2011/10/16

ガンダム話②

  前回のガンダム話の続きを書くつもりでいたんですが、今週の仕事が、9月の台風休業の振り替えで、六日出勤だったため、時間・体力・精神力、全てすり減らし、とても、ノリノリで書き捲るというわけにはいかなくなってしまいました。 さりとて、休みにすると、今年の初めのように、また休み癖がついてしまいそうなので、短いのを、ちょこっと書く事にします。


  前回、≪ZZ≫まで行きましたが、その後となると、テレビではなく、劇場版になり、名作、≪逆襲のシャア≫が出て来ます。 この映画は、ガンダム・シリーズという枠を外して、アニメ映画全体の中で評価しても、傑作と言っていいと思います。

  当時、雑誌の記事で、「ガンダムの映画を作っているらしい」という情報は小耳に挟んでいたんですが、≪Z≫後半から、≪ZZ≫に掛けて、尻すぼみの印象があったので、あまり期待していませんでした。 もし、≪Z≫や≪ZZ≫の総集編のような話なら、見なくてもいいと思っていました。 それ以前のガンダム映画というと、オリジナルの総集編だけだったので、完全な新作が出て来るとは思っていなかったのです。

  ところが、実際に作られたのは、≪Z≫≪ZZ≫を無かった事のようにパスして、オリジナルの世界に戻り、アムロとシャアが中心になる、新ストリーでした。 だけど、この時点では、まだ、「ふーん」と思っただけです。 ≪Z≫≪ZZ≫でも、アムロとシャアは出ていましたが、およそ、パッとしない印象で、キャラとして、すでに死んでいるのではないかと感じていたので、期待が膨らまなかったんですな。

  80年代後半というと、世間では、ジブリ作品が注目を集めていましたが、私のように血の気が多い人間にとっては、他に面白いアニメが無かった時期で、「ガンダムの新作は見たいが、期待は出来ぬ」というジレンマに苦しめられていました。

  で、88年に公開。 ケチな私の事とて、劇場には行かず、レンタル店にビデオが並んでから、借りて来たんですが、最初に見た時には、まーあ、ぶったまげましたね。 「えっ! こんな凄いのが作れるの?」と、テレビ画面に齧り付きました。 アムロとシャアという、言わば最後の一滴まで搾り尽くされたキャラを使って、これほど、豊かなストーリーを展開できるとは、お釈迦様でも思うめえ。

  ≪Z≫≪ZZ≫は、監督こそ富野さんですが、脚本は別の人達が分業して書いていました。 それが、≪逆襲のシャア≫では、富野さん自身が書いたため、印象に残るセリフが、バンバン出て来ます。 当時、私は、ダビングしたビデオを、繰り返し繰り返し、最低でも、30回くらいは見たため、ほとんどのセリフを覚えてしまったのですが、今でも記憶に強烈に焼きついていると言うと、

「また、同じ夢を見るようになっちまった」
「あの子と同じだ・・・」
「海軍の連中は、船の数が合っていれば、安心するものさ」
「どうして、こんなに気持ちが悪いの・・・」
「シャアは純粋過ぎる人よ」
「私が直撃を受けている!」
「大佐、私達を見捨てるんですか!」
「分かった、ファンネルを捨てる!」
「放熱板が何だって言うんだ!」
「シャアの手伝いをしたっていうのか・・・」
「やめてくれ! こんな事につきあう必要は無い!」

  といったところでしょうか。 とりわけ、「私達を見捨てるんですか!」は気に入って、しばらく、口癖になっていました。 一つ一つのセリフが、よく練られていて、細部に拘る富野さんらしさに溢れていました。 テレビ・シリーズでも、オリジナルには、後々語り継がれるセリフがうじゃうじゃありましたが、セリフというのは、作品の印象を視聴者の脳裏に焼き付ける上で、重要な役割を果たしているんですねえ。

  戦闘場面のほぼ全てが、宇宙空間で行なわれるにも拘らず、≪Z≫≪ZZ≫と違って、スピード感を出すのに成功していたのも、印象的でした。 背景に対象物が無い場所でも、見せようによっては、動きを表現できるんですねえ。 当時、CGは、ほとんど使われておらず、手描きのセルを一コマずつ撮影する時代だったわけですが、むしろ、そういう技法だったからこそ使える技というものがあり、「時間的・資金的にゆとりがあれば、これだけの物が作れる」という証拠作品になった感があります。


  ≪逆襲のシャア≫が、これだけよく出来ていたわけですから、「じゃあ、また、テレビ・シリーズを・・・」という話になっても良かろうと思うのですが、ここが、日本のテレビ界の奇妙なところでして、そういう流れには決してならないのです。 ちなみに、オリジナルの頃から言われている事ですが、ガンダムの視聴率は、決して高いわけではなく、一桁という回もあって、テレビ局は、あまり乗り気ではないのです。

  この頃すでに、SFアニメのスポンサーは、玩具・プラモ会社オンリーになっていましたから、関連商品がよほど売れないと、一社だけで、30分番組を提供するのは、かなり厳しかったんですな。 今なら、DVDでペイするというパターンが利きますが、当時は、レンタルが主流で、一応、セル・ビデオもあったものの、買える人は稀でした。

  というか、レンタル・ビデオのダビングが、普通にできたので、高い金出して、セル・ビデオを買うのが馬鹿馬鹿しかったのです。 逆に言うと、今は、レンタルDVDはコピー不可能ですから、手元に置きたければ、セルDVDを買うしかなく、アニメ・オタクに洒落にならない浪費を強いて、彼らの老後を暗いものにしています。 ちなみに、若い頃から、老後の生活を真剣に考えて来た私は、よほど好きな作品であっても、アニメのDVDを買ったりはしません。 テレビ放送の時に録画できなければ、すっぱり諦めるだけです。


  話を戻しますが、≪逆襲のシャア≫が88年で、≪F91≫が91年と、三年、間が開く事になります。 長かったなあ、あの三年は。 その間に、OVAで、≪0080 ポケットの中の戦争≫と、≪0083 STARDUST MEMORY≫が入るのですが、この二本は、富野作品でない事が分かっていたので、何となく、違和感があって、見たいと思いませんでした。

  ≪0080 ポケットの中の戦争≫は、かなり後になってから、レンタルやテレビ放送で、ポツポツ見ました。 全6話の内、まず、1話・2話を借りて来たんですが、あまりにも、ストーリー展開が遅いので、「駄目だ、こんなの!」と思い、レンタルはそれっきりにしました。 ところが、何年かしてから、確か、テレビの衛星第2で放送され、その時、3話目を見て、びっくりしました。 1・2話とは打って変わって、面白くなっていたのです。 つまり、私は、冒頭部だけ見て、つまらんと早合点していたんですな。

  で、そのまま、6話まで見たのですが、いやはや、あれには驚きました。 よく出来た話もあったものです。 登場人物は、ニュー・タイプでも何でもなく、ただの人達。 メカも、ガンダムは敵役で、普通のザクが主役という、徹底した逆転の発想。 しかも、一度壊れたザクを、市販部品で修理して、決戦に挑むという、何とも、通好みの設定です。

  戦争好きだった子供が、一兵士と知り合い、実際の戦争を目の当たりにして、あまりにも皮肉で、むごい結末に、戦慄するという話ですが、明らかに、純文学の手法で組まれたストーリーで、こういうのは、漫画・アニメの世界では、滅多にお目にかかれません。 逆に言うと、漫画・アニメのストーリー構成に慣れている人には、違和感があると思います。 世界文学を、ある程度読んでいる人にお薦め。 「あ・・・あ・・・、こうなってしまうのか・・・」と、呆然のラストが待っています。

  この作品、6話に分けず、前の方を中心にカットして、2時間くらいの一本にまとめれば、もっと良くなるんじゃないかと思います。 後ろの方は、1秒たりとも切るべきではありません。 とにかく、このラストは、珠玉の輝きを放って、類がありませんな。 ガンダムを操縦していて、一命を取り留めた隣家のおねえさんに、主人公の少年が、一体、彼女が誰を殺してしまったか、伝えないところが良いです。 この苦さが、純文学なんですなあ。


  休みが一日しかなくて、やる事が立て込んでいるので、今回はここまで。