2022/10/30

EN125-2Aでプチ・ツーリング (37)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、37回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年9月分。





【西浦古宇・神明神社①】

  2022年9月5日に、バイクで、西浦古宇(こう)にある、「神明神社」へ行って来ました。 西浦では、集落ごとに、神社とお寺が、一つずつあります。

≪写真1≫
  幹線道路から、ちょっと、内陸側に入ると、すぐの所に、神社がありました。 山の斜面に造られています。 斜面というより、崖と言った方が近いですが。 石の柵は、前面だけ、新しいです。

  鳥居は石製。 名額は、なし。 鳥居の脚の間に、縄が張られ、シデ代わりに、藁が何本か挿してありました。 普通に考えれば、結界ですが、なぜ、入口に張ってあるのか、分かりません。 立ち入り禁止なら、その旨、注意書きで示した方が、はっきりします。 しかし、工事中ならいざ知らず、そうでもないのに、公けの神社で、立ち入り禁止は、普通、ないです。

  私は、縄を潜って入りましたが、もし、管理者がやって来て、「縄を張ってあるのが見えないのか」と言われたとしても、「これでは、邪気の侵入をとめているのか、人間をとめているのか分からない」と応えるしかありません。

≪写真2左≫
  「神明神社」と彫られた、標石。 大正15年に奉納されたもの。 左の、支柱の上の板は、解説板ではなく、太陽電池パネルです。 どこの電気を賄っているのかは、不詳。

≪写真2右≫
  掲示板、らしきもの。 村社クラスの神社で、掲示板というのは、初めて見ました。 隣が公民館だから、そちらのものでしょうか。 でも、公民館に来た人が、入口に結界縄を貼ってある境内まで、掲示物を見に来るとは思えないから、やはり、神社の掲示板なでしょうねえ。

≪写真3左≫
  石製の漱盤。 前面に、右から、「奉納」。 大正3年の奉納品。 蛇口あり、プラスチックのハンドルあり、排水口なし。 雨水が溜まっています。

≪写真3右≫
  石段の手すり。 ごく新しい物。 

≪写真4≫
  石段と、その上の、社殿。 境内の上の段には、社殿全体をカメラに収められるほど、広さがありません。 木造、瓦葺き。

  拝殿の前にも、縄とシデで、結界が張ってあります。 結界が好きなようですな。 しかし、参拝する人にとっては、神々しく感じる反面、邪魔なのでは? 賽銭箱は、外には、なし。

  下の方、左右にある、一対の石燈籠は、文政2年に、領主が奉納したもの。 1819年。 第11代将軍、徳川家斉の治世。 200年以上、もつんですなあ。

≪写真5左≫
  メインの狛犬。 戦前獅子型。 昭和12年の奉納。 いい面構えです。 損傷が、ほとんどないのが、素晴らしい。 大事にしているのでしょう。 一対、阿吽共に、毬に前足を載せていました。

≪写真5右≫
  境内の叢にあった、小ぶりの狛犬。 もしや、先代か。 一つしかなかったから、判断しかねます。 何となく、神物というより、仏物っぽい造形です。




【西浦古宇・神明神社②】

≪写真1左≫
  拝殿、前面の彫刻。 正面に、龍。 左右端に、獅子。 特に、獅子が活き活きとしていて、名のある彫刻師が彫ったものではないかと思います。

≪写真1右≫
  分かり難い写真で、申し訳ない。 拝殿の後ろに、本殿がありました。 瓦屋根を見ると分かると思いますが、前後に薄い建物で、短い廊下で、拝殿と繋がっています。 すぐ後ろが、崖なので、薄くせざるを得なかったのだと思いますが、拝殿の建物を、少し小ぶりにするという手もありますな。 拝殿や本殿の大きさが、何を基準に決められるのかは、不詳。

≪写真2左≫
  境内別社。 中に、木製の祠がありました。 分解した、小さい御神輿も置いてありました。 ちなみに、大きな御神輿は、拝殿の中にありました。

≪写真2右≫
  境内にあった、石の祠。 手前のコンクリート・ブロックは、お供え物を置く台でしょうか。

≪写真3左≫
  境内の裏手は、コンクリートで固めた崖になっていて、鉄製の階段が設置されていました。 たぶん、崖の上に、津波避難場所があるのでしょう。 境内からは、登れない様子。

≪写真3右≫
  石の欄干。 内側に、補強が付けられています。 石の色が同じだから、最初から、こうだったのでしょう。 しっかりした仕事ですな。 こういうものにも、デザイン・センスがあり、ここのは、かなり、上物。

≪写真4≫
  神社の隣にある、「古宇公民館」。 「老人つどいの家」の表札も出ていました。 屋根が、二段になっていますな。 屋根裏部屋があるんでしょうか。 入口の辺り、屋根の形が入り組んでいて、瓦葺きが美しいです。 こういう建物も、今や、稀少にして、貴重です。

≪写真5≫
  公民館前の駐車場の隅に停めた、EN125-2A・鋭爽。 長い事、根方街道近辺ばかり行っていたので、海岸線を走ったのは、久しぶりでした。 往復で、37キロ。 やはり、西浦は遠い。 それでも、小排気量で、燃費のいいバイクがあるから、来れるのであって、車では、とてもとても・・・。

  ちなみに、後ろにあるのは、ダイハツ・5代目ムーヴ。 2010年 から、2014年まで、生産・販売されていた車種。 つまり、最短でも、8年経っているわけですが、古さを、全く感じさせません。 それ即ち、車のデザインが、すでに、発展し尽くしてしまっている証拠なのでしょう。

≪写真6≫
  帰り道。 駿河湾を挟んで、北側を見た景色。 山並みは、牛臥山と、沼津アルプスです。 風があまりない、穏やかな日でした。




【西浦木負・南無阿弥陀佛の石碑】

  2022年9月16日、バイクで、西浦木負に行って来ました。 住宅地図で見つけた、石碑マークが目的地。 長井崎のトンネルを出て、最初の左折路を入り、次の左折路を入って、少し行った所に、ありました。

≪写真1≫
  中央の大きいのは、よく見られる、「南無阿弥陀佛」と彫られた、石板です。 台座に、「念佛構中」とあります。 右の石塔は、文字が読めるはずですが、元の大きさの写真でも、何と書いてあるか、分かりません。 左のは、磨耗が進んでいて、現地でも、読めませんでした。

≪写真2≫
  前の道路の、少し広くなった所に停めた、EN125-2A・鋭爽。 なんで、広くなっているかというと、石碑のすぐ横から、山の中へ入って行く道があり、車でそこへ曲がるのに、道路にゆとりが必要だからだと思います。

  LED球に換えてから、ウインカーを点けた時に、ヘッド・ライトが息継ぎをするか、まだ、確認していません。 なかなか、暗い所で停まる、機会がなくてねえ。 信号待ちの時、前に、黒っぽい車がいれば、反射で見えるんですが、その機会も、まだ、ありません。 もう、やれる事はやったので、この上、息継ぎが直らなくても、打つ手がないから、確認する必要がないという面もあります。

≪写真3≫
  淡島。 近くで見ると、結構な迫力。 周囲の海は、深く落ち込んでいるとの事。 見た目では、そんな感じがしませんが。 島には、水族館や、ホテルがあり、船で渡れます。 水族館の船だから、水族館の入館料込みですが。

≪写真4≫
  口野の道路脇の公園で咲いていた、花。 10センチくらいある、堂々とした花でした。 名前は、分かりません。 園芸品種だと思いますが、自然の花より、調べ難いですな。




【西浦重須・重須浄化センター】

  2022年9月21日、バイクで、西浦重須にある、「重須浄化センター」に行って来ました。 住宅地図で見つけたところ。 見学に行ったわけではなく、大体どんな所か、外から見るつもりで行きました。

≪写真1≫
  正面入口。 細い川に橋が架かっており、その先に、浄化センターがあります。 この種の施設としては、小規模なもの。 おそらく、西浦地区の汚水を、ここで、浄化して、海へ流しているのでしょう。

≪写真2≫
  門から、一歩だけ入って、南側を撮りました。 停まっている車は、たぶん、ダイハツ・10代目ハイゼット・デッキバン。 2004年から、2021年まで、生産・販売された車種。

  その奥に見える、周囲にフェンスを張った、プールのようなものが、浄化槽ではないかと思います。 この浄化槽を上から撮影できないかと思い、南の山の方へ行ってみたのですが、駄目でした。 西側の山に登れば、見下ろせると思いますが、登り口が分からないので、諦めました。

≪写真3≫
  橋の手前、北側に、ゲート・ボール場があり、高齢者の一群が、競技に興じていました。 全員、マスクをしていたと思います。 ゲート・ボールくらいの運動量なら、マスクをしていても、できるわけだ。 見ているこちらも、安心です。

  で、手前にある、この、大名籠みたいな物体ですが、かつて、淡島へ渡るロープ・ウェイで使われていた、ゴンドラの一つです。 結構、大きな物で、10人くらいは、楽に乗れたはず。

  2008年7月に、雄飛滝へ行った帰り、この付近で、空き地に置かれているのを見た事があるのですが、たぶん、それと同じ物だと思います。 その後、ここへ移されて、物置として使われている様子。

≪写真4左≫
  ゲート・ボール場前の道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 西浦に来るには、海岸線のワインディング・ロードを走るので、オンロード・バイクにとっては、気持ちよいツーリングになります。 同じワインディングでも、アップ・ダウンがある山道よりも、ずっと、快適。

  遠くに停まっている車は、たぶん、スズキ・3代目ワゴンR。 2003年 から、2008年まで、生産・販売された車種。 といっても、この大きさでは、よく分からないですな。

≪写真4右≫
  これは、帰路で、撮りました。 長井崎トンネルの西側出口手前で咲いていた、ランタナ。 こういう色のもあるんですね。 ここでは、雑草ではなく、栽培されているようでした。




【内浦重寺・白山神社①】

  2022年9月26日、バイクで、内浦重寺の、「白山神社」へ行って来ました。 「重寺」は、「しげでら」と読みます。 割と近い、西浦に、「重須」という地区がありますが、そちらは、「おもす」です。 些か、紛らわしい。

≪写真1≫
  物凄い急坂の上にあります。 徒歩以外では、行けません。 石製の鳥居あり。 新しい石燈籠あり。 化粧ブロック塀がありますが、下の方は、石垣を兼ねている模様。 境内は、三段になっていて、ここから、更に登ります。

≪写真2左≫
  最下段にある、境内別社。 二つありますが、祠は、どちらも、石製。 覆いがある方は、壁がブロック。 屋根の骨組みは、木製。 屋根そのものは、石の板を並べてあるようです。 重ねてあるわけではないので、石板の下に、防水の材料が使われているか、もしくは、雨漏れするのを承知の上で、こうしてあるのかも知れません。

≪写真2右≫
  村社としては、大きくて立派な、社標。 

≪写真3左≫
  二段目にあった、境内別社。 中に、祠が並んでいるのでしょう。 詳細は不詳。 私は、こういう物を見ても、閉めてあるものを、わざわざ開いてまで、中を確かめたりはしません。

≪写真3右≫
  漱盤。 石製。 前面に、右から、「奉納」。 蛇口なし。 排水設備もなし。 雨水が溜まっています。 しかし、そういう手水場は、珍しくありません。

≪写真4≫
  最上段にある、社殿。 正面から。 彫刻の龍と獅子が、大変、凝っています。 これは、お金、かかったでしょうねえ。

  手前左右に、ユッカが植えてあります。 神社では、珍しい。 花が咲いたら、面白い風景になるでしょうな。




【内浦重寺・白山神社②】

≪写真1≫
  拝殿の屋根。 銅板葺き。 瓦葺きに比べて、角がシャープになるせいか、こういう角度で見上げると、カッコいいですな。

≪写真2左≫
  拝殿と、本殿が、短い廊下で繋がれている形式。

≪写真2右≫
  暗過ぎて、分かり難いですが、社殿の横にも、境内別社が、二つありました。 覆いの中に、木製の祠が置かれています。

≪写真3左≫
  社殿の横に、大きな木を解体したと思われる、残骸が、ゴロゴロしていました。 御神木が、倒れでもしたんですかね? 足の踏み場もない様子。 

≪写真3右≫
  最下段の、隣に、仏教系のお堂らしきものがありました。 そちらは、目的地ではないので、近づきませんでした。 写真だけ、一枚。

≪写真4≫
  神社の前から、海の方を眺めた景色。 島は、淡島です。

≪写真5≫
  急坂の下に、空き地があり、そこに停めた、EN125-2A・鋭爽。

  実は、神社に行く前に、急坂の途中で、停まってしまいまして、エンジンを切り、下りて、バックさせたのですが、勢いがついて、支えきれず、左側を下にして、コケてしまいました。 やっちまったか!

  これは、その直後、バイクを起こして、ここへ運び込んだ時に、撮った写真です。 数箇所に損傷あり。 まず、左ステップが、曲がってしまいました。 ラバーも、かなりの削れ方。 センター・スタンドの、足かけバーの端も削れましたが、これは、塗装でごまかせる程度。

  ミラーが回ってしまいました。 左右とも。 しか、これは、地面に接触したのではなく、私の体が当ったのが原因です。 支柱の曲がりはないので、元に戻せます。

  ヘルメットにも傷。 小さな点が、三ヵ所。 これは、シルバーを注しておけばいいか。

  私の体ですが、、腰をやってしまいました。 背骨というよりは、左右の尻の上に痛み。 他に、左肘、左膝下、左手の甲の親指と人指し指の間辺りに擦過傷が出来ましたが、血が出るほどではなかったので、放っておいても治るでしょう。

  ギクシャクしながら、歩いて、白山神社へ行き、一通り、撮影。 カメラも、コンクリート地面に放り出されて、損傷したのですが、何とか、撮れました。

  反省点は、その道を登る前に、急坂である事を確認しなかった事ですが、ちょうど、傾斜がきつくなる手前辺りで、車を手入れしている無マスクの中年男性がいて、その横を、急いで通り過ぎたい一心で、急坂を認識するのが遅れたのです。

  コケ方の派手さと比べれば、バイクの損傷は少ない方で、その点、運が良かったと言えますが、私が体を悪くしてしまったのは、痛恨事です。

  とりあえず、バイクの補修は後回しにして、私の体を治す事に専念しました。 腰が痛いのでは、何もできませんから。 10日間くらいで、何とか、作業ができる程度まで、回復しました。 本復するまでには、20日以上かかりました。




  今回は、ここまで。

  とにかく、坂ゴケしたのには、参った。 バイクから下りた状態だったから、強いて分類するなら、立ちゴケの一種ですが、場所が坂で、バイクを支え切れずにコケたから、腰に来てしまって、その後、半月以上、腰痛を抱えて暮らす事になりました。

  ちなみに、私のコケ歴ですが、1993年に、中免の教習所で、1回。 1994年に、大二輪の教習所で、1回。 2006年、夜勤明け、雪の朝の退勤時に、走り出して、すぐに転倒したのが、3回連続。 2014年、岩手県・奥州市・前沢の、「牛の博物館」で、見終わって帰ろうとしたら、リヤ・ブレーキ・ディスクに南京錠をかけてあったのを忘れていて、「コーン!」と停まって、コケたのが、1回。 次が、今回です。 全て、左側に倒れました。

  教習所での2回は、そこそこ、速度が出ていましたが、それ以外は、走り始めか、停まっていたかで、大した事にはなりませんでした。 雪の朝の話は、その後、バイクを押して、幹線道路まで向かったのですが、長距離を押し過ぎて、右肩を脱臼してしまい、そちらの方が、損傷が大きかったです。

  今回のは、バイクの重さを、腰で、モロに受けてしまったので、初めての体験といえます。 そして、こんな体験は、二度と御免であるとも、大いに言えます。