2023/07/02

読書感想文・蔵出し (102)

  読書感想文です。 先月、予告した通り、在庫が溜まり過ぎているので、今週から、三回連続、蔵出しします。 これが初めてというわけではなく、過去には、在庫がなくなるまで、延々と何週間も蔵出しを続けた事もあります。 月の第何週に、何の記事を出すというパターンが定まってから、そんなに経っていないのです。 このブログも、長く続けて来たから、以前、どんな事を書いていたか、容易に思い出せなくなってしまいました。





≪ねじれた家≫

クリスティー文庫 87
早川書房 2004年6月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
田村隆一 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【ねじれた家】は、コピー・ライトが、1949年になっています。 約372ページ。 ノン・シリーズの推理小説。


  ギリシャ系の富豪が建てた、奇妙なイギリス風大邸宅で、その当主が毒殺される。 孫娘と婚約していた外交官の青年が、父親である警視庁副総監と相談の上で、屋敷に赴き、全員が容疑者である、被害者の家族を観察する。 遺言書では、家族全員に利益が渡るようになっていて、特に急いで、殺さなければならない動機を持つ者がいなかった。 婚約者の妹が、まだ、子供なのに、家族の秘密を探るのを趣味としており、いろんな情報を聞かせてくれるが・・・、という話。 

  先に、2017年に作られた映画を見ていたので、犯人を覚えており、小説の方は、犯人当てという目的では、楽しめませんでした。 やはり、推理小説は、犯人を知ってしまっていると、駄目なんですな。 ちなみに、映画のストーリーは、ほぼ、原作通り。 主人公が、原作では、外交官なのが、映画では、私立探偵になっていました。 外交官が、素人探偵をするのに、違和感があったんでしょうか。 暗い映画でしたが、原作も、ファースは全く入っておらず、暗さの程度は変わりません。

  作者自身の選による、ベスト・10に入っているらしいですが、読んでみると、割とありふれた、フー・ダニット物でして、どこに、そんな自信があったのか、どうにも、解せません。 ちょっと、穿った見方ですが、エラリー・クイーン作、【Yの悲劇】(1932年)に似たところがあり、【Yの悲劇】よりも、うまく、ストーリーを作った、という意味で、自信があったんでしょうか。

  確かに、まず、普通に読んで行ったのでは、この犯人は分かりません。 しかし、犯人を知っている者が読んだ場合、大変、巧みに、伏線を張ってある事に気づきます。 解説で、二度読みを勧めていますが、正に、そうするべき作品です。 実際には、すぐに、もう一度、読み直す人は、稀だと思いますが。 私の場合、先に映画を見ていたから、二度読みと同じ効果が出たというわけ。

  問題は、一人称の主人公が、探偵として、屋敷に入っているにも拘らず、探偵としての役どころを果たしていない事ですな。 探偵物としては、成り立っていないのです。 探偵役がいないと、落ち着いて読めないという読者には、不評なのでは? 私も、その一人で、視点を共有できる探偵役がはっきりしていないと、作品世界が、遠く感じられてしまうのです。




≪バグダッドの秘密≫

クリスティー文庫 88
早川書房 2004年7月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村妙子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【バグダッドの秘密】は、コピー・ライトが、1951年になっています。 約433ページ。 ノン・シリーズの国際スパイ物冒険小説。


  不真面目な勤務態度が原因で、失業した若い女性。 たまたま 出会ったイケメンの青年が、バグダッドに行くというので、追いかけたくなり、たまたま 介助者を必要としていた夫婦に雇われる格好で、一緒にバグダッドへ向かう。 青年とは会う事ができたが、世界的な陰謀組織の計画に巻き込まれてしまい、さらわれたり、荒野を逃げたり、考古学発掘隊に拾われたりと、めくるめく日々を送る事になる話。

  国際スパイ物は、戦間期から書かれていましたが、この頃、冷戦の構図が固まりつつあり、元々、この分野が得意だったクリスティーさんも、何か書かずにはいられなかったのではないかと、推測されます。 解説によると、有名な、≪007シリーズ≫よりは、この作品の方が、数年 早かったとの事。

  三人称ですが、主人公が若い女性、しかも、かなり、軽薄な性格で、それが、スパイ物のシリアスな雰囲気を、思い切り ぶち壊しています。 ≪茶色の服の男≫のヒロインを、キャラはそのまま、別人にして、再登板させた観あり。 もっとも、向こうは、曲がりなりにも、学者の娘でしたが、こちらは、天涯孤独で、ミスばかりしているタイピストという、取り得のない人でして、より、軽薄度が高いです。 これは、戦間期と、戦後の、イギリスに於ける、若い女のイメージの変化を表しているんでしょうな。

  話の雰囲気としては、≪007シリーズ≫よりも、≪ロマンシング・ストーン 秘宝の谷≫(1984年)という映画がありましたが、それに近いです。 とにかく、軽い。 ヒロインは、何度も危ない目に遭うけれど、割と簡単に、そこから逃れます。 もちろん、死んだりしません。

  国際スパイ物にせよ、冒険物にせよ、そういうのは、話の中身は、みな、似たようなものです。 必ず、主人公が、略取・監禁され、そこからの脱出が描かれます。 味方と思っていたのが、実は敵、騙し騙されの化かし合い、というのが、お決まりのパターン。 クリスティーさんにしてみれば、頭を使わずに、脊髄で書けるレベルの話で、たまには、こういうのが書きたくて、居ても立ってもいられない衝動を覚えていたんじゃないかと思います。

  ≪茶色の服の男≫と比べると、こちらの方が、読み応えがありますが、ちと 書き方が、手慣れ過ぎてしまって、初々しさが感じられないのは、残念です。 クリスティーさんの、推理小説が目当てという人は、とりあえず、この作品は飛ばしても、問題ありません。 時間を割いてまで読むようなものではないです。




≪娘は娘≫

クリスティー文庫 89
早川書房 2004年8月31日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村妙子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【娘は娘】は、コピー・ライトが、1952年になっています。 約411ページ。 メアリ・ウェストマコット名義の、一般小説、というよりは、純文学。


  夫の死後、女手一つで育てた、19歳の娘を、海外に送り出した母親。 娘の留守中に、ある男から求婚され、それを受け入れる事を決める。 ところが、帰って来た娘は、最初から、その男に虫が好かず、いがみあいを続けて、母娘の仲まで、険悪になって行く。 娘は、やがて、金持ちだが、品行芳しからぬ男と結婚するが、母親は・・・、という話。

  うーむ、ネタバレさせずに梗概を書くのが大変だな。 推理小説ではないから、ネタバレさせてしまっても、言語道断と言うほどの罪ではないんですが、やっぱり、ストーリー展開が、読ませどころになっていると、警戒してしまいますねえ。

  というわけで、以下、ネタバレ、あり。

  つまりその、母親と娘の関係を描いた話でして、娘が、母親の再婚が気に入らず、陰険な妨害行為をした挙句に、ブチ壊してしまうんですな。 その後、母親は、娘の求婚相手を、問題人物だと知りつつ、結婚を思い留まらせようとせずに、なるに任せてしまいます。 結婚を決めたのは、娘本人であって、母親は、止めなかったというだけですが、腹の底は、自分の再婚を破談に追い込んだ、娘に対する、復讐だったというわけ。

  こうネタを知ってしまっても、まだ、読む価値はあります。 大変、濃密な心理劇でして、ほとんど、実存主義と言っても良いくらい、深み・奥行きがあります。 さすが、クリスティーさん、人間観察が細かい。 もっとも、まだ、中高生くらいだと、読まない方が、いいかも知れませんねえ。 母親が、腹の底で何を考えているかなんて、知らない方が、幸せでしょうから。

  この娘が、母親の婚約者を拒絶する態度には、読んでいて、ムカムカ腹が立つところがあります。 相手がどんな人物か全く知らない、初対面の時点で、もう、「再婚相手として、相応しくない」などと言っており、人を見る目なんて、まるで、ないのです。 単に、母親との生活を壊されるのが嫌だっただけなのは、明々白々。 ガキのまんまなのであって、好感度は、ゼロ、というか、マイナスです。

  自分自身、結婚に失敗して、身を持ち崩して行くのですが、こんな馬鹿は、救済してやる必要などありません。 そのまま、生き地獄へ落としてやればいいのに。 カナダで、牧場の仕事? そんなの、働いた事もない無能人間にできるわけがありません。 世の中、そんなに甘くない。 仕事の邪魔にしかならず、「あんた、もう、いいから、イギリスへ帰んな」と言い渡されるのがオチでしょう。

  母親も母親でして、自分の娘の根性がネジケ曲がっている事に、気づかないまま、婚約者を紹介したのが、最悪の失敗。 こんな娘に育てた母親自身にも、責任はあります。 つまり、母娘そろって、そういう、しょーもない人格だったわけだ。 どっちが悪いという目で見れば、娘の方が悪いですが、母親も同じ穴の狢で、五十歩百歩です。

  更に腹が立つのは、1952年でしょ? まだ、戦前の習慣が残っていて、この母娘の家が、有閑階級なんですわ。 仕事なんて、全くしないで、資産で喰っているのです。 ざけんなよ。 自分は、一円も稼ぐ能力がないくせに、娘が母親の婚約者に駄目出しをしまくる様子は、グロテスクでしかありません。




≪死への旅≫

クリスティー文庫 90
早川書房 2004年8月31日/初版
アガサ・クリスティー 著
奥村章子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【死への旅】は、コピー・ライトが、1955年になっています。 約367ページ。 国際スパイ・冒険小説。 読む前から、熱が出そうだ。


  夫と娘を失い、自殺を試みた まだ若い女性が、イギリスの情報部員に助けられ、どうせ死ぬなら、スパイの仕事をやってくれないかと、スカウトされる。 東西冷戦の時代、各国の核分裂研究者達が、突然、姿を消す事件が起こっていた。 飛行機事故で死んだ 研究者の妻になりすました彼女は、ある組織に捕えられ、研究者達が軟禁されている施設へ連れて行かれるが・・・、という話。

  もう、≪007シリーズ≫と、区別がつかないような世界ですな。 主人公が、女性で、しかも、自殺志願者だったのが、「どうせ死ぬなら・・・」と頼まれて、危険な仕事を引き受けるという、軽いノリ。 こういう素性なら、読者も、「ああ、どうせ、自殺するつもりだったんだから、危ない目に遭っても、同情する事はないな」と、安心して読めると考えたんでしょう。

  しかし、そもそも、自殺志願者は、「どうせ、死ぬなら、危険な事でもやってやろう」という考え方に、なかなか、ならないと思うんですよねえ。 というか、あらゆる事に、積極的に関わる気力がなくなったから、自殺を思い立つのであって、こんな、経験ゼロで、何をどうしていいかも分からないような仕事を引き受けるなんて、ありえないと思うのですがねえ。 自殺の方が、遥かに、楽そうです。 また、スパイというのは、高度な判断力が必要で、捨て鉢でやれる事でもありますまい。

  主人公が、一般人なので、銃撃戦も、格闘戦も、アクションっぽい事は、全く起こりません。 この種の話に定番の、監禁された部屋からの脱出すら、ありません。 施設に軟禁されているのだから、そこからの脱出があっても、おかしくないのですが、期待していると、裏切られます。 下司の勘繰りですが、クリスティーさん、書き始めたはいいけれど、後半になって、そういう月並みなモチーフを使う為に、頭を捻るのに、疲れちゃったんじゃないですかねえ?

  クリスティーさん、お得意のところで、主人公の心理を細かく描いていますが、そもそも、こんな特殊な状況に置かれる読者は、ほぼ皆無なわけで、主人公に共感するにも、限度が、大変、低くなります。 「危険を承知で引き受けたのに、軟禁されたくらいで、ブーブー文句言ってんじゃねーよ。 自殺するよりゃ、ずっと、マシだろ」という感じですな。

  やっぱり、この作品の最大の難は、主人公の行動の動機に、合理性がない事ですな。 作者側にしてみると、これで、充分と判断したんでしょうが、ほとんどの読者は、駄目を出すと思います。 クリスティーさんが、こういう話を書くのが好きだというのは、意外な感じがしますねえ。 推理小説と違って、ほとんど、頭を使わずに書けたからでしょうか。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、2023年の、

≪ねじれた家≫が、2月22日から、24日。
≪バグダッドの秘密≫が、2月26日から、3月1日。
≪娘は娘≫が、3月2日から、5日まで。
≪死への旅≫が、3月7日から、9日まで。


  今回分は、推理物1作、叙情物1作、国際スパイ物2作と、バラエティーに富んでいますな。 国際スパイ物に辛い感想になっていますが、それは、私が、そのジャンルそのものを、高く評価していないからです。 スパイの活躍に憧れている人が、こういう作品の読者に相応しいのでしょうが、いざ、自分がやるとなったら、尻込みしまくるのでは?

  万が一ですが、外国留学中、もしくは、外国勤務中に、自国や外国の情報機関に勧誘されて、スパイ行為を、ホイホイ引き受けたりすると、とんでもない事になりますぜ。 とにかく、詳しい仕事内容を聞かされない内に、断れ。 逃げよ。 学生の場合、留学を打ち切って、帰国しても、損にはならないくらい、危険だと思います。