読書感想文・蔵出し (99)
読書感想文です。 今月、3回目。 だいぶ、進んだような気がしていたのですが、数えてみたら、現時点で、まだ、15作分も在庫がある事が分かりました。 げんなりします。
≪チムニーズ館の秘密≫
クリスティー文庫 73
早川書房 2004年2月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
高橋豊 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【チムニーズ館の秘密】は、コピー・ライトが、1925年になっています。 約456ページ。 ノン・シリーズ。 「チムニーズ館」の読みは、「チムニーズ・かん」です。
ある青年が、アフリカ南部で知人に出会い、彼の代わりに、東欧の小国、ヘルツォスロヴァキアの元首相が書いた回顧録を、イギリスの出版社に届ける役割を引き受けた。 ついでに頼まれた、ある女性の手になる手紙の束を本人に返す為に、イギリス外交の舞台、チムニーズ館に向かうが、そこへ潜入した時、たまたま、滞在中のヘルツォスロヴァキア王子が殺されてしまう。 疑われる前に、警視に自分の素性を明かした青年だったが、事件への好奇心から、自ら、捜査に首を突っ込んで行く話。
非常に、入り組んだ話でして、こんな大雑把な梗概には、あまり、意味がありません。 大体の設定を、頭に入れるだけでも、骨が折れます。 しかも、冒険物だと最初から分かってしまっているから、その骨折りが、無駄なように思えて、ますます、頭に入って来ません。 設定の理解は流れに任せて、だらだらと無気力に読んで行くのが、最善でしょうか。 最終的には、どんな話か分かります。 こういう作品を読む時のコツは、考え過ぎない事ですかねえ。
【茶色の服の男】と違うのは、主人公の性別で、こちらは、活力漲る青年なので、安心感はあります。 しかも、ドライな感じがする三人称。 ラノベ的な軟弱さは、全く感じられず、完全な冒険物という趣きです。 ただし、冒険の舞台は、専ら、チムニーズ館でして、初期の推理物的な趣きもあります。 抜け穴の探検など、横溝正史さんが、戦前から戦後まで、繰り返し書いていますが、その原形の一つが、この作品の中にも見られます。
ある国の王子の殺害が、中心的な事件になるから、国際スパイ物の要素も入っているのですが、どうも、こう、いろいろと欲張ると、ジャンル不明の小説になってしまって、白けるところがありますねえ。 国際スパイ物趣味は、後々まで、クリスティー作品の癌細胞として、生き残って行きます。 幸い、転移はせず、徐々に治っていくわけですが。
推理物の謎として、暗号解読が使われていて、「数字と方向が何の事なのか、いくつも解読のしようがある」というのが出て来ますが、作者側としては、そんなのは、どうにでも操作できるのですから、読者は、最初から、推理の蚊帳の外で、楽しみようがないです。 推理物初期のモチーフを使い過ぎなのでは?
この作品の肝は、「なりすまし」でして、誰が誰になりましているかが、重要な鍵を握ります。 ただし、クリスティー作品を読みつけていないと、謎解きをされるまで、その事に気づかないと思います。 クリスティーさんは、なりすまし物が好きで、晩年の作品は、ほとんどに、なりすましが使われていました。 こんな初期の頃から、すでに、好きだったわけだ。
総合的に見て、【茶色の服の男】よりは、読み応えがあります。 しかし、わざわざ、時間を割いてまで読んでおいた方がいい、という作品では、全然、ないです。 全然。
≪七つの時計≫
クリスティー文庫 74
早川書房 2004年2月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
深町眞理子 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【七つの時計】は、コピー・ライトが、1929年になっています。 約476ページ。 ノン・シリーズ。
人に貸されているチムニーズ館。 滞在者の中の一人の青年が、寝起きが悪いので、目覚まし時計を8個仕掛けて、盛大に起こそうという悪戯計画が立てられる。 目覚ましが鳴ったにも拘らず、青年は起きて来ず、後で見に行ったら、死んでいた。 更に、館の所有者の娘が、車でひきかけた男も、誰かに銃で撃たれていて、結局死ぬが、最後に、「セブン・ダイヤルズ」という言葉を遺した。 娘と外交官ら、数人の若者が、セブン・ダイヤルズの謎に臨む話。
チムニーズ館は、4年前の作品、【チムニーズ館の秘密】に出て来たのと同じ屋敷で、館の所有者の娘、バンドルは、前作でも、少し顔を出しています。 今回は、中心人物になり、探偵役の一翼を担います。 潜入したり、隠れたり、探偵っぽい事をしますが、冒険物なので、聞き取りのような、地味な事はしません。
娘の父親、ケイタラム卿も出て来ますし、友人のビルや、バトル警視も出て来ます。 これだけ、前作の設定を利用していながら、話の趣きは、だいぶ違っていて、なんでもかんでも、ぶち込むというのではなく、相当には、シンプルな話になっています。 要するに、「セブン・ダイヤルズ」という、秘密組織があり、その正体を暴くのが、話の目的になっているのです。
【七つの時計】というタイトルは、かなり、苦しい日本語訳で、原題は、「THE SEVEN DIALS MYSTERY」。 「ダイヤルズ」というのは、時計の文字盤の事で、つまり、「七つの文字盤」だから、「七つの時計」と訳したのだと思いますが、実際に、「セブン・ダイヤルズ」という名で呼ばれているのは、秘密組織の事でして、時計は、ほとんど関係ありません。 時計絡みの謎が出て来る推理物だと思っていると、肩透かしを喰らいます。
セブン・ダイヤルズが、どんな組織なのか、それがメインの謎ですが、その点に関しては、大成功を収めています。 これは、正体を知って、驚かない読者は、いないでしょう。 「あっ!」という言葉が、思わず口をついて出る事、請け合います。 単に、驚かされるという点では、クリスティー作品の中で、随一なのではありますまいか。 これだけ誉めて、ハードルを高くしても、大丈夫。 初めて読んだ人なら、必ず、驚きます。
問題は、驚くには驚くけれど、若い女性が中心人物であるせいか、どうも、深刻さに欠けるところがあり、人が二人も死んでいるのに、なんだか、子供が探偵ごっこをして遊んでいるような雰囲気が拭えない事です。 「セブン・ダイヤルズの正体は、あっと驚くものだったけれど、だから、どうなんだ?」と、思ってしまうわけですな。
ちゃんと、犯人が逮捕されて、殺人事件は解決するのに、読後に、もやもや感が残るのは、セブン・ダイヤルズが、大風呂敷過ぎて、起こる犯罪とバランスが取れないからかもしれません。
≪愛の旋律≫
クリスティー文庫 75
早川書房 2004年2月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村妙子 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【愛の旋律】は、コピー・ライトが、1986年になっていますが、それは、アガサ・クリスティー名義の事で、メアリ・ウェストマコット名義では、1930年の発表。 約636ページ。 推理小説ではなく、一般文学です。 推理作家とは別名義で、発表していたとの事。
500年続く貴族の屋敷で生まれ育った少年。 子供の頃は、音楽を嫌っていたのが、あるコンサートを聴きに行って、天啓を受け、オペラ作りに目覚める。 一方で、幼馴染みの女性と、久しぶりに逢って、美しくなっていた彼女に熱を上げるが、親の反対や、仕事の問題など、様々な障碍に妨げられる。 やがて、オペラの一作目を上演するところまで漕ぎつけるが、その後、第一次世界大戦が勃発し・・・、という話。
仏文、独文、露文など、一通り、世界文学の著名作品を読んでいる方は、大きな期待をしてはいけません。 こういう真っ当な文学作品に於いては、イギリスのそれが、傍流に過ぎない事を、再認識するだけです。 それを承知の上で読むのなら、かなり、面白いです。 ページ数を見ても分かるように、大作ですし。
テーマが、音楽と、恋愛の二兎を追っていて、諺通り、一兎をも得ていません。 クリスティーさんは、若い頃に、声楽をやっていたらしいですが、音楽について、専門に長編小説を書くほど、詳しくはなかったんでしょう。 恋愛の方は、専門知識は不要なので、まずまず、普通以上の描き方です。 人間の本質を見抜いていた人なので、恋愛についても、心理の掘り下げは深いです。
実は、一番、精緻な描写になっているのは、テーマ外の、主人公の妻、ネルが、主人公の出征中、看護師として働きに行く件りです。 クリスティーさん自身が、そういう仕事をした経験があるらしく、リアルもリアル。 その現場が、目の前に浮かんで来るくらい、真に迫っています。 ただ、そこだけ、水に油が浮いているような感じも、するににはしますが。
以下、ネタバレ、含む。
この主人公、ヴァーノンですが、アスペルガー症候群なのでは? 自分の事ばかり考えていて、その結果、他人がどんな迷惑を被ろうか、知った事ではないというのは、完全に、発達障碍でしょう。 ある一定の時期、記憶を失って、お抱え運転手の仕事をするのですが、その間だけは、至って、まともになります。 アスペルガー症候群なら、記憶を失っても、性格が直るわけではないから、そういう良い変化は、起こらないと思うんですがね。
かつての友人達が、記憶を呼び起こさせて、元のヴァーノンに戻してしまうのですが、人間的には、運転手をしていた頃の方が、遥かに、優れており、当人も幸せだったと思います。 馬鹿な手助けをしたもの。 幸福な日々に比べたら、芸術なんぞ、糞くらえ、という感じがしますねえ。
作中に、ドストエフスキーの名前が出て来ますが、やはり、クリスティーさんも、世界文学の流れに影響されずにはいられなかったんでしょうなあ。 で、こういうものを書いたわけだ。 露文の著名作品には及びませんが、平均点くらいは、獲ったのでは? これでも、私としては、結構、誉めている方です。
≪シタフォードの秘密≫
クリスティー文庫 76
早川書房 2004年3月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
田村隆一 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【シタフォードの秘密】は、コピー・ライトが、1931年になっています。 約417ページ。
雪に閉じ込められてしまったような日。 ある大佐が所有し、人に貸している屋敷に集まった近所の人々が、ゲームのようなつもりで、降霊会をやったところ、家主の大佐が殺されるというお告げがあった。 大佐の友人の少佐が、不安に駆られ、雪の中を歩いて、大佐が住む家へ行くと、お告げの通り、彼は殺されていた。 大佐の甥が、容疑者として逮捕されてしまい、彼の無実を信じる婚約者と、腕利きの新聞記者が、コンビを組み、真犯人の捜査に乗り出す話。
降霊会というのは、コックリさんの事です。 メンバーで囲んでいるテーブルが鳴る事で、お告げになるという、仕組み。 オカルトではなく、純然たる推理小説なので、もちろん、科学的解釈が用意されています。 つまりその、降霊会の参加者の中に、犯人か、犯行が行なわれる事を知っている者がいて、お告げを偽造していたわけですな。 この程度なら、ネタバレにならんでしょう。
以下、ネタバレ、あり。
殺害は、降霊会でお告げが出た時刻に行なわれており、どうやって、やったかが、謎になりますが、それは、降霊会の参加者が、犯人であると分かった後の話でして、それ以前の段階では、降霊会には加わっていなかった、大佐の甥が容疑者という事になっているので、犯行は、問題なく可能でして、不思議な事は何もありません。
ハウ・ダニットと思わせつつ、フー・ダニット物として話が進められるのが、この作品の特徴。 容疑者の数は多くて、フー・ダニットとしての条件は揃っています。 ところが、彼らへの聞き取りは、ほとんど、意味がありません。 真犯人が明らかになると、「なんだ、その手の話か!」と、肩透かしを喰らうこと、請け合い。
これねえ。 例の、「フェア・アンフェア論争」の対象になりかねない話なんですよ。 ギリギリ、フェアと言えなくもないですが、【アクロイド殺し】ほどではないにせよ、ディクスン・カー作、【皇帝のかぎ煙草入れ】程度の騙しを、読者に仕掛けています。 ただし、【皇帝のかぎ煙草入れ】は、1942年発表なので、そちらの影響を受けたわけではないです。
【アクロイド殺し】と比較すると、あっと驚くような事はなく、むしろ、話が纏まっていないような印象を受けます。 フー・ダニット部分と、ハウ・ダニット部分が、分離しているとでも言いましょうか。 真犯人の動機が、あまりにも、浅い。 さんざん、フー・ダニット部分で、濃厚な動機を持った人達を描いておきながら、真犯人の動機が、これではねえ・・・。 目晦ましのやり過ぎで、アン・バランスになっているのです。
実質的な主人公が、容疑者の婚約者で、これが、若くて美しく、頭も良いという女性なのですが、こういうタイプの素人探偵は、推理小説のコアなファンからは、敬遠されます。 話が軽くなってしまうからです。 探偵役として、「ベルギー人の小男」や、「僻村の老譲」に、遠く及びません。 クリスティーさん自身、まだ、その事が分かっていなかった時期なのでしょう。
以上、四冊です。 読んだ期間は、2022年の、
≪チムニーズ館の秘密≫が、12月3日から、5日。
≪七つの時計≫が、12月7日から、10日。
≪愛の旋律≫が、12月11日から、15日まで。
≪シタフォードの秘密≫が、12月22日から、12月24日まで。
クリスティーさんの作品は、内容が濃く、人物の描き込みが深い割に、難解なところが全くないので、ページをめくる手が、どうしても、早くなります。 極端な事を言えば、飛ばし読みをしても、ストーリーの理解に、大して困難を感じないのです。 しかし、飛ばし読みしてしまうには、惜しい内容ですなあ。 ストーリーや、トリック・謎だけ知っても、あまり、意味はありません。 感想を書くだけなら、それだけでも、書けますが。
≪チムニーズ館の秘密≫
クリスティー文庫 73
早川書房 2004年2月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
高橋豊 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【チムニーズ館の秘密】は、コピー・ライトが、1925年になっています。 約456ページ。 ノン・シリーズ。 「チムニーズ館」の読みは、「チムニーズ・かん」です。
ある青年が、アフリカ南部で知人に出会い、彼の代わりに、東欧の小国、ヘルツォスロヴァキアの元首相が書いた回顧録を、イギリスの出版社に届ける役割を引き受けた。 ついでに頼まれた、ある女性の手になる手紙の束を本人に返す為に、イギリス外交の舞台、チムニーズ館に向かうが、そこへ潜入した時、たまたま、滞在中のヘルツォスロヴァキア王子が殺されてしまう。 疑われる前に、警視に自分の素性を明かした青年だったが、事件への好奇心から、自ら、捜査に首を突っ込んで行く話。
非常に、入り組んだ話でして、こんな大雑把な梗概には、あまり、意味がありません。 大体の設定を、頭に入れるだけでも、骨が折れます。 しかも、冒険物だと最初から分かってしまっているから、その骨折りが、無駄なように思えて、ますます、頭に入って来ません。 設定の理解は流れに任せて、だらだらと無気力に読んで行くのが、最善でしょうか。 最終的には、どんな話か分かります。 こういう作品を読む時のコツは、考え過ぎない事ですかねえ。
【茶色の服の男】と違うのは、主人公の性別で、こちらは、活力漲る青年なので、安心感はあります。 しかも、ドライな感じがする三人称。 ラノベ的な軟弱さは、全く感じられず、完全な冒険物という趣きです。 ただし、冒険の舞台は、専ら、チムニーズ館でして、初期の推理物的な趣きもあります。 抜け穴の探検など、横溝正史さんが、戦前から戦後まで、繰り返し書いていますが、その原形の一つが、この作品の中にも見られます。
ある国の王子の殺害が、中心的な事件になるから、国際スパイ物の要素も入っているのですが、どうも、こう、いろいろと欲張ると、ジャンル不明の小説になってしまって、白けるところがありますねえ。 国際スパイ物趣味は、後々まで、クリスティー作品の癌細胞として、生き残って行きます。 幸い、転移はせず、徐々に治っていくわけですが。
推理物の謎として、暗号解読が使われていて、「数字と方向が何の事なのか、いくつも解読のしようがある」というのが出て来ますが、作者側としては、そんなのは、どうにでも操作できるのですから、読者は、最初から、推理の蚊帳の外で、楽しみようがないです。 推理物初期のモチーフを使い過ぎなのでは?
この作品の肝は、「なりすまし」でして、誰が誰になりましているかが、重要な鍵を握ります。 ただし、クリスティー作品を読みつけていないと、謎解きをされるまで、その事に気づかないと思います。 クリスティーさんは、なりすまし物が好きで、晩年の作品は、ほとんどに、なりすましが使われていました。 こんな初期の頃から、すでに、好きだったわけだ。
総合的に見て、【茶色の服の男】よりは、読み応えがあります。 しかし、わざわざ、時間を割いてまで読んでおいた方がいい、という作品では、全然、ないです。 全然。
≪七つの時計≫
クリスティー文庫 74
早川書房 2004年2月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
深町眞理子 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【七つの時計】は、コピー・ライトが、1929年になっています。 約476ページ。 ノン・シリーズ。
人に貸されているチムニーズ館。 滞在者の中の一人の青年が、寝起きが悪いので、目覚まし時計を8個仕掛けて、盛大に起こそうという悪戯計画が立てられる。 目覚ましが鳴ったにも拘らず、青年は起きて来ず、後で見に行ったら、死んでいた。 更に、館の所有者の娘が、車でひきかけた男も、誰かに銃で撃たれていて、結局死ぬが、最後に、「セブン・ダイヤルズ」という言葉を遺した。 娘と外交官ら、数人の若者が、セブン・ダイヤルズの謎に臨む話。
チムニーズ館は、4年前の作品、【チムニーズ館の秘密】に出て来たのと同じ屋敷で、館の所有者の娘、バンドルは、前作でも、少し顔を出しています。 今回は、中心人物になり、探偵役の一翼を担います。 潜入したり、隠れたり、探偵っぽい事をしますが、冒険物なので、聞き取りのような、地味な事はしません。
娘の父親、ケイタラム卿も出て来ますし、友人のビルや、バトル警視も出て来ます。 これだけ、前作の設定を利用していながら、話の趣きは、だいぶ違っていて、なんでもかんでも、ぶち込むというのではなく、相当には、シンプルな話になっています。 要するに、「セブン・ダイヤルズ」という、秘密組織があり、その正体を暴くのが、話の目的になっているのです。
【七つの時計】というタイトルは、かなり、苦しい日本語訳で、原題は、「THE SEVEN DIALS MYSTERY」。 「ダイヤルズ」というのは、時計の文字盤の事で、つまり、「七つの文字盤」だから、「七つの時計」と訳したのだと思いますが、実際に、「セブン・ダイヤルズ」という名で呼ばれているのは、秘密組織の事でして、時計は、ほとんど関係ありません。 時計絡みの謎が出て来る推理物だと思っていると、肩透かしを喰らいます。
セブン・ダイヤルズが、どんな組織なのか、それがメインの謎ですが、その点に関しては、大成功を収めています。 これは、正体を知って、驚かない読者は、いないでしょう。 「あっ!」という言葉が、思わず口をついて出る事、請け合います。 単に、驚かされるという点では、クリスティー作品の中で、随一なのではありますまいか。 これだけ誉めて、ハードルを高くしても、大丈夫。 初めて読んだ人なら、必ず、驚きます。
問題は、驚くには驚くけれど、若い女性が中心人物であるせいか、どうも、深刻さに欠けるところがあり、人が二人も死んでいるのに、なんだか、子供が探偵ごっこをして遊んでいるような雰囲気が拭えない事です。 「セブン・ダイヤルズの正体は、あっと驚くものだったけれど、だから、どうなんだ?」と、思ってしまうわけですな。
ちゃんと、犯人が逮捕されて、殺人事件は解決するのに、読後に、もやもや感が残るのは、セブン・ダイヤルズが、大風呂敷過ぎて、起こる犯罪とバランスが取れないからかもしれません。
≪愛の旋律≫
クリスティー文庫 75
早川書房 2004年2月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村妙子 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【愛の旋律】は、コピー・ライトが、1986年になっていますが、それは、アガサ・クリスティー名義の事で、メアリ・ウェストマコット名義では、1930年の発表。 約636ページ。 推理小説ではなく、一般文学です。 推理作家とは別名義で、発表していたとの事。
500年続く貴族の屋敷で生まれ育った少年。 子供の頃は、音楽を嫌っていたのが、あるコンサートを聴きに行って、天啓を受け、オペラ作りに目覚める。 一方で、幼馴染みの女性と、久しぶりに逢って、美しくなっていた彼女に熱を上げるが、親の反対や、仕事の問題など、様々な障碍に妨げられる。 やがて、オペラの一作目を上演するところまで漕ぎつけるが、その後、第一次世界大戦が勃発し・・・、という話。
仏文、独文、露文など、一通り、世界文学の著名作品を読んでいる方は、大きな期待をしてはいけません。 こういう真っ当な文学作品に於いては、イギリスのそれが、傍流に過ぎない事を、再認識するだけです。 それを承知の上で読むのなら、かなり、面白いです。 ページ数を見ても分かるように、大作ですし。
テーマが、音楽と、恋愛の二兎を追っていて、諺通り、一兎をも得ていません。 クリスティーさんは、若い頃に、声楽をやっていたらしいですが、音楽について、専門に長編小説を書くほど、詳しくはなかったんでしょう。 恋愛の方は、専門知識は不要なので、まずまず、普通以上の描き方です。 人間の本質を見抜いていた人なので、恋愛についても、心理の掘り下げは深いです。
実は、一番、精緻な描写になっているのは、テーマ外の、主人公の妻、ネルが、主人公の出征中、看護師として働きに行く件りです。 クリスティーさん自身が、そういう仕事をした経験があるらしく、リアルもリアル。 その現場が、目の前に浮かんで来るくらい、真に迫っています。 ただ、そこだけ、水に油が浮いているような感じも、するににはしますが。
以下、ネタバレ、含む。
この主人公、ヴァーノンですが、アスペルガー症候群なのでは? 自分の事ばかり考えていて、その結果、他人がどんな迷惑を被ろうか、知った事ではないというのは、完全に、発達障碍でしょう。 ある一定の時期、記憶を失って、お抱え運転手の仕事をするのですが、その間だけは、至って、まともになります。 アスペルガー症候群なら、記憶を失っても、性格が直るわけではないから、そういう良い変化は、起こらないと思うんですがね。
かつての友人達が、記憶を呼び起こさせて、元のヴァーノンに戻してしまうのですが、人間的には、運転手をしていた頃の方が、遥かに、優れており、当人も幸せだったと思います。 馬鹿な手助けをしたもの。 幸福な日々に比べたら、芸術なんぞ、糞くらえ、という感じがしますねえ。
作中に、ドストエフスキーの名前が出て来ますが、やはり、クリスティーさんも、世界文学の流れに影響されずにはいられなかったんでしょうなあ。 で、こういうものを書いたわけだ。 露文の著名作品には及びませんが、平均点くらいは、獲ったのでは? これでも、私としては、結構、誉めている方です。
≪シタフォードの秘密≫
クリスティー文庫 76
早川書房 2004年3月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
田村隆一 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【シタフォードの秘密】は、コピー・ライトが、1931年になっています。 約417ページ。
雪に閉じ込められてしまったような日。 ある大佐が所有し、人に貸している屋敷に集まった近所の人々が、ゲームのようなつもりで、降霊会をやったところ、家主の大佐が殺されるというお告げがあった。 大佐の友人の少佐が、不安に駆られ、雪の中を歩いて、大佐が住む家へ行くと、お告げの通り、彼は殺されていた。 大佐の甥が、容疑者として逮捕されてしまい、彼の無実を信じる婚約者と、腕利きの新聞記者が、コンビを組み、真犯人の捜査に乗り出す話。
降霊会というのは、コックリさんの事です。 メンバーで囲んでいるテーブルが鳴る事で、お告げになるという、仕組み。 オカルトではなく、純然たる推理小説なので、もちろん、科学的解釈が用意されています。 つまりその、降霊会の参加者の中に、犯人か、犯行が行なわれる事を知っている者がいて、お告げを偽造していたわけですな。 この程度なら、ネタバレにならんでしょう。
以下、ネタバレ、あり。
殺害は、降霊会でお告げが出た時刻に行なわれており、どうやって、やったかが、謎になりますが、それは、降霊会の参加者が、犯人であると分かった後の話でして、それ以前の段階では、降霊会には加わっていなかった、大佐の甥が容疑者という事になっているので、犯行は、問題なく可能でして、不思議な事は何もありません。
ハウ・ダニットと思わせつつ、フー・ダニット物として話が進められるのが、この作品の特徴。 容疑者の数は多くて、フー・ダニットとしての条件は揃っています。 ところが、彼らへの聞き取りは、ほとんど、意味がありません。 真犯人が明らかになると、「なんだ、その手の話か!」と、肩透かしを喰らうこと、請け合い。
これねえ。 例の、「フェア・アンフェア論争」の対象になりかねない話なんですよ。 ギリギリ、フェアと言えなくもないですが、【アクロイド殺し】ほどではないにせよ、ディクスン・カー作、【皇帝のかぎ煙草入れ】程度の騙しを、読者に仕掛けています。 ただし、【皇帝のかぎ煙草入れ】は、1942年発表なので、そちらの影響を受けたわけではないです。
【アクロイド殺し】と比較すると、あっと驚くような事はなく、むしろ、話が纏まっていないような印象を受けます。 フー・ダニット部分と、ハウ・ダニット部分が、分離しているとでも言いましょうか。 真犯人の動機が、あまりにも、浅い。 さんざん、フー・ダニット部分で、濃厚な動機を持った人達を描いておきながら、真犯人の動機が、これではねえ・・・。 目晦ましのやり過ぎで、アン・バランスになっているのです。
実質的な主人公が、容疑者の婚約者で、これが、若くて美しく、頭も良いという女性なのですが、こういうタイプの素人探偵は、推理小説のコアなファンからは、敬遠されます。 話が軽くなってしまうからです。 探偵役として、「ベルギー人の小男」や、「僻村の老譲」に、遠く及びません。 クリスティーさん自身、まだ、その事が分かっていなかった時期なのでしょう。
以上、四冊です。 読んだ期間は、2022年の、
≪チムニーズ館の秘密≫が、12月3日から、5日。
≪七つの時計≫が、12月7日から、10日。
≪愛の旋律≫が、12月11日から、15日まで。
≪シタフォードの秘密≫が、12月22日から、12月24日まで。
クリスティーさんの作品は、内容が濃く、人物の描き込みが深い割に、難解なところが全くないので、ページをめくる手が、どうしても、早くなります。 極端な事を言えば、飛ばし読みをしても、ストーリーの理解に、大して困難を感じないのです。 しかし、飛ばし読みしてしまうには、惜しい内容ですなあ。 ストーリーや、トリック・謎だけ知っても、あまり、意味はありません。 感想を書くだけなら、それだけでも、書けますが。
<< Home