2022/12/11

音声学講義 ①

  日記ブログの方に、随分、久しぶりに、言語学の音声学に関する文章を書きました。 毎日、コツコツ書いて、少し纏まった量になったので、こちらでも、出す事にします。 日記からの抜粋という形をとります。




【2022/11/16 水】 「コピ」

  韓ドラを見ていると、「コーヒー」の事を、「コピ」と言っているのを、よく聴きます。 元は、日本語のコーヒーと同じで、英語の、「coffee」でしょう。 韓国朝鮮語には、f音がないので、p音で代用しているわけだ。 元の英語が、f音である外来語は、全て、p音で、写されているはず。

  意外なようですが、日本語で使っているコーヒーの、「ヒ」よりは、「ピ」の方が、f音に近いです。 口のどこで音を出しているか、自分で確かめてみれば分かりますが、「ヒ」が、舌の奥を、天井(口蓋)に近づけて出しているのに対し、f音や、p音は、唇で出しています。 韓国朝鮮語の母語話者にしてみれば、日本語で、「coffee」の事を、「コーヒー」と発音しているのは、なぜなのか、首を傾げてしまうところでしょう。

  もっと不思議なのは、「日本語には、f音がある」という事でして、「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」が、それなのですが、なぜ、「coffee」を、「コーフィー」と言わないのか、大変、不思議。 日本語母語話者でも、分かりますまい。 明治期に、「coffee」の現物と言葉が入って来た時、「フィ」が馴染みの薄い発音で、「ヒ」の方が、発音し易かったからでしょうか。

  面白い事に、フランス語の「cafe′」は、日本語で、「カヘ」ではなく、「カフェ」と言っていますな。 「フィ」も「フェ」も、馴染みがない音である事に変わりがないにも拘らず、です。 「コーヒー」より、「カフェ」の方が、日本語で使われ始めた時期が数十年、遅かったのかも知れません。 その間に、「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」に慣れたのでしょうか。

  「日本語には、f音がある」と書きましたが、英語や中国語のf音が、上の歯を下唇に軽く触れさせて作る「歯唇音(ししんおん)」であるのに対し、日本語のf音は、上下の唇の間を狭めて作る、「両唇音(りょうしんおん)」でして、発音の仕方が違います。 しかし、どちらの母語話者でも、耳で聴いた時に、歯唇音のfと、両唇音のfの区別がつきません。 だから、同じ物と思ってもいいです。

  意外に知られていませんが、v音は、f音の、有声音です。 つまり、日本語風に言うと、濁音ですな。 ただ、歯唇音のfを濁音のvにするのは容易なのに比べて、両唇音のfを、濁音にするのは、ちょっと、抵抗があります。 慣れれば、いけると思いますが、なにせ、日本語では、v音を使わないので、耳の方が追いついて来ません。

  v音の事を、「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ」と書くのが、一時期、流行りましたが、今は、すでに習慣化したものを除いて、ほとんど、見なくなりました。 便宜的に、「ヴ」と書いていたわけですが、v音が、f音の濁音である事を知っていれば、母音である「ウ」とは、何の関係もない事も分かるはず。 そもそも、母音は元々、有声音なので、「ヴ」などという書き方は、屋上屋を重ねており、混乱するだけで、便宜的にしても、ちっともいい書き方ではありません。

  そんなに、v音を、b音と区別したいのなら、「ブァ・ブィ・ブゥ・ブェ・ブォ」と書く方が、まだ、合理的です。 ただし、日本語母語話者の耳では、v音と、b音の聴き分けができないので、あまり、意味がありません。

  韓ドラの話に戻りますが、「コピ」が、「コーヒー」の事なら、「コピー」は、何と言うのかな? と思って、辞書を引いてみたら、「カピ」、もしくは、「ポクサ(複写)」だそうです。 なるほど。



【2022/11/17 木】 「Mt.Huji」

  昨日、f音について、少し書きましたが、混乱してしまった方もいるかと思うので、補足しておきます。

  混乱したのではないかと思う点は、「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」が、f音ならば、「ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ」の「フ」は、何なのか? どちらの「フ」も、同じ発音をしているではないか。 という疑問が湧くと思うのです。

  答えは、「日本語のハ行音は、h音と、f音が雑居している」という事です。 「ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ」を、ローマ字で書くと、「ha・hi・fu・he・fo」となり、「フ」と、「ホ」は、f音なのです。 サ行音と、タ行音が、雑居である事は、多くの人が知っていますが、ハ行音に関しては、知らない人が、ほとんどです。

  富士山の事を、「Mt.Fuji」と言いますが、日本語では、「フジ」なのに、なぜ、「Huji」ではなく、「Fuji」と書くのか、不思議に思った事がある人は多いはず。 おそらく、「Mt.Fuji」の「F」は、日本語母語話者が選んだ文字ではなく、日本語母語話者が、「フジ」と言っているのを耳で聴いた、母語にf音がある外国人が、聴いたままに書き取ったのが、定着したのだと思います。 戦国時代か、幕末かは知りませんが。

  ちなみに、「富士」の「富」は、中国語では、「fu」でして、漢字の選択は間違っていません。 誰が、この字を当てたのかは、分かりませんが、日本語母語話者ではなかった可能性もあります。 「不二」とも書きますが、「不」は、「pu」なので、近いとは言うものの、そのものではないです。

  「ホ」が、「ho」ではなく、「fo」である事に関しては、異論もあると思いますが、「ハ・ヒ・ヘ」と同じ調音位置、つまり、舌の奥の方で、「ho」を出してみれば、それが、普段使っている「ホ」とは、全然違う音である事が分かるはず。 普段、使っているのは、唇で作る、両唇摩擦音fの、「フォ」なのです。

  「フォント」と「ほんと」は、高低アクセントが違うだけで、発音は全く同じ、と言ったら、これまた、異論が出ると思いますが、まあ、自分の口で、何度でも発音して、比べてみれば、宜しい。 最初、違うと思っていたのが、次第に、分からなくなってくるから。 わははは!

  ちなみに、普段は使っていないだけで、日本語母語話者でも、「hu」や、「ho」の発音は可能です。 唇を使わずに、舌の奥の方で「フ」、「ホ」と言ってみれば、割と簡単に出せます。 初めて、「hu」や、「ho」を発音してみると、新鮮な感動を覚える事ができるので、お薦め。 聴く方は、ゆっくり聴けば、「hu」と「fu」、「ho」と「fo」の聴き分けが可能ですが、普段、同じ音として認識してしまっているので、普通速度での会話中に聴き分ける事はできません。

  もう、10年以上前ですが、日本の空港で、トラブルがありました。 管制官が、「Hold(待て)」と指示していたのに、中国の航空会社の中国人機長が、旅客機を滑走路に入れようとしたのです。 新聞記事では、「中国人機長は、英語が分からなかったのだろう」と、馬鹿にしたような書き方をしていましたが、常識的に考えて、国際線の機長が、英語が分からないという事はないです。 それでは、仕事にならんではないですか。

  考えられるのは、日本人管制官が口にした、「ホールド」が、「Hold」ではなく、「Fold(折り畳め)」と発音され、中国人機長が、「何を折り畳めって? フラップの事か? そんなの、管制官に関係ないだろう」と、混乱している内に、滑走路に入ってしまった、という可能性です。 日本人の発音では、「Hold」が、「Fold」になってしまう、という事を知らなかった場合、混乱は避けられますまい。 「なんだ、Holdと言ったのか」と分かれば、そりゃ、待つでしょう。

  ちなみに、中国語では、h音と、f音は、全く違う音で、近い音という認識すらないと思います。 日本人が、ハ行音と、ファ行音に近さを感じるのは、「フ」を共有しているのが原因ですが、上述したように、ハ行音が、h音と、f音の雑居になっているから、近いと感じるのであって、そういう事情がなければ、調音位置が掛け離れているのだから、似ても似つかないと感じるはずです。

  「HONDA(ホンダ)」というメーカーの名は、世界中に知られていますが、日本人母語話者が発音している「ホンダ」は、「HONDA」ではなく、「FONDA」です。 h音と、f音を区別している言語の母語話者から見ると、「なんで、日本人は、『HONDA』と書いているのに、『FONDA』と言っているのだろう?」と、首を傾げているわけですが、その事については、ホンダの社員でも、ほとんど、気づいていないでしょう。


  今日も、韓ドラ・ネタで〆ますか。

  他人を勇気付ける場面で、日本語で、「ファイト!」と言うのを、韓国朝鮮語では、「ファイティン!」と言うのは、韓ドラ・ファンなら、知らない人はないと思います。 「ああ、韓国では、『ing』を付けて言うのだな」と、そこまでは、誰でも思う事ですが、それは、文法上の違いです。

  ちなみに、英語では、動詞を先頭に使うと、命令形になるので、「戦え!」というのなら、「ファイト!」の方が適切で、「ing」を付ける理由が分かりません。 「fighting」は、名詞だと、「戦い」になり、日本語で、気合を入れる時に、「勝負!」といった言い方をする方に近いのかも。 しかし、正確なところは分かりません。

  「ファイティン!」について、ほとんどの韓ドラ・ファン日本人が気づかないのは、韓ドラの俳優さん達が、「ファイティン!」とは言っていない、という点です。 昨日書いたように、「英語で、f音を使う外来語は、韓国朝鮮語では全て、p音に写されている」のであって、即ち、彼らは、「パイティン!」と言っているのです。 気をつけて聴けば、分かるはず。

  気をつけないと分からない理由は、日本人が、「ファイト!」からの類推で、「ファイティン!」と言っているはずと思い込んでしまうからです。 耳ではなく、情報を処理する、脳の方の問題。 言語の認識とは、結構、いい加減なものですな。



【2022/11/18 金】 「sとsh」

  音声学の話。 今日は疲れたので、やめようかと思ったのですが、一度、途切れると、やる気をなくしてしまうので、少しだけ書いておきます。

  ハ行音については、昨日までに書いたので、今日は、サ行音に進みましょう。 サ行音も、雑居しており、「シ」が、別の子音なのは、大抵の人が知っていると思います。

s 音「サ・スィ・ス・セ・ソ」
sh音「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」

  sh音の「シ」だけが、s音「スィ」の位置に、入り込んでしまっているわけですな。

  s音は、もちろん、単独の子音ですが、sh音も、単独の子音でして、「ツ」に使う、ts音のような、二重子音ではありません。 s音と、sh音は、調音位置が異なるだけで、どちらも、同格の摩擦音です。 sh音を、「sh」と二文字で書くのは、英語の習慣に過ぎず、一文字で書ける文字がないから、二文字で書いているというだけの話。 中国語のピンイン表記では、「x」一文字で、sh音を表わします。

  中には、「シャ」の事を、「シ」に、二重母音の「ャ」がついたものと思っている人もいると思いますが、完全な勘違いです。 「じゃあ、『シ』とは、何なんだ?」と訊かれたら、答えられますまい。 正しいサ行音は、「サ・スィ・ス・セ・ソ」なのですから、「シ」が、入り込む余地などありません。 sh音は、単独の子音なのです。 「シャ」といった書き方は、便宜的なもので、二重母音とは何の関係もないです。 本来なら、シャ行のかな文字を、別に作るべきでしょう。

  「鮭」の事を、「サケ」と言ったり、「シャケ」と言ったりしますが、s音と、sh音は、方言によっては、どちらか一方しか使わない事もあります。 「先生」の事を、「シェンシェイ」と読む地域がありますが、たぶん、s音のところが、全て、sh音になっているか、もしくは、両者が入れ替わっているかでしょう。 実際には、標準語とちゃんぽん化して、もっと複雑になっているかも知れませんが。

  またまた、混乱するような事を書いてしまうので、恐縮ですが・・・、

  s音も、sh音も、日本語の口頭音では、清音(無声音)しか使いません。 濁音(有声音)の、「ザ・ズィ・ズ・ゼ・ゾ」、「ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ」は、表記の上では使われていますが、口で喋る時には、使っていません。 あなたが、今の今まで、「ザ・ズィ・ズ・ゼ・ゾ」のつもりで喋っていたのは、実は、「ヅァ・ヅィ・ヅ・ヅェ・ヅォ」です。 同じく、「ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ」のつもりで喋っていたのは、実は、「ヂャ・ヂ・ヂュ・ヂェ・ヂョ」です。

  あまりの汚らしい字面に、辟易したと思いますが、本当にそうなのだから、仕方がない。 かつて、「日本ラヂエーター」という会社がありましたが、あれは、実際の発音に正確な表記だったわけですな。 「純」という字は、実際の発音は、「ヂュン」ですが、どうも、純な感じを損ないますねえ。

  そんな、自分の子だと思って育てて来た子供が、実は、赤ん坊の頃に病院で取り違えられた、殺人犯の子だと知らされて、愕然とする親のような顔はしないで下さい。 誰が取り違えたわけでもない。 これまで、何十年もの間、毎日、何度も発音して来たのに、気づかなかった、あなたに問題があるのだから。

  では、「ザ・ズィ・ズ・ゼ・ゾ」という音は、発音できないのかというと、そんな事はなくて、やれば、できます。 清音・濁音の区別は、喉ひこが震えるかどうかで決まるので、口の方の調音位置は、全く同じです。 「サ・スィ・ス・セ・ソ」と同じ舌の位置で、濁音にしてみれば宜しい。 できるかな? 難しいですよ。 出ましたか? 何となく、頼りない音でしょう。

  一方、「ヅァ・ヅィ・ヅ・ヅェ・ヅォ」の方は、しっかり出せますが、舌の位置に注意すれば、それが、「サ・スィ・ス・セ・ソ」の濁音ではなく、「ツァ・ツィ・ツ・ツェ・ツォ」の濁音である事が分かるはずです。

  「ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ」の方も、事情は同じで、実際に発音しているのは、「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」の濁音ではなく、「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」の濁音、「ヂャ・ヂ・ヂュ・ヂェ・ヂョ」なのです。

  「ザ」と「ヅァ」、「ジャ」と、「ヂャ」は、日本語では区別しないから、すりかわっていても、問題が起こりません。 ただ、日本国内でも、四国の土佐地方の一部では、これらを区別していたそうです。 ロシア語では、今でも区別します。 ロシア人は、日本人が、「ザ」のつもりで発音しているのが、「ヅァ」になっている事に気づいているわけですが、まあ、わざわざ、ツッコミを入れて来るような事はないでしょう。



【2022/11/19 土】 「ハングル」

  音声学ですが、今日も疲れているので、少しだけ。

  さて、昨日お教えした、真の「ザ・ズィ・ズ・ゼ・ゾ」、真の「ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ」の発音はできるようになったでしょうか? なに、24時間も経つのに、まだ、できない? それでは、「下品なヅァヅィヂュヂェヂョ野郎」呼ばわりされて、石を投げられないように、今後は、押入れに籠って暮らすしかありませんな。

  悪質な冗談はさておき、「シ」について、書き忘れていた事がありました。 韓国朝鮮語でも、sh音、つまり、シャ行音を表わす文字がなくて、s音の文字が、i音の文字と組み合わされた時だけ、「shi」、つまり、「シ」になるようです。 そういえば、「こんにちは」に当たる、「アンニョンハシムニカ」に、「シ」が入ってますな。

  面白い事に、s音に、二重母音のヤ行音をつけると、シャ行音になる点も、日本語と同じ。 ただし、それらは専ら、英語系外来語を音写する時に使うようで、そんなに数は多くありません。 たとえば、「シャンプー」の「シャ」など。 もしかしたら、日本語からの影響かも知れませんが、正確なところは分かりません。

  ところで、韓国朝鮮語の文字、ハングルですが、「世界一、合理的な文字」と言われており、合理的なだけあって、覚えるのも速いです。 ネット上で、解説しているサイトを探して習うとして、そうですねえ、一週間もあれば、ほとんどの文字を読み書きできるようになるんじゃないでしょうか。 すぐに覚えられるのに、一生、知らないで過ごすのも、勿体ないので、是非、試してみて下さい。


  話は変わって、中国語ですが、ピンイン表記で、「sh」という子音がありますが、これは、反り舌音の「シャ」でして、英語のsh音、つまり、日本語のシャ行音とは違います。 そちらは、「x」で書きます。 ピンイン表記は、作られたのが現代に近い分、整然としていますが、ローマ字の文字を、無理に、中国語に割り当てているせいで、外国人には、分かり難いところもあります。

  ちなみに、「上海」の「上」は、「shang」ですが、反り舌音だから、日本語の、「シャン」とは違います。 ただ、日本語には、反り舌音がないから、「shang」と言われても、日本語母語話者には、「シャン」としか聴こえません。 日本語の「シャン」と同じ音で、「xiang」という発音がありますが、中国語では、「shang」と、「xiang」を、言い分けて、聴き分けて、使い分けているわけですな。

  うーむ、こんな事を書いても、そもそも、反り舌音が分からないのだから、全く無意味か。 反り舌音について、日本語母語話者に説明するのは、ほとんど、絶望的な困難さを覚えます。 まず、R音の説明からしなければならないわけですが、昔、何回か書いて、結局、誰にも伝わらなかったようだから、もう、嫌になってしまいました。 この講義の対象は、日本語の音素に限る事にしましょうか。




  今回は、ここまで。 次は、来月になります。

  私は、2001年から、2002年にかけて、当時、運営していたホーム・ページのコンテンツとして、「戯言語学(ぎげんごがく)」という言語学の解説文を書いていたのですが、それ以降、段階的に、言語学に興味を失ってしまい、いつのまにか、20年も経ってしまいました。

  今回、昔書いた文章を読み返さないで、覚えている事だけを頼りに、新たに書いてみたのですが、 後になって、見比べてみたら、ほとんど、同じような事を書いているのが分かりました。 20年間、興味を失っていたのだから、進歩がなくても、不思議はないわけですな。