2023/05/28

EN125-2Aでプチ・ツーリング (44)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、44回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2023年4月分。





【三島市加茂・茶臼山展望台】

  2023年4月3日に、バイクで、三島市・加茂にある、「茶臼山展望台」へ行って来ました。 住所としては、加茂ですが、実際の場所は、ずっと山奥で、沢地と、川原ヶ谷に挟まれた所にあります。

≪写真1≫
  この小山が、茶臼山。 ここ自体が箱根の裾野で、この小山は、たぶん、箱根火山の流山なのではないかと思います。 道が狭く、舗装も悪く、車で来るのは、お薦めではありません。

≪写真2左≫
  東側の登り口に立っていた案内板。 「富士山」、「天城連山」、「沼津アルプス」が望めると書いてあります。 他に、利用上の注意や、周辺地図が載っています。

≪写真2右≫
  小山の頂上。 丸太で、机と椅子が作られています。 他に人がいなければ、ピクニックでお弁当を広げるのに、ちょうど良い。 複数グループで寛げるほど、広くはありません。

≪写真3左≫
  富士山方向にあった、写真板。 「三島市眺望地点 平成26年3月13日指定」とあります。

≪写真3右≫
  実際の富士山。 ほぼ、同じ。 天気が良かったので、清々と、綺麗に見えました。 「天城連山」、「沼津アルプス」は、手前の木が育ってしまって、よく見えませんでした。

≪写真4≫
  展望台から、東を見た景色。 春の山の色ですな。 のどかで、大変、良い雰囲気でした。

≪写真5左≫
  展望台にあった、注意看板。 何枚かありました。 面積の割には、注意看板が多過ぎる印象あり。

≪写真5右≫
  道路脇に、場所が空いていたので、そこに停めた、EN125-2A・鋭爽。

  道の舗装が悪くて、ところどころ、バウンドしながら、登って来ました。 帰りも同様。 オフ・ロード・バイクなら、気にしませんが、オン・ロード・バイクの場合、なるべく、悪い道は、走らない方がいいと思います。 サスに、過度の衝撃がかかって、壊してしまうかも知れないので。




【三島市徳倉・徳倉城跡】

  2023年4月10日、バイクで、三島市・徳倉にある、「徳倉城跡」へ行って来ました。 以前行った、「八乙女神社」の近く。 というか、八乙女神社の東側が、もろに、城跡でした。 ネット上で調べたところ、城跡というより、堡跡(とりで・あと)らしいです。 戦国時代、後北条氏が造ったもの。 箱根西麓で、北条氏というと、「山中城」が有名ですが、ここは、その出城だったようです。

≪写真1≫
  これは、城跡というより、その上に造られた住宅地の写真になってしまっていますが、この丘陵も、城跡の一部とみた方が良さそう。 下は、かなり、傾斜が強い畑になっています。  遠くに、富士山が見えています。 

≪写真2≫
  高い所に、五輪塔が並んでいました。 五輪塔は、お墓ですから、城とは、別に関係ないのかも知れません。

≪写真3≫
  南の方に、土塁のようなものがありました。 しかし、当時のものなのか、最近、造ったものなのかは、不明。

≪写真4左≫
  これは、五輪塔の近くですが、ここにも、土塁のような遺構があります。 感覚的に分かる事ですが、確かに、これは、後北条氏の城の造り方ですわ。 山城ですから、石垣は使わず、土を掘ったり盛ったりして、起伏を設けるわけです。

≪写真4右≫
  タンポポ。 いくつも、咲いていました。 ほとんどが私有地らしく、史跡としての整備は、中途半端で、道も、ないわけではないが、見学用に整えられているわけではありません。 さっさと見て、さっさと帰るのが良いと思います。

≪写真5左≫
  住宅地の南端にあった、公園。 ベンチと、鉄棒があります。 南方向は、眺めがいいです。

≪写真5右≫
  公園の外の道路に停めた、EN125-2A・鋭爽。 北側の住宅地の方から入って来たんですが、この道、行き止まりでして、下り坂で方向転換させるのに、骨を折ってしまいました。 車だと、バックで戻る必要があります。 もっとも、そもそも、車で来るような所ではないです。

  ネット情報だと、城跡の南側を通る道に、解説板があるらしいのですが、確認して来ませんでした。 まあ、解説板を見に行ったわけではないから、城跡が見れれば、それでいいのですが。




【三島市加茂川町・川原ヶ谷城跡】

  2023年4月17日、バイクで、三島市・加茂川町にある、「川原ヶ谷城跡」へ行って来ました。 三島市には、「川原ヶ谷」という地区名もあるのですが、なぜ、「加茂川町」になっているのかというと、城跡が、二つの地区に跨っているからです。 位置的には、三嶋大社から、東へ行って、川を渡って、すぐの所です。 起伏がある地形ですが、住宅地になっています。

≪写真1≫
  城跡の、というより、「陸軍墓地」の入口。 といっても、ネット地図にそう載っているだけで、墓地らしきものはありません。 ここも含めて、城跡である様子。 入口の左右に、門柱が立っていて、個人の土地かと思いきや、そうではありませんでした。

  敷地が、二段になっていて、このまま入って行くと、下の段に至ります。

≪写真2左≫
  下の段から、上の段に上がる石段。 この写真では分かりませんが、自然石を使った、大変、ワイルドな造りです。 おそらく、ハイ・ヒールでは、上がるのも、下るのも、怖いでしょう。

≪写真2右≫
  下の段で咲いていた、ドウダンツツジ。 やはり、躑躅だから、躑躅の季節に咲くんですなあ。 花は、似ても似つきませんが。 似た花に、アセビの花があります。

≪写真3≫
  上の段の、正面にある、「忠魂碑」。 奥に、「平和の碑」という石碑もあります。 今までにも、何度か書いていますが、忠魂碑は、戦死者を顕彰する為のものであって、平和主義とは、むしろ、対極にあります。 「戦死者のお陰で、平和になった」というのは、論理的に、こじつけでしかありませんが、日本では、論理が尊ばれないので、こういうのも、アリなんですな。

  青の龍舌蘭が、5株、ありました。 結構な大きさ。

≪写真4左≫
  上の段を、横から見た景色。 道路を左折し、坂を上がっていくと、道路脇から、上の段に直接入れます。

≪写真4右≫
  住宅地を、北に進むと、空間が開けて、東海道本線に出ました。 その向こう側に、以前、行った、「三島中央自動車学校」が見えました。 そうか、ここは、この辺りだったのか。

≪写真5左≫
  城跡の、川原ヶ谷地区側にある、願成寺。 三島市の天念記念物として、クスノキが、ネット地図に載っていますが、この大きな木がそうなんじゃないでしょうか。 樹齢300年以上との事。

  この辺り、地形の起伏が大変、複雑です。 いかにも、城が作られそうな所。

≪写真5右≫
  バイクは、お寺の方の、道路に面した場所に停めさせてもらいました。 お寺には、駐車場もありましたが、お寺を訪ねて来たわけではないのに、堂々と停めるのも、図々しいと思って。 もっとも、ここも、お寺の敷地だから、図々しく停めた事に変わりはないか・・・。 申しわけない。




【三島市佐野・山神社】

  2023年4月25日、バイクで、三島市・佐野にある、「山神社」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 日大通りを北上し、大場川の手前で、箱根方向に入って行きます。

≪写真1≫
  こういう山の中です。 もっとも、バイクで来れるような場所だから、まだまだ、裾野の口ですが。

≪写真2≫
  社殿。 建物が一つしかない場合、この中に、本殿が納まっているのが普通で、拝殿というより、覆いですな。 木造で、側面と背面を、トタン板で覆われています。

≪写真3左≫
  社殿を斜め後ろから。 文化瓦が葺かれています。 いつ頃の建築なんでしょう?

≪写真3右≫
  白い鳥居は、鉄製。 しっかり、塗装してあれば、存外、もちがいいかも知れません。

≪写真4左≫
  社殿の正面扉に、閂がかけてあり、古いタイプの錠がかけられていました。 こういう錠が、現役で使われているのは、珍しい。 閂の上に、硬貨が置かれています。 賽銭でしょうな。

≪写真4右≫
  道に停めた、EN125-2A・鋭爽。 車が来そうにないので、停止した所で、そのまま、停めました。 この道、そこそこの急坂でして、幅が狭いので、転回ができず、帰る時には、跨って両足をつき、ジリジリ バックしながら、広い所まで戻りました。

≪写真5≫
  神社から、徒歩で、道を上がって行ったら、視界が開けました。 上に見える建物群は、芙蓉台の辺りでしょうか。 下の方に、廃墟のような、コの字の壁が見えます。 どんな建物があったんでしょうねえ。




  今回は、ここまで。

  4月も、組み写真、4枚で済みました。 神社が、一ヵ所 含まれているものの、鳥居と社殿だけの簡素な所だったから、この程度の枚数で済んだ次第。 最近、城跡へ行く事が多いですが、私自身は、城跡フリークというわけではなく、土塁や掘切に、胸がときめくような事はないです。 大抵の城跡は、壊れているか、壊されているので、時の流れの残酷さに、虚しさを感じるだけ。