読書感想文・蔵出し (101)
読書感想文です。 また、月一に戻ってしまったので、在庫が減らんなあ。 7月が、日曜日が、5回あるから、そこで、2回か、3回、蔵出ししましょうか。 まだ、先の話ですが。
≪殺人は容易だ≫
クリスティー文庫 79
早川書房 2004年3月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
高橋豊 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【殺人は容易だ】は、コピー・ライトが、1939年になっています。 約403ページ。 これは、ノン・シリーズの推理小説です。
マレー植民地で警察官をやっていた男が、本国へ戻って来る。 ロンドンへ向かう列車内で道連れになった高齢女性から、彼女の村で起こっている連続不審死について、犯人の目星がついていると聞かされたが、真に受けなかった。 ところが、その日の内に、彼女は車に轢かれて死んでしまった事が、後で分かる。 もしや、本当に連続殺人が行なわれているのではないかと思い、民間伝承の研究者に化けて、村へ乗り込み、捜査を始める話。
タイトルの意味は、殺人の方法が、至って、単純なものである事を表しています。 ただし、バレないようにやればという条件付き。 それは、どんな殺人でも、同じ事ですが。 単純な方法を繰り返しているという事は、単純な方法しかとれないという事でして、犯人のカテゴリーが、ある程度、絞られて来ます。
典型的な、フー・ダニット。 容疑者が多いから、聞き取り場面も多く、些か、うんざりします。 三人称で、視点人物が、探偵役ですが、中途段階で、間違った推理が展開されるので、その部分は、あまり、真面目に読まない方がいいです。 混乱させられるだけ。 常識的に考えて、推理小説の中程で、犯人が分かってしまうなどという事はあり得ないのですから、間違っているに決まっています。
以下、ネタバレ、あり。 この作品は、ネタバレさせないと、感想が書けないんですわ
この作品が、他のフー・ダニット物と異なるのは、視点人物が探偵役であるにも拘らず、彼が事件の謎を解くわけではないという点にあります。 変でしょう? というか、変わっているでしょう? 彼は、犯人の推定を、二回、間違えた後、偶然、犯人が新たな犯行をする場面に行き合わせて、たまたま、犯人を捕まえるのです。
つまり、クリスティーさんは、そのアイデアを書きたかったわけですな。 問題は、その形式が面白いかどうかでして、はっきり言って、面白くありません。 探偵役が、探偵としての役割を果たしていないせいで、読者側は、謎解き場面で、爽快感を得られず、もやもやした気分で、読み終わる事になるからです。
実験としては、失敗。 この後に書かれるのが、【そして誰もいなくなった】でして、そちらは、同じ実験小説でも、推理小説の歴史に残るような大成功を収めたわけで、この作品とは、比較にならないほど、優れています。
≪死が最後にやってくる≫
クリスティー文庫 83
早川書房 2004年4月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
加島祥造 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【死が最後にやってくる】は、コピー・ライトが、1945年になっています。 約409ページ。 ノン・シリーズの推理小説ですが、舞台は、大変、変わっています。
4000年前のエジプトで、墳墓の管理を生業にしている一家。 家族構成は、当主と、その母親。 当主には、息子が三人いて、長男と次男には、妻子がいる。 夫を失って、出戻った娘と、その子供。 他に、召し使い達。 仕事の用事で、北部へ旅に出ていた当主が、若い妾を伴って、帰って来る。 財産分与の敵が増えて、当主の息子達は、若い妾と対立を深める。 当主が再び旅に出ている間に、家に残っていた若い妾が・・・、という話。
作者の前書きにも、「どの国の、どの時代でも、成り立つ話」と書いてありますが、正に、その通りで、古代エジプトでなければならない必要は、ほとんど、ありません。 いや、皆無と言ってしまってもいいです。 日本のシリーズ・ドラマや、連載漫画で、現代劇なのに、一回だけ、江戸時代に舞台を移した話が作られるケースがありますが、あれと似ています。 洒落・冗談のノリ、といったら、中身が真面目すぎるか。
とにかく、バタバタ、人が死にます。 家族の中で、最終的に生き残るのは、ほんの僅か。 フー・ダニット物では、あまり、人が死に過ぎると、容疑者も減って、犯人が自然と分かってしまう事がありますが、そうなるギリギリのところで、連続殺人が終わります。 犯人が分かっても、意外性を感じないのは、容疑者が減り過ぎているからでしょうか。 クリスティー作品の推理物としては、あまり、出来がよくない部類なのでは?
古代エジプトを舞台にしていても、推理小説の魅力は、損なわれていませんが、当時の風俗について、みっちり書き込まれているわけではないので、古代エジプトに興味がある人が読むと、「なんだ、この程度か」と、ガッカリするかも知れません。 あくまで、推理小説であって、舞台がどこか、どの時代かは、二の次なわけだ。
クリスティーさんは、二度目の夫が、考古学者で、自身、中東に何度も行っているのですが、古代社会に、趣味的な興味があったわけではない様子。 でなければ、もっと、古代エジプト人の生活について、自分の知っている事を、細々と書き込んだと思うのです。 他人から借りた資料を読んで、頭に入る事は、この程度なんでしょうな。 いかに、クリスティーさんと言えども。
推理物の部分で、敢えて、ケチをつけるなら、探偵役が誰なのか、はっきりしていないので、読者としては、不安定な感じがします。 「この人は、絶対、犯人ではないだろう」と思っていた人が、途中で殺されてしまうから、尚の事。 犯人が分かるところまで、つまり、全体の95パーセントくらい行かないと、その感じは消えません。 やはり、探偵役は、いた方がいいんですな。
≪忘られぬ死≫
クリスティー文庫 84
早川書房 2004年5月15日/初版 2019年7月25日/4版
アガサ・クリスティー 著
中村能三 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【忘られぬ死】は、コピー・ライトが、1945年になっています。 約440ページ。 ノン・シリーズの推理小説。
大変な資産家である上に、性的魅力にも溢れた女性が、レストランで服毒自殺してから一年。 関係する6人の人物が、彼女について、回想を巡らせていた。 夫だった男の発案で、再び、同じレストランに集められた人々は、ある人物を紹介される事になっていたが、その前に、意外な人物が、またも、毒を盛られてしまい・・・、という話。
山に登って、下りて来るような話の流れです。 第一の事件に関係する6人、一人一人に過去を語らせた後、第二の事件が起こり、そこが、山の頂上。 聞き取り捜査が進められ、一人一人が怪しまれますが、一人一人、容疑が晴れて行きます。 結局、ある意味、一番、犯人らしかった人物が犯人なのですが、見抜ける読者がいるかどうか、微妙なところ。 分かる人は、分かると思います。
探偵役は、元陸軍情報部の退役大佐から、死んだ女性と関連があった青年に、リレーされる形になります。 些か、国際スパイ物的な雰囲気になり、白けかけるのですが、最後まで読むと、そちら方面の話ではない事が分かります。 情報部の人間を出す事が、目晦ましに使われているわけですな。
この作品も、何かしら、実験を試みたのかも知れませんが、よほど、推理小説を研究している人でないと、はっきり指摘できないと思います。 私程度の読者では、普通に、フー・ダニット物として、読み終えてしまいますな。 作品全体を見れば、つまらないという事はないです。 実験アイデア自体が面白いとは感じないというだけで。
トリックは、犯人の長期に渡るアリバイを隠すのに使われています。 事件現場でも、トリックが使われますが、オマケのようなもので、謎は、トリックとは別の原因で発生しています。 こういうのは、本格トリック物としては、二流のアイデアですな。 ただし、推理小説の謎・トリック方面のアイデアは、クリスティーさんが書き始めた頃には、すでに出尽くしていたのであって、そこを批判するのは、酷というものでしょう。
≪暗い抱擁≫
クリスティー文庫 86
早川書房 2004年6月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村妙子 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【暗い抱擁】は、コピー・ライトが、1947年になっています。 約364ページ。 ノン・シリーズの一般小説。
結婚寸前に、交通事故で、車椅子生活になった青年が、婚約者から離れて、兄夫婦が住む土地へ移り住む。 国政選挙の最中で、保守党から立候補している、保守派らしからぬ、型破りな少佐や、貴族の令嬢、獣医の妻らと知り合いになる。 少佐は、優位に選挙戦を戦っていたが、獣医の妻と良からぬ噂が立ち・・・、という話。
この梗概では、何も伝わりませんな。 推理小説ではないので、ネタバレを過度に避ける必要はないんですが、常識レベルで、ストーリーを知らない方が、楽しめると思うので、これ以上書きません。 カート・ボネガット・ジュニア作品じゃないんだから、「ストーリーなど、問題ではない」とも言えませんしねえ。
カバー裏表紙の紹介文に、「愛の小説」とあるのですが、少なくとも、全体の8割くらいは、愛とは、何の関係もない話です。 ズバリ、「イギリス国政選挙の、地方区戦の様子を描いたもの」と言ってしまっても、甚だしくは外れていない内容。 選挙に関する書き込みが、最も多いです。
これは、勘繰りですが、クリスティーさん、誰かに、「推理作家として有名でも、政治の事なんか、全然、分からないんだろう」とでも言われて、カチンと来て、「私だって、このくらいの事は、知ってるんだよ」と、思いっきり、書き倒してやったのでは? そう思ってしまうくらい、政治にどっぷり浸した内容なのです。
愛については、終盤に、急展開があり、彼らの動機が、愛だと言いたい次第。 だけど、取って付けた感が強いですねえ。 政治の事ばかり書いていたのでは、小説にならないから、強引に、話を切り返して、ドラマチックな展開に持って行ったという体裁。 プロットを良く練るのが身上の、クリスティーさんの作品とは思えない。 実に、らしくない。
松本清張さんの長編小説に、自身が出かけた旅行の記録を元にして、強引に、推理小説に仕立ててしまったものが、幾つかありますが、それらと似た強引さを感じます。 決して、傑作などというものではないので、そこは、冷めた目で評価すべきですな。 どんな大作家でも、誉められない作品はあるものです。
以上、四冊です。 読んだ期間は、2023年の、
≪殺人は容易だ≫が、1月25日から、30日。
≪死が最後にやってくる≫が、1月31日から、2月3日。
≪忘られぬ死≫が、2月8日から、10日まで。
≪暗い抱擁≫が、2月13日から、15日まで。
まだ、半年も経っていないのに、今年の、1月・2月頃、どんな生活をしていたのか、すっかり 忘れてしまっている事に気づき、動揺せざるを得ません。 日記を見れば、思い出す事はできるわけですが、なまじ、日記をつけているから、脳が、「忘れても、問題なし」と判断して、忘れ易くなっているのかも知れませんなあ。
それに関連して・・・、 認知不全になる人達が、日記をつけているか いないかを調査してみるのには、意味があると思います。 日記をつけていない人達は、記憶力を自慢にしている人達と、かなりの部分、重なると思うのですが、多くの事を記憶していようとすれば、それだけ、脳に負担がかかるわけで、記憶容量に、ゆとりがなくなり、早く、認知不全を発症するのではないかと思うのです。
ちなみに、「記憶の変容」という現象があり、「絶対、間違いない」と思っている記憶でも、日記の記録と照らし合わせてみると、違っていたという事が、よく あります。 人を間違えていた、機会を間違えていた、場所を間違えていた、等々。 日記をつけていない人は、確かめようがないので、変わってしまった記憶を、「絶対、間違いない!」と、頑なに言い張って、周囲の顰蹙を買い、呆れられてしまう事が、多くあると思います。 日記をつけている人でも、それを確認しないで 喋っていれば、同じ事ですが。
≪殺人は容易だ≫
クリスティー文庫 79
早川書房 2004年3月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
高橋豊 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【殺人は容易だ】は、コピー・ライトが、1939年になっています。 約403ページ。 これは、ノン・シリーズの推理小説です。
マレー植民地で警察官をやっていた男が、本国へ戻って来る。 ロンドンへ向かう列車内で道連れになった高齢女性から、彼女の村で起こっている連続不審死について、犯人の目星がついていると聞かされたが、真に受けなかった。 ところが、その日の内に、彼女は車に轢かれて死んでしまった事が、後で分かる。 もしや、本当に連続殺人が行なわれているのではないかと思い、民間伝承の研究者に化けて、村へ乗り込み、捜査を始める話。
タイトルの意味は、殺人の方法が、至って、単純なものである事を表しています。 ただし、バレないようにやればという条件付き。 それは、どんな殺人でも、同じ事ですが。 単純な方法を繰り返しているという事は、単純な方法しかとれないという事でして、犯人のカテゴリーが、ある程度、絞られて来ます。
典型的な、フー・ダニット。 容疑者が多いから、聞き取り場面も多く、些か、うんざりします。 三人称で、視点人物が、探偵役ですが、中途段階で、間違った推理が展開されるので、その部分は、あまり、真面目に読まない方がいいです。 混乱させられるだけ。 常識的に考えて、推理小説の中程で、犯人が分かってしまうなどという事はあり得ないのですから、間違っているに決まっています。
以下、ネタバレ、あり。 この作品は、ネタバレさせないと、感想が書けないんですわ
この作品が、他のフー・ダニット物と異なるのは、視点人物が探偵役であるにも拘らず、彼が事件の謎を解くわけではないという点にあります。 変でしょう? というか、変わっているでしょう? 彼は、犯人の推定を、二回、間違えた後、偶然、犯人が新たな犯行をする場面に行き合わせて、たまたま、犯人を捕まえるのです。
つまり、クリスティーさんは、そのアイデアを書きたかったわけですな。 問題は、その形式が面白いかどうかでして、はっきり言って、面白くありません。 探偵役が、探偵としての役割を果たしていないせいで、読者側は、謎解き場面で、爽快感を得られず、もやもやした気分で、読み終わる事になるからです。
実験としては、失敗。 この後に書かれるのが、【そして誰もいなくなった】でして、そちらは、同じ実験小説でも、推理小説の歴史に残るような大成功を収めたわけで、この作品とは、比較にならないほど、優れています。
≪死が最後にやってくる≫
クリスティー文庫 83
早川書房 2004年4月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
加島祥造 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【死が最後にやってくる】は、コピー・ライトが、1945年になっています。 約409ページ。 ノン・シリーズの推理小説ですが、舞台は、大変、変わっています。
4000年前のエジプトで、墳墓の管理を生業にしている一家。 家族構成は、当主と、その母親。 当主には、息子が三人いて、長男と次男には、妻子がいる。 夫を失って、出戻った娘と、その子供。 他に、召し使い達。 仕事の用事で、北部へ旅に出ていた当主が、若い妾を伴って、帰って来る。 財産分与の敵が増えて、当主の息子達は、若い妾と対立を深める。 当主が再び旅に出ている間に、家に残っていた若い妾が・・・、という話。
作者の前書きにも、「どの国の、どの時代でも、成り立つ話」と書いてありますが、正に、その通りで、古代エジプトでなければならない必要は、ほとんど、ありません。 いや、皆無と言ってしまってもいいです。 日本のシリーズ・ドラマや、連載漫画で、現代劇なのに、一回だけ、江戸時代に舞台を移した話が作られるケースがありますが、あれと似ています。 洒落・冗談のノリ、といったら、中身が真面目すぎるか。
とにかく、バタバタ、人が死にます。 家族の中で、最終的に生き残るのは、ほんの僅か。 フー・ダニット物では、あまり、人が死に過ぎると、容疑者も減って、犯人が自然と分かってしまう事がありますが、そうなるギリギリのところで、連続殺人が終わります。 犯人が分かっても、意外性を感じないのは、容疑者が減り過ぎているからでしょうか。 クリスティー作品の推理物としては、あまり、出来がよくない部類なのでは?
古代エジプトを舞台にしていても、推理小説の魅力は、損なわれていませんが、当時の風俗について、みっちり書き込まれているわけではないので、古代エジプトに興味がある人が読むと、「なんだ、この程度か」と、ガッカリするかも知れません。 あくまで、推理小説であって、舞台がどこか、どの時代かは、二の次なわけだ。
クリスティーさんは、二度目の夫が、考古学者で、自身、中東に何度も行っているのですが、古代社会に、趣味的な興味があったわけではない様子。 でなければ、もっと、古代エジプト人の生活について、自分の知っている事を、細々と書き込んだと思うのです。 他人から借りた資料を読んで、頭に入る事は、この程度なんでしょうな。 いかに、クリスティーさんと言えども。
推理物の部分で、敢えて、ケチをつけるなら、探偵役が誰なのか、はっきりしていないので、読者としては、不安定な感じがします。 「この人は、絶対、犯人ではないだろう」と思っていた人が、途中で殺されてしまうから、尚の事。 犯人が分かるところまで、つまり、全体の95パーセントくらい行かないと、その感じは消えません。 やはり、探偵役は、いた方がいいんですな。
≪忘られぬ死≫
クリスティー文庫 84
早川書房 2004年5月15日/初版 2019年7月25日/4版
アガサ・クリスティー 著
中村能三 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【忘られぬ死】は、コピー・ライトが、1945年になっています。 約440ページ。 ノン・シリーズの推理小説。
大変な資産家である上に、性的魅力にも溢れた女性が、レストランで服毒自殺してから一年。 関係する6人の人物が、彼女について、回想を巡らせていた。 夫だった男の発案で、再び、同じレストランに集められた人々は、ある人物を紹介される事になっていたが、その前に、意外な人物が、またも、毒を盛られてしまい・・・、という話。
山に登って、下りて来るような話の流れです。 第一の事件に関係する6人、一人一人に過去を語らせた後、第二の事件が起こり、そこが、山の頂上。 聞き取り捜査が進められ、一人一人が怪しまれますが、一人一人、容疑が晴れて行きます。 結局、ある意味、一番、犯人らしかった人物が犯人なのですが、見抜ける読者がいるかどうか、微妙なところ。 分かる人は、分かると思います。
探偵役は、元陸軍情報部の退役大佐から、死んだ女性と関連があった青年に、リレーされる形になります。 些か、国際スパイ物的な雰囲気になり、白けかけるのですが、最後まで読むと、そちら方面の話ではない事が分かります。 情報部の人間を出す事が、目晦ましに使われているわけですな。
この作品も、何かしら、実験を試みたのかも知れませんが、よほど、推理小説を研究している人でないと、はっきり指摘できないと思います。 私程度の読者では、普通に、フー・ダニット物として、読み終えてしまいますな。 作品全体を見れば、つまらないという事はないです。 実験アイデア自体が面白いとは感じないというだけで。
トリックは、犯人の長期に渡るアリバイを隠すのに使われています。 事件現場でも、トリックが使われますが、オマケのようなもので、謎は、トリックとは別の原因で発生しています。 こういうのは、本格トリック物としては、二流のアイデアですな。 ただし、推理小説の謎・トリック方面のアイデアは、クリスティーさんが書き始めた頃には、すでに出尽くしていたのであって、そこを批判するのは、酷というものでしょう。
≪暗い抱擁≫
クリスティー文庫 86
早川書房 2004年6月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村妙子 訳
沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【暗い抱擁】は、コピー・ライトが、1947年になっています。 約364ページ。 ノン・シリーズの一般小説。
結婚寸前に、交通事故で、車椅子生活になった青年が、婚約者から離れて、兄夫婦が住む土地へ移り住む。 国政選挙の最中で、保守党から立候補している、保守派らしからぬ、型破りな少佐や、貴族の令嬢、獣医の妻らと知り合いになる。 少佐は、優位に選挙戦を戦っていたが、獣医の妻と良からぬ噂が立ち・・・、という話。
この梗概では、何も伝わりませんな。 推理小説ではないので、ネタバレを過度に避ける必要はないんですが、常識レベルで、ストーリーを知らない方が、楽しめると思うので、これ以上書きません。 カート・ボネガット・ジュニア作品じゃないんだから、「ストーリーなど、問題ではない」とも言えませんしねえ。
カバー裏表紙の紹介文に、「愛の小説」とあるのですが、少なくとも、全体の8割くらいは、愛とは、何の関係もない話です。 ズバリ、「イギリス国政選挙の、地方区戦の様子を描いたもの」と言ってしまっても、甚だしくは外れていない内容。 選挙に関する書き込みが、最も多いです。
これは、勘繰りですが、クリスティーさん、誰かに、「推理作家として有名でも、政治の事なんか、全然、分からないんだろう」とでも言われて、カチンと来て、「私だって、このくらいの事は、知ってるんだよ」と、思いっきり、書き倒してやったのでは? そう思ってしまうくらい、政治にどっぷり浸した内容なのです。
愛については、終盤に、急展開があり、彼らの動機が、愛だと言いたい次第。 だけど、取って付けた感が強いですねえ。 政治の事ばかり書いていたのでは、小説にならないから、強引に、話を切り返して、ドラマチックな展開に持って行ったという体裁。 プロットを良く練るのが身上の、クリスティーさんの作品とは思えない。 実に、らしくない。
松本清張さんの長編小説に、自身が出かけた旅行の記録を元にして、強引に、推理小説に仕立ててしまったものが、幾つかありますが、それらと似た強引さを感じます。 決して、傑作などというものではないので、そこは、冷めた目で評価すべきですな。 どんな大作家でも、誉められない作品はあるものです。
以上、四冊です。 読んだ期間は、2023年の、
≪殺人は容易だ≫が、1月25日から、30日。
≪死が最後にやってくる≫が、1月31日から、2月3日。
≪忘られぬ死≫が、2月8日から、10日まで。
≪暗い抱擁≫が、2月13日から、15日まで。
まだ、半年も経っていないのに、今年の、1月・2月頃、どんな生活をしていたのか、すっかり 忘れてしまっている事に気づき、動揺せざるを得ません。 日記を見れば、思い出す事はできるわけですが、なまじ、日記をつけているから、脳が、「忘れても、問題なし」と判断して、忘れ易くなっているのかも知れませんなあ。
それに関連して・・・、 認知不全になる人達が、日記をつけているか いないかを調査してみるのには、意味があると思います。 日記をつけていない人達は、記憶力を自慢にしている人達と、かなりの部分、重なると思うのですが、多くの事を記憶していようとすれば、それだけ、脳に負担がかかるわけで、記憶容量に、ゆとりがなくなり、早く、認知不全を発症するのではないかと思うのです。
ちなみに、「記憶の変容」という現象があり、「絶対、間違いない」と思っている記憶でも、日記の記録と照らし合わせてみると、違っていたという事が、よく あります。 人を間違えていた、機会を間違えていた、場所を間違えていた、等々。 日記をつけていない人は、確かめようがないので、変わってしまった記憶を、「絶対、間違いない!」と、頑なに言い張って、周囲の顰蹙を買い、呆れられてしまう事が、多くあると思います。 日記をつけている人でも、それを確認しないで 喋っていれば、同じ事ですが。
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