2025/12/21

時代を語る車達 ⑱

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 このブログ≪心中宵更新≫は、2025年一杯で、新規更新をやめる予定なので、このシリーズも、今回が最後です。 ブログ≪換水録≫の方では、今後も続けるつもりですが、出先で積極的に車の写真を撮って来る事は、なくなるかも知れません。





【スバル・6代目サンバー・バン】

  図書館の駐車場に停まっていた、スバルの、6代目サンバー・バン。 図書館の車で、沼津市の名前が入っています。 6代目は、1999年から、2012年まで、生産・販売されていました。 スバルで開発していたのは、この6代目までで、7代目以降は、ダイハツからの相手先ブランド供給になります。

  サンバーで、私が車に興味を持ち始めた頃に走っていたというと、3代目(1973年~1982年)と、4代目(1982年~1990年)でしょうか。 3代目には、当時のスバル車独特の醜さがありましたが、4代目では、スッキリしたデザインになり、逆に、目立たなくなりました。 4代目をベースに作られた、リッター・カー、ドミンゴは、人気車になったので、良く覚えています。

  5代目(1990年~1999年)は、更にスッキリして、気品さえ感じさせるデザインになりました。 その頃、スバル車のデザイン・レベルが、全体的に向上していたから、軽ワンボックスにも、それが波及して来たんでしょう。

  で、この6代目ですが、5代目よりも、むしろ、後退した感があります。 どうも、ワンボックス車は、フロントに段をつけると、虚弱に見えてしまう傾向がありますな。 衝突安全を考慮しているんでしょうが、物体の形としては、美しさを損なってしまっています。

  軽のワンボックス・トラックは、マツダがやめ、スバルがやめ、スズキ、ダイハツ、三菱だけになってしまいました。 ホンダは、N-VANがありますが、あれは、ハイト・ワゴンから来たもの。 トヨタや日産が、OEM供給で系列軽メーカーの車を売るのは、別に構いませんが、かつて、独自の軽ワンボックス・トラックを造っていたメーカーが、OEM供給車に切り替えると、寂しい感じがしますねえ。 日本の自動車業界全体が、斜陽産業だから、致し方ない事ですが。

  それを考えると、この6代目サンバーも、虚弱だ何だ、などという事を別にして、スバル製最後の車型として、価値があるように感じられます。




【スズキ・マイティボーイ】

  スズキの、マイティボーイ。 ただし、実際の発音は、「マイティー・ボーイ」です。 「マイティボーイ」なんて発音は、逆に難しいですわな。

  1983年から1988年まで、生産・販売されていた車種。 一代限りで終わりました。 2代目セルボをベースに、ピック・アップ・トラックに仕立てたもの。 45万円という、最安の車として売られていました。 荷台はあるけれど、実用車ではなく、洒落9割の遊び車です。 80年代という、車文化が豊かな時代だったからこそ、出て来たもの。

  今では、珍品として、現行の頃よりも高い値段がついているようですが、この車は当時、人気車種などでは、全く、ありませんでした。 「金はないけど、目立ちたい」というテレビCMを、今でも覚えていますが、そのセリフ自体が、貧乏臭く感じられ、実際にお金にゆとりがない若者からも、敬遠されていたのです。 確かに目立つ。 しかし、それは、みっともないという方向の目立ち方だったのです。

  ベースになった、2代目セルボは、女性向けの軽サルーンで、初代セルボが、スポーティーなイメージだったから、当時、まだ若くて、血の気が多かった私は、2代目のお上品で、やわな印象に、がっかりしたものです。 しかし、今では、軽サルーンのコンセプトは、優れていたと思っています。

  マイティボーイは、軽サルーンを元にして、トラックに仕立てたのですから、車の性格が正反対でして、無茶とまでは言いませんが、思い切った事をしたもの。 デザインそのものは悪くなかったものの、安くする為に、前期型では、2代目セルボの規格角2灯を、規格丸2灯に変えていて、ボディーと合っておらず、そこが残念でした。 評判が悪かったからか、後期型では、2代目セルボと同じ、規格角2灯になります。

  この写真の車は、前期型か後期型か、分かりません。 後輪を始め、いろいろと外されていますが、パッと見、ひどく錆びている所もないようなので、欲しがる人もいるのでは。 ちなみに、撮影したのは、沼津市の大平地区です。 この場所には、他にも、旧車が何台か集められていました。 レストアするつもりで買い集めはしたが、なかなか手を着けられないでいる、という感じ。




【スズキ・Kei】

  スズキの、Keiです。 1998年から、2009年まで生産・販売されていた車型。 一代限りで終わりましたが、11年も現行だったのは、当時としては、かなり長い方です。 この写真の車は、グリル内に、Sマークがあるから、後期型。 生産中止から、16年ですから、まだ、見かけても、おかしくはありません。

  1998年からという事は、現行規格のサイズです。 スズキの軽スペシャルティー・カーとしては、セルボ・モードの後継車という事になりますが、車の性格は全く違っていて、Keiは、今風に言えば、SUVですな。 普通車とSUVの中間という意味で、「クロスオーバー SUV」と呼ばれていたらしいですが、普通車とSUVのデザインは、だんだん近づいて来たので、もはや、「クロスオーバー」は、不要でしょう。

  Keiの後継車は、ハスラーですが、これまた、車の性格が違っていて、ハスラーが明確に若者向けであるのに対し、Keiは、もっと幅広い年齢層に買われていました。 その点は、セルボ・モードに近いです。 「最安クラスのアルトでは、嫌だ」という人達が、「軽だけど、上級車種なんだぞ」とアピールしたくて、この車を選んでいたわけだ。 人生とは、何歳になっても、虚栄心から逃れられないものである事よ。

  この写真の車にも、高齢者マークが貼ってありますが、Keiのデザインは、決して、年寄り臭いものではなかったにも拘らず、高齢者にも、抵抗なく受け入れられていたんですな。 勝手な想像ですが、定年退職して、「もう、遠出なんかしないから、車は、軽で充分」と判断し、買い換えたものを、16年以上経った今でも、乗り続けているんじゃないでしょうか。 もし、そうだったら、現在、70代後半という事になりますが、年齢的に、もう車を買い換える気がなくて、古くなったけど、大事に乗っているのかも知れません。




【ホンダ・2代目トゥデイ】

  ホンダ・2代目トゥデイです。 1993年から、1998年まで生産販売されていましたが、1996年のマイナー・チェンジで、独立トランク・リッド式から、ハッチ・バックに変更されていて、この写真の車は、後期型のようです。 3ドア。 遠くて、ナンバーが見えませんが、乗用。 トゥデイは、2代目になってからも、商用ボン・バンは、初代を、「トゥデイ・ハミング」として売っていたので、2代目の商用はないわけだ。

  初代から、2代目に変わった時には、誉める人がいなかった記憶があります。 私の母が、初代初期型の丸灯のに乗っていたのですが、2代目の登場直後、ガソリン・スタンドに行ったら、バイトの青年から、「新しいのより、こっちの方が、ずっと、いいですよね」と言われたそうです。 別に、顔見知りでも何でもなかったらしいのですが、その青年、誰かに言わなければ、気が済まなかったのでしょう。

  2代目の前期型は、リア・エンドが特異過ぎて、今見ても、いいとは思えません。 特に、2ドアは、見るに耐えぬ。 乗用車専用である事を主張する為に、独立トランク・リッドにしたようですが、セダンのトランクを意識していたのは疑いないところで、軽自動車のサイズで、トランク・ルーム的なものを付けるのは、明らかに無理があります。 「軽で、セダンを」という発想が、そもそも、子供っぽいです。 ダイハツの、2代目オプティは、もろ、それですが、「滑稽・陳腐」としか表現のしようがありません。

  2代目トゥデイですが、ハッチ・バックになった後期型は、割と常識的な後ろ姿になりました。 個性に欠けると言えば、その通りですが、悪い個性なんぞ、ない方がマシなのであって、こちらの方が、断然、いいと思います。 トヨタ・初代ヴィッツが、1999年に登場し、一躍、人気車種になるのですが、まず間違いなく、この、2代目トゥデイ後期型を、手本にしていると思います。 ネットで検索して、見比べてみて下さい。

  この写真の車、エンジン・フードが艶消し黒で塗られていたり、車内に、ロール・バーを入れてあったりして、ラリー仕様にしている模様。 軽のサイズで、ラリーは怖いと思うのですが、怖い方が好きな人なのかも知れませんな。 そういう特殊な用途でなければ、1998年に型落ちした車が、現代まで使い続けられる事はないのでしょう。 もっとも、私のセルボ・モードは、1997年製で、現役なのですが。




【脱落ホイール・カバー】

  街なかか、郊外かを問わず、よく見かける、脱落したホイール・カバー。 私が子供の頃には、鉄製で、裏側がジグザクにプレス成型されたごついものでしたが、いつの間にか、プラスチックに金属バネの輪が入っただけの、シンプルなものに代わりました。

  この写真のものは、トヨタのマークが入っていますが、どの年代の、どの車種のものかは、分かりません。 わざわざ調べるほど、深い興味はないです。 手前にあるのは、部品の残骸のようなので、ここで、事故があったのかも知れませんな。 片付けていないという事は、自損事故で、そのまま、走り去ってしまったのでしょう。 もちろん、警察に連絡もしていないと。

  私の経験から言うと、ホイール・カバーに限らず、車やバイクから脱落したものを、後で探しに行って、見つかった例しがありません。 それには、理由が考えられて、直前に走った所しか探せないので、実際に脱落した時と、脱落している事に気づいた時の間に、時間的隔たりがあると、落ちている場所を特定できないからだと思います。 大きな音でもすれば別ですが、大抵は、落ちた事に気づかないものです。

  ホイール・カバーが脱落する原因は、大きく分けて、二つ考えられます。 一つは、縁石などに、ホイール・カバーが直接ぶつかった場合。 もう一つは、一旦 外して、付け直した時に、爪が完全に嵌まっていない事に気づかなかった場合。

  前者では、衝撃がありますが、パニクってしまい、その場を離れる事に夢中で、ホイール・カバーが外れた事まで気が回らないのではないかと思います。 場所が分かっているのだから、後で気づいて探しに行けば、見つかる可能性はありますが、キズが大きくて、もう使い物にならないでしょう。

  後者では、普通に走っている時でも、振動で一つずつ爪が外れて行って、いつの間にか落ちているので、落とした場所が、全く分からなくなります。 ケースとしては、こちらの方が、多いのでは? 落ちているホイール・カバーの状態を見て、目立ったキズがないようなら、走行中の脱落でしょう。 対策としては、定期的に、ホイール・カバーの縁を押してみて、ちゃんと嵌まっているかどうか、確認するしかありません。 乗る度にしなくても、一ヵ月に一度でも、半年に一度でも、一年に一度でも、やらないよりは、いいと思います。

  ホイール・カバーが、なくなってしまった場合、割と新しい車なら、ディーラーに注文すれば、買えますが、一枚、5千円以上するのでは? プラスチック製なのに、異様に高いです。 ネット・オークションなら、送料込みでも、2千円くらいで買えるかもしれません。 ただし、写真では、キズが分からない場合もあります。 さすがに、割れは分かりますが、出品する方も、割れてたら、割れていると書くか、そもそも出品しないでしょう。

  逆に考えると、脱落したホイール・カバーを路肩で拾った場合、程度が良ければ、ネット・オークションで捌けるわけですが、法的には、拾得物横領罪に該当するので、それで、小遣い稼ぎしようなどと目論むのは、考えものですな。 一般論ですが、恒常的に違法行為をやっていると、いつか、手が後ろに回り、臍を咬む事になります。

  拾得物として、警察に届けてしまえば、持ち主が現れる可能性は、ほぼ、ゼロですから、いずれは、自分のものになります。 しかし、千円というのは、そんな手間をかけてまで手に入れるほどの金額ではありませんなあ。 結局、脱落ホイール・カバーを見つけても、無視して、放っておくのが、一番か。


  あと、さして、拘りもない、どーでもいー見解ですが、「自分の車に着けられるホイール・カバーを、何種類か買って、時々、着け換えて、変化を楽しもう」といった事は、やらない方がいいです。 やりたい気持ちはよく分かる。 アルミ・ホイールに劣等意識を抱いている人は、「ホイール・カバーの方が、いろんなのを着けられるから、楽しいよ」などと言って、負け惜しみを言いたくなるものです。 私自身、そういう考えを持った事があります。

  だけど、なぜ、私がやらなかったかというと、ホイール・カバーを頻繁に着け換えていると、爪折れや、円盤部の割れといった、笑えない問題を誘発してしかねないと悟ったからなのです。 「車検や点検の時だけ、やむなく、外すもの」くらいに思っていた方がいいです。 古い車の場合、ディーラーに任せず、自分の手で慎重に脱着しないと、ただ外すだけ、ただ着けるだけで、壊れる恐れすらあります。

  着け換えを楽しまなくても、ホイール・カバーの方が、アルミ・ホイールより、優れている点はあります。 それは、ブレーキ・パッドの滓で、茶色に汚れる事がない点です。 また、ディスクが錆びていても、見えませんから、「どうにかしなきゃなあ…」などと、悩まなくて済みます。 こういう事は意外と重要でして、車に乗る度に気分が落ち込んでいたのでは、精神衛生上、大変 宜しくないです。