2023/04/09

読書感想文・蔵出し (98)

  読書感想文です。 今月は、3回出すので、12冊分、捌けるわけだ。 何とか、現在に追いつきたいもの。 もっとも、感想文の在庫がなくなっても、他に何か、書きたい事があるわけではありませんが・・・。 





≪カリブ海の秘密≫

クリスティー文庫 43
早川書房 2003年12月15日/初版 2013年12月15日/6刷
アガサ・クリスティー 著
永井淳 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【カリブ海の秘密】は、コピー・ライトが、1964年になっています。 約340ページ。


  甥のプレゼントで、カリブ海の島に保養に来たマープル。 同宿の少佐から、経験談の一部として、殺人者を知っていると告げられるが、その男の写真を見せようとした寸前に、少佐は、ある人物を目にして、写真を引っ込めてしまった。 ところが、その少佐が殺されてしまい、「もしや、写真の男が」と疑念を抱いたマープルが、医師を利用したり、同宿の人々に、それとなく聞き取りをしたりして、捜査を進める話。

  タイトルを見ただけで、「なんだ、旅先の話か・・・」と、ガッカリしてしまいますが、その落胆は、最後まで続きます。 殺人者の写真を見せられそうになる、という導入部が、少し謎めいていますが、ゾクゾクしかけるのは、そこまで。 後は、マープルによる聞き取りと、他の登場人物達による会話が、退屈に続きます。 謎解きでは、少し面白くなりますが、このメインの謎は、障碍者差別には当らなくても、ちと、しょぼ過ぎるのでは? クリスティー作品としては、ですが。

  フー・ダニット物ですが、目晦ましの為に、複数のカップルの恋愛関係を複雑に入り乱れさせており、ややこし過ぎて、読んでいて、頭に入って来ない難があります。 フー・ダニットだから、仕方ないと言ってしまえば、それまでですが、無駄な読書をしている感を強くしないわけには行きませんなあ。 会話が多いのだから、読み易いはずですが、読み易さより、徒労感を覚えてしまうのです

  一応、カリブ海という事になっていますが、話の内容と、場所には、これといった関係はなくて、どこでも、成立します。 それなら、別に、カリブ海でなくても良かったのでは? 南の島というのは、イギリス推理小説の印象から、大変、遠い感じがしますねえ。 これなら、中東物の方が、まだ、舞台として相応しい。 

  マープルが、ある富豪の老男性と知り合いになり、彼が雇っているマッサージ師を自由に動かす権利を、一時的に譲り受ける場面が面白いです。 マッサージ師は、理由を説明される事もなく、見知らぬ老婦人の命令を聞かねばならなくなりますが、報酬に釣られて、期待通りの仕事をしてのけます。 なんで、こういうところに、面白さを感じるのかは、私自身、分かりません。




≪復讐の女神≫

クリスティー文庫 45
早川書房 2004年1月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
乾信一郎 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【復讐の女神】は、コピー・ライトが、1971年になっています。 約450ページ。 マープル物の長編、全12作の内、11作目。 最後に発表された、【スリーピング・マーダー】は、1940年代に書かれたものなので、この、【復讐の女神】が、書かれた順序としては、最終作になります。 クリスティーさんとしては、これを、マープル物の最終作にするつもりではなく、もう一作考えていたようですが、そちらが書かれる前に、亡くなってしまいます。


  【カリブ海の秘密】で、事件解決に協力してくれた、富豪ラフィール氏の訃報を新聞で読んだマープル。 間もなく、氏の弁護士から連絡があり、遺言により、高額の報酬と引き換えに、ある事件について捜査をして欲しいという依頼がある。 ところが、事件の具体的な内容については、何も知らされなかった。 間もなく、旅行会社から連絡があり、地方の古い館と庭を巡るバス・ツアーに申し込みされている事を知らされる。 ツアー先で、同じくラフィール氏から依頼を受けたという、三人姉妹の館に逗留する事になるが、その土地で、事件の事を知っているツアー客の一人が、不慮の死を遂げ・・・、という話。

  ラフィール氏の依頼の仕方が変わっていて、最初、事件の内容については、一切情報を与えず、「とにかく、引き受けるか、引き受けないか」を、マープルに決めさせてから、順次、情報を小出しに与えるという方式。 しかも、本当に肝心な部分は、マープルが自力で調べ出すしかないのだから、依頼者は、本当に解決して欲しいのか、そうでないのか、はっきり分かりません。

  とはいえ、この、持って回った出だしのお陰で、謎めいた雰囲気は、大いに盛り上がります。 【パディントン発4時50分】には、遠く及びませんが、この導入部も、考えに考えて、練りに練った結果、出来上がったものなのでしょう。 いざ、事件の内容が分かってから、振り返ってみると、ラフィール氏が、こんな大細工を施す程、変わった事件ではないので、些か、龍頭蛇尾の印象を受けないでもないですが・・・。

  バス・ツアーで事件が起こるというのは、2サスの、≪早乙女千春の添乗員報告書≫や、≪湯けむりバスツアー 桜庭さやかの事件簿≫ を思わせます。 死人が出ているのに、ツアーが続行されるという、極めて現実味を欠く展開まで、そっくり。 もちろん、こちらの方が、圧倒的に早い発表なので、この作品をヒントにして、2サスの方が作られたのでしょう。

  バス・ツアーは、被害者が出る点で、新たな事件として、ストーリーに関わって来ますが、途中で、旧領主邸の方に、舞台が移ってしまうので、中途半端なモチーフで終わっています。 旅先で起こる出来事だから、トラベル・ミステリーと言えないでもないですが、全て、ラフィール氏によってお膳立てされた事であるせいか、旅情は、ほとんど感じませんねえ。

  三人称ですが、非常に細かく、マープルの心理を描き込んでおり、これは、他のマープルものとは、次元が違う書き方です。 はっきり言って、推理小説としては、無駄。 蛇足的な細かさでして、刈り込めば、半分くらいのページ数でも、書けるはず。 大袈裟な言い方ではなく、本来のボリュームは、その程度でしょう。 段階的に出て来る、推理・謎解き場面では、すでに、読者が知っている事の繰り返しも多いので、それらも、ざっくり切ってしまえば、ほんとに、半分くらいになるはず。

  旧領主邸の三姉妹の雰囲気について、「ロシア文学を思い起こさせる」という記述がありますが、この作品自体が、ロシア文学的な趣きがあります。 ロシア文学は、この頃もまだ、最先端と見做されており、イギリスの推理作家でも、影響を受けずにはいられなかったのかも知れません。

  ディクスン・カーさんは、ロシア文学に敵意を剥き出しにして、登場人物の口を借りて、直接、扱き下ろしていましたが、クリスティーさんは、自作に、ロシア文学的な心理描写を組み込む事で、同列に並ぼうとしたわけだ。 そんな事をしても、推理小説の枠から逃れられるわけがないのであって、無駄な模索に終わったわけですが。 大体、読者の層が、全然違うではないですか。 推理小説の読者で、ロシア文学も読むという人は、1割もいないのでは?




≪スリーピング・マーダー≫

クリスティー文庫 46
早川書房 2004年11月30日/初版
アガサ・クリスティー 著
綾川梓 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【スリーピング・マーダー】は、コピー・ライトが、1976年になっています。 約372ページ。 マープル物の長編、全12作の、最終作。 といっても、発表されたのが、最後という意味でして、書かれたのは、1940年代との事。 ストックしてあった作品を、作者の死後に発表したものである点、ポワロ物の、【カーテン】と同じですが、【カーテン】が、ポワロの最後の仕事として書かれているのに対し、【スリーピング・マーダー】は、マープルの最後の仕事というわけではありません。


  幼い頃に、母親を亡くし、父親からも離されて、ニュージーランドで育てられた女性が、結婚して、イギリスに戻って来る。 知らない町で、気に入った家を買ったが、どうも、その家のそこかしこに見覚えがある。 やがて、自分が幼い頃に住んでいた家である事が分かったが、同時に、その家で、継母が殺された記憶まで、思い出してしまった。 相談したマープルからは、「何も調べない方がいい」と言われたが、そうも行かず、過去の事を調べて行く内に・・・、という話。

  この導入部も、素晴らしい。 マープル物は、導入部が優れているものが、多いですな。 「庭の、この場所に、階段があって然るべきだ」と思って、庭師に頼んだら、埋められていた階段が出て来た、とか、「家の中の、この場所に、ドアがあって然るべきだ」と思って、大工に頼んだら、元々、ドアがあったのを、壁にしてあった、とか、もう、読んでいると、ゾクゾクして、たまりません。 オカルトや、超能力ではないんですよ。 前に住んでいた家である事を、完全に忘れていただけなのです。

  「すっかり忘れていた事を、あるきっかけで思い出す」というのは、有名な【顔】など、松本清張さんの作品で、よく使われた手法ですが、元を辿れば、クリスティー作品から、いただいたのかも知れませんな。 やはり、クリスティーさんは、偉大だわ。

  「スリーピング・マーダー」というのは、「眠りながらする殺人」ではなく、「眠っていた殺人事件」の事で、ヒロインの継母は、18年前に行方不明になっており、ヒロインの父親を捨てて、男と失踪したと思われていたのが、ヒロインが、継母の死体を見た記憶を思い出した事で、眠っていた殺人事件が、目覚めてしまったわけですな。

  以下、ネタバレ、あり。

  継母の兄の証言で、彼女の男癖が悪かったという事が分かり、関係があった男三人が、容疑者になります。 三人もいれば、本来、複雑になるはずですが、いずれの男も、少し似通ったところがあり、読者としては、イメージの混同を起こさずにはいられません。 「これは、作者の罠なのでは?」と、いぶかしんでいると、案の定、罠でした。

  もし、罠がない場合を考えてみると、この犯人は、「この人しか、いないだろう」と思われるほど、犯人らしい人物です。 まあ、フー・ダニットだから、容疑者が多いのは当然で、問題はないんですが、容疑者三人を似たような印象にしてしまった事で、三人とも、犯人らしくなくなって、フー・ダニットが不発に終わってしまった感がなきにしもあらず。

  どうも、導入部が素晴らしいと、話の本体が、お留守になる傾向があるようです。 だけど、決して、平均を割るような出来ではないです。 もし、新人が、こういう作品を、出版社に持ち込んだら、「天才、現る!」と騒がれる様子が目に見えるレベル、と言ったら、誉め過ぎか。

  マープルは、初期長編にお決まりのパターンで、自分の力で捜査する事には控え目で、あちこち出かけて、捜査に当たるのは、専ら、ヒロインと、その夫です。 しかし、クライマックスでは、マープルが、活劇的に活躍します。 普段よく使っている道具を武器にして。 活劇場面は、あまり、マープルらしくない感じがしないでもないですが。




≪茶色の服の男≫

クリスティー文庫 72
早川書房 2011年5月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
深町眞理子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【茶色の服の男】は、コピー・ライトが、1924年になっています。 約502ページ。 クリスティー文庫ですが、トミーとタペンス・シリーズは端折り、短編集は後回しにし、ノン・シリーズに入りました。 この作品は、クリスティーさんの、ごく初期の長編で、若い女性が主人公。


  人類学者だった父が急死し、一人になってしまった娘。 冒険心に満ち溢れていて、たまたま出くわした事件の謎を追って、南アフリカ行きの船に乗る。 船中で、政界の有力者や、南米の鉱山でダイヤモンドを発見したばかりに、不遇な人生を送っていた青年と知り合い、数々の危難を乗り越えて行く話。

  この梗概で分かると思いますが、推理物ではないです。 この作品が書かれた時、すでに、クリスティーさんは、【スタイルズ荘の怪事件】と、【ゴルフ場殺人事件】を発表していて、ポワロも登場させていたわけですが、それら本格推理物とは別に、冒険物も手がけようとしていたわけですな。 諜報機関の人間も出て来るので、スパイ物の趣きもあります。

  冒険物やスパイ物と、推理物を混同していたわけではなく、明らかに、別物として、二兎を追っていた観あり。 ディクスン・カー氏同様、子供の頃には、大デュマの作品に心酔していた時期があったんじゃないでしょうか。 「自分でも、そんな、ドキドキ・ワクワクのめくるめく物語を書いてみよう」という気持ちは分からんでもないですが、推理物のつもりで、本を借りて来た読者としては、大いにいただけません。 こういうのが読みたいわけじゃないんだわ。

  502ページですから、大作ですが、中身は、ないも同然です。 若い女性が主人公なので、ラノベっぽい軽さがあるものの、ラノベっぽいといったら、ラノベに失礼。 冒険物は、子供が読むジャンルでして、大人で、これに、ドキドキ・ワクワクしているようでは、人間的に成長していないと謗られても仕方がありますまい。

  「冒険物が好きな人には、面白い」という誉め方すら、ためらわれるのは、どうにもこうにも、ストーリー展開に、軽さが感じられるからです。 主人公は、何度か、身の危険にさらされますが、話の軽いノリのせいで、読者の方は、「どうせ、助かるのだろう」と思ってしまうから、ドキドキもハラハラもしようがないのです。

  クライマックスは、化かし合いになります。 「罠に嵌まったと見せかけて、実は、承知の上の行為で、逆に、相手を罠に嵌めた」というパターンです。 これは、推理物における、ドンデン返しの連用と同じで、著しく、リアリティーを損ないます。 500ページもある作品にしては、あらゆる部分が、軽い。

  この主人公、冒険心に満ち溢れている設定ですが、後ろの方に行くと、恋した男の言うがままになってしまい、どんどん、つまらないキャラになって行きます。 クリスティーさんは、この作品を書いた時に、34歳で、そろそろ、若い頃の気持ちを忘れる年齢。 若い娘を主人公にするのは、これで、懲りてしまったのでは?

  以下、ネタバレ、あり。

  解説に出て来る、「ある作品と、同じアイデア」というのは、【アクロイド殺し】の事だと思われます。 そう言われれば、そうですな。 解説を読まなければ、気づきませんでした。 といっても、ほとんどは、主人公の一人称なので、【アクロイド殺し】と同アイデアを使っている、それ以外の部分は、ほんの一部ですけど。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、2022年の、

≪カリブ海の秘密≫が、11月2日から、4日。
≪復讐の女神≫が、11月10日から、13日。
≪スリーピング・マーダー≫が、11月15日から、17日まで。
≪茶色の服の男≫が、11月23日から、12月2日まで。


   今回紹介分の三冊で、マープル物は終わり、ノン・シリーズの長編に入りました。 ≪茶色の服の男≫に、日数がかかっているのは、途中、植木手入れをしていたからです。 その期間中は、本なんて、読む時間がありませんから。 

  マープル物の総括をすべきなんでしょうが、そんな気にならないのは、シリーズの統一性が、今一つだからでしょうか。 前にも書きましたが、マープル物は、ポワロ物の、補完として書かれていたもので、もし、マープル物だけしか書いていなかったら、クリスティーさんは、こんなに有名になれなかったでしょう。

  補完にしては、レベルが高く、部分的ではあるが、傑作と言っていいものもある、という点で、クリスティーさんの偉大さを、改めて感じるわけですが。