2023/05/07

読書感想文・蔵出し (100)

  読書感想文です。 このシリーズも、いよいよ、100回目か。 いつ頃始めたのか、忘れるくらい、長い時間が経ちました。 これだけ、読書をすれば、もう少し、頭が良くなりそうなもんですが、実感がないですねえ。 第1回の頃と比べて、ほとんど、成長していないような気がします。





≪未完の肖像≫

クリスティー文庫 77
早川書房 2004年1月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村妙子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【未完の肖像】は、コピー・ライトが、1962年になっていますが、それは、アガサ・クリスティー名義での事で、メアリ・ウェストマコット名義では、1932年の発表。 約534ページ。 推理小説ではなく、一般文学です。


  戦争で腕を失い、失職した元肖像画家が、自殺するつもりの女性を助け、その女性の半生を文章にして、作家の元に送る。 その女性は、裕福な家庭に生まれ、何不自由なく、夢見がちな少女期を過ごし、長じて、多くの求婚者の中から、一人の軍人を選んで結婚した。 子供も生まれ、手慰みに書いた小説も世に認められて、人生、順風満帆かと思われたが・・・、という話。

  クリスティーさん本人の、自伝的小説ですな。 自伝そのものではないので、全部、事実ではないわけですが、ほぼ、事実だと思ってもいいんじゃないでしょうか。 想像で膨らませている部分はあっても、嘘をついているようなところはなさそうです。 ずっと、いい状態が続いて、最後の10分の1で、地獄へ突き落とされる話なので、読後感は、あまり良くなくて、こんな話で嘘をついても、意味がないと思うからです。

  「夢見がちな少女期」については、さすがに、読者がついて来てくれないだろうと判断したのか、あまり、ページ数は割いていません。 私も、夢見がちな少年期を送ったので、書いてなくても、分かってしまうようなところはあります。 しかし、「夢見がち」な精神状態を経験していない人達は、あまり、くどくど、それについて書かれたら、辟易してしまうでしょう。 自伝的小説だけれど、ちゃんと、理性を働かせて、抑えるべきところは抑えているわけだ。

  それにしても、日常的な事について書かれた部分が多い。 ストーリー的には、モーパッサン作、【女の一生】と似たような話なのですが、こちらの方が、ずっと長く、長くなっている理由が、日常的な事の書き込みが多いからなので、「もっと、ざっくり、刈ってしまえば、締りが良くなるのに」と思わずにはいられません。

  もっとも、クリスティーさんは、推理小説の方で名を売り、半分、人気作家の我儘のつもりで、メアリ・ウェストマコット名義の作品を発表していたのではないかと思うので、短くする気は、最初からなかったのだと思います。 とはいえ、この話を、仏文や、露文の作家達に読ませたら、「テーマと関係ない書き込みが多過ぎる」と言われた事でしょう。 自伝にテーマなど必要ないと、承知の上であっても。

  入れ子式になっていますが、本体部分が、圧倒的に長いので、前後の部分は、ほとんど、効果を上げていません。 腕を失った元肖像画家の存在に、何かしら意味があるとしたら、この【未完の肖像】というタイトルをつける為でしょう。 なぜ、「未完」なのかというと、「この人の半生は、悪い方向へ流れたが、まだ、残りの半生で、いい方向へ戻る可能性がある」という意味を持たせているからだと思います。

  クリスティーさん本人が、離婚を経験しているわけですが、最初の夫と不仲になったのは、やはり、推理作家として認められてしまったからでしょうねえ。 妻が、突然、有名作家になってしまったら、夫は、自分の存在感が薄くなったと感ぜざるを得ないでしょう。 クリスティーさんは、最初の結婚に限って言うなら、自分で自分の首を絞めてしまった事になります。 しかし、その離婚のお陰で、その後の傑作群が生まれたわけですから、読者は、クリスティーさんの、一時期の不幸に感謝しなければなりませんな。

  それはさておき、推理小説しか読んでいない読者は、メアリ・ウェストマコット名義の作品は、なかなか、読み慣れないでしょうなあ。 だって、殺人が起きないんだものね。 純文学の読者なら、苦もなく読破できますが、彼らは決して、この小説を絶賛はしないでしょう。 「アガサ・クリスティーに、こんな作品があったんだ」と思うだけ。




≪なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?≫

クリスティー文庫 78
早川書房 2004年3月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
田村隆一 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?】は、コピー・ライトが、1934年になっています。 約446ページ。


  ゴルフ場の断崖から落ちた人物を、牧師の息子が発見する。 その人物は、亡くなる直前に、「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」と言い遺した。 身内が駆けつけたが、誰も、エヴァンズが誰かを知らない。 その直後、牧師の息子が、致死量のモルヒネを盛られる事件が起こる。 友人である貴族の娘が乗り気になり、二人で、捜査を始める話。

  ネタバレを避けたいという事情もありますが、冒険推理活劇でして、ストーリーの展開そのものが読ませどころになっているので、これ以上は、ストーリーを書けません。 詳しい事を知りたかったら、ご自分で読んでみる事をお勧めします。 大丈夫。 絶対、損はしません。

  同じクリスティーさんの手でも、ポワロ物やマープル物で、活劇調になっている作品は、ろくなものがありませんが、この作品は、非常に、完成度が高く、もし、冒険推理活劇というジャンルが独立して存在しているとしたら、手本になるような出来栄えです。 名作と言ってもいいのでは?

  若い男女二人が、捜査の為に、ある屋敷に乗り込んだり、精神病院に潜入したり、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、大変、目まぐるしい。 アクション場面も多くて、明らかに活劇であるにも拘らず、推理物としても、謎がしっかり組んであって、一級品なのです。 なかなか、このレベルの融合は、見られないと思います。

  ドンデン返しが多いのは、普通の推理物なら、批判されるべき特徴ですが、この作品の場合、活劇と組み合わせてあるので、批判する暇もなく、あれよあれよと言う間に、ラストまで、引っ張られて行ってしまいます。 作劇法の魔術ですな。 こういう話を作れるのに、ポワロ物やマープル物では、静かな推理物を軸にしていたのは、クリスティーさんの理性が、並大抵でない水準にあった事を物語っていると思います。

  映像化ですが、≪アガサ・クリスティー ミス・マープル≫シリーズで、2011年にドラマ化されています。 私は見ているはず。 なぜなら、そのドラマで、初めて、この作品のタイトルを知ったからです。 見ているのは確かなのに、全く、覚えていません。 そもそも、若い二人の冒険推理活劇なのに、なんで、マープルのシリーズでやったのかが、解せぬ。

  僻村老嬢の出番なんか、あるように思えませんが、よっぽど、念入りに、翻案したんでしょうね。 そのせいで、原形を留めない作品になり、全く面白いと感じなかったのではないかと思います。 原作を読んだ後で見れば、また、違うのかも知れませんが。 手を入れず、素直に、そのまんま、映像化するだけで、充分、面白くなると思います。




≪春にして君を離れ≫

クリスティー文庫 81
早川書房 2004年4月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村妙子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【春にして君を離れ】は、コピー・ライトが、1944年になっています。 約321ページ。 推理小説ではありません。 一般小説というよりは、純文学の範疇に入れるべきか。


  夫婦でバグダッドに住んでいる次女が急病になり、駆けつけた母親。 帰途に、列車が動かなくなり、足止めされる。 途中で出会った、女学生時代の友人と交わした会話をきっかけに、自分が、それまで思っていたような、良き妻、良き母ではなかったのではないかと疑念を抱き、過去の出来事を、つれづれに回想する話。

  この作品も、自伝の匂いがしますが、創作された部分の方が多くて、主人公をクリスティーさん本人と見做すには、かなり、抵抗があります。 これまでの叙情作品が、作者自身の体験を元にしていたから、これも、同類なのではないかと、類推されるだけの話。

  なんで、そんな、持って回った言い方をするかというと、この主人公、性格に重大な問題がある人物でして、作者が、自分をモデルにして描くようなキャラクターではないからです。 自分の考え方が正しいと信じていて、夫の夢は、ぶち壊し、子供達にも、自分の思い通りの人生を歩ませようとして、完膚なきまでに信用を失い、鬱陶しがられている有様。 こんな人物のモデルには、誰でも、されたくありますまい。

  普通、主人公や、中心人物には、人格的に、まともな人を持って来るわけで、悪党を主人公に据える場合、「悪漢小説」になるのですが、この作品は、悪漢小説ではありません。 なぜなら、悪である事を開き直るわけではなく、むしろ、逆。 今まで気づかなかった自分の問題点に気づき、反省する方向へ踏み出す展開だからです。

  こういう話は、かなり、珍しいのでは? 普通は、題材にならない題材ですな。 それが、ちゃんと、小説として、成り立っているのだから、これは、クリスティーさんならではの、ストーリー作りの魔術と見るべきなのか。 人間性の掘り下げ方は、当時、世界の文学界をリードしていた、ロシア文学に影響を受けたのではないかとも思いますが、ロシア文学にも、こういう話は、例がないと思います。

  ただ、残念ながら、あまり、面白くありません。 こういう人は、確かに、いる。 いくらでもいる、と言っても良いくらい、うじゃうじゃいます。 そして、はっきり言って、価値が低い人間です。 価値が低い人間を、題材にする場合、徹底的にひどい目に遭わせ、やっつけるのでなければ、読者を楽しませるストーリーにはならないんですな。

  実験小説とも取れますが、それにしては、完成度が高い方でしょうか。 ただし、面白くはありませんから、実験は失敗していると見るべきでしょう。




≪ゼロ時間へ≫

クリスティー文庫 82
早川書房 2004年5月15日/初版 2010年11月15日/5版
アガサ・クリスティー 著
三川基好 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【ゼロ時間へ】は、コピー・ライトが、1944年になっています。 約366ページ。 これは、推理小説。


  資産を持つ高齢女性の屋敷へ、休暇を過ごす為に、人々が集まって来る。 あるテニス選手の男は、この機会に、現在の妻と、離婚した元妻を、友人にさせようと考えていて、弥が上にも、不穏な雰囲気が濃くなる。 やがて、一件の病死に続いて、一件の殺人事件が発生する。 現場に残された証拠品から、スポーツ選手に嫌疑がかかるが・・・、という話。

  ≪チムニーズ館の秘密≫、≪七つの時計≫に登場した、バトル警視が探偵役を務めます。 この作品では、本格トリックの探偵役らしく、頭脳明晰な面を見せます。 一番カッコいいのは、寄宿学校の寮で、自分の娘にかかった窃盗の容疑を晴らす場面ですが、それも、話の本筋に、少し関わって来ます。

  SF的なタイトルですが、もちろん、SFではなく、本格トリックが使われる、純然たる推理小説です。 「ゼロ時間」というのは、殺人が起こる時点の事。 普通の推理小説では、冒頭で、殺人が起こり、それから、捜査が為され、解決されるまでが描かれますが、実際には、殺人が起こる前に、その条件や準備が進んでいるのであって、そちらこそ、主に描くべきだという理論を表しているのが、このタイトルです。

  つまり、理論が先にあって、それに則って書かれた推理小説であるわけですが、読んでみると、事件発生が、中程にあるというだけで、何か、特別な理論に従って書かれたような、変わった感じは、ほとんど、しません。 クリスティー作品の中にも、事件発生が、中程に持って来られている作品が、他にありますが、それらが書かれたのは、この作品よりも、後だったんでしょうな。 つまり、この作品で、理論が使えるかどうか、実験したわけだ。 結果がオーライだったから、他の作品にも、流用したと。

  だけど、倒叙作品のような、はっきりした特徴がないから、やはり、ピンと来ませんなあ。 事件発生の前に、着々と不穏な状況が形成されて行くという話は、あまりにも、一般的です。 それとも、私が知らないだけで、この作品が発表される以前の推理小説では、みな、冒頭で事件が起こっていたんでしょうか?

  理屈はさておき、普通の推理小説になる後半は、まずまず、面白いです。 ちょっと、マープル物の、≪牧師館の殺人≫に似ていますが、更に、凝った構成になっています。 この作品より、ずっと後ですが、≪カリブ海の秘密≫で使われているモチーフが、この作品でも使われています。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、

≪未完の肖像≫が、2022年の、12月25日から、28日。
≪なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?≫が、2023年の、1月2日から、7日。
≪春にして君を離れ≫が、1月11日から、12日まで。
≪ゼロ時間へ≫が、1月17日から、19日まで。


  調べてみたら、≪読書感想文・蔵出し≫シリーズの、第1回は、2013年1月20日でした。 10年ちょっと前か。 思っていたより、浅いですが、感想文自体は、それ以前から、別のタイトルで出しており、2013年から、いきなり、読みはじめたわけではありません。

  図書館に通い始めたのは、働き始めた、1986年くらいからじゃないかと思います。 その前は、ひきこもり3年間ですが、本屋には行っても、図書館を利用する事はありませんでした。 1986年の頃は、まだ、狩野川の南岸、御成橋近くにあった、「駿河図書館」で、1993年以降は、現在の、「沼津市立図書館」に変わります。

  駿河図書館の頃は、まだ、紙の貸し出しカードが使われていて、埋まると、更新してもらって、古いのは持ち帰っていたので、それが、今でも、何枚か、残っています。 懐かしいですが、「こんな本、読んだっけか?」と思う書名も多いです。 新しい図書館になって、電子化され、自分が何を借りたのか、簡単に振り返る事ができなくなりました。 日記を調べれば、分かるのですが、面倒臭くて、やる気になりません。