2023/02/05

読書感想文・蔵出し (95)

  読書感想文です。 在庫が減らんなあ。 2週間に2冊のペースで読んでいるから、月1回、4作ずつの紹介では、永久に減らないわけだ。 ≪音声学講義≫シリーズが終わったら、読感シリーズを、月に2回にするしかないか。 読感に興味がない人には、申し訳ないですが。





≪象は忘れない≫

クリスティー文庫 32
早川書房 2003年12月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村能三 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【象は忘れない】は、コピー・ライトが、1972年になっています。 約344ページ。 ポワロ物の最終作、【カーテン】は、先に書かれていたものなので、この【象は忘れない】が、実際に、最後に書かれたポワロ物の長編という事になります。


  文学者のパーティーに出たオリバー夫人が、ある女性から、オリバー夫人の名付け子と、自分の息子が結婚しようとしているが、名付け子の両親が死んだ原因は何なのかを尋ねられる。 オリバー夫人は、ポワロに相談し、12年前に起こった、名付け子の両親の変死事件を調べる為に、当時の事を知っている人々に、手分けして、聞き取りをして回る話。

  【象は忘れない】という言葉は、タイトルだけでなく、作中にも繰り返し出て来ますが、「象が、自分にひどい事をした男の事を覚えていて、後々、仕返しをした」というインドの昔話からとったものです。 多くの登場人物が口にするところをみると、イギリスでは、割とよく知られた話なのかもしれません。 「人は、象のように、昔の事でも、なかなか忘れないものだ」という意味。 それを頼りに、聞き取りをするわけです。

  クリスティー作品には珍しく、フー・ダニットではないです。 昔の事件を調べ直すという点では、【五匹の子豚】に近いですが、こちらでは、犯人を捜すというより、真相を明らかにするというのが、主な目的。 もちろん、犯人はいますが、すでに裁かれています。 真相が明らかになった事で、若い二人の結婚の障碍になっていたものが取り除かれるという趣向。

  トリックあり、謎あり。 分類するなら、なりすまし物でして、正直、「またか・・・」という感じ。 さしものクリスティーさんも、晩年になると、アイデアの焼き直しが増えて来ます。 全く同じにならないように、工夫はされていますが、読者の方は、寂しい感じが拭えませんなあ。

  もっとも、最高品質の作品を、何十作も書いて来たのですから、この程度のダブりは、もちろん、許します。 一も二もなく、許します。 クリスティーさんの功績は、この程度の事では、揺るぎもしません。

  作品の発表年だけでなく、話の設定も、1972年でして、私はもう、小学生でしたが、そんな頃まで、ポワロが生きていたというのは、意外や意外。 解説に、そういった事が書いてあって、気付いたのですが、確かに、驚きの事実ですな。 ちなみに、クリスティーさんが亡くなったのは、1976年です。




≪ブラック・コーヒー〔小説版〕≫

クリスティー文庫 34
早川書房 2004年9月15日/初版 2017年4月15日/7刷
アガサ・クリスティー 著
中村妙子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【ブラック・コーヒー〔小説版〕】は、コピー・ライトが、1997年になっていますが、それは、チャールズ・オズボーンという人の手で、小説化された時の事で、元になったクリスティーさんの戯曲は、1930年の発表です。 約261ページ。


  新型爆弾を開発した科学者から、化学式を書いた書類を運んで欲しいと頼まれたポワロ。 科学者の屋敷に出かけて行くと、一族が集まった席で、停電が起こり、その間に、科学者本人が毒殺された直後だった。 科学者の息子の妻が不審な行動をとり、その知人であるイタリア人の男も、大いに怪しまれるが、ポワロは、すぐに、事の真相を見抜く。 読書室を舞台に、聞き取り、捜査、犯人指名、謎解きが繰り広げられる話。

  元が、戯曲なので、主な舞台は、科学者の屋敷の読書室だけです。 話がある人間だけが、他の部屋なり、庭なりに出て行けばいいのに、わざわざ、他の人間を追い出す場面がありますが、それも、舞台装置が一つしかないのが原因です。 小説化はされているものの、戯曲の趣きを、極力残そうとしているのは、良心的と言うべきか、小説としての完成度が低いと言うべきか。 しかし、そもそも、それほど、細部に目くじらを立てるような話ではありません。

  フー・ダニットは、フー・ダニットですが、人数が少ないせいで、フー・ダニットらしさは、あまり、ないです。 犯人ではない人物が、二人決まっていて、それ以外は、誰が犯人でも、大差ないような構成。 犯人でない二人は、互いを庇い合っているのですが、≪大岡越前≫的なお涙頂戴に、片足突っ込んでいる観あり。 クリスティーさんでも、こういうネタを使うんですなあ。

  専ら、聞き取りで推理をする探偵、ポワロにしては珍しく、現場で証拠を見つけます。 舞台で見せる話だから、視覚的な見せ場を盛り込んだのだと思います。 ちなみに、舞台劇も、映画も、ドラマも同じですが、小説と決定的に異なるのは、視覚的な見せ場の有無でして、面白い推理小説を映像化しても、あまり面白くならないのは、視覚的見せ場が少ないからです。 横溝作品が、映像化された時に、印象的な作品になったのは、小説の段階で、殺害場面の視覚効果を最大にしていたお陰。

  話を、【ブラック・コーヒー】に戻しますが、何と言っても、舞台劇用に書かれた話であるというのがネックで、人物の動きに不自然さがあり、小説としては、ぎこちない感じがします。 他の長編より短いから、読み易いですが、それは、熱心な読者にとっては、却って、マイナス点でしょう。

  ちなみに、科学者が開発した新型爆弾ですが、当然、核爆弾の事を連想すると思いますが、発表が1930年となると、まだ、核分裂理論すら出て来ておらず、これは、核爆弾の事ではないようです。




≪カーテン≫

クリスティー文庫 33
早川書房 2011年10月15日/初版 2014年11月25日/3刷
アガサ・クリスティー 著
田口俊樹 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【カーテン】は、コピー・ライトが、1975年になっています。 約363ページ。 ポワロが登場する最後の事件ですが、これを先に書いておいて、クリスティーさんは、その後も、ポアロ物長編を書き続けたから、最終作というわけではありません。

  1975年は、発表した年で、書かれたのは、1940年だとの事。 随分、長い事、しまっておいたものですな。 ちなみに、この作品を発表して、まもなく、クリスティーさんは他界しています。


    ヘイスティングスは、健康を害して、終末の日々を送っているポワロに招かれ、ポワロがイギリスに来て最初に事件を解決した「スタイルズ荘」へ赴く。 荘は、安宿になっていて、ポワロが言うには、過去に、複数の殺人事件を引き起こした犯人が、この宿にいて、次の獲物を狙っているとの事。 ヘイスティングスは、車椅子生活になっているポワロの代わりに、宿泊者達を観察して回るが、誰が犯人なのか、見当がつかない内に、殺人が起こり・・・、という話。

  ヘイスティングスの一人称で書かれている作品。 ヘイスティングスの末娘が登場し、評判の悪い男と恋仲になっている様子を見せて、父親をやきもきさせます。 しかし、この設定、ファースとして入れられているわけではなく、犯人が、他人を誘導して、殺人行為に走らせる例として、使われています。 ヘイスティングスと末娘は、お世辞にも仲がいいとは言えず、二人の会話は、むしろ、読んでいて、気分が悪くなるような、刺々しいものです。

  犯人が、自分で手を下すのではなく、他人が抱いている殺意を増幅し、殺人行為に駆り立てるという手口を使っているのは、面白いアイデアです。 ただ、実際に、こういう事をやるのは、難しいと思います。 催眠術で殺人をさせるのと、同じくらい難しいのでは? 読者にそう思わせてしまうというのは、アイデア倒れの証拠ですな。

  そういう話なので、犯人が分かってから、もう一度、最初から読み直すと、犯人が他の人間を巧みに誘導しているのが、はっきり分かって、面白いです。  クリスティーさんの作品には、伏線が必ず張ってあるので、二度読むと面白いものが多いです。 しかし、本を借りた私はもちろんですが、買った人でも、続けて、二度読むのは、面倒臭いと思うでしょうねえ。 時間が経ってから、二度目を読んでも、駄目なんですよ。 話の中身を忘れてしまうから。


  以下、ネタバレ、あり。

  「ここで、幕」という、芝居用語からもって来たタイトルを見ても分かるように、ポワロは、この作品の中で、死にます。 殺されるわけではなく、心臓を悪くしての、病死。 車椅子生活になっているというのが、目晦ましで、実は歩ける、というのは、ポワロが仕掛けたトリックなのですが、2時間サスペンスや刑事ドラマで、非常によくあるパターンなので、今となっては、新味を感じるのは、無理と言うもの。

  もう一つ、ポワロは、他の作品では、絶対にしなかった、とんでもない事をやってのけるのですが、それについては、ネタバレさせる事ができません。 それこそが、クリスティーさんが、この作品に用意した最大のアイデアなのですが、それは、ご自分で読んで、「あっ!」と驚いてください。


  総合的に見て、つまらない話ではないです。 【象は忘れない】など、末期の他の長編よりも、ポワロ物らしい趣きがあります。 ヘイスティングスの一人称のお陰ばかりでなく、アイデアの突飛さが、全盛期のそれを思い起こさせるのです。




≪牧師館の殺人≫

クリスティー文庫 35
早川書房 2011年7月15日/初版 2014年11月25日/3刷
アガサ・クリスティー 著
羽田詩津子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【牧師館の殺人】は、コピー・ライトが、1930年になっています。 約424ページ。 クリスティー文庫は、この35巻から、ミス・マープル物の長編になります。 発表年は、ぐっと遡って、黄金の戦間期へ。


  イギリスの典型的な田舎の村、セント・メアリ・ミードの、牧師が住む家で、土地の名士が、後頭部を拳銃で撃ち抜かれて、殺される。 名士の妻の不倫相手と噂されていた、美形の画家が自白するが、それを追って、名士の妻も自白したせいで、庇い合っていると判断され、二人の容疑は晴れた。 村の外には出た事がない代わり、村の中の事なら、全てを知っている高齢女性、ミス・マープルは、「七人の容疑者が考えられる」と言い、警察関係者や牧師を驚かせる話。

  ミス・マープル物は、長編では、これが第一作。 短編は、この2年前から、書かれていたそうです。 「揺り椅子探偵」の代表みたいに思われていますが、 この作品を読んだ限りでは、そんな事は全くなくて、自宅から近い所なら、自分の足で出かけて行きます。 ただし、ホームズ的に、床に這い蹲って証拠集めをするような事はなく、ポワロ的に、容疑者から聞き取りもせず、他の人間が集めた情報を元に推理する点は、「揺り椅子探偵」っぽいと言えないでもなし。

  「七人の容疑者が考えられる」と言わせるくらいですから、フー・ダニット物です。 計画殺人に決まっていますから、衝動的に、引き金を引くような、粗暴な人物は、最初から、犯人ではないと決まっています。 見るからに怪しい人物もいますが、「殺人犯ではなかったが、他の犯罪をやっていた」というパターンが使われていて、なかなか、真犯人を推理するのは難しいです。

  犯罪は、殺人の他に、窃盗、横領が出て来ます。 殺人以外の犯人も、怪しい行動をとるから、読者は、目晦ましを食らわされてしまうわけだ。 推理しながら読んで、「誰が、何の犯人」と、見分けて言い当てる事ができたら、大したもの。 しかし、ここまで複雑だと、そんな芸当は、誰にもできないでしょう。

  牧師の一人称で書かれていて、犯人として最も疑わしそうなのは、牧師本人なのですが、それでは、アン・フェアと謗られた、ある作品(1926年)と同じになってしまうから、ありえません。 1926年より後のクリスティー作品を読む時に、「一人称の書き手が犯人」は、絶対ないので、最初から除外できます。

  この作品の肝は、ドンデン返しの仕掛けを、始まって間もない所に持って来ている事ですかね。 仕掛けが早いので、読者は、すっかり忘れた頃に、くるっと引っ繰り返されて、「ああっ! そうだったのか!」と、意表を衝かれます。 「よく考えてある」と評したら、おこがましいか。 クリスティーさんが、物語のパターンを知り尽くしていた事が、よく分かって、つくづく、感服仕ります。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、2022年の、

≪象は忘れない≫が、8月11日から、13日。
≪ブラック・コーヒー〔小説版〕≫が、8月15日から、18日。
≪カーテン≫が、8月24日から、28日まで。
≪牧師館の殺人≫が、8月31日から、9月4日まで。


   今回紹介分で、クリスティー文庫も、ポワロ物から、マープル物に切り替わりました。 ポワロ物は、短編もたくさんあるようなのですが、そちらは、後回しにします。 先に、マープル物や、ノン・シリーズの長編を片付けてしまわなければ。 ちなみに、今現在、マープル物の長編は、もう読み終えて、ノン・シリーズに入っています。

  短編集を後回しにしたのは、感想を書くのが大変になるからです。 1冊に、10作入っていたら、10回も感想を書かねばなりません。 読むだけなら、短編集の方が、読み易いんですがね。