2022/12/18

実話風小説⑪ 【支配者】

  「実話風小説」の11作目です。 普通の小説との違いは、情景描写や心理描写を最小限にして、文字通り、新聞や雑誌の記事のような、実話風の文体で書いてあるという事です。 今回、長くなり過ぎました。 反省頻り。 まだ書き続けるなら、短くする努力をしなれければなりますまい。




【支配者】

  A夫人には、3人の息子と、娘が1人いた。 すでに、全員、成人して、仕事に就いている。 夫は、A夫人が、55歳の時に、60歳で病死しており、その後、A婦人は、友人の紹介で、小さな会社の事務員の職を得て、60歳まで働いた。 高齢になってからの中途採用であったにも拘らず、若い頃、キャリア・ウーマンだった有能さを発揮し、事務所内では、最も仕事ができる存在となっていたらしい。

  夫が他界して間もなく、長男が結婚する事になった。 喪が明けてから、式を挙げる事が決まり、家に同居していた、次男・三男・娘の3人は、長男の妻が嫁いで来る前に、家を出た。 すんなり、事が運んだわけではなく、三男は、家を出るのを渋った。

「今時、嫁入りして、姑と同居もないだろう。 兄貴夫婦が、家を出た方がいいんじゃないか?」

  A夫人は、三男を睨みつけて言った。

「家を守るのに、昔も今時もない。 お前は、この家を狙ってるんだろう。 あさましい真似はよしな」

  三男は、弁明もせずに、受け流した。

「いや。 母さんは、そう言うと思ったよ。 俺は、一応、反対しておいただけだ。 あさましい奴呼ばわりされたついでに、もう一つ言っておくと、もし、母さんと兄貴夫婦の仲がうまく行かなくなったら、俺が家に戻るのは、一向に構わないから、頭の隅に入れておいてくれ」
「ほんとに、あさましい! 恥を知りな!」

  後から思うと、三男は、最も先が見通せていたわけだが、それは、彼だけが、母親の性格を見抜いていたからだった。 その件については、後に述べる。 三男は、家を出て、会社の独身寮に入った。

  次男は、交際している女性がいて、家を出る事については、否やはなかった。 アパートを借りた方が、何かと都合がいいからである。 実際、アパート住まいになってから、相手の女性と同棲状態になるのに、3ヵ月もかからなかった。 長男の結婚式が行なわれて、ひと月後には、次男も結婚式を挙げた。

  家から通える会社に勤めていた娘は、家を出る事になったのを良い潮に、都会にある本社へ異動願いを出した。 母親譲りの優秀さを認められて、受理され、都会へ引っ越して行った。 先回りして語ってしまうと、都会特有の爛れた生活に浸った結果、すぐに彼氏が出来て結婚し、夫の親の支援で、郊外に家を買って、そこで生活し始めた。 子供も出来たが、会社は辞めず、産休明けの後は、ベビー・シッターや保育所を利用して、仕事を続けた。


  さて、A家では、A夫人、長男、長男の妻、三人の生活が始まった。 始めの内は、互いに遠慮し合っていたので、大きな悶着は起こらなかったが、半年くらい経って、慣れが出て来ると、つまらない事で、衝突が起こるようになった。 わざわざ、具体例を並べるまでもなく、嫁・姑が同居している家では、当然のように起こる事である。 この問題について、例外は、一切ない。

  嫁と姑の衝突を解決しようとする場合、息子が仲裁に入る形になるが、この長男は、その時になって初めて、自分の母親が、自分の言う事など聞く耳もたない人間である事に気づいた。 それまでは、何をやらせても卒なくこなす、頭が良くて、働き者の母親だとばかり思っていたのだが、妻の意見や主張に対して、妥協を一切しない様子に、驚いてしまった。 中を取るなどという事はせず、ゼロ・サムでもなく、全て、自分の意見を通すのである。

  嫁・姑の争いが起こると、長男は、母親よりも、妻を説き伏せて、折れさせる事が、圧倒的に多くなった。 明白に、母親の方が、悪い・間違っていると分かっているケースでも、妻の方に頼み込んで、謝らせた。 部分的にではなく、衝突の原因になった問題について、全て取り消させて、母親の意見を通した。 そうしなければ、母親が納得しなかったからだ。

  4年が経過した。 A夫人は定年退職し、家にずっといるようになった。 長男の妻は、その状態になるのを心中密かに待ち望んでいた。 それまで、姑と交替制でやっていた食事の用意を、全て姑に任せられるようになると思ったからだ。 4年も一緒に住めば、義母の性格は、よく分かる。 案の定、姑は、食事の用意を、全て自分でやるようになった。 というより、嫁にやらせないようになった。 嫁が買った調理器具は、みな、茶箪笥の上に片付けてしまった。

  長男の妻にとって、計算違いだったのは、姑の料理が、姑や夫の好みに偏っており、自分の好きな物が、食べられなくなってしまった事である。 姑は、朝、早々と起き出して、長男とその妻、二人分の弁当まで作った。 長男の妻は、好きな物を、ますます、食べられなくなった。 勤めに出ているのだから、外でこっそり食べればいいと思うだろうが、弁当をもたされているのに、それを食べないわけにも行かないではないか。 弁当を捨てられるほど、長男の妻は、常識がないわけではなかった。

  姑にとって、計算違いだったのは、長男夫婦に、なかなか子供が出来なかった事だ。 すぐにでも、孫が出来て、そっちの世話で大変になるだろうから、勤めはやめなければならないと覚悟していたのに、結局、定年を迎えるまで、そんな事にはならなかった。 長男に問い質してみると、作る気がないわけではないが、出来ないのだとの返事。 不妊治療を始めるか、検討中と言われた。

  一方、次男夫婦には、すぐに、子供が出来て、A夫人が定年退職した時には、もう、二人の子がいた。 孫が出来ると、頻繁に遊びに来るようになった。 そういう事をされると、長男の妻は、居心地が悪い。 次第に、姑との衝突が増えて行った。

  休みの日に、次男夫婦が遊びに来ると、A夫人と長男の妻が、二人で台所に立つ事になるが、メニューの決定も、調理も、盛り付けも、全て、A夫人の指示で行なわれた。 長男の妻は、指示通りに動く作業員に過ぎなかった。 ちなみに、次男の妻は、台所にいる事さえ許されず、配膳だけ受け持った。 洗い物も同様。 A夫人は、台所が、自分の望む通りの状態になっていなければ、気が済まない人間だったのだ。

  長男の妻は、姑と交替制で、食事の用意をしていた頃に、自分が、姑から、どれだけ憎まれていたかと、今更ながらに想像して、背筋が寒くなった。 A夫人にしてみれば、食事の用意に関する支配権を、半分、長男の妻に預けていた間、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、大いに我慢していたわけだ。 

  食事の用意は、労働であり、作業である。 楽しいという人もいるだろうが、面倒臭い、疲れる、苦しい、辛いという面もある。 そんなものは、人がやってくれるというのなら、それに越した事はない。 楽な方がいいではないか、と思うかもしれないが、必ずしも、そうではないのであって、家族の食事の用意は、一家の支配権の象徴なのである。 「自分のお陰で、他の家族は、物が食べられ、生きていられるのだ」と思える事が、支配者にとっては、何よりも価値がある事なのだ。

  A夫人は、菓子の類でも、支配に拘った。 生菓子は、自分が買って来たものなら、ニコニコして食べたが、長男の妻が買って来たり、次男夫婦が土産に持って来たものは、食卓に出そうとしなかった。 放っておくと、腐るまで、冷蔵庫に入れっ放しで、結局、捨てられてしまうので、長男の妻は、こっそり、自室に持って行って、夫と二人で食べて、処理していた。

  袋菓子を買う事もあったが、この家では、袋の口を開けて、手を突っ込んで食べるという事はできなかった。 A夫人は、袋を開封すると、皿に小分けし、一人一人に決まった量を食べさせた。 一見、平等で良いように見えるが、袋菓子すら気軽に食べられないというのは、息が詰まる事である。

  袋ラーメンや、カップ麺も、A夫人の引退後、食べられなくなった。 A夫人は、食事を作る意欲があり余っており、引退後の閑に明かせて、必要量以上の分量を作る。 今は3人家族なのに、かつて、夫と自分と4人の子供、6人家族だった頃と同じ分量を作るのだ。 夕飯では食べ切れず、翌朝や翌昼まで、食べる物は、ぎっちり、後が支えている。 インスタント・ラーメンが入り込む余地など、ないのだ。


  A夫人の支配権は、食事の用意だけに留まらなかった。 掃除は、もちろん、家中、やる。 長男夫婦の部屋も、いいというのに、「汚くしていると、黴が湧くから」と言って、勝手にやる。 長男やその妻の机の上まで、片付ける。 人の意向など無視して、自分流に整理し直してしまう。 文句を言うと、

「人に弄られたくなかったら、自分で片付けな。 散らかってるのを、お客さんに見られたら、恥を掻くのは、私なんだから」

  と答えた。 それでいて、自分の部屋は、とても片付いているとは言い難いのだが、長男やその妻が入る事すら許さなかった。 A夫人は、物を片付けたいのではなく、家族を支配したいのだ。 王様や、ワンマン社長が、自分の事は棚に上げて、家臣や部下に駄目出しばかりするのと、同じである。

  庭は、完全に、A夫人の独占領域で、長男やその妻が持ち込むものは、一切、受け付けなかった。 小さなポット植えの苗ですら、一日二日、庭の隅に置いておいただけで、捨てられてしまった。 文句を言うと、

「どこに何を植えるかは、お父さんの代から決まっている事だから、新しい物は植えられない」

  と答えたが、それでいて、自分が買って来た苗や種は、好き勝手な所に、植えたり播いたりして、花が咲いたと自慢するのは、忘れなかった。 とにかく、自分以外の人間が、庭に関わるのを嫌っていたのだ。


  支配者の圧力に耐えて来た長男の妻が、いよいよ切れてしまった直接の原因は、玄関の靴であった。 A夫人は、長男やその妻の靴が、玄関に出しっ放しにしてあると、綺麗に揃えてあっても、そのままにはしておかず、必ず、靴箱にしまった。 長男とその妻は、勤め人であり、帰宅して脱いでも、朝にはまた、履くわけだから、靴をいちいち、靴箱にしまうのは、効率が悪い。 ところが、A夫人が、しまってしまうのだ。

  それでいて、A夫人が普段履きにしている靴は、靴箱にはしまわず、常に出してあった。

「私は、一番よく出入りするから、出しておいた方がいいの」

  そんな事はない。 A夫人が靴を履くのは、買い物に出る時が主だが、毎日行くわけではなく、履かない日もある。 長男と嫁の方が、靴を履く頻度は高いのである。 しかし、A夫人に、そんな事を言っても、無駄なのだ。

  ある日曜日、長男の妻が、町内会の仕事で、家に出入りを繰り返さなければならない事があった。 町内会の付き合いは、A夫人がしていたのだが、何件も回らなければならない用事があって、A夫人が、足腰がきついというので、長男の妻が代わる事になったのだ。 ところが、長男の妻が家に戻って、また出かけようとすると、靴が靴箱に片付けられている。 やったのは、姑以外に考えられない。 まだ何回も出入りしなければならないのに、こんな事を繰り返されてはたまらないと思い、姑を呼んで、今日は靴箱に片付けるのはやめてくれと頼んだ。

  姑が、怒ったのなんのって  

「あなたが片付けないから、私が片付けてやったんじゃないの! お礼を言うどころか、文句を言うの?」

  だが、この日は、長男の妻も負けていなかった。 いよいよ、切れた。

「何言ってるんですか! あんたが足腰立たないっていうから、私が代わりに町内会の仕事をやってやってるんでしょうが! それを、邪魔して、どうするんですか! 一体、どういうつもりですか!」

  長男が、すっ飛んで来た。

「おいおい! 母さんに向かって、なんだ、その口の利き方は!」

  妻が、夫に目を剥いた。

「また、母親の味方か! いい加減にしろ! この人の異常さが分からないのか!」

  町内に配る物を、靴箱の上に叩きつけ、自分の部屋に行ったかと思うと、30分くらいかかって荷造りし、家を出て行ってしまった。 実家に帰ったのである。

  三日間、音沙汰がなく、長男の方から、妻の実家へ電話をかけた。

「何も言わないから、戻って来い。 母さんも、お前が謝れば、許すって言っているから」

  電話の向こうで、妻が爆笑した。

「わはははは! 許すぅ? 一体、何様だ! 笑わせるな!」
「なんだと!」
「離婚届けを送るから、書き込んで、返送しろ!」

  日頃、こういう口の利き方をする人ではなかったのだが、夫への信用がゼロになっていたのだろう。 もちろん、これだけで、すんなり離婚したわけではない。 揉めた。 揉めに揉めた挙句、結局、離婚になった。 元長男の妻は、それから、半年ほど経った頃に、友人に漏らしている。

「とっくに、別れれば良かった。 あの姑の顔を見なくて済むようになって、ほんっとに、清々した」

  周囲の人間にとって分かり難かったのは、家事全般を、A夫人が引き受けていて、長男の嫁は、奴隷や下女的に扱き使われていたわけではなかった事である。 扱き使われてはいなかったが、がっちり、支配されていた。 家の中に於いて、A夫人の意向に沿わない事は、何一つできなかったのだ。

  長男は、子供の頃から、その状態に慣れていたが、妻は、そうではなかった。 支配される事に、窒息感を覚えていたのだ。 自分の事を自分で決める権利、それは、人間の尊厳に関わる事なのだが、A夫人は、その権利を、長男の妻から取り上げていたのである。 同居していたのは、8年間だったが、よく耐えたものだ。

  長男の元妻は、離婚後3年目に、再婚した。 交際していた男性との間に、子供が出来て、出産前に、結婚したのである。 その後、子供は無事に生まれた。 その報せは、風の便りに、A家にも伝わった。 A夫人も、長男も、何も言わなかったが、子供が出来ない原因が、長男側にあった事が、はっきり分かってしまった事で、家の中に陰鬱な空気が漂った。

  A夫人は、長男に、すぐに再婚するように迫った。 「そんなに簡単には行かない」との答えを聞き、A婦人は、長男に見切りをつけた。 次男夫婦を家に入れるから、長男には出て行くように言い渡した。

  長男は、掌を返したように冷たくなった母に、驚き、戸惑い、憤り、抗議した。

「俺を追い出して、後々、都合が悪くなって、戻って来いって言ったって、戻らないぞ!」

  のほほんとした性格の長男が、こういう、きつい言い方をするのは、初めてだった。 だが、A夫人は、考えを変える気はなかった。 すぐに出て行くように言い渡した。 そういう親がいるのかと思うかもしれないが、子供が多い家では、子供一人一人の価値は低くなる。 別に、血も涙もない処置というわけではない。 A夫人は、当主たる者の、当然の責務と考えて、家の存続を優先したのだ。


  次男夫婦は、まだ、アパート住まいである上に、収入も少なかった事から、夫の実家に入れると聞いて、単純に喜んだ。 長男は、賃貸マンションに引っ越し、代わりに、次男夫婦が、子供二人を連れて、A家に入った。 家の中は、俄かに、賑やかになった。

  次男の妻は、抜け目のない性格を自認していて、「いい子ぶり」や、「八方美人」を得意技にしていた。 せっかく転げ込んだ、財産相続の好機を逃すまいと、姑に取り入る努力をした。 甲斐甲斐しく姑に仕えて、自分が長男の元妻より、ずっといい嫁である事を、積極的にアピールした。 その甲斐あって、初めの内は、うまく行っていた。 A夫人の満足そうな顔を見て、次男も、その妻も、ほくそ笑んでいた。

  ところが、思わぬところから、綻びが出て来た。 A夫人は、4人の子供を育てただけあって、小さい子供の扱いには慣れていた。 A夫人は、次男の妻に言った。

「私が子供の面倒を見るから、あなたは、働きに出たら、どう?」

  キャリア・ウーマンだったA夫人は、若いのに家にいて、テレビばかり見ている次男の妻の事を、苦々しく思っていたのだ。 しかし、次男の妻は、専業主婦の母親を見て育った女で、働いた事が一度もなく、働く気もなかった。 アパート住まいの時は、夫の収入だけでも、倹約すれば、何とかなっていた。 むしろ、自分のやりくり上手を、専業主婦として、誇りに思っていたくらいだ。

  その内、諦めるだろうと思って、姑の言葉を適当に受け流していたが、昼間、居間で、姑と一緒にテレビを見ようとすると、決まって、呆れたような目つきで見られるようになり、急激に居心地が悪くなった。 A夫人にしてみれば、家の中に、自分と同じような立場の者がいるのが、邪魔だったのだろう。 次男の妻が、家の財産を食い潰していると思っていたのかも知れない。

  その内、A夫人が、昔の勤め先に出かけて行って、次男の妻のパート就職を決めて来てしまった。 本人の了解を得ずにである。 次男の妻が、次男に不平を言うと、

「勝手に決めちゃったのは、母さんが悪いと思うけど、ものは考えようで、ちょっと働いてみるのも、いいんじゃないの? 嫌な仕事なら、いつ、やめちゃってもいいんだから」

  次男の妻は、追い立てられるように、パート勤めに出たが、すでに、30歳を過ぎており、これから、職業習慣を身につけるには、遅過ぎる年齢だった。 普通高校の後、女子大の文系学部を出ただけで、数字を扱う事務仕事は全くできなかったし、スポーツをやっていたわけでもないから、力仕事も駄目。 頭が悪いわけではないが、機転が利かず、なかなか、人並みの仕事量をこなせなかった。 そもそも、本人に働きたいという強い意志がなく、押し付けられた仕事である点が、一番、足を引っ張っていた。

  専業主婦の仕事でも、もちろん、能力は要る。 しかし、時間にゆとりがあるし、繰り返し作業がほとんどだし、ノルマのようなものもない。 何より、上司の監視がない。 外で働くのとは、次元が違うのだ。 次男の妻には、居場所がなくなってしまった。 外で働いていても、嫌な思いをするだけだし、家にいても、家事一切は、姑がやってしまって、自分には、出番がないのである。

  その上、A夫人の性格から来る、悪い影響が、子供達に出始めた。 上の子が、下の子に、やたらときつく当たるようになったのだ。 アパート住まいの頃は、仲が良かったのに、今や、主従関係である。 下の子が言う事を聞かないと、怒鳴りつける場面も見られた。 そのたびに、次男の妻は、上の子を叱っていたが、自分の叱り方にしてからが、姑そっくり。 全く同じ言葉を使っている事に気づき、愕然とした。

  次男の妻は、自分が、結構あざとい性格だと思っていただけに、甘く見ていたA夫人が、ゾッとするような悪い性格をもっている事に気づくと、未経験の恐怖に、畏れ戦いた。 A夫人の影響が、子供にまで及ぶのは避けたいと思ったが、同居している以上、どうにもできなかった。

  次男も、それが分かっていた。 結婚前に、実家に住んでいた頃には、気づかなかったのが、母親が、妻に対して取る態度を見ている内に、「なるほど、これでは、義姉さんが、我慢できなかったわけだ」と、納得した。 嫁に、何かをやらせ過ぎるのではなく、何もやらせないのである。

  他人から見ると、嫁を労わっているように見えるかもしれないが、その実、労わるどころか、全く信用していない、仕事を任せられる人間だと見做していないから、全部、自分でやってしまうのだ。 同じ人間だと思っていないのかも知れない。 自分に他の用事があって、どうしても、嫁に任せなければならない場面では、やり方について、事前に、くどくどと念を押し、事後には、厳しく監査して、必ず、何かをやり直した。 そうしなければ、気が済まないのだった。

  ある時、A夫人は、庭で飛び石に躓いて転び、足首と手首を捻挫した。 元々、膝が悪かった事もあり、トイレに行くのがやっとという不自由な体になった。 そうなった途端、ようやく、パート仕事に慣れて来た次男の妻に、仕事を辞めるように命じた。 次男の妻が、眉間に皺を寄せていると、こう言った。

「だって、家の方が大事でしょ。 私の怪我は、その内、治ると思うけど、もう歳が歳だし、いい機会だから、今後は、あなたが、家事をやってちょうだい」

  従わざるを得なかった。 勤め先の上司からは、惜しまれた。

「せっかく慣れたのに、もったいないなあ。 でもAさんが、そう言うんじゃ、しょうがないね。 あの人、変わらないな」

  どうやら、A夫人は、現役時代、勤め先でも、支配欲を発揮していたようだった。

  A夫人は、約一ヵ月、ほぼ寝たきりで過ごし、その後、床上げしたが、予告していた通り、家事からは引退した。 ところが、次男の妻に、家事の決定権を譲ったわけではなかった。 調理器具や食器の配置は、一ヵ所たりとも、変える事を許されなかった。 冷蔵庫内の、食材の配置も、変える事を許されなかった。

  A夫人は、それがそこになければならない理由を説明したが、極めて、主観的な理由であり、他人から見ると、屁理屈としか思えなかった。 A夫人は、説明責任を果たす事で、次男の妻に気を使っているつもりだったらしい。 しかし、説明さえすれば、何でも通るという発想自体が、自分勝手である。

  掃除も、次男の妻がやった後、A夫人が確認し、気に入らない所があると、自分では、もうできないので、次男の妻を呼んで、やり直させた。 きつく叱るのではなく、やんわり言うから、一見、穏やかなお願いのようだが、その実、逆らう事を許さない、命令以外の何ものでもなかった。 異様な光景が、毎日、繰り返された。 それが、日課になってしまった事が、輪をかけて異様だった。

  次男は、妻から、母親の行状について、逐一、報告を受けた。 口で言うと、夫婦間で喧嘩になってしまうので、ノートを用意し、その日、家で何があったかを、妻に書かせ、それを、毎晩、読むようにした。 ノートの内容は、次第に、深刻度を増しているように思えた。

  いずれ、母は、要介護になるだろう。 そうなったら、支配権を手放すだろうか? とても、そうはならないように思えて、暗い気分になった。 寝たきりの母が、自分や妻に、駄目を出しまくる様子が目に浮かぶようだった。

  次男は、予め電話で、「相談したい事がある」と了解を取った上で、賃貸マンション住まいの長男を訪ねた。

「いやあ。 困ってるよ。 母さんが、ああいう性格だとは、気づかなかった」
「俺も、結婚するまでは、分からなかったよ。 つまり、家に住んでいるのが、自分の子供だけなら、割と普通の母親なんだろうな。 嫁のような、他人が入り込むと、何か、防衛反応のようなものが働いて、支配欲が燃え上がるのかも知れない」
「俺の女房も、家を出たがっているんだけど、どうしたもんかね?」
「好きにすればいいんじゃないか。 どうせ、その内、大喧嘩になって、出て行く事になると思うから、そうなる前に、穏便に逃げ出すのが利口かも知れんな」
「結局、家を出てしまう以外、解決法がないのかね?」
「夫婦仲が悪くないなら、そうした方が得だろう。 俺ら夫婦みたいに、離婚する必要はないんだから。 お前らは、子供もいる事だし」
「母さんの世話はどうする?」
「俺は、もう戻らないよ。 母さんに追い出されちゃったんだから」
「・・・・・」
「そう、情けない顔をするなよ。 お前に、母さんの面倒を見ろとは言わないから、家を出たければ、出ちまえよ。 だけど、俺が勧めたなんて、母さんに言うなよ」
「うん・・・」

  長男は、妹の話を出した。

「あいつが、実家に戻って来れば、いいんだけどな」
「いや、駄目なんだ。 前に、電話で訊いてみた事がある。 あっさり、断られたよ。 自分がそうしたくても、旦那が許さないって言ってた」

  家の継続を考えるなら、娘夫婦にも、子供がいたから、娘夫婦が、A夫人と同居するのが、最も望ましかっただろう。 実の娘なら、母親とは阿吽の呼吸があり、母親の支配欲を受け流す事ができるからだ。 しかし、娘の夫は、遠くで勤めており、すでに、自分の家も建てているから、妻の実家に住む事は、現実的ではなかった。 娘の夫にしてみれば、婿養子に入ったわけではないのだから、そんな義理はないのだ。

  A夫人が衰えて、いよいよ、要介護状態になれば、引き取りは考えないでもないが、自分達の方が妻の実家に移り住むという選択肢はなかった。 そもそも、妻には、男の兄弟が3人もいるのに、なぜ、義理の息子に過ぎない自分が、A夫人を押し付けられなければならないのか、それさえも、理不尽だと思っていたのだ。

  長男は、三男の話を出した。

「あいつは、どうかな? まだ、独身だから、『うちに戻れば、食事の世話は、母さんがしてくれるぞ』って言えば、案外、ホイホイ、帰って来るんじゃないのか?」
「だって、母さんは、もう、要介護寸前なんだぜ」
「いや、末っ子の息子と二人暮らしになれば、食事の用意くらい、するよ。 元々、そっちの執着は強いから」


  さて、三男だが、未だに独身で、会社の独身寮で、独り暮らしを満喫していた。 次男が会いに行き、事情を話すと、ゲラゲラ笑って言った。

「いいよ。 戻っても。 家を出る時に、そう言ってあったからな。 だけど、母さんが、OKするかね? 俺の事を、『財産狙いの、あさましい奴』って言ったんだぜ。 本人も、それを覚えているだろう。 俺が戻るって言ったら、頑として、拒絶すると思うがねえ」

  三男が、やけに自信満々なので、次男は、ふと思いついて、訊いた。

「お前、もしかしたら、母さんが、病的な支配欲の持ち主だって、気づいてたのか?」
「ああ、知ってたよ。 俺だけ、大学へ行かせてもらえなかったからな。 金がないって言って。 ほんとは、あったのにな。 自分の老後資金を残す為に、出し渋ったのさ。 その代わりに、俺の就職先を自分で見つけて来たんだぜ。 母さんの勤め先の同僚の親戚がやっている町工場で、入社の段取りまで、勝手に決めちまって、あれには、驚いたな。 兄貴達と姉貴が、結構いい会社に勤めていたから、四番目の俺は、どこでもいいと思ったんだろうな。 断って、学校の紹介で、今の会社に勤めたけど、正解だったよ。 その町工場、とっくに潰れて、今は、更地で、草ボウボウになってるよ」
「・・・・・」

  全て、次男には、初耳である。 三男は、苦々しそうな顔で、続けた。

「末っ子で、他の兄弟より可愛がられていると思ってたから、まさか、母さんが、ああいう事をするとは、想像もしてなかった。 高校の友人に、心理学に詳しい奴がいて、そいつに話したら、『そりゃ、可愛がってたんじゃなくて、支配欲を満たそうとしていたんだろう』って見立てだった。 そう言われて、子供の頃からの事をいろいろ思い出してみたら、母さんが俺にしてくれた事は、何から何まで、支配欲から出た事だったと、気付いたわけだ」

  次男は、呆然である。 三男が家を出る時、母の感情を逆撫でするような事を言ったのは、母親の支配から逃れる為の作戦だったのである。 全く、気づかなかった。 黙り込んでしまった次男に、三男は言った。

「だけどなあ。 兄貴に、母さんの世話をしろとは言わないよ。 家を出ちゃった方がいいだろう。 俺は思うんだが、母さんみたいな人は、一人で暮らすのが一番なんじゃないのかな。 そうすれば、誰にも、嫌な思いをさせないで済むんだから。 一人暮らしが無理になったら、施設に入ってもらうしかないよ。 もし、俺が、家を出る時に、そう言ったら、兄貴達は、俺を親不孝者って、罵ったと思うけど、今なら、そうは言わないだろう。 母さんみたいな人は、誰にも、面倒は見れないのさ」


  次男は、家を出る事について、母親と談判した。 母親は、激怒した。

「何言ってるの! じゃあ、この家は、どうするの!」
「だって、母さんが、今のようじゃ、一緒に暮らせないだろう」
「私の何が問題なの? 家族が、ちゃんと暮らせるように、一生懸命、努力してるのが、あんたには分からないの!」

  この人は、自分の問題点が、全く分かっていないのである。 加えて、怒りの臨界点を超えると、説得を端折って、脅しを使う癖があった。

「出て行くなら、出て行けばいい! その代わり、財産は、一円もやらないからね。 後で戻りたいって言っても、許さないよ」
「うん。 それは、仕方がない。 前のように、アパートで、つましく暮らすよ」
「みんな、他の子にやっちゃうからね!」
「誰も戻って来ないよ。 俺達の代わりに家に入ってもらおうと思って、もう、確認したんだ」
「・・・!」
「家がそんなに大事なら、母さんが、出て行ってくれれば、俺達は、ここに残るけど」
「! ! ! 何を! 何を馬鹿な事を! この家は、私そのものなんだよ! 親から貰ったんじゃない! 私と父さんで、コツコツお金を貯めて、何十年もローンを払って、買ったんだ! 私がいないで、この家だけ残ったって、何の意味があるんだよ!」

  本音が出た。 それ以上、話す事はなかった。 A夫人には、折れる気も、妥協する気もなかった。 その方が、次男夫婦には、好都合だった。 引き止められて、出て行くのを思い留まっても、A夫人の性格が変わるとは思えなかったからだ。

  次男夫婦は、以前住んでいたアパートの、空いていた部屋に戻った。 しばらくすると、次男は、妻や子供が、以前のように、よく笑うようになった事に気づいた。 この笑顔を、自分の母親が奪っていたのだと思うと、情けないやら、嬉しいやらで、涙が出て来た。 もう、母親と同居する気はなかった。 つましい生活だったが、幸福な家庭になった。

  ついでながら、A夫人がやった事で、後々、いい結果に繋がった事もある。 次男の妻は、子供が成長し、手がかからなくなってから、かつて、姑に押し付けられた職場に復帰した。 たまたま、人手不足の時で、以前の上司から、手伝って欲しいと声をかけられ、応じたのである。 その後、20年近く働く事になり、次男夫婦の老後資金を増やすのに、大いに寄与した。


  時間を戻して、一人暮らしになった、A夫人。 娘の所に、何度か電話したが、同居を断られるのが怖くて、近況を聞くくらいの事しかできなかった。 娘は、先回りして言った。

「お母さん、いよいよ、一人暮らしが無理になったら、うちに来てくれてもいいよ。 だけど、私ら家族が、その家に入るのは、無理だから、それについては、言わないでね」

  釘を挿されて、それ以上、何も言えなくなった。

  A夫人は、70代に入っていたが、頭はしっかりしている反面、運動をしないせいか、体力年齢は、平均より、ずっと衰えていた。 足腰は、更に弱り、庭には、全く出られなくなった。 掃除も手入れも、何もできず、植木は伸び放題、鉢植えは、水がやれなくて、みな枯れた。 雑草が生い茂り、秋には、虫の声が大合唱。 ムカデが、大量発生し、家の中にまで侵入して来た。

  家の中も、居間、台所、洗面所、風呂、トイレ以外には、行けなくなった。 二階は使わなくなり、掃除をしないだけでなく、雨戸も開けず、次第に黴臭くなって行った。 頭だけは、しっかりしていて、食事の仕度は、何とか、こなしていた。 買い物に行けないので、近所のスーパーの、宅配サービスを利用していた。

  そんな生活も、3年ちょっとで終わりを迎えた。 訪ねて来た長男が、家の中の様子を見て、「このくらいが、限界だろう」と判断し、施設に入る事を勧めたのだ。 A夫人は、それを断った。 次に、次男が訪ねて来て、同じ提案をした。 A夫人は、それも断った。 三男が来て、同じ提案をした。 A夫人は、泣きながら、断った。 それだけでなく、三男を、「人間のクズ!」と罵った。 しかし、敢えて、この物語の登場人物の中から、人間のクズを探すなら、A夫人本人であろう。

  最後に、娘が訪ねて来た。 近くの施設に入るか、遠くの娘の家に来るか選ばせると、ボロボロ涙を流しながら、施設の方を選んだ。 兄達や弟から事情を聞いていた娘は、内心、ほっとした。 たぶん、娘の家に来れば、また、支配欲を発揮しただろう。 ちなみに、娘は、深く考えなかったが、もし、息子達がその場にいたら、A夫人がボロボロ流したのは、悔し涙である事に、すぐ気付いただろう。


  A夫人は、介護施設に入居してから、6年間、生きた。 何事もなく、平和に暮らしたわけではない。 性懲りもなく、支配欲を発揮し、施設職員に駄目出しを連発して、さんざん困らせ、憎まれまくり、「歴代入居者、ワースト1」の称号を勝ち取って、死んで行ったのだ。 途中で追い出されなかったのは、入居費が高い施設だったからである。 本人の預金や保険だけでなく、息子三人と娘がお金を出し合って、そういうところを選んだのだ。

  A夫人の家は、空き家になっていたが、A夫人の死後、結婚した三男が入り、子孫を繋いだ。