2007/07/08

反核戦争主義者

  二週連続でこういう話題を書くのは億劫なんですが、読みたい人もいると思うので、書いておきます。 前閣僚Q氏の「原爆投下はしょうがない」発言の事です。

  この選挙前の大事な時期に辞任に追い込まれた事については、永世アンチ与党としては大歓迎で、何の文句もありません。 ただ、Q氏の発言内容そのものについては、全く別の感想を抱いています。 「原爆投下はしょうがない」は、至って妥当な見解だと思うのです。 むしろ閣僚を辞任に追い込むほどの猛烈な反発が出た事の方が異様で、日本人の性質の身勝手さに改めて震え上がりました。 ここまで読んで早くもカチンと来た方は、以下を読まない方がよいです。 血管がブチブチ切れて、何本あっても足りませんから。

  原爆投下がなぜしょうがないのかというと、それが日本が決められる事ではなかったからです。 アメリカの作戦の一つとして計画され実行されたのであって、アメリカがどんな作戦を取るかについて、日本側は一切批難できる立場にありませんでした。 なぜなら、戦争を始めたのは日本であって、アメリカではないからです。 戦争を仕掛けたのがどの国かは、正邪の決定的な分かれ目であり、仕掛けた側が、仕掛けられた側に対し、反撃の仕方についてあれこれ注文をつけるなど、馬鹿げているにも程があります。 どんな兵器で反撃されるか分からないのですから、反撃されるのが怖いなら、最初から戦争を仕掛けなければよかったのです。

  卑近な例にたとえれば、ある家に強盗殺人犯が押し入り、刃物を振るって家族の何人かを殺したとしましょう。 残った家族の一人が殺人犯に抵抗し、電気ポットに入っていた熱湯を浴びせかけて、大火傷を負わせ、取り押さえたとします。 さて、裁判の席で、火傷を負った強盗殺人犯が、「熱湯を浴びせるのは残虐行為だ」といって、その家族の者を批難したら、どう思いますか? 強盗殺人犯の言い分をもっともだと思いますか? 確かに、熱湯を浴びせるのは、それだけを見れば残虐行為ですが、強盗殺人への反撃として行なう場合、十二分に正当化されると思いますが、どうでしょう? 熱湯を浴びせた事は、≪しょうがなかった≫と思いませんか?

  これねえ、非常に単純な理屈でして、わざわざ譬え話を持ち出さなくても、論理が分かる人間ならすぐに気づく事なんですが、今までに何度も指摘しているように、日本人のほとんどは論理を理解できない為に、この理屈が分かりません。 また、気付いている人間も、あえて口にしません。 なぜなら、原爆投下について理解など示すと、今回のQ氏のように、吊るし上げられるからです。

  今回、Q氏の吊るし上げについて、新聞各社は、「軽率な言動で、国民の怒りをかった」などと書いていますが、正確に言うと、怒ったのは原爆の直接被害者やその家族・子孫、及び、反核運動に携わっている人達であって、国民全てではありません。 直接に関係していない者の中には、「確かにしょうがない事だ」と思った者も多かったはずですが、吊るし上げが怖くて口にしないのです。 日本社会特有の≪和の心≫という奴で、多勢に逆らってまで異議を唱える勇気がないのです。 この≪和の心≫という奴、日本人の民族性に巣食ったとんだ悪性腫瘍でして、社会が戦争に向かって行く時にも作動するので、誰も異議を唱えぬまま、滅亡までひた走っていきます。 今回の一件が起こった時、「原爆投下はしょうがない」を論理的に擁護する意見が出て来ないかと思って、新聞の論説や読者欄を注意深く読んでいたんですが、予想した通り、一つも出てきませんでした。

  ところで、Q氏の意見の内、「原爆投下によって、ソ連に北海道を占領されずに済んだ」という部分については、触れません。 この推測は、間違いとも間違いでないとも言えませんが、物議を醸したのは、「しょうがない」の部分なので、テーマを絞るために、措いておく事にします。


  原爆投下への批難については、様々な論拠が≪専ら日本人だけの手によって≫戦後60年の長きに渡って積み重ねられて来ました。 これらの論拠は、まず原爆投下を≪不要だった攻撃≫と決めてから、その根拠になるネタを探して来るというパターンで集められたもので、不自然な理屈を並べているものがほとんどです。

「日本の降伏は、ソ連が参戦した時点で決まっており、原爆投下は必要なかった」
「ドイツには落さず、日本に落としたのは、人種差別の顕れである」
「広島から長崎まで三日しか間を置かなかったのは、降伏を促すのが目的ではなく、核兵器の人体実験をしたかったからだ」

  もう、こんな話にゃ、うんざりしました。 どうせ言っても分からんでしょうが、言わなきゃ手前の馬鹿さ加減に気付かないでしょうから、一つ一つ潰して進ぜましょう。

  沖縄まで攻め取られて、もはや全く勝ち目がないと分かっているアメリカに対しても降伏しない日本が、ソ連が参戦したからといって、すぐさま降伏するなど考えられません。 戦争終盤の日本軍というのは、勝てる見込みがあって戦っていたのではなく、ただただ、「降伏したくない」というガキじみた糞意地だけで戦争を続けていたのであって、共産主義といえば生理的に大嫌いな日本軍が、進んでソ連に降伏するなどありえぬ話です。 日本軍は、国民に対し、≪一億玉砕≫の決意を触れ回っており、アメリカ軍が上陸してくれば、国民への体面上も≪本土決戦≫をせざるを得なかったのは疑いないところです。 そうなれば戦争が半年以上長引いたのは確実で、死者が数千万になっても、日本人全員になっても全然おかしくありませんでした。 日本を降伏に追い込んだのが、ソ連参戦ではなく、原爆だったのは、否定のしようが無い事実です。

  ドイツに落さなかったのは、時期的に落せなかったからです。 最初の核実験が成功したのは1945年の7月16日ですが、ドイツは5月7日には降伏していますから、落しようがないでしょうが。 この馬鹿が! こんな単純な日付調べも出来んのか! それとも、降伏した国に原爆落すのか? 狂ってるのか、お前は! また、原爆がナチス・ドイツに対する切り札として製造されたのは開発者の誰もが認めている事で、最初から日本向けではありませんでした。 人種差別などという批難は全く当たりません。 戦争中、始終、「鬼畜米英」などと喚いていた国の人間が、よく人種差別なんて言葉が使えるな。 恥を知れ!

  広島から長崎まで三日しか無かった? お前な、忠臣蔵じゃないんだよ。 「国元に報せが届くのに早籠を飛ばして三日」なんて時代じゃないんだよ。 広島に原爆が落ちて、その日の内に電話をかければ、惨状が東京に伝わったわけだ。 アメリカへ降伏の電文を打つのに、何分かかる? 本当に原子爆弾かどうか確認する時間を入れても三日もかかるのか? 広島近郊には、確認できる人間が一人もいなかったのか? 通常の爆撃でない事くらい、どんなド素人でも分かるだろうが。 三日しか無かっただと? どういう口がそういう事を言うんだ? 長崎への投下の一分前に中止命令が出ても、投下は止められたんだぞ。 三日間も何やってたんだ? 「二発目は無いはずだ」とでも、山勘張ってたのか?
  ちなみに、「広島に投下した後、降伏を促さないまま、長崎に投下した」と指摘している者もいますが、7月26日に発表されたポツダム宣言自体が降伏の勧告ですから、この指摘は完全な誤りです。 いつ降伏するか、決める立場にあったのは日本側です。


  ≪原爆投下不要説≫のほとんどが、この種の屁理屈を捏ね上げたもので、未だ嘗て説得力がある論というのを一つも読んだ事がありません。 とどめに言わせて貰えば、前述したように、戦争を仕掛けた側の国には、仕掛けられた国がどんな反撃をするかについて、あれこれ口出しをする資格も権利もありませんから、この種の屁理屈は、その存在自体が無意味です。 落とされたくなかったら、戦争を始めなければ良かったんだよ。 単純な事だ。 いくら論理が分からなくても、そのくらい分かるだろう?

  私が、≪原爆投下不要説≫を非常に胡散臭く感じるのは、それを口にする連中が、日本の戦争責任をごまかそうとしている節が見られるからです。 2000万人も外国人を殺戮しておきながら、戦後日本は、ぬけぬけと≪平和国家≫などと称して発展してきたわけですが、平和国家らしく、平和主義者というのも大勢出てきました。 そして彼らが平和主義の原点にしていたのが、≪被爆体験≫でした。 日本の平和運動は、≪反戦≫である前に≪反核≫だったわけですが、これは重大なポイントで、「どちらも同じ平和運動」で一緒くたにする事は出来ません。 日本の平和運動は、≪反核≫ではあるが、必ずしも、≪反戦≫ではなかったのです。

  それが証拠に、1993年に細川首相が戦争被害国への≪謝罪≫を口にするまで、日本の平和運動家は、自分の国を戦争の被害国だと捉えていました。 反核運動をやってきた青年が、「日本が加害国だった事を初めて知って、ショックを受けた」という話が新聞の読者欄に出ていたのを覚えています。 信じられぬ間抜けぶりですが、歴史なんか全然知らなくても、反核運動は出来るという事なのでしょう。 そのショックを受けた青年が、悩んだ末に到達した結論が、「通常兵器による戦争は過去の事だが、核兵器は未来の問題だから、これからは反核運動を重視すべきだ」というものだったから、もう、「はあぁっ?」てなもんで、二の句が継げません。 よくもまあ、こんな虫のいい解釈が出来るものです。 やはり野蛮人の血は争えないか。

  ちなみに、1980年代は日本の平和運動が最も盛んだった時代で、日常的にデモ行進などが行なわれていましたが、ある時、ソ連の新聞特派員だったか、大使館員だったか、とにかくソ連人で日本に来ていた人が、デモに参加している青年に訊いてみたんだそうです。

「日本に原爆を落とした国はどこですか?」

  その答えが凄い。

「ソ連に決まっているじゃないか!」

  これには、呆然とするより仕方ないですな。 こんな無知・無教養のパープー野郎が、平和運動の担い手だったのです。 私はその頃、かなり純粋な平和主義者でしたが、平和運動に関わるのは御免被っていました。 だって、この種の馬鹿と手を繋ぎあって、運動が出来ますか?

  なぜ、日本の平和運動が、≪反戦≫ではなく、≪反核≫に偏ったか、理由は簡単に推測できます。 ≪反戦≫となると、自分の国が加害国だから、萎縮してしまって運動の気勢が上がりませんが、≪反核≫に限定すれば、≪唯一の被爆国≫なので、大手を振って自己主張が出来ると踏んだのでしょう。 人間、易きに流れるというのは本当ですな。 しかし、この選択はあまりにも虫がいいです。 日本に塗炭の苦しみを味わわされた国の人々が、こんなごまかしを受け入れるはずがありません。 原爆被害国である以前に戦争加害国である事を全く自覚せず、穢れ無き平和の使徒のような口ぶりで核保有国を扱き下ろす日本人の無神経さに対し、呆れ・白けを通り越して、戦慄を覚える外国人も少なくないでしょう。

  1990年代の話ですが、反核運動を世界に広めようとして、原爆被害の写真展を各国で催した人がいたそうです。 ところが、インドで写真展を開いた所、現地の人の反応が冷めきっている。 感想をきいてみたところ、「この程度の悲惨さなら、ここでは日常的に存在する」と言われてしまったのだそうです。 他のアジア諸国に行った反核運動家達も、現地人の共感を得るのに失敗し、「日本は加害国だという事を痛感した」そうです。 当たり前だよ。 行く前に気づけよ。 自分の国が何をしたかに触れないで、「日本の被害に共感してくれ」と言ったって、誰が聞くね? 塩を撒かれるのがオチだぜ。 勘ぐり過ぎかもしれませんが、世界的な反核運動がなかなか実を結ばないのは、日本人が中心になろうとして出しゃばっているからじゃないでしょうか? たとえて言えば、殺人犯やその家族が≪死刑反対≫を先頭に立って訴えているようなもので、どんなに真剣に運動しても、被害者側から見れば身勝手な主張に過ぎず、説得力は限り無くゼロに近いです。

  ほとんど実績を上げられないにも拘らず、未だに日本の反核運動家というのは存在し、今回のような事件が起こると、やしやし登場してくるわけですが、よく何の修正も加えず、昔ながらの主張を繰り返せるなと呆れます。 この連中の思考パターンを観察すると、どうも、「日本は加害国だが、原爆を落とされるほど悪い事はしていない」と考えているように見受けられます。 そんな理屈は国から一歩出れば全く通用しないのですが、自分達が間違っているとは、露ほども思わないらしいのです。 「反核は平和運動だ。 平和運動は正しい。 だから、反核を唱えている自分達は正しい」という単純な三段論法で自己完結しているわけです。 その反核が、加害責任を逃れる為の隠れ蓑になっている事を知らないか、知っていても認めると自分達に都合が悪いので、知らぬふりをしているのです。

  空恐ろしくも興味深い事ですが、この連中の展開する屁理屈を聞いていると、何かに似ているのが分かります。 そう、≪ネット○翼≫と呼ばれるキチガイどもが書き散らす屁理屈にそっくりなのです。 「戦争を始めたのはアメリカの方だ」、「日本は悪い事などしていない」といったグチャグチャ手前味噌な歴史解釈ですが、何となく似てるでしょう。 これねえ、偶然じゃないと思うんですよ。 ネット○翼の源流を辿ると、意外や意外、反核運動家に行き着くのです。 一方は実質的な戦争主義者、もう一方は自称・平和主義者ですが、「屁理屈を捏ねれば、加害責任から逃れられる」と考えている点で、両者は共通しています。 元は同根だったものが、分かれたんでしょうな。

  自分を正しい人間だと思い、「戦争よりは平和の方が正しい」と考えて、反核平和運動をやっていた人間が、≪細川首相の謝罪≫で、実は日本が加害国だった事を知って、自分が善なのか悪なのか分からなくなり、悩んだ末に、「日本は加害国だが、原爆を落とされるほど悪い事はしていない」という虫のいい抜け道を見つけ、更に後ろめたさを払拭するために、日本の無罪性を立証しようと屁理屈を捏ねている内に、平和主義など却って邪魔になり、「戦争は悪い事ではない」という正反対の主張をし始めるに至ったのだと思われます。 もっとも、現在のネット○翼は、直接に平和主義から戦争主義に転向した世代ではなく、その世代に影響を受けた弟子達だと思いますが。

  今回の騒動では、反核運動家の意見の中に、ネット○翼と全く同じ事を口にしている物が多く見られました。 正直な感想、これには少なからず驚きました。 アメリカ憎しで凝り固まり、自分達が平和を祈るどころか、戦争主義者と同じ言葉を使っている事に気付いていないのです。 戦争主義者と同じ意見という事は、すなわち戦時中の軍部と同じ考えという事ですが、ここまで来ると、もはや言い分を聞いてやる必要などありません。 ≪反核戦争主義者≫という分類を設け、危険人物として国際社会全体で警戒すべきでしょう。 こういう連中の意見を正論として扱っているようでは、日本がまた同じ道を進むのは避けられません。

  だって、あんたらの言い分に沿えば、核兵器さえ使わなければ、戦争してもいいんだろう? そんなに、「原爆は許せない」というなら、もう一度やり直そうか? 原爆投下の前日、つまり、1945年8月5日の情勢に戻して、アメリカ軍にもう一度攻めて貰おうか? 原爆さえ落とされなければいいんだよな。 本土上陸してもらおうじゃないか。 当然、兵器産業がうじゃうじゃある軍需都市は優先的な制圧目標だから、広島も長崎も含まれる。 ≪無辜の市民≫だなんて肩書きが通用すると思うなよ。 もちろん、その内私も死ぬ事になるが、しょうがない、同じ日本人だから、≪和の心≫を発揮して、つきあおうじゃないか。 さあ、アメリカに頼もうぜ。 銃で撃ち殺されたり、軍刀で斬られたりするのは、原爆と違って、≪残虐行為じゃない≫から、一向に構わないんだよな。

  やれやれ、こんな事を書いても、自分を悪だと認識していない連中に皮肉は通用しないか。 それにしても、日本人は、「許さない」が好きだねえ。 それでいて、自分達の罪は許されるのが当然だと思っているわけだ。 とことん虫がいいよ。