2007/06/17

嫁き遅れ哀歌

  私の従妹の一人が結婚するそうです。 私には、35歳過ぎて嫁き遅れの従妹が三人いたんですが、去年一人結婚し、「へえー! よく相手が見つかったなあ!」と驚いていたら、今回二人目が成婚と相成り、立て続けにびっくり仰天。 もはや、口あんぐりの次元ですな。

  35歳過ぎてから結婚したというと、10年前だったら、「ああ、見合いしたんだろう」と誰でも思ったでしょうが、今まで何度かこのコラムで指摘してきたとおり、すでに≪見合い≫という風習は絶滅しており、この二人も見合い結婚ではありませんでした。 だからあ、今時見合いなんてやってるのは、ドラマや映画の中だけなんですよ。 監督やプロデューサーが世間知らずで、見合いが滅んだ事を知らないまま、単なるストーリー上のモチーフとして使っているだけなんですよ。

  そうそう、ちょっと脱線しますが、ここで以前に、≪滅び行く見合い≫という文章を書いたんですが、ある時、その文にトラックバックが入りました。 トラックバックといっても、ただの宣伝リンクだったので、即座に削除しましたが、そこは見合いに関する作法を教えているサイトでした。 「今でもやってる所があるのか?」と思って、ちょっと読んでみたんですが、どうも見合いを拡大解釈しているようでした。 結婚相談所で紹介された相手と最初に会う事を、見合いの内に入れてしまっているのです。 見合いの概念がはっきり分かっていない人は混同しているかもしれませんが、そういうのは見合いとは言いません。 見合いとは、親や親戚、勤め先の上司・同僚などが中介して、互いに縁談を紹介しあう社会システム全体を指す言葉です。 結婚相談所が主催する≪お見合いパーティー≫なども、言葉を流用しているだけで、本来の見合いシステムとは関係ありません。 見合いは、≪家系≫を維持する為に、社会の仕組みとして機能するものですが、結婚相談所は≪個人≫を対象としており、根本的に異質なものです。

  くれぐれも注意しておきますが、「焦って結婚しなくても、30過ぎたら親戚が見合いの話をわんさか持って来る」などという期待はしないように。 当人だけでなく、親までそんなつもりで呑気に構えているケースが多く見られますが、とんだ思い違いです。 見合いなんて、もうどこでもやっちゃあいないのです。 もし見合い全盛の頃だったら、「30過ぎたら・・・」どころではなく、20代の頃から、縁談が続々と持ちかけられたはずです。 今じゃそんな話来ないでしょう? やってないからなんですよ。 ドラマや映画にごまかされてはいけません。 えらい事になるでよ。

  で、私の従妹の話なんですが、去年結婚した奴は、職場結婚でした。 フリーターで働きに行っていた事務所で知り合ったのだそうです。 私の感覚から言うと、相手の男の気が知れず、「よく、35過ぎた女に近づく気になったなあ」と呆れるのですが、おそらく相手の男も結婚できずに困っていて、妥協に妥協を重ねて、半ババアでも手を打たざるを得なかったんでしょう。 何だか、凄く失礼な言い方をしているようですが、本音で書いているので御酌量あれ。 ぶっちゃけた話、30過ぎて、笑っただけで顔中に皺が寄るような女と結婚しても、性の悦びはほとんど期待できますまい。 本来なら、10代半ばの互いにまだ成長期にある頃にすべき事を、20年も過ぎてからやろうというのですから、そりゃ、楽しみも半減するでしょう。 「醜い物を見てしまった・・・・」、「おぞましい物に触れてしまった・・・・」てな感じですな。 何かの映画で聞いたセリフですが、「青春は、箱にしまって取っておける物ではない」というのは、否定のしようがない真実なのです。

  で、今回の従妹ですが、たぶん、去年、自分の従妹が結婚したという話を聞いて、焦りに焦ったのでしょう。 尻に火がついて、「もう相手は誰でもいい」と思ったんでしょうね。 なんと、農家の長男と結婚するのだそうです。 いやあ、追い詰められたねえ。 逃げ場を失って、火の中に飛び込んでしまったわけですな。 いや、柳川鍋の泥鰌の方が譬えがいいかな? まあ、普通に考えて、35過ぎるまで親元でぬくぬく遊んでいた女に、農家の嫁が務まるわけがありませんな。 よほどの働き者でも、奴隷同然にこき使われて、みるみる性根が拗けてしまうのに、自分の部屋でごろごろテレビ見て暮らし、24時間食うか寝るかで、ぶくぶく太るのが仕事だったような女が、野良仕事なんて出来るわけねーじゃん。 金輪際無理無理。 農家の嫁どころか、サラリーマン家庭の専業主婦ですら務まりますまい。

  でね、その従妹の父親、つまり私の伯父さんですが、その人が、子供の自慢が好きな人でねえ。 昔は、うちに来れば子供の自慢話ばっかり。 今回、三人いる子供の内、最後の一人が片付いたもんだから、恐らく、べえらべらって自慢話を垂れると思うんですよ。 全くみっともない。 口の回る伯父さんというのは、子供の頃には甥や姪から好かれるものですが、大人になってから観察すると、軽薄すぎて全く尊敬できず、よーく権威失墜してしまうものです。 いやあ、今から何を喋るか想像がつきますよ。 たぶん、自分の娘の嫁ぎ先が、どれだけ土地を持っているか、自慢の嵐になるでしょうね。 ろっくでもない。 その内、「離婚した」なんて言って、愚痴をこぼしに来るなよ。

  どうも取り止めが無い話ばかりで恐縮ですが、取り止め無いついでに、三人目の従妹の事も書いておきましょう。 その従妹、最後の嫁き遅れになったわけですが、当人は「一生結婚しない」と言ってました。 父親がドメスティック・バイオレンスの人で、反目が絶えず、若い頃に家を飛び出してしまったのです。 別に喧嘩しているわけではないが、一緒に暮らすのは耐えられないのだとか。 今は、職を転々としながら、一人で暮らしています。 この従妹、親戚筋の中では最も顔立ちが整っている美形だったのですが、勿体無い事に、暴力を振るう父親を見て育ったので、「自分は結婚しない」と誓ってしまったのです。 一応筋が通っているんですが、今35歳過ぎて、果たしてまだそう思っているのかどうか・・・・。

  私、断言してもいいですが、この世に生物として生まれて来て、「結婚したくない」なんて本気で思っている奴は、存在しないと思うんですよ。 そんなの、自然の摂理に反しますからね。 植物ですら、子孫を残す為に、毎年必死で花を咲かせるじゃありませんか。 況や人間に於いてをや。 極端な事を言えば、生物たるもの、交配する為に生まれて来るのだといっても過言ではない。 結婚しても、結果的に子供が出来ない場合はありますが、それと、最初から結婚しないというのは全然次元が違う事です。 最初から結婚する気が無いなんて奴は、死んでいるのと大差ないんじゃないですかね? ひどい言い方のようですが、こう言われて、最も深く頷いているのは、結婚できないまま人生を折り返そうとしている人達だと思います。 既に結婚した人達には、感覚的にこの虚しさが理解できないようですな。 よく、「結婚は地獄だよ」なんて言う人がいますが、結婚しているからそんな事が言えるのであって、結婚しないまま死ぬのは、もっと地獄です。

  さて、この三人目の従妹、風の便りに自分が最後の嫁き遅れになった事を耳にするでしょうが、どうするつもりか実に興味深いです。

  だけど、親が子供の結婚に腐心しないというのは、奇怪な現象ですよねえ。 子供が結婚しなければ、孫も出来ないわけで、場合によっては子孫が絶えるわけですが、そんな事になったら困るでしょうが。 自分達はせっせと盆暮彼岸に墓の掃除にせいを出していますが、子孫がいなくなれば、そんな墓見る者がいなくなって、野晒しの末に他人の手で毀たれるんですぜ。 当然自分の骨も、ゴミ同様に処分されるわけです。 自分は先祖の骨を守っているのに、自分の骨はゴミになるなんて、なんか理不尽だと感じないんですかね? 無宗教者らしく、「死んだ後の心配なんて、してもしょうがない」と開き直るなら、先祖の墓を守る必要もありますまい。