2018/09/30

読書感想文・蔵出し (42)


  読書感想文です。  今回で、コリン・デクスター作品は、おしまい。 最後の一冊を、清水町立図書館で借りたのがきっかけで、そこにあった、横溝正史作品に移行します。 横溝作品は、長編の主だったところは、自分で所有しているんですが、マイナー作品の方に、まだ、読んでいないものが、かなりあったのです。




≪悔恨の日≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 2000年10月初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 文庫版もありましたが、新書版の方を借りて来ました。 文庫版と新書版では、訳者あとがきの内容が違うので、文庫版の方のあとがきも読んで来ました。 さすが、訳者だけの事はあり、ネタバレは書いてありませんでした。

  発表は、1999年。 コリン・デクスターの第13作。 前作からの間隔は、3年です。 デクスター氏は、モース警部シリーズを、第12作の、≪死はわか隣人≫で終わらせるつもりでいたのが、ファンの苦情に押し負けて、しぶしぶ、この第13作を書いたのだそうです。 そのせいで・・・、いや、詳しくは、後で書きます。


  ストレンジ警視の意向により、一年前、妙齢の看護婦が、自宅で手錠をかけられた姿で殺された事件が、モース警部のところへ回されて来るが、モース警部は、なかなか、引き受けようとしない。 ルイス部長刑事は、その看護婦と、モースが過去に関係があったと見て、警部の態度に疑念を抱く。 やがて、事件に関わる、第二第三の犠牲者が出て、モース警部が、本気で捜査を始めるが、その一方で、彼の体は、長年の不摂生が祟り、末期状態に落ち込んで行く、という話。

  以下、ネタバレ、含みます。

  キメラと言うと、語弊がありますが、過去の自身の作品から、多くの要素を移植して、新しく一作を拵えた観が強いです。 たとえば、耳が聞こえない人物の存在とか、広大なゴミ処理場で死体を見つける場面とか・・・。 セルフ・オマージュなどと言うより、このシリーズの歴史を回顧して、作者自身が懐かしんでいるように見えます。 同じような事は、晩期の作品全てで言えますけど・・・。

  事件の方は、そんな感じで、驚かされるようなところはありませんが、中盤以降に、それと並行して進む、モース警部の病状悪化の描写には、鬼気迫るものがあります。 あー、えー、そのー、これは、究極のネタバレなので、これから、この作品を読むという人は、絶対、この先を読まないで下さい。 宜しいでしょうか。

  では、すでに、この作品を読んだ、もしくは、今後も、読む気はない、という人だけを対象に書きますが、なんと、あろう事か、たまげた事に、モース警部は、この作品で、死んでしまいます。 犯人に撃たれて死ぬ、刺されて死ぬ、といった殉職ではなく、酒と煙草をやりすぎて、体がボロボロになった末の、病死です。 病院に担ぎ込まれ、手当てを受けながらも、手遅れで、死んで行くのです。

  こんな死に方をした名探偵役が、かつて、推理小説に存在したでしょうか? 大抵、シリーズ物の名探偵は、引退して、充実した余生を送ったり、遠くへ旅立ったりして、死ぬところまでは書かれずに、「また、どこかで、探偵の才能を発揮しているに違いない」という、読者に希望を持たせる終わり方をするものですが、モース警部は、50代で、自滅してしまうのです。 すっごい個性ですなあ。

  もし、作者の予定通り、第12作で、終わりにしてもらっておけば、こんなひどい結末にはならなかったものを・・・。 全て、第12作の後、続きを書けと、作者に強迫した、一部のファンがいけないのです。 知性レベルの高いデクスター氏の事だから、推理小説ばかり読んでいる、低劣な読者連中から、やいのやいの言われて、心底うんざりし、「こりゃ、やっぱ、モースを抹殺するしかないな」と思ったのではないでしょうか。

  13という数字も、いけないわなあ。 12で終わっておけば、1ダースだから、キリが良かったのに、ファンが、13作目を望んだばかりに、最も不吉な終わり方になってしまいました。 つくづく思うのですが、自分より頭のいい人間を、意の侭に動かせるなどとは、金輪際、思わない方がいいです。 こういう、てひどい、しっぺ返しを食らうのがオチです。



≪モース警部、最大の事件≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1995年2月初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男/他 訳

  清水町立図書館にあった本。 この本を読む為に、わざわざ、貸し出しカードを作ってもらいました。 清水町の図書館へは、何回か行った事がありましたが、借りた事は一度もありませんでした。 町立なので、決して、大きくはないのですが、沼津の図書館にはない本があります。

  発表は、1993年。 コリン・デクスターの、唯一の短編集です。 全10編。 モース警部が登場する話が、6編。 その他が、4編。 訳者は、長編の方を全て訳した大場忠雄さんが、8編を担当している他に、二人いますが、訳者の違いで、訳文が読み難いという事はありません。 訳者が異なる作品だけ、訳者名を付します。

  以下、ネタバレ、含みます。


【モース警部、最大の事件】8P
  ディケンズの、≪クリスマス・キャロル≫をもじって、ケチで有名なモース警部が、自腹を切って、人助けをする話。 推理物ではないです。 モース警部シリーズのファンに向けた、サービス・エピソードのような小品。

【エヴァンズ、初級ドイツ語を試みる】24P
  服役中の男が、ドイツ語の試験を利用して、脱獄を図ろうとする話。 長編の方に出て来た、ベル警部が、ちょっと顔を出しますが、中心になるのは、刑務所の方です。 推理物の要素が、少し入っています。 ドンデン返しが重なるのが、欠点。

【ドードーは死んだ】14P
  第二次大戦中に、ドードーという名の女と知り合った男が、1990年になって、その女の素性を調べようとするが、モース警部の調査で、意外な真相を知る事になる話。 相談者の大胆な推理が、モース警部の捜査で、もっと大胆にひっくり返されます。 面白いですが、アイデア的には、ちと、月並み。

【世間の奴らは騙されやすい】24P 中村保男 訳
  観光客相手の詐欺グループの凝った手口と、仲間同士の騙し合いの様子を描いた話。 詐欺師の話は、誰が書いても、みんな、似たような感じになってしまいますな。 ラストに、どんでん返しが繰り返されるのが、欠点。

【近所の見張り】14P
  空き巣が流行っている住宅街で、空き巣に目をつけられたと思しきドイツ人の家を、モース警部が張り込みしていたら、意外なところに空き巣が入り、モース警部より深読みしていたドイツ人に、してやられてしまう話。 モース警部が、負けたままで終わるのは、珍しいですな。

【花婿は消えた?】26P 大村美根子 訳
  シャーロック・ホームズ物のパスティーシュ作品。 シャーロックとマイクロフトの兄弟が、ある事件について、違った見解を戦わせているところへ、ワトソンが、意外な情報を齎して、ちゃっかり、解決してしまう話。 パロディーですが、濃密で、面白いです。 ホームズ物のパスティーシュとしては、出色の出来。

【内幕の物語】46P
  被害者女性が書いた小説を参考に、モース警部が、相関関係を推理し、犯人を突き止める話。 ページ数の多さからも分かるように、これは、短編というより、長編の作法で書かれています。 肉付けして、膨らませれば、長編にできたはず。 作中作が、少し長過ぎて、読むのが苦痛です。 読者側も、長編のつもりで読むべきなのでしょう。

【モンティの拳銃】12P
  夫が原因で、子供が出来ない夫婦が、意外な方法で、妻を妊娠させる話。 生物学的な父親になる人物を、知能を基準にして選んだり、不倫関係で目的を達したりと、何とも、不謹慎な内容です。

【偽者】22P
  トラック泥棒が、「脱獄の常習犯が、また、脱獄した」という新聞記事を読み、それを利用して、警察から逃げ切ろうとする話。 どんでん返しがありますが、またか、という感じ。 デクスター氏は、こういうのが好きなようですな。 モース警部が、ちょっとだけ顔を出すものの、捜査には関係しません。

【最後の電話】24P
  ホテルの部屋で、男の死体が発見され、当初、心臓発作による自然死だと思われていたのが、愛人からの告白電話をきっかけに、殺人事件だと分かる話。 これは、長編用のアイデアで、使えなかったものを流用して、短編に仕立てたという感じがします。 モース警部と、ルイス部長刑事が、コンビで捜査に当たる雰囲気は、長編と変わりません。


  ああ、これで、デクスター作品とも、お別れか・・・。 しかし、長編の方は、後半、焼き直しが多かったので、そんなに、残念な気はしません。 デクスター氏は、推理作家というより、文学者なんですな。 次から次に、新しいトリックや謎を生み出すというタイプではないのです。 それなのに、なせ、面白いのか? 語り方が巧いから、としか答えられません。



≪悪魔の寵児≫

角川文庫
角川書店 1974年3月初版 1977年9月18版
横溝正史 著

  清水町立図書館にあった本。 ≪モース警部、最大の事件≫を借りる為に出向いた時、貸し出しカードを作ってもらっている待ち時間に、書架を見ていたら、文庫コーナーに、横溝正史作品が並んでいて、読んでいない本もあったので、次に行った時に、早速、一冊借りて来たのが、この本というわけ。 個人の寄贈本のようです。 カバーがなくて、剥き出し。 波模様になる前の、角川文庫の本体表紙ですな。 1977年というと、横溝正史ブームが盛り上がっていた頃です。

  発表は、1958年から1959年にかけて、雑誌「面白倶楽部」に連載されたものだそうです。 私が生まれる前ですな。 解説によると、同時期に、雑誌「宝石」に、≪悪魔の手毬唄≫を連載していたそうで、毎月、手毬唄の原稿より、この作品の原稿の方が、常に早く書き上がっていたのだとか。 その理由を作者に訊ねたら、「あの作品は、そう考えなくても書ける」という答えだったそうです。


  精力旺盛な新興事業家の愛人たちの元へ、事業家の妻と、彼女の肖像画を描いている画家の連名で、奇妙な挨拶状が配達され、それを皮切りに、愛人たちが、次々と、エロ・グロ極まりない残忍な方法で、殺されて行く。 「雨男」という謎の人物が暗躍し、事業家の元妻で、蝋人形館を経営している女と、その性的奴隷である蝋人形師が、怪しげな役回りを演じる中、画家の妹と馴染みだった縁で、事件に関わった新聞記者が、金田一耕助・等々力警部らと競う形で、捜査を進めて行く話。 

  冒頭からしばらくは、新聞記者が中心人物ですが、金田一耕助が出て来た辺りから、誰が中心というわけでもなくなり、群像劇のようになって行きます。 金田一耕助が出て来たからといって彼が中心にはならないのは、他の横溝作品と同じ。 映像化されると、大抵、金田一が中心になってしまいますが、小説の方では、そういう事は、まず、ありません。

  「あの作品は、そう考えなくても書ける」と、作者が言った理由は、読み始めると、すぐに分かります。 明らかに、≪悪魔の手毬唄≫や、≪犬神毛の一族≫とは、作風が違っているのです。 戦前、正確に言うと、≪本陣殺人事件≫以前ですが、横溝氏は、江戸川乱歩作品に似た小説を書いていて、解説によると、そういうのを、「草双紙趣味」と言うらしいのですが、≪悪魔の寵児≫は、正に、そちらの系統の作品なのです。

  特に、前半は、そう。 新聞記者が、蝋人形館に忍び込む件りなどは、≪黒蜥蜴≫の世界そのもので、本格派推理小説として、横溝作品に親しんでいる読者なら、自然と、アホらしくなって来ると思います。 これは、子供騙しではないかと・・・。 もっとも、エロ・グロ色が強いから、子供向けとは、とても言えませんけど。 どのくらい、エロ・グロかと言うと、そのままでは、映像化できません。 とんでもない。

  金田一が登場すると、金田一の雰囲気に引っ張られる形で、話に、幾分、リアリティーが出て来ますが、本格派作品というところまでは行きません。 元が、草双紙趣味ですから、本格派の要素を後付けしても、ちぐはぐになるだけで、この程度の作品なら、この程度の展開で、充分だと思います。

  犯人は、意外といえば意外な人物ですが、それ以前に、登場人物が、どんどん死んで行くので、残りは、指を折って数えるほどになってしまい、「この人が犯人でないのなら、あの人がそうだろう」くらいなら、ほとんどの読者に分かります。 わざわざ、罠をかけるまでもなく、捕まえられそうな気もしますが、その点に目くじら立てて、批判を浴びせるほどの作品でもないです。

  死体の山が出来てから、犯人指名と、謎解きだけやって、「事件を解決」するという、迷探偵・金田一耕助物のパターンは、この作品でも生きています。



≪びっくり箱殺人事件≫

角川文庫
角川書店 1975年1月/初版 1976年2月/8版
横溝正史 著

  清水町立図書館にあった本。 「清水町公民館図書室 昭和55年7月2日」のスタンプが押してあります。 町立図書館が出来る前には、公民館に図書室があったのでしょう。 この本は、寄贈本ではないです。 カバーはなくて、波模様になる前の、角川文庫の本体表紙です。

  ≪悪魔の寵児≫を返しに行って、次の本を、テキトーに選んだら、これになりました。 以前、横溝作品の角川文庫版に、どんなものがあるか、検索した事があるので、≪びっくり箱殺人事件≫という本がある事は知っていました。 表題作が、少し短めの長編で、215ページくらい。 もう一作、中編作品が収録されていて、そちらは、70ページくらい。


【びっくり箱殺人事件】
  発表は、1948年の1月から9月にかけて、雑誌「月間読売」に連載されたものだそうです。 戦後すぐですが、≪本陣殺人事件≫は、1946年で、もっと早かったわけで、すでに、再始動したエンジンが温まり、書きまくっていた時期の作品という事になります。 戦後すぐで、東京が舞台なので、世の中がゴタゴタしており、≪本陣殺人事件≫のような、落ち着いた趣きは、全く感じられません。


  レビューを売り物にした劇場の依頼で、寸劇を演じる事になった、文士「幽谷先生」率いる一団が、劇中で使う、「パンドーラの匣」から飛び出した短刀で人が死んだのをきっかけに、劇場内で次々に起こる連続殺人事件に巻き込まれる話。

  講談調の文体で書かれた、ドタバタ喜劇という感じで、本格派横溝正史作品の文体に慣れた読者には、違和感が強いと思います。 戦後間もない頃の世相を強く映していて、当時なら笑えたであろうパロディーの類が、時代が変わってから読むと、元ネタが分からず、さっぱり笑えないのは、厳しいところ。

  金田一は出て来ません。 等々力警部が出て来るものの、捜査に入った警察全体を擬人化した人物という設定で、探偵役ではありません。 探偵役は、劇場にいた人物の一人が務めますが、ネタバレになってしまうので、ここには書きません。 その人物が犯人ではないかという疑いが、ラストの謎解き寸前まで残るので、バラせないのです。

  ドタバタ喜劇であるにも拘らず、推理小説としての謎やトリックは、しっかり考えてあって、謎解きの段になると、俄然、本格派的になって来ます。 若干、水と油的な感じがしないでもないですが、そもそもが、そういう点に目くじら立てるような、深刻な話ではありません。 何人か死ぬのに、深刻ではないのが、ちと、引っ掛かるといえば、引っ掛かりますけど。


【蜃気楼島の情熱】
  1954年9月に、雑誌「オール読物」に掲載された作品。 一回で、全部掲載した作品だから、70ページくらいの分量になったのでしょう。 セリフを刈り込んでしまえば、短編にもできると思いますが、 むしろ、エピソードを増やして、長編にした方がいいと思うくらい、舞台設定が、よく整えてある作品です。


  パトロンである久保銀造と共に、岡山の瀬戸内に来ていた金田一耕助が、沖合いの島に、龍宮城のような屋敷を建てて住んでいる、アメリカ帰りの資産家に招かれて、島に渡るが、翌朝、その男の若い妻が殺されているのが発見される。 男には、アメリカ時代に、最初の妻を殺された過去があり、その時に疑われたのと同じように、男に嫌疑がかかるが・・・、という話。

  辺鄙な地方が舞台で、奇妙な屋敷に、少し常軌を逸した人物が住んでいる、となれば、雰囲気的には、横溝正史ワールドのど真ん中です。 登場人物とエピソードを増やして、書き足せば、堂々たる長編になってもおかしくない設定です。 やはり、この世界観は、横溝作品の王道ですなあ。 実に、雰囲気がいいです。

  特殊な性格の人物を出して、その性格ゆえに、殺人計画が実行されたというところが、面白い。 過去の怨恨は、材料としては出てくるけれど、謎とトリックがメインの、純然たる本格派でして、どろどろしたところは、ほとんど、ありません。 もし、この作品が、映像化されたら、たぶん、どろどろした因縁話で、水増しされると思いますけど。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2018年の、

≪悔恨の日≫が、7月31日から、8月6日にかけて。
≪モース警部、最大の事件≫が、8月9日から、12日。
≪悪魔の寵児≫が、8月17日から、22日。
≪びっくり箱殺人事件≫が、8月25日から、30日にかけて。

  デクスター作品を全て読み終えられたのは、今年の収穫と言えます。 推理小説が、謎やトリックのネタ切れを起こして、マンネリ化したところに、新しい風を吹き込んだ作家なのですが、デクスター氏以降、世界的に注目を集める推理作家は、また、出なくなってしまいました。

  未だに、推理小説に、多くの読者がいるのは、「マンネリでもいいから、推理小説を読みたい」という人がいるからでしょう。 しかし、「進歩」や「発展」を目標にするのなら、もう、推理小説は、その資格を失ったジャンルという感じがしますねえ。 私のように、古典作品の方が面白いと感じる人間がいるのは、その証拠なのでは。