2011/07/31

温州事件

  中国の高速鉄道、甬温線の追突事故の話。 「甬」は、寧波の事。 「温」は、温州の事。 事故が発生した場所は温州で、大体の位置は、上海の南の方です。 温州はミカンの産地ですが、日本で作られている≪温州ミカン≫は、イメージをパクってつけた名前で、直接の関係は無いらしいです。


  この事故、問題点がいくつか重なっており、論理が分からない日本人としては、何が焦点になっているのか、非常に理解し難いです。 ここは一つ、一つ一つ切り分けて、分析して行ってみましょう。 ちなみに、この事故について、私は、中国、日本、アメリカのニュースを読んでいるので、日本では報道されていない内容も含まれています。


  まず、事故の原因になった故障ですが、架線設備に落雷し、先行列車が停止。 そこへ、後続列車が追突したという事になっています。 先行列車は、完全に停止していたわけではなく、低速で動いていたという話もありますが、はっきり分かりません。

  中国でも、一般路線の電化は、とうの昔から行なわれているので、落雷対策は取ってあると思うのですが、高速鉄道では、落雷による故障が頻発しているようで、なぜなのかは分かりません。 ただ、天候の問題で運行停止になるというのは、どこの国のどんな種類の鉄道でも、よくある事で、先行列車が停止した事自体は、それほど大きな問題ではありません。

  「後続列車の運転手が、ブレーキをかけなかった」という説があり、その根拠に、乗客が、「追突寸前に、速度表示を見たら、118キロで、減速している感じはしなかった」と証言していると言うのですが、高速鉄道は、普通、200キロ超で運転されているので、118キロでは、すでに半分くらいまで減速していた事になり、証言の信憑性が疑わしいです。

  「運転者が、停まっている先行列車に気付き、ブレーキをかければ、間に合ったはずだ」という見方も、何だか、素人っぽい。 200キロ超で進行している場合、肉眼で障害物を発見してから、ブレーキをかけても、まず、停まり切れません。 新幹線でも、開通当初、普通の列車と同じような感覚で、線路上でおっとり構えていた作業員が、あっという間に接近してきた列車にはねられそうになる事故が、よく起こったそうです。

  より、重大なのは、ATS(自動列車停止装置)が作動しなかったという事です。 これに関しては、原因不明。 ちなみに、ATSそのものは、電車が登場して間もない頃からあるもので、ハイテクでは全然ありません。 「どこの国の製品だから、信頼性がどうのこうの・・・」と、口角泡を飛ばして議論するような複雑高度なものではないですから、つまらん恥を掻きたくなかったら、あまり、つっこまない方がいいです。 ローマ字の略号だと、みんなハイテクだと思っている奴がいるから、恐ろしい。

  ベタ文系の人達のために、念の為付け加えておくと、どんな単純な機械でも、どんな高級品であっても、まっさらの新品であっても、故障が全く起こらないという事はありえません。 故障が少ない機械は作れますが、ゼロにするのは不可能なのです。 だから、機械を使用する時には、「故障したら、直す。 直せなかったら、交換する」というシステムで、保全を行ないます。

  この考え方は、全世界共通です。 「日本では、こんな故障などあり得ない」といった、無知丸出しの発言は慎むように。 ほんとに、そう思い込んでいる奴がいるから、恐ろしい・・・。 自分の身の回りを見ても、故障する日本製品など、いくらでも見つかるだろうに。 というか、日本製品の方が、使いもしない余計な機能が付いている分、よく故障する。

  話を戻します。 「信号設備に欠陥があり、赤になるべきところが、青になってしまった。 チェックする係が教育不足で、適切な対応を取れなかった」 これは、かなり後になって出て来た情報ですが、鉄道部は、事故発生の6時間後には、その事が分かっていたとのこと。 隠していたのか、調査中という認識で、公表が遅れたのかは不明。 ただ、設備に関してのみ言うなら、問題が起きてからでないと、どこが悪いか分からないという面があるのも、現実です。

  確かに、大事故、大惨事ではありますが、事故の本質そのものは、そんなに特殊なものではありません。 日本で2005年に起きた、≪福知山線脱線事故≫と比べると、天災がきっかけになっている分、鉄道運営者の責任は、幾分軽いくらいです。 ちなみに、福知山線脱線事故は、運転手も含めて、107人も死亡していますが、未だに、経営者責任の裁判中で、誰も処罰されていません。


  次に、救助の打ち切りが早過ぎたという問題。 遺族が激怒しているのは、専ら、この点でして、中国のネット世論でも、この事に対する批判の比重は大きいです。 生存者の捜索を打ち切った2時間後に、幼女が救助されたために、ますます、批判の波が高まりました。 この点に関しては、明らかに、優先順位を間違えたとしか言いようがありません。

  この一件、倫理上の重大問題を含んでおり、ことによったら、将来、参考事例として、思想・哲学史に残るかもしれません。 ≪ハーバード白熱教室≫のマイケル・サンデル教授なども、「むむ! 興味深い事が起こったぞ」と、注目しているのではないでしょうか。

「どうして、現場責任者は、救助を打ち切ってまで、運行再開を優先したのか? 誰か、意見は無いかな? 君の名前は?」

  これに比べると、ノルウェーの大量殺人事件などは、ただの政治狂人の暴走で、被害者の多さの割に、事件の質そのものはありふれています。

  間違いなく言えるのは、事故処理の指揮をしていた人物が、一秒でも早い運行の再開を、人命救助よりも優先していたという事ですな。 大急ぎで復旧させれば、称賛されると思っていたのか、はたまた、鉄道部の上層部から命令された事を、愚直に実行しただけなのか・・・。 前者だったら、あまりにも愚か。 後者だったら、命令を無視してでも、救助を優先した方が良かったでしょう。

  ただ、実際に救助に当たっていたのは、鉄道部の人間ではなく、地元の消防や警察だったわけで、彼らが自分から、救助打ち切りを早めたとは思えません。 彼らにしてみれば、運行再開など、どうでもいいのであって、生存者を残したまま救助活動を打ち切って、後で批難される方が、よほど恐ろしいからです。

  もし、救助打ち切り後に、死亡した乗客がいたとしたら、これは、打ち切りを指示した人間による、≪過失致死≫、もしくは、≪未必の故意による殺人≫という事になります。 中国では、「天災か、人災か」という問いが、繰り返されていますが、この点に限って言えば、天災でも人災でもなく、≪犯罪≫なわけですな。 事故と事件が絡み合っているのです。

  組織で物事に対応していると、責任の所在が暈されてしまう傾向があるのは、全世界共通でして、日本社会などは、その典型例のようなものですが、指示には、必ず、言いだしっぺと、それに賛成した人間が存在するものです。 「何となく、雰囲気となりゆきで、そう決まった」などという事はありえません。 特に、こういう重大な事件では。 探せば必ず、打ち切りを指示した人間が出て来ると思うので、相応の処罰をすべきでしょう。


  さて、この事故・事件で、最も世界を驚かした問題に移りましょう。 事故現場に穴を掘って、先頭車両を埋めてしまった一件です。 これには、仰天ですな。 日本のマスコミは、「日本では考えられない」を連発していましたが、こんな事は中国でも考えられないのであって、ネット世論で、最も批判が激しかったのも、この点でした。 誰が見ても異常な事を、思いついて、指示し、実際にやらせてしまった人間がいるわけです。

  鉄道部の報道官が、現地に到着した時、現場の責任者に、「どうして、そんな馬鹿な事をしたのか」と訊いたところ、「現場の地盤が悪く、救助作業が難航していたので、足場を固めるために、埋めた」と答え、その高官は、報道陣に向かって、「信じるか信じないかは、あなた達次第だが、私は信じる」と言っていました。 いやはや、顔色真っ青ですな。 言い訳も言い訳ですが、信じる方も信じる方です。

  足場を固めるために何かを埋めるのはいいとして、当の事故車両を埋めるなんて法があるわけがありません。 本当に足場を固める作業が必要ならば、他から資材を持って来るべきでしょう。 重機が入っているのに、資材を運び込めないなどいう事も、非常に考え難いです。

  埋めろと指示をした人間が、何を目的にしていたのか、それが分からないのが不気味です。 先の報道官が、「事故を隠蔽するつもりなのか。 世界中が注目しているのに、隠蔽できると思っているのか」と訊いたら、「隠蔽するつもりはない。 隠蔽など、できるわけがない」と言って、地盤を固めるため云々の説明をしたらしいのですが、事故のそのものを隠蔽するつもりがなくても、事故原因を隠蔽するつもりはあったのかもしれません。 運転席を壊してから埋めたと言いますから、ますます、その疑いが濃厚です。

  報道陣がカメラを持ち込んで、撮影しているのは分かっていたはずで、その目の前で、運転席を壊して埋めて、「地盤を固めるため」という言い訳で通ると考える、その神経が分かりません。 常識的感覚が感じられないのですが、現場責任者は、元学校教師か何かなんでしょうか?

  「運行再開を急いでいた」というのとは、また別問題なのであって、埋めるのには、それなりの手間が掛かりますから、迅速な処理には、逆行する事になります。 ≪事故原因の隠蔽≫というのが、動機として、一番理解し易い線なのですが、隠蔽するからには、事故原因を隠蔽するだけでなく、隠蔽した事を外部に知られない事も重要なわけで、その点、この隠蔽工作は、隠蔽になっていません。

  ハイテクを盗まれる危険を考慮して、運転席を壊した上で埋めたという可能性も、僅かながらありますが、もしそうなら、埋められた車両は、日本で開発したものらしいですから、日本人は、この責任者に感謝しなければなりませんな。 しかし、そうであっても、埋めるより、シートで周囲を覆って、立ち入り禁止にする方が、ずっと簡単です。

  鉄道部の上からの命令だったという可能性は低いです。 事故車両を埋めても、何の得もありませんから。 もし、上層部が事故原因の隠蔽を考えたとするなら、それこそ、最優先で、現場から運び出すと思います。 ただ、現場に対して、事故車両の保存を指示していなかったのは確実で、その点で責められるのは、致し方ないでしょう。

  「現場責任者が、大事故の後には調査が入るという事を知らず、ただ単に、邪魔だったから埋めてしまった」という見方もあるようですが、それなら、運転席を壊す必要は無いですし、先頭車両だけ埋めるというのも変です。 そーんなアホはいませんぜ。 そんなアホがいると思っている、本物のアホを除けばね。

  残る可能性は、この責任者が、自分が何をやっているのか分からないほど、混乱していたという線です。 あまりにも常軌を逸した行為なので、この解釈が一番、しっくり来ます。 事故原因を隠蔽するつもりがあったかどうかは別として。

  で、ネットで猛烈な批判を受けて、一日後には掘り出したわけですが、自発的でないとはいえ、埋めたままよりは、ずっと良かったです。 もし、埋めたままだったら、それこそ、サンデル教授の講義のネタになってしまいます。

「どうして、彼らは埋めた方が良いと思ったのか? また、批判されていたのに、埋めたままにしたのか? 誰か意見はないかな? ロールズは言っている・・・・」

  いずれにせよ、この現場責任者の処罰は免れないでしょうなあ。 事故そのものよりも、救助打ち切りが早過ぎた事や、車両を埋めた事の方が、遥かに重大な問題になってしまい、国内に対しては、政府への不信を発生させ、国外に対しては、国の威信を傷つけてしまったのですから、懲役刑になってもおかしくないんじゃないでしょうか。 損害の大きさを考えると、ミスや心得違いでは済まされませんぜ。


  さて、事故と事件の分析は、このくらいでいいとして、やはり、触れておかなければならないのは、日本のマスコミの態度です。 いつもの事ながら、よくもまあ、これだけ、下司な報道ができるものですな。

  ある新聞のコラムで、「この事故が起きた時、『やっぱり』と思った」と書いている記者がいたのには、呆れました。 なんだよ、「やっぱり」って? たとえば、日本やカナダの鉄道車両メーカーの社員で、中国メーカーへの技術移転に関わり、高速鉄道整備の事情を良く知っていて、「建設のスピードが速すぎて、事故が起こらないか心配していた」という人が、「やっぱり・・・」と言うなら、まだ分かるとして、この記者、ただの門外漢ですぜ。 しかも、ベタ文系。 一体、新聞記者に、鉄道技術の何が分かるのよ?

  ちなみに、ノルウェーの大量殺人の方に関しては、「『まさか』と思った」のだそうです。 偏見丸出しですな。 よく、こんな記者、飼ってるな。 当人に問いただせば、「心配していたから、『やっぱり』と思ったんだ」と言うでしょうが、マスコミの人間が、そういう発想で、事故や事件を見ていないのは、昭和元禄の頃から周知の事実です。 飛行中の旅客機がトラブったと聞いて、押っ取り刀で空港へ駆けつける報道陣を見て、「ああ、心配してるんだなあ」と思う人間が一人でもいますかね? 百人中百人が、「着陸に失敗して爆発炎上する映像を撮りたいんだろう」と思うでしょう。

  テレビのニュース番組の、キャスターやコメンテーターが、また凄い。 ニヤニヤ、笑ってるんですよ。 40人近く死んだ大惨事なのに、中国国内で騒動が起こっているのが嬉しいんでしょうな。 「いかにも、中国らしいと言いますか・・・」などと言って、口元といい目尻といい、顔の要所要所がニヤけてやがるのです。 どういう人間性だよ? 下司を通り越して、悪魔か妖怪か? もし、自分の身内が死んだ事故で、外国のニュース番組の出演者が、「いかにも、日本らしいと言いますか・・・」と、ニヤニヤしてたら、あんたら、どう思うね? そんな想像力も無いか?

  ≪福知山線脱線事故≫の時、中国のニュースでも、大きく報道されましたが、事実を伝えただけで、日本の鉄道システムを馬鹿にするような記事はありませんでした。 それが、最低限のマスコミの品位というものでしょう。 日本のマスコミの倫理観は、最低ラインを大きく割り込んでしまっているんですな。 新聞の週刊誌化や、ニュース番組のワイドショー化が、極限にまで達した観あり。 いや、週刊誌やワイドショーなら、何を言ってもいいとは言いませんが。

  ちなみに、アメリカのニュースでは、日本のマスコミがやっているような、侮蔑を目的とした記事は、全く見受けられません。 そもそも、「よくある、列車事故」という見方をしているので、トピックスにも出て来ないほど、扱いが小さいです。 ノルウェーの事件の方が、遥かに大きい。

  一般人も一般人。 あっちこっちであれこれ言っているようですが、ただ単に、「事故処理の仕方が、自分の国とは違う」というだけの理由で、違和感を抱いているのなら、これ以上、下司の勘繰りを逞しくする必要はありません。 外国で起こった事故であり、旅行に行く予定も無いような人達には、全く無縁の事ですから。

  それに・・・、ひどい事故ではありますが、福島第一に比べたら、片付け可能なだけ、数桁マシです。 日本人は、外国の事故対策を批判する資格を剥奪されている最中だという事を、お忘れなく。


  そうそう、事故とは直接関係ありませんが、日本の新幹線について、誤解している人がたくさんいるようなので、付け加えておきます。 日本の新幹線技術は、基本的には、ハイテクでも何でもありません。 それどころか、むしろ、ローテクで作られています。 50年近い昔に開発されたから、という意味ではなく、その50年前ですら、すでに確立していた技術のみを寄せ集めて、作ったからです。

  安全性を優先した、というより、建設資金が無くて、世界銀行から借りなければならなかったのですが、融資のお願いをする際、高速鉄道であるために、安全性が確保できるかどうかが重要な条件になると見て、「新幹線は、すべて、既存の技術で作ったものであり、新たに開発した技術は使っていません。 だから、安全に運行できます」という口説き文句で、説得したのです。

  新幹線のハイテクというと、あの、どう見ても不恰好なカモノハシ・ノーズや、集電装置の防音デザインなどが挙げられますが、そういうのは、割と最近出て来たもので、別に、それが無くても、200キロ超運転は可能です。 機械は、ローテクならばローテクなほど、故障は少ないのであって、新幹線の信頼性は、ローテクによって支えられていると言っても過言ではないです。

  こういう事は、新幹線に関する本を読めば、書いてあるので、「日本のハイテク」を力説する前に、読んでみた方がいいでしょう。 もっとも、科学技術に関する興味やセンスが無いと、そういう本は退屈なだけなので、ベタ文系の人には、とっつけないかもしれませんが。 ちなみに、こういう人達の、≪ハイテク日本・信仰≫は、つける薬が無いほど重症で、根拠も論理も、分篤い信仰心で吹き飛ばしてしまうのですが、その正体は、≪原発安全神話≫と同類で、およそ、信ずるに値しないものです。