読書感想文・蔵出し (43)
読書感想文です。 今回は、横溝正史作品のみ。 感想のストックがなくなるので、感想文・蔵出しは、今回までで、終わりです。 今現在も、清水町立図書館に通って、横溝作品を借り、読み続けています。 まだまだ、ある様子。
三島市立図書館には、もっとあるのですが、清水町に比べると、うちからの距離が2倍くらいあり、自転車ではきつい。 清水町にある本は、極力、そこで借りたいものです。
というか、横溝作品を、沼津の図書館が揃えていないという、それが、奇妙です。 全くないわけではありませんが、貧弱極まりない冊数。 どこかの出版社が、全集を出すのを待っているんですかね? いや~、今から、全作網羅の全集は出そうにないと思いますけど・・・。
≪塙侯爵一家≫
角川文庫
角川書店 1978年2月/初版
横溝正史 著
清水町立図書館にあった本。 これの前に借りた≪びっくり箱殺人事件≫と同じく、「清水町公民館図書室 昭和55年7月2日」のスタンプが押してあります。 購入された日も同じだった模様。 カバーはなく、波模様になる前の、角川文庫の本体表紙です。 ちなみに、その頃の本でも、角川の「鳳凰マーク」は入っています。 中編を、2作品、収録。
【塙侯爵一家】 約150ページ
発表は、古くて、1932年(昭和7年)の7月から、数回かけて、雑誌「新青年」に連載されたもの。 「新青年」は、作者自身が、かつて、編集者をしていた雑誌です。 古いと言えば古いですが、本場イギリスでは、1920年頃から、長編推理小説の黄金期に入っていた事を考えると、かなり後とも言えます。 「塙」は、主人公の姓ですが、「はなわ」ではなく、「ばん」と読みます。 「侯爵」は、爵位の中では最も高い身分。
ロンドン留学中に挫折し、死のうとしていた青年画家が、畔沢大佐という人物に拾われ、顔が瓜二つの侯爵家令息、塙安道になりすます事になる。 大佐と共に帰国すると、その周囲で、塙侯爵の刺殺事件を筆頭に、様々な怪事件が起こる。 大佐は、策を弄して、自分が連れ帰った青年を、侯爵の跡取りに据えようとするが・・・、という話。
戦前の横溝作品は、草双紙趣味のものばかりだと思っていたので、この作品には、驚きました。 大変、リアルな描写で、戦後に書いた作品と言われても、分かりません。 ストーリー展開も、洗練されていて、泥臭いところは、皆無。 間違いなく、翻訳文学の影響を強く受けていると思われます。
話も面白いです。 すり替わり物なわけですが、一捻りしてあって、よほど、推理小説慣れした読者でなければ、素直に騙されると思います。 強いて、欠点を探すなら、青年の方はいいとして、大佐の方が、策士のように描かれている割には、さほど、策に長けていないのが、期待外れといったところ。 しかし、大佐がこういう人でないと、青年の方の謎が成立しないから、致し方ありませんな。
【孔雀夫人】 約120ページ
1937年(昭和12年)7月から、9月まで、雑誌「新女苑」に連載された作品。 実業之日本社の雑誌で、1937年から、1959年まで、若い女性を対象に発行されていたらしいです。 戦争を跨いで生き残った雑誌というのは、珍しいのでは? 女性が読者だったからでしょうか。
新婚旅行でやってきた熱海で、新郎が、恩師の妻を崖から突き落として殺したという嫌疑で、逮捕されてしまう。 夫の無実を信じる新婦の為に、新婦の先輩に当たる女性と、その夫の新聞記者が、自分達の人脈を巧みに使って、事件の真相を解き明かして行く話。
これは、驚いた。 昭和12年に、素人探偵物ですぜ。 いや、ピーター・ウィムジイ卿のように、本場イギリスの推理小説では、すでに出ていたわけですが、この作品では、別に、探偵が趣味ではない、本物の素人が、探偵役をやっていまして、素人探偵物としては、より、純度が高いです。 惜しむらく、夫の職業が新聞記者というのは、有利すぎるか。 それにしても、横溝さん、新聞記者が好きだな。
以下、ネタバレ、含みます。
これも、すり替わり物なのですが、すり替わっている事は、割と簡単に見抜けます。 死体の顔が潰れていたというのは、すり替わり物のお約束ですし、それより何より、題名にもなっている孔雀夫人その人が、早々に死んでしまったのでは、話にならないからです。 すり替えられた女性は、気の毒ですなあ。 その彼氏も、気の毒な結末になるのですが、筋は通るものの、人命を軽く考えているような感じがして、読後感は、あまり良くありません。
新郎が罠にかけられるわけですから、謎は、もちろん、あるわけですが、紙数が少ない割には、欲張って、トリックも盛り込まれています。 時間的なものと、機械的なもので、そんなに凝ってはいませんが、発表当時、探偵小説を初めて読んだ若い女性達なら、大いに、ゾクゾク感を味わえたのではないでしょうか。
このストーリー、雰囲気的には、2時間サスペンスそのものです。 時代を現代に移し、エピソードを足して、膨らませれば、基本的な部分はそのままで、2時間サスペンスになると思います。 痴情の縺れ、怨恨、素人探偵、観光地、罠、トリック、どれを取っても、2時間サスペンスの要素ではありませんか。
≪夜歩く≫
角川文庫
角川書店 1973年2月/初版
横溝正史 著
うちにあった本。 所有者は、母ですが、元は、製本会社に勤めていた父方の叔父が、母への土産に持って来たもの。 カバー・イラストは、杉本一文さんですが、旧版の方です。 ≪夜歩く≫に限っては、旧版の方が、絵が優れているような気がします。 内容を分かり易く表しているのは、新版の方ですけど。 ちなみに、本体は、波模様になる前の、角川文庫の表紙。 扉に、角川の鳳凰マークがありますが、今の形ではなく、もっと古いです。
発表は、前半が、1948年(昭和23年)「男女誌」2月号に掲載。 後半が、1949年(昭和24年)「大衆小説界」6月号から、12月号に連載されたものだそうです。 戦後作品なので、金田一が出ます。 東京と岡山が舞台で、東京の方に、等々力警部は出ませんが、岡山の方では、磯川警部が出て来ます。 ただし、全く、何もしません。
大名家の末裔と、その家老の末裔が住んでいる屋敷で、一人の男が、首を切り取られて殺される。 体の特徴が共通しているせいで、大名家の息子なのか、その妹の交際していた男なのか分からない。 凶器と思われる刀は、殺害時刻より前に、金庫にしまわれていて、取り出せなかったにも拘らず、後で調べてみると、刃に血がべっとりついていた。 世間が騒ぐのを嫌って、本宅がある岡山に居を移すと、そこでも、殺人事件が起こり、女の首なし死体が発見される。 家老の家の当主に依頼された金田一が、意外な犯人を炙りだす話。
題名の≪夜歩く≫は、家老の家系に遺伝している夢遊病が、モチーフになっているから。 ただ、モチーフの一つに過ぎず、メインの謎やトリックとは、直接、関係はないです。 ディクスン・カーにも、同名の作品がありますが、共通点は、全く見られません。 共通点があるのは、アガサ・クリスティーの、≪アクロイド殺し≫の方ですな。
分類するなら、「首なし死体もの」という事になります。 あまりにも多くの探偵小説作家、推理小説作家が、同じタイプの話を書いて来たから、新鮮さを感じない読者も多いと思いますが、私は、面白いと思いました。 首がないせいで、死んだ人間が誰か分からなかったのが、後になってから、新証言が出て来て、特定されるという流れが、妙にゾクゾクします。
メイン・トリックと、メインの謎は、「首なし死体もの」なんですが、それより何より、この作品を読んで、最も特徴的と感じるのは、≪アクロイド殺し≫と、同じ方法で、読者を欺いている点でしょう。 「フェア・アンフェア論争」を引き起こした手法なのですが、横溝氏が、それを承知で取り入れたのは疑いないので、確信犯的なパクリですな。
しかし、大坪直行氏による解説では、その事に全く触れておらず、「首なし死体もの」としての分析だけが施されています。 ≪アクロイド殺し≫が、あまりにも有名なので、確信犯的なパクリに、わざわざ、言及するまでもないと思ったんでしょうか。 私としては、そちらの方が、百倍くらい、気になるんですが・・・。
カテゴリーとか、パクリとか、そういう書き手側の事情を一切気にせずに読めば、充分に面白いです。 夢遊病、大きな洋館、大きな日本家屋、広い庭、裏山の滝と、ビジュアル的に、大変、いい雰囲気。 謎もトリックも盛りだくさんで、サービス精神に満ち満ちています。 凝り方の度が過ぎて、些か、軽い感じがしないでもないですが、事件の方は、陰惨極まりないから、これを重く書いたら、暗くて、読めたものではなくなってしまったでしょう。
≪白と黒≫
角川文庫
角川書店 1974年5月/初版 1975年12月/8版
横溝正史 著
うちにあった本。 所有者は、私。 もう、大昔ですが、1995年9月頃に、沼津・三島の古本屋を回って、横溝正史作品を買い漁った事があり、その時に買った内の一冊です。 買った直後に、一度読んでいます。 歳月は流れ、引退後、2015年に、手持ちの横溝作品を読み返したのですが、その時、≪夜歩く≫と、≪白と黒≫は、読みませんでした。 ≪夜歩く≫は、話を覚えていると思い込んでいたから。 ≪白と黒≫は、長い上に、東京郊外の団地が舞台で、あまり、面白くなかったような記憶があったからです。
カバーは、杉本一文さんの絵。 本体は、波模様になる前の、角川文庫の表紙で、扉に角川の古い鳳凰マークがあります。 一ページ、破れて、分離していましたが、欠けてはいなかったから、読むのに支障はありませんでした。 私が破ったとは思えない、前の持ち主が破ったんでしょうが、なぜ、最初に読んだ時に、直さなかったのだろう?
発表は、1960年11月から、1961年12月まで、共同通信系の新聞に連載されたとの事。 一年以上ですか。 長い連載ですなあ。 読者も、しばらく出て来なかった登場人物を、忘れてしまって、困ったでしょうねえ。 そうか、新聞連載だったせいで、本筋から逸脱して、緊張感が途切れる部分が多いのだな。
東京郊外、全20棟になる予定で建設途中だが、すでに、入居が進んでいる団地の中で、他人の家庭内の事情について中傷する怪文書が出回る。 被害者の一人が、知り合いの金田一耕助に相談をもちかけた、正にその日、建設中の棟のダスト・シュートで、上半身が熱いタールに埋もれた女の死体が発見される。 団地に隣接する商店街で洋裁店を営んでいたマダムの身元調べを軸に、団地住人の複雑な相関関係が明らかになって行く話。
昔の文庫の文字サイズで、530ページ近くあり、とにかく、長いです。 最初の死体が発見されてから後は、7割くらいが、関係者への聞き込みで埋められています。 こういうのは、読んでいて、疲れるんですわ。 カーの作品にも、聞き込み場面ばかり、延々と続くものがありましたが、誰が書いても、聞き込み場面は、読むのが、しんどいです。
中盤辺りまでは、ダラダラで、どうにも、持て余す感じ。 高校教師と、その婚約者の絡みは、まるっきり、サラリーマン小説の雰囲気ですし、若者4人の、池の畔でのピクニックは、青春小説そのもの。 「もしや、推理小説ではないのではないか?」と疑いたくなって来ますが、その後、池を浚う場面になると、急に、緊張感が出て来て、ぐんぐん盛り上がり、後は、最後まで、一気に読ませます。
もしかしたら、書いている方も、中盤までは、一日分とか、一週間分とか、途切れ途切れに書き、それ以降は、一気に書いて、後から日割りしたんじゃないでしょうか。 そう思ってしまうほど、展開の速さに違いがあります。
以下、ネタバレ、含みます。
殺人の動機と、死体が発見された状態に、脈絡がなくて、それが、捜査を混乱させるわけですが、≪犬神家の一族≫で使われた、「殺した人間と、死体を片付けた人間が異なる」というパターンでして、読者側で、その事に気づける人は、まず、いないと思います。 読みながら、推理するのを楽しみにしている人には、不向きな作品ですな。
ただし、殺人犯の登場は早くて、しかも、全編に顔を出し続けますから、誰が殺人犯かだけなら、読者によっては、見当がつくかも知れません。 読み終わってから、要所だけ、もう一度、読み返すと、殺人犯が、合理性が窺えない、奇妙な行動を取っている事が分かります。 だけど、私程度の推理小説読者では、とても、見抜けませんでした。
タイトルの≪白と黒≫ですが、白は女性同士、黒は男性同士という事で、同性愛を表しているとの事。 今は、そういう表現をしないので、全く、ピンと来ません。 また、今では、同性愛者だからと言って、批判される時代ではなくなっており、この話の一部の動機は、成立しなくなっています。 あくまで、1960年頃の話という条件付きで、読むべき小説です。
≪壺中美人≫
角川文庫
角川書店 1976年7月/初版 1976年9月/2版
横溝正史 著
清水町立図書館にあった本。 寄贈本で、「清水町公民館図書室 昭和56年4月7日」のスタンプが押してあります。 カバーはなく、波模様になる前の、角川文庫の本体表紙です。 角川の古い「鳳凰マーク」入り。 長編1作、短編1作の、計2作品を収録しています。
映画、≪犬神家の一族≫が封切られるのは、1976年10月ですから、横溝正史ブームが始まる直前に出た本だったんですねえ。 寄贈された昭和56年というのは、1981年で、ブームが終わった頃です。 なるほど、手放した理由が、分かり易い。 【壺中美人】 約204ページ
1960年(昭和35年)9月に、刊行されたもの。 元は、1957年(昭和32年)の9月に発表された、≪壺の女≫という短編だったらしいです。 短編を長編化したわけですが、一冊の本にするには、ちと短いです。 東京が舞台の話は、膨らませ難いのかも知れません。
変態趣味のある画家が、自宅離屋のアトリエで殺された夜、住み込みの家政婦が、買い入れられたばかりの壺に、若い女が入り込むのを目撃する。 壺入りの芸を見せる芸人が疑われる一方、入籍したばかりの画家の後妻に遺産が行く事が分かり、金田一と、等々力警部一味の捜査によって、変態画家の周囲に出来上がった、入り組んだ性の相関関係が、明らかになる話。
横溝正史さんの創作技法として、まず、死に方・殺し方・死体の発見され方などに、奇怪な情景を創造し、それを生かす形で、ストーリーを組んで行くというものがあります。 だから、映像化した時に、大変、印象的な場面が出来上がるわけですな。 この作品は、間違いなく、「壺入り」の芸を見て、そこから作って行ったものと思われます。
しかし、壺入りの芸そのものは、事件の内容とは、関係がないです。 何とか、関係づけようとして、うまくいかなかったという感じ。 壺に入る若い女と、口上を担当する中年男がコンビを組んでいるのですか、二人とも、画家夫婦との関係が取って付けたようで、特に、若い女の方は、結び付け方が強引です。 長編に書き換える過程で、無理が出たのではないかと思うのですが、元の短編、≪壺の女≫が、どういう話なのか、そちらも読んでみないと、分かりませんな。
トリックは、車の使い方で、それらしきものが出て来ますが、この程度では、トリックとは言えないかも知れません。 謎は、人間関係の謎で、それを暴くのが、メインの展開になります。 金田一が、割とあっさり謎を解いて、虚脱状態に入ってしまい、犯人逮捕まで描かれないのは、ちと、寂しいところ。
同性愛が出て来て、即、変態性欲とされていますが、これも、今では、そのままでは通りませんな。 時代背景を考慮に入れて、読むべき作品。
【廃園の鬼】 約64ページ
1955年(昭和30年)6月に、雑誌「オール読物」に掲載された作品。 短編としては、長めです。 地方が舞台ですが、旧家物ではなく、別荘・行楽地物で、そういうのは、長編にはならない傾向があります。
信州の山中に、狂人が設計して建てた、奇妙な建物がある。 その建物の展望台から、首を絞められた女が突き落とされるのを、川を隔てたホテルから、人々が目撃する。 殺された女の夫は、ずっと年上の老学者、その前の夫は、新聞記者、更にその前の夫は、映画監督で、三人とも、同じホテルに来ていたが、全員に、アリバイがあった。 事件は迷宮入りするが、金田一は、秘かに謎を解いていた、という話。
≪犬神家の一族≫に登場した、橘警部が出て来ますが、ほんの顔出し程度で、何もしません。 ただの、ファン・サービスですな。 しかし、等々力警部一味と一緒に捜査する時の金田一が、警察の一部になってしまうのと比べると、地方物は、自由度が高くて、だからこそ、迷宮入りも許されるわけだ。
トリックが使われますが、殺人犯とは別の人間が、アリバイ工作をしたというパターンで、あっと驚くようなものではないです。 このパターン、横溝作品では、多いですな。 だけど、そちらの方は、まだ、いいんですわ。
問題は、殺人犯の動機が、はっきり書いてない事です。 「大体、想像できるだろう」という事で、端折ってあるんですな。 いや、まあ、確かに、想像はつきますけどね。 でも、ちゃんと書いてもらった方が、読後感は良かったと思います。 もしかしたら、雑誌に掲載された時、ページ数の都合で、切ってしまったのでは? ありそうな話ですが。
以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2018年の、
≪塙侯爵一家≫が、9月1日から、2日にかけて。
≪夜歩く≫が、9月3日から、6日。
≪白と黒≫が、9月6日から、12日。
≪壺中美人≫が、9月13日から、16日にかけて。
手持ちの二冊を読み返したわけですが、清水町立図書館で借りて来る本と違うのは、カバーが付いている事。
杉本一文さんのカバー絵は、やはり、いいですなあ。 必ずしも、話の内容と関係ない場合があるのですが、それが分かっていても、いい絵です。 今から振り返ると、この絵の文庫本が、本屋に平積みされていたのが、1970年代後半という、大昔だったというのが、信じられないくらい。 全く、古さを感じさせません。
ちなみに、今でも、角川文庫で、横溝作品が売られていますが、カバーは、絵ですらない、ただのデザイン漢字でして、杉本一文さんの絵とは、全く比較になりません。 文字でごまかすというのは、編集者の手抜き以外の何ものでもないです。
三島市立図書館には、もっとあるのですが、清水町に比べると、うちからの距離が2倍くらいあり、自転車ではきつい。 清水町にある本は、極力、そこで借りたいものです。
というか、横溝作品を、沼津の図書館が揃えていないという、それが、奇妙です。 全くないわけではありませんが、貧弱極まりない冊数。 どこかの出版社が、全集を出すのを待っているんですかね? いや~、今から、全作網羅の全集は出そうにないと思いますけど・・・。
≪塙侯爵一家≫
角川文庫
角川書店 1978年2月/初版
横溝正史 著
清水町立図書館にあった本。 これの前に借りた≪びっくり箱殺人事件≫と同じく、「清水町公民館図書室 昭和55年7月2日」のスタンプが押してあります。 購入された日も同じだった模様。 カバーはなく、波模様になる前の、角川文庫の本体表紙です。 ちなみに、その頃の本でも、角川の「鳳凰マーク」は入っています。 中編を、2作品、収録。
【塙侯爵一家】 約150ページ
発表は、古くて、1932年(昭和7年)の7月から、数回かけて、雑誌「新青年」に連載されたもの。 「新青年」は、作者自身が、かつて、編集者をしていた雑誌です。 古いと言えば古いですが、本場イギリスでは、1920年頃から、長編推理小説の黄金期に入っていた事を考えると、かなり後とも言えます。 「塙」は、主人公の姓ですが、「はなわ」ではなく、「ばん」と読みます。 「侯爵」は、爵位の中では最も高い身分。
ロンドン留学中に挫折し、死のうとしていた青年画家が、畔沢大佐という人物に拾われ、顔が瓜二つの侯爵家令息、塙安道になりすます事になる。 大佐と共に帰国すると、その周囲で、塙侯爵の刺殺事件を筆頭に、様々な怪事件が起こる。 大佐は、策を弄して、自分が連れ帰った青年を、侯爵の跡取りに据えようとするが・・・、という話。
戦前の横溝作品は、草双紙趣味のものばかりだと思っていたので、この作品には、驚きました。 大変、リアルな描写で、戦後に書いた作品と言われても、分かりません。 ストーリー展開も、洗練されていて、泥臭いところは、皆無。 間違いなく、翻訳文学の影響を強く受けていると思われます。
話も面白いです。 すり替わり物なわけですが、一捻りしてあって、よほど、推理小説慣れした読者でなければ、素直に騙されると思います。 強いて、欠点を探すなら、青年の方はいいとして、大佐の方が、策士のように描かれている割には、さほど、策に長けていないのが、期待外れといったところ。 しかし、大佐がこういう人でないと、青年の方の謎が成立しないから、致し方ありませんな。
【孔雀夫人】 約120ページ
1937年(昭和12年)7月から、9月まで、雑誌「新女苑」に連載された作品。 実業之日本社の雑誌で、1937年から、1959年まで、若い女性を対象に発行されていたらしいです。 戦争を跨いで生き残った雑誌というのは、珍しいのでは? 女性が読者だったからでしょうか。
新婚旅行でやってきた熱海で、新郎が、恩師の妻を崖から突き落として殺したという嫌疑で、逮捕されてしまう。 夫の無実を信じる新婦の為に、新婦の先輩に当たる女性と、その夫の新聞記者が、自分達の人脈を巧みに使って、事件の真相を解き明かして行く話。
これは、驚いた。 昭和12年に、素人探偵物ですぜ。 いや、ピーター・ウィムジイ卿のように、本場イギリスの推理小説では、すでに出ていたわけですが、この作品では、別に、探偵が趣味ではない、本物の素人が、探偵役をやっていまして、素人探偵物としては、より、純度が高いです。 惜しむらく、夫の職業が新聞記者というのは、有利すぎるか。 それにしても、横溝さん、新聞記者が好きだな。
以下、ネタバレ、含みます。
これも、すり替わり物なのですが、すり替わっている事は、割と簡単に見抜けます。 死体の顔が潰れていたというのは、すり替わり物のお約束ですし、それより何より、題名にもなっている孔雀夫人その人が、早々に死んでしまったのでは、話にならないからです。 すり替えられた女性は、気の毒ですなあ。 その彼氏も、気の毒な結末になるのですが、筋は通るものの、人命を軽く考えているような感じがして、読後感は、あまり良くありません。
新郎が罠にかけられるわけですから、謎は、もちろん、あるわけですが、紙数が少ない割には、欲張って、トリックも盛り込まれています。 時間的なものと、機械的なもので、そんなに凝ってはいませんが、発表当時、探偵小説を初めて読んだ若い女性達なら、大いに、ゾクゾク感を味わえたのではないでしょうか。
このストーリー、雰囲気的には、2時間サスペンスそのものです。 時代を現代に移し、エピソードを足して、膨らませれば、基本的な部分はそのままで、2時間サスペンスになると思います。 痴情の縺れ、怨恨、素人探偵、観光地、罠、トリック、どれを取っても、2時間サスペンスの要素ではありませんか。
≪夜歩く≫
角川文庫
角川書店 1973年2月/初版
横溝正史 著
うちにあった本。 所有者は、母ですが、元は、製本会社に勤めていた父方の叔父が、母への土産に持って来たもの。 カバー・イラストは、杉本一文さんですが、旧版の方です。 ≪夜歩く≫に限っては、旧版の方が、絵が優れているような気がします。 内容を分かり易く表しているのは、新版の方ですけど。 ちなみに、本体は、波模様になる前の、角川文庫の表紙。 扉に、角川の鳳凰マークがありますが、今の形ではなく、もっと古いです。
発表は、前半が、1948年(昭和23年)「男女誌」2月号に掲載。 後半が、1949年(昭和24年)「大衆小説界」6月号から、12月号に連載されたものだそうです。 戦後作品なので、金田一が出ます。 東京と岡山が舞台で、東京の方に、等々力警部は出ませんが、岡山の方では、磯川警部が出て来ます。 ただし、全く、何もしません。
大名家の末裔と、その家老の末裔が住んでいる屋敷で、一人の男が、首を切り取られて殺される。 体の特徴が共通しているせいで、大名家の息子なのか、その妹の交際していた男なのか分からない。 凶器と思われる刀は、殺害時刻より前に、金庫にしまわれていて、取り出せなかったにも拘らず、後で調べてみると、刃に血がべっとりついていた。 世間が騒ぐのを嫌って、本宅がある岡山に居を移すと、そこでも、殺人事件が起こり、女の首なし死体が発見される。 家老の家の当主に依頼された金田一が、意外な犯人を炙りだす話。
題名の≪夜歩く≫は、家老の家系に遺伝している夢遊病が、モチーフになっているから。 ただ、モチーフの一つに過ぎず、メインの謎やトリックとは、直接、関係はないです。 ディクスン・カーにも、同名の作品がありますが、共通点は、全く見られません。 共通点があるのは、アガサ・クリスティーの、≪アクロイド殺し≫の方ですな。
分類するなら、「首なし死体もの」という事になります。 あまりにも多くの探偵小説作家、推理小説作家が、同じタイプの話を書いて来たから、新鮮さを感じない読者も多いと思いますが、私は、面白いと思いました。 首がないせいで、死んだ人間が誰か分からなかったのが、後になってから、新証言が出て来て、特定されるという流れが、妙にゾクゾクします。
メイン・トリックと、メインの謎は、「首なし死体もの」なんですが、それより何より、この作品を読んで、最も特徴的と感じるのは、≪アクロイド殺し≫と、同じ方法で、読者を欺いている点でしょう。 「フェア・アンフェア論争」を引き起こした手法なのですが、横溝氏が、それを承知で取り入れたのは疑いないので、確信犯的なパクリですな。
しかし、大坪直行氏による解説では、その事に全く触れておらず、「首なし死体もの」としての分析だけが施されています。 ≪アクロイド殺し≫が、あまりにも有名なので、確信犯的なパクリに、わざわざ、言及するまでもないと思ったんでしょうか。 私としては、そちらの方が、百倍くらい、気になるんですが・・・。
カテゴリーとか、パクリとか、そういう書き手側の事情を一切気にせずに読めば、充分に面白いです。 夢遊病、大きな洋館、大きな日本家屋、広い庭、裏山の滝と、ビジュアル的に、大変、いい雰囲気。 謎もトリックも盛りだくさんで、サービス精神に満ち満ちています。 凝り方の度が過ぎて、些か、軽い感じがしないでもないですが、事件の方は、陰惨極まりないから、これを重く書いたら、暗くて、読めたものではなくなってしまったでしょう。
≪白と黒≫
角川文庫
角川書店 1974年5月/初版 1975年12月/8版
横溝正史 著
うちにあった本。 所有者は、私。 もう、大昔ですが、1995年9月頃に、沼津・三島の古本屋を回って、横溝正史作品を買い漁った事があり、その時に買った内の一冊です。 買った直後に、一度読んでいます。 歳月は流れ、引退後、2015年に、手持ちの横溝作品を読み返したのですが、その時、≪夜歩く≫と、≪白と黒≫は、読みませんでした。 ≪夜歩く≫は、話を覚えていると思い込んでいたから。 ≪白と黒≫は、長い上に、東京郊外の団地が舞台で、あまり、面白くなかったような記憶があったからです。
カバーは、杉本一文さんの絵。 本体は、波模様になる前の、角川文庫の表紙で、扉に角川の古い鳳凰マークがあります。 一ページ、破れて、分離していましたが、欠けてはいなかったから、読むのに支障はありませんでした。 私が破ったとは思えない、前の持ち主が破ったんでしょうが、なぜ、最初に読んだ時に、直さなかったのだろう?
発表は、1960年11月から、1961年12月まで、共同通信系の新聞に連載されたとの事。 一年以上ですか。 長い連載ですなあ。 読者も、しばらく出て来なかった登場人物を、忘れてしまって、困ったでしょうねえ。 そうか、新聞連載だったせいで、本筋から逸脱して、緊張感が途切れる部分が多いのだな。
東京郊外、全20棟になる予定で建設途中だが、すでに、入居が進んでいる団地の中で、他人の家庭内の事情について中傷する怪文書が出回る。 被害者の一人が、知り合いの金田一耕助に相談をもちかけた、正にその日、建設中の棟のダスト・シュートで、上半身が熱いタールに埋もれた女の死体が発見される。 団地に隣接する商店街で洋裁店を営んでいたマダムの身元調べを軸に、団地住人の複雑な相関関係が明らかになって行く話。
昔の文庫の文字サイズで、530ページ近くあり、とにかく、長いです。 最初の死体が発見されてから後は、7割くらいが、関係者への聞き込みで埋められています。 こういうのは、読んでいて、疲れるんですわ。 カーの作品にも、聞き込み場面ばかり、延々と続くものがありましたが、誰が書いても、聞き込み場面は、読むのが、しんどいです。
中盤辺りまでは、ダラダラで、どうにも、持て余す感じ。 高校教師と、その婚約者の絡みは、まるっきり、サラリーマン小説の雰囲気ですし、若者4人の、池の畔でのピクニックは、青春小説そのもの。 「もしや、推理小説ではないのではないか?」と疑いたくなって来ますが、その後、池を浚う場面になると、急に、緊張感が出て来て、ぐんぐん盛り上がり、後は、最後まで、一気に読ませます。
もしかしたら、書いている方も、中盤までは、一日分とか、一週間分とか、途切れ途切れに書き、それ以降は、一気に書いて、後から日割りしたんじゃないでしょうか。 そう思ってしまうほど、展開の速さに違いがあります。
以下、ネタバレ、含みます。
殺人の動機と、死体が発見された状態に、脈絡がなくて、それが、捜査を混乱させるわけですが、≪犬神家の一族≫で使われた、「殺した人間と、死体を片付けた人間が異なる」というパターンでして、読者側で、その事に気づける人は、まず、いないと思います。 読みながら、推理するのを楽しみにしている人には、不向きな作品ですな。
ただし、殺人犯の登場は早くて、しかも、全編に顔を出し続けますから、誰が殺人犯かだけなら、読者によっては、見当がつくかも知れません。 読み終わってから、要所だけ、もう一度、読み返すと、殺人犯が、合理性が窺えない、奇妙な行動を取っている事が分かります。 だけど、私程度の推理小説読者では、とても、見抜けませんでした。
タイトルの≪白と黒≫ですが、白は女性同士、黒は男性同士という事で、同性愛を表しているとの事。 今は、そういう表現をしないので、全く、ピンと来ません。 また、今では、同性愛者だからと言って、批判される時代ではなくなっており、この話の一部の動機は、成立しなくなっています。 あくまで、1960年頃の話という条件付きで、読むべき小説です。
≪壺中美人≫
角川文庫
角川書店 1976年7月/初版 1976年9月/2版
横溝正史 著
清水町立図書館にあった本。 寄贈本で、「清水町公民館図書室 昭和56年4月7日」のスタンプが押してあります。 カバーはなく、波模様になる前の、角川文庫の本体表紙です。 角川の古い「鳳凰マーク」入り。 長編1作、短編1作の、計2作品を収録しています。
映画、≪犬神家の一族≫が封切られるのは、1976年10月ですから、横溝正史ブームが始まる直前に出た本だったんですねえ。 寄贈された昭和56年というのは、1981年で、ブームが終わった頃です。 なるほど、手放した理由が、分かり易い。 【壺中美人】 約204ページ
1960年(昭和35年)9月に、刊行されたもの。 元は、1957年(昭和32年)の9月に発表された、≪壺の女≫という短編だったらしいです。 短編を長編化したわけですが、一冊の本にするには、ちと短いです。 東京が舞台の話は、膨らませ難いのかも知れません。
変態趣味のある画家が、自宅離屋のアトリエで殺された夜、住み込みの家政婦が、買い入れられたばかりの壺に、若い女が入り込むのを目撃する。 壺入りの芸を見せる芸人が疑われる一方、入籍したばかりの画家の後妻に遺産が行く事が分かり、金田一と、等々力警部一味の捜査によって、変態画家の周囲に出来上がった、入り組んだ性の相関関係が、明らかになる話。
横溝正史さんの創作技法として、まず、死に方・殺し方・死体の発見され方などに、奇怪な情景を創造し、それを生かす形で、ストーリーを組んで行くというものがあります。 だから、映像化した時に、大変、印象的な場面が出来上がるわけですな。 この作品は、間違いなく、「壺入り」の芸を見て、そこから作って行ったものと思われます。
しかし、壺入りの芸そのものは、事件の内容とは、関係がないです。 何とか、関係づけようとして、うまくいかなかったという感じ。 壺に入る若い女と、口上を担当する中年男がコンビを組んでいるのですか、二人とも、画家夫婦との関係が取って付けたようで、特に、若い女の方は、結び付け方が強引です。 長編に書き換える過程で、無理が出たのではないかと思うのですが、元の短編、≪壺の女≫が、どういう話なのか、そちらも読んでみないと、分かりませんな。
トリックは、車の使い方で、それらしきものが出て来ますが、この程度では、トリックとは言えないかも知れません。 謎は、人間関係の謎で、それを暴くのが、メインの展開になります。 金田一が、割とあっさり謎を解いて、虚脱状態に入ってしまい、犯人逮捕まで描かれないのは、ちと、寂しいところ。
同性愛が出て来て、即、変態性欲とされていますが、これも、今では、そのままでは通りませんな。 時代背景を考慮に入れて、読むべき作品。
【廃園の鬼】 約64ページ
1955年(昭和30年)6月に、雑誌「オール読物」に掲載された作品。 短編としては、長めです。 地方が舞台ですが、旧家物ではなく、別荘・行楽地物で、そういうのは、長編にはならない傾向があります。
信州の山中に、狂人が設計して建てた、奇妙な建物がある。 その建物の展望台から、首を絞められた女が突き落とされるのを、川を隔てたホテルから、人々が目撃する。 殺された女の夫は、ずっと年上の老学者、その前の夫は、新聞記者、更にその前の夫は、映画監督で、三人とも、同じホテルに来ていたが、全員に、アリバイがあった。 事件は迷宮入りするが、金田一は、秘かに謎を解いていた、という話。
≪犬神家の一族≫に登場した、橘警部が出て来ますが、ほんの顔出し程度で、何もしません。 ただの、ファン・サービスですな。 しかし、等々力警部一味と一緒に捜査する時の金田一が、警察の一部になってしまうのと比べると、地方物は、自由度が高くて、だからこそ、迷宮入りも許されるわけだ。
トリックが使われますが、殺人犯とは別の人間が、アリバイ工作をしたというパターンで、あっと驚くようなものではないです。 このパターン、横溝作品では、多いですな。 だけど、そちらの方は、まだ、いいんですわ。
問題は、殺人犯の動機が、はっきり書いてない事です。 「大体、想像できるだろう」という事で、端折ってあるんですな。 いや、まあ、確かに、想像はつきますけどね。 でも、ちゃんと書いてもらった方が、読後感は良かったと思います。 もしかしたら、雑誌に掲載された時、ページ数の都合で、切ってしまったのでは? ありそうな話ですが。
以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2018年の、
≪塙侯爵一家≫が、9月1日から、2日にかけて。
≪夜歩く≫が、9月3日から、6日。
≪白と黒≫が、9月6日から、12日。
≪壺中美人≫が、9月13日から、16日にかけて。
手持ちの二冊を読み返したわけですが、清水町立図書館で借りて来る本と違うのは、カバーが付いている事。
杉本一文さんのカバー絵は、やはり、いいですなあ。 必ずしも、話の内容と関係ない場合があるのですが、それが分かっていても、いい絵です。 今から振り返ると、この絵の文庫本が、本屋に平積みされていたのが、1970年代後半という、大昔だったというのが、信じられないくらい。 全く、古さを感じさせません。
ちなみに、今でも、角川文庫で、横溝作品が売られていますが、カバーは、絵ですらない、ただのデザイン漢字でして、杉本一文さんの絵とは、全く比較になりません。 文字でごまかすというのは、編集者の手抜き以外の何ものでもないです。
<< Home