2005/09/07

読書感想文


  私は新聞の投書欄をよく読みます。 所詮、一般読者の意見ですから、ネット上に溢れる個人的な文章と同じだろうと思うかもしれませんが、実は、重大な違いがあるのです。 それは、新聞記者が、取捨選択をしているという点です。 見かけは読者の意見ですが、実はその新聞社がどういう考えを持っているかを如実に表わしているんですな。

  投書欄のいい所は、意見が短くまとまっている点です。 社説に代表されるように、とかく新聞記者は情報量もないのに、だらだらと長い文を書きたがるものですが、読者は文を磨き上げてから 『作品』 として投書するので、締まりのいい文になるのです。 新聞記者も、読者を見習って、他の新聞社の投書欄に、投稿してみればいいと思います。 たぶん、ほとんど没になりますから、自分の実力の程度がよく分かるでしょう。

  ただ、投書の内容に関しては、お世辞にも誉められないものが多く見受けられます。 あくまで個人の意見ですから、あまり厳しくケチをつけるのも野暮ですが、「こりゃ、根本的な思い違いをしてるんじゃなかろうか?」 という物もよく見ます。 何度も書いていますが、日本人は論理に弱いので、理詰めで意見を纏めようとすると、変な方向へ逸れて行ってしまうんですな。

  たとえば、先日読んだ投書ですが、

≪親戚の小学生が、学校から読書感想文の宿題を出されたが、原稿用紙四枚分の内、後ろの二枚分がどうしても書けずに困り果てている。 読書感想文を書かせるために読書をさせるのは拷問だ。 そんな事をしていたら、読書の楽しみを奪ってしまう。 学校は感想文を書かせるより、本をたくさん読ませる事を考えるべきだ。 読書をした後で、子供が自発的に感想文を書くのが望ましい≫

  原文そのものではありませんが、大体こんな内容でした。 だけど、この意見、何かおかしいですよね。 この人がこの文を書いた動機は、単に 「親戚の子供が困っているのが不愉快だ」 という所から出た物と思われます。 そして、その責任を学校に押し付ける事で、社会問題化させ、「自分の親戚の子供はちっとも悪くないのだ」と開き直りたいのでしょう。 だけど、この人の提案通りに、感想文の宿題を無くせば、親戚の子供が読書好きになるという事は考えられません。 何も読まず、感想文も書けないまま大人になるだけです。 肝心の 『読書をさせる方法』 について何の提案していないのは、卑怯というものでしょう。

  そもそも、この世の中には、感想文が苦手な子供ばかりではありません。 三度のメシより好きという子供もいるのです。 感想文を取り上げられたら、学校で誉めてもらう機会が無くなるという子供もいます。 感想文が好きという子供は、当然の事ながら、読書が好きで、既にかなりの量を読みこなしている子供です。 読んでいるから、書けるようになるのであって、書けるようになりさえすれば、感想など無限に出て来るものです。 原稿用紙四枚など少な過ぎるくらいです。 この投書がおかしいのは、読書を薦めていながら、感想文は書かせるなと言っている点です。 自発的に感想文を書く? そんな奴はおらんやろ? 学校に注文をつけるより先に、自分の親戚の子供に読書をさせる方法を考えるべきでしょう。 そんな方法があればの話ですが。

  まあ、およそ、読書というものは、習慣にしにくいものです。 少し読み出せば、この世の知識というものが、ほとんど書物によって伝達されるものだという事が分かるので、進んで読むようになりますが、そこまで到達するのは、ほんの一握りでしょう。 漫画止まり、雑誌止まり、大衆小説止まり、純文学止まり・・・・といろいろありますが、雑誌止まりが大半を占めるんじゃないでしょうか?

  この投書者が、親戚の子供に読書をさせるのは、ほぼ不可能です。 本を送っても本棚で埃を被って終わりでしょう。 まして、個別に本を送る事など出来ない学校側が、子供に読書を薦める方法などありません。 そう考えると、読書感想文を宿題に出すのは割とうまい手と言えます。 感想文を書かなければならないとなったら、嫌でも読むからです。 苦しみながらでも何冊か読めば、後はぐっと楽に読めるようになるので、強制的に読ませるという手段も満更捨てたものではありません。

  この投書者、まず最初に、自分に出来る事と出来ない事を考えるべきなのです。 次に学校に出来る事と出来ない事を考えなければなりません。 より条件が良い自分にも出来ない事を、より条件が悪い学校に出来るわけがないではありませんか。 新聞への投書として体裁を整える為に、社会問題化させたのだと思いますが、考えが足りなさ過ぎて、限り無く難癖に近いです。

  また、この投書を選んだ記者も記者です。 選ぶ投書によっては、自身の論理力レベルを疑われるという事を肝に銘じておくべきでしょう。 昨今の新聞記者は、文章こそ人並みに書けますが、論理力の方は低下が著しく、言論で食っているのだという意識が稀薄なようです。