音声学講義 ④
日記ブログの方に書いた、言語学の音声学に関する文章を転載します。 これが、4回目にして、最終回。 記事が3件分しかないので、その後に、オマケを付けておきます。 例によって、日記には、他の事も書いていますが、それらは除き、言語関係の部分だけを出します。
【2022/11/28 月】 「th音とその濁音」
音声学講義の番外編。
英語の、th音。 これが、なかなか・・・。
摩擦音です。 s音に近いですが、調音位置は、もっと前で、舌先と、上の前歯の裏の間を近づけて、「サ」と言えば、「tha」が出ます。 慣れれば、割と簡単に出ますが、例によって、日本語母語話者の耳で聴く時には、s音にしか聴こえません。
th音には、濁音(有声音)もあり、そちらも、英語では、よく使われるのですが、非常に厄介なのは、清音・濁音、どちらも、「th」という、同じ綴りが使われている事です。 便宜的に、th音の濁音を、「dh音」としましょうか。
th音 「thank、theater、theory、thick、thing、think、third、thousand、three」
dh音 「that、the、them、then、there、these、this、those」
見比べると、一目瞭然。 th音の単語より、dh音の方が、指示詞など、頻繁に使われるものが多いです。 特に、「the」は、使われ捲りですな。 英語で、最も使用頻度が多い単語に、dh音が入っているわけだ。 幸いな事に、日本人で、これらの単語の清濁を読み違える人は、まず、いません。 一応、英語教育の賜物か。
幸いでない事は、日本人が、これらの単語を発音する時、th音も、dh音も、出していないという事です。 これは、重大問題だわ。 「サ行音か、ザ行音で代用している」と言うより、th音・dh音が何なのか、全く分からないまま、「サ行音・ザ行音みたいなもの」で、テキトーにお茶を濁していると言うべき。
なぜ、中学で英語を教え始める時に、th音・dh音を説明しないのか、気が知れない。 「This is a pen.」から始めるくせに、その、「this」の「th」を、どう発音するか教えないのでは、そもそも、教育が始まらないではないですか。 なぜ、教えないのか。 教師が知らないからです。 嘘みたいな話ですが、本当に、日本人の英語教師というのは、英語の発音を知らないのですよ。
知っていれば、教えます。 今私が書いているように、音声学は面白いですから、他人に教える機会があれば、必ず、教えたくなります。 それを教えないという事は、つまり、知らないから、教えたくても教えられないのです。
そういう事を、ここで、いくら言っても、無意味か。 日本人英語教師には、信じられないような、低レベルのもいるので、要注意。 発音だけでなく、文法でも、何も分かっていないような輩が、偉そうに、先生ヅラしています。 おっと! 中高生は、そういう目で、英語教師を見ないように。 嘘でも、先生とおだてておかなければ、痛い目を見ますから。
「this」を、「ディス」と発音する人は多いですが、dh音は、摩擦音ですから、むしろ、昔っぽい、「ジス」の方が、近いです。 だけど、前にも書いたように、日本人が、「ジス」というと、実際の発音は、破擦音の、「ヂス」になってしまうんですよねえ。 「ズィス」にしても駄目で、日本人の実際の発音は、「ヅィス」なので、やはり、破擦音になってしまいます。 まーた、増上寺醸造の増上寺重蔵さんが出て来てしまいますな。
結局、「ディス」も、「ジス」も、「ズィス」も、駄目。 dh音を習うしかないんですよ。 まず、th音を練習して、その後、舌の位置を変えないように注意しながら、濁音にしてみれば、dh音が出ます。 聴くのは駄目ですが、発音だけなら、日本語母語話者にもできます。 諦めるのは、やってみてからにしてください。 こんな重要な単語群の発音を、最初から、諦めているというのが、奇妙奇天烈。 安易に妥協しないように。
これを書いていて、気付いたのですが、日本人が喋る英語は、
that ヅァット
the ヅァ
them ヅェム
then ヅェン
there ヅェアー
these ヅィーヅ
those ヅォーヅ
になっているわけだ。 うーむ、増上寺の奥様が聴いたら、泡吹いて卒倒は、間違いなしだな。 この発音を聞いて、何と言っているのか理解できる英語母語話者がいるという、そちらが不思議。 「すっごい訛り」くらいで、大目に見て、聞き取ってくれているのだろうか?
【2022/11/29 火】 「短音・長音①」
音声学講義。 今日は、日本語の発音の落穂拾いになります。
最初に、言明しておきます。
「日本語では、短音と長音の区別をする」
そんなの当たり前。 母語話者の癖扱いて、「東京」の事を、「ときょ」と言う奴がいたら、アホと見做されるばかりか、吊るし上げられても文句が言えないほど、当たり前です。
ところが、外来語の世界では、短音と長音を区別しない輩が多くいるのです。 しないと言うか、できないと言うか、する気がないと言うか、何が問題なのか、考えた事もないと言うか・・・。 ちなみに、外来語とはいえ、れっきとした、日本語の一部です。 そして、日本語は、「短音と長音の区別をする」のです。
例としては、「ボディ」。 何と読みます? 「ボディー」ですよね? じゃあ、なんで、「ボディ」と、長音記号を入れずに書くんですか? 「バラエティ番組」。 何と読みますか? 「バラエティー番組」ですよね。 あなた、今、そう発音したじゃないですか。 なんで、「バラエティ番組」って書くんですか。 言ってる言葉と、書いてる文字が違うじゃありませんか。
「アイデンティティ」。 何と読みます? 「アイデンティティー」ですよね。 最後の「ティー」は、長音で、その前の「ティ」は、短音で発音してますよね。 「アイデンティティ」という、文字の通りの発音もできるわけですが、そんな言い方してませんよね? なんで、書く時だけ、「ー」を抜いてしまうんですか?
「英語では、短音と長音の区別をしないから」
それは、一つの回答ですが、英語由来の外来語とはいえ、上述したように、外来語も、「日本語の一部」ですから、日本語の音韻法則に従わなければなりません。 実際、口頭上では、きっちりと、日本語の法則に従っているのです。 書く時だけ、おかしくなっているのです。
「長音記号(-)をつけない方が、英語っぽくて、カッコいいから」
まあ、そんなところだと思いますが・・・、黙らっしゃい! おこがましいにも程がある! th音の発音もできず、「the」を、「ヅァ」と言っているような、どこへ出しても恥ずかしい下司野郎が、英語風で、カッコをつけようなどとは、300億年早いわ! 身の程を知るべし!
失礼しました。 つい、興奮してしまいました。 今の暴言は、撤回して、陳謝いたします。 こんなのは、本当のボクじゃないんです。 信じてください。
それは、さておき。 「英語っぽいから」というのは、何となくそう思っているだけで、実は、長音記号(ー)の省略現象には、他にも原因があります。
一番多いのは、「ティ」と、「ディ」で、他に考えられるのは、「スィ」、「フィ」、「ツィ」、「トゥ」といったところ。 「ズィ」は、「ジー」にしてしまうので、ほとんど、見られません。 「ヅィ」は、そういう発音が、英語や、他の外国語に、そもそも、ないから、使われません。
共通点は、元のかな文字が、後ろに、小さい「ィ」、小さい「ゥ」などを伴う、大小二文字の組み合わせだという事です。 五十音図で、雑居になっている行があるというのは、講義の最初の頃に、説明しました。
サ行音 「サ・シ(スィ)・ス・セ・ソ」
タ行音 「タ・チ(ティ)・ツ(トゥ)・テ・ト」
この、大小二文字で書かざるを得ない音が、問題なんだわ。 代表して、「ティ」で説明しますと、長音記号をつけたがらない人は、「ティ」を、「キィ・シィ・ニィ・ヒィ・ミィ・リィ」と同じだと捉えているのです。 イ列の文字、「キ・シ・ニ・ヒ・ミ・リ」は、「ki・shi・ni・hi・mi・ri」ですから、元々、「i」が、含まれており、それに、小さい「ィ」をつけると、「kii・shii・nii・hii・mii・rii」になって、同じ母音が二つ並ぶ事で、長音記号(ー)をつけたのと、同じ事になります。
つまり、「セクシィ」や、「ハスキィ」は、「セクシー」や、「ハスキー」と、同じ音になるわけだ。 「セクシィ」の方が、「セクシー」よりも、今っぽい感じがするので、それはまあ、個人の好みで、どちらを使ってもいいと思います。
ところが、「ティ」は違います。 ローマ字で書くと、「ti」になり、「i」は、一つしか入っていません。 長音記号(ー)をつけたのと、同じにはならないのです。 「ティ」というのは、「『チ』ではないですよ。 『ti』の事なんですよ」という事を、便宜的に表しているだけの、字面なのです。 「ディ」、「スィ」、「フィ」、「ツィ」、「トゥ」なども、同じ。
五十音図からは外れますが、ファ行音なんて、「ファ・フィ・フェ・フォ」、大小二文字で書くのは、全部ですな。 「アルファー」の事を、「アルファ」と言う人も多いですが、「アルファー」と、「アルファ」は、両方、使われていると見るべきか。 「プラス・アルファー」と言ったり、「アルファ・ベット」と言ったり。
そうそう、今回のテーマとは関係ないですが、ちょっと、触れておきますと、言語学を習った人間は、「ローマ字」の事を、「アルファ・ベット」とは言いません。 「アルファ・ベット」って、何語よ? 「アルファー・ベーター」だから、ギリシャ語ですよね。 なんで、ローマ字の事を、わざわざ、ギリシャ語で言うの? ローマ字というのは、その名の通り、ローマ帝国で使っていた文字だから、ローマ字なんですよ。 何が、「アルファ・ベット」ですか? ちゃんちゃら、おかしい。 カッコつけようとして、無知を曝け出している。
「ウオオオオーーーッ!」
恥ずかしくて、逃げ出したな。 大方、ギリシャとローマの区別も曖昧なのだろう。 日本人の、9割くらいが、該当しそうだが・・・。 そんなにギリシャが好きなら、ツキジデスの、≪戦史≫でも読みなさいよ。 ゾクゾク面白くて、時間が経つのを忘れるぞ。
閑話休題。 (これも、もはや、死語か)
ツァ行音も、「ツァ・ツィ・ツェ・ツォ」、大小二文字で書くのは、全部。 イタリア語に多いですが、英語でも、「トッツィー」という映画がありました。 しかし、それは、ちゃんと、長音記号がつけてあります。 1982年の公開ですが、もし、2000年以降の公開だったら、「トッツィ」と書いて、「トッツィー」と読ませたに違いない。
だからねえ。 勘違いなんですよ。 小さい「ィ」をつけて、長音になる文字と、ならない文字を、一緒くたにしてしまっているのです。 「セクシィ」と、「ボディ」を、同じ構造だと思っているのです。 「セクシィ」と、「セクシー」は、全く同じ発音ですが、「ボディ」と、「ボディー」は、違います。 論より証拠、今、そこで、発音してみないさいよ。 「ボディー」に対して、「ボディ」と短く言えるでしょうが。 それが、「ボディー」と聴こえますか? 同じ発音だと思いますか? なーにを言ってるんだ、君は! (机ドン!)
失礼しました。 また、興奮してしまいました。 こんなのは、本当のボクじゃ・・・、もう、いいか。
なんで、ここ20年ほどで、こういう表記が広まったかと、つらつら考えるに、携帯電話や、スマホの文字入力で、結構、いい加減な打ち込みをしても、先回りして、候補単語が出て来るから、それで通るようになってしまったのが、原因ではないかと思います。
勘違いと混同の結果なのですが、困った事に、言語は、習慣に大きく影響されるものでして、間違った事でも、一旦、広まってしまうと、元に戻せません。 諺の誤用が、定着してしまう現象なども、その類いです。
日本の文化は、あらゆるジャンルで衰退中で、こういう誤用にも、修正がかかる望みは薄いです。 このアホっぽい間違いに、死ぬまで付き合わなければならないかと思うと、熱が出て来ます。
【2022/11/30 水】 「短音・長音②」
音声学講義。 短音・長音の続き。
口頭語では、短音・長音の使い分けに、何の問題もなし。 外来語については、昨日書きました。 普通の、漢字仮名混じり文でも、問題は起きませんが、漢字仮名混じり文を、ローマ字で書く時に、問題が起こります。
よく見かけるのが、案内標識の地名で、「~町(ちょう)」を、「~cho」としているケース。 だから、それは、「ちょう」ではなく、「ちょ」だというのよ。 分からん人達だな。
「英語では、短音と長音を区別しないから」
何を戯言を。 「~町」が英語ですか? 日本語以外の何ものでもないじゃないですか。 それに、日本に来ている英語母語話者だけに向けて、案内標識に、ローマ字表記を入れているわけでもありますまい。
日本語ローマ字表記の長音記号を使って、「~cho」の、「o」の上に、「^」をつけているケースは、まだ、原則に従っている方ですが、パソコンのキー・ボードを見ても分かるように、「^」がついた母音は、簡単には使えません。
で、出て来るのが、「~choh」にしているケース。 「母音の後ろに、『h』をつければ、長音になる」と思っている人は、存外、多いようで、何のためらいもなく使っている様子。 少しは、ためらいなさいよ。 そんな規則は、日本語ローマ字には、ないです。
「h」をつけるのは、ドイツ語の長音表記法ですな。 ドイツ語ならいいんですよ。 全単語の音韻構成そのものが、長音化記号に、「h」を使っても、混乱しないように、最初から、出来ているから。 たぶん、長音の後に、母音が来ないか、来るとしても、少ないかのどちらかなんじゃないでしょうか。
昔、ドイツ語も、少し習った事があるんですが、長音hの問題について知るところまで、深入りせずに、やめてしまいました。 ドイツ語の印象というと、単語に馴染みのないものが多くて、覚えるのに抵抗感が大きいという事でした。 フランス語は、ラテン諸語だから、当然ですが、英語にも、ラテン語系の単語が、いかに多く入っているかを、思い知らされた次第。 ドイツ語は、ゲルマン諸語の単語が多く、馴染みのない単語は、とことん、馴染みがないです。
閑話休題。 (やっぱり、死語かな? 読書習慣がない人達には、まったく通じないかも)
しかし、日本語では、長音の後ろに、母音が来る事があり、問題が起こります。 たとえば、「大分」を、h長音法で書くと、「ohita」になり、「おひた」になってしまいます。 「中央」なども、地名によく使われますが、「chuhoh」では、「ちゅほー」ですな。 似ても似つかない。 出先で、外国人に、道を訊かれて、「『ちゅほーこへん』は、どっちですか?」と発音されたら、「中央公園」と分かる日本人は、ほとんど、いないでしょう。
なに? ハイフン(-)を入れろ? 「oh-ita」、「chuh-oh」と? なんだか、良かれと思って、悪くしているような感じがしますねえ。 そんな、一文字増やすくらいなら、同じ母音を重ねた方が、すっきりします。 「ooita」、「chuuoo」。 ところが、これが、嫌がられるんだわ。 最も合理的な長音の表記法なのに、幼稚過ぎるととられるのか、抵抗感がある模様。
漢字の音読みには、整然とした法則があり、仮名で書く時と同じように、ローマ字でも書くようにするなら、割と心強い目安になります。 「中央」なら、「ちゅう」と、「おう」ですから、「chuu」と「ou」で、「chuuou」ですな。 しかし、これですら、現実、あまり見ないところをみると、ベタと判断され、嫌がられているようです。
で、鼠の嫁入りではないけれど、ぐるっと一巡りして、長音表記を、省いてしまうんだわ。 「oita」、「chuo」。 そりゃ、「おいた」、「ちゅお」なんですがねえ。 で、また、言うわけだ。 「英語では、短音と長音を区別しない」と。 だから、これは、純然たる、日本語の話なんだったら。
日本語の話だと思うと、「東京」の事を、「tokyo」と書くのも、重大な問題があります。 そりゃ、「ときょ」でっせ。 それでいいのか、本当に? 日本人が、「tookyoo」、もしくは、「toukyou」と書けば、外国人も、ちゃんと、「とうきょう」と発音してくれます。 「tokyo」なんて綴り、一体、誰が決めたのか?
「tokyo」を、「トキオ」と発音されて、「『東京』は、国際的には、『トキオ』と言う」なんて、悦に入っている人もいるかと思いますが・・・、何が、国際的ですか、アホ臭い。 そもそも、日本語ですよ。 日本語母語話者の一人として、書き方のせいで、実際と違う読み方が罷り通っている事に、疑問を感じないもんですかねえ?
英語では、短音と長音を区別しないのですが、韓国朝鮮語でも、長音記号というのは、ないです。 日本人の耳で聞いて、長音に聴こえる音というのはありますが、母語話者は、区別していないと思います。 区別していたら、日本語やドイツ語のように、必ず、何らかの長音記号が使われているはず。
イタリア語では、単語の、後ろから2番目の母音に、強弱アクセントがつく法則があり、日本人の耳で聴くと、そこが長音に聴こえます。 「ミラノ」なら、「ミラーノ」。 「トリノ」は、「トリーノ」。 「ローマ」は、元の発音のまんま、日本語に入ったんですな。 ただし、「pizza(ピッツァ)」のように、子音が並んで、日本語の促音、小さい「ッ」が入る場合、その前の「ピ」が、長音という感じはしません。
そういや、なぜ、「ピッツァ」の事を、日本で、「ピザ」と言うのかも、不思議ですな。 日本人は、「ツ」は得意の発音だし、促音もあるから、最初から、「ピッツァ」で入れれば良かったと思うんですが。 昔の人の考えている事は、分からぬ。
中国語では、基本的に、全て、長音です。 一音節、つまり、漢字一文字ですが、その中で、高低アクセントをつけるので、長さがないと、困るのです。 ただし、「軽声」という読み方があり、単語の最後尾につきますが、それは、短音になる事があります。 軽声には、高低アクセントがつかないから、長さが要らないのです。
日本語にも多く入っている、「椅子」や、「餃子」の、「子」が、軽声の一つで、「zi」、「ヅ」と読みます。 これは、ほんとに、「ヅ」だから、日本人でも、堂々と発音できます。 「椅子」は、「イー・ヅ」、「餃子」は、「チャオ・ヅ」。
【2023/01/15 日】 「≪どうする家康≫ 三河言葉」
≪どうする家康≫
今年の大河ドラマ。 今の所、最も目立っているのは、松重豊さんですな。 他の面子は、武士に見えません。 ドラマの感想は、まだ、書けるほど、話が進んでいません。
家康は、岡崎生まれの駿府育ちなので、三河方言を喋らないのは、まあ、いいとして、「わし」だの、「~じゃ」だの、山口方言で喋っているのは、不思議ですな。 方言指導者を、間違えて、雇ったんじゃないの?
武家だから、そういう言葉を使うという事はありません。 「わし・~じゃ」は、完全に、山口方言です。 正確に言うと、長州方言。 明治時代初頭までは、長州と、その近隣でしか、使われていませんでした。 明治維新で、薩長閥の人材が、政府の中枢を占めるようになり、その人達の喋る方言が、尊重されるようになったのですが、西南戦争で、薩摩閥の人数が減り、その後は、長州閥の天下となりました。
というわけで、「偉い人達が喋っている言葉」、イコール、「威厳のある高齢男性が喋る言葉」となり、「わし・~じゃ」が、老人の喋る言葉として、認識されるようになって行ったわけです。 江戸時代までの、江戸っ子男性の自称は、身分・年齢に関係なく、「おれ」か、「おいら」です。 時代劇で、江戸っ子なのに、「わし」と言っている老人が出て来たら、それは、嘘、というか、脚本家が、知らないのです。
権力を握った集団の喋る言葉が、下々に広まるという現象は、江戸時代初期にもありました。 三河から、江戸に入った徳川家の家臣団が、三河方言を喋っていたので、「三河言葉は、良い言葉」と言われて、江戸に広まりました。 意思・推量の助動詞で、関東地方では、元々、「~だべ」と言っていたのが、「~だろう」に変わったのですが、三河方言が影響を与えたのは、間違いないところです。
自然伝播では、西から進んで来た、平安言葉由来の、「~であらむ」系が、「~だら」になり、静岡県東部まで来ていましたが、江戸時代を経ても、箱根を越えられずにいました。 ちなみに、神奈川県では、東日本系の、「~だべ」が、まだ、残っています。 東京だけ、「~だろう」系が、飛び地になっているのは、三河武士が移住した結果なのです。
更に、面白い事に、大政奉還の後、江戸を追われた徳川家臣団の半分が、沼津藩に入るのですが、そのせいで、沼津市の市街地付近では、明治以降、江戸言葉が主流になり、駿東方言が使われなくなります。 市街地と、周辺部の出身者で、言葉が違うのが、今でも、何となくレベルで分かります。 市街地の人達は、恐らく、誇りをもって、江戸言葉を継承していたんでしょうな。 その後、戦時中の空襲で、ちりぢりになってしまうのですが。
一方、徳川家臣団に、沼津藩を譲って、他へ移った、水野家の家臣団がいたわけですが、彼らが、移住した先では、たぶん、駿東方言の痕跡が見られると思います。 どこだったかなあ。 千葉県の方だったかな? その土地で、祖父母など、高齢の人達が、「~だろう」というところを、「~だら」と言っているのを耳にした事がある人がいたら、それは、沼津の方言が残っていたのです。
江戸時代は、国替えで、集団がごっそり、よその土地に移動する事が多かったので、こういう事例は、いくらでもあったと思います。 言語の痕跡が残っているのは、時間が経ってしまえば、ロマンチックな話ですが、国替えは、大ごとですから、犠牲を強いられた人達も、大勢、いた事でしょうなあ。
【2023/01/17 火】 「~だら」
一昨日、駿東方言について、テキトーな書き方をしたので、補足しておきます。
「意思・推量の助動詞」と、ごっちゃにして書きましたが、駿東方言では、「意思の助動詞」と、「推量の助動詞」は、違います。 厳密には、助動詞というより、助動詞の活用形の一部、更に言えば、助詞と見た方が良いかもしれませんが、ややこしい説明が必要になり、混乱するだけだから、割愛。 便宜的に、助動詞という事にしておきます。
「~ら・~だら」は、推量専門の助動詞です。 動詞・形容詞・形容動詞に付く時には、終止形に、「~ら」が直結し、名詞に付く時には、「~だら」が付きます。 意味は、標準語の、「~だろう」と同じ。
【動詞】
「君も、そうするだろう?」
「君も、そうするら?」
【形容詞】
「あの店は、遠いだろう」
「あの店は、遠いら」
【形容動詞】
「綺麗だろう?」
「綺麗だら?」
【名詞】
「この橋だろう?」
「この橋だら?」
この辺りは、機械的に変換できます。 「~ずら」という言い方もありますが、「~だら」が訛ったもので、意味は同じです。 どちらも使いますが、意味的に使い分けているのではなく、田舎っぽい雰囲気を出したい時に、「~ずら」を使う傾向があります。 ただし、それは、家族内や、親しい友人間の事で、他人が相手だと、「~ずら」は、ほとんど、使いません。
テレビ・ドラマを見ていると、なんでもかんでも、語尾に、「~ずら」をつければ、駿東や山梨、長野の方言になると思い込んでいる脚本家、もしくは、方言指導者がいますが、滅茶苦茶のグジャグジャです。 そもそも、断定の助動詞、「~だ」ではなく、推量の助動詞、「~だろう」に相当するのですから、意味合いも、まるで違う。 何にも知らないで、脚本書いているのだな。 馬っ鹿じゃなかろうか? いや、ズバリ、馬鹿ずら。 恐らく、馬鹿面ずら。
機械的に変換できるにも拘らず、駿東地域が舞台になっているドラマでは、全然駄目で、滅茶苦茶のグッジャグジャ。 熱が出て来ます。 駿東方言を正確に喋れるのは、芸能界広しと言えども、三島市出身の、冨士眞奈美さんだけで、恐らく、冨士さんも、その手のドラマを見るたびに、発熱していると思います。 「インチキ駿東方言・発熱外来」が必要だな。
ちなみに、標準語で、「~だろう」を、「~だろ」と言うケースも多いですが、短縮されただけで、意味が変わるわけではありません。
駿東方言に戻りますが、意思の助動詞は、動詞の終止形に、「~べえ」を付けます。 厳密に言うと、助動詞というより、助詞なのですが、例によって、厳密な事を書いても混乱するだけだと思うので、割愛。 便宜的に、助動詞という事にしておきます。
【動詞】
「買い物に行こう」
「買い物に行くべえ」
言うまでもなく、というほど、言うまでもない事ではないですが、ちょっと考えてみれば分かるように、意思の助動詞は、動詞だけに付きます。 名詞は、もちろんですが、形容詞や形容動詞にも、「意思」は、関係ないですから。
この「ベえ」は、関東以東・以北で使われている、意思・推量の助動詞、「~だべ」の、「べ」と、出所は同じです。 推量の方は、平安京都言葉系に変化してしまったけれど、意思の方は、東日本方言が残ったんですな。 駿東地域が、西日本方言と、東日本方言の、境界にあるからこそ、起こった事と言えます。
「べえ」ですが、駿東地域では、意思オンリーで使われ、関東以東・以北のように、推量にも使うという事はありません。 駿東出身者が、
「そうじゃねーべ」
などと言っていたら、それは、カッコつけて、神奈川県の、湘南方言を真似ているのであって、駿東方言ではないです。 「そうじゃねーべ」で、カッコがつくというのは、標準語を基準にして考えると、不思議な事ですが、それが、湘南の持つイメージなんでしょうなあ。 もっとも、湘南の洒落たイメージも、1980年代頃と比べると、見る影もなく、衰えてしまいましたけど。
ちなみに、同じ意味を、駿東方言では、
「そうじゃにゃーら」
と言います。 「そうじゃないら」が元ですが、「ai」が、「yaa」に変わるという、東海中部地方方言の規則に従って、「ない」が、「にゃー」になります。 この「ai」が、「yaa」に変わる法則も、箱根を越えられず、神奈川県では、全く使いません。 静岡県内でも、伊豆半島東岸の、熱海や伊東では、使いません。
私の母が、小学生の頃、遠足で熱海に行って、急坂を駆け下りた時、「おっかにゃ~!」と叫んだら、地元のおじさんに、「おまえは、沼津の人間だな」と見抜かれたという、逸話があります。 沼津とは限らないと思いますが、まあ、細かい事はいいか。
≪音声学講義≫は、今回で終わりです。 後ろの、今年に入ってから書いた二つの記事は、音声学とは関係ありませんが、言語学関係だから、オマケ。
私が、四六時中、こんな事ばかり考えていたのは、ひきこもっていた時期の後半、1985~1986年頃の事です。 当時は、インターネットはなくて、引きこもり中の事とて、本も思うように買えませんでしたが、興味が先行していたので、知った事は、どんどん頭に入るし、多くの事を思いつきました。
こういう記事を読んで、言語学に興味が湧いて、「大学で、言語学を習おう」などと夢想している中高生諸君に、忠告。 日本では、言語学では、全く食っていけませんから、仕事にしようとせず、趣味に留めておいた方が無難です。 言語学科がある大学でも、卒業生の就職先には、困っているはず。 それとも、文系撲滅の流れで、もう、そんな学科は消滅したかな?
言語学者が、どんな仕事をしてるかなんて、想像がつかんでしょう? 外国だと、滅亡に瀕している言語の記録採りなどをやっているらしいですが、日本人は、母語の音素が少ないせいで、異言語の聞き取り調査ができないから、使いものにならないんですよ。 残念ですが、致し方ない。
趣味で、言語学をやっている人は、結構いますが、ネット上で、仲間を見つけて、話をしようとすると、興味の対象にズレがあって、うまく、噛み合いません。 これは、言語学に限らず、学問全般に言える事ですが、自分が発見した事を、不用意に他人に教えたら、パクられたという、不愉快な事も起こり得ます。 経験あり。 まったく、ろくでなしの糞屑下司野郎の多い事よ。
【2022/11/28 月】 「th音とその濁音」
音声学講義の番外編。
英語の、th音。 これが、なかなか・・・。
摩擦音です。 s音に近いですが、調音位置は、もっと前で、舌先と、上の前歯の裏の間を近づけて、「サ」と言えば、「tha」が出ます。 慣れれば、割と簡単に出ますが、例によって、日本語母語話者の耳で聴く時には、s音にしか聴こえません。
th音には、濁音(有声音)もあり、そちらも、英語では、よく使われるのですが、非常に厄介なのは、清音・濁音、どちらも、「th」という、同じ綴りが使われている事です。 便宜的に、th音の濁音を、「dh音」としましょうか。
th音 「thank、theater、theory、thick、thing、think、third、thousand、three」
dh音 「that、the、them、then、there、these、this、those」
見比べると、一目瞭然。 th音の単語より、dh音の方が、指示詞など、頻繁に使われるものが多いです。 特に、「the」は、使われ捲りですな。 英語で、最も使用頻度が多い単語に、dh音が入っているわけだ。 幸いな事に、日本人で、これらの単語の清濁を読み違える人は、まず、いません。 一応、英語教育の賜物か。
幸いでない事は、日本人が、これらの単語を発音する時、th音も、dh音も、出していないという事です。 これは、重大問題だわ。 「サ行音か、ザ行音で代用している」と言うより、th音・dh音が何なのか、全く分からないまま、「サ行音・ザ行音みたいなもの」で、テキトーにお茶を濁していると言うべき。
なぜ、中学で英語を教え始める時に、th音・dh音を説明しないのか、気が知れない。 「This is a pen.」から始めるくせに、その、「this」の「th」を、どう発音するか教えないのでは、そもそも、教育が始まらないではないですか。 なぜ、教えないのか。 教師が知らないからです。 嘘みたいな話ですが、本当に、日本人の英語教師というのは、英語の発音を知らないのですよ。
知っていれば、教えます。 今私が書いているように、音声学は面白いですから、他人に教える機会があれば、必ず、教えたくなります。 それを教えないという事は、つまり、知らないから、教えたくても教えられないのです。
そういう事を、ここで、いくら言っても、無意味か。 日本人英語教師には、信じられないような、低レベルのもいるので、要注意。 発音だけでなく、文法でも、何も分かっていないような輩が、偉そうに、先生ヅラしています。 おっと! 中高生は、そういう目で、英語教師を見ないように。 嘘でも、先生とおだてておかなければ、痛い目を見ますから。
「this」を、「ディス」と発音する人は多いですが、dh音は、摩擦音ですから、むしろ、昔っぽい、「ジス」の方が、近いです。 だけど、前にも書いたように、日本人が、「ジス」というと、実際の発音は、破擦音の、「ヂス」になってしまうんですよねえ。 「ズィス」にしても駄目で、日本人の実際の発音は、「ヅィス」なので、やはり、破擦音になってしまいます。 まーた、増上寺醸造の増上寺重蔵さんが出て来てしまいますな。
結局、「ディス」も、「ジス」も、「ズィス」も、駄目。 dh音を習うしかないんですよ。 まず、th音を練習して、その後、舌の位置を変えないように注意しながら、濁音にしてみれば、dh音が出ます。 聴くのは駄目ですが、発音だけなら、日本語母語話者にもできます。 諦めるのは、やってみてからにしてください。 こんな重要な単語群の発音を、最初から、諦めているというのが、奇妙奇天烈。 安易に妥協しないように。
これを書いていて、気付いたのですが、日本人が喋る英語は、
that ヅァット
the ヅァ
them ヅェム
then ヅェン
there ヅェアー
these ヅィーヅ
those ヅォーヅ
になっているわけだ。 うーむ、増上寺の奥様が聴いたら、泡吹いて卒倒は、間違いなしだな。 この発音を聞いて、何と言っているのか理解できる英語母語話者がいるという、そちらが不思議。 「すっごい訛り」くらいで、大目に見て、聞き取ってくれているのだろうか?
【2022/11/29 火】 「短音・長音①」
音声学講義。 今日は、日本語の発音の落穂拾いになります。
最初に、言明しておきます。
「日本語では、短音と長音の区別をする」
そんなの当たり前。 母語話者の癖扱いて、「東京」の事を、「ときょ」と言う奴がいたら、アホと見做されるばかりか、吊るし上げられても文句が言えないほど、当たり前です。
ところが、外来語の世界では、短音と長音を区別しない輩が多くいるのです。 しないと言うか、できないと言うか、する気がないと言うか、何が問題なのか、考えた事もないと言うか・・・。 ちなみに、外来語とはいえ、れっきとした、日本語の一部です。 そして、日本語は、「短音と長音の区別をする」のです。
例としては、「ボディ」。 何と読みます? 「ボディー」ですよね? じゃあ、なんで、「ボディ」と、長音記号を入れずに書くんですか? 「バラエティ番組」。 何と読みますか? 「バラエティー番組」ですよね。 あなた、今、そう発音したじゃないですか。 なんで、「バラエティ番組」って書くんですか。 言ってる言葉と、書いてる文字が違うじゃありませんか。
「アイデンティティ」。 何と読みます? 「アイデンティティー」ですよね。 最後の「ティー」は、長音で、その前の「ティ」は、短音で発音してますよね。 「アイデンティティ」という、文字の通りの発音もできるわけですが、そんな言い方してませんよね? なんで、書く時だけ、「ー」を抜いてしまうんですか?
「英語では、短音と長音の区別をしないから」
それは、一つの回答ですが、英語由来の外来語とはいえ、上述したように、外来語も、「日本語の一部」ですから、日本語の音韻法則に従わなければなりません。 実際、口頭上では、きっちりと、日本語の法則に従っているのです。 書く時だけ、おかしくなっているのです。
「長音記号(-)をつけない方が、英語っぽくて、カッコいいから」
まあ、そんなところだと思いますが・・・、黙らっしゃい! おこがましいにも程がある! th音の発音もできず、「the」を、「ヅァ」と言っているような、どこへ出しても恥ずかしい下司野郎が、英語風で、カッコをつけようなどとは、300億年早いわ! 身の程を知るべし!
失礼しました。 つい、興奮してしまいました。 今の暴言は、撤回して、陳謝いたします。 こんなのは、本当のボクじゃないんです。 信じてください。
それは、さておき。 「英語っぽいから」というのは、何となくそう思っているだけで、実は、長音記号(ー)の省略現象には、他にも原因があります。
一番多いのは、「ティ」と、「ディ」で、他に考えられるのは、「スィ」、「フィ」、「ツィ」、「トゥ」といったところ。 「ズィ」は、「ジー」にしてしまうので、ほとんど、見られません。 「ヅィ」は、そういう発音が、英語や、他の外国語に、そもそも、ないから、使われません。
共通点は、元のかな文字が、後ろに、小さい「ィ」、小さい「ゥ」などを伴う、大小二文字の組み合わせだという事です。 五十音図で、雑居になっている行があるというのは、講義の最初の頃に、説明しました。
サ行音 「サ・シ(スィ)・ス・セ・ソ」
タ行音 「タ・チ(ティ)・ツ(トゥ)・テ・ト」
この、大小二文字で書かざるを得ない音が、問題なんだわ。 代表して、「ティ」で説明しますと、長音記号をつけたがらない人は、「ティ」を、「キィ・シィ・ニィ・ヒィ・ミィ・リィ」と同じだと捉えているのです。 イ列の文字、「キ・シ・ニ・ヒ・ミ・リ」は、「ki・shi・ni・hi・mi・ri」ですから、元々、「i」が、含まれており、それに、小さい「ィ」をつけると、「kii・shii・nii・hii・mii・rii」になって、同じ母音が二つ並ぶ事で、長音記号(ー)をつけたのと、同じ事になります。
つまり、「セクシィ」や、「ハスキィ」は、「セクシー」や、「ハスキー」と、同じ音になるわけだ。 「セクシィ」の方が、「セクシー」よりも、今っぽい感じがするので、それはまあ、個人の好みで、どちらを使ってもいいと思います。
ところが、「ティ」は違います。 ローマ字で書くと、「ti」になり、「i」は、一つしか入っていません。 長音記号(ー)をつけたのと、同じにはならないのです。 「ティ」というのは、「『チ』ではないですよ。 『ti』の事なんですよ」という事を、便宜的に表しているだけの、字面なのです。 「ディ」、「スィ」、「フィ」、「ツィ」、「トゥ」なども、同じ。
五十音図からは外れますが、ファ行音なんて、「ファ・フィ・フェ・フォ」、大小二文字で書くのは、全部ですな。 「アルファー」の事を、「アルファ」と言う人も多いですが、「アルファー」と、「アルファ」は、両方、使われていると見るべきか。 「プラス・アルファー」と言ったり、「アルファ・ベット」と言ったり。
そうそう、今回のテーマとは関係ないですが、ちょっと、触れておきますと、言語学を習った人間は、「ローマ字」の事を、「アルファ・ベット」とは言いません。 「アルファ・ベット」って、何語よ? 「アルファー・ベーター」だから、ギリシャ語ですよね。 なんで、ローマ字の事を、わざわざ、ギリシャ語で言うの? ローマ字というのは、その名の通り、ローマ帝国で使っていた文字だから、ローマ字なんですよ。 何が、「アルファ・ベット」ですか? ちゃんちゃら、おかしい。 カッコつけようとして、無知を曝け出している。
「ウオオオオーーーッ!」
恥ずかしくて、逃げ出したな。 大方、ギリシャとローマの区別も曖昧なのだろう。 日本人の、9割くらいが、該当しそうだが・・・。 そんなにギリシャが好きなら、ツキジデスの、≪戦史≫でも読みなさいよ。 ゾクゾク面白くて、時間が経つのを忘れるぞ。
閑話休題。 (これも、もはや、死語か)
ツァ行音も、「ツァ・ツィ・ツェ・ツォ」、大小二文字で書くのは、全部。 イタリア語に多いですが、英語でも、「トッツィー」という映画がありました。 しかし、それは、ちゃんと、長音記号がつけてあります。 1982年の公開ですが、もし、2000年以降の公開だったら、「トッツィ」と書いて、「トッツィー」と読ませたに違いない。
だからねえ。 勘違いなんですよ。 小さい「ィ」をつけて、長音になる文字と、ならない文字を、一緒くたにしてしまっているのです。 「セクシィ」と、「ボディ」を、同じ構造だと思っているのです。 「セクシィ」と、「セクシー」は、全く同じ発音ですが、「ボディ」と、「ボディー」は、違います。 論より証拠、今、そこで、発音してみないさいよ。 「ボディー」に対して、「ボディ」と短く言えるでしょうが。 それが、「ボディー」と聴こえますか? 同じ発音だと思いますか? なーにを言ってるんだ、君は! (机ドン!)
失礼しました。 また、興奮してしまいました。 こんなのは、本当のボクじゃ・・・、もう、いいか。
なんで、ここ20年ほどで、こういう表記が広まったかと、つらつら考えるに、携帯電話や、スマホの文字入力で、結構、いい加減な打ち込みをしても、先回りして、候補単語が出て来るから、それで通るようになってしまったのが、原因ではないかと思います。
勘違いと混同の結果なのですが、困った事に、言語は、習慣に大きく影響されるものでして、間違った事でも、一旦、広まってしまうと、元に戻せません。 諺の誤用が、定着してしまう現象なども、その類いです。
日本の文化は、あらゆるジャンルで衰退中で、こういう誤用にも、修正がかかる望みは薄いです。 このアホっぽい間違いに、死ぬまで付き合わなければならないかと思うと、熱が出て来ます。
【2022/11/30 水】 「短音・長音②」
音声学講義。 短音・長音の続き。
口頭語では、短音・長音の使い分けに、何の問題もなし。 外来語については、昨日書きました。 普通の、漢字仮名混じり文でも、問題は起きませんが、漢字仮名混じり文を、ローマ字で書く時に、問題が起こります。
よく見かけるのが、案内標識の地名で、「~町(ちょう)」を、「~cho」としているケース。 だから、それは、「ちょう」ではなく、「ちょ」だというのよ。 分からん人達だな。
「英語では、短音と長音を区別しないから」
何を戯言を。 「~町」が英語ですか? 日本語以外の何ものでもないじゃないですか。 それに、日本に来ている英語母語話者だけに向けて、案内標識に、ローマ字表記を入れているわけでもありますまい。
日本語ローマ字表記の長音記号を使って、「~cho」の、「o」の上に、「^」をつけているケースは、まだ、原則に従っている方ですが、パソコンのキー・ボードを見ても分かるように、「^」がついた母音は、簡単には使えません。
で、出て来るのが、「~choh」にしているケース。 「母音の後ろに、『h』をつければ、長音になる」と思っている人は、存外、多いようで、何のためらいもなく使っている様子。 少しは、ためらいなさいよ。 そんな規則は、日本語ローマ字には、ないです。
「h」をつけるのは、ドイツ語の長音表記法ですな。 ドイツ語ならいいんですよ。 全単語の音韻構成そのものが、長音化記号に、「h」を使っても、混乱しないように、最初から、出来ているから。 たぶん、長音の後に、母音が来ないか、来るとしても、少ないかのどちらかなんじゃないでしょうか。
昔、ドイツ語も、少し習った事があるんですが、長音hの問題について知るところまで、深入りせずに、やめてしまいました。 ドイツ語の印象というと、単語に馴染みのないものが多くて、覚えるのに抵抗感が大きいという事でした。 フランス語は、ラテン諸語だから、当然ですが、英語にも、ラテン語系の単語が、いかに多く入っているかを、思い知らされた次第。 ドイツ語は、ゲルマン諸語の単語が多く、馴染みのない単語は、とことん、馴染みがないです。
閑話休題。 (やっぱり、死語かな? 読書習慣がない人達には、まったく通じないかも)
しかし、日本語では、長音の後ろに、母音が来る事があり、問題が起こります。 たとえば、「大分」を、h長音法で書くと、「ohita」になり、「おひた」になってしまいます。 「中央」なども、地名によく使われますが、「chuhoh」では、「ちゅほー」ですな。 似ても似つかない。 出先で、外国人に、道を訊かれて、「『ちゅほーこへん』は、どっちですか?」と発音されたら、「中央公園」と分かる日本人は、ほとんど、いないでしょう。
なに? ハイフン(-)を入れろ? 「oh-ita」、「chuh-oh」と? なんだか、良かれと思って、悪くしているような感じがしますねえ。 そんな、一文字増やすくらいなら、同じ母音を重ねた方が、すっきりします。 「ooita」、「chuuoo」。 ところが、これが、嫌がられるんだわ。 最も合理的な長音の表記法なのに、幼稚過ぎるととられるのか、抵抗感がある模様。
漢字の音読みには、整然とした法則があり、仮名で書く時と同じように、ローマ字でも書くようにするなら、割と心強い目安になります。 「中央」なら、「ちゅう」と、「おう」ですから、「chuu」と「ou」で、「chuuou」ですな。 しかし、これですら、現実、あまり見ないところをみると、ベタと判断され、嫌がられているようです。
で、鼠の嫁入りではないけれど、ぐるっと一巡りして、長音表記を、省いてしまうんだわ。 「oita」、「chuo」。 そりゃ、「おいた」、「ちゅお」なんですがねえ。 で、また、言うわけだ。 「英語では、短音と長音を区別しない」と。 だから、これは、純然たる、日本語の話なんだったら。
日本語の話だと思うと、「東京」の事を、「tokyo」と書くのも、重大な問題があります。 そりゃ、「ときょ」でっせ。 それでいいのか、本当に? 日本人が、「tookyoo」、もしくは、「toukyou」と書けば、外国人も、ちゃんと、「とうきょう」と発音してくれます。 「tokyo」なんて綴り、一体、誰が決めたのか?
「tokyo」を、「トキオ」と発音されて、「『東京』は、国際的には、『トキオ』と言う」なんて、悦に入っている人もいるかと思いますが・・・、何が、国際的ですか、アホ臭い。 そもそも、日本語ですよ。 日本語母語話者の一人として、書き方のせいで、実際と違う読み方が罷り通っている事に、疑問を感じないもんですかねえ?
英語では、短音と長音を区別しないのですが、韓国朝鮮語でも、長音記号というのは、ないです。 日本人の耳で聞いて、長音に聴こえる音というのはありますが、母語話者は、区別していないと思います。 区別していたら、日本語やドイツ語のように、必ず、何らかの長音記号が使われているはず。
イタリア語では、単語の、後ろから2番目の母音に、強弱アクセントがつく法則があり、日本人の耳で聴くと、そこが長音に聴こえます。 「ミラノ」なら、「ミラーノ」。 「トリノ」は、「トリーノ」。 「ローマ」は、元の発音のまんま、日本語に入ったんですな。 ただし、「pizza(ピッツァ)」のように、子音が並んで、日本語の促音、小さい「ッ」が入る場合、その前の「ピ」が、長音という感じはしません。
そういや、なぜ、「ピッツァ」の事を、日本で、「ピザ」と言うのかも、不思議ですな。 日本人は、「ツ」は得意の発音だし、促音もあるから、最初から、「ピッツァ」で入れれば良かったと思うんですが。 昔の人の考えている事は、分からぬ。
中国語では、基本的に、全て、長音です。 一音節、つまり、漢字一文字ですが、その中で、高低アクセントをつけるので、長さがないと、困るのです。 ただし、「軽声」という読み方があり、単語の最後尾につきますが、それは、短音になる事があります。 軽声には、高低アクセントがつかないから、長さが要らないのです。
日本語にも多く入っている、「椅子」や、「餃子」の、「子」が、軽声の一つで、「zi」、「ヅ」と読みます。 これは、ほんとに、「ヅ」だから、日本人でも、堂々と発音できます。 「椅子」は、「イー・ヅ」、「餃子」は、「チャオ・ヅ」。
【2023/01/15 日】 「≪どうする家康≫ 三河言葉」
≪どうする家康≫
今年の大河ドラマ。 今の所、最も目立っているのは、松重豊さんですな。 他の面子は、武士に見えません。 ドラマの感想は、まだ、書けるほど、話が進んでいません。
家康は、岡崎生まれの駿府育ちなので、三河方言を喋らないのは、まあ、いいとして、「わし」だの、「~じゃ」だの、山口方言で喋っているのは、不思議ですな。 方言指導者を、間違えて、雇ったんじゃないの?
武家だから、そういう言葉を使うという事はありません。 「わし・~じゃ」は、完全に、山口方言です。 正確に言うと、長州方言。 明治時代初頭までは、長州と、その近隣でしか、使われていませんでした。 明治維新で、薩長閥の人材が、政府の中枢を占めるようになり、その人達の喋る方言が、尊重されるようになったのですが、西南戦争で、薩摩閥の人数が減り、その後は、長州閥の天下となりました。
というわけで、「偉い人達が喋っている言葉」、イコール、「威厳のある高齢男性が喋る言葉」となり、「わし・~じゃ」が、老人の喋る言葉として、認識されるようになって行ったわけです。 江戸時代までの、江戸っ子男性の自称は、身分・年齢に関係なく、「おれ」か、「おいら」です。 時代劇で、江戸っ子なのに、「わし」と言っている老人が出て来たら、それは、嘘、というか、脚本家が、知らないのです。
権力を握った集団の喋る言葉が、下々に広まるという現象は、江戸時代初期にもありました。 三河から、江戸に入った徳川家の家臣団が、三河方言を喋っていたので、「三河言葉は、良い言葉」と言われて、江戸に広まりました。 意思・推量の助動詞で、関東地方では、元々、「~だべ」と言っていたのが、「~だろう」に変わったのですが、三河方言が影響を与えたのは、間違いないところです。
自然伝播では、西から進んで来た、平安言葉由来の、「~であらむ」系が、「~だら」になり、静岡県東部まで来ていましたが、江戸時代を経ても、箱根を越えられずにいました。 ちなみに、神奈川県では、東日本系の、「~だべ」が、まだ、残っています。 東京だけ、「~だろう」系が、飛び地になっているのは、三河武士が移住した結果なのです。
更に、面白い事に、大政奉還の後、江戸を追われた徳川家臣団の半分が、沼津藩に入るのですが、そのせいで、沼津市の市街地付近では、明治以降、江戸言葉が主流になり、駿東方言が使われなくなります。 市街地と、周辺部の出身者で、言葉が違うのが、今でも、何となくレベルで分かります。 市街地の人達は、恐らく、誇りをもって、江戸言葉を継承していたんでしょうな。 その後、戦時中の空襲で、ちりぢりになってしまうのですが。
一方、徳川家臣団に、沼津藩を譲って、他へ移った、水野家の家臣団がいたわけですが、彼らが、移住した先では、たぶん、駿東方言の痕跡が見られると思います。 どこだったかなあ。 千葉県の方だったかな? その土地で、祖父母など、高齢の人達が、「~だろう」というところを、「~だら」と言っているのを耳にした事がある人がいたら、それは、沼津の方言が残っていたのです。
江戸時代は、国替えで、集団がごっそり、よその土地に移動する事が多かったので、こういう事例は、いくらでもあったと思います。 言語の痕跡が残っているのは、時間が経ってしまえば、ロマンチックな話ですが、国替えは、大ごとですから、犠牲を強いられた人達も、大勢、いた事でしょうなあ。
【2023/01/17 火】 「~だら」
一昨日、駿東方言について、テキトーな書き方をしたので、補足しておきます。
「意思・推量の助動詞」と、ごっちゃにして書きましたが、駿東方言では、「意思の助動詞」と、「推量の助動詞」は、違います。 厳密には、助動詞というより、助動詞の活用形の一部、更に言えば、助詞と見た方が良いかもしれませんが、ややこしい説明が必要になり、混乱するだけだから、割愛。 便宜的に、助動詞という事にしておきます。
「~ら・~だら」は、推量専門の助動詞です。 動詞・形容詞・形容動詞に付く時には、終止形に、「~ら」が直結し、名詞に付く時には、「~だら」が付きます。 意味は、標準語の、「~だろう」と同じ。
【動詞】
「君も、そうするだろう?」
「君も、そうするら?」
【形容詞】
「あの店は、遠いだろう」
「あの店は、遠いら」
【形容動詞】
「綺麗だろう?」
「綺麗だら?」
【名詞】
「この橋だろう?」
「この橋だら?」
この辺りは、機械的に変換できます。 「~ずら」という言い方もありますが、「~だら」が訛ったもので、意味は同じです。 どちらも使いますが、意味的に使い分けているのではなく、田舎っぽい雰囲気を出したい時に、「~ずら」を使う傾向があります。 ただし、それは、家族内や、親しい友人間の事で、他人が相手だと、「~ずら」は、ほとんど、使いません。
テレビ・ドラマを見ていると、なんでもかんでも、語尾に、「~ずら」をつければ、駿東や山梨、長野の方言になると思い込んでいる脚本家、もしくは、方言指導者がいますが、滅茶苦茶のグジャグジャです。 そもそも、断定の助動詞、「~だ」ではなく、推量の助動詞、「~だろう」に相当するのですから、意味合いも、まるで違う。 何にも知らないで、脚本書いているのだな。 馬っ鹿じゃなかろうか? いや、ズバリ、馬鹿ずら。 恐らく、馬鹿面ずら。
機械的に変換できるにも拘らず、駿東地域が舞台になっているドラマでは、全然駄目で、滅茶苦茶のグッジャグジャ。 熱が出て来ます。 駿東方言を正確に喋れるのは、芸能界広しと言えども、三島市出身の、冨士眞奈美さんだけで、恐らく、冨士さんも、その手のドラマを見るたびに、発熱していると思います。 「インチキ駿東方言・発熱外来」が必要だな。
ちなみに、標準語で、「~だろう」を、「~だろ」と言うケースも多いですが、短縮されただけで、意味が変わるわけではありません。
駿東方言に戻りますが、意思の助動詞は、動詞の終止形に、「~べえ」を付けます。 厳密に言うと、助動詞というより、助詞なのですが、例によって、厳密な事を書いても混乱するだけだと思うので、割愛。 便宜的に、助動詞という事にしておきます。
【動詞】
「買い物に行こう」
「買い物に行くべえ」
言うまでもなく、というほど、言うまでもない事ではないですが、ちょっと考えてみれば分かるように、意思の助動詞は、動詞だけに付きます。 名詞は、もちろんですが、形容詞や形容動詞にも、「意思」は、関係ないですから。
この「ベえ」は、関東以東・以北で使われている、意思・推量の助動詞、「~だべ」の、「べ」と、出所は同じです。 推量の方は、平安京都言葉系に変化してしまったけれど、意思の方は、東日本方言が残ったんですな。 駿東地域が、西日本方言と、東日本方言の、境界にあるからこそ、起こった事と言えます。
「べえ」ですが、駿東地域では、意思オンリーで使われ、関東以東・以北のように、推量にも使うという事はありません。 駿東出身者が、
「そうじゃねーべ」
などと言っていたら、それは、カッコつけて、神奈川県の、湘南方言を真似ているのであって、駿東方言ではないです。 「そうじゃねーべ」で、カッコがつくというのは、標準語を基準にして考えると、不思議な事ですが、それが、湘南の持つイメージなんでしょうなあ。 もっとも、湘南の洒落たイメージも、1980年代頃と比べると、見る影もなく、衰えてしまいましたけど。
ちなみに、同じ意味を、駿東方言では、
「そうじゃにゃーら」
と言います。 「そうじゃないら」が元ですが、「ai」が、「yaa」に変わるという、東海中部地方方言の規則に従って、「ない」が、「にゃー」になります。 この「ai」が、「yaa」に変わる法則も、箱根を越えられず、神奈川県では、全く使いません。 静岡県内でも、伊豆半島東岸の、熱海や伊東では、使いません。
私の母が、小学生の頃、遠足で熱海に行って、急坂を駆け下りた時、「おっかにゃ~!」と叫んだら、地元のおじさんに、「おまえは、沼津の人間だな」と見抜かれたという、逸話があります。 沼津とは限らないと思いますが、まあ、細かい事はいいか。
≪音声学講義≫は、今回で終わりです。 後ろの、今年に入ってから書いた二つの記事は、音声学とは関係ありませんが、言語学関係だから、オマケ。
私が、四六時中、こんな事ばかり考えていたのは、ひきこもっていた時期の後半、1985~1986年頃の事です。 当時は、インターネットはなくて、引きこもり中の事とて、本も思うように買えませんでしたが、興味が先行していたので、知った事は、どんどん頭に入るし、多くの事を思いつきました。
こういう記事を読んで、言語学に興味が湧いて、「大学で、言語学を習おう」などと夢想している中高生諸君に、忠告。 日本では、言語学では、全く食っていけませんから、仕事にしようとせず、趣味に留めておいた方が無難です。 言語学科がある大学でも、卒業生の就職先には、困っているはず。 それとも、文系撲滅の流れで、もう、そんな学科は消滅したかな?
言語学者が、どんな仕事をしてるかなんて、想像がつかんでしょう? 外国だと、滅亡に瀕している言語の記録採りなどをやっているらしいですが、日本人は、母語の音素が少ないせいで、異言語の聞き取り調査ができないから、使いものにならないんですよ。 残念ですが、致し方ない。
趣味で、言語学をやっている人は、結構いますが、ネット上で、仲間を見つけて、話をしようとすると、興味の対象にズレがあって、うまく、噛み合いません。 これは、言語学に限らず、学問全般に言える事ですが、自分が発見した事を、不用意に他人に教えたら、パクられたという、不愉快な事も起こり得ます。 経験あり。 まったく、ろくでなしの糞屑下司野郎の多い事よ。
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