビニ・バイト時代。 念の為、書いておきますが、90年代に、親戚のコンビニで、バイトしていたのは、母であって、私ではありません。 その頃の私は、もう、最も長くいた会社で勤め人をしていました。 母は、学校給食の調理師を若い頃からしていたのですが、終わりの頃に、市営老人ホームの調理師を数年やった後、定年を前倒しして退職し、年金受給年齢に達するまで、気心の知れた従姉の店で、バイトをしていたのです。

  この作品は、1985年に、徳間書店から単行本として刊行され、その後、1990年に、徳間文庫になっていたものが、1994年に、講談社文庫に入れられたそうです。 その間に、長野県内の道路事情が大幅に変わったらしく、作中の描写が、現実に合わなくなってしまったという説明が、あとがきで、述べられています。

  内田康夫さんといえば、「浅見光彦シリーズ」ですが、1985年は、ようやく、その第一作が発表された年で、浅見光彦の名前は、まだ世間に知られていませんでした。 火曜サスペンスで、水谷豊さん主演の、「浅見光彦ミステリー」が始まるのは、1987年です。 それ以前の、内田作品の探偵役は、警視庁の岡部警部や、長野県警の竹村岩男で、この作品は、その竹村岩男の方、「信濃のコロンボ・シリーズ」に含まれます。


  「絞殺された後、死体が遺棄される」という共通点がある殺人事件が、4件起こる。 最初の事件で容疑者にされてしまった新聞記者と、その新妻が、疑いを晴らす為に、事件の謎に取り組み、長野県歌「信濃の国」の歌詞の中に、4件の死体遺棄現場が含まれている事を発見する。 「信濃のコロンボ」の異名を持つ、竹村岩男警部が、彼らの発見をヒントに、捜査を進める話。

  面白いです。 冒頭、長野県歌や、戦後間もなく起こった「分県運動」の説明があり、更に、新聞記者の個人的事情が、しばらく続くので、とっつき難いのですが、第二の事件が起こる辺りまで進むと、急に進みが早くなり、読むのが停まらなくなります。 私は、この本のせいで、夜更かしが続き、二日連続で、寝坊しました。

  面白い。 面白いのは確かなんですが、物語として、よく出来ているかは、また、別の話でして、読み終わってから、振り返ってみると、バラバラ感が凄いです。 出だし、中心人物だった、新聞記者と、その新妻は、謎解きのヒントを竹村警部に伝えると、すーっと後景に退いてしまいます。 推理小説では、こういう、バトン・タッチが珍しくないですが、やはり、中心人物が変わってしまうというのは、違和感がありますなあ。

  また、真犯人の動機に、無理があり、その言い訳として、「狂気」を持ち込んでいるのですが、それをやると、何せ、狂っているわけですから、何でもアリになってしまうのでして、推理小説としては、評価が落ちます。 そんな事は、承知の上で書いたのだと思いますが、結局のところ、狂気を持ち込まなければ、説明できなかったという事は、動機設定に無理があったという証拠でしょう。

  概観して、前半は、謎解きでゾクゾクし、後半も、そのゾクゾク感で引っ張っていくものの、劇的なクライマックスを用意していないせいで、スッポ抜けるような感じで終わります。 最後の最後になって、実行犯の一人が、新聞記者の身近な人間だったというのが、取って付けたよう。

  あとがきに、「どのような結末にするかで、腐心した」と書いてありますが、それは、構想段階で腐心したのではなく、途中まで書いて、どう終わらせるかで悩んだという意味なのではないでしょうか。 これは一般論ですが、映像化作品で、「原作とは異なる結末を用意した」などという触れ込みで売ろうとする作品は、大抵、つまらないです。 結末を変えられるストーリーは、それだけ、構成がゆるいという事ですから、理の当然というもの。



≪箱庭≫

講談社文庫
講談社 1997年初版
内田康夫 著

  母の蔵書です。 コンビニ・バイト時代ですから、その店で買ったのでしょう。 470ページくらいある、かなり厚めの書き下ろし長編で、93年の発表との事。 浅見光彦シリーズの何作目になるのかは不詳ですが、テレビ・ドラマの方では、水谷豊さん主演のシリーズが、90年に終了し、91年の榎木孝明さん主演の劇場版の後、94年に、辰巳琢郎さん主演のシリーズが始まるまでの空白期に書かれた事になります。 作者が、どの俳優さんを念頭において、浅見光彦を動かしていたかを考えると、面白いですが、この作品では、たぶん、榎木さんでしょうねえ。


  大型台風が接近しつつあった広島の厳島神社で、「紅葉谷公園の墓所」という、存在しない場所を尋ねた男が、翌朝、波打ち際で、死体となって発見される。 その2年後、浅見光彦は、兄嫁宛に送られて来た脅迫状について調べるべく、同封されていた写真に写っている、兄嫁の同級生の女を捜しに、中国地方西部に向かう。 女の行方を追って、立ち寄った岩国で、別の殺人事件に遭遇し、政治家とゼネコンが絡んだ、大きな事件に巻き込まれて行く話。

  「紅葉谷公園」というのが、他の土地にもあって、待ち合わせの場所を勘違いしたというのが、冒頭の謎ですが、それは、導入部に色をつける為の手法に過ぎません。 どうも、内田康夫さんは、地名や、言葉の聞き違いが好きなようですが、私は、そういう謎が出て来ると、必ず、≪砂の器≫の「かめだ」を思い出して、パクリっぽさを感じてしまいます。

  長い話ではあるものの、殺人事件に限っていえば、犯人が登場するのは、ずっと後ろの方で、「えっ! 誰、この人?」と、驚かされるのですが、読み返すと、かなり前の方で、顔を出しており、後出しでない事が分かります。 しかし、後出しではないというだけでして、読者が存在を忘れてしまうような印象の薄い人物が、実は犯人だったというのは、意外性よりも、作品の不出来を感じてしまいます。

  全体を見ると、社会派的な内容でして、殺人事件よりも、政治家絡みの巨悪を描くのに、エネルギーを多く割いているように思えます。 推理小説というと、本格物の方を多く読んでいる私としては、政治家が出て来た途端に、半分、白けてしまうのであって、そもそも、この小説を読む資格がないのかも知れません。

  巻末の、「自作解説」を読むと、内田康夫さんが、「プロットを決めずに書き始める」という事が、自慢混じりの文章で書いてあります。 「『プロットを決めずに、書けるわけがない』という指摘を受けるのだが、事実は事実なので、困ってしまう」と・・・。 評論家からも疑われていて、「あまりそういうことは言わないほうがいいですよ」と忠告された事があると・・・。

  しかし、この作品を読む限りでは、事前にプロットを決めないで書いているのは、明々白々です。 そうでなければ、こんなにバラバラな話になるわけがなく、内田康夫さんが嘘を言っているとは、全然、思えません。 犯人の再登場が突然なのは、誰を犯人にするか、決めていなかったからだと思います。 そもそも、最初の登場場面にしてからが、後から、書き加えられたものなのでは?

  大変、興味深いのは、内田康夫さんが、この作品の出来を、かなり良いと思っていて、バラバラな部分を、欠点だと見做しておらず、むしろ、そういうところが、ゲーム的な構成の本格派推理小説と比較して、読み応えがあると思っているらしいという点です。 そういう考え方もあるんですなあ。 私としては、かなり、違和感を覚えますけど。

  たとえば、冒頭の、厳島神社が台風で破壊される場面ですが、台風自体は、その後の話の展開と、関係ないです。 別に、台風が来なくても、話は成り立ちます。 ヒロインが、バレエをやっているという設定も、話の筋と、一切、無関係で、他の習い事でも、何もしていなくても、問題なく、話が成り立ちます。 一方、兄嫁の同級生が、病院の付添い人を仕事にしている点は、変更できません。 重要性が違うわけですな。 ところが、その、外せない事と、外せる事が、区別できないボリュームで書き込まれているから、外せる部分を読んだ労力が、無駄に思えてしまうのです。

  だけど、こういうのも、アリとしか言いようがないですなあ。 実際のところ、浅見光彦シリーズは、原作も、映像化作品も、日本中に、知らない者がいないくらい、大ヒットしたのですから。 俄か読者に過ぎない私が、どんなに問題点を指摘しても、この作品を貶める事は、金輪際、不可能です。

  日記を調べてみたら、9月10日から読み始めて、10月9日に読み終わっており、呆れた事に、一ヵ月もかかっています。 いくら、厚い本とはいえ、推理小説一作に、一ヵ月はかかり過ぎでしょう。 だけど、後ろの3分の2くらいは、一晩で読んでいるので、別に、つまらなかったから、時間がかかったのではないのです。 他に、やる事があって、そちらを優先していたから、読書で閑を潰す必要がなかったという、ただそれだけの事情。



≪沃野の伝説(上・下)≫

カッパ・ノベルス
光文社 1997年初版
内田康夫 著

  母の蔵書にして、母自身が買ったもの。 コンビニ・バイト時代ですが、コンビニで、新書サイズのカッパ・ノベルスも売っていたのか、それとも、本屋で買ったのかは、分かりません。 「推理小説なら、何でもいい」というつもりではなく、内田康夫さんの、浅見光彦シリーズである事を確認して、買ったのだと思います。 この頃すでに、2時間サスペンスで、浅見光彦の名前は、お馴染みになっていましたから。

  新書サイズの二段組みで、上下巻合わせて、500ページくらいある、長編です。 元は、1994年に、朝日新聞社から刊行された本を、加筆・訂正して、97年に、カッパ・ノベルスから、発行したとの事。 あとがきや、解説がないので、それ以上の情報は分かりません。 下巻の巻末に、1997年時点での、内田康夫さんの著作リストが掲載されています。


  浅見光彦の母が、かつて存在した米穀通帳が、その後どうなってしまったのか、疑問を抱き、米の卸協同組合理事に電話で問い合わせた直後、その理事が何者かに殺される事件が起こる。 一方、長野で起こったヤミ米横流し事件で、捜査を任された竹村警部は、出張先の東京で、殺人事件の方を調べていた浅見光彦と再会し、協力して捜査を進めるが、事件の背後には、日本の米行政の闇が広がっていて、探偵二人の奮闘も虚しく、犠牲者が増えて行く話。

  もろ、社会派です。 特に、上巻、つまり、前半は、日本の米の流通システムや、闇米売買の実態、政府の米政策の矛盾などを解説するのに、大幅なページ数が割かれていて、興味がない読者には、全ての行に目を通すのが、かなり、辛いです。 解説調になっているページは、飛ばしてしまっても、ストーリーを理解するのに、支障はありません。 もっとも、作者が、この作品で書きたかったのは、その、社会問題の方であって、事件は、ダシに過ぎないのですが。

  下巻、つまり、後半になると、捜査過程が前面に出て来て、ストーリーとしては、俄然、面白くなります。 内田康夫さんは、緊迫感がある捜査過程を書かせると、素晴らしい筆の冴えを見せる人なんですな。 ただ、この作品では、殺人事件の真犯人は裁かれるものの、その背後にいる巨悪の方には、手を出せずに終わるせいで、もやもや感が残り、鮮やかな捜査の手並みという感じはしません。

  やはり、浅見光彦と、竹村警部の、ダブル探偵役は、宜しくないです。 浅見をメインにしている関係で、竹村警部の存在がくすんでしまっています。 竹村警部が、浅見の意見に同調する事でしか、自分の推理力を披瀝できず、浅見の引き立て役のような格好に甘んじているのは、何とも、痛々しい限り。

  推理小説としては、謎はありますが、トリックは使われていません。 どうも、こういう作品を読んでいると、本格トリック物が、懐かしく感じられてなりませんな。 浅見光彦が、車の走行距離から計算して、犯人達の出発地点がどこか推理する場面がありますが、実際には、不確定要素が多過ぎて、難しいんじゃないでしょうか。 恒常的に犯罪行為を続けている連中のアジトなんて、いくつ用意してあるか分からないわけですし。 少なくとも、その程度の計算を根拠に、警察を説得して動かせるとは思えません。




  以上、四作です。 読んだ期間は、去年、つまり、2017年の、

≪倉敷殺人事件≫が、9月1日から、2日にかけて。
≪「信濃の国」殺人事件≫が、9月5日から、7日。
≪箱庭≫が、9月10日から、10月9日。
≪沃野の伝説≫は、10月10日から、19日。

  内田康夫さんの小説は、面白いと思いますが、わざわざ、図書館で借りてまで、他の作品を読むになりません。 せいぜい、2時間サスペンスで見る時に、「原作の方は、きっと、もっと面白いのだろうなあ」と思う程度でしょう。